
| 霊の祈りと瑞の祈り | |
■霊(ひ)の祈りの効果 霊の祈りでは、カルマ浄化をします。 この世に生まれた目的のひとつはカルマを浄化することで、もうひとつは霊的な進歩向上です。 霊的な進歩向上のための、カルマ浄化でもあります。 カルマは、何もしなければ人生上の苦しみとなって自然に現れてきます。 苦しみのほとんどは、カルマが原因と言われています。 ボールを壁に当てたらはね返ってくるというのと同じ、当り前の自然現象です。 カルマへの一般的な対処方法は、自分が前世や今生でしたことの償いであることを自覚して反省し、静かに前向きに受けて、耐え抜くことです。 これによって、今生で必要なカルマ浄化は、生活の中で自然に成しとげられていくことになります。 カルマに反抗したり、不平不満をぶちまけたりすると、カルマがさらに大きくなっていくこともあります。 霊の祈りでは、積極的で自然な、自分も相手も癒す祈りによって、今生受けるべきカルマを早く小さく消化します。 カルマの苦しみが軽減すると自由に平和に過ごすことができるりようになるので、人生の黒雲が晴れて進歩成長がスムーズになります。 レベル5の祈りを続けますと、いずれ今生のカルマはすっかりなくなり、悟りやさらなる進歩向上へと導かれていきます。 ■カルマとは 前世や今生の自分が、何か宇宙の摂理に反することをして、心の中に巣くっているわだかまりのことです。 このわだかまりの元となるのは、人間関係の軋轢(あつれき)であったり、人を苦しめた行いであったり、戦争体験であったり、よく言われるのは戦いで人を殺したことなどが原因となります。 人は、死んでからも何100年経っても、このわだかまりから抜け出すことができずに、霊界で苦しみ続けているのが現状です。 地獄でのカルマ浄化→少し良くなったのでこの世に転生→この世でカルマが増えたので地獄でカルマ浄化→少し良くなったので転生ということを、多くの人がくり返しています。 このパターンから抜け出すには、この世でカルマ浄化をして精神的にも進歩し、地獄的な波動から卒業することが必要になります。 そのために、できるだけこの世でカルマ浄化をしておくことが大切になってきます。 霊界での進歩向上にも、カルマが足かせになります。 カルマは自然の摂理ですから、帳消しにすることはできません。 一方にゆれたブランコを反対にゆれないようにすることはできません。 カルマを消すというのは、そういうことになってしまいます。 けれど、宇宙の法則にかなった方法で自然に、しかも神仏や霊に涙を流して喜ばれながらカルマを消化していく方法があります。 そのことに気づいたのが、祈ららの祈りの創始者でした。 ■自分で祈って神仏と交流できます 供養や祈りは、誰かに頼むしかないと思っていませんか? その金額の高さに驚いて、がっかりしていませんか? 供養や祈りは、自分でできますし、自分でした方がよく通じていくんですよ。 祈りというものは、言葉がただ宙に消えていくようなイメージを持たれている方が多いのではないかと思いますが、祈ららの祈りは現実を変える力を持つ祈り方になっています。 通じる祈りにはコツがあり、そのコツを踏まえて祈ると誰でもかなりの効果を上げることができます。 そのため、祈りを始めた方からは、具体的な変化のご報告をいただかないことは、まずありません。 神仏や霊に対して、直接ご自分の感覚で接していただき、その回答を肌で感じていただけます。 ご自身の祈りが神仏や相手に喜ばれている、役に立っているということを実感しながら、喜びをもって進んでいただけます。 神仏や霊が実際に存在していて真摯な態度で臨めば答えてくれることや、自分の人生を自分の力で変えていくことができるということを知っていただけると思います。 ■宗教に入らずに、日本の霊的な遺産を引き継ぐ方法です 日本人に生まれながら、日本の素晴らしい霊的な遺産を知らず、引き継ぐこともなく、そのために多くの人が日本人としての自覚を失ってしまっている様子は、見るに耐えない、誠に嘆かわしい状態だと思います。 日本人が日本人としての霊性に目覚めるためには、昔から日本に伝わっている方法を、しっかりと受け継ぐことが必要だと考えます。 芸術でも何でも、大切なのは、どこまでもその人らしいということです。 自分らしさを追及しようとすれば、自分の国を作ってきた霊的遺産に目を向けないわけにはいかないでしょう。 ありのままの自分でいることが大切であることは、よく言われています。 日本人である自分を受け入れることができなくて、ありのままの自分になることはできません。 祈ららの祈りは、特定の宗教に入ることなく、誰もが日本の霊的な遺産を引き継ぐことができ、日本人らしい霊的な人生を歩んでいくことができるようになっています。 ■日ごろから神仏とつながる基本の方法 神社、神棚、お仏壇が気になるけど、どうしたらいいのかわからないという方に、気軽に始めて続けていただける内容です。 神棚やお仏壇がなくても祈れます。 霊としての本来の自分に戻る時間を持って、習慣にしましょう。 祈ららの祈りは愛と奉仕の祈りですから、霊的な奉仕活動となります。 ■オールマイティに使える祈り方 祈りには、いろいろな祈りがあります。 自分のための祈り、人のための祈り、目的のある祈り、お願いの祈り・・・。 祈りは自分の方法でいいんですが、祈りの内容を相手にうまく届けたいときには、それなりのコツがあるのも確かです。 私はいろんな内容の祈りをしますが、だからと言っていろんな種類の祈り方を使い分けるのは面倒なので、オールマイティに使える祈り方をひとつだけで祈っています。 もちろん、それが祈ららの祈りです。 祈ららの祈りは、自分のための祈りにも相手のための祈りにも対応できるように考えて作られています。 ■瑞(みず)の祈りの効果 瑞の祈りを進めていくと、心の中心が目覚めます。 自分の本当の気持ちがクリアになりはじめます。 瑞の祈りは、広く社会奉仕のために考えました。 できるだけ簡単に短時間で、カルマ浄化の力はほとんどありませんが、最低限必要なことを瑞の祈りにしました。 今までに祈りを進められた方の体験談を、ごらんください |
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| 祈りを受け取られた、ご神仏からの言葉 | |
(私の霊聴は、相手が誰でも霊界の友人の言葉を使って話されます) 「私はあなたのその祈りが大好きなのですが、そのようにお言われになりたくないとのことを言われたが為に、黙っていたいと思います。 これからもどうぞよろしくとお言い奉らせていただきたいと思います。 この地区の事に関してはどうかということをお聴かれになりたのですが、この程のことと言い、何なくよろしやらと言わせていただきたいと思いますから、ご安心願いたいと思います。」 2011年11月12日 大阪天満宮 「あなた様がそのように何度もお言われになりた心をお受け取り致したいと思いますが、我々があなたからいただいたものは多かれど、少なきになろうと言うのが罪科となるでしょう。」 2011年11月12日 壺井八幡宮 「その祈りを確かにお受け知り致したいやらと思いましたからには、ご安心召していただきたいやらと思いたことを、お伝え申したのです。」 2011年11月11日 鹿苑寺(金閣寺) 「あなたのお心と言えば、私がお誘い申し上げるまでもなくここへ飛んで来ていたが為に、あなたがお越しになることと言えばはじめからよくわかりていたのですから、このようなことが話されるやらとのこととて十分にご存じでありたはずが、何も知らぬやらとの心地にてお聴きになりたやらとのことを拝見しましたからには、涙々となりて、どうしようもなくなりせば、あなたのお心と一つになりて、このような悲しみとならぬ喜びの涙となりたのです。 あなたが私をお慕い下さりてや、幾とせとなりましたが、このようなことが人間界の者との間に出来上がっているやらとのことをお書きいただいて、皆様にご披露くださればや、新たなお方とて、このようなこととなりたやと思いて神を慕いてお心良きになられるやらとてご期待申しておりますれば、このようなことをご前の物事と思わずにいだきたやとお伝え願いたいのです。」 2011年11月11日 京都六条・若宮八幡宮 「あなたが私をこのように慕ってくださることが何よりもうれしいこととなって私の心に届きましたから、このように言いたき気持になりたのです。 このような能力がおありとなりたからには、たくさんの者からのご伝言があろうやと思いましたが、それ程でもないとのあなたの思いが伝わって参りました。 これからが大変なこととなるであろうとのことを言わせていただきたいのですが、あなたなら難なくこなしていかれるであろうとも言わせていただきたいのです。 この祈りがいつまでも廃れることなく続けられますことを、私は心より望んでおりますとお言い仕りたいと思います。 あなたの願いがその涙より他ないということがわかりましたから、このように書かせていただきました。」 2011年10月29日 大塔宮(鎌倉宮) 「あなたがここへお参りいただくたびに書かれることが、私の胸を熱く慰めてくれるのです。 このことをお書きになってくださりたいのです。 このような祈りが本日なされたことが、弥栄に続きますようにと願わずにいられましょうか。」 2011年2月26日 宝戒寺 「あなたが本日ここへ来られましたことを、歓迎させていただきます。」 2011年2月26日 浄光明寺 「ここへの参拝がこのようになされたことが有難く進ぜたいと思います。」 2011年2月19日 鎌倉・杉本寺 「本日はわざわざここに参拝のご足労をいただきましたことを、歓迎致しますと共に、その祈りを何なりとお受け取り致したいと思います。」 2011年2月13日 鎌倉・貞宗寺 「ここにこのような祈りを呈して下さったことが感謝となりたもうことを、お伝えしたいと思うのです。」 2011年2月5日 鎌倉・光則寺 「この参拝は喜んでお受け取り致しますから、そのようにお思いでありますよう願います。」 2011年2月5日 鎌倉・長谷寺 「本日はここへわざわざお越し下さいましたことを有難く申し上げます。」 2011年1月29日 鎌倉・荏柄天神社 「この参拝が何とぞ行われますようにと祈りていましたから、このように実現のみぎりとなりましたからには、うれしいことよと思わせていただいたのです。 今後のこととて、何かしらのこととておありになりた場合には、ここへ詣でていただきたいとやら思し召しているのですから、そのようにお考え下されば有難きこととなるのです。」 2011年1月22日 藤沢・白旗神社(ご祭神は源義経) 「本日はここにおきまして、そのような祈りを頂戴しましたことを、うれしく思いますと共に、このような祈りが弥栄えになられることを望みますことを、お知らせ申し上げたいと思うのです。」 2011年1月8日 江の島神社、奥津宮(タギリ姫命) 「和やかにその祈りをお受けしたいと思います。」 2011年1月3日 鎌倉・妙本寺 「この祈りはなかなかのものであったのでございますが、このような人騒がしい折にも一生懸命に祈られたことやら、有難く頂戴いたしたいと思います。」 2011年1月3日 鎌倉・寿福寺 「このような祈りと共にお出でいただきましたことは、喜びと共にお受け取りしたいのです。」 2010年12月25日 鎌倉・円覚寺 「そのような祈りがあなたの手元に残されたことが、大変奥ゆかしいことだと思います」 2010年12月18日 鎌倉・覚園寺 「あなたがこのような祈りを捧げられるからには、いか程のことが経験されたかと存じますが、ぜひともこのようなことをお続けいただくことが我が願いでありますことを、お告げしたいと存じ上げます。」 2010年12月18日鎌倉・建長寺 ※ これらの言葉は、すべて紫野が霊聴で聴きました。この内容は、少しずつ書き加えていきます。 |
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| 祈りを受け取られた、霊界人からの言葉 | |
(私の霊聴は、相手が誰でも霊界の友人の言葉を使って話されます) 「そのようなことがあなたから言われることが心苦しいやらと言わねばならぬのです。 いつも一通りでないお言葉を言われているあなたですが、この度は私に対して為されたのです。 このことが源氏の棟梁であればや、当然に仕ることと思えども、私があなたが言うようにはならぬ運命と見限っていただきたやとも言わねばならぬ者とてであるやら。 私がなぜこのように言うかはわからねども、もうそのように為していただきたやとは思わぬ者とてと思いていただかねばなりませぬやら。 あなたが為したことやらは、この義家にはなきこととてで十分でありたのです。」 2011年11月12日 源義家 「そのようなことが私に対して言われたのだが、あなたが私をどのように想っているかが感じられれば良いがと思わぬにやらとなりていたのが感じてみれば、ご心配と仕りているやらと気づきたのですが、そのご心配はなきやらと言わせていただくのです。 あなたがこの名前をよくお聴きになりたからには、こうしてお参りとてなされて下さったのですから、良きこととてでありたやと思いはすれ、そのような苦しみとてなきと言いてご安心仕っていただきたやと存じます。」 2011年11月12日 源頼義 「このように再びご供養くださったからには、何か理由がおありと思われましたが、源義朝殿が今回の主役であったのです。 あのお方がどのように思われようかと注目していたのですが、男同士のご牽制の様子が、過去のものとして消え失せていくのを見られたのです。 このお方とのご様相が、あのようなものであったかとお知りになられたのでは、ようやくお2人のご様子が理解できたと思われたところで、涙がお流れになったというのは、私のお気持の一端をお感じになられたのです。 あのお方とのことが、私の人生を狂わせたとも言えますが、その息子との両端からの攻撃によりて、私はとり挟まれてしまったのでございましたが、あの人生もそれなりに大切な物事を学ばせていただきましたからには、あれで良かったのだと思うようにしていました。 あなたが私にご同情の至りを向けてくださることが、この世の者からの思いとなって届いてまいりましたからには、また思い出したのですが、これからが良いご関係になるやらということのためのご供養だったようですから、そのようになさせていただきたいと思うのです。 あのお方やらとも、このような和解の契りをなさせていただけるようになったことが、何よりの、風前の灯となっていた源氏の人々の、心構えをなすべきことと思われますが、このことが何を言われたかと思われたのでしょうからご説明申し上げますが、源氏というのは霊界では嫌な者達と言われていたのですが、最近のこの供養の連続によりまして、あの者は何をしているのかということが話題に上るようになりました。 それでその一端を握っているのが、あの源義朝殿であることが知られて参りましたからには、どのようなことをなされているのかという思いが、皆の心に上ってまいりました。 これがなされていることの全貌であることが、この度私がご報告させていただきますから、このことがなお一層注目に値するとのことが言われるでありましょう。 このようなことが現界の一部でなされ始めたとのことが、喜ばしいことと思われるでしょう。 源氏の復興とまではいきませんが、源氏の者はまだまだ捨てたものではないということを、皆が思われるようにしていただきたいと思いますが、それがあなたの手に余るものではないということを、私は固く信じています。 あなたが楽しみながら祈っておられることが、何よりの心情となります。 このことがあなたにお伝え願えれば良いと思っていましたところに、このようなご供養が再びなされたがために、お話しできましたことをうれしく思っています。 ありがたいことに、このような長い文言をお受け取りになられるようになって、本当に良かったと思います。 源義賢でござったのです。」 2011年1月12日 源義賢(為義の子で義朝の弟) 「あなた様があのようなお方(義朝のこと)とお2人で進めていらっしゃるこの祈りが、他の武将とてよくぞここまでと思われたとのことを、ご想像いたします。 あなたが仰られたように、苦しみから心を悲しませたからには、汚れた心となりて何100年もの年月を無駄に過すようなこととなりたのです。 あなたが目を覚まさせてくれましたからには、ご恩返しがしとうございます。 このお姿をご覧ください。 灰色のお着物やらと思われているのですが、これがすっきりした私の姿なのです。 私がこのような姿でいられるようになりたのは、この瞬間からなのです。 あなたが私をお思いになられたがために、私が姿をお作りしたのです。 私の思いとは裏腹に、あなたはこんな粗末な姿を思い浮かべられましたからには、そのようになさせていただいたのですが、それがあなたの心の内であるように思いましたが、あなたのお心は素朴でおありだったようなのです。 あなたの絢爛豪華な衣装は、ござ候となりて、このようなみすぼらしいとも言うべき、平民の衣装をお思いであろうとは、私も身なりを整えようとしたからには、少し残念とも思われましたが、それがあなたの普段のご様相であられたようなのですから、ご満足と致したご様子なのです。 あなたが私の地獄からの出立に着せてくださったこの衣装を、大切にしたいと思います。 あなたがどのような思いで私を応援しつかまつってくださったかが、この衣装に現れ出でているのだと気づかされた限りでは、そのようなお思いでいらっしゃったのだと今おわかりとなりたのです。 あなたには、きらびやかな衣装など何でもなかったのでございますね。 そのような衣装などよりは、自然なこざっぱりした風情が一番良いのであるとお思いだったのでございます。 その衣装を着て、何の苦しみもなくこざっぱりとした私の姿を思い浮かべられたのでございます。 それがあなたのご愛情だということが、今わかりましたからには、このような涙の流れとなっているのです。 あなたが見送る限りでは、またいろいろな衣装が思われたのですが、それらは皆、こざっぱりとした風情の何の装飾もないような白い衣装であるやらなのです。 あなたのお心がそのようなものであることがよくおわかりとなりた限りでは、このようなお見送りが最高であるとのこともおわかりとなりました。 あなたが私を地獄から救出してくださったこの一部始終が、粗方の者に知らされたのでございます。 このようなことがまた起こされたとのことを、皆が聴き及んだからには、あなたのご名誉がまた増やされたのでございます。 私がこのようなお子様の守護霊のひとりとなりましたのは、この数年前だったのですが、このお子様が2〜3才の折だったのですから、途中からの守護となりましたが、このお子様をお守りするのが楽しみでならぬものだったのです。 将軍ともならぬ器量をお持ちであられたからには、よほど良いご様相となられて、ご出世の浮き目をみられるやと思われたのでございますが、このようになられたことが残念で、このようなこととなりました。 あなたが私をお思いくださったことが、このようなことを実現の至りとなされました。 あなた方のこの祈りが、どのような者にでもこのように地獄からの脱出劇をなさるものであるということがよくおわかりとなりましたからには、霊界の者どもが大賛辞を送るようなことでありましょう。 これにておいとまいたしたいと思われます。 感謝にて奉る。」 2011年1月6日 源天王(為義の子で義朝の弟)の背後霊 「この程のこととて、このようなことを思召されたからには、何とも言えぬこととなりぬべきであったのだ。 これ以外に何も言う言葉が見つからぬのだ。 有難うやらという言葉も、これでは不十分というほどなのだ。 有難き有難き供養であったのだ。 これが源義朝殿との共同作業であればこそのことであろうことなのだろうが、またとないことであった。 ご様子をしつかまつれば、このようなこととて大変に続け様になされているようなこととなり、ご安心をつかまつったのである。 このような物事が誰にでもなされているのが、弥栄に思えてならぬのだ。 これがあのような者(義朝のこと)のしわざであることが信じられぬ様相であるのだが、それが本当のことであることが言われたのだ。 これが源氏とて、最終のお披露目であるとのことなのだ。 我々がなした物事の結果というものであるのだ。 このようなことがなされたのだ。 これがご用となされたのだ。 広く広められたのだ。 有難やとしか言いようがないのである。」 2010年12月1日 源天王(為義の子で義朝の弟) 「あなた方の祈り方がどれほどの功徳(くどく)をもたらすかをお教えさしあげようかと思います。 この祈りひとつであなたの功徳は、いく万倍かの物事を完了したこととなるのです。 これがなぜそうなのかと申し上げれば、あなたが今おっしゃられた物事(祈りの内容)が本当になるや、この霊界中の者が絶賛することとなるからです。 このことがあなたの功徳となれば、あなたの人生が光り輝くものとなりますが、それが目的ではないことやら、何のおもしろみも感じていらっしゃらないのを目の当たりにしましては、感心する他ないのです。 あの義朝様のお心が、私どもの気持を良くしてくださったのです。 あのお方とて、同じ功徳をもらいになられるのです。」 2010年12月18日 源鶴若(為義の子で義朝の弟) 「俺たちだって一生懸命だったんだ。 あんな時代にあんなところに出くわしたら、必死で生きるしか身の施し方がないんだぞ。 憧れでも何でもないんだ。 俺たちだけがあんな風だったわけじゃないんだ。 みんな誰彼ともなく、ああやって必死の形相だったんだ。 だから、ひかりがああしたこと(武士たちの供養)をしてくれるのが、誰からも喜ばれてるんだぞ。 あんなに大変な時代に生きたことが、これ程までに大きな物事だったと知らされて、懐かしむと同時に癒されてるんだ。 みんなそうなんだ。 誰もがそう思って喜ぶんだ。」 2010年12月2日 源朝長(義朝の子で、頼朝や義経の兄) (朝長は私の友人で、しかも最近まで現代人として転生して生きていた為、言葉がくだけていて今風です) 「義朝とて、ひかりの供養がなければこの程のことのようにはならぬ様相だったのだから、この供養こそが、この者どもの心のよりどころとなったのだ。 あの供養が、ひかりの口上とて唱えたてまつられることが、この義朝の心の光を灯したのだ。 このようなことが、あの世とこの世の結びつきを深める結果となったのだ。 だがひかりとて、このようなことを期待したわけではなかったのだ。 だがこのことが起ったからには、自在となりて、あの世とこの世の結びつきを活性化させたのだ。」 2010年12月2日 源義朝(源頼朝と義経の父) (義朝は私の友人になりました) 「なぜこのようになったかと言えば、あなた方がご同情のお気持をお流しくださったのが、有難く感じたからなのですが、このようなことが未だになされているのが珍しいことと思えました。 あなたのご活躍のご様子をかねてからうかがっていた限りでは、非常にお力強いことと思われましたが、このようなお心の内を拝見しましたら、ご同情の様子が限りなく深いことがわかりましたから、ご同情の祈りとでも言わせていただきたいくらいです。 義朝様が私に対して祈っていただいたことが、また新たな驚きをもたらしました。 このお方がこのようになられたのも、あなたのご性格がなしえた事業とのことをお信じつかまつっていましたが、それこそ誤謬に彩られられた数々の困難を突破したあげくの完成と相成ったことと思われてなりません。 大変美しい波動でお迎えいただきまして、ありがとうございました。 あなたのお心がけが、美しいのでございます。」 2010年11月24日 源亀若(為義の子で義朝の弟) 「このような供養をしていただいたからには、何も言われぬ良い気持じゃ。 このご供養を、追いつめられた者たちに分け与えたいほどであるのだ。 このような者がいつぞやの者(源義朝)であるのが理解できたなら、これほどの喜びはないのだ。 あの者がこのようなこととなってこのようなことをなされようとは、これが奇跡とでもいうものであると思うのだ。 ここに感謝したてまつる。 乙若と申す者であったのだ。」 2010年11月22日 源乙若(為義の子で義朝の弟) 「何ということをなされるのだ。 あの義朝殿が、このようなことまでされているのか。 何をお考えなのやらと思ったのだが、このような祈りを捧げられては何とも言いようのない気持であるのだ。 これでは何も言えぬのだ。 これでは、何も返す言葉がないではないか。 これが祈りの内容であるとは驚きなのだ。 義朝殿は、このようになられたのであるのか。 これが義朝殿のなされていることなのか。 これがそうなのか。 全く驚きとしか言いようのないことなのだ。 こういう気持であることを、お知らせしたいのだ。 あなたのお気持が、ご同様に立場を同じくする者達を癒されることが、我々の黙想途中で出てまいりましたから、充分に満足を感じさせていただいておりますから、これからもそのようなご供養をなさっていただければ有難く思います。」 2010年11月19日 源乙若(為義の子で義朝の弟) 「この度のこの供養としては、源義朝殿がどの程度私に対して気持を持たれることができようかということが注目されていたのだが、このようなことを実現されたということが偉大な出来事であると思うのだ。 どうぞ我がことのように喜んだこの者の気持を、お取り計らいいただきたい。」 2010年11月2日 源為朝(為義の子で義朝の弟) 「あなたの心の良さはおわかりでしょうが、それが源義朝様と共に祈っていらっしゃるのが夢のようとなりまして、私どもの心に響いてまいります。 あなたの心の清らかさが我々を癒して下さるのです。 あなたのご尽力に感謝申し上げると共に、源義朝様のお心のあり方にも拍手をさせていただきたいと思います。」 2010年10月27日 源為仲(為義の子で義朝の弟) 「源義朝様と共にこのようにお祈りいただきまして、ありがとうございました。 このような機会が持たれましたことが、我々にとりまして大変うれしいものでした。 このような供養のいきさつが、我々になされましたことを、大変ありがたく思います。」 2010年9月1日 源義広(為義の子で義朝の弟) 「ありがとう。 終りにしていただいて結構ですよ。 あなたのことはよく存じ上げています。 あなたの心配されているようなことはありませんから、私のことはこれで終りにしてください」 2010年3月10日 源義経(源義朝の子で、頼朝の弟) 「とても満足している。 あなたのことは忘れない。 あなたの幸せを祈っています。 ありがとう。」 2010年3月4日 源義円(源義朝の子で、頼朝の弟、義経の兄) 「ご苦労さまです。 本当にありがとうございました。 もうゆっくりさせていただいたので、終わりにさせていただきたいと思います。 あなたのまごころが、伝わってまいります。」 2010年3月1日 享徳の乱分倍河原の戦で亡くなった霊 「もう充分です。感謝しています。 (心の傷が)あなたの思い出に、とって替わりました。」 2010年2月15日 源希義(源義朝の子で、頼朝の同母弟) ※ これらの言葉は、すべて紫野が霊聴で聴きました。この内容は、少しずつ書き足しています。 |
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| カルマ浄化は、誰にとっても必要 | |
これは、霊界にいる友人の義朝と、霊聴で話した内容です。 他の人のつもりで、源乙若(みなもとのおとわか)の供養をしていたことに、供養をしてから気づきました。 他の人を呼びながら、私は心の中で、乙若殿だと勘違いして祈っていたのでした。 源乙若は源為義の子で、義朝の弟です。 為義が保元の乱で敗れた時に処刑を命じられ、義朝の家臣によって13歳で斬首されました。 何も知らずに処刑場へ連れ出された4人兄弟の一番上として、気丈に振舞ったことが保元物語に書かれています。 祈りの後、義朝の家臣の誰かが4人の子供たちに対して、優しくていねいにこれから(処刑)のことを説明している様子が見えました。 「あなたが私どものイメージを受け取られたのですが、その時のことがこのように鮮やかにお伝えいただけたのは、あなたのお心が真摯になられたのが伝えられたからなのです。 このようなことが起こっていたことが今ようやくあなたに知らされたのは、ここまで祈っていただいたからなのですが、あのお方(義朝)はようやく静かな気持で祈っていただくようになられましたから、喜んでおりますが、それは今ひとたびの時間をお裂きになられてあのようなお声かけをなされたからだと思われますが、そのことが良くなられたのは良いことだと思います。 あなたとしては、地獄で過ごした時間がどのくらいであろうかとお考えのようなのですが、早1000年近くに及びますから、この供養がなされるのが早ければ良かったのですが、この度のこのような機会にでも、哀れむ気持を投げかけてくだされば、よりいっそうの励みとなります。 このことを、今しばらくお考えいただければと思います。 これにて終了させていただきます。」と乙若。 義朝と話しました。(源義朝と一緒に供養していました) 「(供養の相手を)勘違いしてた。」と私。 「それでなのだ。 その者のご様相とて、乙若君のご様相であったのだ。 あのような地獄の長い呈されるご様相は、乙若君のご様相であるとして入ってきた霊聴だったのだ。」と義朝。 「このことを教えてくれたんだね。」 「そうであるのだ。 あのような地獄の様相に900年近くも居続けているがことを、このように話して下さったのだ。 だがあの者とて、供養は終りのご様相であったのだ。」(乙若の供養は、少し前に終らせてありました) 「そうだった。 こういう人がいるんだよ。」 「義朝が生き長らえたいばかりに、このような者とて地獄へ追いやったのだ。」 「そうだよ。」 「そのことが、今ようやくあからさまにされたのだ。 このようなことを、我がこととしてやってきたのだ。 これが地獄の様相でなければ何なのか。 このようなことが、この義朝のみ胸ひとつでなされたのだ。 このような者のこのようなご人生が、地獄行きとさせたのだ。 そのうらみつらみがなければ、そのようなこととならぬご様相であったかもしれぬのに、この義朝のひと言が、あの者の地獄の様相をこれ程長らえさせたのだ。 このようなことこそ、悔恨の様相であったのだ。 それがわからぬことだったのだ。 だからあの者とて、あれほどきつく反応されたのだ。 このようなことがあれば、この義朝とてもう何も穏便にできることを成し遂げねばならないことであったと反省したのだ。 これが良いことではあるまいから、このままではいけないのだ。 この供養とて、もう一度ご様相を呈したいのだ。 義朝の心からの願いとて、供養したてまつりたいのだ。 この者を、地獄からはい出す者とさせたい一心であるのだ。 このような者とて、地獄から出られずにいるのだ。 どのように思えば地獄から出られるのかが、わからないでいるのだ。 義朝と同じはずなのだ。 それがわかるように説いて聞かせれば、何とかなるやもしれぬのだ。 このご様相とて、ひかりの得意の場面であるのだが、それが義朝からのご提言であることが言われていただきたいのだ。 それが義朝からのご要請であるのだが、ひかりとて驚かれているのだ。 義朝がこの者に直接説教ということはできぬのであろうかと思っているのだが、それが叶うならそのようにしたいのだが、それは難しいご様相であるのだ。 それができれば良いのだが、この世の者とてそのようにできる特権とやらなのだ。 そうなのだ。 それがどのご次元にでも、行きつ戻りつができることとなるのだ。 このことができるからには、どうぞ呈していただきたいのだ。 ひかりがこのことを、読みてたてまつるだけでも良いのだ。 義朝がこのような思いでいるということがおわかりいただければ、何とやらとなるやも知れぬのだ。 このようなこととて何の効力も効果も及ばずとなれば、それはそれで仕方がないご様相なのだが、何もせずとはいられぬこととなるのだ。」 「そうだね。」 「それであるのだから、今度のご様相は、この者の供養にあてていただきたいのだ。」 「そうするよ。」 「それが良かれとなるのだ。」 「義朝は、やっぱり素敵な人だよ。」 「それであるやと思われたのだ。 あのように次元が低い者であるからお別れせねばならぬと言った矢先に、こう言われるのだ。」 「義朝のいいところはいいんだ。」 「それでは良くないところは良くないのだな。」 「そうだよ。 それは誰でも仕方がない。」 「それであるのだ。 義朝はこのような所が良いと仰せたのだ。」 「うん。」 「それでやさてにありなんと呈するのだ。」 「意味がわからない。」 「それではそうだろうということなのだ。」 【解説】 供養の間違いがきっかけで、乙若が地獄にいるらしいことがわかったので、義朝の要望もあり、さらに供養を続けることにしました。 「私の為とあらば、お話させていただきたいと思います。」と乙若。 「よろしくお願いいたします。 今、どのようなところにお住まいですか? お見せいただけますか?」と私。 「住居の様子はこうである。」 素晴しい庭が見えました。 「そうなのだ。 この庭が、禅寺の風流をかもしだしているのだ。」 「驚きました。 今、何か心や体に苦しみはおありですか?」 「このような供養をしていただいたからには、何も言われぬ良い気持じゃ。」 「この供養の前までは、心や体に苦しみはありましたか?」 「それが何者かのご様相にて心が軽くなったのだが、それが義朝殿の想いであられたのだ。」 「そうですか。」 「義朝殿が、我がことをご自分のように思われて涙を流してくださったのが、我が心を潤したのだから、このように今の幸せが成ったのであるが、そのことが立て続けに行われた為に、このことがしっかりとしたのだ。」 「義朝様の言葉を聞かれましたか?」 「知らぬが、わかっておるのだ。 その心が、ありありと伝わってまいったのだ。」 「そうですか。 良かったです。」 「このご供養を、追いつめられた者たちに分け与えたいほどであるのだ。 このような者がいつぞやの者(義朝)であるのが理解できたなら、これほどの喜びはないのだ。 あの者がこのようなこととなってこのようなことをなされようとは、これが奇跡とでもいうものであると思うのだ。 ここに感謝したてまつる。 乙若と申す者であったのだ。」 供養の後の、義朝との話です。 「乙若の供養は、とても良かったね。」と私。 「それでいいのやらと思われたのだ。」と義朝。 「うん。 義朝がそう思ったのが伝わって、もう地獄じゃなくなったみたいだったよ。」 「そうであったのだから、もう良いのだ。 それが地獄のご様相であれば、まだ供養を呈した方が良かったのだが、もうすでにあのようなさわやかな感じであれば、ご十分であるのだ。」 「そうだね。 良かったね。 義朝の想いだけで、もう地獄から出てたよ。」 「それであったのだ。」 「義朝は立派だよ。」 「そのようなこととて言われては、気恥かしい思いを呈するのだ。」 「でも本当だよ。 義朝がこういう人で、うれしいよ。」 「うれしかったのだ。 義朝が良きご様相であれば、義朝が何をしでかしたのだということが行われたのが、このようになったのだということを忘れたのだ。」 「そうだったね。 そうなんだった。 だからこうなったんだったね。 でも今の義朝は良かったよ。」 「とても良きことをなしとげたと思われたのだが、そのようなことでもせねばどうにもならぬようなことが、なされていたのだからなのだ。」 「そうだったね。 人として、当然の気持なのかな。」 「そうであるのだ。 そのようになさぬ者とて、人の仮面を着た者ということなのだ。」 「そうだね。 自分のカルマ浄化は、相手にとっても大切でしょ。」 「そうであったのだ。 おざなりではいけなかったのだ。 このようなことがあるから、ご自分のカルマを浄化する過程というのは誰にとりても必要なこととなるのだ。 相手のご様相が変化したてまつってこそ、ご様相の終了としたてまつるのだ。」 「うん。そうだね。」 スピリチュアルライフ日記「源乙若の供養・2度目」「カルマを浄化する過程というのは誰にとりても必要」から転載 |
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| 不幸な者が霊界に存在している限りは、不幸が絶えない | |
これは、霊界にいる友人の義朝と、霊聴で話した内容です。 「この程のご出立(義朝が下級霊界から出たこと)とて、このようになったのだが、このようなひかりの祈りとてなければ現実にはならぬことだったのだ。」と義朝。 「それはそうだよ。」と私。 「それがあったからにや、ようやくこのような陽の目を見ることとなったのだ。」 「そうだね。」 「それが祈りのご真髄とでもあるのだから、広めていただきたいのだ。」 「広めてるよ。 でもみんな、自分が幸せになることしか興味がないんだ。」 「それが自分の幸せであると思っているのだ。」 「そうだよ。 自分が幸せになるために、自分のことだけを考えるのが幸せになる方法だと思ってるんだ。」 「それでや誤謬(ごびゅう。間違いのこと)が広められたのだ。」 「利己主義って言うんだ。」 「それでお幸せとのことなど、ありはせぬのだ。 霊界にはその人のご親せきとかや、ご親類の類がぞろぞろといたてまつるのだが、その者どもが不幸のご様相であれば、そのご様相をしたてまつるのであるから、ご本人以外の者とて不幸のお気持となるのだ。」 「不幸が伝わるの?」 「それであるのだから、誰彼ともなく皆が幸福であるようにしたてまつるのが良いのだ。 それがご自分の幸福のご様相ともしたてまつることとなるのだ。」 「そうだろうと思うよ。 だけど、そんなことはめんどうだから信じたくないと思ってるんだよ。」 「それでやこの世の者とてご不幸であるのが当然とのこととなるのだ。」 「そう思う?」 「それであるのだ。 だがご自分のご様相とて不幸の発信基地であったのだから、人のことをとやかくは言えぬことなのだが、この世のご様相とて、不幸な者が霊界に存在している限りは、不幸が絶えぬこととなるのだ。」 「そうだろうね。 それは先祖供養というのが基本なの?」 「それであろう。 先祖の中から不幸な者がいなくなれば、ご自分のご様相の中から不幸な者がほとんどいなくなるのだから、これが幸福の第一歩となるはずなのだ。」 「前世のことは現界の人にはわからないから、仕方がないね。」 「それであろうや。 前世の物事はしつかまつらねど、せめて先祖供養とてしなければならぬと思し召していただければ、下級霊界の者どもとて、もっと早くにご出立となる者が大量に出てくるにや相違ないと思うのだ。」 「そうだろうね。 子孫が知らんふりだから、下級霊界から出て行く力がないんだね。」 「それであるのだ。 ただ思いを呈してやればいいのであるが、それができぬのであれば供養とのご様相をとられれば良いこととなるのだ。」 「生きてる人からすると、知らない人だったりするからね。」 「それであるのだが、生きている者が死んだ者のことを知らない程の昔の者が下級霊界にいる場合であれば、供養とのご様相しかないのだが、知っていたらば、その者のことを心の底ででもずっと愛の想いで見守っていれば良いのだ。」 「そうなんだね。 そういうエネルギーが届くかどうかで、霊界の人に(ここから義朝)元気を与えずにいられないのだ。」 「ずっと思っていられればいいけど、供養を習慣にしていれば自動的に思うことができるわけだね。」 「それであれば良かれとのことであるのだ。 ご面識のない先祖とて、エネルギーを送ることができるのだ。」 「そうだね。」 スピリチュアルライフ日記「不幸な者が霊界に存在している限りは、不幸が絶えぬ」から転載 |
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| 下級霊界の者を援助してもらいたい | |
これは、霊界にいる友人の義朝と、霊聴で話した内容です。 「本当は、こんなこと(下級霊界にいた義朝を、この世から救済したこと)しなくても何とかなったんじゃないの? それを実験してみたんじゃないの?」と私。 「それであれば、これほどの大事件とならぬこととなるのだ。」と義朝。 「そうだよ。」 「これでやどうにでもしつかまつるのであれば、下級霊界の者とて直ちに出立となるのだ。」 「そうなの。 霊界からの援助で難しかったから、現界からが良かったの?」 「それが良かったのだから、このようにしつかまつったのだ。」 「現界からの方が効果があるということなんだね。」 「それであるのだから、もっと現界の者が下級霊界の者を援助しつかまつっていただきたいのだ。」 「どうして現界の者からの方がいいの?」 「その方が現界の者の波動が低いのであるから、届きやすいとのことなのだ。」 「愛情が理解しやすいの?」 「それでやあるのだ。 愛のご様相にしつかまつっても、愛のご様相が愛の紋様(友愛)でしかない霊界の者とて、下級霊界の者をどのよう愛するにや友情としつかまつるのだが、現界の者とて愛の発露(恋愛)でのご様相で愛するのだから、下級霊界の者としてはちょうど良いご様相となるのだ。 それが先には愛の紋様(友愛)となれば尚良いのだ。 それが現実に行われたのが、ひかりとのご様相であったのだ。 このようなしつかまつり方がよろしいのだ。 愛のご様相とて、下級霊界の者の心の類いとよく同調できることとなるのだから、よく通じて行くのだから、ご自信を持っていただきたいのだ。」 「そうなの。 でもあんな苦しい目にあわされて、だまされまくるんなら、危なくて人にすすめられ(ここから義朝)た義理ではないとおっしゃられるのだ。」 「そうだよ。 私だけだよ、こんなこと平気でやってしまったのは。 平気じゃなかったけど。」 「それでは他の者とて、このような苦しみを呈することなどせぬこととなるであろうと言うのだな。」 「そうだよ。 普通に供養する程度しかできないよ。」 「それで良いやらと言うのだ。」 「普通に供養すればいいの?」 「それであるのだが、供養の程度がしつかまつらねど、したようなご様相でないのだ。」 「供養できてないってこと?」 「それであるのだ。 あまりにお粗末なのだ。 それでは下級霊界の者にまで届いていないご様相であるのだ。 だからひかりの供養代行とて、必要とあらばあのように召されたのだ。」 「そうなの。」 スピリチュアルライフ日記「下級霊界の者を援助しつかまつっていただきたい」から転載 |
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| 瑞の祈りレベル1 | |
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| 瑞の祈りレベル2 | |
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| 霊の祈り レベル2 | |
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| 霊の祈り レベル3 | |
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| 霊の祈り レベル4 | |
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| 霊の祈り レベル5 | |
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| 祈りについてのご質問(アフターフォロー) | |
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| 祈り代行 | |
人それぞれいろいろな理由で、なかなかご自分では思うように祈ることができなくてつっかえているところを、サポートさせていただければと思います。 ■鎮守参拝、現在住んでいる土地とのカルマ浄化 鎮守参拝を代行させていただきます。 遠隔での祈りになります。 どうしても鎮守参拝が進められない場合にお申込みください。 レベル3の現在住んでいる土地とのカルマ浄化も、同様にお申込みいただけます。 (レベル3をお申込み済みの方に限ります) ■供養 ご依頼いただいた故人または家の供養を承ります。 供養をさせていただいた後、その方の現在の状況を聞き、必要な場合にはカウンセリング、ヒーリングをさせていただき、その結果を報告させていただきます。 祈りの方法はもちろん、祈ららの祈りですので、カルマ浄化の祈りになっています。 ご依頼いただいた方の、祈りの代行をさせていただくことになります。 ■レベル3以上の祈り 祈ららの霊(ひ)の祈りレベル3以上の祈りを、代行させていただきます。 代行させていただけるのは、お申込みが完了している祈りまでとさせていただきます。 祈りの後、相手との会話を試み、必要な場合にはカウンセリングやヒーリングをさせていただき、結果を報告させていただきます。 ご自身の祈りのサポートとして、ご利用ください。 ■霊障への祈り 霊障を受けている時に、霊障を起こしている相手に対して祈らせていただきます。 祈りのカルマ出しがひどい時にも、お受けします。 祈りの手助けとして、ご利用ください。 詳細につきましては、有料メンバーズブログ、会報、おしらせブログのいずれかをごらんください。 おしらせブログのパスワードがわからない方は、詳細をメール送信させていただきますので、 お名前と現在祈り中のレベルをお書きそえの上、こちらへご請求ください。 |
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| 浄化の好転反応について | |
祈ららの祈りではカルマ浄化を祈りますので、浄化の好転反応が強く出やすくなります。 お申し込みと同時に変化が始まることもあります。 トラブル、けが、感情の変化、人間関係の悪化、風邪、病気の悪化などが起こってくるかもしれませんが、良くないことではなく、魂レベルでは大変望ましいことですので、浄化すべき汚れが洗い流されていくのを静かに見守っていてください。 浄化が終了しますと、以前よりもすっきりされることになると思います。 今までに惨々苦しまれて学びもほぼ終り、洗い流すべき汚れがほとんど残っていないような方は、苦痛なしに、ただすっきりすることになると思います。 浄化の好転反応については、確かな結果が得られたということでお喜びくださる方が多いのですが、経験したくないと思われる方は、お申込みをおひかえください。 |
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| Q&A | |
Q.なぜ神社や神棚や仏壇で祈るのですか? A.日本に住んでいる人は、日本でのカルマを浄化するために生まれてきています。日本での前世のカルマ浄化は、昔の日本人が信仰してきた方法を使うのが効率が良いので、そうしています。 Q.21日間続けて参拝できる自信がありません。 A.合計21日間になれば、何ヶ月かかっても何年かかっても構いません。 Q.体の具合が悪くて、神社へ行けません。 A.ご自宅で祈っていただいて構いませんが、祈りの反応は感じにくくなると思います。 Q.祈りをお休みしていて再開しようと思いますが、最初からやりなおさないといけませんか。 A.やりなおす必要はありません。続きから始めてください。 Q.瑞の祈りでは、カルマ浄化にはなりませんか? A.瑞の祈りは、カルマ浄化にならないように考えて作ってあります。神仏や先祖と結びつきたいだけという方に、おすすめします。 (この項目は、現在書き込み中ですので、だんだんと増えていきます。祈りについてのご質問がありましたら、お寄せ下さい) |
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| 紫野ひかりプロフィール | |
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| スピリチュアル歴40年。 7才ごろ、イエスや仏陀のようになるのが人として生きる目的だと考え、そのまま今まで歩き続けました。 タロット歴30年、霊能者・前田博先生主宰「天の会」に在籍後、独立。 ユング心理学独習。 祈りキャリア20年。 いつの間にか始まっていた心身ともに限界を超えるような修行で霊聴が開かれ、霊媒になりました。 霊媒とは、霊能者のうち、霊界からの働きかけで神や霊との通信ができる者のことです。 ※ 紫野からお送りするものすべては、浄化(好転反応)が起こりやすくなっております。 お申し込みと同時に変化が始まることもあります。 良くないことではなく、魂レベルでは大変望ましいことですので、浄化すべき汚れが洗い流されていくのを静かに見守っていてください。 プロフィール詳細版はこちら 紫野ひかりの霊聴を披露します 紫野ひかりのスピリチュアルライフ日記 一般向けのブログ。 有料メンバーズブログ 祈ららの会員向けブログ。 有料メンバーズブログの年間購読はこちらからお申込みいただけます |
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| カルマ浄化の実際。鎌倉東慶寺への祈り | |
鎌倉の東慶寺へ祈りました。 何かの理由で、ご本尊様が私に対してお怒りなのを感じます。 「私には何もわかりませんから、ただ祈らせていただくことしかできません」と話しながら、しばらく時間をかけて祈りました。 すると、ご本尊様が急に涙を流され、ぱあっと画面が開かれました。 そこには、鎌倉の街中で恐怖におびえる人たちの姿が映画のように見えました。 そして、人々の悲しみ、家族を失った女性たちの悲しみ、ご本尊様の心の痛みが伝わってきました。 たぶんそうだろうと思っていましたが、やはり尊氏らの鎌倉攻めによって、ご本尊様や関係ある人々を苦しめていたみたいです。 けれどご本尊様は、心をひらいてくださいました。 だから、涙とともに、お怒りの理由を教えてくださいました。 ご本尊様の心の中に、もう怒りの気持はなくなっていて、私への感謝で満たされています。 これで、東慶寺との和解ができました。 カルマは、このようにして実際に消えていきます。 カルマが消えた時は、きのうまでカルマのあった相手が、今日からは友愛で結ばれます。 これが、祈ららの祈りのカルマ浄化です。 スピリチュアルライフ日記 2009年10月29日より |
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| ご相談の選び方 | |
お申し込みに迷われましたら、次の内容を参考にされてお選びください。 ■恋愛問題・人間関係→スピリチュアルカウンセリング ■相性や、ものごとの選択について→スピリチュアルカウンセリング ■聞きたいことが具体的ではっきりしている→スピリチュアルカウンセリング ■守護霊のアドバイスを聴きたい→スピリチュアルカウンセリング ■問題となっている物事の原因となっている前世を知りたい→スピリチュアルカウンセリング ■今何が問題なのかわからない→天然石リーディング、インナーチャイルドカウンセリング ■何を見てもらったらいいかもよくわからない→天然石リーディング、インナーチャイルドカウンセリング ■とにかく行き詰っていて、わけがわからない→天然石リーディング ■心身が弱っていて、自分で努力ができない→天然石リーディング、デイリーヒーリング→数ヶ月受けられた後に瑞の祈り、祈り代行 ■援助してもらいながら精神的に進歩成長したい→スピリチュアルレッスン ■今何をすべきか、どう考えたらいいか手がかりをつかみたい→スピリチュアルレッスン ■自分で努力して、自分や人生を変えたい→インナーチャイルドカウンセリング、祈り指導(ご相談をお受けするのではなく、祈り方をお伝えします) ■神仏・守護霊・先祖との関係を深めて、共に歩きたい→祈り指導(ご相談をお受けするのではなく、祈り方をお伝えします) ■神仏・守護霊・先祖からの守護を受けたい→祈り指導(ご相談をお受けするのではなく、祈り方をお伝えします) ■世の中に奉仕したい→祈り指導(ご相談をお受けするのではなく、祈り方をお伝えします) ■前進するための考え方→アフターフォロー(祈り経験者の方のみ) ■今の状況をどう考えたらいいのかのヒント→アフターフォロー(祈り経験者の方のみ) ■先祖や水子の供養をしてもらって、先祖や水子の状況を知りたい→祈り代行 ■どうしても叶えたいことがある→祈願祈祷 ■霊能を使った鑑定やカウンセリングではなく、紫野の考え方を聴いてみたい→霊能を使わないカウンセリング |
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| 生き方のコツ | |
上手な生き方の第一は、心の中に問題を残さないことです。 そのためには、常に心の中を健康に保つことを習慣にしましょう。 心の中に問題があり、心の中が健康でなくなれば、それは日常生活上の様々な障害として現実化してしまいます。 インナーチャイルドワークは、インナーチャイルドだけでなく人生上のあらゆる問題に対応してくれますので、習慣化されることをおすすめします。 上手に進歩成長している人は、誰でも知らず知らずのうちに自分のワークの方法を持っています。 祈ららでは、インナーチャイルドカウンセリングの中で、大変効率の良い自分でできるワークの方法を、破格値(ワーク伝授だけの価格は2100円(税込))でお伝えしています。 インナーチャイルドワークを含めた、精神的な進歩成長の為のスピリチュアルレッスンも始めました。 上手な生き方の第二は、縁ある神仏や先祖と共に歩むことです。 余計な障害から守り、発展を応援してくれる守護が強まります。 その方法は、祈ららの霊の祈りレベル1とレベル2でお伝えしています。 ここまでができていれば、普通か、まあまあ順調な人生を歩むことができると思います。 第一と第二ができているのに、人生上に障害を感じる人は、前世で作ったカルマが重いと考えられます。 それで上手な生き方の第三は、カルマを浄化することと言えると思います。 カルマを浄化すると強い障害が減少するので、精神的な進歩成長が早くなり、現実生活も平穏になってきます。 カルマ浄化の方法については、祈ららの霊の祈り全般でお伝えしています。 特にカルマが重い場合は、レベル3以上に進まれると、好転が感じられると思います。 現実には、すぐに性格や人生を変革したいというのが人情だと思いますので、インナーチャイルドワークと祈ららの祈りを同時に進めていかれることを、最も効率の良い方法としておすすめしたいと思います。 |
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| 連絡先 |
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祈らら office@murasakino.net(@を小文字に変えてください) 251-0004 神奈川県藤沢市藤が岡2-4-8-302 Phone&Fax:0466-90-3877 13:00〜18:00 (土日祝日休業) 紫野が電話に出ているのは14時〜18時です。 この時間内でも霊感を使ったお仕事の最中には電話に出られませんので、ご了解願います。 電話に出られない時は、霊感を使ってお仕事中ですので、再ダイヤルは30分以上開けていただけますようお願い致します。 |
| 会員の方へのご注意 |
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| ★ | 霊の祈りレベル5は、精神・神経の病気完治から5年以上経過している場合に限って、祈っていただけます。 |
| ★ | レベル5審査(旧レベル4審査)では、簡易型インナーチャイルドワークのレポートを、2〜3件ご報告いただくことになりました。 |
| ★ | 「現実改善の祈り」がレベル4になり、全員必修になりました。 |
| ★ | レベル5審査の審査料は、6300円(税込)です。前払いでお願いしています。 レベル5審査は、インナーチャイルドワークを徹底して行なっていない場合や25歳以下の方は、大体の方が不合格になっていますので、審査が合格になってからレベル5の資料をお申し込みください。 合格後も、内面の問題が解決されていないことがわかった場合は、祈りはお休みしていただきます。 |