神道(しんとう)の神にご縁ができるまでの私は、神とは宇宙の法則で、しかも意志を持っているようだと感じていました。
私なりに、神や宇宙や自然との調和に関心を持ち、霊的な本も読み、心の持ち方もまあまあできているつもりでした。
21才で結婚し、自分が一生かけてすべきことを探していた時期には、こう祈ったりしました。
神といえば知っているのはユダヤ・キリスト教の神だったので、「父なる神よ、私は神のために生きます。私になすべき仕事を与えてください。」
宗教家は憧れだったので宗教的な道なら素晴らしいけれど、既成宗教にピンとくるものはないし、音楽でも何かの製作でも興味を持って打ち込めるものなら何でも神のためと思ってやれるつもりでした。
そして私に起こってきたのは妊娠と出産でしたから、「これを私の仕事にくださったんだな」と夢中で育児をしました。
もっと他のものなどとは考えもしませんでした。


そんな折に夫の父が亡くなり、一人になった夫の母のために栃木県に引っ越したのは28才のときでした。
今思えば、どれもこれも土地のカルマだと思うのですが、葬儀では倒れそうになるし、親戚や近所づきあいもスムーズにいかない、嫁姑問題も出てくる、次男はアトピーが悪化して首から上がはれ上がり、これが全身に広がるのは時間の問題でした。
人付き合いは確かに下手ですが、私は精神的な人間だし、親切なほうだと思うし、自然食で菜食だし、いつも神に求められていることを考え、神の心に反したことをしたはずがないのにこうなるのはなぜ?と、神の考えがわからなくなり、神を見失いかけていました。


そういうとき、夫の車に乗って小山市の総鎮守「須賀神社」の前を通ると、境内から道路へ透明なスモークのようなものが流れ出るのが見えたのです。
その頃は神社へ参拝する習慣はありませんでしたが、これでがぜん、須賀神社に興味を持ちました。
けれど、「神社に行きたい」なんて夫に言い出しにくく、結局は2ヶ月後のお正月に初詣として、はじめて訪れました。(まだ免許をとっていなかったのです)
ご祭神はスサノオノ命で、境内に神気が漂うように感じました。
神との関係が調和していれば全てのことがうまくいくのが当たり前と思っていたので「何もかも良くなりますように」とお願いしました。
透明なスモークのようなものはお呼びをいただいたのだと今では思っています。


須賀神社への参拝の後、きっと何かが起こるだろうと待っていて、やってきたのは「霊的なものへの関心」でした。
図書館のそういった分野の本を片端から読んでいくうちに出会ったのが亡き師である前田博編著「日本の霊能者」で、たくさんの霊能者が神仏や霊のことを自由に書いていくという内容でした。
神仏が直接に人間と交流する姿は「神とは意志を持った法則」と考えていた私にとっては楽しい驚きで、抑圧からの開放のようでした。
けれど神仏を信じるなら、神棚をまつったり仏壇を置かなくてはいけないのだろうかと思うとゆううつになりました。
その一方で、本に書いてあった「ある使命を持つ人は、自分の感情や意思とは別のところに何か大きな力が働き、それをしなければ心が収まらない波動を常に流される。」という記述には心当たりがありました。
また次男のアトピーは先祖からのサインだという気がしてきました。
神社へ参拝するくらいなら、すぐにでも始めようと思えば始められます。
私がやれば大勢の先祖が助かるのかもしれません。
神棚やお仏壇のことは後で考えることにして、とにかく、参拝をやってみようという気持ちになりました。



ある夜、その本に書いてあった悪霊払いの方法を試していたとき、神の名を呼ぶ段になって、誰でもよかったのですが、思いつくまま「スサノオノミコト」と数回くり返すと、体の奥深くからふしぎな喜びがわきおこりました。
そしてこのとき、私はこれで神道の中へ入ったのだと思いました。


4月、カルマ浄化の鎮守参拝をスタートして2日目から次男のアトピーはどうでもよくなり、ひたすら自分と先祖の罪の刈り取りを考えるようになりました。
なまけ心もありましたが、半ば強迫的な、磁石でひきつけられるような感覚はちょっと不快でありながら逆らえないのです。
自分の魂の本質的な望みでもありましたから。
前から理解できずにいたキリスト教の「人間は皆罪人」というのもこういうことだったのだろうかと思いました。


参拝の反応として、家族は全員風邪ひき、夫や姑との衝突、夫は事故になりかけ、そしてやたらにのどがかわきました。
カルマを浄化するためには、いちどカルマが自分を通過してから出ていくため、少々我慢をしなくてはいけない時期があります。
カルマの重い人ほど、これが何度もくり返しやってきては徐々に清まっていき、清めの進行と共に性格が変化していきます。
私はカルマの重い方でした。



前田先生とのはじめての面会の印象は大変よく、人見知り気味の私が、緊張せず楽に話ができ、この人からは離れなれなくなりそうだと思いました。
次男のアトピーは家系のカルマで、私の先祖が夫の先祖を討っているだろうと言われました。
それを聞いたとき、そうに違いないと思いました。
私は夫の姓になじめず、亡くなった夫の父の葬儀や法事ではことごとく体調を崩し、小山という土地がつらくて仕方ありませんでした。
この何年か後に、私の前世が夫の先祖を滅ぼしていることがわかりました。
夫婦というものは、こういうご縁があってこそ結びつきやすいものだと思います。



面談の次の日、鎮守で初めて言われた通りのものを読み上げると、「その通りだ!」と大きな声がして、わっと涙が流れてきました。
そのとき「私はきっとこれを続けていく、これは私の大切な仕事なんだ」と思いました。



面談の日にいただいた会報のバックナンバーを読んでいましたら、前田先生はスサノオノ命にとてもご縁が深いことが書いてあり、大いにびっくり…。
私は須賀神社にひかれた…スサノオにひかれて、スサノオの縁者である人へと導かれていたのです。



参拝から2ヶ月、須賀神社へ参拝すると、涙々でなかなか祈りも進めることができないくらいでした。
私が小山での生活はカルマ浄化のために都合がいいと思い始めたことが、とても神様のお気に召したようでした。
いつまでもいたい気持ちでした。
参拝が終わり、子供達がお水を欲しがったので、手水舎でいただいていると「そなたを守り導くぞよ」と聞こえました。



以来、須賀神社へは小山を離れるまで毎月1回通いました。
ほとんど毎回涙々なので、ハンカチとティッシュは必需品でした。
そのうち「いつも長く参拝してる人」と神主さんに言われるようになってしまいました。
スサノオノ命は参拝の度に、優しいなぐさめと信頼感、そして強い愛情で迎えてくれました。
立っているのがつらく、このまま本殿の奥までかけ出して抱きしめたい気持ちにおそわれるのですが、神には身体がないからそんなことは不可能と自分を抑えます。
自分に肉体があるのがもどかしく、この肉体から飛び出して神に一体化できたらと思うのでした。
このスサノオノ命の愛と信頼が、私を育ててくれました。
私にとってはスサノオノ命は母のようであり、父のようでもあり、いつも両手を広げて受けとめてくれる存在でした。



参拝が終りふり返ると同時に霧雨が降り、車に乗るころには止むということが何度もありました。
霧雨は優しい清めで、愛情表現でもあります。
境内に一歩踏み込むと、ほんの数メートル先でウグイスが鳴いたりしました。
頭痛があるときには気づいたらとってくれていて、何ともないときには「それカルマ」という具合に軽い頭痛をくれるのでした。
私の心の持ち方が気に入ったときは上機嫌で「ワッハッハッ」とゴウケツ笑いしてくれるので、ほんとにうれしいと思いました。
人間である前田先生よりも、私はいつもスサノオノ命に向かって話し、ヒントやはげましや注意などをいただいていました。
苦しんでいるときには様々な方法で助けてくれ、ほめてもくれました。
その方法や言葉が型破りで笑わせられましたが、それも愛情ゆえということがわかるので、胸が熱くなりました。
とにかくスサノオノ命の存在感は特別で、他の神々がなんとなく多重のレースのカーテン越しの感じがするのに対して、スサノオノ命だけが目の前に生き生きと存在してくれました。
スサノオノ命の神気を受けとるといつも「ああやっぱり一番好き、大好き、大好き」と心の中で叫ばずにいられませんでした。



けれどスサノオノ命の導きは愛知県への引越しと共に終り、それは私の霊的な子供時代が終わったということのようでした。
以来、前のような圧倒的な愛と存在感をいつでもくれることはなくなり、熊野で1回、出雲で1回、名古屋で数回と文字通り数えるほどになってしまいました。
時々、幸せだったスサノオノ命とのやりとりを思い出しては目が潤んでしまいます。
この原稿も、あまり度々スサノオノ命の導きを思い出したので、書くことにしました。



会報「ドラゴンアイズ」7号から転載