■■■ 占いや、霊的なことをお話します・2001年の日記 ■■■



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 12月15日
茨城県、大洗磯崎神社(おおあらいいそざきじんじゃ)へ参拝しました。
ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)と少名彦命です。
常磐道を大洗へと車を走らせていると、途中で筑波山が見えます。
その隣あたりには、加波山があります。
私は、加波山神社(かばさんじんじゃ)には毎夜祈っていて、大好きな神社です。
すぐそばまで来ていながら、寄らずに通り過ぎるのは残念だと思いながら山をながめていると、山の上に加波山から立ち昇るような、きのこの形をした雲があることに気がつきました。
大丈夫、わかっているからと言われているような気持になって、安心しました。
きのこの形の雲は、加波山から離れると普通の大きな雲になって、大洗までずっと車のすぐ上にいました。
空は快晴で、ところどころにイラストのような雲がぽつりぽつりと、のどかで気持の良い景色でした。
さて、神社で参拝していると、懐かしい気持になってきました。
自分の実家にいるような感覚です。
大国主さんへの参拝でたまに感じる、なじみのある雰囲気でした。
愛知県の砥鹿神社(とがじんじゃ。ご祭神は大国主命)でも家族のように迎えてくださって、驚いたことがありました。
この感覚は大国主さんとえびすさんだけに感じることがあります。
そして白い、折り紙のような飾り折りのたくさんついた着物を着た人が見えました。
人ではなくて、ただの飾りかと思いましたが、やはり誰かがそこにいるようです。
私の祈りを、出迎えて聴いてくださったようでした。
白くて豪華な衣装は、お正月用だったのかもしれません。
神社ではお正月の準備がされていましたから。
どうしてこんなにいい感じなんだろうと考えていると、ここから鹿島が割と近いことを思い出しました。
鹿島あたりに住んでいた物部一族が、このあたりにも移住していたのかもしれません。
私は、鹿島という土地とは、相性がいいみたいですから。


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 12月1日
群馬県、赤城神社へ参拝しました。
ご祭神は赤城大神(あかぎのおおかみ)、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)です。
豊城入彦命は、大和朝廷から派遣された皇子で、下野国(栃木県)と上野国(かみつけのくに。群馬県)を治めた人です。
栃木県に住んでいた時には、私は毎月1回、宇都宮の二荒山神社へ通っていたのですが、そこにも祀られていました。
参拝は静かで気持の良いものでした。
「これからが、楽しみです。」
と伝わってきました。
何のことかよくわからないけど、わけのわからないことはしょっ中言われるからと、毎度のことですませてしまいました。
元宮への道は、雪が残っていて恐る恐るの運転でした。
夕方暗くなる頃、湖が見え、湖の中程に明かりが灯ってるのを見て、あれは何だろうと近づくと、そこが神社でした。
駐車場が閉まる5時、ぎりぎりに着いて、参拝をしました。
あと数分遅ければ参拝できなかったのに、うまく到着させてもらえたんだなと思いました。
所々に雪の残る境内で、爽快な参拝でした。
帰り道、高速のパーキングエリアでコーヒーを飲みながらテレビを見ると、宮様ご誕生の報道がされていました。
「これからが楽しみ」とは、このことだったのかなあと思いました。


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 11月26日
10代の頃、私のアイドルはイギリスのロックグループ、クイーンでした。
その中でもフレディ・マーキュリーが好きで、中学時代の彼とお別れしたのも、高校時代の彼とお別れした理由も、「フレディの方が、ええわ」でした。
20代に入ると、クイーンからもポップスからも遠ざかり、ジャズとクラシックばかりを聴くようになっていきました。
結婚をして、子供ができ、二人目の子供を抱っこしながら、フレディがエイズで亡くなり、本人の遺言でゾロアスター教で葬儀が行われたと、テレビのニュースで見ました。
その時はもう、ああそうとしか思いませんでした。
それからかなり時間が過ぎ、育児の合間にレンタルCDを借りて聴くようになった時、ふとクイーンを聴いてみたくなりました。
CDを聴いていると、カルマ浄化の祈りを始めて1〜2年ほどの私でしたが、フレディを供養したくなってきました。
そして、始めたのです。
お仏壇で始めたら先祖達に怒られ、神棚ですべきものとわかりました。
神棚では鎮守の神に、手順を教えてもらいました。
自宅の神棚から、フレディの身近な教会へ向かって、彼の生前の行いを謝ってあげました。
すると、供養3日目位に夢を見ました。
ロンドンの教会で人が集まって、本を取り囲んで見ているのを私も見たくなって宙に浮いて覗き込みました。
すると、そこには「神は彼を許し給うた」と書いてありました。
供養7日目には、緑の草原にギリシャ風の白い衣装で、草で編んだ冠をつけた若い白人女性が霊視に現れてくれました。
その雰囲気は神々しくて、清清しいものでした。
女性の周りには7〜8人くらいの子供がいて、その子供たちが私に向かって、花を投げてくれました。
私は「フレディはどうなったんですか」と聞きましたが、返事はありません。
何度訊ねても、その女性はにこにこしているだけで、消えてしまいました。
私は草原を、フレディを探しましたが、見つかったのは白いイスで、もう彼はいない、供養も終わったのだとわかりました。
あの女性と子供たちは、フレディの守護神か、守護霊か、本体で、私への感謝の表現だったのだろうと思いました。
後日、私はフレディの命日が気になって、調べ始めました。
すると、亡くなった年は供養から2年前で、供養をした11月だということがレンタルCDのお店でわかりました。
なるほど、私は3回忌の供養をさせられたわけだなと思いました。
さらに、図書館で古い音楽雑誌を書庫から出してもらって調べていたら、命日は11月24日と書いてありました。
図書館のソファーでその文を読んだのは、11月24日でした。
それから何年もたってから、フレディはどう見てもアラブ系の人だと気付きました。
だから、ペルシャの古代宗教であるゾロアスター教で葬儀をして欲しかったんですね。
私はパキスタンの「カッワーリ」というイスラム音楽が大好きなんですが、その発声や節回しなど、フレディとそっくりです。
おととい、命日でした。
ラジオから、確かDJの方の説明は何もなく、デヴィッド・ボウイとフレディのデュエットが、誰かのリクエストで流れていました。


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 10月28日
名古屋でのグループフォロー(皆さんとお会いしてお話しました)の後、伊勢で泊まり、次の日の朝、外宮へ参拝しました。
外宮のご祭神は豊受姫命、境内の多賀宮でも涙ぐむような、良い参拝でした。
外宮別宮の月夜見社では、いつもながらの清らかで親愛のこもった雰囲気で迎えていただけました。
なぜかこことは相性がいいのです。
持っていたブルームーンストーンのブレスレットに、神様のエネルギーを込めていただきました。
次に内宮へ。
ご祭神は、天照大神です。

神社前のロータリーで、駐車場をさがしてうろうろしていると、係りの方にきつい調子で注意をされました。
思い出すと怖くなるような、言葉づかいでした。
これは、また嫌な反応かなあと思いながらの参拝でしたが、「いつもご苦労様」というような、なかなか良い雰囲気で迎えていただき、とてもいいことを教えていただいたのに、忘れてしまった私です。
神仏とのコミュニケーションは、頭の日常的でない場所を使っているらしく、かなり努力しないと、すぐに忘れてしまいます。
境内荒魂社でも、最後まで静かに参拝でき、和やかでした。
志摩の国一宮、伊雑宮では、以前土下座をさせられたことがありました。
その時は、熊野から須佐之男命が一緒についてきていたからでしたが、今回はどんなものかしらと、戦々恐々。
でも、ここでも穏やかな雰囲気でした。
最後に参拝したのは、二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)で、夫婦岩が境内にあります。
ここから、夫婦岩の向こうに夏至の太陽が、富士山の頂上から登るのがまっすぐに見えるそうです。
太陽信仰ですね。
富士山の頂上からとは、また神秘的ですねー。
ご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)、ご神体は夫婦岩の沖に沈む石だそうです。
猿田彦命が天照大神の子孫をここで迎えたという、ゆかりの地です。
参拝をしていると、涙があふれ、滝のような勢いになってきました。
参拝を終えても、止まりません。
自分が導くと、伝えてくれます。
猿田彦命はこれまで、どこでも最高の歓迎をしてくれていました。
三重の椿大神社ではマッサージのように気持の良い空気で、出雲の佐田神社では、出雲に入ってずっと続いていた頭痛をとってくれました。
妻神の天宇受女命(あめのうずめのみこと)は、占いの方法にヒントを下さいました。
最近、天津神(ユダヤ)と国津神(シュメール)の問題が世の中に出てきて、今回の伊勢参拝も、その関係で訪れたわけですが、猿田彦命がその仲介と道案内を申し出てくれたわけです。
初めから、猿田彦さんのことを思い出せば良かった・・。
このことを教え導いてくれる神は誰なんだろうと、考えていたのに。
猿田彦命は、道案内の神です。
これは、天孫を道案内したことにちなむものですが、猿田彦命は、一部ではモーセと同一視されていて、モーセも、ユダヤ人をエジプトから約束の地へと導いています。
神道以前から日本に存在する、道祖神の信仰は、猿田彦命を信仰しているのです。
猿田彦命は、大変重要な神であり、これまで関係が抜群に良かったにも関わらず、力を借りなかったことが不思議なくらいです。
これも時期というものなんでしょうか。
参拝後、私がこの祈りを始めて間もないころに見た、夢を思い出しました。
川の中州に、翡翠でできた、大きなカエルが置いてあるというものです。
二見興玉神社の神の使いは、カエルです。
私は持っている翡翠に、猿田彦命の祈祷をお願いすることにしました。
翡翠の勾玉は猿田彦命、翡翠の丸玉は天宇受女命に、お願いしました。
両神共に、霊力の強い神ですから、霊的な石である翡翠にぴったりです。
伊勢からの帰り、高速道路を走っていて、運転のちょっとした失敗から、またひどく嫌がらせを受けてしまいました。
伊勢から帰った次の日も、通りすがりの人から、迷惑をかけられてしまいました。
その次の日も、いつも利用するお店の駐車場のおじさんが、その日に限って、乱暴な言葉づかいでした。
これはどうかしてる。
最近の私は偶然でも、人からそう感じの悪い扱いを受けることはなくなっていましたから。
それで、自宅から伊勢内宮への祈りを始めましたら、ご祭神の様子は大変良いのですが、ごけん族(ご祭神をサポートする存在)の神々からの反発があったらしく、6回祈り、謝って、ようやく関係は良くなりました。
すると、伊勢や高速道路などで受けた、恐怖感もすっと忘れました。
思い出そうとしても、あまりリアルには思い出せません。
この戦争の最中、私を傷つけたい存在がいたんでしょう。


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 10月13日
千葉県千葉神社へ参拝しました。
ご祭神は、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)です。
天之御中主神は宇宙の中心の神で、妙見菩薩と同体と言われています。
私はいつも、毎日の祈りの最初にお呼びしています。
祈っていると、女性的な優しく暖かな雰囲気で迎えてくださいました。
私が初めて天之御中主神に祈ったのは、京都、鷹峯(たかがみね)の妙見宮でした。
妙見宮へ参拝の前日の夜に夢を見て、無色透明な石の表面がとけて濡れていました。
そして「このようになりなさい。」と声が聞こえました。
当日のご住職の情熱的な法華経と、ひんやりした半分石窟になっている堂内の雰囲気と、昨夜の夢とが、私の御中主神へのイメージになりました。
妙見菩薩の脇には、弁才天が仕えていて、これも安心感のもとになりました。
千葉神社で祈りながら、あの時の雰囲気をまた思い出しました。
私が御中主神を女性的と感じるのは、私が女性だからなのかなあ。
男性は、男性的に感じるのかなあ。
目の前に何か見えてきました。
ピンク色で丸く、上がとがっていて、桃の実だなと思いました。
桃の実には破魔の力があるといいます。
そういうことかな?
祈り終えてから社務所をのぞいてみると、ありました、そっくりな・・・ピンク色の貝のお守りが。
もーー!桃と貝、確かに似ている。
貝、やっぱり女性的な共感なんだなあと思いました。
桃も、実ではなくて花だったら、女性的なものだし。
貝のお守りには小さな鈴がついていて、これがまたよく鳴るのです。
恥ずかしいので、バッグの中につるしました。


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 10月7日
日光へ出かけた日は、うちへ帰らないで足利(あしかが)で泊まりました。
足利は京都に室町幕府を開いた、足利尊氏の先祖の地になります。
尊氏自身は鎌倉で生活をしていました。
夜はよく眠れて、快適でした。
足利で嫌な思いをしたことはありません。
前回足利を訪れたのは、鎌倉に引越しをしてしばらくたったころでした。
まだ鎌倉幕府滅亡の戦いの供養を済ませていなかったため、「やるべきことをやっていない」というような反応を、町全体から受けました。
それでも尊氏の像だけが、暖かく迎えてくれているように感じたのでした。
まずは樺崎八幡宮(かばさきはちまんぐう)へ。
ここには足利家初代、足利義康のお墓があります。
義康は、源義家の孫で、源頼朝のいとこになります。
読経をしていると、涙が流れてきました。
おっとりとして知的で、ほっそりした感じの男性が、斜め前に座って、まるで私を孫のように思ってくれているのがわかります。
私の肩に手をかけて、なでてくれました。
次にばん阿寺(ばんなじ)へ参拝しました。
ここは、足利氏の居館跡で、歴代の勅願所でした。
室町幕府15代の木造などがあります。
真言宗で、ご本尊は大日如来です。
この日、地元の運動会で境内の広場に人が多かったのですが、そんな騒ぎも気にならず、かえって気分よく適当に声をあげて読経できました。
参拝後ふと目に入ったポスターは、さっき墓参をしてきた義康の肖像画でした。
その姿は、先ほど目の前に現れてくれたのとよく似ていました。
ちょうどお昼になったので、前回来た時に入ったお蕎麦屋さんへ今日も入ることにしました。
お寺の門を出て、正面の石畳の道を歩いていくと、尊氏の像があります。
そこからさらに1〜2分歩いて、「なか川」という蕎麦屋さんに入ると、メニューが「頼朝」だの「尊氏」「義満」だので、お店の女性がとなりのテーブルに「頼朝、お待たせしました。」なんて運んでいまして、面白かったです。
前は気付かなかったのですが、お店の屋号や、店内の部屋札などは、すべて相田みつおさんの書でした。
足利出身の方らしいです。
足利の次には県境を越えて、新田義貞のふるさと、群馬県の太田へ行きました。
新田家の初代は、足利義康の兄です。
ですから、新田と足利は兄弟の関係になります。
けれどその一族間には葛藤がありました。
そして南北朝の時代に、北朝の足利、南朝の新田と対立し、義貞は滅ぼされました。
私のところで祈っている方に、どうも新田家にご縁の方がいらっしゃって、カルマは重いのですが、大変がんばっていらっしゃいます。
祈りのレベルもハイレベルになってきました。
もともと精神的にも人間的にも立派な方です。
この方が合戦の供養をはじめるにあたり、何かあった時に私からの援助が届き易いように、二人の間にあるカルマを浄化しておく必要がありました。
今までも何度か、援助しようとしても私のどこか奥の方から、やめさせようとする力が働くのを感じたことがあり、そうしたものに振り回されているわけにはいかないという気持になっていました。
それで、2ヶ月ほど前から、義貞の供養を自宅から続けていました。
義貞本人も、周囲の人々も、神仏も皆喜び泣いて、供養は済んでいます。
義貞の供養はこれまでに何度もしたことがありましたが、今回は総仕上げのつもりです。
まず新田神社へ参拝しました。
ご祭神は新田義貞。
祈ると、ちょっと感情的で大雑把なところのある男性が、目の前に現れてくれました。
ああー、こんな人だったのかと感心。
どこか不器用そうな性格を感じます。
そこがうまくいかなかった原因なんだなと思ったりしました。
彼はにこにこと、満足気です。
そして、自分は神のために働く、もう働いているのだと伝わってきました。
ああこれは、彼女のことなんだなと思いました。
そのために、彼女は私のところへ来てくれていたんだとわかりました。
私はうれしくて仕方がなくなりました。
もう何も言うことはありません。
これほどうれしいことを伝えてくれるとは。
そう言えば、これと同じことを祈った相手から言われたことはありませんでした。
義貞がそんな相手になってくれたとは。
本当に良かった、もうすっかり友達気分です。
その後新田義興の墓がある威光寺、新田一族代々の墓がある円福寺、義貞が旗揚げをした生品神社へ参拝しました。
徳川家康は、将軍になるのは源氏というジンクスを満たすために、源氏の家系図を新田家からもらっています。
日光の次の日に、新田へ参拝するというのも何か、つながっているようです。
足利では優しくされ、太田では新田義貞との関係がとても良くなって、大満足で自宅へ帰ると、アメリカ軍のアフガニスタンへの空爆が始まりました。
一方で兄弟のカルマが消えて、一方では兄弟がまた争っているのです。


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 10月6日
日光へ行きました。
前日の夜はあまりよく眠ることができず、睡眠不足でした。
徳川家康が東照宮のご祭神ですから、仕方がありません。
私は豊臣秀吉と相性が良く、徳川とは悪い関係になります。
関西の人は東京をライパル視して、嫌う人が多いですよね。
私は出身が関西ですから、そうした反応はよく知っています。
これも徳川と豊臣のカルマが背後にあるのだろうと思います。
行きの車の中では「この参拝は重要な参拝である。」と伝わってきました。
夫は東照宮はお寺だと思っていたそうです。
そうですよねー、こんなきらびやかな神社は他にないのではないかと思います。
昇殿参拝のために廊下を歩いていると、中庭に松の木を見つけました。
「あ、松がある!」
京都の北野天満宮で梅が開き、次は松で治めるのだろうけど、松ってどこのことだろうと考えていたのでした。
徳川家康夫妻、手植えの松だそうです。
松って、松平の松だったわけですね。
そう言えば、松平の平は平成の平ですね。
よくわけはわかりませんが、なんだか感激して参拝。
家康公の気配が正面にあり、穏やかな雰囲気でした。
けれど人波の中、ゆっくりなどできません。
観光地として整備されていて、世俗的な印象は否めませんでした。
次に、お隣の二荒山神社(ふたあらさんじんじゃ)へ参拝しました。
下野の国一宮で、ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと。=大国主命)、田心姫命(たごりひめのみこと。=多紀理姫命)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと。=事代主命)です。
おやまた、そう言えばここも大国主さんと多紀理姫さんでした。
先日の京都と、似ていて妙です。
こちらの神社ではすし詰にされることなく、参拝できました。
ご神体は背後の男体山、女体山、太郎山で、威厳を感じました。
山頂に登れたら気持がいいだろうなあ、でも今回は結構。
次の日の夜、アメリカ軍のアフガニスタンへの空爆が始まりました。
このタイミングもうまくシンクロしているんですよね。
でもきっと、この事件に魂レベルでご縁のある方なら、様々な形で物事の気配を感じ、知らないうちに協力したり、参加したりしているのだろうと思います。


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 9月29日

新宿ピットインでジャズのライブを見ました。
富樫雅彦さん(perパーカッション)のバンドでしたが、私の目的はピアノの佐藤允彦(まさひこ)さんと、ベースの井野信義さんでした。
20年弱前に、佐藤允彦トリオを新宿ピットインで見て、「これがジャズなら、私ジャズが好き」と思ったのが、ジャズを聴くようになったきっかけでした。
トリオの他のメンバーはベースが同じく井野信義さん、ドラムは日野元彦さんでした。
佐藤允彦さんは、あれからジャズ系の音楽専門学校の校長先生になられました。
技巧的なパワフルプレイに、50代前半かと思っていましたら、60歳だそうで、若さに驚き。
狂いのないリズムとテクニックと頭脳的なところは、とても日本人らしい感じがします。
井野信義さんも、音楽雑誌のインタビューか何かで「佐藤允彦さんを聴いてジャズが好きになった」と話していたと思います。
井野さんは、私が通っていた専門学校の先生でもありました。
井野さんがレッスンをしているのを、私はドアの外から聞き耳を立てて聴き、ああ〜すごい〜と、惚れぼれしていたのでした。
この日のライブも、井野さんのベースラインが気持ちよくて、気持ちよくて・・。
アドリブも芸術的で、この20年ほどの間に、さらに素晴らしい人になっていたんだーと、感心するやら嬉しいやら。
久しぶりに、日本の一流に触れることができて、私も頑張るぞーと思いました。


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9月15日
子供連れで上野動物園へ行きました。
夫は抜きです。
一度離婚して母子家庭を経験すると、その開放感や自由さ、精神的な満足感は独身時代以上のものでしたから、再び異性と生活してみると、時々たまらなくうっとうしくなってしまいます。
それで、夫とは数日間、あまり口をきいていませんでした。
今(10月10日)は、もう普通ですよ。
上野動物園って入場料が安いんですねー、得した気分でした。
インスタントカメラを買ってさあ写そうとすると、なんとプレーリードッグがこっちを向いてくれるではありませんか。
あれ、何かいい感じ?
バケタカは翼を大きく広げてポーズしてくれるし、鶴は一本足で立ってくれる、白熊は遊びまくってる、ゾウは目の前でぷおーと鼻を上げてカッコつけてくれました。
ラマとワニも超どアップでお顔を撮らせてくれました。
おおお、やっぱりさすが上野公園。
10代のころから上野公園が好きだったんですよねー。
不忍池には弁才天が祀られていて、上野公園がいつも楽しいのはそのせいではないかと思っていました。
夕方、さあ閉演というころには、弁天堂の上空に虹まで出ました。
ああ、やっぱり、本当にそうだったんだね。
帰りには弁天堂へ寄って参拝し、これまでと今日のことを感謝し、祈ってきました。


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9月8日

京都へ出かけました。
7日の夜のうちに京都に着いたのですが、夜からみぞおちが押されているように痛み始めました。
明日参拝する神社から何か受けているのか、9日に予定しているグループフォロー(皆さんと複数でお会いしてご相談を聞くイベントです)のために、緊張でもしているのかと思いました。
8日は兵庫県肝川の、大国之宮神社へ参拝しました。
ご祭神は国常立尊はじめ、地球創生の神々です。
肝川というところは、明治時代に大本教が広まったころ、村をあげて大本教に入信していますが、今は独立して宗教法人になっています。
肝川には霊能者の女性がいて、出口王仁三郎さんもよく通い、2人でいろいろなご神業をされたそうです。
私はここの「大国之宮神典」という祝詞(のりと)をある時期、奏上していたことがあり、その後失くしてしまったのですが、どうしてもまた使いたかったので、ここならあるかもと期待して訪ねました。
参拝はものめずらしげに迎えられ、初対面のごあいさつという感じで終わりました。
祝詞はお宮の方がわざわざお仕事を中断して社務所を開き、分けてくださいました。
ここのお宮について、また神々の働きについてなどが書かれた、幅6センチほどの本も、いただきました。
さて、その祝詞を長くなりますが、紹介してみましょう。
カルマ浄化の祈りをされている方は、神棚で奏上してみてください。
涙の流れる、愛情深い祝詞です。
この祝詞が私の心に残ったのは、悪がなぜ存在しているかということが書かれていたからでした。

「大国之宮神典大祝詞(おおくにのみやしんてんおおのりと)」

「高天原(たかあまはら)の主宰(つかさ)にましまして一二三四五六七八九十百千万(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)の元(もと)つ神霊(みたま)、天地根本大神(あめつちのもとおおかみ)の大霊徳(おおみいづ)は、

無限絶対無始無終(かきわときわ)に天地万有(よろずのもの)を創造(つく)り給い、太陽太陰大地(ひつきくぬち)を現し八百万(やおよろず)の神を生み成し給い、

殊更に国祖(くにのおおみおや)、大国常立(おおくにとこたち)の大神は天地(あめつち)なり出でし時より隠身(すみきり)給いて、天津神国津神八百万の霊徳(みいづ)を以って、海月如(くらげな)す漂える地球(くに)を修理個成(つくりかため)て、

大地球(くぬち)の海陸(うみくが)を分ち美(うるわ)しき大地(くに)に、我(あ)が神の子(みこ)たちを発生(うま)しめ給いて、各自(おのもおのも)に親神(おおかみ)の生粋至美(きよきうるわ)しき分霊(みたま)を賦与(さづけ)給い、

人類(おおみたから)をして長く豊(ゆた)けく化育(そだ)て給わんがため、大霊徳(おおみいづ)を以って植物(きくさ)を生(な)り出で動物(いきもの)を育て、

国祖七十柱神霊(あまつかみくにかみやおよろず)の全力(ちから)によりて、万有一切(すべてのもの)を守り育て、天地万有(あめつちのみたま)をして大自然(かんながら)の法則(おおじ)に依らしめ給い、広く大けき地球(くぬち)を完全具足(うばらにつばら)に修理固成(つくりかため)なし給いて、

遠近(おちこち)の地方地方(くにのことごとく)に国魂(くにたま)の神を生ましめ給い、神の子達(おおみたから)を親しく守り給う、大御恵(おおみめぐ)みを仰ぎ敬いよろこび奉らくと白(もう)す。

大神の深き広き大御心に依り、神の子達(おおみたから)をしてますます進歩発展向上(すすめひらきはげみ)て、完全(まったき)に到達(たちいた)らしめんと大自然(かみのみかど)の法則(みさだめ)の随々(まにまに)、思凝霊(まがつひ)の曲事(まがこと)を発生(うま)しめ給い、

正邪理非曲直(ことのよしあし)を反省(かえりみ)ず私欲(わたくし)のために争い、過失(あやまち)を悪言暴語(くいののしり)、心に思う千々(ちぢ)の迷いに真理(ことわり)を自覚(さと)ることなく人々を憎み生物(いきもの)を害(そこな)い、生成化育(かんながら)の大道(おおみち)を踏み損ね、八十罪穢(やそつみけが)れに迷い苦しむ世の習慣(ならい)となし給いて、

直(なお)き厳(いか)しき大自然(おおかみ)の法則(みのり)を自覚(みずからさと)りて、善きも悪しきも経験(ふみおこな)える強き御霊(みたま)に育て、

物質(もの)と精神(こころ)の完全一致(まったき)の働きを以って、現世(うつしよ)をして実(げ)に大神の心のままに、平らけく豊(ゆた)けく心(うら)安く心(うら)楽しく幸ある民と成さしめ給わんと、自在の世を定め給いて、

思凝霊(まがつひ)の曲事(まがこと)を以って、万物(よろずのもの)を鍛え忍耐勉強以(よくたえしのびも)って、高き尊き品位(しな)を保ち、倍々進歩発展向上(ますますすすめひらきはげみ)て、完成(まったき)の境に到達(たちいた)り、

甘(うま)し天地(あめつち)の華と咲き光となりて、大神の神の子(みこ)たるの本性(さが)を発揚(あげ)しめ給わんと、

仕組み給える大神の大御恵(おおみめぐみ)を、うれしみ尊みよろこび奉(まつ)らくを、天の斑駒(ふちこま)の耳振(みみふ)り立てて聞こし召せと畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(もう)す。・・・後略・・・」

お疲れ様でした。

大国之宮神社の次に訪ねたのは、能勢妙見宮(のせみょうけんぐう)でした。
ここは、日蓮宗のお寺です。
妙見様は、神道では天之御中主の神と見られています。
駐車場の空気が停止しているようで、気になりましたが、本堂では日蓮宗らしい、ひたむきなお経が読まれていて、お線香の香りも気持ちのいいものでした。
日蓮宗と禅宗は、信仰が真剣で生き生きしており、共感と安心を感じます。
きっとこのような宗教は、宗教というものが必要がなくなっても、潔く前進していく道を選んでくれるでしょう。
次に、京都府亀岡の出雲大神宮へ、参拝しました。
5〜6度目くらいの参拝になります。
ご祭神は大国主命とその妻神、美穂津姫命(みほつひめのみこと)。
ここは、元出雲と呼ばれ、出雲も三輪もないころからの、古代の出雲族の中心地と思われます。
背後の山は国常立尊の御陵(ごりょう。お墓のこと)と言われています。
古代、国津神の天津神への国譲りはここで起こり、和解のしるし(政略結婚ですね)として大国主命へ嫁いだのが天津神の美穂津姫命(須佐之男命の3人娘のひとり、多紀理姫命、田心姫命も同じ)ということです。
だから縁結びにご利益があるというのだそうです。
美穂津姫命は、国常立尊の神霊を当地で祀ることに奉仕しました。
この簡単な縁起を読んでいるうちに、いろいろな疑問が解けてきました。
この日本の異種族のバランスが、このようにしてとられているということ・・。
日本の原住民を制圧したのは出雲族(シュメール系)で、その出雲族を天津神(ユダヤ系)が制圧しました。
その折、大国主命と美穂津姫命のあいだに政略結婚が行われたのですが、美穂津姫命はその後、出雲族の最高神(国常立尊)を祀り仕えたのです。
この形は現在でも引継がれていて、天皇家で奉られているのは天皇の祖神よりも、国津神らしいのです。
この場にこれほど貢献している美穂津姫命の存在感にも、すっかり感心してしまいました。
私の中で、美穂津姫命の価値がうーんと上がりました。
本殿での参拝は、特に変わったものではありませんでした。
山の中の磐座で祈ると、白い古代の衣装の男神の姿が見えてきました。
穏やかに見つめてくれています。
その背後にも、お供の神様の姿があるのがわかります。
この参拝は、「日月神示」の記事を書き、今後さらに国常立尊と共に歩んでいくためのものというつもりでしたから、姿を見せていただいたのは、私が今考えていることへのGOサインと受け取りました。

もう暗くなってから、北野天満宮へ参拝しました。
ご祭神は菅原道真、実際には雷神様が強く働いています。
霊能体質のある方が、北野天満宮から「梅で開くから」と呼ばれていたのを、私はその方の不安定を理由に反対し、私だけが参拝しました。
大本教の神典のはじまりに「梅で開き、松で治める世になりたぞよ」という一文があり、北野天満宮への参拝から世の中が変わるのだという話でした。
参拝すると、雷神様が少し荒々しい感じで、変だなと思いながらも、深くは追及しませんでした。
菅原道真はいつも通りに、穏やかで優しくていねいな物腰で迎えてくれました。

次の日は、京都のグループフォローがあり、その日の夜に帰ったのですが、そのあくる日の10日の夜、アメリカの多発テロがありました。
私はニュースを見ないで眠り、夜中に頭痛がしてセルフヒーリングをくり返していたのでした。
朝、テレビで見てびっくり。
7日の夜からはじまったみぞおちの痛みも、これのせいだったわけです。
みぞおちに加えて、心臓も何だか重苦しくなってきました。
今回のテロは、古代から続いているユダヤ(アメリカ)とシュメール(アラブ)の葛藤の続きです。
京都は日本におけるユダヤ(天津神)とシュメール(国津神)の葛藤と共存のモデルのような場所ですし、出雲大神宮への参拝といい、世の中が変わるという北野天満宮への参拝といい、やたらにシンクロしていました。
北野天満宮もシュメール系です。
まさか、地球のカルマ出しに一役買ってしまった?
国常立尊と共に歩むということは、そういうことですから、少し協力してしまったと言えなくもないかもしれません。
けれど何とか、今はみぞおちも心臓も調子が良くなり、落ち着いています。
(翡翠の勾玉をつけはじめたその日に、両方とも治りました。何という素晴らしい石でしょう)
これから世界はどうなっていくんでしょうか。
暴力で抑えつけるだけでは、問題の解決などありえません。
歩みより、価値観のちがいを理解しようとしなければ何も進みません。
このバランスを知っている日本人が、世界に対してできることは何なのか、考えていかなくてはいけないと思います。


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9月1日
埼玉県秩父の三峰神社へ参拝しました。
ご祭神は伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)。
関東では、三峰神社の盗難除けのお札を玄関にはりつけているのを、時々目にします。
男性の代表である伊邪那岐さんに対しては、何だか知らないけれど、どうしても憧れを感じてしまうんですよね。
この日は夫の車で出かけましたが、しばらく動かさないでいるうちに、車内が霊的に汚れていたようで、乗っているとだんだん気分が悪くなってきました。
それで、途中のコンビニで塩を買い、タイヤにかけて清めると、だいぶ良くなりました。
渓谷を眺めながら神社に着いて参拝をはじめましたが、どうもぱっとしない反応でした。
でも、怒られまくったという感じでもありません。
由緒書きには、南朝の武士を神社でかくまったため、足利家から冷たい処遇を受けたと書いてありました。
これでは、私に冷たくても仕方がありません。
けれど、その冷たさが中途半端だったのは、ヤマトタケルがこの神社を創建したからだろうと思いました。
私はまだ、ヤマトタケルとも熱田神宮とも意地を張って、和解していません。
けれど、ヤマトタケルはいつも変わらず私を助けるので、かえって私は「ふん」という態度になってしまいます。
でも、10月の末には熱田神宮で皆さんと待ち合わせをしますから、そろそろ本来の形に戻るため、熱田へ祈り始めなくてはいけないと思っています。
駐車場へ戻り、清めのためにしばらくの間、車のドアを開けて山の空気を入れると、すっかり車内は気にならない感じになりました。
車で神社へ行った時には、ドアを開けておくだけで清めになります。
その車でしょっ中あちこちの神社へ出かけているようでしたら、はじめからよく清まっていますから、そんな必要はありませんが。


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 8月25日
次の会報で取り上げる予定があるため、「日月神示(ひつきしんじ)」発祥の神社へ参拝しました。
千葉県成田市の麻賀田(まかた)神社です。
ご祭神は稚産霊命(わかむすびのみこと)で、天照大神(伊勢神宮の神)、経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の神)、武甕槌命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の神)の姉であり、豊受姫命(とようけひめのみこと、伊勢外宮の神)の母ということです。
この神社の境内で、岡本天明という人が突然自動筆記を始め、書かれたものが「日月神示」で、大本教から内容的に引き継がれた、国常立尊のご神示として、多くの信望者を持っています。
境内はさわやかで、生き生きとしていました。
本殿で祈ると、暖かく親切な雰囲気が満ちてきました。
「今度、日月神示を取り上げさせていただきたいと思っています。」
女神様のにこやかな雰囲気が伝わってきます。
「どのように、書かれるつもりですか。」
「できるだけ、本物の感じが伝わるように、解説よりも本文を重視するつもりです。」
「時代が変わったので、文字通りに受けとらないように、注意をお願いします。」
「そうですか、それではそのように注意書きをするようにします。」
境内末社に「天之日津久(あめのひつく)神社」があり、ここの神が自動筆記をさせた神で、日月神示の中ではそれが国常立尊であると出てきます。
ところが、参拝の一月と少し前に放火にあって、お社がありませんでした。
社務所の方のお話では、建て直しを予定しているとのことでした。
この日は、次に成田山新勝寺へ参拝しました。
ご本尊は不動明王です。
本堂へ向かっていると、私たちの後ろからお坊さんたちがぞろぞろと一列になって歩いてきました。
ちょうど本堂で何かあるようでした。
本堂へ上がると、大護摩が始まる時間でした。
座って、初めから最後まで見学しました。
たくさんの人たちが現世利益を願っているようでした。
お不動さん、大丈夫?と、何度も尋ねてみましたが、返事はありませんでした。
奥の院には、大日如来が祀られています。
祈っていると、胸にエネルギーを入れられて、暖かくなってきました。
そして「もうすぐ仏の世界はなくなる。」と伝えられました。
なくなる?ああ、そうか、必要がなくなるんだなとわかりました。
救われないで苦しんでいる人々や、そのような人々の行く世界(いわゆる地獄や、善くも悪くもなくて天国に行けない人々の霊界)が、地球にはなくなるからです。
言葉の意味がわかると、ほっとしました。
私がお不動さんを心配するから、そんなことを教えてくれたようでした。
現世利益しか目に入らない人々は、もうすぐ地球にはいなくなるから、お不動さんももう、仏でいる必要もなくなるということです。
そうなると、地球に本当の平安がやってきます。
というよりも、平安になるから、仏の存在が必要がなくなるということです。


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 8月15日
お盆だったので、鎌倉幕府滅亡の戦いで亡くなった方々のお墓参りに出かけました。
そこは、鎌倉簡易裁判所の敷地内にあります。
お花が枯れかかっていたので、このお盆に来た人はいないようでした。
さっきスーパーで買ったお供え物を並べていると、涙がほろほろ流れて落ちました。
カットすいかをたっぷり買えたのがうれしかったのですが、それも喜んでくれているのがわかりました。
来てくれてありがとうという気持が、伝わってきます。
お経を読んだり泣いたりで、少し時間をかけながらお参りしました。
供養の後、お墓の後ろの卒塔婆を見て、施主の名前に「仁田」という人を見つけました。
横浜地方裁判所所長だそうで、鎌倉幕府滅亡の戦いの時に総大将となって攻めた新田義貞の遠いご親戚でしょうか。
昔は、分家をすると、読み方は同じで他の字をあてたものなのです。
この方もカルマの糸で、このような現実に結びつけられているんでしょうが、そのことを自覚されて供養をされているとは、立派な方だなと思いました。
次に、鎌倉北条家が滅亡した、腹切やぐらでお参りしました。
入り口には、今までにはなかった立て札が立っていました。
「ここから先は聖地のため、観光客の立ち入りを禁じます」といったことが書かれていて、ほっとしました。
これで、静かにお参りできると思ったのですが、そんな立て札に関わりなく、観光客は入ってきて、読経中もにぎやかにおしゃべりしていて、いつもと同じでがっかりしました。
でも、もしかしたらそんな人たちの中にも、この場所に深い関わりのある方がいたりして、自分でわからなくてもその人なりの大切なひと時だったりするんですよね・・・。
それから、円応寺へ参拝しました。
ここは、足利尊氏が鎌倉幕府滅亡の戦いの戦死者を弔うために、現在の鎌倉簡易裁判所近くに移築しましたが、その後、水害のためさらに山之内に移築されています。
円応寺は大好きなお寺で、堂内に入って十王の像とご本尊の閻魔大王様に順々に手を合わせていると、涙が後から後からあふれて止まらなくなりました。
何度来てもここでは、こんな感じで泣いてしまいます。
尊氏は閻魔大王様に何を祈ったのでしょうか。
武士にしてはお人よしのあの人は、「ごめんなさい」と祈ったのではないでしょうか。
今の私と同じように!
私はどうして閻魔様のことがこんなに好きなのかなあ・・・誰かが、閻魔様は国常立尊の化身だと言っていました。
本当なのかなあ、だからかもしれません。


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 8月11日
父の父方先祖のお墓参りをしました。
父方の祖父は長野県上田の出身で、父方の曽祖父とそれ以前の先祖のお墓が上田にあります。
ここのお墓参りは7〜8年ぶりの3度目でした。
少し迷いましたが、無事たどり着くことができ、トラブルもなくお参りすることができました。
上田から数キロのところに、私のところの祈りを積極的に進めてくださっている方が住んでいらっしゃいます。
先日は横浜の対面アフターフォローでお会いすることができ、ずっと前からの友達のように感じました。
きっと先祖も関係したご縁なんだろうなと思います。
それから上田から諏訪へ移動して、諏訪大社へ参拝しました。
ご祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妻神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、信濃の国一宮です。
私の今の鎮守の神が諏訪神社で、毎日通っていますが、どことなく冷たい感覚がぬぐえず、本宮にお参りしなくてはと思っていました。
諏訪大社にはお社が4社あり、まず上社本宮から参拝しました。
参拝をしていると、他の方に押されました。
祈っている最中に神社の方が、お賽銭箱の中身を集めたり、目の前でうろうろしたりしました。
ああーー、これはダメだー。
私が鎌倉でも今の所でも諏訪神社に毎日通って謝っているのは、諏訪神社へのカルマがあったからなのだと、はっきりと自覚させられてしまいました。
諏訪というところは、出雲族から天皇家への国譲りがあった時に最後まで抵抗した神が逃げてきた場所ということと、武田信玄との争いがあったりして、厳しい反応を受ける方も多くなるはずです。
でも、本宮前のおせんべい屋さんで食べた「ぬれしみせん」はおいしかったです。
次の前宮では、気持の良い清流が流れていて、がっかりした気分も慰められるようでした。
そこから諏訪湖のほぼ反対側へ移動です。
下社秋宮では、女神様が目の前に来てくださっているのがわかりました。
諏訪神社の女神様は鎌倉の時から、私に優しかったのです。
最後の下社春宮では、体が温かくなり、雨がザーッと降ってきました。
4社を参拝していくうちに、徐々に許され、清めてくださったようでした。
大変に早い和解でした。
この3年間の毎日の祈りの、総仕上げだったのでしょう。
諏訪は、以前住んでいた愛知県からは北東の鬼門方向でした。
そのさらに北東の鬼門方向に、先祖の在所である上田がありました。
この日は、上田から南西の裏鬼門方向に移動して、先祖のカルマも一緒に持って行って浄化できたのではと思います。
帰り道は下社で降り始めた雨が、降ったりやんだりしていましたが、途中の国道で、陸橋の下が冠水していて、隣の車にフロントガラス全面に、思い切り泥水をかけられ、一瞬水族館状態になりました。
何も見えないままブレーキを踏んだり、アクセルを踏んだりと怖い思いをしましたが、これも諏訪のカルマが出たのでしょうね・・さすがに無口になってしまいました。
諏訪から帰ってからは、鎮守の諏訪神社との関係はとても良くなりました。
私が本当に心から謝っていることが、行動によって確かめられたとでもいうような感じです。
毎夜、諏訪大社のご祭神をお呼びして祈るようになりましたが、こちらもとても良い雰囲気で、眉間にエネルギーを入れてくださいます。


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 8月8日
東北の2日目は、仙台へ移動しました。
仙台では七夕祭りの最終日で、到着したのはその最後も最後、人がいなくなりつつある夜でした。
次の日の朝、まず、金華山の黄金山(こがねやま)神社へ参拝しました。
ご祭神は金山彦命、金山姫命で、島の頂上には弁才天が祀られ、日本5大弁天のひとつ。
境内の弁天社で祈ると、弁才天らしい濃密な気が流れてきました。
鎌倉の銭洗い弁天と似ています。
次に参拝したのは瑞巌寺(ずいがんじ)、日本三景のひとつ松島に面した景勝地にあります。
禅宗のお寺で、伊達政宗の位牌があります。
伊達政宗に祈っていると、暖かく信心深く、気持が大きくまた優しい人柄が伝わってきました。
これでは人気があるはずだと思いました。
私は豊臣秀吉と相性が良く、伊達家や徳川家とはきつい関係になりますが、政宗にはそのようなことは全く感じず、安心のできる人だと感じました。
信仰心というのは全く素晴らしいものだと思います。
今までも、信仰心のある人に祈るのは本当に楽でした。
敵でも味方でもすぐに祈りの意味を理解し、納得して、敵味方を超えて、同じ神仏を慕う仲間同士として迎えてくれました。
仙台で最後に参拝したのは、陸奥の国一宮、塩竈(しおがま)神社でした。
ご祭神は塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)です。
一宮らしい堂々とした、たたずまいで、気持ちよく迎えていただきました。
また訪れたい神社でした。


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8月7日
今年の夏も東北へ出かけました。
万が一、関西へ引越しなどということになる前に、東北へはひと通り行ってしまいたかったものですから。
最初の目的地は青森県の岩木山神社(いわきやまじんじゃ)でした。
青森経由で弘前へ向かいましたが、電車の窓から見えた青森の町は名鉄から眺めた名古屋郊外を思い出し、ひと目で気に入ってしまいました。
ねぷた祭りが終わったばかりの弘前の町は、もう秋の気配で涼しく、夜になると半袖では震えるくらいでした。
空が高く、空気がきれいできらきら光っているようでした。
岩木山神社のご祭神は顕國魂神(うつしくにたまのかみ)、多都比姫神(たつひめのかみ)、宇賀能賣神(うがのめのかみ)、大山祗神(おおやまづみのかみ)、坂上刈田村麿呂命(さかのうえのかりたむらまろのみこと)。
顕國魂神は、大国主命のことで、宇賀能賣神はお稲荷さん、大山祗神は国津神系の山の神の総称のように使われる名前です。
参拝していると、体がゆっくりと回転し、ぽかぽかと暖かくなっていきました。
東北では、大和朝廷との悲惨な戦いがあったでしょうに、ご祭神は幸せそうに感じました。
岩木山の神は、津軽の人々と土地が大好きで、愛しくて仕方がない様子でした。
この土地の人々の心根の優しさをよく知り尽くしているからなのだと、私にも伝わってきました。
今、人々が幸せだから、自分も幸せなのだと言われているようでした。
日本中がどこでもこんな風だといいのかもしれませんね。
次に十和田湖畔の十和田神社へ参拝しました。
ご祭神は日本武尊で、坂上田村麻呂が創建しています。
境内は自然の息吹あふれ、ひんやりとしてとてもいい気持です。
本殿で迎えてくれたのは女神様でした。
十和田湖の龍神かもしれません。
ここでも快適な親愛の気持を流していただけました。
神社前で食べたきりたんぽが、とてもおいしかったです。
青森は、はじめから清まっている土地という印象を持ちました。
関東や関西に慣れた身としては、うらやましいような、でもこれが本来の姿なのだと、お手本にしたい気持です。


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7月28日
茨城県加波山(かばさん)神社へ参拝しました。
筑波山の北方約5キロのところにあります。
ご祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)他約700柱(すごい…)です。
出かけたときは軽い頭痛があったので、遠出はせず、川崎と横浜の神社などへ参拝するつもりでしたが、どうしても加波山神社が気持から離れないので、常磐道へ向かいました。
加波山へ近づくと、頭痛はなくなりました。
ウグイスが近くで鳴いて迎えてくれ、山は寒いくらいでした。
拝殿で祝詞を奏上し始めてすぐに、涙がうかびました。
人が神の気を強く受けると、泣く以外に何もできなくなります。
涙声になってしまうので祝詞は止めて、心の中でいろいろと話したのですが、何を話したのかよく覚えていません。
私は毎日、加波山神社へは自宅から祈っているので、「よく来たね」といったことだったと思います。
この頃の私は、何事もまず加波山神社の国常立尊に相談します。
他の神に尋ねても、答えてくれないからです。
たまに、江ノ島神社の神などが、少し話してくれる程度です。
ですから今は、国常立尊と二人三脚をして歩いているような感覚でいます。
今回は2度目の参拝で、頂上の本殿へも行きました。
本殿へ向かって登り始めると、涙があふれて大泣きになってしまいました。
街へ行くつもりだったので、スカートとサンダルという格好で、ハンカチで涙をぬぐい、ティッシュを出して鼻をかみながらの山歩きで、えらく歩きにくかったです。
それでも、ほんの15分ほどで着きました。
本殿では、「日ごろの働き、ご苦労じゃのう」といったことを言われ、またしばらく泣いていました。
つけていたブレスレットにご祈祷をお願いすると、「そなたの体に直接かかるから、必要がない」と言われてしまいました。
社務所の留守居の方と少しお話をして、山に登る時の魔よけにちょうど良さそうな、いい音のする鈴をいただきました。
前々からいろいろな神社の社務所で探していたんですが、やっと気に入るものが見つかりました。
この時、私は前回参拝した時のことをすっかり忘れていたのですが、前回は土鈴を霊視でいただいたので、今回でそれが現実の形になったのでした。
山を降りてしばらくすると、山に近づいたころから参拝以外のことは何もかも忘れて、頭の中が真っ白だったことに気づきました。
この感じは爽快で、本当に気持のいいものです。
帰路を半分くらい走り高速のPAに入ると、家にいる夫から携帯にメールが入りました。
「どこにいるの。今日はなぜだか、よく涙が出る」
昨夜ケンカのようになり、私ははじめてひとりで参拝に出かけていたのです。
お互いに泣いていたのでした。
2人の気分には、天国と地獄の落差があったようですが・・・。
帰って来てから、いただいてきた加波山神社のお札を、私は神棚を置いていないので、お札をいつも重ねて並べている場所へ、並べようとしました。
すると「一番後ろに」と言われます。
言われた通り一番後ろに置きましたが、お札が紙一枚のぺらぺらでちゃんと立てることができないので、一枚上に移動させました。
すると「申し訳ない」と言われながらそこへ納まってくれました。
謙虚でひかえめなところのある、国常さんです。


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 7月26日
相変わらず天然石に夢中です。
スギライトのブレスレットを最近、購入しました。
20年くらい前に、日本で「杉」さんという方が発見したということで、スギライトと名づけられ、ヒーリングパワーの強い、ニューエイジストーンとして注目されている石です。
色は不透明で、ショッキングピンクがかかったような濃い紫が多いようです。
私が入手したのはラベンダーで、白や、濃い紫や、少し透き通った部分などがあり、スギライトにしてはかなり印象の柔らかい、きれいな石だと思いました。
ソフトなムードですが、存在感はあります。
きのうも私はスギライトのブレスレットをつけていました。
きのうの午前中、急にお金の問題で夫に不満がわきおこり、「全部出しよ、どけち」とメールを打ちました。
何だかちょっと激しいなと自分でも思いながら、気持はおさまらず、さらに「あんたのせこさにあきれる」と打ちました。
夫からの反撃のメールが、続く、続く。
夫が後から言うには「もう終りにしようということだと思った」そうでしたが、夜になってから、今お互いにいくらの収入があって、何にいくら必要で、どのくらいの節約をしなくてはいけなくてと、現実的な話し合いがあり、この問題は終わりました。
今日になって、よくよく考えてみるに、スギライトという石は内面の問題を外へ出すのだなと思いました。
それは私が皆さんにお伝えしている祈りと同じ性質で、強い清めというのはそういうものです。
全くヒーリングストーンというコピーに恥じない石です。
しかしま、えらく激しいパワーでした。
石の本などに、スギライトはいつも新鮮な気持でいたい人におすすめなどど書かれていましたが、ううん、何だか笑ってしまいます。
この石にはハイレベルな「巫女」の性質がある気がします。
その性質が高次元の清めのエネルギーを集めているのだと感じます。
そんな石に「杉」という、神が宿りやすい木の名がついていることや、日本で発見されたことを、とてもうれしく思います。
きのうは、江ノ島の花火大会でした。
江ノ島の弁天さんが、お金の問題をうやむやにしたまま心の中に不満をくすぶらせていることに気づいて、外へ出してくれたのかもしれません。
夫が反撃メールをくり返し送信していた時、私と子供らは、自転車で江ノ島へ向かって走っていたのでした。


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7月15日
東京都奥多摩の武蔵御岳神社(むさしみたけじんじゃ)へ参拝しました。
ご祭神は、櫛眞智命(くしまちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)で、関東の修験の中心として信仰されました。
参拝前日に自宅から祈ってみると、とても気さくな男神が、「午前中に出るように」ということで、お昼までのんびり寝てはだめそうでした。
あっさり話すことができたので、相性は良さそうで、安心しました。
修験の山や神社で、歓迎されなかったことは、私はたぶんない気がします。
御岳山へ近づくと、よく晴れていたのに曇ってきました。
ケーブルの駅では雷雨になり、しばらく運転を待っていました。
雷は私には「掃除するから待ってて」という、心地良い合図に聞こえてきました。
私は普段から雷が好きで、稲妻を見るとうっとりしてしまいます。
1時間ほどで雨は止み、ケーブルで山を登り、参拝しました。
お社に近づくと、軽くぽつりと雨がかかります。
こういうのは、歓迎のしるしです。
とても和やかな良い雰囲気です。
ご祭神がにこにこして、見守ってくれているのがわかります。
「何か言ってください。」と言ってみると、「よう来られた。」とだけ答えていただいたのですが、その声色から、また来る用事があるなと感じました。
それで、また来るんだからと安心して、参拝を終えました。
すると、小雨が降ってきて、拝殿前で10分ほど雨宿りしました。
天候が不安定なので、奥宮へは行かないことにしました。
それが、次に来る時の用事なんでしょう。
雨宿りしているのも、引き止めてもらっているようで、楽しかったです。
帰り道、車を運転しながら、気分が久しぶりに爽快なのに気づきました。
夏ばてかなと思っていたのを、清めてもらったようです。
それにしても、あの男神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)に似ていたんですよねー。
国常さんの気がする…。


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 7月1日
モルダバイトという石がお気に入りです。
これは、隕石が衝突した時の熱で、地球上のほこりや砂がガラス状になったものだそうです。
モルダウ川近辺でだけ採れるので、モルダバイトといいます。
この石を持った人が次々に覚醒していったため、その現象はモルダバイト・フラッシュと名づけられています。
空海さんいわく、「あなたはニューウェイヴの石と相性がいいので、そのような石を持ってください。」
ということで、まずはモルダバイトを選んでみました。
私のところに来たのは、小ぶりの指輪です。
見た感じはモスグリーンのガラスで、宇宙というような手のつけどころのない感じでなくて、ほっとしました。
一日目は洗って、他の石たちと一緒に置いておきました。
その夜の祈りで、京都愛宕神社のカグツチノ命が、「あの石は火である。」と話してくれました。
そりゃそうでしょう、熱でできたガラスなんですから。
カグツチさんも、火の神です。
二日目、モルダバイトの指輪は、神社の森の雰囲気がしました。
杉の木や、白木の香りがしてきそうです。
自然で、清浄です。
気持がぴしっとしてきて、掃除をしたくなりました。
身につけていた一番お気に入りのアメジスト以外の石を、はずしたくなりました。
モルダバイトがアメジスト好きなのか、本当に好きなものだけを残す気持にさせられたのかは、まだわかりません。
最近水晶ファミリーをたくさん身につけるようになって、少し水に偏っていたことに気づきました。
モルダバイトは火のように精神的で、上昇しようとします。
水晶たちに指図して、リーダーシップをとります。
モルダバイト・フラッシュというのも、うなずけると思いました。


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 6月23日
鎌倉に、山に囲まれて、境内に湧き水や滝のある素晴らしい神社があります。
しかしそこは、残念なことに現世利益を求める人々の観光地となってしまっています。
そこへ参拝する時は、午前中の観光客のいないうちに入るようにしています。
参拝客がやってきて、お供えをはじめるともう、境内がみるみる汚れていくのがわかります。
そうなるとさっさと帰らなければ、頭痛や吐き気で苦しむことになります。
そうなってしまったら、同じご祭神を祀っている藤沢の某神社へ参拝して頭痛などをとっていただきます。
現世利益信仰は、神仏を狂わせます。
神仏が生きる目的を見失い、魔物に変わってしまいます。
何とかしたくても、次から次へとやってくる参拝客は止められません。
ある有名な○○○という現世利益信仰の強い宗派で祀っているお不動さんに手を合わせたところ、頭痛がしました。
そこで同行の先輩が簡単な呪文でお清めをしました。
すると、祠の中の小さなお不動さんが何メートルにも大きくなり、元気になったのがわかりました。
私の頭痛も消えました。
別の場所のお不動さんは、縄でぐるぐる巻きになっているのがわかりました。
確か、病気平癒にご利益のあるお不動さんで、皆の思いが強すぎてそうなっているのでした。
現世利益によく効く神仏というのは大体きまっていて、代表的なのはお稲荷さん、お不動さん、弁才天、大国様などです。
特に前出の○○○が関わっている場合は、祈ると霊障を受けやすいので、私は用心しています。
私の母方先祖が○○○で、私とはとても相性の良い宗派なので、気持は複雑です。
鎌倉のその神社は、本来鎌倉ナンバーワンに間違いない程の神社です。
そのパワーはさすがで、毎日毎日汚されるにもかかわらず、朝は山奥の清らかな聖地にいるような気持になれます。
現世利益信仰がなければ、もっと参拝したいのに、本当に残念です。


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6月9日
沼津の清水町の八幡神社へ参拝しました。
ここの境内には、源頼朝と義経の対面石があります。
源氏再興の旗揚げをした源頼朝のもとへ、奥州平泉から弟の義経が参じて、初対面した場所です。
ここに初めて来た約5年前から、私の中で義経への反発が強くなったのでした。
義経の供養の参拝の仕上げとして、ここへまた来る必要があると思いました。
私が頼朝の石に座ると、夫が義経の石に座りました。
本殿ではたくさんの人が目の前に並んでいてくれているようで、「ご苦労様です。」と伝わってきました。
今回で3回目の境内は、今までで一番明るく清らかでさっぱりとしていました。
三島大社へも参拝しましたら、ここでも「ご苦労様でした。」と言われました。
帰ってから意気揚揚と、鶴岡八幡宮への祈りの中で、義経への祈りが終了したことを報告したのですが、またしても、手放しでは喜んでもらえませんでした。
まだ先があるのです。
兄弟の葛藤は頼朝と義経だけの話ではない、というのです。
私自身に関係していそうな兄弟だけでも、この2人の先祖の、源義家とその弟の義綱、ヤマトタケルと双子の兄、ニニギノ命と饒速日命(にぎはやひのみこと)と、まだまだ終りは遠いというのです。
幸い、足利尊氏とその弟の直義については、かなり解決できています。
そんな・・・。
それでも鶴岡八幡宮は、近くを通るだけでも嬉々とした神気を流してくれるようになりました。
以前、とても冷たくされていたことが不思議な程です。
兄弟の葛藤のカルマ浄化は、また「ぼちぼち」やっていくことにします。
今は、自分の気持の中で、義経への反感がなくなったことが何よりうれしく、満足です。


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 6月8日
晴明神社での参拝が無事終わったと思っていたある日、安倍晴明さんの伝言を取り次いでくれた霊能者のRさんから、こんなお話がありました。
安倍晴明さん自ら「私は魔界神です。」と言われましたと。
封じていた京都の霊たちを解放することをダシにして、私とRさんに入り込み、力を拡大することが目的だったと。
神仏はそのことを知っていながら、菅原道真、平将門、また安倍家の子孫が封じた楠木正成など、悪霊でない霊たちを呪縛から解放したいために、私達を怖がらせないように黙っていたというのです。
私達はまんまとだまされて、京都の霊たちを解放できたようです。
菅原道真以外の霊は、Rさんのお仕事でした。
そうか、じゃあ、それで良かったじゃないのと、私は考えました。
これからは気をつけようと思いつつ。
ところが、それから夫が胃を悪くして会社を休み、長男も二男も風邪をひいて寝込み、最後に私にも風邪が移って家族が全滅状態になりました。
私が風邪をひくなんて、何かとても大きな霊的な理由がなくては、起こらないはずです。
けれど最近忙しくてどこへも参拝していないし、供養もしていない、考えられるのは安倍晴明さん…でも、どうして?
もう終わったのに。
どうにも具合が悪くて横になりながら、ある考えが浮かんできました。
『私がコンタクトしたのは神界の安倍晴明さんだったのでは…。』
すると、お腹がむかむかと気持悪くなってきました。
『Rさんに起こったことも間違っていない、それはRさんの世界で起こったことで、私とは世界が違っていたんだ…。
私が会った安倍晴明さんは魔界神ではなかった…。
それぞれの次元と合う波動としかコンタクトはとれないんだった…。
神界にも霊界にも魔界にも階層がある…。
忘れてた…。
ああ、晴明神社ご祭神様、ごけん族神様(お使いの神様)私の間違いを謝ります、私が間違っていました…。
晴明神社ご祭神様、ごけん族神様、申し訳ありません…。』
そこまで考えが及ぶと、胃の中のものが全部出てきました。
そして体が止まったようになり、頭痛も腹痛も止まって、さっきまでとはうそのように気分が良くなりました。
そこから体調が回復していったことは、言うまでもありません。
私が吐き出したのは、「安倍晴明は魔界神である」という魔界の波動でした。

追記:
Rさんは須佐之男命の御霊を持ち、魔界へ落ちてから這い上がってきた経歴の持ち主です。
ですから魔界神や、魔界の霊に関するお仕事を神仏から頼まれる人です。
だから須佐之男命は救世主と言われるのです。


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 5月5日
源義経のことが終わったら、次は晴明神社です。
以前留守番電話に入っていたメッセージの主は、安倍晴明さんでした。
京都の魔物を解き放ちたいので、来てくださいとのことでした。
神社に着いて、手水舎で手を清めていると、晴明さんが横に来られました。
白いドレープの多い着物を着て、それはそれは満面の笑みで迎えてくれています。
現代の人だとすると、ちょっと爬虫類的かもしれない、にこにこにこにこにこにこと、お金持ちそうな変わり者そうな、もしかしたら手元がすりすりしているんじゃないかというような、何かありそうな雰囲気。
参拝すると、こう言われました。
「菅原道真の御魂を解放します。
あなたの体を通して解放します。」
道真は、私とは文句なしの好相性です。
京都で霊障がきつくなると、北野天満宮でとってもらっていました。
占い師になる前、仕事に困っていた時は、道真の出生地に本社がある某社でお仕事をさせていただきました。
そのお仕事では、今の占いのお仕事に直結する営業部分のノウハウを自然に教えていただきました。
引越し代に困っていた時は、その会社で貸してくれたのでした。
「・・・・を授けます。」
「そういう言い方はやめた方がいいと思いますよ。
授けますではなくて、贈りますと言ってください。」
「・・・・・・・授けます。」
「・・・・・・・・・・・。」
参拝が終わって社務所に目をやると、五芒星のペンダントが目に入りました。
ああ、これを持って帰ればいいんだなと思ったのですが、またお守りが増えてしまうのが嫌で、購入しない気になりました。
「必要な物は、持たせます。」
と聞こえてきたので、あ、買わなくていいんだと思いました。
「今日は祈りだけ、置いていきます。」
と挨拶して、帰りました。
インターから高速に乗り、20分程走った頃、夫がこう言います。
「何か、効きそうな気がして買ってしまったんだよね。」
そして出して見せてくれたのは、晴明神社のあの、五芒星のペンダントでした。
晴明さんのにこにこにこにこにこにこという、満面の笑みが思いうかぶようでした。
これは、夫が私と共に寺社めぐりをし始めてから、もしかして初めて買ったものかもしれません。
京都からの帰り道は、なぜか夫にイライラして仕方がありませんでした。
ケンカにはなりませんでしたが、ちょっとした不満を話すにも嫌な感情が表れてしまいそうになります。
そんな感じが2〜3日続いたある日、何をしたわけでもないのに、急にすっきりと気持が晴れました。
どうも、夫は藤原家にご縁があり、私の体に入った菅原道真の反感を買っていたようです。
このようになるので、安倍晴明さんは、夫に道真の怒りがストレートにぶつからないように、あのペンダントを持たせてくれたんだなと思いました。


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 5月4日
壇ノ浦の次に、香川県の屋島へ移動しました。
平家追討の戦いの時とは、逆の経路です。
山頂のお寺へ参拝した後、安徳天皇の宮跡に立っている神社へ、参拝しました。
祀られているのは、安徳天皇です。
祈りの声が朗々と響いて、とてもいい気持です。
境内にある源平の戦いの戦没者慰霊碑で祈ると、少し疲れましたが、すぐに良くなりました。
せっかく香川県に来たのですから、讃岐うどんを食べました。
本当においしくて、今まで食べたことのあるうどんの中で一番だと思いました。
しかも値段は一番安いくらいです。
さすが地元ですねー。
こんなおいしいお店に出会わせてもらって、感謝!
屋島から淡路島へ渡り、源義経と静御前のお墓参りをしました。
ここでは、なごやかな明るい感じでした。
淡路島から神戸市一の谷、須磨浦公園へ。
ここは、私の実家が近く、子供の頃から時々遊びに来た所でしたが、合戦の供養という目的で来たのははじめてでした。
平敦盛(たいらのあつもり)のお墓、安徳天皇の宮跡の神社と参拝して、やはりちょっと疲れはきますが、すぐに良くなる感じです。
5日は、京都へ入りました。
まずは六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)へ参拝しました。
このあたりは平家の居館があったところで、平清盛の供養塔があり、清盛の有名な木像もあります。
入り口の弁天様に軽くご挨拶のつもりでしたが、「きちんと祈ってください。」と伝わってきたので、お経を唱えて源平の戦いをあやまり、義経のことも祈りました。
どうも、ここから平家の氏神である厳島神社へ祈りを届けてくださるようでした。
本当は今回のルートの中に厳島神社を入れた方が良かったのですが、日程上無理なので、容赦してもらっていたようです。
本堂ではゆったりとした気持で祈ることができました。
宝物館で、平清盛の像も見ましたが、そのとなりにあった六波羅蜜寺の開祖、空也(くうや、またはこうや)の、これも有名な像はあまりに印象的でした。
共感と感動で、目が潤んでしまいました。
やっぱり、空也は私のアイドルです。
何がいいと言って、現場が好きというところかもしれません。
じつは空海さんの像もあったんですが、クールですねー。
うーん、クール、クール。
そんなかしこまって!
さて、次はついに鞍馬山です。
本堂で参拝していると、5葉の葉の形が見えてきました。
警察署で見かける形です。
次に、義経堂に参拝すると、まあ、目の前に先ほどの5葉の葉の紋があるではありませんか。
何のことかわかりませんが、良いことだと思いました。
奥宮はほの暗く、その建物だけに陽があたって少し幻想的にうかびあがって見えました。
神気があふれ、あたたかく優しく、包み込まれるようです。
ここで、昼寝をしたい気持ちになりました。
義経は子供の頃、ここが大好きだった、ここでよく昼寝をしていたんだなと思いました。
ほんとにいい気持、地球というお布団の中で清められたい、そんな感じがして、しばらくたたずんでぼんやりしていました。
ああ、ここの石はなんて清らかなんだろう、優しくて強い、すがすがしい…何故なんだろう…。
「源義経公の御魂をよろしくお願いいたします。」
この素晴らしい清めが、OKの返事のようでした。
後から、奥宮の場所は古代の磐座(いわくら。神の降臨した場所。)であったことがわかり、納得できました。


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 5月3日
山口県では用心して、壇ノ浦から20キロほど手前の山口市で泊まりました。
合戦跡地の近くで泊まったりすると、眠れないことがありますから。
それに、山口市には別の用事がありました。
朝、市内の「俊龍寺」というお寺に参拝しました。
禅宗のお寺で、境内には足利13代将軍義輝(よしてる)と、15代将軍義昭(よしあき)のお墓があります。
私は、どのようなご縁でかわからないのですが、足利家の為にたくさんのカルマを受けてきたところがあり、足利家最後の将軍となった義昭のお墓参りをどうしてもしたかったのです。
お参りをしようとして墓石の前にかがんだだけで涙があふれて、お経を読みはじめることができませんでした。

俊龍寺のあと壇ノ浦へ向かっていると、カーラジオから中尊寺のレポートが流れてきました。
平泉の中尊寺での参拝の様子を生放送しています。
入り口から参道を歩き、本堂、金色堂と、数日前に私が参拝した時そのままにレポートされるのを聴くのは、本当に不思議な気分でした。
だって、そこからはじまって今、壇ノ浦へ向かっているんですから。
壇ノ浦では滅亡した平家の安徳天皇を祀っている「赤間神宮」をめざしていました。
ラジオの中尊寺レポートが終り、耳に入ってきたのは「今日、赤間神宮の祭礼で、人出が予想されます。」というニュースでした。
いつもはお祭りは避けて出かけるのですが、今回は知らなかったので仕方がありません。
それにしてもまるで、ラジオがガイド状態です。
人ごみをかき分けて境内に入り、もう参拝は無理とあきらめて、この辺でいいよと止まった場所で、今日はご祭神がお祭りに招いてくれたんだろうから、今から始まるらしいメイン・イベントを見ていこうと思いました。
それは古式豊かで印象的な、安徳天皇ゆかりの人々のゆっくりとした行列だったのですが、ほとんど待つことなく、しかも何も知らないままにS席と言える場所で観させてもらいました。
安徳天皇と、平家の人々の心からのもてなしを感じました。
お祭りの合間に、各地の神社からの祝電が読まれたのですが、聞いていると宇佐神宮、鶴岡八幡宮、岩清水八幡宮その他、源氏にゆかりの神社が多く、その気持がうれしくて、泣けてきました。
境内の平家一門の墓で、義経のことも祈りました。
すると複雑な思いを隠せない感じです。
「すべて許してくださいとは言いません、義経公の気持の分だけ、どうぞお受け取りください。」
と言うと、納得してくれました。
こんなにいい参拝ができるんなら、怖がらなければ良かったと思いました。
地図を調べていると、壇ノ浦からほんの2〜3キロの所に、私の祈りをしてくださっている方が住んでいることにも気づきました。
不思議なご縁を感じます。


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5月2日
源義経の魂と共に京都の鞍馬山へ行くために、どことどこへ参拝してからということは決めないまま、関西方面へ向けて出発しました。
車の中で国常立尊が、「壇ノ浦、屋島、一の谷」と教えてくれました。
もしかしたら行かなくてはいけないかなと思いつつ、できれば京都だけで済ませたいとも考えていたのですが、下関まで行くことになりました。
下準備もなしですから、下関のどこなんてことはわかりません。
5月2日は、一日がかりで山口県まで車を走らせました。
関西までは頭痛で辛かったんですが、岡山県からなくなりました。
中国地方に入ったから?
なぜなのか、わかりません。


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 4月30日
名古屋の熱田神宮へ参拝しました。
私は2年前まで4年間、愛知県に住んでいたのですが、「お世話になりました」と、引越し前のあいさつをして以来の参拝でした。
今回は、自分の参拝ということもありますが、源義経の供養としての参拝でもありました。
義経は熱田神宮で元服しています。(そうではないという説もあります。)
前日の夜はとても強く霊障がかかって、朝まで眠れませんでした。
どうしても眠れないので、体にかかってきている霊にお経をあげて供養してみました。
すると、義経を苦しめているのは兄弟の葛藤よりも、平家に対するカルマであることがわかってきました。
そこで、私は自分のやっていることの大きさに気づきました。
これは義経の供養だけでは済まない、平家を供養することになる…。
しかも、何の準備もないままにもう、始めてしまっていました。
義経の魂を、平泉から私の体につけて連れ出すことについて、空海さんが「何ということをするのですか」とあきれていたのはこのせいとわかりました。
平家のことに気づいたせいか、頭痛がしてきました。
もう、できるだけ考えないことで霊障を最小限にとどめることにしました。
ゴールは鞍馬寺であることは決まっています。
義経のふるさとと言ってもいい鞍馬寺に、義経の魂を帰します。
けれどその前に、義経の代わりに平家に謝ってあげなくてはいけません。
平家から許されることでしか、義経の心は癒されませんから。
でも、その具体的な方法を考えると、霊障がかかってきて私の体がもたないので、行動する直前まで考えることができないのです。
このことで、義経は頼朝にかかるべきカルマを分担して受け持ってくれていたということに、私は気づきました。
義経の心に頼朝への恨みはなく、ただ自分の果たすべきことに心を悩ませていただけでした。
もう、「自分が悪いのだろう」と義経を非難することはないでしょう。
熱田神宮の反応は、「見守り」といった感じでした。
5月1日は、鎌倉に入れてもらえずに義経がとどまった場所、腰越の満福寺と、義経を祀った白旗神社、義経の首塚へ参拝しました。
義経は本当に許されるのかどうか、半信半疑です。
私は「大丈夫、今まで私は供養でうまく行かなかったことはないんですから」と、はげましていました。


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 4月29日
桜も終りの4月14日、伊豆の雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)へ参拝しました。
この数日前、あと1〜2ヶ所へ参拝したら、関東の清めは一段落と考えたいと思っていることを氷川神社の神に話すと、「雲見」のことが思いうかんだので、参拝することにしました。
ご祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)、富士山麓の浅間神社に祀られている木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)のお姉さんです。
神代の昔、天照大神の孫であるニニギノ命が木花咲耶姫に求婚したところ、父親は姉の磐長姫も一緒にと差し出しました。
ニニギノ命は美しい木花咲耶姫だけで結構と、醜い磐長姫を返してしまいます。
父親は嘆いてこう言います。
「木の花は美しいが、すぐに散ってしまう。
天皇の命が岩のように長く栄えるようにと思って、磐長姫をおつけしたのに。」
そのために、天皇の寿命が今のように短くなったという逸話です。
さて、参拝前日の夜から何となく体調がおかしくなって、おなかがゆるくなってきました。
当日も軽い頭痛がしたり、めまいがしたりしました。
階段を登り、お社の前まで来ると、強い腹痛がありました。
(ああーん、トイレは階段の下なのにーと、あせりました。)
祈ると、「もう、石の時代ははじまっています。」と伝えられました。
だから私も、何種類かの水晶などを身につけているんだなと思いました。
参拝後はぐったりと疲れてしまいました。
同行した夫も、次の日、異常に眠かったそうです。
しいたげられた神、あの、ニニギノ命の時代から裏方として生きてきた神ですから、私にも何かカルマがあったんでしょう。


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4月28日
明日からゴールデンウィークという夜、いつものように祈っていると、国常立命(くにとこたちのみこと)が、「忙しいのう…」と言われました。
このゴールデンウィークの予定は、9日間のうち2日しか参拝の予定が決まっていなかったので、私があまり暇そうだから、もっと動けといやみを言われているのかなと思いました。
まあ、もっと動くとしたら、今一番気になっているのは源義経の供養のことかなあ、暖かくなるまで平泉に行くのはお預けにしてあったことだし…。
うん、平泉にでも行こうかな、そうしようかな。
でも、ゴールデンウィークの初日に車で移動していたら、湘南から平泉まで一日かかってしまいます。
行くなら、前日の夜中のうちに首都高速を抜けて、行ける所まで行って、朝は北関東から出発すれば、渋滞に巻き込まれないで済む…。
ということで、急遽夜中に出発することになりました。
さっき国常さんから「忙しい」と言われてからほんの1時間後にはもう、道路の上。
忙しいというのは、このことだったんだなと、おかしくなってしまいました。
4月28日、平泉の中尊寺に着きました。
源義経は、幼少時に京都の鞍馬寺へ預けられ、少年時代に自分が源氏であることを知ります。
鞍馬寺を抜け出し、熱田神宮で元服(成人すること)した義経は、奥州藤原氏に身元を引き受けられて生活していました。
兄の源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、兄のもとへ参じて源氏の大将として、数々の武功を上げました。
しかし、兄弟の葛藤から頼朝に追われる身となり、平泉へ追い詰められて自刃(じじん)しました。
その後、源頼朝は藤原氏の勢力をそぐために、平泉へ出兵して藤原氏を滅ぼしています。
中尊寺は奥州藤原氏の信仰と栄華の中心でした。
源頼朝にご縁がありそうな私としては、中尊寺へ参拝するには気持をひきしめる必要がありました。
ところが、境内のどこでもとてもいい気持で、感激で涙までにじんできます。
藤原四代というのは信仰心がとても篤く、宗教家のような感覚で迎えてくれていました。
しかし、それにしても歓迎され過ぎ…、どうも藤原家初代の清衡(きよひら)が源義家(みなもとのよしいえ。頼朝や義経の先祖。)に助けられているので、そのご縁で暖かく迎えてくださるようでした。
実は常々、自分は頼朝よりも義家の方が近い気がしていました。
金色堂は藤原三代のミイラが安置されている、本当に金ぴかのお堂ですが、金というのは明るいですねー、ミイラがあるというのに気持は明るくなりました。
中尊寺の次は義経が住んでいた高館(たかだち)です。
お経を唱えながら、あと数日後には京都の鞍馬山まで連れて行ってあげますからと、祈ってきました。


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4月21日
空海さんとの会話です。
「あなたは大変能力が高かったのです。
前世ではそれで、増長してしまいました。
その為に、多くの人が悲しみました。
あなたの以前の夫があなたにしたことは、あなたが他の人にしたことと同じでした。
今生また同じ失敗をくり返さないように、あなたは守られてきました。
能力があっても発揮できない環境に置かれ、能力はつまれてきました。」
私は泣きながら答えました。
「わかりました。
では今生は、能力を充分に発揮することなく過ごすことになるんですね。」
「なぜそんな風に考えるのですか。
あなたが悲しませた人達へのおわびのためにも、あなたは立派にならなくてはいけないのです。
けれど今生では、同じ失敗をくり返してはいけません。」
このことがあった夜、私が眠ってしまってから、霊能者の方から留守番電話にメッセージが入っていました。
それを私が聞いたのは、次の日の朝でした。
「ただ今、○○さんの体の中に入ってお話しています、京都市○○区○○神社の○○○○でございます。
どうぞ○○神社へお参りくださいませ。
お待ちしております。」
○○神社のご祭神様からのお招きでした。
こういうことがあるから動じるんじゃないよと、空海さんは、前日のうちに心の準備をさせてくれたんだなと思いました。


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 4月14日
空海さんは、ある霊能者の方のところにいらしたのですが、最近私の所へも来られるようになりました。
その女性に、空海さんが私に届いた指輪を「私からの贈り物です」と言ったことを話すと、
「ええー!
前に、私が父親にお金を出してもらって買った法華経のことも、空海さんたら『私からの贈り物です』って言ったんですよー!
いったい誰がお金出したと思ってんの。
空海さん、自分が身銭きったの。
あのおっさん、あきれるわ、同じこと言ったの?もおー!」
しばらくの間、ウケまくりでした。
まあこれで、本当に同じ空海さんが私のところに来ていることがわかったということですけど…。


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 4月12日
関東平野の桜の花が八分咲きの頃、富士山麓の2ヶ所の浅間神社へ参拝しました。
富士宮市の浅間大社は駿河の国の一宮で、富士吉田市の浅間神社は甲斐の国の一宮です。
ご祭神はどちらも木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、桜の花の神様です。
浅間大社のご祭神が木花咲耶姫命になったのは江戸時代からで、それ以前は富士山がご神体で、富士山を鎮めるために木花咲耶姫命が祀られたようです。
富士宮市の浅間大社に着いたのは夜でしたが、とてもいい感じで迎えていただけました。
次の日、富士吉田市の浅間神社へ参拝しましたら、ご祭神が泣いているのがわかりました。
いつものような喜びの涙ではなく、悲しんでいるようです。
なぜこんな役目を負わなくてはいけないのか…という気持が伝わってきます。
とても同情を感じてしまい、末社をひと回りした後再び本殿でお参りしました。
2ヶ所の浅間神社は、富士山の北東と南西にあります。
少し前の、寝入りばなのヴィジョンで、富士山の北東と南西が赤くなっていたことを思い出しました。
特に北東の浅間神社には何か、つらい役目があるのかもしれないと思いました。
浅間大社の後、三島大社へ参拝しました。
ここでははじめての、とてもいい雰囲気でした。
その夜の空海さんのお話です。
「ご苦労様でした。
これで富士山をひと回りして、三島で結ぶことができたのです。」
そういえば本当に富士山の周りを一周してきました。
それに、浅間神社の真裏にはえびす様が祀られていて、えびす様は三島大社のご祭神です。
言われた意味はよくわからないのですが、何かがうまくいったようでした。


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4月4日
3月22日、高野山の遍照金剛空海(へんしょうこんごうくうかい)様が我が家へお越しになりました。
真言宗の空海さんです。
その日、注文していたアメジストの指輪が届きました。
「この指輪は空海さんなんですか。」と尋ねると
「いいえ、私からの贈り物です。」と言われました。
「すぐに霊障を受けて困っています。」
「そのあたりのメンテナンスからはじめましょう。」
その会話の感じはとても懐かしい…スサノオノ命がしてくれたように、あいまいさの少ない、長い会話も可能なクリアな感覚でした。
2月中旬から始まった豊受姫さんとのやり取りの中で霊的な感受性がとても強くなり、毎日スーパーへ行くたびに頭痛で苦しむようになっていたんですが、空海さんがいらしてから、人ごみが平気になりました。
2月以前よりもうんと楽になりました。
霊障を受けにくくなったことを考えると、何度も空海さんの「金剛」という名前を思い出します。
空海さんは、金剛のように私の鎧になってくれているんでしょうか。
「アメジストのネックレスを購入したいんですが、どう思われますか。」
「それではこれを差し上げましょう。」
アメジストの丸玉やビーズを使った、ちょっとかわいいネックレスを見せていただきました。
これから自分で作るつもりです。


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3月25日
きのうは表参道でシャガールを見て、上野でラファエロ、八重洲でルノワールを見ました。
最後のブリジストン美術館でルノワールを見た後、常設展示の部屋へ入ると古代文明の彫刻が並んでいました。
そこで私は始めて、シュメールの女性の石造を実物で見ることができました。
シュメールは世界最古の文明と言われていて、日本民族の発祥の地ではという説もあります。
学校ではメソポタミア文明として教わったと思いますが、同じメソポタミア地方のとても古い時代のものを、シュメール文明と言っているようです。
時代は紀元前24世紀と書いてあり、シュメール文明にしては新しい方です。
そんな古さを感じさせない、ついこの間誰かが製作したと言っても変でないと思えるような、きれいな彫刻でした。
こんな作品が存在するなんて、シュメールというのは本当に高度に発達した社会で、文明だと思いました。
この頃の日本は、縄文時代ですから…。
隣にはエジプトのセクメト神像が展示されていて、手を近づけるとぴりぴりしてくるのです。
暖かな波動でした。
ああ私はエジプトとは関係が悪くなさそうだと思いました。
私が日ごろから、世界中の古くて埋もれた神々に復活して欲しいと願っているからなのかもしれません。
本の写真で見るのは当たり前という感覚でしたが、本物を目にすると、知っていたはずなのにカルチャーショックを受けてしまいました。


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 3月10日
埼玉県、金讃神社(かなさなじんじゃ)宝登山神社(ほどさんじんじゃ)秩父神社へ参拝しました。
金讃神社(かなさなじんじゃ)と宝登山神社(ほどさんじんじゃ)はどちらもヤマトタケルノ命が東征の時に祀った神社です。
どちらの神社も、冷たい反応でした。
ヤマトタケルの東征というのは、大和朝廷によるアイヌ人、縄文人の征伐を目的とした遠征軍です。
しかし土地に祀られた神は、働きとして、やはり土地の人々の暮らしを守っていくものです。
私はヤマトタケルにご縁があるようなのですが、神社を創建した者の縁者として歓迎されるよりは、征服した者の縁者として先に良くないカルマが出されたようでした。
ここで、自分のカルマを謝ることができて、有難いと思います。
宝登山神社では、末社の稲荷神社で大変暖かく迎えていただきました。
お稲荷さんで特別に親切にされるということは、めずらしかったのですが
これも、2月から豊受姫命(とようけひめのみこと)との関係が親密になったからなのかもしれません。
豊受姫命は、稲荷の神でもあります。
埼玉県秩父市、秩父神社は、秩父の国の一の宮です。
ご祭神は八意思金命(やごころおもいかねのみこと)、天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)他ですが、もとは武甲山を信仰したもののようです。
それは、古事記や日本書紀の神よりも古いという意味です。
縄文の信仰は、古事記や日本書紀の神に名前を書き換えられたところが多いのです。
祈っていると、わけもなく泣けてきて、鹿の角がみえました。
理由はわからないのですが、とても相性がいいようです。
鹿の角というのは何のことかなと、由緒書きなどを読んでいたら、秩父には50万年前の旧石器時代の遺跡があり、小鹿坂遺跡と呼ばれていると書かれていました。
旧石器時代…?
どういったご縁なのかなあ…。
全国の一の宮へは以前に、自宅からですが、くり返し祈ってきたので、初めて参拝しても暖かく迎えらるところが多く、そのせいなのかもしれませんが。


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3月3日
千葉県の一の宮三ヶ所のうち二ヶ所を回りました。
まずは、上総の国の玉前神社(たまさきじんじゃ)、ご祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。
祈ってみると、堅い感じがしました。
境内を回っていると、立て札があり、領主の平広常が源頼朝に疑いをかけられて殺されたことが書いてあり、これのせいだなと思いました。
私には頼朝のカルマがよくかかってきます。
後でこのカルマを解消しておかなくてはいけません。
次に安房の国の一の宮、安房神社(あわじんじゃ)へ参拝しました。
上の宮のご祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)、下の宮には天富命(あめのとみのみこと。この土地の開拓者です。)が祀られています。
上の宮ではとてもいい感じで、玉串(たまぐし。榊の枝に御幣という、白い折り紙のような飾りをつけたもの)が見えました。
どういう意味かはわかりません。
下の宮ではさらにいい雰囲気で、また玉串が見えたので、神様に捧げる時のようにして、ひっくり返して差し出してみました。
すると、また玉串が見えました。
どうも、私が捧げられているようだという気がしました。
参拝後、境内を歩いているとぽつりぽつり、雨が降ってきました。
夫が先に気づきました。
ということは、夫が歓迎されているようでした。
夫の出身地は淡路島で、昔は阿波の国でした。
安房神社の神は…というよりは、安房神社の神の子孫は…四国の阿波の国からここへやってきて、この土地を「安房」と名づけたのです。
雨は5分くらいで止みました。
こういう雨は、神仏や霊の歓迎の表現です。
この日は晴れていて、雨が降ったのはこの5分間だけでした。

さて、3日はひなまつりでした。
一日で3333ナンバーの車を2台、見ました。
高速を走っていて、私が出口をカン違いした為、大急ぎで追い越し車線から走行車線に車線変更した直後、すぐ後ろを走っていた車がスピード違反でパトカーにサイレンを鳴らされていました。
間一髪…これも、ひなまつりのおかげかしらと思いました。
ひなまつりというのは、女性の日ですね。
神にも魂が男性の厳の御霊(いずのみたま)と、魂が女性の瑞の御霊(みずのみたま)という、大雑把な分け方があり、ひなまつりは瑞の御霊の日です。
この瑞の御霊の神の最高神が、豊受姫命(とようけひめのみこと)で、須佐之男命(すさのおのみこと)も、瑞の御霊です。
どちらの神様も、いつも仲良くしてくださいます。
だから、3日はよく守っていただけたんだなあと、感謝でした。


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 2月28日
2月10日の夜に籠神社(このじんじゃ)摂社、真名井神社(まないじんじゃ)へ参拝してから、私は毎日、自宅でも真名井神社へ祈っています。
ご祭神の豊受姫命(とようけひめのみこと)はいつも大喜びで迎えてくれます。
あまりの居心地の良さと、豊受さんの迎えてくれる雰囲気がまるで男女のデートのようで、何だか妙な感じと思いつつも、毎日の祈りが楽しくて仕方がなくなっていきました。
祈りをすすめていくうち、境内の天之御中主神を祀った岩磐(いわくら)で時間と空間に対する観念を変えるための瞑想をさせられたり、宝珠という、先のとがった玉をいただいたりと、毎夜のように受けるもの、いただくものが強烈で、連日波動調整が起きて、12時間くらい眠らなくてはいられず、軽い頭痛がしたりもしていました。
体調が思うようにならないので、波動調整とわかっていながらも何とかしたい気持になっていきました。
これ程の影響を受けるのは、はじめてだったのです。
お仕事が休みになると、毎週あちこちへ出かけたくなるのですが、波動調整中は特に行きたい場所もなくなってしまいました。
今考えると、どこへも行かずただ休んでいれば良かったんですが、いつもの習慣からか、休むということができない私でした。
そこで、この具合の悪さを何とかしてもらえたらと、永田町の日枝神社へ向かいました。
元は国常立尊(くにとこたちのみこと)から始まったことですから。
すると、「その役目は引き受けられない。」と、断られてしまいました。
「ここは江戸城鎮護の神である。徳川家の守護神でもある。
あなたの仕事とは働きが違っているのである。
あなたのことは加波山神社の神が始めたことなのだから、あちらの神にやっていただいてください。」
ショックでしたが、頭痛はとっていただけました。
これで、これから日枝神社ではなく、筑波の加波山神社へ時々通うことになりました。
それにしても、自分に都合の悪い話がこんなに上手に受けとれたことはあまりなかったので、これが豊受さんとの息合わせの成果かしらと、ちょっとうれしくなりました。
それに、私はもう波動調整の体調の悪さはあきらめる気持になりました。
2月26日、空の端から端までのびた雲を見ました。
一方の端からもう1本の筋ものびていて、雄雲と雌雲のようでした。
国常立尊と豊受姫命かな(この2柱は夫婦神でもあるようですから)と思ったりしました。
その後お仕事をしていると、何だか明るくておめでたい雰囲気が漂ってきます。
「おめでとう」と言われているようです。
いったい何なんだろうと不思議に思いました。
その夜、真名井神社へ祈ると、自分が黒い衣冠束帯のような衣装を身にまとい、豊受さんの左側に座っているのがわかりました。
瞬時に結婚の場面であることもわかりました。
しかも私は男性です。
これはさすがに受け入れるのが苦しいと感じ、心の中で「保留、保留〜!」と叫んでしまいました。
でもここに書いたということは、きっと受け入れられたんでしょうね。
これが国常立尊との息合わせの形だったんでしょうか。
そういえば、半年くらい前から出にくくなっていた声が、この数日出やすくなっていました。
以前の女性的で歌うような祝詞はあげられませんが、男性的な声で大きく透るようになってきています。
…昨日も今日も波動調整で寝てばかりいます。

今日になって思い出したことがあります。
私の高校時代からの友人に、度会(わたらい)さんという人がいて、伊勢の外宮の宮司家にご縁の方のようです。
伊勢の外宮のご祭神は豊受姫命です。
昔、この度会さんたちは、外宮の神は国常立尊と同体であるから、天照大神を祀る内宮よりも格が上なのだと主張したことがあり、度会神道と呼ばれています。
私は伊勢の外宮で特に良い反応をいただいたことはありません。
だから、この度会さんとのご縁は何なのだろうと、何度も考えたことがあったのですが、きっと何か大切なご縁があったんですね。
もうひとつ思い出したことがあります。
私がはじめて天照大神の波動を経験した時に、ああ、あの人と同じだと感じた人がいて、その女性は私が度会さんと同じクラスだった時の担任の先生でした。
今になってやっと、隠れていた問題の近くまでやってきたような気がします。
それ以上のことはまだ、さっぱりわからないんですが!


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2月11日
京都市の西、愛宕山の愛宕神社(あたごじんじゃ)へ参拝しました。
ご祭神は稚産日命(わかむすひのみこと)、迦遇槌命(かぐつちのみこと)他。
火伏せの神で、修験の山でもあります。
私はいつも水の神にご守護をいただいていますが、火の神や雷の神もとても相性が良く、実はこちらの方が自分の本来の姿に近い気がしています。
それで愛宕神社は私にとっては特別な愛着を感じる場所です。
自分自身と性質が似ているため、表立ってはご守護をいただけませんが(守護というのは、異質のものができることのようです)、思い出に残る愛情表現をこれまでいくつもいただきました。
さて、愛宕の山は片道1時間40分ほどの登山です。
山の中腹までは、口の中がヌルヌルして、のどにもからんで気持が悪く、頭痛もしてきました。
お茶でうがいをしても、すぐにだめになります。
参拝目的でなく、ハイキングのために登る人たちの想念やカルマで、山が霊的に汚れているように思えました。
それで、身を守る為に呪文を唱えることにしました。
山では「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」かしらと思いましたが、普段使い慣れないせいか、効き目がありません。
やはり私はこれです。「ひと、ふた、み、よ…」
唱え始めると、口とのどの調子が良くなりました。
本殿での参拝はすがすがしくて、いい気持でした。
目的の若宮(雷神と迦遇槌命はここに祀られています。)ですが、えええ〜〜の無反応。
ところが、奥宮で合わせた手の指先に火を灯されるのがわかりました。
奥宮にいてくださったみたいです。
台所に欲しかった「火の用心」の呪符をいただきました。
京都の飲食店の厨房などで、よく見かけるものです。
どうもこれがないと、ウチの台所という感じがしないんですよね。
参拝者用休憩所には焚き火があり、あたっていると頭痛が治りました。
火の神のカグツチさんが、清めてくださったんだなと思いました。
参拝でパワーをいただいたので、下山は元気はつらつ、休憩なしでひょいひょいと、降りていきました。


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2月11日
2月11日の朝食に、私はコンビニでお赤飯のおにぎりを買って食べました。
お赤飯を食べることなんて、年に1度あるかないか位なのに、珍しいことをするなあと思いながら選んでいました。
食べながら車を運転していると、国旗をつけて走っている車がありました。
それで「今日は建国記念日」ということに気づき、ああ私も建国記念日を祝ってるんだなあと思いました。
建国記念日とは、神武天皇が即位した日、すなわち大和朝廷が誕生した日です。
大和朝廷が日本という国を統一し、広げていく過程では、先住民との多くの葛藤がくりかえされました。
先住民というと何かよその国の人のことのようですが、それは私達皆のことです。
大和朝廷と神武天皇は、外国人だからです。
といっても、昔は外国人がほとんど自由に往来し、住みつき、混血していたわけですから、大和朝廷(天皇家)だけが外国人というわけではないのですが。
私自身はどちらかというと、アウトサイダー的で反骨精神で生きていくようなタイプなので、自分が建国記念日を祝ったということには、少し驚きを感じました。
支配した天皇家、支配された日本民族…その代わりに天皇家は日本民族の神(国津神※)を大切に祀ります。
またその代わりに国津神は天皇家を守護しています。
それでいいんでしょうか、これでうまくいっているということなんでしょうか。
考えると、複雑な気持になってきます。
でも、私は自分の知らない間に建国記念日を祝っていました。

※ 日本民族の神は、国津神(くにつかみ)と呼ばれ、大国主命(おおくに
ぬしのみこと、大黒様です)、事代主命(ことしろぬしのみこと、えびす様の
ことです)、大山津見命(おおやまづみのみこと)などです。
国津神に対して、外国からやってきた大和朝廷や天皇家にゆかりの神は天津神(あまつかみ)と呼ばれています。


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2月10日
丹後の国、籠神社(このじんじゃ)へ参拝しました。
丹後の国の一の宮です。
ここは昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)が奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)から出て、各地を転々とした後で、最終的に伊勢に鎮座されたのですが、その途中でここ天橋立の北側にも鎮座されたことがあるということで、元伊勢と呼ばれています。
ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)です。
出発の4日前、夜ふとんの中で眠りかけた時、身長40〜50センチくらいの女性がイメージの中に現れました。
女性は、今回の旅行の目的は、籠神社の摂社(関連神社)である「真名井神社」(まないじんじゃ)であることと、真名井神社に参拝したら、本殿裏の「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」にも必ず参拝するようにと、教えてくれました。
私は今回の旅行では、籠神社の後で参拝した山城の国の愛宕神社(あたごじんじゃ)を第一の目的に考えていましたから、気持の上で方向修正をすることになりました。
出発前日の夜には、いつものように鶴岡八幡宮へ祈っていると、15センチ位の透明な玉を渡されて、真名井神社へ持っていくように言われました。
さて、籠神社へ着いたのは夜でした。
参拝しても冷たい感じです。
その後、近くの真名井神社へ参拝しました。
真っ暗だったらどうしようと心配しましたが、灯りが灯されていて安心しました。
ご祭神は豊受姫命(とようけひめのみこと)、国常立尊の女性版ということで、これも国常立尊との息合わせにちがいありません。
境内は恐ろしいくらいの神気が満ち満ちています。
これは、丹波丹後に独特の雰囲気で、奈良京都よりもはるかに古い、太古の時代へタイムトリップしたような感覚になります。
いつ訪れても丹後の国はこの大迫力で迎えてくれます。
このものすごさが真名井神社だけでないというところがまた、素晴らしいのです。
この感じを最近私が凝っている天然石で例えさせてもらうとすると、他の場所はアクセサリー、丹波丹後は原石というような違いを感じます。
え、わかりにくい…では、押し花と生花、とか。写真と実物とか。
古代世界というのは、もしかしたらどこでもこんな風だったんでしょうか。
どこでもというほどでなくても、今の神社の数ほどこんな場所があったとしたら…これが本来の世界なのなら、今の地球は瀕死だと、言いたくなります。
ただ、土地には相性というのが強く出ますから、ただ単に丹波丹後が私にとっては最高に相性が良いということなのかもしれないんですが。
参拝では、祝詞もそこそこに両手がすうっと動き始めます。
そして両手のひらに玉を置かれました。
玉の下の方に金の龍がいて、台になっています。
この意味が理解できず、情けなくも頭が真っ白になってしまいました。
何か言いたいのですが、どう反応していいのかわからず、何も言えません。
雰囲気は和やかで、暖かくて、どこかおめでたいムードが漂っています。
ピンク色の衣装の女性や、巫女さんなど数人の女性達がいることがわかります。
その時鶴岡八幡宮から預かった玉を思い出して、差し出しました。
ところが、先方からの反応がなくて、これまたどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。
とっても気持はいいのですが、意味がわからずもどかしいまま、参拝は終りました。
参拝後、あの小さな女性に教わった通り、本殿裏の天之御中主神に参拝すると、老婆の姿を感じました。
女性の長老のようで、敬愛の気持と、どこか自分と似ている感じがして不思議な気持になりました。
天之御中主神を自分の感覚ではっきりと感じたのは、初めてのことでした。
この印象は忘れられないものになりそうな気がします。
国常立尊は天之御中主神が体現した姿ということですから、これも国常立尊との息合わせと言えそうです。
籠神社と真名井神社へ参拝した後、考えているとだんだん、いただいた玉は、鶴岡八幡宮の玉で、自分が持っていったものだとわかってきました。
わざわざ差し出す必要などなかったのです。
あの玉は私の魂のようなものだと思いました。
その玉に、豊受さんが台をつけてくれたのでした。
台というのは何でしょう…守護…息合わせということでしょうか。
けれど何であの玉を、鶴岡八幡宮から渡されたんでしょうか。
鶴岡八幡宮が私の魂を管理していてくれていたということ?
仲良しの江ノ島神社ではなくて?
知らなかった…やっぱり私は源氏として動いているということなのかなあ…。
次の日の朝、籠神社に参拝しなおしましたら、とてもいい感じになりました。
朝だからかな?
それとも、真名井神社を先に参拝した方が良かったということなんでしょうか。
勉強家の先代の宮司さんの著書と、水晶玉のお守りをいただきました。
満腹という感じの参拝でした。
もう日枝神社へは行く必要はないかもしれせん…どうでしょう、考えます。


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 2月4日
鎌倉の建長寺(けんちょうじ)へ参拝しました。
ここは臨済宗(りんざいしゅう。禅宗です。)のお寺で、鎌倉五山と言って鎌倉の大きな禅寺のランクがあるのですが、その1番のお寺です。
ご本尊はお地蔵様。
明治神宮でお地蔵様の仏像を霊視させていただいたので、参拝してみました。
祈ってみても、特に反応はありません。
どうも、ここのお地蔵様とは関係がなさそうです。

ついでに、前から来たかった円応寺(えんのうじ)へも参拝しました。
ちょうど建長寺の向かいにあります。
ご本尊は閻魔大王で、大好きなお寺です。
去年いただいた閻魔様のお姿(絵)が古くなったので、お返しして新しい物をいただきに来ました。
そこで気がつきました。
閻魔大王は、お地蔵様の化身だということに。
堂内にはお地蔵様の仏像もあります。
知らないままにうまく、目的の、私と相性の良いお地蔵様にお参りすることができました。
うーん、うまく運ぶなあと思っていて、さらに気づきました。
お地蔵様は大地の仏様で、神道の豊受姫(とようけひめ)という、大地と穀物の女神と同体という考え方があります。
豊受姫はまた、大地と地球を司る国常立尊の女性形という考え方があります。
ということは、お地蔵様は国常立尊と同体ということになります。
これでお話の辻つまが合って来ました。
明治神宮へ参拝する数時間前に、私は永田町の日枝神社に参拝をして、国常立尊との息合わせの2度目の参拝を済ませていたんです。
国常立尊と息を合わせていくということは、まずお地蔵様との息合わせから入っていくのかもしれません。
ああ…でも、前回も書きましたが、私はお地蔵様のように大地的な女性らしさというのが苦手なのです…。
それでも、なりゆきにまかせていくしかないんですね…。


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2月3日
東京の神田明神へ参拝しました。
ご祭神は平将門(たいらのまさかど)大己貴命(おおなむちのみこと。大国主命や大国様と同じです)、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
平将門という人は、朝廷や藤原氏の政治に反旗をひるがえした武士の走りのような人でしたが、逆臣として滅ぼされました。
けれど、関東での人気は高く、一種のヒーローのように祀られてきました。
天皇家にご縁の方や、藤原系の方にはカルマの深い相手です。
神田明神へ向かう途中、ふと将門首塚を見つけたので、参拝しました。
お経を読むのがとてもいい感じで、もっと長くいたい気持でした。
神田明神では以前、地面にクロスして刺さっている2本の矢を霊視したことがありました。
和平の意志を現したものとして、将門の人間的な大きさを感じさせられました。
今回も境内にいるのが気持ちよく、日向ぼっこでもしていたいようでした。

そのあと、明治神宮へ参拝しました。
ご祭神は明治天皇です。
祈り始めるとピンク色の愛らしい、つやつやした蓮の花が見えてきました。
その上に白い衣装の仏様がちょこんと立っています。
ええ、どの仏様なのかなあと思っていると、お地蔵様だということがわかってきました。
高さ40センチくらいです。
その蓮の花に乗ったお地蔵様を、両手の上に載せられました。
仏像にしてはあまりに生々しい、うっとりするような鮮やかさでした。
「どうしてお地蔵様なんですか」
私の中に生まれてくるもの…ということのようでした。
お地蔵様のようにして、たくさんの人に接してくださいというような気持が伝わってきました。
お地蔵様は大地のような女性的な愛で、子供や地獄に落ちた人でも救っていくという仏様です。
私は実は内面が男性的なので、苦手を指摘されたような気持になりました。
明治天皇とのコミュニケーションが暖かくて気持ちよく、キレイな仏像までいただいて、ちょっと興奮状態になってしまいました。
それにしても、なぜここで仏像?うーん…。

ところで私は節分の今日、波動調整(霊的な組織変化が起こり、体調がくずれます)で、頭痛がしていました。
節分は神界のお正月ですから、古い殻を捨てて、新しく生まれ変わるんですね。
お電話やメールのご相談を受けていると、皆さんそれぞれに体や精神に変調を起こされていたようですが、波動調整ですからご心配なく…。


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 1月28日
この週末は、関東地方にも雪がまだ少し残り、遠出ができなかったので、近くの相模の国一ノ宮、寒川神社と鎌倉の鶴岡八幡宮へ参拝しました。
寒川神社のご祭神は寒川彦命(さむかわひこのみこと)寒川姫命(さむかわひめのみこと)です。
ここは、一ノ宮といって昔この国で最有力の神社とされた所です。
ですから今でも、一ノ宮で祈ったり謝ったりすると、その国全体について祈ったり謝ったりしたことになります。
雰囲気としてはどこの国の一ノ宮も、古くて威厳がありながらも民衆とひろくつながった、何となくお役所のようなムードが漂っています。
今回は関東の清めとしての参拝で、また、夫は神奈川県には長く住んでいましたが、初めての一ノ宮へのあいさつになります。
祈っていると赤いリボンが見えてきました。
何かを結んでいるようでしたが、何を結んでいるのかはわかりませんでした。
祈り終えると、寒川神社でははじめてお守りをいただきたくなって、赤い布のお守りをいただきました。
参拝で神様と心が通うと、お守りをいただきたくて仕方がなくなってしまいます。
私はあちこちの神社へでかけるので、気持にまかせてお守りをいただいているとまるでお守りコレクターになってしまうので、ガマンするようにしているんですが、またいただいてしまいました…。

次に鶴岡八幡宮に参拝しました。
ここも今回は関東の清めのためと、新年のごあいさつです。
祈っていると女神様が現れてくださいました。
十二単の華やかな衣装です。
また今日も女神様だと感心しました。
八幡神は女神様?
戦の神なのに?
銀色にぴかぴか光る鉾をいただきました。
先ほど寒川神社でいただいた、赤いリボンで飾られています。
「こういう刃物が(いただきもので)多いんですが、どうしたらいいんですか。」
すると、これで切るのですと伝わってきます。
「何を?」
もう教えてくれません。
自分で考えなくてはいけないようでした。
霊障などから身を守ってくださるとか…?
何事もなくいい雰囲気で参拝が済ませられたと思いながら帰る途中、海沿いの道が渋滞しているようだったので、抜け道へ入ろうとして、入る道を間違えてとても狭い道へ迷い込んでしまいました。
車のハンドルを切り返し、切り返し、ドアミラーをぶつけただけで何とか元の道へ戻ることができました。
「やっぱり、鎌倉はおまけがつくね。」
今回は夫にとって、初めての鶴岡八幡宮でした。
この分では夫にも何か鎌倉へのカルマがありそうだと思いました。


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 1月23日
数日前の、お電話でのご相談者の方のお話です。
この方は私のところでの祈りをはじめられてから、半年ほどになります。
この時は、祈り方や、現在問題になっていることについての考え方などをお話していました。
お話も大体終わりに近づいた頃、彼女が「これからも神仏に思いをよせながら、がんばっていきたいと思っています。」というようなことを話していた時、私の部屋の天井あたりでパシッ、ピシッと音が鳴りました。
「あ、今こっちでラップが鳴りましたよ。」
「えっ、それはどういうことですか。」
「今言ったことを、(神が)喜んでくれてるんですよ。」
「えーっ、さっきから家でも何だかしらないけどパシッて音が鳴ってて、誰か来たのかなと思って振り向いたりしてたんですよ!」
彼女はこの日、他の祈っている人たちには見えたり聞こえたりいろいろなことが起こるのに、自分には何も起こらないということも話していました。
「ほら、ちゃんとしるしが起こってるのに気がついてないだけの人が、多いんですよね。」
「わーうれしい、なんだか元気が出てきました。」
神仏というのは、真剣に祈る人には感謝やねぎらいや勇気づけを、なんとかして伝えたいと思っているようです。
さわやかな風や、雲間からの日差しや、鳥の鳴き声や、ぽかぽかした感じなどあらゆる方法を使って優しい気持ちを伝えようとしてくれます。
身の回りの偶然のような事に対して感受性を働かせて、神仏からの気持を感じとれるようになれると、日常が思っていたよりももっと生き生きしたものだったことに気づかれると思います。
そのことが、自分自身が生き生きと過ごすことにもつながっていくんだと思います。


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1月20日
東京都千代田区永田町の日枝神社(ひえじんじゃ)に参拝しました。
ご祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、相殿に国常立尊(くにとこたちのみこと)、イザナミノ命、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)です。
関東のきよめという目的がひとつ。
ここは皇居と国会議事堂の鎮守にあたり、日本の中枢のきよめにもなります。
もう一つの目的は、国常立尊との息を合わせていくために、通う神社をどこにしようかと思っていて、ここ、日枝神社を思いつきました。
一年間、毎月参拝します。
もともと大好きな神社なので、今日の参拝を楽しみにしていました。
すると2〜3日前、自宅で氷川神社へ祈っていると、金色の巻物をいただきました。
巻物の3ヶ所が、金色のひもで結ばれていく様子も見えました。
これは何?何が書いてあるんだろうと考えていると、これは氷川神社のスサノオノ命が日枝神社の国常立尊あてに私をよろしくお願いしますと書いてくれた、紹介状のようなものだと理解でき、感謝感激でした。
さて、今日の私は巻物のことなど、すっかり忘れていましたが、結婚式にはちあわせ、大太鼓の音をバックにハイテンションな気分で祈りました。
国常さんとの息合わせに、結縁の儀式…いい感じです。
天井から金色の玉か、泡のようなものがたくさん降ってくるのが霊視できました。
参拝後、気分爽快でした。
社務所をのぞいてみると、前に加波山神社で見せていただいた土鈴に良く似たものを見つけたので、いただきました。
干支の鈴でしたが、これから一年間通うので、ちょうどいいと思いました。
加波山神社で国常さんに言われたように、帰ってから高い所に飾りました。


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 1月13日
熱海の伊豆山神社(いずさんじんじゃ)へ参拝しました。
ご祭神は火産巣日命(ほむすびのみこと。火の神です)、イザナギノ命、イザナミノ命、目的は関東のきよめです。
ここは、箱根神社、三島大社と共に源頼朝はじめ、武家の信仰を集めました。
参拝していると、例によって三方に何か載せられて目の前に差し出されました。
見ると、お雑煮でした。
そうとわかったとたん、暖かな感動で胸がいっぱいになりました。
剣や、鈴や、石などではなかった…。
親しみと心のこもった、なごやかなもてなしでした。
神様の雰囲気も伝わってきます。
まったく気取らない、猟師か農民風の、村のおじさんといった感じでした。
でも、どこか気品もあるのです。
あつあつのお雑煮を、心の中にいただきました。
なんという素敵なことをしてくださるんでしょうか。
その後見学した宝物館には、さきほど霊視できた神様と似た神像が、飾られていました。


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 1月6日
伊豆の修禅寺に参拝しました。
目的は修禅寺というよりも、源頼家(みなもとのよりいえ。頼朝の子で、2代将軍。北条一族に滅ぼされました。)と源憲頼(みなもとののりより。頼朝の弟。頼朝に殺されました。)のお墓参りでした。
関東の清めのひとつです。
ご本尊は大日如来。
頼家と憲頼は2人とも政治上の理由で修禅寺に幽閉され、殺されました。
源氏の悲劇をご本尊は暖かく見守ってくれている様子でした。
頼家のお墓では静かに喜んでくれているようでした。
お経が心地よく、いつまでもそこにいたい気持でした。
憲頼の墓参は少し冷たい感じでした。

伊豆は、源頼朝が少年時代に京都で平氏に囚われてから約20年程、流人として生活していたところです。
頼朝も年頃になると恋愛を経験しました。
初恋の人は伊東八重姫(いとうやえひめ)という女性でした。
八重姫の父が京都に奉公していた3年間に、2人は結ばれ、男の子も生まれました。
けれど、京都から帰った父は、この結婚を許しませんでした。
そのころは平氏の全盛時代で、流人の頼朝との仲などとんでもなかったわけです。
子供(千鶴丸、せんつるまる、またはちづるまる)は殺され、頼朝まで殺されかけました。
八重姫は他へ嫁がされました。
しかしある日、八重姫は住まいを抜け出し、夜の闇を頼朝のもとへ走りました。
ところが頼朝にはすでに北条家の娘、政子との関係ができていたのです。
行き場をなくした八重姫は川に身を投げて亡くなりました。
この時殺された千鶴丸が生きていたというのが、伝承となっています。
それが本当なら、この千鶴丸と八重姫が私の先祖なのかもしれないということなんですが、歴史家は否定しています。
けれど、私には八重姫がとても強くかかるので、私自身が八重姫だという人もいます。
八重姫をまつった真珠院にも、参拝しました。
お経を読んでいると、涙が流れました。
祈っている時の涙は、相手が喜んでくれているのです。
なぜそんなによろこんでくれるんでしょうか、私が八重姫だから?
私の先祖だから?
本当のことはわかりませんが、なぜか心が合ってしまいます。


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 1月1日
淡路島のイザナギ神宮へ初詣をしました。
ご祭神はイザナギノ命です。
多賀大社、都久生須麻神社、筑波山神社と続いた結婚参拝の最後でした。
神社へ向かう時の空は雲の間から陽がさして、神々しい美しさでした。
歓迎していただけるのかと思っていたら、冷たい感じの反応でした。
それでも紺と金の舞姫のような衣装をいただきました。
吉凶混合の相性なのかもしれません。
私はこの参拝の直前から、トイレが近くなりました。
夫は旅行へ出かける前の日に、転んだバイクを起こそうとして、腰を痛めました。
トイレや腰というのは、色情のカルマが出るところで、色情のカルマは誰にでも多かれ少なかれあるものです。
ずっと男女の性愛にまつわる神社ばかり回っていて、とどめの淡路島ですから当然なんでしょうが、いつまでつづくのかなあ…。

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