■■■ 占いや、霊的なことをお話します・2002年の日記■■■



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 12月31日「江ノ島神社・寒川神社」

大晦日は江ノ島神社へ、1年のお礼参りに行きました。新しいお札をいただいて、古いお札やお守りを納めてきました。

辺津宮(湍津姫命)、中津宮(市杵島姫命)、奥津宮(多紀理姫命)では、これといった反応はありませんでした。

4番目の竜宮社が、やっぱりいつも一番神気が濃密で、心の中での対話が始まりました。お供え物に一番気合が入っている気がするのも、皆さん同じことを感じられているんだろうなと思います。

最近少し考えたり迷ったりしていたことを尋ねて、答えをいただきました。尋ねたいことはたくさんあったので、いくつも教えていただきました。こういう感じって、須佐之男さんの感じなんです。今まで、ここでは一度も女神様の雰囲気を感じたことはありません。竜宮社の龍神様って、須佐之男命じゃないのかなあ。

竜宮社のお参りで、気持ちはうるうる、ごきげんになりました。

一度帰宅して、煮しめを作ったりしておせち料理の準備をしてから、今度は一宮の寒川神社へ参拝しました。

夕方の寒川神社では、初詣の準備でお店がずらり。境内の灯篭にも明かりが灯されて、暖かな気持ちで参拝できました。ここでも、古いお守りなどを納めました。

2002年最後の参拝は、どちらの神社でも清々しいエネルギーをいただいて、素晴らしい幕引きとなりました。




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 12月19日「結婚記念日」

私事ですが、12月12日は再婚の夫との結婚記念日でした。再婚して2年になりました。でも、とーっくにもう離婚しています。書類上の離婚をして、そのまま一緒に暮らしています。文面では一応、夫と呼んでいますが。

結婚をして、夫の家の位牌を作り、夫の家の人間として、今まで通り先祖供養をはじめてみると、なんと怒りの気持ちが出てきました。結婚前は、夫の家の供養をすることに関して何とも思わず、やってあげようと思っていましたが、始めてみるとだめなんですね。

たぶん、先祖同士の葛藤を感じているんです。私の先祖から、夫の先祖への反感なんでしょう。それで、前夫の先祖のことを思い出しました。

嫁として前夫の家のカルマを受け、両家のカルマを浄化して供養もしたことを思い出すと、今からまた別の家とのカルマに巻き込まれ、同じことを繰り返すのはもうごめんだと思いました。そんなことをしていたら、他の仕事や用事をする暇がなくなってしまいます。

どこかよその家の人間にまたなるというのも、初婚ではものめずらしくてできましたが、2度もなりきれません。

第一、私はこの人と一緒にいたいから一緒にいるだけで、家と家の契約を結びたいから一緒にいるわけではありません。

それで結婚後約3ヶ月ほどで、私はまた旧姓にもどったのでした。今の夫とは内縁、同棲、事実婚の関係です。いつかこの人と別れ、別の人との生活が始まっても、もう結婚をすることはないと思います。

結婚していない緊張感は、結構いいものです。いつも恋人ですからね。いつでもすぐに別れられるとも思いながら生活しています。安定を望まず、束縛が嫌いな私にはちょうどいい形みたいです。

結婚のカルマを受けて乗り越えるのではなく、こうして放棄する方法もあります。でも、初婚にはふさわしくないでしょうね。。。



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 12月13日「須佐之男命」

前世療法ができるようになって以来、自分の前世を見ることにもよくトライしています。けれど、相変わらずすぐに眠ってしまったり、他のことを考えてしまったりと、誰かが誘導してくれたら30分ぐらいで見られるものが、自分で見ると、毎日がんばったとしても2週間はかかるようなスローペースです。

それでも結構、飽きてしまわずにやっています。半分は、早く眠るためかもしれません。だって本当に、すぐに眠ってしまうんです。

そして昨日も、12年間、どうしても気になっていることを見ようとしていました。すると、今回ばかりはなぜか、眠ってしまわずに長時間見ることができました。私が見たのは、須佐之男命との関係です。

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私はブロンドの白人女性で、マギーという名でした。仕事はパイロットで、どこか見知らぬ建物に招かれています。案内されるままに廊下を歩き、開かれたドアの中に入ると、驚きと身の危険を感じて、全てが終わりました。

「すまなかった」という声が聞こえています。それは須佐之男命の声のようで、私を殺したのが、須佐之男命に関係のある者だったようです。場所はアメリカで、未来世のようでした。私は希望に満ちていたのに、本当に残念でした。

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別の前世で、私はまた白人女性なのか、とても白い体と白くて長い髪をしています。裸で、野外のお風呂に入っています。

私には肉体のない夫がいて、体の交渉なしに、彼の子供を宿して生みました。夫は、須佐之男命でした。

時代を考えると、変な気持ちになって全然わかりませんでした。地球ではないのかもしれせん。

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また別の前世では、私は水の中で泳いでいました。薄暗い水面を跳ねてはもぐります。私の体はたぶん流線型かとても長く、人間ではありません。周りに、同じような仲間がたくさんいます。

自分が、ある中心の一部であることを、自覚しています。その中心は、須佐之男命です。私たちは須佐之男命の子供たちで、分霊でした。

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また別の前世では、肉体がありませんでした。自分の中心(須佐之男命)へのコンタクトはすぐにとれて、須佐之男命になって感じたり考えたりすることができます。

それからまた自由に、末端としての自分になって感じたり考えたりもできます。他の末端になって、誰かの感じを感じたり、学んだりもできます。

宇宙は最初に思いました。何かの理想を考えました。それが、アカシックレコードです。その理想の通りに瞬時に多くの次元ができました。宇宙が考えた存在の中のひとりに、須佐之男命がいました。須佐之男命は、宇宙の希望で生まれました。この宇宙は、宇宙の思いつきです。

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他のことは本当に亀の歩みで、なかなか進まないのに、今回はするすると見えました。私の中で、準備は万端整っていたということなんでしょうか。

須佐之男命と自分の関係については、感覚的にははじめからわかっていたことなので、大きな驚きはありませんが、こういったちょっと不十分であろう形ででも、確認ができたことは、うれしいことでした。



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 12月7日「川崎大師」
川崎大師へ参拝しました。ご本尊は空海さんです。

雨が降っていて寒かったのですが、本堂へ入ると、ちょうど良い感じでした。祈祷がちょうど終わったところで、ざわざわしていたので、遠慮なくお経を唱え始めました。

般若心経の2回目を唱えていると、涙が・・・。空海さんに祈っていて、涙は初めてでした。顔を上げると、ご本尊の姿絵がありました。とても古いものらしく、色や輪郭がはっきりしていませんが、静かな空海さんの性質が伺われる姿絵でした。

涙を流すと、頭の中が真っ白になります。いつもそこであれこれ尋ねれば良かったのにと思うんですが、何も考えられません。だから今回も、もういいやと思いました。

1年半前、空海さんとのご縁があり、そのしるしにアメジストの指輪とネックレスをいただきました。ネックレスは、霊視したものをモデルに、自分で作りました。

それ以来その指輪とネックレスは、私にとって最も頼れる道具になりました。ネックレスは1年以上放ってあったんですが、使い始めると、他のどれよりも頼りになりました。

この1年半は、この指輪とネックレスをつけていない時でも、それ以前の自分と比べると霊障を受けることが格段に少なく、本当に快適でした。

空海さんが、私の鎧兜になってくれたことは最初からわかっていましたが、私は大して感謝もせず、どうせそのうち消えてなくなるだろうと思っていました。

それが何ヶ月たっても、半年たっても変わらないことがわかってくると、空海さんて、本当に真面目だなあと思いました。そんな気持ちを向けても、空海さんはいつもだまっていました。何も言わず、ただ態度で示したいことがあるんだなと感じていました。

1年たっても、こちらからはろくに大事にしないのに、空海さんはしっかり守ってくれていました。一応感謝はしていますが、他の神の名は呼んでも、空海さんを呼んで感謝することはありませんでした。

1年半たち、私が一番信頼する石は、やはりあの指輪とネックレスになっていることや、変わらない守護を感じるので、こんなばちあたりな私も、どこかに感謝の参拝をしたくなりました。高野山は遠いので、近場で大きな、川崎大師にさせてもらうことにしました。

これまで空海さんには、なぜか素直になれず反抗的な気持ちになりがちでしたが、今回ばかりは、日ごろの感謝の気持ちだけで祈りました。涙が流れてきた時、「初めて気持ちを開いた・・・」と声が響きました。

空海さんとのご縁は、考えてみれば良くないことだらけでした。前夫の家が真言宗だったので、私は前夫の家の宗派で先祖供養をしましたが、それが心の奥深くに、真言宗への嫌な印象を持つことになりました。

「俺はすごい人間なんだよ」が口癖の先輩は、真言宗好きでした。それもまた、真言宗へのマイナスイメージを強くする原因になりました。

空海さんが守護を始めてくれることになったきっかけも、低レベルの空海さんからの妨害を受けた直後だったので、空海さんへの印象はもう最悪でした。

空海さんを大嫌いになりかけていたところに、これはいけないということか、私のためにも良くないということだったんでしょうが、空海さんとのご縁が始まったんでした。

しばらく泣いていて、祈りが終わり、また顔を上げて姿絵を見ようと思ったら、姿絵の扉が閉められていました。祈っている時だけ、ちゃんと見せてくれたんですね・・・。有難くて、また泣けてきました。

歓迎されている時にはいつも、特別なことが起こります。空海さん相手に、そんなことが起ころうとは、思ってもいませんでした。

本堂から出ると、夫が外にいて「寒かった」と言いました。心を込めて祈る人はちっとも寒くなくぽかぽかで、気持ちの入らない人は本堂の中にも入らないので、寒くて震えていたわけでした。当然ですよねえ。



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 12月1日「伊勢山皇太神宮」
夜のドライブの目的地に、門がなくて明るい神社はなかったかと考えてみたら、横浜の伊勢山皇太神宮を思い出しました。門があるところは、夜は閉めますかね。

思いつくともう、頭の中は豊受姫さんのことばかり。主祭神は天照大神だと思いますが、天照さんのことはすっかり忘れていて、気がついたのは帰ってきてからでした。我ながら驚いて、おかしくなってしまいました。

伊勢山皇太神宮は、横浜の総鎮守です。私は横浜はちょっと苦手な感じがするので、はじめて参拝した時は、恐る恐るでした。ところが、とってもいい感じで、お気に入りになりました。横浜で一番好きな場所のひとつです。

夜だったけれど、駐車場は開いていました。開放的な神社!参拝をすると、女神様がにこにこと迎えてくれているようでした。当然、豊受姫さんだと思っていました。

ふり返ると横浜のシンボル、ランドマークが目の前に。ランドマークを建てる時には、ここの宮司さんが地鎮祭をしたんだろうな、ランドマークもみなとみらい地区も、みんな伊勢山皇太神宮の神が守っているんだなと思いました。

大きな町には必ず、立派な神社があります。そう思うと、神の働きがうれしくなりました。




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 11月27日「前世療法セラピスト養成講座・修了」
先週末の3日間は、前世療法の上級コースを受けてきました。上級に出ている人は40〜50人ぐらいで、基礎の時に比べると人数が少なくなって雰囲気が楽になりました。

1日目はカエタノさんの軽い誘導がありました。今生でいちばん素晴らしかった体験へ戻るんですが、私は夫との再会の場面へ行きました。スサノオさんじゃないの?と思いながら、まあいいやと、そこへ。すると、普通に思い出すよりも、鮮明に思い出せるんですね、これが。

それから、前世療法で取り組んでいくべきものを見つける手法を、教わりました。私はこれまで私がやってきたこと(祈り)と新しいもの(前世療法)の統合への不安感を、テーマとして見つけました。

他の人たちと同じように、人間関係などをテーマにしても良かったんですが、上級になってくるともう、今までみたいに周りの人に合わせてばかりというのも終わりにして、本心を出したくなったので本当に興味のあるものにしました。


そこまでで1日目が終わったんですが、私は次の日が待ちきれなくて、その日の夜のうちにふとんの中で、自分で前世を見ました。

その転生は、日本の山の中でした。白い浴衣のような着物を着て、蓑かさをかぶり、お地蔵さんが持っているような錫杖(しゃくじょう)をついていました。

私は女性で、周りにも同じような女性がたくさんいます。一緒に旅をしているようです。場所は「女人高野」で、私はお寺に頼んで修行をさせてもらっています。名前は「さえさん」か「たえさん」と呼ばれています。

ここまで見るのに、何度も眠ってしまったり、気がつくと他のことを考えていたりしました。見たものに対しても、「それで何なんだ」とよくわからず、他の転生に行ってみることにしましたが、本来はもっとここでつきつめていくべ
きでした。自分でやっていると、頭がぼんやりしているので、冷静に進めていくことがとても難しいようでした。

別の転生は色の黒い、やせた男性で、服もほとんど着ていません。海辺で、素朴な村があります。村では何かの儀式があり、男性たちが太鼓のリズムに合わせて踊っています。私も当然のように、そこに参加しています。

これを見るのにも眠ったり、考え事をしたりで大変でした。この前世を見てもまだ不満だった私は、よし、未来を見てみようと思いました。

少し未来の、今生の自分が見えてきました。場所は実家。将来、実家に住むことはないと思っていますが、どういうわけかわかりません。その時の自分は、何か自分のやるべきことについて迷っていたり、困っていたりしている様子はありませんでした。それで安心して、もういいと思いました。

ひとりでも前世を見ることはできますが、きちんと進めていくには、誰かが誘導してくれた方が良さそうです。せっかく前世に入っても、有意義な理解を得ないまま出てくることになりやすいと思いました。

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2日目に、受講生同志でのワークがありました。そこで見えてきたのは、昨夜見たのと同じ場所でした。時代は江戸時代ごろ。地名を知ろうとしましたが、「かつやま」「かぐやま」「わかやま」などで、よくわかりませんでした。名前は「みさ」になりました。服装は同じです。

私は20才代で、皆と一緒に滝に入っています。滝から出ると、もどしてしまいました。それに対し指導者が、だらしがないという風な態度を見せました。

また他の場面で、建物の中で不動明王に祈っていました。そこは私の大好きな場所のようで、ひとりきりで祈って幸せを感じています。ろうそくの明かりが暖かく心にしみ入ります。お不動さんの暖かい気持ちを感じて、涙が出てきました。

私は、奈良の自宅で亡くなりました。周りで何人もの人が祈祷をしてくれていましたが、自分が死ぬことはわかっていました。死んでから、来世も信仰に生きたいと思っていました。

この前世を見て、いつの世でも新しいものと古いものはある、今古いものでも以前は新しかった時代があると感じました。その感覚を得て、私の不安感はなくなりました。


後から、女人高野について調べました。それはどうも、室生寺のようでした。写真を見ても、確かに似ていました。室生寺は奈良県の南端あたりにあり、自宅の場所からも、そう離れていません。でも、室生寺の本尊は不動明王ではなく、境内にも祀られていません。どこか他の、お気に入りの場所だったんでしょうか。旅が多かった感じですし。出てきた地名は、室生寺のある場所ではないようで、どこのことだかわかりません。

真言宗は、あまり好きな宗派ではありません。関心がないんです。もしかしたら知ると好きになるのかもしれませんが、知る気になれません。もう経験済みで必要がないから、興味を感じないんでしょうか。


このセミナーで知り合いになった女性に3週間ぶりに会い、一緒に過ごして彼女の気配り上手を見ているうちに、私はインナーチャイルドの時に見た、白くて弱々しく笑っている子供を思い出しました。人に媚びているように感じ、そんなものは不必要だと思ったけれど、彼女の気配りはとてもいいもので、あの子供と共に私がおざなりにしているのは、これだと思いました。

あの子供に会いに行くと、理解してもらえたことを喜んでいました。人に喜んでもらいたいという気持ち・・・うーん、頭でわかっても、私にはやっぱり難しいです。とにかく、私の答えは現実の中からふたつ、やってきました。

インナーチャイルドで一緒だった人は「私には、まだ答えはこない」と言っていました。他の人にはどんな形で、答えがやってくるんでしょうか。

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3日目は、最後にクライエント役になりました。母や前夫がなぜ二人とも同じように私に執着し、しかも自分の思い通りに私を動かしたがるのかを知ろうと思いました。

私は白いブーツをはいていて、赤い軍服、白いサーベルを右の腰につけていました。場所は「ブラーニュ」「グローニュ」などと言っていました。石造りの建物は4階建てぐらいの高いものばかりで、道路も石で舗装されていました。
名前はグラント。時代は、フランス革命から第一次世界大戦までの間。

次の場面は若い女性がうれしそうに私の方へ歩いてくるところでした。私はプライベートな服を着ていて、デートのようです。彼女が歩く後を追うように歩きます。彼女は、今の母です。彼女の方が私を好きで、私はそれほどでもありません。けれど、結婚したようです。

結婚後、彼女は私の将来性や職業の安定性に魅力を感じて結婚したことがわかってきました。愛情はだんだんと冷め(というよりもはじめからなかったのかも)、つまらない結婚生活でした。

彼女の関心は子供に注がれ、子供を独り占めして彼女の好きなように育てています。当然のように実家に入りびたりです。

ある時、彼女が私の名前を使って、子供のために不正を行ったことが発覚しました。

また別の時には、彼女が「保険金殺人のようなこと」を私にしたこともありました。彼女は、私の死を待ち望んでいました。

それでも離婚はせず、私が先に亡くなりました。死は、私にとっては彼女からの開放でした。彼女も喜んでいました。

このワークでは、母とのことを見ることになり、前夫のことは見ませんでした。前夫については、これから自分でやってみようと思います。


私と母との間には、派手な殺し合いはなさそうでしたが、牢獄と言える生活があったようでした。この転生での私は気が弱い男性で、彼女の言いなりでした。だから、今生は言いなりにならず、戦ったんでしょうか。だから前世では離れなかったけれど、今生では離れたんでしょうか。

場所についてあとから調べてみると、どうもフランスのパリ郊外のブローニュのようでした。町並みの写真をいろいろと見てみても、パリの景色がとてもよく似ていました。だから時代を聞かれた時に、「フランス革命」という言葉が思い浮かんだんですね。

フランスの軍服を調べてみると、確かに、フランス革命から第一次世界大戦までの間の軍服がそっくりでした。白いブーツ、白いサーベル。でもフランス軍は基本的に青い軍服を着るらしいです。見ている最中、一瞬「あれ、青かな」と思ったので、赤と青、どちらなのか自信がありません。ナポレオン戦争の絵には、フランス軍が赤い軍服で描かれているようですが・・・。

サーベルは右に刺していました。これには自信があります。左利きだったのかな?長男に話すと「軍隊なのに右や左に刺してると統率がとれてなくてカッコ悪い」と言います。そう言われてみれば、そうですね。戦いの時以外は、危険なので右に刺すなんていうきまりだったんでしょうか。

フランスとは・・・フランスも、私にはあまり関心のない国です。初めて前世を見た、ネパールらしき国も、関心がありませんでした。興味のないところばかり見てしまう・・・やっぱり、経験済みのことには魅かれないんでしょうか。

それにしても、フランスの軍服を着た自分は、今までのどれより一番カッコ良かったです!見ている時にはカッコいいも悪いも感じていませんが、思い出せばほれぼれするスタイルでした。そう言ったら夫が「だったら、自衛隊に入れば」だって。そういう問題じゃないんだよね!


この日はインナーチャイルドに出ていなかった人のために、また境界線を知る方法がありました。前回と同じように誰かに、自分に向かって歩いてもらうんですが、なんと、私にもちゃんとあることがわかりました。しかもかなり遠くに。前回はスタート時点でもう自分のフィールドの境界線あたりだったので、わからなかったんでした。私の境界線は2メートル弱ぐらいのところにありました。

皆さん、50センチなんてものでなく、数メートルもありました。どうも、境界線自体が、何重もあるみたいです。

またほめことば言って歩き、「何か失敗しても、許してくれそう」「純粋でロマンチック」「自分のすべきことをしっかりとつかんでいる人」などと言っていただきました。

前世療法の上級コースもこれで修了し、修了証をいただきました。


さて、私は「保険金殺人のようなこと」について、もっとよく知るために、次の日の朝、今度は起きる前にふとんの中でまた見てみました。

すると、私が病気になった時に、もっと具合が悪くなるように、彼女がいかがわしい薬を買って、本物の薬に混ぜて飲ませていました。けれどその薬は偽物で、下痢の効果しかなかったんです。だから私は下痢をしただけで、死なずに回復しました。

ちょうどその病気の時、彼女は浮気をしていて、相手は子供の家庭教師でした。その浮気が原因で、そのような策略をめぐらしたようでした。

これだけのものを見るのにも、またまた眠ったり他のことを考えたりで、大変でした。眠る前でも後でも、ふとんの中で前世を見るのは不適当だということがわかりました。

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見たものの正確さについては、あまり努力をせずにすらすらと見えてわかったものについては、後で調べてみるとその正確さに驚きます。けれど、ぼんやりしているものを「何だろう」と思って知ろうとしたものは、鮮やかに理解できる前に時々自分の心で脚色してしまうことがあり、不正確になります。

私にとっては、景色の正確さが、自分でも驚きです。町並みの違いははっきりとわかり、パリの町並みはベルギーとは絶対に違うんです。

ネパールの寺院の中庭の石畳はチャコールグレーで、すべすべしていて丸っこくて冷たい。ポンペイの建物と石畳の石ないしレンガは、明るいベージュでざらざらしていて暖かい。パリの建物と石畳の石は、ポンペイよりも大きくて色が少し濃くてざらざらしていて冷たい。ポンペイもパリも、同じ素材で町が統一されている。そんな違いまで、はっきりと感じています。

ネパールの寺院は、日本ととてもよく似た木造建築でした。白い土壁も、日本のそれとよく似ていました。寺院の鐘は日本のものとは違い、ヨーロッパの教会の鐘に似ていました。鐘を見ていないのに、その音色で形がわかるんです。


インナーチャイルドのセミナーでは、皆さん静かでしたが、前世療法にもどるとまた、泣いたりわめいたりしている人がいました。私自身も、前世療法の方が感動的です。

2日間ないし3日間のセミナーの後に、頭がぼんやりして元にもどりにくいのも前世療法の方でした。ちゃんと現実に帰っているはずなんですが、日常生活で失敗だらけになってしまいました。その代わり、古い記憶を思い出すのがえらく上手になっていました。前世療法は、毎日するものではなさそうです。

セミナーで気になったのは、この人にはセラピーを受けたくないなと思える人がかなりいたことでした。セラピスト養成講座でしたが、まだまだ相談者として10年以上の時間が必要そうで、たとえセラピストになってもすぐにやめてしまうことになるだろうと思える人も結構いました。

この養成講座で受けられるセラピーを料金に換算すると、得だと考えてのことでしょうか。はじめからセラピストになる気がないのなら、それでいいのかもしれません。

そうそう、セミナールームで天然石を販売していましたが、石の品質は同じぐらいいいもので、価格はうちの2割〜5割増しでした。



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11月20日「前世療法セラピスト養成講座・3週目」
また土日でセミナーに参加してきましたが、前の土日との間の平日に、私はひとつ回答をつかんでいました。

ぼんやりネットサーフィンをしていたとき、ある言葉を見つけました。「感覚的に理解できる人を伸ばさないように、この世はマインドコントロールされています」それを読んだ時、これだと思いました。理解されずに苦しんでいた5〜6才の子供の苦痛の理由はこれでした。

なんだかおかしくなって笑ってしまいました。なーんだ、そうだったんだ。本当にそうだ。だって、自分も以前から人にそう言っているんですから。

それ以来、あの子供は元気になりました。まだバイバイしていませんが、いつも楽しそうです。解決はこんな風にやってくることもあるんだなと思いました。

さて今回はインナーチャイルド・ワークの後半でした。相談者の方が持つ問題の核に迫るテクニックを、いくつか学びました。受講者それぞれの問題を突きとめた後、それについて、カエタノさんの集団誘導がありました。私自身の問題は「自立」ということだとわかっていました。

自立について最初に出てきた子供は、中学1年の自分でした。友だちとのやりとりが楽しくて仕方がない様子です。

状況を進めていくと中学2年の自分が見えてきました。その自分は学校のグループで交換日記を楽しんでいます。そのグループは議論好きで、交換日記が白熱していたのでした。

その映像を見ていると、最初に出てきた中学1年の友だちとも、交換日記をはじめていたことを思い出しました。そこで、私の自立心は文章を書くということで刺激され、理論的に話すことができるようになったことで母との葛藤が表面化したことに気づきました。

中学生の子供は、少し援助を必要としているように思えたので、また来る約束をして終わりにしました。

それからセラピスト役をしたりいろいろな説明があったりして、この日は終わったように思います。

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2日目は皆、ワークよりもいろいろな説明を聞きたいということで、お話が中心でした。

テクニックのひとつに、絵を描く方法がありました。利き手とは反対の手で自由に絵を描くんですが、誰それとの関係など、題を決めるとその答えを描いていきます。そこに出てくるものは、とてもわかりやすく、前世やインナーチャイルドと違って誰にでもできそうで、これが一番いいかもと思ってしまいました。

私の絵はほとんどが抽象画でしたが、「仕事」について描いてみようと思ったものだけが具体的な神社の絵になりました。描きながらつまらない絵になったと思っていたのに、描いている途中から感情を揺らされ、涙をこらえていました。神社について、神道について、神道の神について、もっとワークすべきものがあるのかもしれません。

自分の境界線を知る方法というものがあり、誰かに遠くから自分に向かって歩いてもらい、そこからは自分の内側と思える距離に来たら「ストップ」と声をかけます。

見たところ50〜70センチぐらいが平均のような感じでした。私もその位だろうと思っていたんですが、相手の方が目の前まで来ても私は声をかけませんでした。

最初だからぼんやりしていたのかなと思いましたが、何度やってもらっても、私がストップをかけるのは相手の方が数センチに迫った時でした。これには我ながら驚きました。あまり良くないことかもしれない・・・。私が近づいていった女性も同じでした。

時間の最後に、7人のグループの人の全員がひとりずつ全員に、その人のいいところをひとつ言うというものがありました。私も他の人に一つずつほめ言葉を言いましたが、私が言われたことは・・・「暖かい感じがする」「安心できる」「いいお母さん」「そのネックレスが似合ってる(アメジストで作ったオリジナルでした)」「心の中に繊細な部分をもっている感じ」「人の心の痛みを理解できる人。守られてる人。」などでした。アリガトウゴザイマス。

インナーチャイルド・ワークのセミナーはこれで終了で、修了証をいただきました。来週は、また前世療法にもどります。

今回は、見ることを難しく感じている男性と、いろいろとお話をする機会がありました。カエタノさんの誘導のペースが早すぎる、内容がスタンダードではない、こんなにたくさんの人達が見ることができるなんてここは異常だ、などの不満があるようでした。

受講されている方達はすでにセラピストの方もいらっしゃるし、そうでなくても他のセミナーに参加したり催眠を勉強したりして「見えやすい」人が多いようです。ワークの後はいつも誰かと話し合うんですが、私はいつも「クリアに見えるんだね」と言われるので、見える人でもぼんやりしている人が多いんでしょう。

「見えない」人がいるということが、この技法では最大の欠点であることは確かですね。



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 11月12日「前世療法セラピスト養成講座・2週目」
先の土日は、前世ではなくインナーチャイルド・ワークでした。子供時代に受けた心の傷からの脱出は、とても大変だという印象を日ごろから持っていたので、ぜひマスターして使いたいと思って受講しました。

これを受けに来ている人は、前世療法の半分ぐらいの人数だったので、雰囲気が楽でした。

1日目はいろいろな説明の後、全員が一度に、カエタノさんに誘導されました。

最初の誘導では「自分が最も愛された体験」を見ることになり、私に見えてきたのは、生まれてすぐの自分でした。皆の注目を集めている自分。その自分と対面し、呼び寄せます。子供は裸で、私に抱かれました。

「何かして欲しいことはない?」と尋ねると、「お母さんのところに帰りたい」と言いました。子供には、自分を産んだ母親が一番なんだなと、感心したり、ちょっと寂しい気持ちになったりしました。将来、あんなに大変な思いをさせられる母親なのに・・・と、複雑な気持ちでした。

2度目の誘導では、まず、最近のちょっとしたトラブルを思い出すように誘導されてから、その原因になっている子供時代を見ることになりました。見えてきたのは、4〜5才の自分で、砂場で遊んでいました。

そこへ知らない女の子がやってきて、勝手に私の遊びに加わりました。私はその子のことは構わず、自分なりの遊びを続けています。自分の遊びが進み、自分の好きなように作ったものを壊すと、後から来た女の子が私を非難しました。

その様子を見ていて、そういえばこんなことがよくあったなあと思い出しました。私は勝手にヒーローに仕立て上げられ、その役割をこなさないと言って、また勝手に非難されることが多かったのでした。

4〜5才の自分に「何かして欲しいことはない?」と尋ねると「みんな、変なことを言う」と言います。それで自分が子供時代に、大人も子供も自分を誤解して、「こんなことを考えているんだろう」とか「お前も大人になったらこうなる」とか、全く自分の感覚とは違うことを言われていたことを思い出しました。

子供は、私のことを信用していません。この大人も他の人と同じように自分を理解せず、悪く誤解するのだろうと思って見ています。

「何か子供に言いたいことはありますか」という誘導で「あんたは間違っていないよ、その通りで本当だったよ。」と言って、勇気づけようとしました。

「また会いに来る約束をしますか、それとも一緒に連れてきますか」という誘導で、私も子供に同じことを聞きました。子供は「どっちでもいい」と言いましたが、私自身が過去に理解されずに苦しんだこと、心からの理解をくれた人はモーツァルトやゲーテとの出会いまでいなかったことを思い出すと、とてもそんな不理解の中へこの小さな子供を置いていきたくないと強く思い、「おいで!」と言ってしまいました。

子供は相変わらずクールで「じゃ、そうする」という感じでしたが、ついてきました。私は、してやったりという満足感でいっぱいでした。ハンカチで涙をぬぐっていました。

私は今もまだ、この子と一緒にいるんです。そのせいか、世の中や、子供を生んで育てた過程での社会への不満を、急に口にするようになりました。それはいつもあったものですが、いつもよりも多く口をついて出てきます。これから、この子と私がどのようになっていくのかは、わかりません。

この時点で、一度も何も見えなかった人は5人でした。全員で40人くらいいて、そのうち先週の前世療法も受けた人がかなりいましたから、初めての人ばかりだと、もっと見えない人は多くなると思います。

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2日目も、カエタノさんの集団誘導がありました。3つのドアを開けるんですが、一つ目のドアでは、自分が社会で演じている姿を見ます。その子はしっかり者で、目の前にあるものをいつもちゃんとこなしていました。全く危なげないので、「じゃ、がんばって」と言ってバイバイしました。あまり印象に残らなかったので、年齢も忘れてしまいました。

2番目のドアでは、自分が置き去りにした自分の姿を見ます。その部屋で小さくうずくまっていたのは、にこにこと少しおびえたように微笑む2才の子供でした。その子は異常に小さく、白く、ふにゃふにゃしていて、猫のようでした。

私のひざに乗って、微笑み続けます。コミュニケーションはうまくできず、本心が理解できませんでした。でも気になるので、「また来るね」と言って別れました。

後からよくよく考えているうち、2才という年齢は、弟が生まれた年だと気づきました。私は可愛がられていた赤ちゃんから、しっかりしなくてはいけない姉に変化して、愛らしさを捨てたんでしょうか?

それから、あの子に似ているもので思い出せたアイドル的な女の子は、私の嫌いなものの一つです。子供っぽさ、可愛らしさ、媚などは今の私の中にもないか、あったとしてもとても少ないと思います。

でもそれって必要なの?どう必要なんだろう?よくわかりません。だから、出てきたんでしょうが。この子にも時々「来たよ」と言っては会いに行っています。これから、どうなっていくんでしょうか。

さて、3番目のドアの向うには、真実の自分がいると誘導されました。ドアを開けると、まぶしい光の中に、20才ぐらいの女性が立っていました。華奢で、髪が長く、シンプルなドレスをまとって、微笑んでいます。彼女の周りに、5〜10人くらいの子供たちもいました。でも、その子供たちは彼女の一部で、彼女が主人公なのだとわかりました。

「あなたを統合するために、私に何が必要ですか?」と尋ねてみるようにという誘導でしたが、彼女は「あなたはすべて理解しています」と言いました。彼女の後ろへ回り、彼女の背中から彼女の中へ入って、彼女の目で周りを見ると、ぼんやりしていたいろいろなものが、はっきりと見えました。そして、そのまま彼女と共に現実へ帰ってきました。

この誘導の後、3番目の扉で相手の体を通過できた人はと聞かれ、私を含めて7〜8人が手を上げました。他の人の体験は、「ドアを開けたら、そこは宇宙だった」「あまりに神々しい光」などというものでした。

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2日目の午後は、受講生同志でのセラピーとなりました。3人組になり、誘導したりされたりしました。

人のワークを聞いていると、子供時代に本当に耐え難い体験をしている人が結構いて、自分が誘導せず、誘導されもせずに見ている時に、人のワークについ同化して泣いてしまいました。でも誘導役の時は、とにかく必死ですから、しんみりしている余裕はありませんでした。

3人組の全員が、出てきた子供を「置いていけない」と、連れてきた人になりました。私は1日目に、もう一人は2日目に、もう一人は1日目と2日目に一人ずつ、現在のところ合計二人。2日間、一緒に帰った人も、「連れてきちゃった組」になりました。子供を自分で保護すると、何とも言えない満足感があり、安心します。

この最後のセラピーでの誘導では、小学校6年生の子供が出てきました。「やりたいことがいろいろありすぎて、時間がない」と言っています。そう言えば、そのころはそう思っていたなと思い出しました。

彼女は、私のことをおもしろそうに見ていて、観察しています。彼女の私への興味がつきないので、「また会う?」と聞くと「うん」と答えました。私はその時、ムーミンのお話の、スナフキンを思い出しました。この子は、私をそんな風に感じていると思いました。

今これを書いていて、この子のところにまだ、会いに行っていないことを思い出しました。危うげではなかったので、心配にならなかったのでした。でも約束しましたから、行ってみます。この子にもどこか、思春期のはじまりの不安があったように思いますから。


来週もまたインナーチャイルド・ワークを学びます。インナーチャイルドは、子供が出てくるのでどんな大騒ぎになるのだろうかと思っていましたが、自分が子供になるのではなく、大人として対峙するせいか、結構みなさん静かでした。涙を流すにしても、先週の前世の時にはオイオイ泣いている人が多かったのに比べ、今回はじわっという感じでした。

子供を連れてくるということをしているので、結果が出るのはかなり先になることもあると思いますが、どんな風に問題が解決されていくのか、楽しみです。



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 11月5日「前世療法セラピスト養成講座」
以前、前世療法を受けに行ってからしばらく考え、自分のお仕事に、これも取り入れようという気持ちになりました。

私は占いをして、霊感で人の前世も見ますが、占いや私が見たものを提示するだけではなく、相談に来られる方がもっと自分自身の力に気づき、自分で自分の人生を作り上げていってもらいたいのです。

そのための方法として、自分で自分の前世を見てもらうということは、良いことではないかと思いました。

セミナーは今月中の土日祝日を全部使い、さらにもう一日休みも取って、月末に終了の予定で、この三連休からスタートしました。

考え方などの説明はとても共感のできるもので、安心できました。しかし徐々に、指導者のトリシア・カエタノさん(50才位のアメリカ人女性)が、物事を順序だてて進めることのできないタイプだと気づきました。

説明の内容が、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、用意されたテキストも、整理整頓されずにとり散らかった部屋のように、項目が重複するわ、どこに何が書いてあるのかよくわからないわ・・・。

それでも人柄の良さと経験の豊富さで、プロの雰囲気を直接感じることができるので、とりあえず気に入り、こで最後までやれそうだと思いました。

初日は1回、カエタノさんの誘導で全員が一度にセラピーを受けました。

私は明治から昭和の初期ぐらいに日本に生まれ、女性でした。町の開業医の妻になり、看護婦をしていました。仕事で忙しく充実した一生でした。子供は男の子一人、女の子一人で何も問題がありませんでした。

「その人生で感じたことや決心したこと」を、誘導中に必ず聞かれるのですが、「幸せだった。夫に感謝している。」とでも答えるのかと思っていたら、前世の私はこう言いました。「充実していたけど、これは自分で作ったのではない、夫の人生に乗っかっただけ。」

私は自分の答えにちょっとあきれましたが、今の自分の自立心の強さを考えると、なるほどと思えました。私は心の底から自分で自分の人生を作り、満足のできる成果をあげたいと思っているんだなあと感心しました。

子供たちは、今の誰だかわかりませんでした。開業医の夫は、知り合いだった男性に似ている感じがしましたが、よくわかりませんでした。

看護婦には、母がなって欲しそうにしていましたが、私には自分とはタイプの違う職業という意識があって、その方面に進む気持ちになったことはありませんでした。もう、経験済みで必要がなかったんでしょうか。

この時点では、参加者のうち、何も見えなかった方がかなりいたようでした。特に男性に多かったようです。

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2日目の朝、私は電車の中で、あの開業医が誰なのか、本当に知人なのか考えてみましたがよくわからないので、電車に乗ったまま、あの前世へもどり、確かめてみることにしました。

まず彼の性格をよく見てみると、確かに似ていて、彼に違いないと思いました。前世の彼に向かって「どうして私がいいの」と尋ねると、彼は「性格が似ている」と答えました。「性格は似てないよ。あなたはおとなしい人で、私は明るい性格だもん」と反対しながらも、彼の感覚を理解できていました。理解しながらも、「性格の違うところに魅かれあったんだよ」と言っていました。

彼は、ずっと以前の片思いの相手でしたが、後から、彼もまんざらではなかったと伝えてくれた、甘酸っぱい思い出の人です。何だか、さらに切ない感じになりました。

周囲の人が彼を「冷たい感じの人」と言う中で、私には「花のように柔らかな感じの人」と思えたのは、これでなのかと思いました。

この日はもう一度、カエタノさんの誘導で全員が一度にセラピーを受けました。私は自分がなぜ合戦の供養などをやっているのか、それに関わるものを見ようと思いました。

やっぱり、鎧兜に身を包んだ自分が現れました。時代や場所はよくわかりません。

子供のころ、武士の行列を見て、自分も同じようになるのだと思い、何の疑問も感じることなく、武士稼業をやっていました。激しい戦いの中での死の時も、「敵を殺せ〜!」などと叫んでいたようです。

けれど、死の直後、一緒に死んでしまった仲間たちを見て、少し悲しく虚しい気持ちになりました。

この人生を見て感じたことは、とにかく職業意識に燃えた人生だったこと、そしてそんな生き方が、私は好きなのだと思いました。合戦の供養をするのは、人々の思いを浄化するというのはもちろんですが、それ以前に、何も考えずに夢中で生きた人々がただ好きで、その後始末を、友として一緒にやっているというのが、私の本心なのだと気づきました。

この前世に出てきた、鼻持ちならない自分の妻は、今の母でした。

この日の午後は、はじめて自分が誘導をしました。相手の方は同じようにセミナーを受けに来ている男性でしたが、うまく前世を見てくれたので、ほっとしました。

この日の夜、自宅で夫が「やる」というので、誘導してみましたが、なんと、何も見えませんでした。ショック・・・。

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3日目は、2度、セミナー仲間に誘導してもらって前世を見て、一度、相手を誘導しました。誘導してもらうのは楽ですが、誘導するのは、どうもまだ様にならない感じです。

こんなに何度も自分で前世を見るのは、まず、自分が癒されている必要があるということと、やはり誘導する側もされる側も、たくさんの経験をする方がいいからです。

一つ目の前世は、サンダルを履き、布をひらりと羽織った少年でした。私は巻き毛で、名前をアルスと言い(初めて自分の名前がわかりました)、住んでいるのはポンペイ(地名がわかったのも初めて)でした。時代は紀元前。

ある日、自宅で母が亡くなりました。私はとても悲しく、おいおい泣きました。私は兄弟の末っ子か下の方で、母は年をとっていました。兄や姉たちは母の悪口を言うのに、自分は本当に母を好きだったのに、なぜ自分が一番短い間しか母といられないんだと、泣いていました。セラピーの間、本当に涙を流していました。

その時の母は、今の次男です。それが分かった時、本当に良かったと思いました。現実の次男は巻き毛で、私は次男の髪を、前世の私と同じ髪型にするのが好きだったことを思い出して、おかしくなりました。

大人になると、私は学者になっていました。仕事で認められても、素直に喜ばない私。同僚ともうまく話せないでいるようでした。そのことをセラピスト役の人に話すんですが、やたらに理屈っぽく、まわりくどく話してしまい、どうしてもストレートに分かりやすく話せないんです。なんだか変だと思いました。

死んだ後でもまだ「死とは興味深い」だの、理屈っぽさ全開で、わかりにくい表現をするので、何度もセラピスト役の人に、説明を求められてしまいました。そこまできて、ああ、もうこの前世の人になりきっているから、今の自分の考え方や言葉の選び方はできないんだなと思いました。

今生の私と母との関係はあまり良いものではないので、自分にも「お母さんーん」なんていう経験があったのかと感心しました。

片思いだった彼の、自分とは違うところに魅かれたと思っていましたが、現在の彼は、この前世の私とよく似た職業をしています。自分にないものと思ったのに、私も経験があったのかと驚きました。

自宅に帰ってから見た、ポンペイの町の写真は、私が見たものと全く同じでした。イタリアで、本当に古代都市だったんですね。火山の噴火でなくなってしまった町だったんですね・・・。

2つ目の前世は、というより、未来世に行ったのかもしれません。私は若い女性で、全身に柔らかい素材だけれど、頑丈なものを着ていて、自分の肌は見えません。地球人なのかどうかもわかりません。

仕事でここにいるようで、ここで何十年も過ごすことになっています。どこかの星の基地のようです。エレベーターは箱型の乗り物はなく、その場所に立つだけで、好きな階に行けました。

家族のことはよくわかりません。独身のようで、任務に人生を捧げています。

ここには人間関係のトラブルなどはありません。皆がとても成熟していて、「トラブル」などというものは、とっくの昔のできごとのようです。

死は、2台のベッドがある部屋の片方で訪れ、ちょっと休憩するぐらいの気持ちでいました。

この人生は少し暗く冷たく感じましたが、後から、それは今の私に、その人生の良いところがよく理解できないからなのかなと思いました。

この日私が誘導した人は、何か重い問題を自分の中で解決できないでいる人のようでした。誘導していると、相手の前世に自分もある程度入っていくような感覚があるので、かなり疲れました。

ここまでで、セミナーは1段落しました。まだ何も見えない人はいたのかどうか、わかりません。

自分で前世を見たり、人が見るのを見守っていたりして本当に素晴らしいと思うことは、見たものの意味を、誰もが誰に教えられなくてもしっかりわかること、そしてそれはいつも、今の自分に最も必要な情報であり、気づきであることでした。

物事に行き詰まり、意味がわからない、どうしたらいいのかわからない、どう考えればいいのかわからないというのが、多くの人の悩みだと思います。解決の糸口を見つけるために、ああでもないこうでもないと皆、模索するはずですが、それが前世に行って考えると、瞬時にわかってしまう・・・しかも自分の感覚で。

セミナーを受けに来た人たちは、口々にそこのところを賞賛し、驚き、感心していました。

夜、自宅でまた夫が「やってみる」と言うので、誘導しました。「夫が見れなかった」ことに対してセミナー仲間がいろいろと助言してくれたことや、私がはじめてセラピーを受けたセラピストの上手な誘導を思い出したりしながら、少し改善をしてやってみました。

すると夫は、かすかな場所が見えては消えていくと言いました。けれど、そこまでだったので、見えた場所、3ヶ所を説明してもらって終了しました。

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今朝、目が覚めてもすぐには起きられませんでした。頭痛がして、肩から上がガチガチに凝っていました。ずっと以前によく使っていた竹に丸い出っ張りのあるマッサージの道具を出してきて使い、神仏を呼んで何度も清めてもらい、だんだんましになって起き上がってみると、セミナーのテキストを枕元に置いて眠っていたことがわかりました。

これのせいだとばかりにテキストを移動させ、いろいろな石を取っ替え引っ替えつけているうちに、やっと楽になりました。

セミナーを受けに来ている人は70〜80人ほどいて、その人たちがそれぞれの問題をどしどし出し切っているんですから、私は疲れて当たり前ですね。この人数は、かなりつらいです。

ああでも、倒れることなく、最後までしっかり身につけてきたいと思っています!



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 10月25日「芸術鑑賞の記録」
あと少しで文化の日がやってきますね。私はこの日をずっと待っていました。文化の日になったら、ちょいと、自分が出かけたコンサートなどの記録をアップロードしておこうと思っていたからです。

長男を妊娠して以来、私はぱったりとコンサートや展覧会には出かけなくなりました。育児で忙しかったからです。

それが長男は中学生になり、次男は小学校高学年になり、13年ぶりにぽつりと出かけたのは、ジャズピアニストの友人のライブでした。その後半年に1度くらいの割合で、この友人のライブに3回出かけ、それから他へも足を伸ばすようになりました。

以下は、この1年半の記録です。

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2001年3月「シャガール展、ラファエロ展、ルノワール展」青山・上野・八重洲

ラファエロ、ルノワールの、それぞれたった一枚の目玉作品が心に残りました。やっぱり、いいと言われているものには特別な輝きがあります。

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2001年8月「南佳孝」鎮守の神社隣のお寺

近所で無料コンサートがありました。南さんは、茅ヶ崎在住だそうです。

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2001年9月「富樫雅彦・佐藤允彦・井野信義」新宿ピットイン

佐藤允彦(まさひこ)さん(ピアノ)が目的でしたが、富樫さん(ドラム)がリーダーのバンドだったので、ちょっと不満でした。20年前に聴いた佐藤允彦トリオ(佐藤允彦・井野信義・日野元彦)が忘れられません・・・また允彦さんがリーダーの時に見に行きたいと思います。

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2001年11月「サルティンバンコ」横浜みなとみらい特設会場

娯楽でした。

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2001年11月「ベルリンフィル・カンマーゾリスデン」青葉台フィリアホール

ベルリンフィルから弦楽8人とピアニスト一人という構成だったと思います。第一バイオリンはベルリンフィルのコンサートマスター、安永徹さんで、ピアニストは日本人女性でした。

一糸乱れぬアンサンブルが絶妙で、CDを聴いているようでした。

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2001年12月「エジプト展」横浜そごう

器用で科学的な、大昔の人々。

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2001年12月「シタール&タブラ」新宿ピットイン

生のシタールを聴きたくて、値段からするとあまりいい演奏ではないだろうと思いましたが、行ってみました。

シタールはインド人、タブラは日本人の男性でした。バックに日本人女性と、小学生ぐらいの日本人の男の子。バックの二人は、シタールを簡略化したような楽器を、延々とチャラリーンと弾いていました。

演奏が始まると、もうその音色の素晴らしさにうっとり・・・。はぁぁ、音色ではシタールが最高の楽器かもしれません。

そして、ラーガって長いんです。1曲1時間ぐらい。ゆーっくり、とろーんと始まり、だんだんとテンポが上がってきてタブラが入ってくるところが1つの山で、その後はシタールとタブラのかけあいでスリリングな展開になっていきます。

最後の方にはかなり早いテンポになっていて、息をのむようなスピード感の中ではじけるようにして終わるんですが、曲がだんだんと佳境に入ってきたぞというところで、シタール奏者が急に演奏をやめ、チューニングをはじめてしまいました。

一同びっくり・・・インド人って・・・日本人とかなり違うみたい。

だけど私はインド音楽がどうも好きみたいです。インドカレーも好き。タブラという楽器も、ドラムの中では相当音がいい、最高にいいかも。もっとあのあたりの音楽をいろいろと聴きたいんですが、あまりチャンスがないんですよね。

また懲りずに、どこかでライブを見つけて出かけたいと思っています。

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2001年12月「春風亭小朝」座間市民ホール

落語ってずっと江戸時代なんですね。

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2002年1月「レニングラードバレエ・白鳥の湖」神奈川県民ホール

バレエというものも一度は本物を見ておこうと思って、出かけました。ふーむ
ふーむ、これがヨーロッパのダンスか・・・なるほど。

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2002年3月ごろ「中村座、義経千本桜」中村座

歌舞伎です。歌舞伎も一度は見なくちゃねと、行ってきました。しかし・・・これは大衆芸能で、芸術性を一途に追求するものではないなと思いました。その割りにムチャクチャ値段が高い!

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2002年4月「嘉納昌吉&チャンプルーズ」日々谷野外音楽堂

曲の合間のトークが、とてもいいんです。

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2001年5月「赤間神社先帝祭」下関市、赤間神社

祭礼のメインイベントとなっている女官の参拝は、和の美の結晶でした。現代人で日本舞踊もまともに見たことのない私には、「これがあなたのルーツでもあるでしょ」と突きつけられているような、不思議なカルチャーショックでした。

女官に扮しているのは、花柳だれそれだとアナウンスがありました。一歩一歩が芸術でした。こんなのタダで見ちゃっていいのという感じでした。

それを日程も知らずに訪れ、始まってみると偶然にも一番いい場所で見てしまった私でした。感謝、感謝、感謝・・・!


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2002年6月「アフリカンドラム&ダンス」後楽園ホール

私の友人が心酔しているアフリカ人ドラマーのコンサートで、当の友人も出演するので見に行きました。ジンベという、アフリカの生活に欠かせないドラムの演奏です。ジンベにはダンスがつきものらしく、ダンスもあります。

ダンサーの女性はタコ・シソコさんといって、セネガル国立劇場のプリマドンナだそうです。彼女のダンスが素晴らしかった!本当にタコみたいに柔らかい体、優雅にチャーミングに、明るく可愛らしく踊る姿は、毎日でも眺めていたい、ずっとそばで踊っていて欲しいような気持ちにさせられました。

私は「また見たい」と思うことってあまりないんですが、彼女が踊るんなら何度でも足を運びたいと思いました。

友人は大好きなドラマーを訪ねて、アフリカまで勉強に行ったそうです。少し敏感な人なので、アフリカ人が奴隷としてアメリカへ連れて行かれた現場などでは涙が止まらなかったりしたようです。

「彼らの前に出ると、持病が出て転げまわってた。彼らの前では、自分を隠せなくなる。」などと彼女が話していました。その意味を彼女自身はよく知っていますし、祈りをされている方にもわかりますよね。自然でありのままで、よく清まった人たちなんですね。

アフリカの文化はスピリチュアルです。スピリチュアルなことが当たり前の場所です。

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2002年6月「ウィーン少年合唱団」横浜みなとみらいホール

中学生の頃に、レコードを買ってよく聴きました。これも一度は聴いておこうと思って出かけました。あの子、オペラ歌手になったらいいのになあと思う男の子がいました。本当にきれいな声です。

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2002年8月「B‘z」横浜国際総合競技場

とにかく何も見えない。全員総立ちでしかも両手を挙げたままなので、背伸びしても、本人たちはおろか、スクリーンも見えませんでした。ただ爆音を聴いているだけ。

でも途中、スタジアムの後ろの方のステージへ移動してきて、アコースティックギターとボーカルだけで静かに歌ってくれました。そのままそこにいるといいなと思ったけれどほんの2曲ほどで、また見えないステージへ帰っていってしまいました。

稲葉さんの声は、よく通る高声でした。あれだけ歌ってかすれたりもしないし、まじめに練習している人なんだなと思いました。

しかしま、来ているのは20代前半が多かったようです。立ちっ放しで両手を挙げて全曲歌っている彼らを見ていると、私もクイーンのコンサートでは同じだったなあと、懐かしくなっちゃいました。

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2002年9月「秋吉敏子」トリトンスクエア、第一生命ホール

一生に一回は聴いておこうと思いました。アメリカ在住のジャズピアニストです。エネルギッシュな演奏でした。

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2002年10月 「ウィントン・マルサリス・リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラ」すみだトリフォニーホール

ウィントン・マルサリス(トランペット)ってどんな人だろうと、図書館のCDをどっさり借りて聴いてみて以来、絶対に1度は聴きに行きたい人になりました。ずっとずっと心に決めていて、ついにチケットを取って行ってきました。ウィントンが事故や病気で亡くなってしまってもう生では見られないなんてことがないように(縁起が悪くてごめんなさい、でも本心です)、平日の夜なの
に行ってきました。

この日の夜は、前半がウィントンのアレンジによる、リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラのデューク・エリントン・ナンバーの演奏でした。ウィントンは10人ほどのバンドのリーダーですが、ほとんどアドリブは吹きませんでした。

まあ、アレンジを聴きにきたと思えばいいんだろうし、アレンジは感じがいいんだけど、うーん、不満だ。

後半は新日本フィルのメンバー70〜80人ほどが入って、ジャズとクラシックのジョイント・コンサートになりました。全曲エリントンで、アレンジはすべてウィントンです。これが迫力があって、よく受けていました。

後半が盛り上がったのでウィントンも気分が良くなったらしく、アンコールでやっと、長いことソロをとってくれました。実は私はエリントンをあまり知らないので、曲名はわかりません。この日、知っていたのは1曲だけでした。

ウィントンの演奏はアドリブも当然のこと、まるで岩を割ってあふれ出す泉のごとく生き生きと力強く、自由自在に流れていくんです。その水が跳ねるように、渦巻くように、せき止められ、また飛び出していくように、次から次へとひとつひとつの音が生き物のように輝くんです。

ああウィントン、聞き飽きた言葉だろうけど、あなたは天才だよ!ミューズの恋人!こんな人が日本にいたら、私はライブに入り浸り、追っかけてしまうかも。期待通りの演奏でした。あれでもしも、全編ウィントンが吹きまくりだったら・・・夢のような夜になっただろうなと思いました。

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2002年10月「ピカソ展」上野の森美術館

ピカソは、ダ・ヴィンチとともに私の一番好きな画家です。もうそりゃ、素晴らしいんですが、素描よりも油彩の方が好きです。ピカソのスポットの当て方、物事の感じ方、見抜き方などが、色がついている方がよく表現されていると思います。でも今回は素描がほとんどでした。

この人には何も文句はありません。良くて当たり前の、安定した超天才ですね。人類の遺産だと思います。またピカソの企画があれば、出かけていきます。

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こう見てみると、クラシックが少ないんですよね。もっと見たい人はいるんですが、平日だったり、チケットがとれなかったりと、クラシック音楽を見に行くのは大変です。大学での音楽教育が盛んなので、クラシック人口が多いんでしょうね。(もっと日本文化を教育すべき!)

まだまだ一度は見ておきたくて、一度も見たことのないものがありますから、しばらくはそういうものが多くなりそうです。能とか本物のガムラン(日本人演奏のガムランは見て、演奏もちょこっと教わりました。)とか、ぜひ見たいです。

ほとんどは夫と出かけたんですが、夫は毎回必ずと言っていいほど、途中で眠くなるそうです。ちゃんと音を追いかけていられないということでしょうが、私も20代まではそうでした。でも今は具合が少々良くない時でも、コンサート中は最後まで目が覚めています。

とりあえず書きましたので、これで気持ちがすっきりしました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。ご参考になれば、幸いです。



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 10月22日「龍口寺」
鎌倉時代、江ノ島の対岸の龍の口という場所は処刑場でした。日蓮上人もここで処刑をされようとしていましたが刑が中止にされたので、日蓮宗の聖地とされ、現在は日蓮宗の龍口寺が建っています。

ここで、私が今供養を進めている北条時行も処刑されたということを知ったので、参拝することにしました。

龍口寺には2度参拝したことがありますが、いつも優しく迎えていただけました。日蓮宗のお寺では、大体いつも暖かく優しい雰囲気で参拝を受け入れてもらえます。今回は時行公のことでの参拝ですが、何も不安はありませんでした。

けれど到着してから境内を出るまで、本堂にいるとき以外は、軽い頭痛がありました。幕府が処刑をした人の想いがこの場所に残っているなら、当然かもしれません。いつもご本尊は暖かいのに、ちょっとした緊張感を感じていたのは、このせいなのでしょうか。

ご本尊に祈ると、涙が流れてきました。「いつもそのように祈っているのか、とても良いことだ」というようなことを言われました。例によってオリジナルの言葉は、はっきりと思い出せないんです。

日蓮宗は権威によって迫害されてきました。足利将軍も日蓮宗の僧侶を迫害しました。でもいつも日蓮さんはあったかです。(クールな空海さんとは本当に違います)



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 10月14日 「北条時行」
今とてもいい気分なので、この日記を書いています。ついさっき、北条時行の供養が、一部終わりました。

時行公本人の供養をしたのはかなり前で、その後はとろとろと、関連した供養を進めていましたが、一向にはかどりませんでした。

あまりにもうまくいかないので、何かおかしいと思って、歴史を調べなおしたりしましたが、自分の方法が少しずれているような気がして、みなさんにお届けしている、以前に自分で書いたテキストを読み返し、基本にもどって初めからやり直してみようと思いました。

進まなくなった供養は途中でやめて、時行公にまつわる周辺の人達へ変えることに決めて、今日、やり直しの1回目をしました。

すると、いとも簡単に時行公と周辺の人々の暖かさが伝わってきて、涙が流れてきました。それでやっと思い出しました。

そうだ、時行公は、自分の供養が終わったら他の人達の供養をしてほしいと言ってたんだった、私がちっとも他の人の供養に入らないから、不満だったんだなあ。

怒ってなどいませんが、私が切なる願いを聞き届けないので、違うよ〜というサインを出しているつもりだったんですね、たぶん。

お経を読みながら、愛知県の北条一族の末裔のことを思い出しました。時行公の息子です。あの一族のことも、心から供養してくれたねと、伝えてくれているんでしょう。

北条一族というのは、何とも言えないインテリジェンスと人間味が合わさり、魅力的な雰囲気を持つ人達のように思えます。日本史上、最も優れた政治家の一族だという評価を、どこかで読んだこともあり、その通りなのかもしれません。

それにしても、亡くなった人達というのは、なぜこれほどに供養を喜ぶんでしょう・・・それはいつも驚きで、不思議です。なぜなのかわかりませんが、そんなに喜んでもらえるなら、やるよと思います。

今日は久しぶりに涙の供養で、気分爽快です。今までこの供養が進まなかったために、最近の私の涙腺は乾き気味でしたから。

うーん、供養ってほんとにいいなあ〜!供養している自分の方が、魂の底から癒されているような感じがします。



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 9月29日 「江ノ島神社」
会報に掲載するための写真を、江ノ島に撮りに行きました。辺津宮、中津宮、奥津宮、竜宮社と、4ヵ所に参拝しながらデジカメで写真を撮ってもらいました。

写真を撮るという目的で来ると、参拝に集中できないんです。参拝目的で写真も撮って帰ろうと思っている時も、つい参拝に夢中になって、写真のことなどすっかり忘れてしまいますし。この日も、何だか消化不良のような感じでした。

4ヵ所目の竜宮社に到着すると、久しぶりに入り口が開いていました。日曜日だけ開けるんですね。

中へ入ると、ひんやりとしていい気持ちです。石と木のいい香りがします。ずーっとここにいられたらいいなあと思います。

喜んで参拝をして、終わったから写真を撮ろうと思ったら、神職の方が入ってこられて中を片付けはじめました。追い出されては困ると大慌てで、お社の横でデジカメに向かっていると、その方が他の方に「この真下が、洞窟になってるんですよ」と説明されていました。

あ、やっぱりここが島の中でエネルギーが強いんだ、だからここは気持ちがいいんだ、洞窟があるもんでこの場所にお社を建てたんだな、などと頭の中ではくるくると考えながらも写真のこともしなきゃいけないで、せっかくのチャンスだったのに、もっとお話を聞けば良かったと、後から悔やみました。

結構たくさん撮った写真のうち、まあ何とか掲載できそうなものは、最後に撮った竜宮社のものになりました。



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 9月25日「ジュラシック・パーク」
先日、テレビでジュラシックパークの映画を見ました。クローン技術に問題を投げかけている映画ですが、恐竜に襲われるシーンの恐いこと恐いこと。いや、たぶん以前の私だったら適当に楽しんでるだけだったと思いますが、何やら、めちゃめちゃきつく感じるんですね。ああ、これは自分が清まったからなんだなと、納得しながらも、つらい感覚でした。

毎日習慣的に浄めの生活を送っていると、自分という管の内側に、汚れが何もついていないようになってきて、感情だの感覚だのが、すごい激しさで自分の中を通り抜けます。普段はかなり冷静な性格でも、一旦何かでひっかかると、その激怒の具合は、これでは自分が壊れてしまうと危機感を持つほどの強さになります。雷も、たぶん隣の人よりは私を選ぶ気がします。

そんな風に自分が変わってきていることは知っていましたが、お話の効果も同じように強烈に響くようになっていたとは、知りませんでした。というのも、この祈りを始めたころに映画館でとてつもない頭痛に襲われてからは、映画館には二度と行った事はないし、ドラマにも興味がなかったからです。

現代人の感覚は、本当に鈍くなっているんだなと思いました。これほどガンガンに叩かなくては、小突かれていることに気づかないので、激しい表現をするんだろうと思います。おもしろいんだけど・・・私には痛かったです。ああ、恐かった・・・これでは戦争映画など、絶対に見ることはできないなと思いました。



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 8月18日「奈良・興福寺」
最近、長男が千手観音にはまりまくっていまして、恋心を抑えられず、何としても仏像を見たいということで、関西千手観音めぐりをしてきました。

8月17日は、京都の「三十三間堂」の閉館前に、すべり込みで間に合い、見学できました。
長男は、やっぱり京都とはむちゃくちゃに相性がだめらしく、見学の後、真っ青な顔で「気持ち悪い」と言っていました。

長男は、今まで10回ほど京都に出かけましたが、一度も普通でいられたことはありません。

次の日は奈良に移動して、「興福寺」へ参拝しました。
ご本尊は薬師如来で、藤原鎌足の屋敷跡に建てられています。

祈りはじめるとすぐに、額の真ん中がむずむず・・・そして、身体が回りはじめました。

ああ、いいんだ、ここは。どうしてなんだろう、鎌足と関係があるのに。
鎌足は・・・大祓詞(おおはらいのことば。神道の祝詞)を作ってるし、神道の作法を作った人だし、それでなのかなあ・・・
藤原系と、結構いいのかなあ・・・
天智天皇といいのかなあ・・・ということは、天武とはだめなのかなあ・・・

参拝は最後まで気持ちよく、暖かく迎えられたようで、不思議な気分でした。

宝物館では、有名な国宝の阿修羅君や、たくさんの国宝や重要文化財の仏像が並んでいまして、藤原家の権勢をひしひしと感じさせられました。

次に向かった「唐招提寺」は、修復作業中で、2012年まで、仏像の拝観はできないということで、あきらめました。

次の「藤井寺」が、長男は一番気に入ったらしく、本当に千本の手のある仏様でした。

最後に、また京都にもどって「広隆寺」へ、参拝しました。
だーい好きな弥勒さんに会うのが、私の今回の一番の楽しみでしたから。

「仏像は彫刻ではありません、仏様です」と書いてありましたが、私はそうは思いません。
私にとって仏像は、彫刻で、芸術です。
直接、神仏と交流する人なら、皆そう感じるのではないでしょうか。

素晴らしい芸術として鑑賞しながら、御魂入れされている弥勒様に、お祈りをしたのでした。




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 8月9日「戸隠神社」
長野での3日目は、戸隠神社に参拝しました。
ご祭神は、天太力男神(あめのたじからおのかみ)です。
天照大神が岩戸に隠れたとき、力持ちのこの神が、岩戸を押し開いたといいます。
本殿の隣には、九頭龍が祀られています。
弁天様ですね。

近くのキャンプ場に泊まったので、朝の参拝です。
この日は、外ではめずらしく、ぐっすりよく眠れました。

片道2キロの長いまっすぐな参道を歩いていると、何故だか隣を歩く夫が愛しく思えてきて、べたべたしたくなってきました。
変だなと思いながら、気持ちを抑えて普通に歩いているうち、これはご祭神の気持ちだろうかと考えました。

本殿に着くころにはそんなことはすっかり忘れて、いつものように参拝に気持ちが集中していました。

本殿で参拝していると、透明な玉が思い浮かびました。

次に九頭龍社で参拝すると、何とも心地よい波動で迎えてくれます。
お経がどんどん早くなり、息つぎの回数がいつもの半分になりました。

気持ちを向けると、渋い銀色の竜が、こちらを向いて座って(?)いました。
「ありがとう、姿を見せてくれて!」
そう言えば、九頭龍さんは緑色だと、誰かが言っていました。
でも、私の前では銀色でした。

気分最高の参拝を終えて振り向くと、夫が「今、雨がひとつぶだけ落ちてきて当たった」と言うので、九頭龍さんの歓迎の雨に違いないと思いました。
この日はくもりではなく、晴れていました。

社務所をのぞこうとするとまだ閉まっていて、外からながめているうちに神職の方がこられて、開けてくださいました。

九頭龍さんのお守りは二つだけで、一つは文字が書いてある布製の小さなお札のようなもので、夫はこれをいただきました。

もう一つのお守りは、透明なプラスチック玉の向うに白く輝く竜の絵が浮かび上がるもので、私が本殿で見た透明の玉と、九頭龍社で見た竜がひとつになっていたので、これをいただきました。

戸隠神社が一番好きと言っていた長男にも、ひとりだけお守りがないのは可哀想なので次男にも、玉のお守りをいただきました。

長男が好きな神社は、戸隠、天河、江ノ島と、ぜーんぶ弁天さんがいるんですよね〜。
本人に言うと、びっくりしていました。

夫との20年ぶりの再会は、江ノ島神社の神様がプロデュースしてくださったと思っています。
もともと、弁天様に好かれている人だったんですね、きっと。



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 8月8日「諏訪大社」
長野での2日目は、諏訪大社へ参拝しました。
ご祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。
全国の諏訪神社の総本宮になります。

私は鎌倉、藤沢と鎮守が諏訪神社です。
私にとってはきつい神社で、長い間すっきりしない関係が続きました。
それが、この数ヶ月で、ぐっと良くなってきています。

北条時行の供養を始めてからです。
これをするのが、私の大仕事だったんですね。

北条時行は、鎌倉攻めで滅びた北条高時の子で、その後、諏訪頼重にかくまわれました。
そして、後に鎌倉幕府奪回に兵を挙げ、20日間だけ、クーデターに成功しましたが、足利尊氏に追われました。

その時尊氏が攻めた場所に、私は現在住んでいて、その次に戦った場所に事務所があります。

こんな苦しいのははじめてというくらい、進まない供養でした。
でも、のろのろと、ほんの少しずつ進めていくほどに、鎮守の神社が暖かく変わっていきます。
まだ終わりませんが、やめてはいません。

今の鎮守に、かなり安心して自分を任せられるような、良い感覚になってきたころ、
「鎮守になったのは、先祖の一宮だから。」
と伝わってきました。

そうでした。
私の父方先祖の在所は、長野県です。
反応がしんどかったので、そんなことは考えていませんでした。

悪いカルマがとれてきて、良いご縁が前に出てきたようです。
良くないと思っていたけど、良かったんだ・・・
心から、安心できるようになりました。

前回、はじめて諏訪大社に参拝したとき、本宮では冷たい反応でした。
4ヶ所の(諏訪大社は4ヶ所あります)神社を回るうちに、だんだん良くなったのでした。

今回は、とても気持ちが良く気分爽快で、何か言われたはずですが、例によって忘れてしまいました。
参拝後、お札をいただきました。

帰ってから鎮守に参拝すると、鎮守がパワーアップしているように感じました。



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 8月7日「御嶽神社」
木曽の御嶽山へ、夫とふたりで行ってきました。
御嶽神社のご祭神は、国常立命、大己貴命、少彦名命です。

午後に登るつもりが、夕方に到着したので、当日の登山はあきらめて翌日登ることにして、7合目の山小屋に泊まりました。(これが敗因?)

7合目でも長袖長ズボンでちょうどいいくらい涼しく、さらに上に登ると考えると、不安な程でした。

山小屋のお兄ちゃんが、今夜はお祭りがありますよと教えてくれます。
だから今日は信者さんでいっぱいで、夜中にうるさいですがいいですか、と。
私はラッキーとばかりに、その夜中の祭典を見学することにしました。

6時半に夕ご飯を食べて7時から2時間ほど仮眠をして、その後は眠れず、夜中の1時に神火祭(じんかさい)の会場へ、車を走らせ、降りていきました。
キリが深かったのですが、10分ほど下の会場はすっきり晴れていました。

運動場のように広い会場には1000人ぐらいの御嶽教(おんたけきょう)の信者さんが集まり、中央に火をつけています。

祭壇が設けられていたので、まずはそこで祈り、それから火に向かって祈りました。
アナウンスされているお経のようなリズムの言葉は、よく聞くと「大祓詞」(おおはらいのことば。中臣の祓い。中臣鎌足が作った祝詞)であることがわかったので、私も唱和しました。
祝詞は唱和しにくいので、お経風のリズムにして、皆で唱和しているようです。
なるほどー。

後でわかったのですが、燃やされていたのは信者さんの衣服だそうです。
あちこちの神社で行われる夏越(なごし)の大祓いの御嶽教版だなと思いました。
日ごろの生活で積もった罪穢れを、火によって浄化しているんですね。

あーしてくれ、こーしてくれという、現世利益ではないので、共感を感じました。

小さくなった火から火をとり、祭壇へと移し、これがまた1年間、保管されるのだそうです。

御嶽教は、120年前にできた宗教だそうです。
国常立命を主宰神とする宗教が、続々と現れたころに、ここも出てきていたんですね。
なんだか、私自身にとても近い、仲間を見たようでした。

信者の方々はみなさんお行儀がよく、大騒ぎしたり問題行動を起こしているような人がいなかったのが印象的でした。

火がかなりおさまると、関係者のごあいさつがはじまったので、私たちは退散することにしました。

その前に空を見上げてみたら、その美しさにびーっくり!
プラネタリウムとそっくりな、満点の星空でした。
星の数は、湘南の100倍以上!
小さな星雲まで、見えるんです。
天の川なんて、当然はっきり。

夫がこう言っていました。
「目が悪くなると星も見えなくなるって言うから、星があまり見えなくなったのかと思ってた。」

山小屋の部屋に帰って寝たのは3時ごろでしたが、あまりよくは眠れませんでした。

朝の御嶽山はくっきりはっきり、まるで10歩で登れるんじゃないかというほど、近く感じました。
ところが、登り始めて10分、気持ちが悪くなってきて・・・リタイヤ。
ああ・・・。

ぜんぜん体力がだめだったのか、睡眠不足のせいなのか、私はもう、山になど登れないのかなあ・・・。

ふもとの遥拝所で祈ると、お経のスピードがアップして、いい〜気持ちで参拝できました。
「これからも止まることなく、進んでいくのが使命である。」
というようなことを、伝えられました。

祈りは、御嶽教の信者さんたちとご一緒しました。
みなさんは、例の大祓詞を唱和しています。
私のように、お経を読んだりはしないようでした。

社務所は御嶽教ではなく、神道でした。

7合目まで来ましたが、登れませんでした。
でも、神の山は登るものではないとも言いますし、いいか。

昔は、御嶽山に登るには、ふもとで100日間潔斎(けっさい。清め)をしてから登ったらしいですから、何の準備もせずに登るのは失礼ですしね。

何だか、あのお祭りに参加するために出かけたようになりました。
国常さんが、祓い浄めに迎えてくれたんなら、うれしいことです。



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 8月3日「弁天神社、江ノ島神社」

浜松でポルシェ911をレンタルして楽しんだ後、浜名湖南端の弁天神社へ参拝しました。
弁天神社へ来たのは、今、ホームページのトップで使っている写真を撮った時が、最後です。

小さな普通の鎮守のような神社ですが、参拝すると、かなりいいんです。
ところが、前回は私の期待が大きすぎて、反応なしでした。

今回参拝していると、以前、毎月通って来ていた時のように、懐かしい雰囲気が流れてきました。
「ポルシェを楽しませていただきました、ありがとうございました。」
とあいさつすると、
「今の車を大切にしてください。」
と伝えられました。
白いセリカが思い浮かび、神様、気に入ってるのかなと思いました。
ポルシェに乗ってみてわかった、とても運転のしやすい車です。
そう言えば、前回参拝中に車のことを思い出したのも弁天さんでした。


浜松から帰った次の日、江ノ島神社へ参拝しました。
江ノ島にはエスカーという、エスカレーターがありますが、利用したのは1回だけ。
それ以来ずっと歩いて階段を上っています。

今年に入ってからの半年間、体調がすぐれず、この階段がきつかった・・・。
でも最近は来るたびに楽になり、今回は何とも思わず、中学3年の長男と歩調を揃えて上りました。
良かった・・・だってもうすぐ、木曽御岳山に登りに行きますから。

この2ヶ月ほどは毎日、「御岳山に登りますので、お導きをお願いします。」と祈っていました。

辺津宮(へつみや)ではいつも通り、和やかに迎えていただけます。

仏像好きの長男は、ひとりで拝観料を払い、弁天像を見学しました。
私は何度も見ていますから、外から拍手をたたくだけ。

中津宮では、相変わらずちょっと心配性の弁天さんが迎えてくださり、奥津宮でも最近はいい感じが続いています。

最後の竜宮社は遊園地のびっくりハウスみたいな外観になっているせいか、参拝する人が少なく、よく清まっていて、私は一番好きな場所です。
ご祭神は、江ノ島の龍神です。

ほとんどいつも入り口が閉まっていますが、それでも石窟の空気が流れ出してきて、とてもいい気持ちです。
今までに2〜3回、入り口が開いていて、中に入って参拝したことがあります。

ここで参拝をすると、心身の良くないものが軽くなります。
事務所の鎮守の小動神社のスサノオさんが、良くないものがあったらここで取ってもらうように言ってくれます。
(でも実は、ここよりも小動神社の方が、完璧に取ってくれるんですけど・・・)
この日も参拝後は、はじめの3ヶ所に参拝した後よりも気分が爽快になりました。

大好きな竜宮社、ここに住みたい〜!

4ヶ所のお宮ではどこでも湘南の生活をお守りいただいていることを感謝しました。
いつもいつも心の中で感謝しています。
湘南はいいところだと思うたびに、江ノ島の神様に感謝しています。


弁天島のページ(オフィシャルページはありませんでした)
http://www.hamanako.com/resort/window/11.html

江ノ島神社のページ(オフィシャルページは見つかりませんでした)
http://www.kani.com/gallery/DC-2/index2.html



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 8月5日「グループフォロー大宮」

7月27日に、大宮でグループフォローを開催しました。
来て下さったのは、静岡、長野、神奈川、東京、埼玉からお越しいただいた5名の方でした。
うち、お一人は去年の横浜に続いて2度目、他のお一人は男性の方で、また他のお一人は子供さんとご一緒でした。

子供さんがいらっしゃったことで、この日は一日中和やかな雰囲気になりました。

大宮はすごい暑さでした。
地球温暖化が進んで、どこも年々暑くなっているんでしょうか。

待ち合わせの後、氷川神社の本殿でお参りです。
拍手を合わせたりせず、それぞれ好きなようにお参りしていただきました。
私はこの日2度目の参拝だったので、グループフォロー開催のあいさつと感謝を祈りました。

本殿の後は、10ヶ所ほどの末社を全てまわり、軽く参拝していきました。

氷川神社は参堂が何キロもあって長くて立派ですが、神社の境内そのものはそれほど広大ではありません。
ですから、のんぴりとした散歩というよりは、ささっと一回りした感じになりました。

それから、子供さんがいらっしゃったので、プレイランドがある(はずの)マクドナルドへ、移動しました。
でもそこのお店には私の調べ間違いで、プレイランドがなかったんですね〜。
お母さんは子供さんの相手が大変になってしまって、本当に申し訳ありませんでした。

さて、恒例のご質問がはじまり、ひとりずつ順にご質問をいただきました。
ご質問が一回りするとまた、最初の方から回っていきます。
5名の方とるり子さんの質問とでふた回りぐらいすると、休憩というようなペースを、4〜5回繰り返した感じでした。

5名の方のうち、3名がレベル2、2名がレベル3を実行中の方で、るり子さんはレベル4という構成でした。
ちょっと離れた席では、我が夫が、時間つぶしをしながら待っていました。

ご質問の内容は、祈り方についてや、歴史について、人間関係をどう考えたらいいのか心の持ち方について、石の取り扱い方、トラブルに対する考え方、身体に出てきた霊障の原因についてなどで、途切れることなくご質問が続きました。

途中、鎌倉武士の和田一族に関するご質問が出たとき、なーんと私が泣いてしまったんです。
いえ、和田一族に関しては、胸を打たれる一族ですが、今まで話していて泣いたことはありませんでした。
ご質問された方が、ご縁の深い方だったんだろうなと思います。

時間は刻々と過ぎて、6時ごろ、お話は終わりになりました。
名残を惜しみながら、みなさんとお別れして、それぞれまた氷川神社の参道を、帰っていきました。

私は今回もやっぱり疲れて、帰りは運転してもらいました。
これはもう、仕方のないことですね。
無防備だった去年の京都ほどではなく、名古屋の時と同じぐらいでした。
(先日の京都は、突っ込んだお話がなかったので、全然疲れませんでした。)

当日までにカルマが出た方や、当日から出た方もいらっしゃいました。
いつもこうなんですよね・・・みなさんにとっては、きつめの浄めになってしまいます。

でもやっぱり、実際にお会いするというのは、楽しいですね〜!
はじめてお会いしても、なんだか前から友達だったような感じがする方ばかりなんです。

でもこれからは、夏は避けることにします。
湘南へ帰り着くと、涼しさに感激でした!




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 7月27日「氷川神社」

皆さんとお会いするイベントで、大宮の氷川神社へ参拝しました。

氷川神社は武蔵之国一ノ宮で、ご祭神は須佐之男命、櫛稲田姫命、大己貴命です。
「大宮」という地名は、氷川神社のことですね。

祈りながら、関東の主な神社の参拝が終わったことを報告しました。すると、「浄めを頼んだわけではない。
そなたのために、それをすると良かったのである。」
と伝わってきました。

そっか。
私のために、言いつけてくださったんだ。
はじめからそう言ったら、私がつまらないかもしれないから、こんな言い方をされたんだ。

くくっと心の中で、笑ってしまいました。
どう考えても、スサノオさん流だ。

以前なら、大笑いしながら言ってくれたはずでしたが、今はとても静かです。
冗談ではなく、大切なことだったんでしょう。

今、これを書いていて、口の中で出血しました。
どこも噛んだりしていません。
何かが清められる時、何もしないのに口の中で出血することがあります。

ありがとうございました。
何か、わからないけれど、関東へのカルマが清められたんですね。


氷川神社のホームページ(オフィシャルサイトが見つかりませんでした、すみません)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4815/hikawa.html



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 7月20日「貫前神社、妙義神社、榛名神社」

上野の国(群馬県)一宮、貫前神社へ参拝しました。
小高い山の上にあり、神門から本殿へは下りて行きます。
比叡山延暦寺もこんな感じでした。

ご祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)とその姫神です。
厳粛な雰囲気で迎えられましたが、まだここにはやらなければいけないことがある感じがしました。

次に、妙義神社へ参拝しました。
ご祭神は日本武尊、豊受姫命、菅原道真公です。

妙義山を初めて見たのは、約10年前でしたが、その姿の異様さに、近づきたくないと思ったのでした。
けれど、そこに神社があり、ご祭神が日本武尊であることがわかってからは、ぜひ参拝してみたい神社になりました。

境内は苔むして、由緒と歴史を感じました。
ご本殿は凝った彫刻で飾られていて、本殿の手前の入り口の扉の透かし彫りを、表から裏からながめては感心しました。
日光東照宮の職人さんが、作ったのかもしれません。

祈りは、ここでも厳粛な雰囲気で迎えられました。
「今日で関東の参拝が終わります。
次には、日本武尊の足跡を追いますので、その間にまた、参拝させていただきます。」
と付け加えて、祈りました。

本殿裏には、天狗を祀ったお社があり、そこでは「お手伝いしますよ」と伝わってきました。
とても優しくて、女性のようでした。
天狗さんは、どこでも本当に親切にしてくれます。

次に参拝したのは、榛名神社でした。
榛名山の中腹にあり、とても素晴らしい場所です。
神門からは、片道1キロ弱ですが、その渓流沿いの道のりは、マイナスイオン満点で、歩いているだけでパワーを充電される感じです。

なぜかカップルが多いんです。
私たちもしっかり、カップルだったんですが。

ご祭神は、火産霊神(ほむすびのかみ)と埴山毘売神(はにやまひめのかみ)です。
火の神様と、土の神様ですね。
ということは、陶磁器製造業の方や、火又は土を扱う方からの崇敬の篤いところでしょう。

本殿で祈っていると、ご機嫌そうな男神の気配を感じます。
「はじめは山を鎮めてくれと言って、人が祀ったのだ。
人が祀る前から、山には神がいたが、それは荒々しいものだった。
今では静かなものである。」
世間話でもするように、話しかけてくれます。

「ここで本当に最後です。ありがとうございました。」
やっぱり、火の神様には、親切に迎えていただけるんですよね・・・。

参拝の後、山頂の湖へ出てから、高速のインターへ向かいました。


貫前神社のホームページ http://www.nukisaki.or.jp/

妙義神社のホームページ http://www.nukisaki.or.jp/myougi_nakanotake_jinjya.htm

榛名神社のホームページ http://www.haruna.or.jp/



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 7月19日「鶴岡八幡宮」

事務所に、鶴岡八幡宮のお札を置こうとずっと思っていながら、いつまでたってもいただいて来れないので、出勤前にさっと参拝してきました。

いつもの抜け道を走っていると、何とも言えない風情を感じ、「鎌倉は、いいとこだなあ。
戦いで死んだ人が多くて、今でもうっとうしい感じがあるけど、でもやっぱりいいとこだ。」
と、いつになく浸っていました。

駐車場に車を止めて、本殿へ歩きます。
本殿は小高い山の頂上に(たぶん)あり、わりとこじんまりとした建物です。

参拝をはじめると、またまたほんの短い祝詞の途中から、涙があふれてきました。
いつもどうしても、歓迎されても、どこか冷たいところのある神社ですが、今日は暖かく感じました。

「関東の主だった神社を、ひと通り回りました。
あと、群馬の3ヶ所で終了です。」
と語りかけると、号泣・・・。

すぐ横に社務所があって、何人かの神職の方が常駐されていますから、その目の前で、恥ずかしくて仕方がありません。

「鎌倉は関東の都。その浄めは、鎌倉の浄めでもあった。」
と伝わってきます。
そうかあ・・・、鎌倉のためにもなってたんだ、良かった。

それで、群馬県が最後になったのかな・・・。
鎌倉攻めのスタートは、群馬県からでした。

何か質問すれば、返ってきそうな雰囲気でしたが、とにかく早くこの場面を終わりにしたい気持ちと葛藤して、頭がちゃんと回らないのです。

少し涙が落ち着いてきた時に、ささっと祈るのですが、次から次から涙が流れて止まりません。
なんとか祈りを終えても境内にいる間はまだ、流れる涙を押さえなくてはいけませんでした。

さっき鎌倉がいつもよりも好い所に思えたのは、八幡宮のご祭神が、歓迎してくれていたからなんだなと思いました。

鎌倉には、もっと何かしなければいけない感じがしていたので、知らず知らずにできていたことがあって、良かったと思いました。

事務所には、やっと鎮守の小動神社、江島神社、鶴岡八幡宮の3枚のお札が揃いました。



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 7月22日「箱根神社」
13日の日曜日に、箱根に出かけました。

湘南は晴れていましたが、箱根はくもりで風が強く、キリもかかっていました。
箱根神社の境内へ入ると、とってもいい気持ちです。
前回もそうでした。

ご祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト、天照大神の孫)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、ニニギノ命の子)、木花咲耶姫尊命(コノハナサクヤヒメノミコト、ニニギノ命の妻)。
ニニギノ命と彦火火出見尊をお祀りしているところは、どこもさわやかに迎えてくれる気がします。

石段を登り、参拝を始めていつものように祝詞を小声で奏上していると、途中で涙が流れてきました。
ずっと、箱根に行かなくてはと思っていたので、思うたびに、魂だけ参拝していたのかもしれません。

霊視していると、いろいろな色の丸っこい形ものがごちゃごちゃと積み上げられているのが見えました。
何だろう、丸っこいのは、俵とか?
そのままよくわからずに参拝を終え、社務所をのぞくと、5色のひょうたんの根付のお守りがありました。

ああ〜、これだ〜、なーんだ、もうちょっと大きいものかと思ったんだけどなー。
でも私が見たものは、そのお守りに間違いないので、いただきました。

こういうことはよくあるけど、ホントにいただいてるのかなあ、透視をしているだけなのかもしれません。
でも、いつも三方に入れられて、うやうやしく目の前に現れるので、むげにしないことにします。

以前、私は九頭龍神社へ参拝するために、私有地へ勝手に入っていったんですが、今回、社務所でたずねてみたら、船で行くしかないということでした。
風が強くて船は出ていないでしょうから、あきらめることにしました。
いつか、ちゃんとスケジュールを調べて船で参拝することにします。

ロープウェイも風で止まっていましたから、山の上の神社も、あきらめました。

帰りは箱根ターンパイクを通りましたが、山上はすごいキリで、恐る恐るの運転でした。
新車にしてからはじめての山で、ATですが、マニュアルスイッチが超便利でした〜
もう、このスイッチのない車は、乗りたくなーいと思ったほどです。

山の中腹から下はよく晴れていて、風も大したことがありませんでした。
何だか、損でもしたような、変な気持ちです。
箱根神社、めちゃ気に入ってしまったので、これから度々行くぞー。



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 7月7日「京都・天龍寺、野々宮神社、知恩院」

京都・知恩院で喜納昌吉さんのイベントがあり、祈りを進めている方々と共に、参加してきました。
参加人数は、私と夫を含めると12名でした。
10名のうち、3名の男性は女性のお供で、さらにそのうち1名の方は、奥様とともに祈られている方です。

嵯峨野で待ち合わせて散策してから、知恩院へ向かいました。
当日はとんでもない暑さで、もう汗だくでした。

まずは、天龍寺。
天龍寺は、南北朝のころ、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立しました。
どうしても来たかったわけではありませんが、嵯峨野ではなんとなく、ここへ参拝することにしてしまいました。

私は3度目の参拝ですが、後醍醐天皇がどこにお祀りされているのかわからず、一度も後醍醐天皇に祈ったことはありませんでした。
ですから、今回ははじめから受付で場所を尋ね、訪れることができました。

その場所は寺院の最奥にありました。
後醍醐天皇の木造があり、南朝のもう二人の天皇も祀られていました。

正座をして祈っていると、さわやかな笑顔を感じました。
その笑顔はずっと、最後まで私の前にありました。

そういえば、私は南朝の天皇ひとりひとりとその守護神仏に対して、私への怒りが収まるまで祈ったことがありました。
祈るということは、また許していただけるということは、本当にありがたいと思いました。

私の後ろで、他の皆さんも座って祈っていました。
その様子は、宗教団体のようだったでしょうね。

次に、野々宮神社へ参拝しました。
竹やぶの中に建つ、さわやかなお宮です。
ご祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の巫女さんだった方です。

ここでは、それぞればらばらに参拝しました。
以前、とてもいい神気を流していただいたことがあり、安心して参拝できました。

時間の余裕がありましたが、暑くて歩くのが大変なので、皆で喫茶店へ入って時間まで休みました。
その後、車と電車と自転車1名(!)に分かれて知恩院まで移動。

知恩院のイベントは、喜納昌吉さんが提唱している「すべての武器を楽器に」という活動の一環としてのセレモニーでした。
私は最初に到着したので、国宝の御影堂の横に車を止めると、法然上人へもお参りしました。

セレモニーは御影堂の中で行われ、土井たか子さん、鳩山由紀夫さんはじめ、沢山の政治家や宗教界の方々が参列されて、取材のカメラも多数入っていまして、私はもちろん、参加の皆さんもたぶん皆、少々驚いていたと思います。

知恩院の僧侶の皆さんの声明(お経のような歌です)と、沖縄の方の謡曲(これもお経に似た歌です)は、あまりに心地よくて、眠ってしまいそうでした。

政治家や宗教家の方々のあいさつが続き、喜納さんのあいさつがあり、インド国防大臣が遅れて到着しました。
この方は、息子さんが平安神宮で日本人女性との結婚式をされている最中に、抜け出して来られました。

ここで改めて、インド国防大臣から、使用済みの本物の武器が、沖縄で音の出るモニュメントを作る材料にされるために、喜納さんに贈呈されました。

国防大臣がまた、結婚式に戻られると、喜納さんの歌がはじまりました。
時間がかなり予定よりも押してしまったので、1曲だけになったようでしたが、「花」でした。

心をこめて歌ってくださったと思います。
だから、参加されたみなさんが、感動しているようでした。

これで特別な一日が終わってしまいました。
名残惜しい気持ちを残しながら、翌日の生活のために、私は急いで京都を出発しました。

私と夫以外の10名の方のうち、7名の方は初対面でした。
いつもメールやお手紙、電話でのお付き合いでしたが、こうしてお会いできると、いっそう信頼感が強くなる感じがしました。
暑い中、遠くからもお越しいただいて、本当にありがとうございました。

喜納さんのスタッフの方からのおさそいがあり、このような楽しい機会が持てましたことを、心から感謝いたします。
おさそいいただいた当の方との、ご縁のそのものにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとう、弁天さん、スサノオさん、たくさんのご神仏様、いつもいつもありがとう。



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 6月24日「唐沢山神社、佐野厄除け大師、宇都宮二荒山神社」
栃木県へ参拝に行ってきました。
まずは唐沢山神社(からさわさんじんじゃ)。
ご祭神は田原藤太藤原秀郷(たわらのとうたふじわらのひでさと)で、武士系藤原氏の先祖です。
平将門(たいらのまさかど)を討って、出世しました。

この人の子孫は大繁栄しました。
佐藤さん、小林さんが代表でしょうか。
他に、田原さん、結城さん、中島さん、関さんなどもこの一族のことがあります。
家紋はふたつ巴や三つ巴など、大体巴紋を使っています。
巴という形は、まが玉のような形です。

この一族と私は、良くも悪くも、深い関係でした。
最も印象に残る、良いご縁と、悪いご縁は、この一族の方々でした。
(天然石ショップでおなじみのるり子さんは、この一族ではありません)
唐沢山神社へ参拝すると、この一族との関係が、何となくわかります。
ですから、不安と楽しみの入り混じった気持ちで出かけました。

神社は山の上にありますが、車ですぐ近くまで行けます。
駐車場から本殿へ向かって歩いていると、お稲荷さんのお社がありました。
遠くから拍手をたたいてご挨拶すると、清らかで爽快な雰囲気が流れてきました。
どこから勧請されたお稲荷さんか、知りたかったのですが、わかりませんでした。

本殿で祈りはじめると、豪快な性格そうな武将が、目の前でにこにこしながら見守ってくれていました。(霊視)
歓迎してくれているみたいです。
良かった〜!
私の母方先祖は平家だけれど、結城にカルマがあるんだけど、怒られていないんだなあ、本当にありがとう。
今まで私のしてきたことを、認めてくれているようでした。

祈りながら、琵琶湖のことが思い浮かびました。
秀郷は、琵琶湖の竜神の守護を受けているという逸話があります。
弁天さんのお計らいもあるのかも・・・

何にしても、武士系藤原一族の大先祖から受けた、さわやかな感覚は、ありがたくて仕方がありませんでした。
さっき、お稲荷さんがさわやかな気を流してくれたのも、ご祭神が歓迎してくれていたからなんだなと思いました。

先に述べた姓をお持ちの方は、参拝してみてください。
車だと佐野藤岡インターからすぐで便利ですが、電車ではバスかタクシーが必要です。
神社には、舟木一夫さん奉納ののぼりが並んでいました。
あの方も、ご子孫なのかな?

次に、唐沢山神社から5キロぐらいの、佐野厄除け大師へ参拝しました。
関東にお住まいの方は、テレビコマーシャルでおなじみですね。
空海さんを祀っているのかと思ったら、別の大師さんでした。
空海さんに、尋ねたいことがあったのにな。

ご本尊はお不動さん。
立っていたので、波切(なみきり)不動かな。
空海さんの船を、中国から日本まで、守護したお不動さんです。
たくさんの人が護摩焚きに参加していました。

祈っていると、またまたいつもながらのぽかぽかの雰囲気に包まれます。
ここは初めての参拝ですが、お不動さんは、大体どこでもこんな感じです。
ありがとう、いつも本当にありがとう、大好きだよ。
不動真言を唱えていると、ただ唱えているということそのものがひたすらうれしくて、涙がにじみました。

最後に佐野から宇都宮へ移動して、宇都宮二荒山神社へ参拝しました。
ご祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、下野(しもつけ。栃木県)と上野(かみつけ。群馬県)を開拓守護した人で、奈良から来た人です。

ここへは、栃木時代、毎月参拝していました。
栃木県の一宮です。(日光二荒山神社も)
いつも反応がきつくて、苦しい参拝が多かった神社です。
けれど、今回は楽々でした。
ああ、もうこの県のカルマは受けなくていいんだなあと、感慨深かったです。

本殿右奥には、須佐之男命が祀られています。
以前は、本殿での祈りがつらくて、その後、よくここで慰めてもらっていました。
今回も近づくだけで、またなつかしい感じがしてきました。
そう、以前もこうやって、近づくだけで涙が流れたものでした。
でも今は、本殿の神様も冷たくなかったので、私は落ち込んでいません。

須佐之男さん、いつもささえてくれてありがとう。
あのころ、須佐之男さんだけが、心のささえでした。
須佐之男さんが側にいてくれなければ、私はこんなにご神仏のことに一生懸命にならなかったと思います。

須佐之男さんのために死ねると、何度も心の中でくり返していました。
いちばん苦しかった時期を、須佐之男さんが導いてくれました。
それが、須佐之男さんだったということを、誇りに思っています。
最後は、なつかしい参拝になりました。



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 6月16日「チャネリング・バシャール」
横浜で開催された、バシャールのチャネリング・ワークショップに参加してきました。
バシャールは、20年前から地球人にコンタクトし続けている、プレアデス星団、エササニ星在住の宇宙人です。
今回のチャネラー(霊媒みたいなもの)は、ダリル・アンカさん。
ダリルを通して、バシャールが話します。
参加者は、250名ほどでした。
私は早く着いたので、前から2番目の真ん中あたりの席でした。

ダリルと通訳の女性がステージの真ん中に座り、ダリルの簡単な自己紹介がありました。
どちらかというと、静かな方のようでした。
後からだんだんと、とても静かな方だということがわかりました。
写真で拝見した時は髪の毛がありましたが、この日は坊主頭になっていました。
それで、頭頂が出っ張って山の形になっているのがわかりました。
そういう人って、精神的な人が多いんですよね。
頭頂がまっ平らの人は、肉体派が多いんです。
写真ではメガネをかけているようでしたが、当日はメガネなしでした。
客席を、クリアに見たくなかったのかな。
体型は、がっちりしています。

ダリルがステージで、目を閉じて集中しています。
うわー、ステージでリラックスして集中するなんて、とても私にはできないことだと、感心しながら見守っていました。
集中しはじめてから1〜2分後、大きな声で、
「はーい、皆さんこんにちは!
ごきげんはよろしいですか?
今日は、ここへ来てくださってありがとう!!」
という感じで、元気いっぱい、めちゃめちゃ明るく、目を閉じたままのダリルが話し始めました。(英語です)
身振り手振り、目を閉じたままの表情も豊かで、アメリカのバラエティ番組か何かの司会者みたいでした。
これが、バシャールが来たということらしい・・
なるほど、ダリルはあまり話すのが上手くないので、さっさと話し上手のバシャールにバトンタッチしたんだなとわかりました。

この日のテーマは「地球のこれからと、みんなでできることについて」という話題で、バシャールが適当にしゃべり、質問も受け付けるという形でした。
バシャールは、何を言っていたかな・・・
「2025年ごろ、バシャールの星が参加している宇宙同盟に、地球も正式に参加することになりそうです。」
もうすぐじゃん。

「私たちには肉体はあるけれど、食事はしない、眠らない、排泄物もない。私たちも3000年前は、今の地球人と同じでした。」
おおー、なんていいんだ。
私は食事も睡眠も嫌いで、体の要求にしぶしぶ答えているんだから。
3000年なんて、すぐの気がするよー。

「太陽系には、人間のような知的生命体はいません。」

「地球人はまだ私達宇宙人と出会うということに関して、準備ができていないので、まだ遠くから見守っています。
その準備とは、心の準備がひとつと、私達のような高い波動に出会った時、人間が苦痛を感じてしまう。
それは、高い波動というのは問題点を表面に出してしまうので、問題が内にあれば、苦痛として感じることになります。」
そーそー、だからカルマも心の傷も、浄化しないといけないんだよ!

「地球を変えていくのは、ひとりひとりの変化からはじまります。
1000人のうち、10人が変われば大丈夫。」
それはよく聞く話だけど、どうして大丈夫なんだろう、後の990人はどうなるのかなー

「死は、終わりではなく、変化です。」

「『全て』は、全てが自分の中にあるということ感じるために、自分が全てだということを忘れるというゲームをはじめました。
自分の中に全てがあるということを忘れて、思い出したときに、本当に自分が全てであることがわかるからです。
『全て』は、自分の中に全てがあることを忘れました。
それが人間です。」
ほおーー、スリリングだ。

「自分の中に全てがあります。」
ふむふむ、ヒンドゥー教のブラフマンのことだな。
自分も全体も一緒。

「周囲の環境が良くないから幸せになれないのではありません。
あなたが変化した時、あなたは周囲からの影響を受けなくなります。
それで周りの人があなたに、どうしていつも幸せそうなのと聞いたら、私は幸せを選んだから。あなたもそうしたみたら?と答えてください。
そして、そうしない人には、小さな可哀相な人と思ってください。」
そらそうだ。

他にもいろいろなお話がありました。
バシャールは最初、2時間通して話したので、こっくりしている人もかなりいました。
いや、私も睡眠不足で・・きつかったです。
後ろの席に座っていた人は、この手の場所では、眠くなるものだということでした。
エネルギッシュということは納得できます。
私も、神と日常から親しくしはじめてから、よく「パワーあるねー」と感心されるようになりました。
神仏と仲良しの人は、皆エネルギッシュなはずです。

バシャール達は、波動の低い地球人にダメージを与えないために、近づきすぎないようにしていると言っていましたが、自分で波動を低くして近づくことはできないんでしょうかね。
私が人とコミュニケーションをとったり、援助をしようとすると同じことが起こって困っているので、質問したかったんですが、こんなことは他の方にはあまり興味がなくて、役にも立たないだろうと思って、手をあげるのをやめました。
こんど、チャネリングで個人セッションを受ける機会があれば、バシャールでなくても誰かに聞いてみようかなと思います。

一晩明けて、今日は朝から軽い頭痛があり、眠くてだるい状態です。
昨日はチャネリングだけで何もしていないし、大して疲れもなかったのに、どうしてだろうと考えていたら、波動調整だと気づきました。
高い波動に影響されて、自分の波動が上がる時の症状です。
ちょっと頭痛がしてけだるいんですが、気分はふんわりといい感じです。
波動調整が神社や聖地以外で起こったのは、これがはじめてかも・・
前日の東京でのワークショップでは、波動が低いのではないかというようなクレームをつける人がいたらしいですが、私はこの通り、高い波動を経験したと思います。

ワークショップ終了後、ダリルにサインと握手をしてもらい、並んで写真もとってもらいました。
ダリルの手は、柔らかくて暖かかったです。

会場で話した女性が、
「バシャールのこと、信じようと思う。
信じていいんだよね。」
と言いました。
「私は90%しか信じないの。
10%は、いつも何でも信じない。
ただ、目の前にあるものを、ここにあるなと思って見てるだけ。」
私がこう答えると、彼女は、
「そうだね、ありのままでいいんだよね。
でもそれが、なかなかできないんだよね。」
と言っていました。
参加した他の人たちの心の中にも、同じような葛藤があるんでしょうね。

また誰かのチャネリングが開催されるようなら、今度は個人セッションを申し込もうと思っています。



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