霊の祈りを進めている皆さんの、体験談です


とにかく、祈りたい、最後にゆるされるのは祈る事しかないのじゃないかって思って、神棚のあつかいと先祖供養をしたい、自分で納得いく形でしたい!とあるときから強く思い始めて、でも宗教団体に入る気はさらさらなかったし、今はインターネットという便利なものがあって、いろいろと探していたわけです。
ですが、たいがいが、お金をだして「能力」のある人にお願いするという形のもので、無能力なものは何もできないという感じでした。
そこで祈ららにいきついて、ひかりさんの人に頼まなくても自分で祈ることができるんです自分で祈ったほうがよく通じるんですよ、この言葉はほかのどんな言葉より私を納得させるものでした。
実際、今で言う「霊の祈り」を手にとってみると、ほんとのところ、最初はこんなことしろうとがしてもいいのかな?っていうくらいレベルの高いもので、少々、不安に思ったこともあったのですが、アフターフォローではとても安心できたし、今は迷いなく頑張ってます。
といってもまだレベル2で、これはちょっと長期間を必要とする感じですが、レベル2までは(それ以上をしらないので)やっぱり、最低でもやっておかなければならない内容じゃないでしょうか。



先日、職場の鎮守に参ると末社に厳島神社があったので参拝しました。
翌日の朝、神棚にて「厳島神社に祝詞をあげさせていただきましてありがとうございました。」とお礼を言い、そこで弁財天祝詞を読んだ後には(暖かい)号泣でした。
初の号泣です。
こんな気持ちは初めてでした。
祈ららの祈りに出会えて本当に良かった。
今後も精進してまいります。



ひかりさんのおかげでいろいろ気づくことが増えてきました。
今までの神棚やご先祖様や神社やお寺に対する接し方が変わってきました。
気持ちが込められるようになって、返事が返ってくるのがわかるようになりました。
レベル2の方法を元に、自分なりの接し方で毎日感謝しています。
自分が日々変わってきている気がします。
神社や神棚でいただくメッセージも、本当に為になります。
感覚が前と違ってきて、人の念を感じるようになりました。
これもひかりさんの祈りのおかげだと思っています。
これからも自分なりのレベル2をずっと続けていこうと思っています。
ひかりさんとのご縁を感謝します。
ありがとうございます〜!



ドラゴンアイズが届くたびに、えぐられるような気になるのですが、大きな気づきになんともいえない感慨を抱くのです。
ドラゴンアイズは何度読み返したことでしょうか。
読み返すたびに、新たな気づきと感動があります。
それは自分が少しずつ成長したことなのかなとうれしく思います。
祈ららの祈りをはじめてから、祈ららの祈りのレベルの高さと自分の幼さにうちのめされる毎日でした。
「絶妙のタイミング」で祈ららにみちびかれたとしか思えません。



これはとても嬉しかった事なのですが、1週間くらい前に、カルマ出しでしょうか、携帯で知り合いに励ましのメールを出したところ、言葉を悪く取られたらしく、思いもかけないキツイ言葉が返って来ました。
そういう言葉が苦手なので、一旦、静観する事にしてそのことは終ったのですが、自分の気持ちとしてはかなり傷ついてしまったらしく、悶々としました。
相手の事を悪く思いたくないけれど、自分の中の柔らかい部分が傷を負ってしまっていて、悲しいのです。
仏壇でのお祈りでも中々気持ちが集中しないのですが、真言をあげている所で、涙がこぼれてきました。
そのまま、入浴後に神棚での祈りの際に、始めに悲しかった思い等が出て、泣きながら祈り始めました。
その後すこし気分が落ち着き、祈りも祝詞を幾つかあげている所になり、初めて、十種祓い、祝詞を挙げた後に、ふと「相手の人が成長するまで、諦めずに待とう」と思えたのです。
それは、始めに思っていた恨みがましいモノではなく、相手にも私にも成長を促すような考えでした。
その後に、すぐ、(これは、神様が下さった諭しではないのか?)と思いました。
その考えの美しさに今度は違う涙が出てきました。
ありがとうございますとひたすら祈り続けて沢山涙が溢れました。
泣きながら祈りを終えました。
よく先生や皆様が涙が溢れてと話されていましたが、こういう事かもしれませんし、違うかも知れません。
ただ、その一つ段階を挙げてくださったかの様な考えに驚いて、本当に有り難くて心の底から、祈りをしていて良かったと思ったのです。



知恩院さんの有名な門が見えた時のこの感じ。
門の前に立った時確実に実感、ここに来た、今日ここのためにと。
ずっといい感じ。
友人も一日中いられる気がすると言った。
私は、すごいすごいとワクワクいい感じがうれしくて。
ここの本殿は御影堂。
本殿から、すごくいい感じ。
左方で檀家さんの供養らしきしていた。
けど、○○寺で出くわしたそれと、全くちがう。
お経もいい感じ。
小坊主さんたちは裸足。
寒そうな藍色のじんべ上下のような。
本殿の中をおそうじしていた。
おまいりの邪魔にもならない。
もう全て、お坊さん小坊主さん、一瞬にして○○寺とは全然ちがうものを痛感。
阿弥陀堂へ。
でーんと大きな阿弥陀様すわっている像。
アルカイックスマイル。
畳部がせまく、すごくちかい。
中に参拝の人がなく、私と友人一番乗りって感じで、私はまん前にすわり、あいさつをとまどいはじめる。
柵の手前に木魚がいっぱい並んでる。
私もさわっていいの?
日ごろ家の仏壇で見守ってもらって、今日は阿弥陀様につたないお経をと般若心経をとなえだしたら、おそうじの為と思っていたお坊さんたちの読経がはじまった。
木魚に拍子木みたいな音、ドラムみたいな音、私は目を閉じていたので、だんだん人が増えてる様子。
横の入り口がパタンパタンと開いたり閉まったり、バタバタ入ってくる音、私が見た、並んでいた木魚が次々になくなっていく。
自分のお経をやめて、ゆだねた。
すごいすごい。
お経が大きくうねり、つつみこまれ、涙々、あふれるあふれる。
私のためと思った。
私をここへ導いてくださったと。
そしてこれは私へのプレゼント(誕生?のような気もした)。
いっぱい話しかけた。
うぬぼれていいのですね。
どうしてどうして、私はまだ何もはじめてなくて何もしていないのに。
ありがたくて、ありがたくて。
今も涙が出る。
しゃがれ声のお坊さんの声。
えっ?前の木魚は小坊主さんのようなのを想像していて、目を開けた。
(多分ずっとゆだねているのがこわかったのでしょう。あとで未熟さをうらんだ。せっかくだったのにと)
そしたらまん中で、無知な私でもわかる袈裟や着物、両脇の若いお坊さんがその僧が立ったりすわったりして経をとなえるたび袈裟をもってしつらえる。
まさにすごい上の方の僧。
老人でしゃがれ声だけど、いい。
えーっという人数でした。
こんなことになるなんて夢にも思ってなかったし、パタンパタンと並んでる木魚の人らが出て行き、柵の中の人らは中から去り。
呆然とする間もなく「もう閉めます」といわれ、あわてて階段へ。
ティッシュをさがし、でれでれの顔、鼻水。



昨日、久しぶりの休みで、朝、急に父方の墓参りに行きたくなったので、行ってきました。
墓地に入るとたくさんの、とってもたくさんの視線・・・(他の墓の方々でしょうね。。)
でも、かかってくる感じはなく、どちらかというと、「いいなぁ〜」という視線かな??
ゆっくりとお経をあげ、祖父母の孫であること、たくさんのご先祖様たちの子孫であることに感謝し、この祈りに感謝して、、お墓が暖かく感じます。
後で気が付いたのですが、昨日は「敬老の日」で、今日から「彼岸の入り」なんですね。



送っていただいた会報を読ませていただきましたが、本当に勉強になり、質問したいことの答えもあり、読み応えたっぷりです。
なにより、そこからかもし出される空気が(ホームページもそうですが)さわやかで清々しいです。



私は特に何も考えてない時からよく神社やお寺に行っていたのですが、ある時友達から「宇宙神霊紀」とかいう、漫画家の美内すずえさんの本を借りて、目からうろこというか・・・
神様は本当にいて神社やお寺はただの建造物ではないって事や、輪廻転生は本当に自分にもあるという事、エネルギーという言葉の意味や、石や音や光が似たようなものであるという事などを初めて知り、今まで「綺麗な場所やね〜」とか「かっこいい建物やわ〜」という風にしか思っていなかった神社やお寺が、本当に神様がいたりする場所だったなんて・・・と、何とも言えないショックを受けました。
神聖な場所は、本当の意味で「神聖な場所」だったのか・・・と。
それまでは神社やお寺にまつわる話を、おとぎ話的に捉えていました。
これは新発見!みたいなノリで周りの友達に話すと、信じない人と、そうでない人や前から知ってる人とキッパリ分かれたので、それにも驚きましたが、前から知ってる人やなんとなく私が言ってることが解る人たちがそんな話に関する本を貸してくれたり買ってきてくれたりして、みんなが「読んでみて」と。
それから私は神社やお寺の神様に、すごく興味を持つようになって、敬意を払うようになって、きちんとあいさつとご縁を持てた事の感謝を言うようになりました。
色々回るうちに、真言と般若心経と祝詞に興味を持つようになりました。
たぶんあの言葉たちは、神様に一番伝わりやすい言葉なのだろうと思いました。
お坊さんや神職の人たちが羨ましくなりました。
私は神様にお願い事を聞いてもらったり守ってもらったりしてるから、ちゃんと伝わる言葉で感謝を伝えたいって思うようになりました。
あるきっかけで、不動明王さんと大日如来さんの真言は覚えました。
般若心経はどこでも唱えられているので、いつかは覚えようと小さいものを持っていて、たまに目を通していました。
で、ひかりさんの祈りの言葉はどんなものかと、ずーと気になっていて、何か決まりごともあるようで、続けられなかったら怖いとか、色々考えていましたが、まずレベル1をしてみて、無理そうならその時考えようと決心しました。
で、届いた祈りの言葉を見て、「あ〜ホンマに基礎っぽいわ〜」と、これならできる!というか、ぜひやりたい!と思いました。
般若心経の最後の真言をサンスクリット語で読むようにしてたりとか、なんかすごく細かな気配りで好き!って思いました。
私は、神様に届きやすい言葉が知りたかったので、ぴったりです!



先祖供養を始めてから何となく感じるのですが、誰か供養を強く望んでいる人の存在が私や私をとりまく状況を先祖供養の方に導いているように思うのです。
これは私だけでなく他の方々にもよくあることなのでしょうか。
それが誰なのかわからず戸惑っています。



今は、参拝がとても楽しい!
ただ、今参拝したほとんどの仏閣で、相手ご本尊様から、「驚き」(現世御利益を願わない祈りに対して、また、何故お前(私)がこのように祈るのか?)や「とまどい」(同じ)、「感謝」「喜び」のような気持ちを感じます。「怒り」などの感覚は今のところありません。



ドラゴンアイズのバックナンバーを毎晩読んでいます。
で、毎晩、どうしようもない眠気に襲われて、はうようにベッドへ・・・紫野様の「エネルギーアタリ」というか、高い波動を感じます。(朝起きると、スッキリしているので)



夫のご先祖のお墓参りに行って参りました。
次男がお祈り中に大きなげっぷをしましたので浄化のしるしかなとちょっと思いました。
お参りの帰りに墓地から出ようとしたとき先を歩いていた次男が「今、風と握手したよ」といいました。
「きっとご先祖様が感謝のお祈りを聞いてくださったんだね」と話しながら帰りました。
今、そのときのことを次男に聞いてみたら、「2回も握手してくれたよ」「キスもしてくれたよ」「後ろから追いかけてきてしてくれたよ」「涙がでるほどうれしかった」「○○おじいちゃんだと思うよ」「ほかの人もきてくれて握手してくれたよ」「にいちゃんとも握手してたよ」「にいちゃんが気づかないから『あれー』とおもったよ」「かあさんのところにも来てたよ」「3回なみだがでそうになった」と言うのでびっくりしました。



体のいたみを、祈り続いてた頃、楽しんでいた。
ろっ骨は、胸がいたくて(何をするも)いたいいたいと自分の声で目がさめてたかな。
神棚で一つ一つのいたみの所で苦しんでいるであろう方々に祈って、幸せになって下さいと、それを願って祈りました。
どうか御光をと。
痛みがゆるむにつれ、うれしくてネ。
それにまつわり、いろんな人と出会って、自分の成長とともに出会う人もステキになっていくのが、よくわかる。



祈りコースを申し込んだ頃は咳が酷く、なかなか神社へと通えませんでした。
家族も不調になる者が出ていました。
元々今年に入ってから神社へと通う日が多く、日頃のお礼などを伝えに行っていました。
神社参拝方法の用紙を頂いて、実際神社へと通えるようになった頃、何番か省いて祈りを始めて良いと書かれていたので、2回程行って様子を見ていました。
何とか大丈夫そうかなと初めて見た所、仕事が急に決まりまして、それも中学生の頃からやってみたかったお仕事なんです!
1日祈って1日休みを繰り返していたのですが、病持ちの伯母が再度入院したり、私も10回ほど祈ったある日お客様を怒らせてしまったり・・。
ですが、これを気にこの方と仲良くなれるのでは?と思っていましたら、本当にその通りになりました。
お仕事前の朝や(8時半頃)お休みの日の午前中に祈りに行くことがあるのですが、不調が続くと2日間お休みになったりします。
その時は、「お休みが続いて申し訳ありません」と伝えてから祈るようにしています。
不思議な事に、たった今まで無風だったのに、祈りを開始した途端風が吹いて来たり、祈りが終わって振り返った途端絵馬がカランと一斉に鳴ったりしました。
2日連続で祈った事があったのですが、空気の流れが変わり、やはり1日おきに祈った方が良いのだなと感じました。
ですが、その時神社では「良くぞ来た」という声が頭を過ぎりました。
そして祈りを始めて数回してから不思議な夢を見たのです。
私が2日間祈りを休んだ時に見た夢です。
神社へ行く夢を見て神社の裏の森に私がいるのです。
そこで私は誰かに憑依をされ口が動いたのです。
「どうして人は勝手な願いばかりしに来るのだ。どうしてこの子のように祈らないのだ・・。」と。
周囲にいた人間は驚いて皆去っていくという夢でした。
これは祈りに関係しているか分からないのですが、母が私を今呼ぼうと思っていたという、呼ばれる声が聞こえるのです。
「○○」と呼ばれたので「はーい」と返答して母の所に行くと、今呼ぼうと思っていたけど、呼んではいないよ。というのが続いたのです。
それは確かに母の声。
これから祈り11回目と後半へと突入します。
ずっと続けて行こうと思っています。
レベル2になるとお金も倍になるので、どうしようかと思っていた所、ひょんな事から縁がありました。
これは仏壇を購入してきちんと先祖供養をして欲しいと言う事なんだろうと思っています。
これからも宜しくお願いしますね!



先祖供養は、マイペースで続けています。
続けてきて新しく感じたことがあります。
先祖供養をしていると、生活にメリハリが出てきて、一日一日が楽しくなりました。先祖供養を始めた頃よりも、ご先祖様が軽く?なったようです。



祈りはじめてから、体は健康になりました。
時々、疲れたりはするけど、風邪とか全然ひかなくなって病気にかからなくなりました。感謝です。



先日、レベル1が終わりました。
毎朝、神社に行って祈るようになり、酷い風邪をひいたり体が極端に辛くなったり、それでも自分の仕事がどうしても休めず、かなり辛い思いをしましたが、それとは逆に全ての物事が良い方へ良い方へと向かっていて、感謝の毎日です。
この祈りを知ったのも神様のお導きなのかもしれません。



冬至のアセンション第一波は、やはりかなり強かったようです。
私はお祈りをしてるせいか、神様の守護があついのか、そんなに影響を受けずにすんでいて、現実を動くのではなく、やはりお祈りをするのがお役目のようです。
そのように神様がまた強く働きかけて下さっています。
すごいですね。
ほんと、不思議です。



石を使った祈りを早速やりましたが、次の日空でも飛びそうなくらいでビックリ!
すっごい効きました。
自分がこんなに素直だとは(笑)
教えて頂いてありがとうございます!
いろいろへこむ事はありますが、少しずつ前進していこうと思います。



家の鎮守のお札を作ってる方の神社に参拝したら、途中から泣けてしまいました。
なんだかこれ程嬉しい気持ちになったこと、他にはありません。
供養し続け、清めたことがこんなに喜ばれてるとは!!
やってよかったと思えた瞬間でありました。
以前に参拝してもこんな良い反応はずっとなかったんです。
供養はカルマを受けるのがやっぱり辛かったけど、苦しんでる御霊達が救われたことが、こんなにも神様がお喜びになるとは!
祈り始めた頃は自分の不幸をなげき人のせいにしたりする私でしたが、罪の重さを実感し、今は心から詫びる思いです。



先生を知り、天然石の素晴らしさを知り、以前からきちんと神社で神様方に祈りたかったという気持に気づき、自然と「祈り」を始めました。
まだレベル1ですが、神社に参拝するということは本当に気持ちいいものですね。
祈りを通して物事を前向きに捉えられるようになってきました。
そして先月、もう仕事は来ないだろうと思っていた会社から仕事の依頼が舞い込んだのです。
また、現在アルバイトのようなことをしている職場からも、職員としてやってみないかという声を掛けていただきました。
このアルバイトは、実は私がもっとも苦手とする分野です。
1度やめようとしたのに引き止められ、今度は職員ですから、この分野で勉強しろということなのかと受け止めています。
1週間のうちに思いも掛けなかった仕事の話しが来て、少しボーッとしています。
こういうことってあるのですね。
今思えば、半年前仕事が打ち切られたのは「祈り」へ至る道筋だとしか思えません。
祈りを知らなければ、きっと違った今を生きていたのではないでしょうか。
仕事の他にもいろいろなことが起こりました。
それらから感じることは、私達は本当に神様方から見守られているんだなぁということです。このことに気づかせてくださって、本当にありがとうございました。



合戦の供養に入り、旅(参拝旅行ですが)に出た時以外は1日も休むことなく、続けてこれたことに、今私をお守り下さるご神仏様、ひかり先生に感謝致します。
本当に私は、供養が大好きです。
今も涙が出てきました。



一宮さまには行かなくてはならないと思い立ち、バイクで、下総の国の一ノ宮・香取神宮に行ってきました。
鳥居をくぐって参道を登っていく途中の森がとても気持ちよかったです。
それで本殿に行ったら感動してしまいました。
改築をしたばかりなのか、塗装や装飾がやけにきれいなのです。
黒を基調として緑の格子や金の装飾、それから色とりどりの中国風の模様・・、それらにそれらに見とれているうちに「ありがたいなぁ」っていう気持ちになりました。
それから人のいない本殿の裏に回ってゆっくり歩いていたのですが、本殿の茅葺屋根から溢れてきているエネルギーを感じているうちに、泣きたいような気持ちになってしまいました。
神社に参拝してそんな気持ちになったのははじめてです。
なにかご縁がある場所なのでしょうか。
それからさらに裏の方の摂社や末社をぼんやり見ていたら、「よくきたな、まってたぞ」みたいな感じのメッセージが伝わってまいりました。
本当に泣きたかったです。
しかし誰なのかよくわかりません。
御祭神のフツヌシノオオカミなのでしょうか。



最近は私も不思議なことが多くなりました。
音信不通だった友人にバッタリ会ってしまったり、メールもパッと見たらちょうど来たばかりだったり。
友人に会ったりしたのは、おそらく自分が思ったことが現実になったんだなぁって思ったのと、その波動に合わせるとその現実がやってくるんだなって思った。
そこにどっぷりつかってる時はその現実しか知らないけど、こうしてみると、いろんな世界をかいま見ることができて、なんか面白いですね。
思ったことを引き寄せる想念の力にもちょっと自分でもびっくり。。。
パワーアップしてるみたい。。。
これは気をつけないといけないかな。。。



祈りを始めてから、私の足の痛みはおさまりました。
あれほど痛くて、足を引きずり歩いていたのに、本当にうれしいです。
ありがとうございました。
ひかりさんの祈り指導は、本当にすばらしいものだと、実感しました。



私は、ひかりさんの祈り指導を受けるまで、先祖に思いをはせることはありませんでした。先祖とは過去の人達、今の私には関係無い存在でした。
お墓の現状を見て、子孫やお寺から見放され、悲しく、肩身の狭い思いをしていることがよくわかりました。私たち家族に不幸ばかり起こるのがよく理解できました。



鑑定結果のメールを読ませていただき、早速鎮守の神社へ行ってきました。なんとも手を合わせて鳥居をくぐる瞬間から、手や体中があったかくなって、歓迎されているのかなという気持ちになりました。そういう感覚が気持ちいいので、毎日通っております。



いつの間にか私は母を支え、祈り、助言するような自分になっていました。
人を救い、導けた喜びは何にもかえがたいものです。
両親の変わらなさにずっと悩んできて、話をするのもイヤだった私ですが、必要な時だけ、必要なことを言ってあげる、自分も彼らへの接し方を少しつかみました。




私の方は、大きな問題があまり起こらなくなり、出会う人もいい人ばかりで幸せな毎日です。
また、問題が起こったとしても以前ほどジタバタしなくなり、これも祈りのおかげかなあと劣等生ながら実感しております。



仕事から帰って玄関を開けると、ご先祖様が勢揃いで迎えてくれて、その中に祖父がいました。
私は涙涙で祖父やご先祖様たちの気持ちを受け取りました。もう、私の一家は大丈夫!!と思う出来事でした!今はご先祖様も泣き顔から落ち着き、穏やかです。これからも祈りを続けるぞ!
ご先祖様の守護を感じます!
沢山のご先祖様です!祈りをしていたからですね!
私は一人じゃないんですね!
ご先祖様の気持ちを一心に受けています!
今までの人生にこれほど素晴らしい事はなかったです!
有り難いです!
沢山のご先祖様!
でも私は祖父しか知ってる先祖がいないけど、沢山の感謝の気持ちが伝わる!
言葉では表現出来ないすばらしさ!
有り難いです。



自分がだいぶ浄化されたなぁと思うのは昔は結婚の事をかなり言っていた母が合戦の供養を始めて半年位たった頃からほとんど執着しなくなった事、また私に会う人はよく風邪などひくんですが会って30分もすると相手が精神的に落ちついてきたりさっぱり明るくなってきたりして喜んでくれる事や電話で話しをしても30分もすると私がゲップをして相手が精神的に落ち着いてきたりする事です。
最近は母は私の人生にも執着しなくなってきています。
人の相談にものりますがこういう時精神的に成長できててよかったなと思います。



今年の初詣、鎮守の反応がとても良く、氏子の方が、私がよく祈ってるのを知っていて「ぼくたちも頑張ります」と言って下さいました。
神棚も古いのを鎮守に持っていってお炊き上げしてもらったのですが、「随分守ってもらったんだね」と言われました。私の心も浄化され清まるにつれて、本当に回りも変化してきてる!と思いました。
鎮守は随分きれいに手入れされるようになったし、整ってきました。
今年は「はらい給え、清め給え、神ながら寄魂幸わえ給え」の唱え言葉をはりつけるようになりました。
お参りしてると以前よりグンとお参りする人、増えました。



私のこれまでの人生はあまり楽しいこともなく、辛い人生だったといえると思います。
でも不思議と死のうと思ったことはなく、人生を良くするためにどうしたらいいかと考えたり、いろんなことを試して何とかやってきて、今、祈り指導にたどり着きました。
祈りを初めて思うのは、このことに命をかけてもいいなということです。
他の人の手紙の紹介を読むと、死にたいという思いが、祈りと共になくなっていくというのが普通だと思うのですが、私の場合はその逆で、祈りを続けている今でも命をかけたいという思いが強いのです。
祈りを続けていくと、人生が好転していくと思うので、命をかけなくてもいいと思うのですが、もし今、祈りに命をかける道と、祈りをして人生が良くなっていく道のどちらか選択できるとしたら、祈りに命をかける道を選ぶと思います。
私自身、意味あることならば、命をかけることは惜しくないと思えるし、ご先祖様の役に立つために命をかけるならば喜びに感じます。
でも祈り指導は供養をしっかりして、自分の人生を良くしていくものであるので、このことで命をかけるというのは適切ではないと思うのですが、現在このような気持ちでいます。



今年は自分がとても素晴らしい人間であってどんな環境にいてもひかり輝ける存在なんだと知って驚きました。
そして嬉しい事に全ての人もひかりかがやける素晴らしい存在なんだという事が分かりました。
今は自分が清らかな光のひとつぶとなって宇宙を泳ぐようにとんでいる感じがします。
昨日、いろんな神様に「こうなる事は分かっていた」といわれたのですが、私もこう感じる事ができるようになる事が分かっていたような気がします。
小さい頃から知っていた気がします



もう周りを変えるのは99%ムリだと感覚的に思うので自分磨きが一番良いと思いました。自分を成長させる課題も答えも実は自分の中にあるんじゃないかなと思います。
いのりをして自分がシンプルになっていく事を感じます。ちょっとうぬぼれかもしれないけどいろんな神様と近くなってきた感じがします。



最近、今までの事がだんだん理解できてきてああいう風に心が苦しくなってくるのはカルマだとか、周りが今までの自分のやり方に干渉してくるように思えた事がらの中でやはり有意義な物があったという事とか人間関係というのは自分の思い通りにいかないのが自然だという事です。
まわりをみると自分より波動の高い方はもうそうそういない気がしてきたので(自分の中にまだ低い部分は残ってますが)こういう状態になった時に自分がどういう立場をとるか考えていかないといけないなぁと思ってます。



先生が合戦の供養をしている時が一番充実していると書かれていて、以前の私にはその意味が全然分かりませんでした。
でも供養をやりはじめて「これって供養のおかげかな?」と思えるような出来事があったりして、じわじわと「供養っていいな・・・」とたまーにですが、感じはじめました。
こういう気持ちを常に持ち続ける事ができれば、人類愛に繋がって行くのかなと最近思います。
レベル3までは序章で合戦の供養からが本番というか、愛に繋がって行くというか・・・手応えを感じます。



ある神社に、参拝をした時のことです。神社の石段を降りながら、肩の痛みが消えている気がしました。
肩こりとかじゃなく、急に重いものを持ったせいで、片方の方の筋をたくさん痛めてしまったようでした。
1年半くらいそのまま放っていた状態でした。
何かしら治療を受けないと治らないだろうなと思っていました。
石段を降りながら「気のせいよね」と思いましたが、実際それから肩の痛みがなくなっていました。
もちろん、ご祭神様に肩の痛みのことや、治してほしいなんて話していません。
有難くって、参拝が終わったあとにもう一度、痛みを取ってくださったお礼に参拝に行きました。



祈りを始めてから約一年、物事がどんどん自分の希望したように変わり、あきらめていたのに出会いまであって、結婚をすることになりました。



祈り始めてからどんなふうに変わっていくのか、半信半疑だったけれど、毎々瞬々刻々と変わっていってる感じです。
苦しさあり、感動あり、喜びありと、まるで劇的に心の中に起こっています。
霊界を浄めることが、神仏や人々にとって大事なことを、神仏の反応の変化、現実の人々の変化から、強く感じるようになってきました。
レベル4に入る前は祈っていてもピンとこなくて、心を込めることができなかったのですが、合戦の供養を進めていくうち、救われてない人々がまだ沢山いることを実感し、祈りの大切さ、又、やらなければいけないことを痛感しました。



等々力不動尊に行きました。
その時、本堂ではなんとも感じなかったのですが、ひかれるままに渓谷の方に降りて行くと、滝不動と稲荷神社がありました。
そこでどちらにもお経を上げると、予想できない涙がたくさん流れました。
その後、弘法大師様の稚児堂に寄ったのですが、ありがたくて涙があふれました。(しかし、なにがありがたかったのかは思い出せません)
こういう経験は、いかんせんなかったことです。



この3年間、ふり返ると本当にすばらしい進歩でした。
ある方に恋をして失恋したのが3年間で、それで紫野さんと出会いました。
同じ3年とは思えないし、もうその人のことはさっぱりした気持ちです。
お仏壇でお供物を毎日用意するうちに、それまで家事がめんどうでやらなかったのに、自分をちゃんとさせる充実を知り、家事をするようになったこと。
次の年にボランティアを生まれて初めてして、説明のしようのない幸福感を味わったこと。
対立していた母に、実は愛されていたと気づいたこと。
世の中、奉仕できることはたくさんあって、喜びにあふれていると知ったこと。
奉仕を自分の極限までやることが2週間続いて、自分の意識が高い次元に飛んで、とても高い安定した何も怖くない心境にたどりついたこと。
合戦の供養をしはじめて、戦争映画を見、戦争なんてもういやと思ったこと。
地域の最も悲惨な人たちは、実は自分の一部だということが分かり、浮浪者におにぎりと野菜の煮つけとホッカイロとメッセージをあげて遠くから喜んでくれるか見たこと。
もう一度あげに行った時、とても喜んでくれたこと。
地域と日本の現状にショックを受け、けどこの責任は前世の自分にある、そして幸せにできると思ったこと。
○○の戦いの供養は日本全土のためになっていると知り、この為に私は生きているんだと分かったこと。
今、日本という国を丸飲みするイメージが自然に起こること。
神も人間も自然も見た目が違うだけで実は同じものだと分かったこと。
各々が精神か心かの霊的なもので、音楽のように響きあい、流れながら存在するのが宇宙の生命体だと分かった喜び。
そして自分の人生が、親や学問も含めて、宇宙の生命体に奉仕するために無意識に自分で設定してきたと気づいたこと。
悪や失敗こそが、善や成功と協力して私を成長させてくれたと分かったこと。
思っていたように生きるということはクリエイティブで、宇宙は美しかったこと。
今まで合わないと思っていた人達と合わせることの創造性の楽しさを知ったこと。
自然や人間の何であれ、軽蔑することの無意味さを悟ったこと。たくさんありました。
数年前、難しい解釈を本当に一生懸命に考えぬいた後で、自分が高い安定したゾーンに意識がとんでいく経験をしました。
周囲の喧騒も確かにあるはずなのに、聞こえてるのに耳に届かず、自分の名前を忘れてしまって、思い出そうとしてもできませんでした。
代わりに自分の本質だけが心に座っているという経験をしました。
祈りでこれに似た経験を2度しています。
1度目は奉仕をがんばった時、2度目は合戦の供養の資料が届いたその日です。
不思議です。ここまでいってしまうと死ぬのも怖くない心境です。
このような経験、皆してるのでしょうか?
数学や物理なんかでは、大学の先生でも全員は、ここまでの本質のみというところまでいかないみたいです。
能力よりも志が同じ人と、仲間になれたらと思います。
以前は学問で優劣を競ったりして、自分に申し訳なかったと思います。もうしたくないです。



九頭龍弁財天様に神社でお会いしたとき、涙が出ました。
初めての時も2度目のときも、ただただ涙で感動でした。
うれしくて。
生きている上で、このような幸せをいただけることが、本当に最近はただただうれしくて、神仏様と共に生きるということの、言葉には出せない感謝とうれしさの気持ちをこれからずっとありがたく生きていこうと思っています。
祈りをずっと一生続けて、私は未熟だけど、私なりに神仏様に奉仕と感謝の心を持ち続けたいと思っています。
いつか、いつか、人の心がいやせるような人間になりたい、そう思います。
 ○○神宮では号泣・・・産土神社では目をつむったら光が浮かび、ずっと光の玉がありました。
「お寒くないですか?おつらくないですか?」とたずねたら、もうすごい涙でした。
「○○様おつらかったら、私で良かったらお使いください・・」と言いました。
涙々でした。
神仏を感じながら生きていくことを教えてくださった紫野先生に本当に感謝いたします。



久々に金縛りにあいました。
驚いた事にお寺の弁天様が助けてくれました。
鎮守を思い浮かべようとしたら、お寺がみえたから「弁天様」だとわかり、弁天様を思い浮かべた瞬間、金縛りがとけました。
神仏と仲良くなれて幸せです。



供養をはじめて一年がたちました。
紫野さんに出会って一年、自分でも驚くほど環境が変わっていていい一年でした。
紫野さんに出会えてほんとうによかった!
こころの奥底からの癒しが実感できて、自分の出きる限りの力ですすんでいける。(他人任せではなく)
すごい祈りだな〜と思います。
これからも地道にすすんでいきたいです。




最近、何があっても気にならなくなってしまいました。
少し前は、何となく気にならない…今では、気にならない…です。
それと、○○○○が守護神って思うと嬉しいです。涙がポロポロ…でも、昼休みなので我慢してます。
とっても幸せです。
生きる事がこんなに清々しいなんて知りませんでした。

守護神については、この方がご自分で理解されました。皆さん、そのように特にご縁のある神仏がわかってくるようです。紫野



私もどこまでできるかわからないけれど、力の限りこのご神業に尽くしていこうと思います。
「誰かが道を切り開かなければならない」私もそうできることを祈ります。
古い保守的なものも多いけれど、祈ってると、他の人も祈る気持ちになってくれたりする人もいて、うれしくなりますね。




前に紫野様が「人が何を考えてるか分かる様になる」言ってましたよね。実は金曜に初めて人の気持ちが分かったのですよ。
会社で仲良くしてる伯母さんの。
分かった時は「優しい振りしてただけなのね」と、驚きとショックでした。
けど、私の勘違いかも…と思ってたのですが、勘違いではない事が今日、ある事がきっかけで分かったのです。
人が何を考えているかを知るって、少し恐い…様な…。と、思いましたけど、注意とか出来ていいですね。




祈りを始めて、以前はどうもうまくいかなかった女性との人間関係が比較的いい関係が続けられるようになりました。
合わない人とは無理をせず、ぶつからないようにするだけで深く考え無理に合わせていかないように。また、いい関係の人とは、よりよく。
ひかりさんの、そして神様のおかげです。今日は特に、静かに嬉しい感じです。



うまくいえないけれど、やっぱりひかり先生に逢えたおかげでどんどんどんどん、ひとつひとつのおもりが体からはなれていっているような感じで、ほんとうに必要なものって、やっぱり魂のごはんだけなんだなあ、なんて感じていました。
ひかり先生にめぐり逢うことができてほんとうによかった!!!これからもずーっとついていきたいです!よろしくおねがいします!




いのりをはじめて2年半程になりますが、ようやく明るい人生の幕あけが見えてきました。
生まれた時からでさえも自分の人格に悪があることを自覚し、なかなか明るくなれず、これが自分の本当の性格だと思っていました。
けど、合戦の供養を進めるうちにこの悪ぬきがするするとされ本当の自分はとても明るい性格だということをこの年にして発見し驚いています。
カルマで素直に出せなかっただけじゃないかと思います。
今は神、宇宙、人類、自然に対し、連帯感、責任感、奉仕の気持ち、友情の気持ちでいっぱいです。
いのり仲間のみなさんまた、これを読んでくださったみなさん、そして、ここまでアドヴァイスをしてくださった紫野さんのこれから永遠の魂の成長の繁栄をいのっています。
私も魂の永遠の旅に明るく笑顔ででかけようとおもいます。



先生のところで祈りをさせていただいて1年になります。
当時、精神不安定がひどくて、わらをもすがる気持で先生に手紙を書きました。
1年たった今、気持は安定しています。
不安になることもありますが、極端な方向に行くことはほとんどありません。
そればかりか引っ越してからは、笑顔が増えましたし、ワクワクしたりなんとなく嬉しく感じたりすることが多くなりました。
出かかっていた精神のカルマを出してくださったのだと思います。
精神不安定になったのをきっかけに極端なマイナス指向も治すように努力しました。
1年でここまで立ち直ったのですから、2年、3年と祈りを続けたら、自分がどのように変化していけるのか、とても楽しみです。
マスターを目指すのかどうかはまだわかりませんが、とにかくレベル5までいきたいと思っています。



ひかりさんと出会い、自分が成長しているのがわかり本当に感謝してます。
神様との縁も築き旦那の理解がありませんがこうやってやっていられるのもひかりさんと出会い神社との縁を教えてくださったおかげです。
神社はお願い事する場と思ってた私が、自分の成長や縁をもてたことに対する感謝をするところに変わりそうしていくうちに勝手に願いが叶えられていき、○○の仕事ができたり仕事が増えたり、生活が安定したり感謝せずにおられません。
後は旦那や家族の理解が得られたら完璧なのですが、いつかそれも叶う気がしてきました。
いつまでも見守っていてください。
本当にありがとうございます。
そしてこれからもお願いします。




祈りコースが届いたので、さっそく近所の神社に行って来ました!
参拝に行ってから自殺願望もなくなり、一人じゃない気がして心があったかくて、参拝に行くのがとっても楽しいです。
私が参拝に行っている神社は、手水舎の水はなく、お賽銭入れもないのです。
きっと正月、節分の日にしか、人が参拝しないからでしょう。参拝って楽しいのに・・・。
参拝してからは本当に誰かと一緒にいる気がするのですよ。
祈りコースに申し込んで、本当に良かったです。
申し込む前の私は、考えることといえば自殺(未遂あり)・・・。死にたくて、死にたくて・・・。
けど、今は違います!
神仏と一緒に生きたいし、生きないといけない!
だって神仏が大好きだから。




私はカルマを乗り越えるのってワリと簡単に考えていたけれど、快苦や落差を味わいながら気づかされて、少しずつしか進まないことを感じました。
でも、がんばって辛いのも苦しいのも、一所懸命我慢して乗り越えたら、ホント、グンと周りの人より一歩も二歩も成長したようです。
みんなに良くなったとか、大人になったねって言われました。
何かが変わったと感じるようです。




同封のドラゴンアイズ、一気に読みました。
すばらしい!
求めてきたものに出会えた喜びを感じています。
昨日、確実に鎮守さまを確認しました。
ご挨拶もしました。
本日からがんばります。
祈りの内容、コロンブスの卵というのでしょうか、こんなに肝心なことが参拝に抜けているとは!と驚きつつ、逆に本物とはそういうものかもしれないと思いました。
着々とやるべきことをこなしていきます。
先生のやってこられたことを、会報通じて知り、本当にホンモノだと思います。
ご神業に参加させていただくこと喜びです。



いつも電話で魂に元気をいただき、私は本当に最近変わった気がします。
それは自分をすごく好きになれたという事や、今まで苦しかった母との関係が苦しいものではなくなり、逆にあんなに葛藤があったにもかかわらず母は母の幸せをつかんでほしいと思えた事…。




私が以前関わってしまったある会は、紫野様のおっしゃる事とずいぶん似ていましたが、会にふりまわされつつあるという感覚だけではなく、特別心の安定とかも得られませんでした。
やはり、自分で感じ、ものごとを決めていかなければダメなんだなと思います。
紫野流の祈りは「神との関係の基本は1対1」ですよね。
そこがいいんです!
また、やはりそうじゃないとダメなんだと思います。



大きいカルマ出しがありました。
母方の伯母が、私が参拝を始めてから脳内出血で倒れたのです…私は後から知ったのですが、伯母は一人暮らしで、助けを求めることもできず、そのまま意識を失ったのですが、近所の人に見つけてもらい、奇跡的に後遺症もなく先日無事退院しました。
思い上がりかもしれませんが、私の祈りで軽くなったのではないかと思っています。



先祖供養なんですが、夫の方はあまり感じませんが、私の父方を拝みますと、おぱあさんが「おまえばっかり苦労してなぁ。」とか「一人じゃないんだから。」とか話かけてくれます。
これは、先祖供養をはじめて、かなり初期の頃からです。
最近では、私の母方から、大勢で「がんばれ!」とエールを送ってくれます。
かなり涙が出ちゃってます。
グッときます。



参拝10日目以降、なんだか地に足がつく感じがしてきて、彼や彼の親に対する怒りや憎しみも、だいぶ減ったように思います。
今までは一日に何度も何時間も一人でぶつぶつ独り言を言っていたのが、一日に2〜3回に減り、彼と連絡がとれなくても何とも思わなくなりました。
頭頂からもエネルギーが来ているようです。
一度電話したら、けんかすることなく終わりました。
いつもはけんかして終わっても心がゆれてゆれてひどかったのが、執着心が無くなりつつあるようで、たとえ別れても頑張ろうと前向きになってきてます。
あまりの変化に、ちょっとおどろいてます。
14日目に、オレンジ色の丸いものがパッとはじけたように見えました。
きっと応援してくれているんだって思ったんです。



参拝は21日無事に終了しました。
その後も毎日行ってます。
行くと気持ちいいし、スッキリするし、行かないとおちつかないというかホントに引っ張られる感じってやつですね。
けっこう「楽しい」という気持ちで行けてます。
それと恋愛の方も今は自分の気持ちが変わったことが自分でもわかります。
ムリにどうこうするのではなく、今自分がやるべきことをやっていく事できっといい方向に行くだろうと感じるようになってすごくラクになりました。



ひかり様とご縁をもちまして、又、参拝を始めて、約1ヶ月ですが、私の人生がいい方向へと、確実に、自分がそのように感じられる程、動き始めています。
仕事のチャンスが舞い込んだり、ちょっとした縁で人間関係が広がっていきそうであったり、静かだった私の周りが、少しあわただしくなってきました。
目に見えない力がはたらいていることをみとめざるを得ません。
あまり調子にのらず、謙虚にこれからの事を受けとめ、努力したいと思っています。



最近少しずつ自分をとりまく環境が変わっていくのが、わかります。
物事が横道にそれたようでも結果は悪くならず…本当に神仏に守られているのを感じ、不思議な気持ちです。
自分の心の持ち方が変わっていくのを、すごく感じます。



先祖供養をやりはじめて2週間になります。
最初は幽霊が出てきたら困るなあと思いながらいやいやでしたが、1日やると1日分だけスッキリするような気がしたので、今もなんとか続けています。
あんなに去年体調が悪かったのに今は、少し楽になりました。
去年は何だったんだろうと不思議に思うほど、今は楽になりました。
まだまだ体調がすっかり良くなったわけではありませんが、あのイライラした毎日がなくなりました。
子供の勉強もほんのすこし出来るようになり、毎日がんばった結果が出てくるといいなーと思います。



東寺(とうじ。京都市。真言宗総本山)に行ってきました。
ご本尊様のある御堂を開けたとたん、父の祖父の家のにおいがしてびっくりしました。
しかも大日如来様の前に立ったら、目の前に花びらが一枚ひらひらとおちてきてすごくびっくりしました。
どうして他の人はさわがないのだろうと思っていると、おちたはずの花びらがどこにもみあたらず、消えてしまったようです。
その後手を合わせると悲しくないのに涙が出てきました。



祈り始めてからもうすぐ1年になるところです。
振り返ると色々な事がありました。
カルマが出て父が倒れたり、顔がかぶれたり…。
でもいい事もありました。
祈り始める前の私はテレフォン占いにはまってしまってお金を随分使っていました。
祈り始めてからやらなくなりました。
雑誌に「過去世や前世でのカルマを解消する儀式」とか載っていますが、以前の私だったら”やろうかな”って思ったと思いますが、今は「自分のカルマ解消は自分でやらなければ意味がない」と思うようになりました。
神社、仏壇、神棚で音が聞こえるようになった事etc.トータルにみて先生と知り合えた事、祈り方を教えて頂けた事に感謝しています。



何度も手紙を読み返している時に、声が聞こえたのです。
「ほんとうにほんとうに久しぶり、やっと会えたね。」と。
カンはするどい私ですが、部屋の外の庭で母が誰かと話をしているのかと思い、母に「誰と話してたの?」と聞いたら、「誰も来てないし、話なんかしてない。」と言います。



占ってもらおうと手紙を書き、投函して1日たった頃から、急にみぞおちの下あたりが痛みだし、下痢や吐き気をもよおし、また、頭痛、耳鳴りと原因不明のひどい症状に襲われました。
眠気もすごく、うつらうつらと浅い眠りの中で、昼夜、床に伏せっていました。
ところが、2日たった頃、突然楽になり、ケロッと元気になりました。
その後、1日たって紫野様からお返事が届いたのです。
そして通信を読んでびっくりしました。
私も、書いてあるような霊的に清まっていく過程の症状だったのでしょうか?



鎮守参拝はとても充実した気持ちで、息子を亡くして以来何も行動に移す意欲のなくなっていた私に、少しずつ心の安らぎが出てきました。
不思議な気がします。
本当に、いつ死んでしまおうかと毎日考えていたのですから…それに無くしてしまったお金が出てきたり、息子が亡くなってから、カビだらけでまともにそうじなどしたことなどなかった風呂場や洗面台を、磨いてみる気になったりなど、気持ちがとてもさわやかなのです。



人間関係で悩んでいましたが、相手がどんな行動を私に対してとろうと、とにかく受け止めるというか、見守ってみよう、人間根の悪い人はいないんだと思い、鎮守へ行ったら最後に涙がザーッと出てきました。
また、神棚で礼拝中、愛に貪欲になるより、先に人に愛を与えようと思いついたところで涙がどーっと心はおだやかなのにいつまでも出てきてびっくりしました。



先生からのお返事が届く前日の夜中、急に目がさめて気づいたら、たくさんたくさん涙を流し、泣いていたのです。
どうして自分が泣いているのかわからず、ただただ涙があふれてきてどうしようもありませんでしたが、そのうちなんだかとてもすっきりとした気分になって熟睡してしまいました。
次の日、先生からお返事が届きびっくりし、先生が発する光によって様々な症状があらわれることを知り、もっとびっくりしました。
ちゃんと光が私の心に届いてくれたんだなと思うと、感謝でいっぱいです。