■考えていたことで鎮守の神社に参拝したときに「意気地なしなイノリストですみません。でも、祈りは絶対にやめません。ご祭神様と共にたくさんの人を助けたいです」と祈ると号泣し、背を向けて帰っていると、静かに深い深いイメージで「守護する。」と何度も伝わってきて感激しました。訳もわからず泣くことは時々あったのですが、言葉が伝わってきたのは祈りだして初めてのことでした。
その日はずっと「守護する」というメッセージで心が包まれていました。
※ 意志しだいで、霊界側では必ず守ってくれますね。(紫野)
■霊の祈りレベル3へ進んだばかりです。
事情があり、今はストップになっていますが、始めて祈ったときは、苦しくなり「ああ~だめかも・・・」と、思いましたが、ご本尊様とご鎮守様に助けて下さいと、心で念じたら、どうにかこうにか最後まで続けられました。
翌日から、パワーストーンをいくつかセレクトしてつけて供養してみたら、まったく問題ありませんでした。確か・・オニキス、スギライト、カンポデルシエロ、そして祈祷していただいたサンムーンストーンでした。
もうスッキリ爽やかでびっくりでした。
きっと供養を待っていて下さっている方々がたくさんいるはずだから・・・と、なぜか供養が楽しみだったのです。
なので、1日も早く供養ができるように、内面の問題消化に努めたいです。
■以前もインナーチャイルドの祈りのすばらしさを実感していましたが、あまりに気持ちいいので2巡しました。
母に愛されなかった(と思っていた)私を癒していたのですが、最近の否定的な感情まで癒されました。のちのち、以前の恋人など数人に対して否定的な気持ちが残っていていずれ祈ったほうがいいと思っていたのに
いやな感情までもなくなって相手に対して穏やかな気持ちになっていて、インナーチャイルドを癒すことの重要さをとても実感しました。
■本日、霊の祈りレベル1の鎮守神社への参拝21日が無事に終了しました。最初の数日は、祈りの言葉を申し上げるだけで精一杯でした。
途中でつっかえたり、間違えたりで、自分の気持ちを伝えることが出来ていなかったと思います。
3日ほど過ぎてからは、少し祈ることにも慣れたので、祈りの言葉に気持ちをしっかり乗せて申し上げるよう集中しました。
後半に入ってからは、ご祭神様と落ち着いて向き合うことが出来るようになったと思います。
神社の雰囲気も、最初のうちはとても重く感じられましたが、参拝を続けて後半に入ると、ふんわりとした柔らかい空気に変わってきました。
いつからか、参拝を終えると、鈴が揺れるほどの風が吹いたり、絵馬がカランと鳴ったりするようになりました。
また、拝殿で祈っていると、誰かが後ろに立っているような気配がします。
決して怖い感じでは無く、ジッと見守って下さっているような感じです。
最初のうち、参拝を終えた途端に、バケツをひっくり返したような雨に降られ、近くに雷が一発落ちた事もありました。
もしかしたら清めの雨だったのかもしれませんね。
それ以降はそんなに激しい雨には当たらず、参拝中は小雨が降っても、鳥居をくぐる時にはお日様が顔を出して下さる事が多くなりました。
また、参拝に伺うと、ちょうど祈祷が始まったりということもあります。
心配したカルマ出しも、それほど大きなものはありませんでした。
最初の頃は、参拝後に起きていられないくらいの睡魔に教われたり、下痢をしたりしました。
理由も無く気持ちが落ち込んだこともあります。
また、途中で腰を痛めたり、外出先でハチに刺されたりと、身体面でのトラブルはいくつかありましたが、人間関係などのトラブルは無く、本当に有難く思います。
21日間の参拝を終えて感じることは、自分の中にある【芯】の部分がとても強くなったような気がします。
そして、神様と向き合う時間が、とても大切なものに思えます。
人間がどんどん余計なものを削ぎ落としていったら、最後は「祈ること」しか出来ないのでは無いか?
「祈り」が残されていれば、それだけで充分なのでは?
とさえ思えてきます。
ちょっと大袈裟かもしれませんが…。
「祈り」とは、神様と一対一で向き合うこと、そして自分の魂と向き合うことなのですね。
今はレベル2に進みたい!という気持ちでいっぱいです。
これからもご指導をよろしくお願い致します。
■レベル3は、最初は余裕かと思いましたら、結局全て祈り終えるまでに2年間を要しました。初めての参拝を終えた日に疲れてしまってうたた寝していた時に見た夢が、「ヒッチコックの『鳥』のように沢山のカラスに襲われれる」という夢で、これが邪魔なのかなと思いました。
ただ、参拝中はカルマ出しがほとんどないといえる状況で、職場を変えてもすんなりとなじめてその後の参拝にも影響はありませんでした。
ここ数年の間に趣味が旅行になってきて、今度はどこに行こうかとぼんやりと考えているとなんとなく○○県の□□市に行ってみようかという気になり、行ってみたところ思わぬ経験をさせていただきました。
自分の中の感覚としては○○・□□辺りは相性が良いだろうという感覚がありそちらを信じて行ってみました。
軽い参拝(祈ららの祈りでない)を続けながら○○寺というお寺に着いたところ思わぬ歓迎を受けたのです。
このお寺は真田幸村の息子と娘の墓があることで知られているのですが、まず山門の前に到着した時点で何だが胸がいっぱいになり、「あれれ?」と思っていると、そこに猫がいました。
するとその初対面のはずの猫がものすごく私になついてなついて仕方がない状況になって、不思議に思いながらしばらくかまってあげました。
本堂の前で参拝をすると、そこにあの猫がいて私を待っていたみたいでした。
ご本尊様に手を合わせただけで目に涙がぶわーっと湧き上がり、ここはきちんと参拝をした方がいいと直感し祈ららの祈りをするともう涙が出て出て仕方がなく、胸も熱くなって心がいっぱいになりました。
あの猫も私のそばにいてずっと私の足にすりすりとしていて私はなぜご本尊様がこんなに喜んでくださるのか、こんなに歓迎してくださるのかが本当に信じられなく、でも嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
工事の作業の人も寺院の中にいましたが全く気にならずひたすらご本尊様に祈りを捧げていました。
実は鎮守でもこれほどの歓迎を受けたことがなくちょっと困惑する程でした。
□□市から帰ってきて、鎮守に無事に帰ってきたこと、当信寺の参拝のご縁をいただけたことを報告とお礼をすると、滂沱の涙が出ました。
○○寺と同じくらいの涙です。
鎮守の摂社で同じように報告とお礼をしたところやはり同じように涙涙です。
供養については家によって反応が違うことに気がつきました。
面白かったのが父方祖父の家では自分が今まで経験してきた「ちょっと痛いな~」と思うことを日替わりで出されたことです。
ささくれが痛いとかニキビが痛いとか地味に痛いことを毎日手を変えて出されたのです。
他の家では特に大きなトラブルなく供養を進められました。
供養中に職場で異動があり、結果非常に忙しく心身ともにつらい状況になりました。
元々ここは年末でさよならかなあと思っていましたが、色々な状況が重なり6月いっぱいで退職することになりました。
ただこの職場は今の部署に移動の前には比較的時間にゆとりがあり、そのおかげで滞っていたレベル3の内容が実行できました。
レベル3の終了とともに、職場環境が変わるのもまた自分が新しい段階に進むのだろうかと状況を見守っているところです。
霊の祈りを始めて確か4~5年になりますが、未だにご神仏の声を聞いたりお姿を見たりは叶いませんがなんとなくご神仏の反応を涙で感じられるようにになりました。
そうした反応はあまりないのですが「YES」とか「GO」の時は涙が出るのです。
私の思い違いかもしれませんが、ドラゴンアイズに「しびれは清め」とあった記憶があります。
どこかに旅行に行き帰って自宅につくとその日は手足がしびれるのです。
一晩で消失するので、旅行中に受けたカルマを自宅の神棚の神様が清めてくださっているのかも思っています。
単に長時間移動して手足の血行が一時的に悪くなった結果なのかもしれませんが。
最後になりますがどこまで出来るかわかりませんが祈りを続けていこうと思いますので、これからもご指導をよろしくお願いいたします。
■引っ越し先の新鎮守のご祭神はスサノオの命だそうです!
まだ直接参拝には行ってないのですが、神棚で参拝をしたら、いきなり涙がでてきて若々しい男性の声で「そなたへの愛は深いぞ!」との感謝の声が聞こえてきました。
間違いなく私はスサノオの命の一部なのだと感じました。引っ越しが決まってクンツァイトが来てからのど風邪をずっとひいていて、新しい鎮守を知ってから神棚で参拝し終わるまで頭痛がしてたのですが、「カルマ出しですか?」と神様に聞いたら「そう。そなたを思って(こういう)だし方をした。」と言われました。
私はメンタル面で出されるよりホントに体が丈夫なのでこのような出され方に感謝いたしました。
また今日今の鎮守に今までの感謝をしにいったら、涙がでてきて20代前半の武将の格好した神様が見えました。
そして若々しい声で「〇〇の神にそなたのことは伝えておく。そなたはどこまでも成長せよ、約束じゃぞ!」と言われまた涙が。
書いてる今も顔がゆがんで涙がでそうです。
また今日新しい住まいの鎮守を調べていてNTTで聞いたらなんと間違って職場の鎮守を教えられました!
これは先にこちらを参拝せよとのことなのだなと思い神棚で参拝を先にしました。
かなりのご老人の神様が見えて感謝されました。
祈りはかなりスラスラ読めました。
今の鎮守もずっと年配の神様が見えて、今日の参拝で若々しい神様になり涙があふれたので今度もこういう感じかもしれません。
愛は深い。のホントの感覚がまだつかめないのですが、楽しみな引っ越しになりそうです。
■神奈川に移ってきました。
地図は買ったのですがまだ新居の鎮守は分かりません。そこで神奈川の一ノ宮の寒川神社様に先ほどご挨拶をかねて参拝してきました。
参拝すると男神様で「よくぞ参った。最敬礼いたすぞ」と思い浮かび、目に涙が浮かびました。
正直このようなよい参拝になると思ってなかったので驚きました。
祈りもびっくりする位スラスラ唱えられ意外と神奈川とは相性いいかもと思いました。
帰りにお札をいただき、寒川神社に住みたいなぁなんて思いました。
参道での帰り道、私はもうすぐ人生の後半に入るのですが、カルマはほぼ終わって後半に向けて徐々にごほうび的な人生が始まるのかなと考えました。
先にカルマを反省し責任とれて本当によかったと思った所でまた涙が…
神様も喜んでくださってると思うと喜びもひとしおです。
これからも感謝と反省とすなおな心で執着しないよう心がけたいと思います。
ひかりさんとのお付き合いも16年目を迎え、ひかりさんのアドバイスがなければ人生の中年以降は私は穏便に生きるのは難しかったと思います。
感謝します。
最近思うのは現実生活が即祈りだというようになってきたことです。
現実を生きること、現実に起こってくることを精一杯乗り越えること自身が私にとっては祈りです。
イメージは田んぼを耕してる農民が熱心に耕すと自我を忘れ田んぼや地球や宇宙と一体化するような感じです。
これからも頑張ります。
ひかりさん、これからもよろしくお願いします。
※ 神奈川へようこそ!
居心地が良さそうで、良かったですね。
寒川さんへ参拝されたのですね。
歓迎していただけたみたいで、良かったですね。
お疲れ様です。
人生がどんどん発展して行っているようで、本当に良かったですね。
お仕事も、良くなられたんですね。
「カルマはほぼ終わって後半に向けて徐々にごほうび的な人生」というのは本当ですね。
私もそうなっているように思います。
カルマ浄化を終えて心に執着がないと、本当にこうなるんですね。
紫野
■昨年の5月からレベル2をスタートしました。
当方、霊感はあまりないタイプです。鎮守参拝は月~金曜日の帰宅前に毎日行い、先祖供養と神棚の祈りは、月~土曜日はどちらか一方、日曜日は両方行いました。
墓参は、母の父と父の父のお墓にお盆と命日の月の年2回ほど通いました。
*鎮守参拝は、最初の頃は神社に行くと他の人がずっとおしゃべりしていたり、何だか不審な感じの人が居たりして落ち着かないまま祈りを捧げていたのですが、続けていくうちに、私が祈りをする時には他の人が来なくなったので落ち着いてできるようになりました。
参拝を続けてしばらくすると、後ろから誰かに見られているような気がしたり、隣に誰かが立っているような気配を感じました。(神様からのお言葉を頂いたり、涙が流れたり、は今のところありません。)
そして祈っていると、頭頂部と眉間のチャクラ?がじんわりとした感じがすることが何度かありました。
*先祖供養は、最初はお供物などの支度が大変なので、面倒に思うこともありましたが、続けていくうちに、今日は供養しよう!と思ったらすぐに実行できるようになりました。
最初は声がかすれてお経が上げづらいこともありましたが、(特に父の家)続けていくうちにだんだん楽に上げられるようになりました。
特に母の家の供養は、お経を上げている内に楽しくなってテンションが上がって来てしまい、ノリノリでお経を上げていました。(変ですかね・・)
そして10回に1回位は涙があふれました。お経をあげていると、部屋の時計がカチッと鳴ったり、ろうそくの炎が勢いよくなることが何度もありました。
また、鎮守参拝と同じく頭頂部と眉間のチャクラが刺激されることが何度かありました。
1年経ちますと、祈りの資料に書いてありました通り、ご先祖様もだいぶ落ち着いてきたようで、「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」と言われているような気がします。
*神棚の祈りでも、祈りの途中に時計がカチッと鳴ることが何度かありました。
*墓参は、そんなに頻繁に行けませんでしたが、行くといつも蝶が飛んできました。
祈りを続けるうちに、お寺で無縁仏様を祀ってあるところに近づくと、腕にぞわっと鳥肌が立つようになりました。
これが霊感でしょうか?
*カルマ出しと思われる出来事もいくつかありました。
会社で後輩から嫌がらせをされたりして大変困っていたのですが、祈りを続けているうちに、味方してくれる人も現れたのでちょっとほっとしています。
また、自分の過去の仕事のミスがちょこちょこと発覚してあせる事が何度かありました。
自分以外では、会社の人が何人も急に体調を崩したり、入院したりしました。(自分の仲の良い人も、苦手な人も両方とも)
また、今まで仲が良かったのに、急に態度が豹変して冷たくなってしまった人もいます。
祈りの資料や会報にあった通りの出来事なので、もうしばらく様子を静観したいと思います。
*祈りを1年度続けて変化を感じたことは、まず天然石が以前よりもキレイに見えるようになったことです。(祈ららさんで求めたものでないものも、何かしらパワーが出ているのが何となくわかるようになりました)
また、日本の歴史に興味を持ち始めたので、時代物の大河ドラマを片っぱしから見たり、本を読んだりしています。
そして1日を気分良くすごせる日が以前より増えました。
こういう日がなるべく多くなるといいなと思いながら祈りを続けています。
■霊の祈りレベル2を始めて3年になりました。
その間何度も中断してしまいましたが、もうやめようと思ったことはありませんでした。続けたいけど続けられない、体が思うようにいかない、心が安定しない、そんな苦痛のなかで、とうとう仕事を退職する事になってしまいました。
このレポートを書いていて気づきましたが、レベル2を申し込んだ数ヵ月後に、退職していました。
これはもう、お導き以外のなにものでもないと、改めて驚いております。
祈りは順調とはいえませんでしたが、少しずつ進んでいる実感はありました。
特に、退職してからは進むスピードが少し早くなったような気がしました。
体を壊してからの退職だったので、祈りどころか、日常生活自体がまともにおくれなくなってしまい、ほぼ寝てばかりの毎日でした。
このまま、自分の足で再び普通に歩める日が来るのだろうかと、不安と焦りが頭をよぎりましたが、いまは「静」の時だと、割り切って、今できることに集中することに決めました。
なので、それこそ、お墓参りなどはそんなに回数が行けてません。
父方も母方も、遠方なので、よほど体調がよくないと出かけることができませんでした。
それでも、お墓参りでは、「和解」というメッセージをいただいたり、途中で引き返すこともなく、ちゃんと参ることができました。
鎮守さまとの会話では、最初の頃は、進みたいという私の願いに「まだじゃ・・」とたしなめるようなメッセージをいただいていました。
ほぼお優しいメッセージや波動だけの時もありましたが、柔らかい、温かい感触をたくさんいただきました。
1度、わたしがすごく凹んでいた時は、厳しいお叱りもいただきましたが、突き放された・・・という感じではありませんでした。
最近祈りを再開して、また聞いてみましたら、「進め」と一言、言われました。
そのあと、つい先日も、「もうよい、そなたの願いは聞き届けられた、もうよいぞ」と・・・とてもお優しい波動で、ここまでよう頑張ったな、というような感触を受けました。
先祖供養も、再開してからは、まるで神社参拝でもしたように、清々しくさっぱりとした気分になれました。
なんとなく、なにかが変わったな~と、そんな感覚にさせられました。
そろそろ次に進むのかな~と思いながら、祈ららのHPを訪れて、レベル3を読んでいたら、ぐっとくるものがあり、ああ、もう時期が来たんだと、感じました。
神仏との繋がりが持てるということが、こんなにも素晴らしい事なんだな~と、最近つくづく感じております。
まだまだ、時には厳しい試練を受けるときがありますが、きっと私なら乗り越えられる、という、神仏さまの期待度が大きいんだろうな~と、前向きに受け止めていこうと考えております。
■レベル4の祈り、ぼちぼちというかやっと重い腰をあげインナーチャイルドの祈りをしていますが、やっぱり祈ららの祈りはすごいですね!
祈り始めたと同時に号泣です。
普通はほかのところ(よそで見かけるなんとか療法など)でワークをしても、こんなに簡単に自分を癒すことはできないのではないかと思います。
自分自身だけで昔の自分と向き合っていたときでも、時間をかけて思い出してやっと心の氷が溶けて号泣という感じだったのに祈ったとたんってすごいです!もちろん以前自分自身で癒してきたせいもあるとは思いますが、昔のことを思い出したわけでもなくただ祈っただけなのにこんなに涙が溢れるなんて、いつも供養をしてる相手の方はこんな感じなのかなぁとうれしくなってしまいました。
■レベル3では、日々のスケジュールも考慮して淡々と過ごさせて下さいと願いつつ、さっくりと進めさせていただきました。
また、私の場合、これまでの人生で既に大方出尽くした感があるので、大事にはならないだろう、という気持ちもどこかにありました。
完璧ではありませんがなんとか進めまして、本人はレベル4を早くやりたいと願っています。なんというか、やはり全体的には有難いなあ、と思いました。
神社もお寺も、ずっとそこにいてくれているわけですし、涙が出る時は出ますね。
泣こうと思っていないので驚いたりしますが、魂レベルのことだと感じます。
*途中、風邪に似た症状で結構しつこいのがでました。
好転反応についてはすっかり慣れていますので、これは何か深いところからのお掃除だなあ、と感じていました。
*私は腎臓が慢性的に弱いのですが、それをしっかり意識していたら、今では少し楽になったというか、、、あまり気にならなくなりました。 少し良くなったようです。
体も暖かくなりました。
*一時期、過去に嫌いだった人、苦手だった人、問題のあった人などが次々に思い出されたのですが、ある人は当時の苦々しい思いのままでしたが、ある人は想像(空想)の中でごく自然に仲良くしているのです。
なんで急にこんなビジョンが?と不思議だったのですが、これが和解というものなのだなあ、と気がつきました。
*また隣人で、何十年の問題人物(大迷惑人間)がいつの間にか入院していました。
確かに高齢なのですけど、あんなに身勝手に生きていればストレスもなくさぞかし健康でしょう、(おかげで私はノイローゼ寸前だったのに)と思っていた人だったので、ちょっとした驚きでした。
資料が届いてから割とすぐだったようです。
*ご先祖様のことが思い浮かぶ時は、「ああ、辛かったね。でもすごいよ、そんな時代のそんな状況を生き抜いてすごいよ、今度はいい時代に生まれてくださいね。」 と祈ったりしています。
*レベル3の途中から断捨離がマイブームになりました。
■会報は、読み始めたら一気に読みますが、祈りと同じで止まるとず~~~~っと止まってしまいます。
祈りは再開しても、会報はず~~~っと止まっていました。しかし、最近また読みたくなり、はまっています。
読み始めると、自分が気になっていたこと、自分に起こっていることなどが理解できて、スルスルと飲み込めました・・
一瞬、もっと早く読んでいれば・・と思いましたが、すぐに、いや、「今」だから理解できるんだと、納得しました。
ここ2.3日、朝が起きれなくなり、おかしい・・・・と考えていましたが、日記をつけていて気がつきました。
会報を読むことによって、浄化が起こっているようです。
浄化ならば、素直に受け入れるしかありません(笑)
会報は、何度読み返しても、その都度新しい発見があります。
それはきっと、自分が成長している証、なのかもしれませんね。
いつもありがとうございます。
■霊の祈り1の鎮守参拝21日間が無事に終わりました。
霊の祈りを申し込む前にカルマが多いためでしょうか、まず1週間自分で神社に通ってから霊の祈り1を申し込みました。祈りを申し込んだ翌日に職場でカルマ出しと思われるトラブルが起こりました。
最初の何日間は参拝した後なんとも言えなないような気持ちになりました。
参拝を続けていくうちに気持ちがとてもすっきりしてすがすがしい気持ちになっていっていきました。
参拝している期間に家族が熱をだしたりというトラブルもありました。
21日間は参拝している時は長く感じられましたが終わってみるとあっという間に終わりました。
これからも思い出した時に神社に通ってみようと思います。
■数日前、お墓参りに行ってきました。両親ともに他県(お隣り)の人なので、いつも1日がかりになってしまいます。
なので、頻繁に行くことができず、ずっと行きたくて気になっていました。行く前は、体調がう~んな感じになってきたので、「邪魔が入ったか・・」と思いながらも「大丈夫♪」とあまり気にせずに出発しました。
最初は父方から・・お参りのあと、珍しく気分爽快になり、先祖が喜んでくれている感覚がしました。始めてのことで、こっちがびっくりしましたが、ぼんやりと「和解」という感覚が生まれました。
許して下さったのでしょうか?・・・
続いて母方のほうへ車を走らせていたら、段々と具合が悪くなってきてしまい、「やっぱり邪魔されてる?・・・大丈夫~♪明日は休み~♪」と能天気に走っていましたが、首や肩や目が辛くなり、途中で休憩しました。
母方のお参りも無事に終わり、掃除をして帰りましたが、あれほど体調が良くなかったのに、帰りは絶好調!!でした(笑)
何となく、認めてもらえたのかな・・許してもらえたのかな・・というような、穏やかな感じをうけました。
なんだか嬉しくて、こんな日がくるんだな~と、しみじみと感じています。
今度は、もう少し早めに行こうかな、と考えています。
ご鎮守様での、神様との対話なんですが、ボチボチメッセージをいただけていまして・・・今日、それとなく、私の仕事始めはいつ頃なのかな~と心の中で、独り言のようにイメージをしてみましたら、「まだじゃ・・」とお返事をいただきました。
どうやら、まだ私の準備が整っていないらしく、「私がまだ未熟だからですか?」と問いかけると「そうではないのだが、まだなんじゃ・・」と、私の気持ちは痛いほどわかるけど、まだなんだよ、こればかりは私にもどうにもしてあげられないのだよ、という、とてもお優しい気持ちを、波動を感じました。
私の日常で、中々動けずに、毎日だらしない日々を送っていることを話すと、「今はそうするしかないのだ」「それしかできないのだ」と、いただきました。
私が本格的に仕事を始めれば、ちゃんと守るから、今は我慢してくれ・・・というニュアンスのメッセージをいただいたので、涙をうるませながら、ありがとうございました、と帰ってきました。
神様からのお言葉を、いただくようになってから、やっとご鎮守様と本当に仲良くなれたような気がします。
それまでは、祈っても、うんともすんとも言ってくれないので、境内の波動の優しさを感じることはあっても、ピンときませんでした。
今日ほど、祈りをやっていて良かったと、感じた日はありませんでした。
感謝です。ありがとうございます。
■私は霊感があまりないので、参拝する度に奇跡を感じたり、涙を流したりするようなことは無かったのですが、参拝を始めてからちょっと面白いことが起こりました。・風がうんと冷たくて寒い日、参拝の帰りには風が止んで太陽が差してきた
・小雨が降っていたが参拝の後止んだ
・父方のお彼岸の墓参りで、墓石を掃除すると、文字が彫ってある部分がいつもよりも光って見え、お線香を上げたら涙がボロボロ出てきた
はっきりと感じとることは出来ないのですが、きっと神様が静かに見守って下さっているのだと思います。
また、最近はずっと平穏に過ごしていたので、カルマ出しのためか急に人間関係のトラブルが続出したときは驚きましたが、つらい思いをしても参拝をすると神様が嫌な気分をふっととってくれたような気になり、いつも程思い悩まずにすみました。
しばらくしてトラブルは落ち着きましたが、カルマ出しはまだまだ続きそうな予感がしますので、参拝は続けて行かなくては、と思っております。
■まず、霊の祈りレベル1の申込みをしたその日の夜に私の大事な人が交通事故をしました。幸い彼女の車が後ろから先方の車を軽く追突しただけで両者とも怪我はありませんでした。祈りの資料が届き、早速思い当たる神社へ参拝し始めました。大好きな出雲大社と同じ大国主命が御祭神だったり、昔源氏の方々も参拝した神社だそうで、喜び勇んで参拝しました。
最初の3日間位は参拝後体が気だるくなって頭の中がモヤモヤして調子が悪くなりました。しかし、それ以降それ以外のカルマ出しは特に有りませんでした。
毎回の参拝で必ず感じることは、参拝後振り返ってから参道を歩いて鳥居までの間にみぞおちがギューンとなってものすごく泣きたい気持ちになって、自然に深く長く息を吐き出し始めます。その後、御祭神様からテレパシーで「頑張れよ」とか「またこいよ」とか何かしら一言かけてくださいます。「あ~、汚れを吐き出してるな~」って感じがします。
そのまましばらく続き、18日目に社務所を伺って御札を頂きました。その際この神社の氏子範囲を聞いたところ、自分の住んでいる場所がその範囲に入っていませんでした。
愕然としていたところ、その夜に徐々に左足首が痛みだし、だんだん激しく痛みだしました。思い返すとその日の朝に急に立ち上がったときに肉離れを起こしていた様です。その後2日間仕事を休んだりしましたが、何とか治りました。たぶん本当の鎮守様から叱られたんではないかと思います。
気持ちを改めもっと近くの神社を調べて行ってみると、案内板に現住所が氏子範囲であると書いてあり、通う事にしました。また最初から21日間やり直しです。
初日参拝して祈ると、トゲトゲしい雰囲気を感じました。やっぱり怒ってるんだなぁと思いました。
2日目参拝後、鎮守様とお伊勢様のお札をいただいて、その足で神棚を購入して帰りました。3日目祈った後内陣の鏡の方に目を向けると、50~60歳代の男性で昔の位の高い人がするような髭を生やしたふっくらとした顔立ちの人がニカ~~ッて笑った顔のイメージが湧いてきました。思わずこちらもニカ~~ッてなりました。許してくださったんだと思いました。
この神社の御祭神様は、この前通った神社と違い、殆ど言葉は送ってきてくれませんが、終始ニコニコしてくださっているような雰囲気を発してくださいます。自然に参拝中はこちらもニコニコしてしまいます。
その後参拝し続けても特に強いカルマ出しのようなものは有りませんでした。強いて挙げるなら日頃ふとしたときに過去の思い出したくもない嫌な思い出が浮かんできて「馬鹿だったなぁ。」とか「ダメだったなぁ。」とか考えて落ち込んでしまうことが多くなりました。反対に、日常の何気ない事に対して感謝を感じることも多くなりました。「有り難いなぁ。幸せだなぁ。」とか思って泣きたい気持ちになります。
あと、勘違いかも知れませんが、周りを浄化しているのか職場の同僚が原因不明の体調不良になったり、同じ部署内で怪我が頻発し、緊急の安全会議が開かれたりもしました。でも、裏返すと良い方向に転換しているんだと思います。
そんなこんなで色んな初体験をさせてもらいながら21日間終了しました。引き続き鎮守様とご縁を感じる以前の神社の大国主様の所にも通い続けようと思います。
今回祈りの行を始めさせてもらったたのは、本当に大大大正解でした。これからも続けていって、もっと清まっていきたいです。
■霊の祈り2の資料が無事届き枕元に置いて寝ましたら、いきなり携帯電話が原因不明で壊れてしまいました(笑)
いつもの事ながらひかりさんの力はすごいなぁ~って感じます。
■ひかりさんの祈りを実行し始めてから占いや他の霊能師さんの事は見向きもしなくなりました。
祈りが基本と分かったからです。
嘘の様に占いジプシーから抜け出せました。
■資料が届いたと同時に動悸・目まい・吐き気で倒れそうになり、裏の実家に駆け込んで「気分が悪い。ご飯を食べさせて」と訴え茶碗一杯のご飯と鮭を少し、麦茶を飲む。
気分が悪いので寝ころんで資料を読む。
暑いので夕方参拝する。
帰りは軽い足取り、清々しい気分。
帰宅すると食事中より睡魔に襲われる。非常に眠かった。
午後7時30分には耐えきれなくなり就寝。
体は冷えているのに掌と足の裏のみが熱すぎて寝苦しかった。
夜中2時前に起床し腹痛・下痢。線香を1本立て入眠。翌日も起床するが怠いので横になったまま。
相変わらず掌と足の裏が熱い。
その日はずっと神教の本を読みあさる。
下痢が続き参拝の事を考えると腹痛が起こる。
この日を境に体調不良は無くなり周りがざわついた様子も日に日になくなり落ち着いて参拝できるようになった。
印象深いのは21日目。
日本酒と御饅頭を開けてお供えした時、涙が出た。
何時の日か祠の前に立つと気持ち良い風が吹き始める。
あれから半年が経ち今でも1日と15日はできる限りお酒を持って参拝。
今までお供え物を見たことがなかったのに最近、同じようなお酒が供えられているのが嬉しい。
あれから仕事も入って家族も落ち着き落ち着いた日々を過ごしています。
■祈り指導をしていただいて、本当に本当にいいお導きでびっくりしています。
とても幸せな生活をさせていただいています。半信半疑でしたが、本当に実感しているので、信頼して先生には何度かメール鑑定して頂いています。
10年以上のお付き合いです。
今後もよろしくお願いします。
※ 上と下は別の方からのおたよりです。
■10年ほど前に相談させて頂いたことは、おかげさまで、すべてうまくいき、先生が以前会報でお書きになられていた、「カルマが解けると、こんなに幸せでいいのかという気分になる」というのが少しわかります。もちろん、仕事のストレスや細かい問題は普通に生じていますが、それは人生で当然のことだと思っています。
おおむね幸せと感じられることを大変ありがたく思っています。
■霊の祈り2をマイペースながら行なってきました。当初は頑張って毎日行なっていましたが、何だか私の周りにいる(?)無縁仏さんにもお経を差し上げます…といって供養(※祈ららの指導にはありませんので、真似しないでください)を始めたら、その直後から体調を崩し持病の喘息が近年稀に見るくらい悪化してしばらく自分のことだけで精一杯になっていました。
それからは申し訳ないですが、自分のご先祖様だけを指定し、供養のペースも落として行なっています。
祈ららの祈りの強さを実感したと同時に、これほど供養を必要としている人たちが多いのかと愕然とした次第です。鎮守参拝はひところのように泣いてしまうということはなくなりましたが、いつも静かに見守って貰えている感覚がします。
参拝すると結構な確率で結婚式や何かの祈祷が行われているので、少しは応援していただいているのかと思っています。
逆に鎮守とうってかわって反応が強いのが上杉神社です。
行く度に涙がダーダーで化粧が剥げて仕方ないです。
決して近いと言えない距離なのに、気がつくといつも米沢に行きたくてたまらない気持ちになります。
最近の旅行の行き先はずっと仙台と米沢で、何がこんなに私を惹きつけるのかが不思議です。
なんかこちらへの思い込みが強いので、バランスを取ろうと思うのですが、どうしても引き寄せられてしまいます。
この祈りを始めると次々と厄介なことが起こるのかと身構えていました、
今のところほとんど平穏に過ごさせていただいています。正直生まれてから、今が一番静かに暮らしていると言えます。
生活と折り合いをつけながら自分のペースで祈りを続けたいと思います。
■申し込みとともに雷鳴。翌日の雷と豪雨に濁流。
なにかこんな風に決意するときは雷の空気のときのようです。
また2日目と終了した数日後に熱もなく大汗をかきました。また鎮守神社の宮司様方も参拝をしずかに見守ってくださり、幼子を見守るような神仏でいらしたと思われました。
終了した日、境内を出て駅までの道、祈ることができていたのだろうかと。形だけだったのか?と自問していたら、おぉ、おぉ、ようやった、と声が湧いてきました。
いきなり涙がこみあげてきました。
■霊の祈りレベル1の初日は夏の雲で太陽が隠れていたのですが、祈り終えるとちょうど雲が切れて太陽が出たので、目を閉じて心の中で最後のお礼を言っている時に瞼の裏側がキラキラ~っと光で満ち て、なかなかいい感じできれ いだったのが印象に残っています。
(別に単純に太陽の光で他の意味はなくとも、印象としては綺麗でしたので。)祈り自体はつつがなく、ほぼ毎日続けて通いました。
初日を終えて二日目からは眠い、だるいが少々続きました。
特に二日目は非常に眠かったです。他はなんとなくだるい日が数日続きまして、それで私事をいくつかキャンセルいたしました。『だるさ+怠惰』といったところでしょうか。
ですが、悔やむ気持ちはなくて、まあ今回は仕方ないわ、と割り切った感じでした。
他は、祈りながら足がジンジンして来た時もありましたし、左肩が重く感じる時もありました。
また、参拝を始めてからは掃除をしたい気持ちが湧きますね。
あと本気で犬のオシッコ対策に乗り出しました。
うちの前で必ずオシッコをさせる飼主がいるので困っていたのですが、今までは困っていながらなかなか対策がわからないでいたのが、参拝を始めてからネットですぐに良さそうな案を見つけられましたので、試したら効いているみたいです。
鎮守様ありがとう。
また、不思議な夢も時々見ました。
*顔見知りの年配女性が出て来てこんなやりとりをした夢。
「すみません。眠りが深くて起きられませんでした。」
「浅い方だったからねえ。やっと深くなってきた感じよね。お墓の事もやりなさいよ。」
*非常に高齢の女性が出て来て、「ずっと寝ていたので背中が痛い。」と言われた夢。(ひい祖母さんかもっと上の人かなあ、と思ったのです。)
*夢なんだけど、お経が頭の中でクリアに響いたり(しかもそのお経は普通の日本語です)、さらに死んでしまったという子供が二人でてきて「おめでとう」とか言う夢。
*鎮守で大祭が行われた夢。
(神職がみな町の女性で、鎮守から一宮へ大きな龍だかなんだかを運んで行く夢。私はいつもの参拝に行ったらそんなわけで入れず、しかも地元なのに知らなかったーという夢でした。笑)
*大きな亀の夢 などなど。
私は以前から体質改善のためいろいろと継続中で、中盤はそれの好転反応もあったり、雷雨が続いたりしたので少々ペースダウンしましたが、後半はまた毎日行けるようになり、全体的にはつつがなく終了しました。
期間中は父の月命日に壁飾りが落ちたり、新たな健康法を始めたり、参拝後に「天使の羽根」に出会うなど、ちょっとしたことを楽しんでおりました。
■レベル3に進んで初めて供養した時は、どんな霊障が起きるのか想像がつかず、ものすごく覚悟を決めて、やった気がします。
結局、レベル1程、きついことはありませんでした。終わってみて一番に思うことは、トラブル、霊障いろいろありましたが、それでも、とにかく楽しかったということです。
神社仏閣との相性の良い悪いもなんとなくわかってきました。
相性が良さそうに感じたのは、八幡神社です。
お寺に関して言うと、阿弥陀如来がご本尊になっているお寺では好意的に迎えてもらいました。
反応がとてもきつかったのは、ご本尊が薬師如来の天台宗のお寺です。
ひとつひとつの神社仏閣について、それぞれいろんなことを感じましたが、結果的には参拝で涙はほとんど流れませんでした。
観音堂、真宗のお寺、天台宗のお寺の中の不動堂、天満宮、八坂神社、弁天様の祠、涙が流れたのはこのくらいです。
涙が流れた時は、やはり私の心持がよかった時だと思いました。
ただ、参拝して涙はながれませんでしたが、自転車に乗りながら涙が出てしまうことはありました。
汗が止まらないような夏、短い秋、手の感覚がなくなるほど凍りつく冬、それらの季節を経て春になった頃、参拝はちょうど中盤に入っていましたが、自然は本当に美しいと思いました。
曇り空の冬の景色から、新芽が出てきて、日毎、新緑の色彩へと変化していくのを目にしては、なんて美しいんだろうと、そればかり思いました。
桜が咲き始めると、また美しく、葉桜になるとその色彩も美しく、散って若葉が芽をふくと美しく、いつも自然が素晴らしくて、こんな景色を見せてもらって感謝の気持ちになり、この頃よく泣きながら自転車をこいでいました。
実際、前より、植物が美しく見えるのです。私はかなり近眼ですが、目がよくなったのかなと思うくらいです。
道端の雑草すらきれいに見えます。日にすけた葉っぱの緑色が目にしみるようで、風に吹かれてやわらかにゆれている様は本当に美しく、目を奪われます。
自宅の庭の草木もなんだか前より美しくみえるし、鎮守様の社も、前よりからっとさわやかに見えるのです。
この変化は、レベル3をやって、明らかに変わった、と実感したことのひとつです。
■暑さにやられて鎮守になかなか行けず、自宅の神棚と仏壇ではお休み中の祈り方でぼちぼちとやっていますが、生活の中でちょこちょこと楽しいことが起きるので(失敗した!と思う事が、かえってそのほうがよかったりしたり。
あと、小さい懸賞に当たったり。)だれか援助してくれているかたがいるのかな~と思っています。仏壇では何も感じませんが、神棚では、おでこあたり(みけんというか)にマイナスイオンみたいなものがサーっと来てるなあと感じたり、祈りの途中、力が抜けてふわ~っと眠くなってあくびがでたり、神様っているんだなーっと実感します。
■レベル4の祈り、こつこつがんばっています。
現実改善の祈りはすばらしいですね!
神棚の皆さんも、この祈りを確実に応援してくれていて、効果抜群です!
自分を見つめるアンケートを見ていたら問題ばかりですが、祈りを進めていくなかでこの方に関わった合戦の供養は必ずしたいと思うことも出てきました。
まだまだ先の話になりそうですが、こつこつ楽しんで祈っていきます。
■人生を変えてくれるのは目に見えない世界ではありますが、紫野さんが教えてくださったのは、「私が幸せになるための」一人称の救いではなく、先祖をさかのぼりあまねく命とつながった大きな救済だったと思います。これからも、いろんなかたの不幸を光明にかえてください。
■霊の祈りレベル2を進行中です。なかなか順調に進まず、休みを挟みながらの祈りですが、霊障やカルマ出しに苦しみながらも、不思議と、やめたいとは思いませんでした。
悩みながら、迷いながらも、自分自身が、ほんの少しづつだけど、進んでいるのがわかってくるので、やめようという氣になりません。
人それぞれ進み方はあると思うし、早さもそれぞれ違うと思います。
私は少し遅いかもしれないけど、それでも私は私のペースで、進んでいけたら、それでいいのかなと、最近思えるようになりました。
■私の鎮守神社は産土神社でもあります。
春分の日に祈りの資料が届き、始めるなら今だと思い立ち自転車ですぐ出掛けました。久しぶりに来た神社は、こじんまりとしているものの境内はよく掃除されていて鳥もたくさん鳴いていて、綺麗な場所でした。
祈りの最中に時々パキパキと音が鳴ったりしたりすることもありましたが、祈りに対する神様側の反応については良くわかりませんでした。
夜中に目を閉じて鎮守神社のことを考えていたのですが、「産土神社さま」と呼びかけてみたら、山吹色みたいな黄色の光のイメージが出て、その光の力がとても大きくてビリビリと体が震えました。
なぜか左目から自動的に涙が流れだしてしばらく流れていました。
本当にそれが鎮守兼産土神社の神様なのか、一体何者なのか、関わっても大丈夫なものなのかどうか分からないのにも関わらず、神様が来てくれた!と翌日は上機嫌になったので、途中いまいち上昇しなかった参拝に対してのモチベーションが上がりました。
13日目の日、心の中の流れが急に変ったのを感じて、普段感情的に泣きだすことがないクールな?私ですが、突然うわーっと泣きだしてしまい、泣いているあいだ申し訳ない思いでした。
しばらくわんわん泣いていましたが、この日は神社から離れがたい気持ちでした。
その後の残りの参拝は淡々と済みました。
カルマ出しも心配でしたが、そんなに思い当たるようなことはありませんでした。
これから自分のペースで参拝・供養をやっていきたいです。
■祈り始めて3日ぐらいに、すぐに涙が溢れ、後の祈りボロボロでした。
その後は、祈り始めると胸がドキドキしますが、頑張って祈り続けています。
毎日朝の習慣になり、又気分爽快です。祈り始めて、周りで思いがけない事が起こってますが、余り執着せずさらりと眺めております。
レベル2に進むのが楽しみです。
■21日参拝の一日目は待ちに待っていた霊の祈りレベル1の資料が届いた日でした。
鎮守の場所が、その日まではっきりとはわからずじまいでした。とりあえず以前通っていた鎮守と思われる神社で参拝を始めて、できるだけ早めに誰か区長さんのような人に直接伺わなければと思っていたのですが、なんと一日目に以前通っていた鎮守のそばで近所のお年寄りにお会いし、声をかけさせていただいたら鎮守は以前通っていたところで間違いないことを教えていただけました。
すごく嬉しくなって「これは絶対に神様がしてくださったことだ。だって、こんな一日目に鎮守の場所を知っている方に探してみたわけでもないのに、お会いできるなんて!」と思いすごく嬉しくなりました。
参拝してすぐはカルマが出ているのか、精神的に不安定になりました。
鎮守では、明らかに息苦しく感じ、カルマがあるのだと思いました。
21日の参拝は、相手の状況が見えてきて気持ちも伝わってきてという場合もありますが、見えてくるけど相手の気持ちがあまり伝わってこないと感じることもありました。
また、21日の間に家族から「うるさいと言わなくなったね。」と言われました。
私は以前より音に敏感なところがあるらしく、常々、リビングから聞こえてくる声をうるさく感じてしまい、いつも静かにしてほしいと言っていました。
自分は家族に言われるまで自分の変化に気づかなかったので、「そうかな?」というかんじでしたが、心が穏やかになったように感じます。
母とはまだ時々トラブルがありますが、他の家族に対しては自分の気持ちが少し良い方向に変わったような気がします。
■霊の祈りレベル1を祈りました。祈りが届いていたのか自信がないのですが、いつもは誰も行かない神社なので人目がとても気になりました。
最初の3日間位は祈っていると泣けてきました。
それからは何事もなく普通におわりました。
最後の頃に家族の事や近所の人の祈りをしていると、涙ぐむ事がありました。
この21日間はとにかくカルマについて祈りました。
霊感がまったくなく、祈りが少しでも届いているのか不安でしたが、なんとか終わりました。
■21日間、レベル1の参拝を行ってきました。最初の二、三日は、祈るのが苦しかったり、つっかえたりということが多く、神社に行くまでは早起きができて、心身ともに軽く清々しいのに対して、帰りは苦しく、体がだるい、おならやげっぷ、痰が出るということが多くありました。
また、なかなか集中がむずかしく、たくさんのことを言おうとして、ご祭神さまに「もういい、分かったから」と言われるというような感じでした。
五日目に、「ご祭神さまのためにわたしがするべきことはなんですか?」とお尋ねしたところ、とてもハキハキと祝詞を唱えていらっしゃる方が隣にいらしたので、自分の祈り方が下手くそなのだなあと思い、その日から祈りの文を覚えたりハキハキ言うことに重点を置くようになりました。
しかし、覚えたつもりで間違えたり、焦ったりということが多く、祈り始めると同時に人が来たりと、悪戦苦闘・試行錯誤という感じでした。
帰り道や祈りの間に苦しくなることもなくなり、毎日とにかくたくさん祈ろうと考えていました。
この頃はずっと、ご祭神様は「精進しなさい」ということをおっしゃっていました。
中盤あたりはだんだんとご祭神様の感じもやわらかく、静かなものになっていき、祈っている間、特にいろいろな映像?を見ました。
また、帰り道に空に十字架が浮かんでいるのが見えるといったこともありました。
たくさん祈るのではなく、ゆっくり心を込めて言えるだけ奏上するようにしたりなど、試行しているうちに、ぐっと涙ぐむようなこともたびたび出てきました。
十日目に、ご祭神様にお声をかけると、別のご祭神様に「お忙しいのですよ」と言われ、「お構いなく、ただどうぞわたしを何か御為にお役立てください」というと、体を磨いてほしいと言われたので、磨くように気をお送りすると、鳥になって肩や頭に乗ってくださり「ゆきなさい」とお声をかけていただき、その瞬間に、幼いころに頭の上に鳥が乗ったという記憶が蘇ってきて、「あれは神の祝福だったのか」と気づき、涙があふれました。
十二日目、割けたご神木を見てたまらなく痛々しくなり、祈りを捧げると、「ずっと待っていた」「小さいときからずっと見ていたよ」と言われ、わたしが幼いときの神社の光景が走馬灯のように目の前に広がり、ぼろぼろ泣いてしまいました。
うれしくて、ご神木を抱きしめたい気持ちがして、祈りを終えるべき時と感じても、なかなか離れがたい気持ちでいっぱいでした。
この頃から、このような感覚は本殿でお祈りしているときにはまだないなあ、と気づき、また、ちょうど紫野様から別件の質問のご返答を頂いたころで、「想像力にアクセルを回しすぎている」自分に気が付き、祈りでもそうなっているなあと気づきました。
ご祭神様方の感じが日によってあまりに違うように感じるのは、ご祭神様方からエネルギーを受け取っている以上に、自分の想像力で拡大解釈したり、脚色しているような感じがしました。
その日からは、なるべくブレーキをかけ気味に、感謝や祈りにのみ集中するように心がけるようになりました。
後半になってくると、私の祈りが終わるころ、ちょうどご祈祷が始まったりすることが増えました。
祈りも、あれを言おうこれを言おうとせず、とても純粋な気持ちで臨めるようになってきました。
中盤ごろにはかなり軽くなった祈り後の苦しさは、また出始めました。
こちらの体力に合わせて、休み休みカルマを出してくださっているように感じます。
ご祭神様方との会話や映像は、アクセル全開だった中盤よりぐっと減り、最初の頃のような一言、二言だけということが増えましたが、「精進しろ」というような感じから、「祈りがうまくなったな」というような、お褒めの言葉をいただくようになってきました。
最終日には、私の祈りを「心地よい」と言ってくださり、ぐっときて、とても暖かい慕わしい気持ちになって、ずっと祈っていたい、離れたくない気持ちになりました。
その日はどしゃ降りだったのですが、先ほどドラゴンアイズを読み直していて、清めだったのだなあと分かりました。
祈りを始めてから、とにかく毎日行かずにはいられない思いです。
涙が出ることはしばしばあるのですが、ご祭神様方に感謝されて涙を流すということがまだないので、まだまだご祭神様方に満足していただけるようなお役立ちはできていないのだなあと思います。
後半のある日に、私が鳥居の前で振り返って礼をするのを見ていたカップルが、私に倣って礼をしてくれたのを見て、「よかったなあ。ご祭神様方はどう思われてるかなあ」と思った直後に、神社中から「ありがとうありがとう嬉しいよくやった」という声がワーッと聞こえて、初めてお役に立てたという実感があったので、そのような状態をいつも目指して、精進していかなければと思いました。
最初は○○○○様のような大きな神社さまのお手伝いが私なんかにできるだろうかと思っていたのですが、最近は、私が精進することで、○○○○様のお手伝いができれば、きっと何かを大きく動かすお手伝いになれるだろうと嬉しく思えるようになりました。
まだまだ毎日参拝を続けるべきと感じているので、精進を重ねながら、通い続けるつもりです。
いつも紫野様やさまざまな方からのお導きを感じています。
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
■鎮守の神社が○○神社さまだということがわかると、翌日からすぐに参拝に行きたくなり、毎朝通わせていただいています。
日に日に体や気持ちが軽くなっていくのがわかりますし、とても落ち着いた形でカルマが出るので、神の慈愛の深さにおどろき、ただ感謝しています。通い始める少し前から、○○○○命さまは他の神社さまのご祭神さまよりそっけない感じだなあと思っていて、でも○○神社さまの感じは暖かいし、いつも鳥が鳴いてるし、 気も流してくださるので、そんなに関係は悪くないのかなあ、わたしを通わせるための感じなのかなあと暢気に思っていたのですが、最近になって、もしかしたらそれは○○○○命さまがとても優しいから、あまりよろしくない関係のわたしにも優しくしてくださったのではないかと思い始めました。
祈っていると必ず団体さま方が押し寄せてきて苦しい日が多いのですが、最近は末社の神さまや、□□□□命さまが、とても応援してくださっているのがわかります。
今日の参拝では□□□□命さまがアヤメの花をくださって、嬉しくて涙ぐみました。
帰り道に携帯で調べると、アヤメの花言葉は「よい報せ、希望のメッセージ、愛、信じることの幸福」などとあって、また嗚咽が漏れました。
つい半年ほど前まで「悩みがなくなるなんてことは一度もないなあ」とずっと思っていたのが、最近(特に祈りを始めてから)は、悩みはすべて「課題」に変わり、一日以上にわたって感情的に引きずることがなくなったように思います。
ただ毎日の参拝が楽しく、明日はこういう気持ちをもって参拝しようと一日が終わるたびに思います。
揺り返しがあるかもしれませんが、たった数日でこんなに変わるなんて、と感動しています。
■霊の祈りレベル1に申し込ませていただいたきっかけは、気功指導を受けていた方から神社への参拝を勧められたことからでした。21日間の間に行けない邪魔が入ったり雨が降ったらどうしようか心配しながら(屋根がない中で祈りを唱えられるかどうか)でしたが、無事に終えることが出来ました。
今後も鎮守には定期的に通う予定です。
日々、参拝する中で当社の従業員に会ったことは驚きでした。
「私の一日はここから始まります。」
その方はそう言われたのですが、人の命を預かる危険性のある仕事ですので神仏に祈るのも合理的なことと納得しました。
そして多くの方が朝早く訪れるのを見て、自分の常識では今まで必要を感じていなかったことを実践している日本人が残っていることを知りました。
ちょうど21日間連続の参拝を終えて夜、気功の指導を受けていた時に先生から「パワーが相当上がっている。やはり神社はいいんだねえ。」と言われました。
■先日のお盆で実家のお墓参りに行って、祈ららの作法通りにご供養を差し上げたら、泣けて泣けて仕方ない状態になりました。
■霊の祈りレベル1の参拝をして感じることといえば劇的に何かを感知する…というようなことはありませんが時々涙ぐんだり、最近は参拝後の帰宅途中にゲップが出るようになってきてはいるなと感じています。それと神社に行くと気分的にすっきりします。その昔に○○県の□□市を訪れたことがあり、それ以来「ああ、ここにはまた来たいなあ」と漠然と思い続けてきました。今年の3月ころより猛烈に行きたい気持ちが強くなり、とうとう今月再訪を果たすことができました。3日間□□市に滞在し、観光の最中連日○○神社を参拝しました。行かずにいられなかったというのが正直な状態でした。
初日の参拝の時、涙がこみ上げてきて仕方なかったです。悲しくないのに心がほんのり温かいのに泣けて仕方ない。ずーっとここにいたいと思えたのは初めての体験でした。なんというか見守ってくれている人とわかりあえたという感覚でした。他の○○家関連の場所も観光しましたが、感覚的に温かく迎えてくれている感じがしました。□□市滞在中は嬉しい気持ちで過ごすことができました。
ご縁があってひかり先生の祈りの方法を教えていただくことができましたが、以前よりなんとなく自分が実家の墓守というか先祖の供養をしていかないとならないのかなという思いを抱えていました。何か足りなくないだろうかと思ってきました。
自分でなんとかしたいと思いながらどうしていいのかわからなかった時に先生の祈りにふれ、これなのだと直感しました。自分のペースで進めていきたいと思います。
■瑞の祈りレベル1をさせていただきましたが、お腹の下あたりの重い感じが すっきりしました。
隣人との関係もだいぶ良くなった様に感じられます。
■~瑞の祈り(レベル1) を終えて~今日、鎮守への参拝が無事に完了しました。
祈りの資料をいただき、初めは途中で飽きたりしないか、とても不安な中、参拝をスタートしました。
私の参拝は、起床後、朝食を済ませてから、出勤前に毎日、参拝しました。最初の頃は、祈りの文が日常使わない言葉であったため、違和感がある状態で祈ってましたが、5日目あたりからは、違和感なく、そして気持ちを込めてはっきり祈ることができるようになってました。
参拝後は、とても心が充実した気分になり、「今日も一日、頑張るぞ!」と前向きで気合が入った状態で一日をスタートできました。不思議と毎日の起床が楽しみになり、参拝がとても待ち遠しい、そんな気分でした。
毎日、とても充実した日を送れていました。
これは今までになかった感覚です。嫌なことがあってもすぐに切り替えられたり、毎日が幸せに感じれたり、今まで以上に人に優しくできたり・・・。
自分の心がクリアになりつつある感覚です。
「祈りの効果は、すごい!」と改めて実感しました。
これからも参拝を続けて、毎日が充実した日を送っていきたいと思います。
また、レベル2に進み、さらに祈りを続けて、毎日、心が充実した生活を送って行きたいです。
最後に、祈りを始めてから、仕事上での悩みがなくなりました。前向きな気持ちでいれるようになったからかもしれませんが・・・。
失敗することやうまくいかないことがあっても、不思議と前向きになれ、そして、「絶対にうまくいく!」と自分に言い聞かせて仕事ができるようになりました。(実際にうまくいくようになりました)
この感覚をこれからも、祈りを通じて、維持していきたいと思います。
■祈りで得られたことは、神は確かに居られると確信がもてるようになったことです。
■霊の祈りレベル1の祈りを始めてみると、最初の数日間は、とてもすがすがしく、何だか久しぶりにワクワクしてきてとても楽しくて、また次の日に神社へ行くのが待ち遠しいくらいでした。参拝の中頃は、少しモヤモヤしていたように感じられましたが、後半頃になると、不思議なことに、祈る時の声が大きくなり、一語一語を丁寧にはっきりと言うようになり、と、言うより、ゆっくりはっきりと祈ることによって、自分自身の中心がとても気持ちよくて、何とも言えない充足感というか、満足感というのか、とても満たされた気持ちでいっぱいになれるんです!!
こんな感覚は、初めてのことでした。
今年に入ってから、体の不調がずっと続いています。仕事でのストレスも半端ではないです。
カルマ出しは、確かにキツイです。すごく辛い時もあります。
でも、今、霊の祈りレベル1を終えた自分は、確かに祈りを始める前の自分とは、違っています。
物事に対する感じ方や捉え方に変化が出てきているように思います。
冷静さが備わってきたみたいです。
むしろ、将来の自分がどう変わっていってくれるのだろうと、楽しみでもあります。
そして、神仏様にも、ようやく心の底から「感謝」の気持ちを持てるようになってきました。
なにかにつけ、「ありがたい」と思えるようになってきました。
もっともっと感謝の気持ちを持ち続けたい、もっと色んな事に、色んな人に、素直に「ありがとう」と言える自分になりたい・・・
ゆっくりと楽しみながら、進歩成長していく自分を見つめて生きていきたいです。
■以前からお世話になっております。確か10年以上前・・・恋愛相談にのって頂き・・・祈り指導を一緒にもらって、あれよあれよと良い方向へいろいろ進み、幸せな毎日を送っております。
■霊の祈りレベル3をとおして感じたこと祈りをはじめたころの私と比べて今の私は、生きながらにして生まれ変わったという感覚でいます
だから、普通の人がすごく悩むことが気にしなかったり、そんなに悩まずにすんだりかなりラクな人生になっています
以前のままの私だったらこれまで祈りを通して起きてきた出来事で、心がさらに病んでいたと思います
自分が変わったなぁと実感したのは、レベル3の祈りをはじめてすぐ、夫の父方を供養した次の日、母が骨折し、そのときに主に私が母の面倒を見たのですが、私は母を殺したいほど憎む気持ちや母に愛されたかった気持ちなど、母に対する葛藤がひどかったのですが、母の事故の数ヶ月前に母を許すことができたので、まさかこんなに暖かい気持ちで母に接することができるとは思いもせず、母にとっては大変でしたが、私にとってはすばらしい体験になりました(涙)。
レベル2のはじめころの私はいつも心に黒いカーテンがかかったような、不安な感覚を感じていたのですが、それがない今のこのすがすがしさは、本当に気持ちいいです
すべては自分がうつしだしている鏡だということが、当たり前すぎるくらいに分かっているので人や出来事のせいにせず、自分の心さえ見つめればいいので悩んでもシンプルです
恋愛や祈りを通して「自分を本当に愛する」ということが、一番重要なことだと感じていましたが、そこはだいぶ理解できたように思います
レベル3になって「自分の思いがいろんなことを創造する」ということを、ひしひしと感じています。
自分が思ったとおりに現実が創られやすくなったように感じます。
こうなるといいなぁとかこうなったりして。など、なんとなく(ここがコツ)思うと、現実がそうなりやすいように感じています。
ある人のことを考えるとその人が目の前に現れたり、この曲聴きたいと思うとすんごいマイナーな曲なのに、買い物で寄ったスーパーなどでかかったりすることが多く、笑ってしまいます。
こんな感じでこういう恋人がいいなぁと思っていると、ぴったりの人が現れたり、あれ欲しいなぁと思うと手に入ってしまったり、なんでもかんでもというわけではありませんが、必要なものは手に入りやすくなっているのかなぁと思います。
逆に欲しいのに手に入らないときは必要ないものなんだと思っています。
逆に(逆にという言い方も変ですが)一般的に悪い出来事と言われることも現実になりやすくて、(出来事は中立なので私が悪い出来事と今までの価値感で判断しているだけなのですが)、自分が発する思い、言葉というのも気を付けなくてはいけないなぁと思います
これは確実にそうだ。とは言い切れないのですが、知り合いになって「ああ、この人と心が通じたな」と感じた矢先に、相手の方が事故やトラブルに合うということが時々あります。
女性の方は交通事故で重傷になったり、男性の方はトラブルや、お子さんが大怪我されたり、もしかして私も人を浄化できるようになれたのかなと、ちょっと思うのですが、浄化の時代ということもあるのかもしれませんね。
祈りのことを考えたり、祈りをはじめると、苦しませた相手の心が祈りで少しでも楽になって欲しい、幸せの一歩を歩むきっかけをつかんで欲しいと心から思います。
私にこんな感情が芽生えるなんて、祈りをはじめたころは思いもしませんでした。
祈ららの祈りは今のところ一生続けるんだろうなぁと思っています。
合戦の供養もこわい気持ちもあるけど、たくさんの人を救いたいという気持ちもあるので、レベル5もするんだろうなと思います^^
■初めて「神社で泣く」という体験を致しました。悩んだ時や辛い時に、鎮守様で涙を流すような事はあっても、ひかりさんのおっしゃる「泣く」とは違うのだろうな…と、常々感じていましたので、大変、驚きました。
つい先日、仕事で○○に行った際、近くに○○神社があるのを思い出し、立ち寄りました。
実はこの神社、私の名付けをしてくださった神社で、当時の神主様は、母の師でもありました。
母から話は聞いていたのですが、お参りしたのは今回が初めてでした。
小さな神社ですが、境内に入ったとたん涙があふれ、なつかしさやら、安堵感やらで、自分でも驚くくらい、おいおいと泣いてしまったのです。
「魂の親に逢えた!」という感じでしょうか…
家に帰って母に、いらした神主様の年格好や風貌を伝えると、「先生にそっくり!きっとご家族だろう」ということになりました。
とても優しいおじいちゃん先生だったそうです。
神様にプレゼントを頂いた様で、とても嬉しかったです。
■とにかく、祈りたい、最後にゆるされるのは祈る事しかないのじゃないかって思って、神棚のあつかいと先祖供養をしたい、自分で納得いく形でしたい!とあるときから強く思い始めて、でも宗教団体に入る気はさらさらなかったし、今はインターネットという便利なものがあって、いろいろと探していたわけです。ですが、たいがいが、お金をだして「能力」のある人にお願いするという形のもので、無能力なものは何もできないという感じでした。
そこで祈ららにいきついて、ひかりさんの人に頼まなくても自分で祈ることができるんです自分で祈ったほうがよく通じるんですよ、この言葉はほかのどんな言葉より私を納得させるものでした。
実際、今で言う「霊の祈り」を手にとってみると、ほんとのところ、最初はこんなことしろうとがしてもいいのかな?っていうくらいレベルの高いもので、少々、不安に思ったこともあったのですが、アフターフォローではとても安心できたし、今は迷いなく頑張ってます。
といってもまだレベル2で、これはちょっと長期間を必要とする感じですが、レベル2までは(それ以上をしらないので)やっぱり、最低でもやっておかなければならない内容じゃないでしょうか。
■先日、職場の鎮守に参ると末社に厳島神社があったので参拝しました。翌日の朝、神棚にて「厳島神社に祝詞をあげさせていただきましてありがとうございました。」とお礼を言い、そこで弁財天祝詞を読んだ後には(暖かい)号泣でした。
初の号泣です。
こんな気持ちは初めてでした。
祈ららの祈りに出会えて本当に良かった。
今後も精進してまいります。
■ドラゴンアイズが届くたびに、えぐられるような気になるのですが、大きな気づきになんともいえない感慨を抱くのです。
ドラゴンアイズは何度読み返したことでしょうか。
読み返すたびに、新たな気づきと感動があります。
それは自分が少しずつ成長したことなのかなとうれしく思います。祈ららの祈りをはじめてから、祈ららの祈りのレベルの高さと自分の幼さにうちのめされる毎日でした。
「絶妙のタイミング」で祈ららにみちびかれたとしか思えません。
■これはとても嬉しかった事なのですが、1週間くらい前に、カルマ出しでしょうか、携帯で知り合いに励ましのメールを出したところ、言葉を悪く取られたらしく、思いもかけないキツイ言葉が返って来ました。
そういう言葉が苦手なので、一旦、静観する事にしてそのことは終ったのですが、自分の気持ちとしてはかなり傷ついてしまったらしく、悶々としました。
相手の事を悪く思いたくないけれど、自分の中の柔らかい部分が傷を負ってしまっていて、悲しいのです。仏壇でのお祈りでも中々気持ちが集中しないのですが、真言をあげている所で、涙がこぼれてきました。
そのまま、入浴後に神棚での祈りの際に、始めに悲しかった思い等が出て、泣きながら祈り始めました。
その後すこし気分が落ち着き、祈りも祝詞を幾つかあげている所になり、初めて、十種祓い、祝詞を挙げた後に、ふと「相手の人が成長するまで、諦めずに待とう」と思えたのです。
それは、始めに思っていた恨みがましいモノではなく、相手にも私にも成長を促すような考えでした。
その後に、すぐ、(これは、神様が下さった諭しではないのか?)と思いました。
その考えの美しさに今度は違う涙が出てきました。
ありがとうございますとひたすら祈り続けて沢山涙が溢れました。
泣きながら祈りを終えました。
よく先生や皆様が涙が溢れてと話されていましたが、こういう事かもしれませんし、違うかも知れません。
ただ、その一つ段階を挙げてくださったかの様な考えに驚いて、本当に有り難くて心の底から、祈りをしていて良かったと思ったのです。
■知恩院さんの有名な門が見えた時のこの感じ。
門の前に立った時確実に実感、ここに来た、今日ここのためにと。
ずっといい感じ。
友人も一日中いられる気がすると言った。
私は、すごいすごいとワクワクいい感じがうれしくて。
ここの本殿は御影堂。
本殿から、すごくいい感じ。
左方で檀家さんの供養らしきしていた。
けど、○○寺で出くわしたそれと、全くちがう。
お経もいい感じ。
小坊主さんたちは裸足。
寒そうな藍色のじんべ上下のような。
本殿の中をおそうじしていた。
おまいりの邪魔にもならない。
もう全て、お坊さん小坊主さん、一瞬にして○○寺とは全然ちがうものを痛感。
阿弥陀堂へ。
でーんと大きな阿弥陀様すわっている像。
アルカイックスマイル。
畳部がせまく、すごくちかい。
中に参拝の人がなく、私と友人一番乗りって感じで、私はまん前にすわり、あいさつをとまどいはじめる。
柵の手前に木魚がいっぱい並んでる。
私もさわっていいの?
日ごろ家の仏壇で見守ってもらって、今日は阿弥陀様につたないお経をとなえだしたら、おそうじの為と思っていたお坊さんたちの読経がはじまった。
木魚に拍子木みたいな音、ドラムみたいな音、私は目を閉じていたので、だんだん人が増えてる様子。
横の入り口がパタンパタンと開いたり閉まったり、バタバタ入ってくる音、私が見た、並んでいた木魚が次々になくなっていく。
自分のお経をやめて、ゆだねた。
すごいすごい。
お経が大きくうねり、つつみこまれ、涙々、あふれるあふれる。
私のためと思った。
私をここへ導いてくださったと。
そしてこれは私へのプレゼント(誕生?のような気もした)。
いっぱい話しかけた。
うぬぼれていいのですね。
どうしてどうして、私はまだ何もはじめてなくて何もしていないのに。
ありがたくて、ありがたくて。
今も涙が出る。
しゃがれ声のお坊さんの声。
えっ?前の木魚は小坊主さんのようなのを想像していて、目を開けた。
(多分ずっとゆだねているのがこわかったのでしょう。あとで未熟さをうらんだ。せっかくだったのにと)
そしたらまん中で、無知な私でもわかる袈裟や着物、両脇の若いお坊さんがその僧が立ったりすわったりして経をとなえるたび袈裟をもってしつらえる。
まさにすごい上の方の僧。
老人でしゃがれ声だけど、いい。
えーっという人数でした。
こんなことになるなんて夢にも思ってなかったし、パタンパタンと並んでる木魚の人らが出て行き、柵の中の人らは中から去り。
呆然とする間もなく「もう閉めます」といわれ、あわてて階段へ。
ティッシュをさがし、でれでれの顔、鼻水。
■昨日、久しぶりの休みで、朝、急に父方の墓参りに行きたくなったので、行ってきました。
墓地に入るとたくさんの、とってもたくさんの視線・・・(他の墓の方々でしょうね。。)
でも、かかってくる感じはなく、どちらかというと、「いいなぁ~」という視線かな??
ゆっくりとお経をあげ、祖父母の孫であること、たくさんのご先祖様たちの子孫であることに感謝し、この祈りに感謝して、、お墓が暖かく感じます。
後で気が付いたのですが、昨日は「敬老の日」で、今日から「彼岸の入り」なんですね。
■送っていただいた会報を読ませていただきましたが、本当に勉強になり、質問したいことの答えもあり、読み応えたっぷりです。
なにより、そこからかもし出される空気が(ホームページもそうですが)さわやかで清々しいです。
■私は特に何も考えてない時からよく神社やお寺に行っていたのですが、ある時友達から「宇宙神霊紀」とかいう、漫画家の美内すずえさんの本を借りて、目からうろこというか・・・
神様は本当にいて神社やお寺はただの建造物ではないって事や、輪廻転生は本当に自分にもあるという事、エネルギーという言葉の意味や、石や音や光が似たようなものであるという事などを初めて知り、今まで「綺麗な場所やね~」とか「かっこいい建物やわ~」という風にしか思っていなかった神社やお寺が、本当に神様がいたりする場所だったなんて・・・と、何とも言えないショックを受けました。
神聖な場所は、本当の意味で「神聖な場所」だったのか・・・と。
それまでは神社やお寺にまつわる話を、おとぎ話的に捉えていました。
これは新発見!みたいなノリで周りの友達に話すと、信じない人と、そうでない人や前から知ってる人とキッパリ分かれたので、それにも驚きましたが、前から知ってる人やなんとなく私が言ってることが解る人たちがそんな話に関する本を貸してくれたり買ってきてくれたりして、みんなが「読んでみて」と。
それから私は神社やお寺の神様に、すごく興味を持つようになって、敬意を払うようになって、きちんとあいさつとご縁を持てた事の感謝を言うようになりました。
色々回るうちに、真言と般若心経と祝詞に興味を持つようになりました。
たぶんあの言葉たちは、神様に一番伝わりやすい言葉なのだろうと思いました。
お坊さんや神職の人たちが羨ましくなりました。
私は神様にお願い事を聞いてもらったり守ってもらったりしてるから、ちゃんと伝わる言葉で感謝を伝えたいって思うようになりました。
あるきっかけで、不動明王さんと大日如来さんの真言は覚えました。
般若心経はどこでも唱えられているので、いつかは覚えようと小さいものを持っていて、たまに目を通していました。
で、ひかりさんの祈りの言葉はどんなものかと、ずーと気になっていて、何か決まりごともあるようで、続けられなかったら怖いとか、色々考えていましたが、まずレベル1をしてみて、無理そうならその時考えようと決心しました。
で、届いた祈りの言葉を見て、「あ~ホンマに基礎っぽいわ~」と、これならできる!というか、ぜひやりたい!と思いました。
真言をサンスクリット語で読むようにしてたりとか、なんかすごく細かな気配りで好き!って思いました。
私は、神様に届きやすい言葉が知りたかったので、ぴったりです!
■先祖供養を始めてから何となく感じるのですが、誰か供養を強く望んでいる人の存在が私や私をとりまく状況を先祖供養の方に導いているように思うのです。
これは私だけでなく他の方々にもよくあることなのでしょうか。
それが誰なのかわからず戸惑っています。
■今は、参拝がとても楽しい!
ただ、今参拝したほとんどの仏閣で、相手ご本尊様から、「驚き」(現世御利益を願わない祈りに対して、また、何故お前(私)がこのように祈るのか?)や「とまどい」(同じ)、「感謝」「喜び」のような気持ちを感じます。「怒り」などの感覚は今のところありません。
■ドラゴンアイズのバックナンバーを毎晩読んでいます。
で、毎晩、どうしようもない眠気に襲われて、はうようにベッドへ・・・紫野様の「エネルギーアタリ」というか、高い波動を感じます。(朝起きると、スッキリしているので)
■夫のご先祖のお墓参りに行って参りました。
次男がお祈り中に大きなげっぷをしましたので浄化のしるしかなとちょっと思いました。
お参りの帰りに墓地から出ようとしたとき先を歩いていた次男が「今、風と握手したよ」といいました。
「きっとご先祖様が感謝のお祈りを聞いてくださったんだね」と話しながら帰りました。
今、そのときのことを次男に聞いてみたら、「2回も握手してくれたよ」「キスもしてくれたよ」「後ろから追いかけてきてしてくれたよ」「涙がでるほどうれしかった」「○○おじいちゃんだと思うよ」「ほかの人もきてくれて握手してくれたよ」「にいちゃんとも握手してたよ」「にいちゃんが気づかないから『あれー』とおもったよ」「かあさんのところにも来てたよ」「3回なみだがでそうになった」と言うのでびっくりしました。
■体のいたみを、祈り続いてた頃、楽しんでいた。
ろっ骨は、胸がいたくて(何をするも)いたいいたいと自分の声で目がさめてたかな。
神棚で一つ一つのいたみの所で苦しんでいるであろう方々に祈って、幸せになって下さいと、それを願って祈りました。
どうか御光をと。
痛みがゆるむにつれ、うれしくてネ。
それにまつわり、いろんな人と出会って、自分の成長とともに出会う人もステキになっていくのが、よくわかる。
■祈りコースを申し込んだ頃は咳が酷く、なかなか神社へと通えませんでした。
家族も不調になる者が出ていました。
元々今年に入ってから神社へと通う日が多く、日頃のお礼などを伝えに行っていました。
神社参拝方法の用紙を頂いて、実際神社へと通えるようになった頃、何番か省いて祈りを始めて良いと書かれていたので、2回程行って様子を見ていました。
何とか大丈夫そうかなと初めて見た所、仕事が急に決まりまして、それも中学生の頃からやってみたかったお仕事なんです!
1日祈って1日休みを繰り返していたのですが、病持ちの伯母が再度入院したり、私も10回ほど祈ったある日お客様を怒らせてしまったり・・。
ですが、これを気にこの方と仲良くなれるのでは?と思っていましたら、本当にその通りになりました。
お仕事前の朝や(8時半頃)お休みの日の午前中に祈りに行くことがあるのですが、不調が続くと2日間お休みになったりします。
その時は、「お休みが続いて申し訳ありません」と伝えてから祈るようにしています。
不思議な事に、たった今まで無風だったのに、祈りを開始した途端風が吹いて来たり、祈りが終わって振り返った途端絵馬がカランと一斉に鳴ったりしました。
2日連続で祈った事があったのですが、空気の流れが変わり、やはり1日おきに祈った方が良いのだなと感じました。
ですが、その時神社では「良くぞ来た」という声が頭を過ぎりました。
そして祈りを始めて数回してから不思議な夢を見たのです。
私が2日間祈りを休んだ時に見た夢です。
神社へ行く夢を見て神社の裏の森に私がいるのです。
そこで私は誰かに憑依をされ口が動いたのです。
「どうして人は勝手な願いばかりしに来るのだ。どうしてこの子のように祈らないのだ・・。」と。
周囲にいた人間は驚いて皆去っていくという夢でした。
これは祈りに関係しているか分からないのですが、母が私を今呼ぼうと思っていたという、呼ばれる声が聞こえるのです。
「○○」と呼ばれたので「はーい」と返答して母の所に行くと、今呼ぼうと思っていたけど、呼んではいないよ。というのが続いたのです。
それは確かに母の声。
これから祈り11回目と後半へと突入します。
ずっと続けて行こうと思っています。
レベル2になるとお金も倍になるので、どうしようかと思っていた所、ひょんな事から縁がありました。
これは仏壇を購入してきちんと先祖供養をして欲しいと言う事なんだろうと思っています。
これからも宜しくお願いしますね!
■先祖供養は、マイペースで続けています。
続けてきて新しく感じたことがあります。
先祖供養をしていると、生活にメリハリが出てきて、一日一日が楽しくなりました。先祖供養を始めた頃よりも、ご先祖様が軽く?なったようです。
■祈りはじめてから、体は健康になりました。
時々、疲れたりはするけど、風邪とか全然ひかなくなって病気にかからなくなりました。感謝です。
■先日、レベル1が終わりました。
毎朝、神社に行って祈るようになり、酷い風邪をひいたり体が極端に辛くなったり、それでも自分の仕事がどうしても休めず、かなり辛い思いをしましたが、それとは逆に全ての物事が良い方へ良い方へと向かっていて、感謝の毎日です。
この祈りを知ったのも神様のお導きなのかもしれません。
■冬至のアセンション第一波は、やはりかなり強かったようです。
私はお祈りをしてるせいか、神様の守護があついのか、そんなに影響を受けずにすんでいて、現実を動くのではなく、やはりお祈りをするのがお役目のようです。
そのように神様がまた強く働きかけて下さっています。
すごいですね。
ほんと、不思議です。
■石を使った祈りを早速やりましたが、次の日空でも飛びそうなくらいでビックリ!
すっごい効きました。
自分がこんなに素直だとは(笑)
教えて頂いてありがとうございます!
いろいろへこむ事はありますが、少しずつ前進していこうと思います。
■家の鎮守のお札を作ってる方の神社に参拝したら、途中から泣けてしまいました。
なんだかこれ程嬉しい気持ちになったこと、他にはありません。
供養し続け、清めたことがこんなに喜ばれてるとは!!
やってよかったと思えた瞬間でありました。
以前に参拝してもこんな良い反応はずっとなかったんです。
供養はカルマを受けるのがやっぱり辛かったけど、苦しんでる御霊達が救われたことが、こんなにも神様がお喜びになるとは!
祈り始めた頃は自分の不幸をなげき人のせいにしたりする私でしたが、罪の重さを実感し、今は心から詫びる思いです。
先
■生を知り、天然石の素晴らしさを知り、以前からきちんと神社で神様方に祈りたかったという気持に気づき、自然と「祈り」を始めました。
まだレベル1ですが、神社に参拝するということは本当に気持ちいいものですね。
祈りを通して物事を前向きに捉えられるようになってきました。
そして先月、もう仕事は来ないだろうと思っていた会社から仕事の依頼が舞い込んだのです。
また、現在アルバイトのようなことをしている職場からも、職員としてやってみないかという声を掛けていただきました。
このアルバイトは、実は私がもっとも苦手とする分野です。
1度やめようとしたのに引き止められ、今度は職員ですから、この分野で勉強しろということなのかと受け止めています。
1週間のうちに思いも掛けなかった仕事の話しが来て、少しボーッとしています。
こういうことってあるのですね。
今思えば、半年前仕事が打ち切られたのは「祈り」へ至る道筋だとしか思えません。
祈りを知らなければ、きっと違った今を生きていたのではないでしょうか。
仕事の他にもいろいろなことが起こりました。
それらから感じることは、私達は本当に神様方から見守られているんだなぁということです。このことに気づかせてくださって、本当にありがとうございました。
■合戦の供養に入り、旅(参拝旅行ですが)に出た時以外は1日も休むことなく、(祈りを)続けてこれたことに、今私をお守り下さるご神仏様、ひかり先生に感謝致します。
本当に私は、供養が大好きです。
今も涙が出てきました。
■一宮さまには行かなくてはならないと思い立ち、バイクで、下総の国の一ノ宮・香取神宮に行ってきました。
鳥居をくぐって参道を登っていく途中の森がとても気持ちよかったです。
それで本殿に行ったら感動してしまいました。
改築をしたばかりなのか、塗装や装飾がやけにきれいなのです。
黒を基調として緑の格子や金の装飾、それから色とりどりの中国風の模様・・、それらにそれらに見とれているうちに「ありがたいなぁ」っていう気持ちになりました。
それから人のいない本殿の裏に回ってゆっくり歩いていたのですが、本殿の茅葺屋根から溢れてきているエネルギーを感じているうちに、泣きたいような気持ちになってしまいました。
神社に参拝してそんな気持ちになったのははじめてです。
なにかご縁がある場所なのでしょうか。
それからさらに裏の方の摂社や末社をぼんやり見ていたら、「よくきたな、まってたぞ」みたいな感じのメッセージが伝わってまいりました。
本当に泣きたかったです。
しかし誰なのかよくわかりません。
御祭神のフツヌシノオオカミなのでしょうか。
■最近は私も不思議なことが多くなりました。
音信不通だった友人にバッタリ会ってしまったり、メールもパッと見たらちょうど来たばかりだったり。
友人に会ったりしたのは、おそらく自分が思ったことが現実になったんだなぁって思ったのと、その波動に合わせるとその現実がやってくるんだなって思った。
そこにどっぷりつかってる時はその現実しか知らないけど、こうしてみると、いろんな世界をかいま見ることができて、なんか面白いですね。
思ったことを引き寄せる想念の力にもちょっと自分でもびっくり。。。
パワーアップしてるみたい。。。
これは気をつけないといけないかな。。。
■祈りを始めてから、私の足の痛みはおさまりました。
あれほど痛くて、足を引きずり歩いていたのに、本当にうれしいです。
ありがとうございました。
ひかりさんの祈り指導は、本当にすばらしいものだと、実感しました。
■私は、ひかりさんの祈り指導を受けるまで、先祖に思いをはせることはありませんでした。先祖とは過去の人達、今の私には関係無い存在でした。
お墓の現状を見て、子孫やお寺から見放され、悲しく、肩身の狭い思いをしていることがよくわかりました。私たち家族に不幸ばかり起こるのがよく理解できました。
■鑑定結果のメールを読ませていただき、早速鎮守の神社へ行ってきました。なんとも手を合わせて鳥居をくぐる瞬間から、手や体中があったかくなって、歓迎されているのかなという気持ちになりました。そういう感覚が気持ちいいので、毎日通っております。
■いつの間にか私は母を支え、祈り、助言するような自分になっていました。
人を救い、導けた喜びは何にもかえがたいものです。
両親の変わらなさにずっと悩んできて、話をするのもイヤだった私ですが、必要な時だけ、必要なことを言ってあげる、自分も彼らへの接し方を少しつかみました。
■私の方は、大きな問題があまり起こらなくなり、出会う人もいい人ばかりで幸せな毎日です。
また、問題が起こったとしても以前ほどジタバタしなくなり、これも祈りのおかげかなあと劣等生ながら実感しております。
■仕事から帰って玄関を開けると、ご先祖様が勢揃いで迎えてくれて、その中に祖父がいました。
私は涙涙で祖父やご先祖様たちの気持ちを受け取りました。もう、私の一家は大丈夫!!と思う出来事でした!今はご先祖様も泣き顔から落ち着き、穏やかです。これからも祈りを続けるぞ!
ご先祖様の守護を感じます!
沢山のご先祖様です!祈りをしていたからですね!
私は一人じゃないんですね!
ご先祖様の気持ちを一心に受けています!
今までの人生にこれほど素晴らしい事はなかったです!
有り難いです!
沢山のご先祖様!
でも私は祖父しか知ってる先祖がいないけど、沢山の感謝の気持ちが伝わる!
言葉では表現出来ないすばらしさ!
有り難いです。
■自分がだいぶ浄化されたなぁと思うのは昔は結婚の事をかなり言っていた母が合戦の供養を始めて半年位たった頃からほとんど執着しなくなった事、また私に会う人はよく風邪などひくんですが会って30分もすると相手が精神的に落ちついてきたりさっぱり明るくなってきたりして喜んでくれる事や電話で話しをしても30分もすると私がゲップをして相手が精神的に落ち着いてきたりする事です。
最近は母は私の人生にも執着しなくなってきています。
人の相談にものりますがこういう時精神的に成長できててよかったなと思います。
■今年の初詣、鎮守の反応がとても良く、氏子の方が、私がよく祈ってるのを知っていて「ぼくたちも頑張ります」と言って下さいました。
神棚も古いのを鎮守に持っていってお炊き上げしてもらったのですが、「随分守ってもらったんだね」と言われました。私の心も浄化され清まるにつれて、本当に回りも変化してきてる!と思いました。
鎮守は随分きれいに手入れされるようになったし、整ってきました。
今年は「はらい給え、清め給え、神ながら寄魂幸わえ給え」の唱え言葉をはりつけるようになりました。
お参りしてると以前よりグンとお参りする人、増えました。
■私のこれまでの人生はあまり楽しいこともなく、辛い人生だったといえると思います。
でも不思議と死のうと思ったことはなく、人生を良くするためにどうしたらいいかと考えたり、いろんなことを試して何とかやってきて、今、祈り指導にたどり着きました。
祈りを初めて思うのは、このことに命をかけてもいいなということです。
他の人の手紙の紹介を読むと、死にたいという思いが、祈りと共になくなっていくというのが普通だと思うのですが、私の場合はその逆で、祈りを続けている今でも命をかけたいという思いが強いのです。
祈りを続けていくと、人生が好転していくと思うので、命をかけなくてもいいと思うのですが、もし今、祈りに命をかける道と、祈りをして人生が良くなっていく道のどちらか選択できるとしたら、祈りに命をかける道を選ぶと思います。
私自身、意味あることならば、命をかけることは惜しくないと思えるし、ご先祖様の役に立つために命をかけるならば喜びに感じます。
でも祈り指導は供養をしっかりして、自分の人生を良くしていくものであるので、このことで命をかけるというのは適切ではないと思うのですが、現在このような気持ちでいます。
■今年は自分がとても素晴らしい人間であってどんな環境にいてもひかり輝ける存在なんだと知って驚きました。
そして嬉しい事に全ての人もひかりかがやける素晴らしい存在なんだという事が分かりました。
今は自分が清らかな光のひとつぶとなって宇宙を泳ぐようにとんでいる感じがします。
昨日、いろんな神様に「こうなる事は分かっていた」といわれたのですが、私もこう感じる事ができるようになる事が分かっていたような気がします。
小さい頃から知っていた気がします。
■もう周りを変えるのは99%ムリだと感覚的に思うので自分磨きが一番良いと思いました。自分を成長させる課題も答えも実は自分の中にあるんじゃないかなと思います。
いのりをして自分がシンプルになっていく事を感じます。ちょっとうぬぼれかもしれないけどいろんな神様と近くなってきた感じがします。
■最近、今までの事がだんだん理解できてきてああいう風に心が苦しくなってくるのはカルマだとか、周りが今までの自分のやり方に干渉してくるように思えた事がらの中でやはり有意義な物があったという事とか人間関係というのは自分の思い通りにいかないのが自然だという事です。
まわりをみると自分より波動の高い方はもうそうそういない気がしてきたので(自分の中にまだ低い部分は残ってますが)こういう状態になった時に自分がどういう立場をとるか考えていかないといけないなぁと思ってます。
■先生が合戦の供養をしている時が一番充実していると書かれていて、以前の私にはその意味が全然分かりませんでした。
でも供養をやりはじめて「これって供養のおかげかな?」と思えるような出来事があったりして、じわじわと「供養っていいな・・・」とたまーにですが、感じはじめました。
こういう気持ちを常に持ち続ける事ができれば、人類愛に繋がって行くのかなと最近思います。
レベル3までは序章で合戦の供養からが本番というか、愛に繋がって行くというか・・・手応えを感じます。
■ある神社に、参拝をした時のことです。神社の石段を降りながら、肩の痛みが消えている気がしました。
肩こりとかじゃなく、急に重いものを持ったせいで、片方の肩の筋をたくさん痛めてしまったようでした。
1年半くらいそのまま放っていた状態でした。
何かしら治療を受けないと治らないだろうなと思っていました。
石段を降りながら「気のせいよね」と思いましたが、実際それから肩の痛みがなくなっていました。
もちろん、ご祭神様に肩の痛みのことや、治してほしいなんて話していません。
有難くって、参拝が終わったあとにもう一度、痛みを取ってくださったお礼に参拝に行きました。
■祈りを始めてから約一年、物事がどんどん自分の希望したように変わり、あきらめていたのに出会いまであって、結婚をすることになりました。
■祈り始めてからどんなふうに変わっていくのか、半信半疑だったけれど、毎々瞬々刻々と変わっていってる感じです。
苦しさあり、感動あり、喜びありと、まるで劇的に心の中に起こっています。
霊界を浄めることが、神仏や人々にとって大事なことを、神仏の反応の変化、現実の人々の変化から、強く感じるようになってきました。
レベル4に入る前は祈っていてもピンとこなくて、心を込めることができなかったのですが、合戦の供養を進めていくうち、救われてない人々がまだ沢山いることを実感し、祈りの大切さ、又、やらなければいけないことを痛感しました。
■等々力不動尊に行きました。
その時、本堂ではなんとも感じなかったのですが、ひかれるままに渓谷の方に降りて行くと、滝不動と稲荷神社がありました。
そこでどちらにもお経を上げると、予想できない涙がたくさん流れました。
その後、弘法大師様の稚児堂に寄ったのですが、ありがたくて涙があふれました。(しかし、なにがありがたかったのかは思い出せません)
こういう経験は、いかんせんなかったことです。
■この3年間、ふり返ると本当にすばらしい進歩でした。
ある方に恋をして失恋したのが3年前で、それで紫野さんと出会いました。
同じ3年とは思えないし、もうその人のことはさっぱりした気持ちです。
お仏壇でお供物を毎日用意するうちに、それまで家事がめんどうでやらなかったのに、自分をちゃんとさせる充実を知り、家事をするようになったこと。
次の年にボランティアを生まれて初めてして、説明のしようのない幸福感を味わったこと。
対立していた母に、実は愛されていたと気づいたこと。
世の中、奉仕できることはたくさんあって、喜びにあふれていると知ったこと。
奉仕を自分の極限までやることが2週間続いて、自分の意識が高い次元に飛んで、とても高い安定した何も怖くない心境にたどりついたこと。
合戦の供養をしはじめて、戦争映画を見、戦争なんてもういやと思ったこと。
地域の最も悲惨な人たちは、実は自分の一部だということが分かり、浮浪者におにぎりと野菜の煮つけとホッカイロとメッセージをあげて遠くから喜んでくれるか見たこと。
もう一度あげに行った時、とても喜んでくれたこと。
地域と日本の現状にショックを受け、けどこの責任は前世の自分にある、そして幸せにできると思ったこと。
○○の戦いの供養は日本全土のためになっていると知り、この為に私は生きているんだと分かったこと。
今、日本という国を丸飲みするイメージが自然に起こること。
神も人間も自然も見た目が違うだけで実は同じものだと分かったこと。
各々が精神か心かの霊的なもので、音楽のように響きあい、流れながら存在するのが宇宙の生命体だと分かった喜び。
そして自分の人生が、親や学問も含めて、宇宙の生命体に奉仕するために無意識に自分で設定してきたと気づいたこと。
悪や失敗こそが、善や成功と協力して私を成長させてくれたと分かったこと。
思っていたように生きるということはクリエイティブで、宇宙は美しかったこと。
今まで合わないと思っていた人達と合わせることの創造性の楽しさを知ったこと。
自然や人間の何であれ、軽蔑することの無意味さを悟ったこと。
たくさんありました。
数年前、難しい解釈を本当に一生懸命に考えぬいた後で、自分が高い安定したゾーンに意識がとんでいく経験をしました。
周囲の喧騒も確かにあるはずなのに、聞こえてるのに耳に届かず、自分の名前を忘れてしまって、思い出そうとしてもできませんでした。
代わりに自分の本質だけが心に座っているという経験をしました。
祈りでこれに似た経験を2度しています。
1度目は奉仕をがんばった時、2度目は合戦の供養の資料が届いたその日です。
不思議です。ここまでいってしまうと死ぬのも怖くない心境です。
このような経験、皆してるのでしょうか?
数学や物理なんかでは、大学の先生でも全員は、ここまでの本質のみというところまでいかないみたいです。
能力よりも志が同じ人と、仲間になれたらと思います。
以前は学問で優劣を競ったりして、自分に申し訳なかったと思います。もうしたくないです。
■九頭龍弁財天様に神社でお会いしたとき、涙が出ました。
初めての時も2度目のときも、ただただ涙で感動でした。
うれしくて。
生きている上で、このような幸せをいただけることが、本当に最近はただただうれしくて、神仏様と共に生きるということの、言葉には出せない感謝とうれしさの気持ちをこれからずっとありがたく生きていこうと思っています。
祈りをずっと一生続けて、私は未熟だけど、私なりに神仏様に奉仕と感謝の心を持ち続けたいと思っています。
いつか、いつか、人の心がいやせるような人間になりたい、そう思います。
○○神宮では号泣・・・産土神社では目をつむったら光が浮かび、ずっと光の玉がありました。
「お寒くないですか?おつらくないですか?」とたずねたら、もうすごい涙でした。
「○○様おつらかったら、私で良かったらお使いください・・」と言いました。
涙々でした。
神仏を感じながら生きていくことを教えてくださった紫野先生に本当に感謝いたします。
■久々に金縛りにあいました。
驚いた事にお寺の弁天様が助けてくれました。
鎮守を思い浮かべようとしたら、お寺がみえたから「弁天様」だとわかり、弁天様を思い浮かべた瞬間、金縛りがとけました。
神仏と仲良くなれて幸せです。
■供養をはじめて一年がたちました。
紫野さんに出会って一年、自分でも驚くほど環境が変わっていていい一年でした。
紫野さんに出会えてほんとうによかった!
こころの奥底からの癒しが実感できて、自分の出きる限りの力ですすんでいける。(他人任せではなく)
すごい祈りだな~と思います。
これからも地道にすすんでいきたいです。
■最近、何があっても気にならなくなってしまいました。
少し前は、何となく気にならない…今では、気にならない…です。
それと、○○○○が守護神って思うと嬉しいです。涙がポロポロ…でも、昼休みなので我慢してます。
とっても幸せです。
生きる事がこんなに清々しいなんて知りませんでした。※守護神については、この方がご自分で理解されました。皆さん、そのように特にご縁のある神仏がわかってくるようです。紫野
■私もどこまでできるかわからないけれど、力の限りこのご神業に尽くしていこうと思います。
「誰かが道を切り開かなければならない」私もそうできることを祈ります。
古い保守的なものも多いけれど、祈ってると、他の人も祈る気持ちになってくれたりする人もいて、うれしくなりますね。
■前に紫野様が「人が何を考えてるか分かる様になる」言ってましたよね。実は金曜に初めて人の気持ちが分かったのですよ。
会社で仲良くしてる伯母さんの。
分かった時は「優しい振りしてただけなのね」と、驚きとショックでした。
けど、私の勘違いかも…と思ってたのですが、勘違いではない事が今日、ある事がきっかけで分かったのです。
人が何を考えているかを知るって、少し恐い…様な…。と、思いましたけど、注意とか出来ていいですね。
祈りを始めて、以前はどうもうまくいかなかった女性との人間関係が比較的いい関係が続
■けられるようになりました。
合わない人とは無理をせず、ぶつからないようにするだけで深く考え無理に合わせていかないように。また、いい関係の人とは、よりよく。
ひかりさんの、そして神様のおかげです。今日は特に、静かに嬉しい感じです。
■うまくいえないけれど、やっぱりひかり先生に逢えたおかげでどんどんどんどん、ひとつひとつのおもりが体からはなれていっているような感じで、ほんとうに必要なものって、やっぱり魂のごはんだけなんだなあ、なんて感じていました。
ひかり先生にめぐり逢うことができてほんとうによかった!!!これからもずーっとついていきたいです!よろしくおねがいします!
■いのりをはじめて2年半程になりますが、ようやく明るい人生の幕あけが見えてきました。
生まれた時からでさえも自分の人格に悪があることを自覚し、なかなか明るくなれず、これが自分の本当の性格だと思っていました。
けど、合戦の供養を進めるうちにこの悪ぬきがするするとされ本当の自分はとても明るい性格だということをこの年にして発見し驚いています。
カルマで素直に出せなかっただけじゃないかと思います。
今は神、宇宙、人類、自然に対し、連帯感、責任感、奉仕の気持ち、友情の気持ちでいっぱいです。
いのり仲間のみなさんまた、これを読んでくださったみなさん、そして、ここまでアドヴァイスをしてくださった紫野さんのこれから永遠の魂の成長の繁栄をいのっています。
私も魂の永遠の旅に明るく笑顔ででかけようとおもいます。
■先生のところで祈りをさせていただいて1年になります。
当時、精神不安定がひどくて、わらをもすがる気持で先生に手紙を書きました。
1年たった今、気持は安定しています。
不安になることもありますが、極端な方向に行くことはほとんどありません。
そればかりか引っ越してからは、笑顔が増えましたし、ワクワクしたりなんとなく嬉しく感じたりすることが多くなりました。
出かかっていた精神のカルマを出してくださったのだと思います。
精神不安定になったのをきっかけに極端なマイナス指向も治すように努力しました。
1年でここまで立ち直ったのですから、2年、3年と祈りを続けたら、自分がどのように変化していけるのか、とても楽しみです。
マスターを目指すのかどうかはまだわかりませんが、とにかくレベル5までいきたいと思っています。
■ひかりさんと出会い、自分が成長しているのがわかり本当に感謝してます。
神様との縁も築き旦那の理解がありませんがこうやってやっていられるのもひかりさんと出会い神社との縁を教えてくださったおかげです。
神社はお願い事する場と思ってた私が、自分の成長や縁をもてたことに対する感謝をするところに変わりそうしていくうちに勝手に願いが叶えられていき、○○の仕事ができたり仕事が増えたり、生活が安定したり感謝せずにおられません。
後は旦那や家族の理解が得られたら完璧なのですが、いつかそれも叶う気がしてきました。
いつまでも見守っていてください。
本当にありがとうございます。
そしてこれからもお願いします。
■祈りコースが届いたので、さっそく近所の神社に行って来ました!
参拝に行ってから自殺願望もなくなり、一人じゃない気がして心があったかくて、参拝に行くのがとっても楽しいです。
私が参拝に行っている神社は、手水舎の水はなく、お賽銭入れもないのです。
きっと正月、節分の日にしか、人が参拝しないからでしょう。参拝って楽しいのに・・・。
参拝してからは本当に誰かと一緒にいる気がするのですよ。
祈りコースに申し込んで、本当に良かったです。
申し込む前の私は、考えることといえば自殺(未遂あり)・・・。死にたくて、死にたくて・・・。
けど、今は違います!
神仏と一緒に生きたいし、生きないといけない!
だって神仏が大好きだから。
■私はカルマを乗り越えるのってワリと簡単に考えていたけれど、快苦や落差を味わいながら気づかされて、少しずつしか進まないことを感じました。
でも、がんばって辛いのも苦しいのも、一所懸命我慢して乗り越えたら、ホント、グンと周りの人より一歩も二歩も成長したようです。
みんなに良くなったとか、大人になったねって言われました。
何かが変わったと感じるようです。
■同封のドラゴンアイズ、一気に読みました。
すばらしい!
求めてきたものに出会えた喜びを感じています。
昨日、確実に鎮守さまを確認しました。
ご挨拶もしました。
本日からがんばります。
祈りの内容、コロンブスの卵というのでしょうか、こんなに肝心なことが参拝に抜けているとは!と驚きつつ、逆に本物とはそういうものかもしれないと思いました。
着々とやるべきことをこなしていきます。
先生のやってこられたことを、会報通じて知り、本当にホンモノだと思います。
ご神業に参加させていただくこと喜びです。
■いつも電話で魂に元気をいただき、私は本当に最近変わった気がします。
それは自分をすごく好きになれたという事や、今まで苦しかった母との関係が苦しいものではなくなり、逆にあんなに葛藤があったにもかかわらず母は母の幸せをつかんでほしいと思えた事…。
■私が以前関わってしまったある会は、紫野様のおっしゃる事とずいぶん似ていましたが、会にふりまわされつつあるという感覚だけではなく、特別心の安定とかも得られませんでした。
やはり、自分で感じ、ものごとを決めていかなければダメなんだなと思います。
紫野流の祈りは「神との関係の基本は1対1」ですよね。
そこがいいんです!
また、やはりそうじゃないとダメなんだと思います。
■大きいカルマ出しがありました。
母方の伯母が、私が参拝を始めてから脳内出血で倒れたのです…私は後から知ったのですが、伯母は一人暮らしで、助けを求めることもできず、そのまま意識を失ったのですが、近所の人に見つけてもらい、奇跡的に後遺症もなく先日無事退院しました。
思い上がりかもしれませんが、私の祈りで軽くなったのではないかと思っています。
■先祖供養なんですが、夫の方はあまり感じませんが、私の父方を拝みますと、おぱあさんが「おまえばっかり苦労してなぁ。」とか「一人じゃないんだから。」とか話かけてくれます。
これは、先祖供養をはじめて、かなり初期の頃からです。
最近では、私の母方から、大勢で「がんばれ!」とエールを送ってくれます。
かなり涙が出ちゃってます。
グッときます。
■参拝10日目以降、なんだか地に足がつく感じがしてきて、彼や彼の親に対する怒りや憎しみも、だいぶ減ったように思います。
今までは一日に何度も何時間も一人でぶつぶつ独り言を言っていたのが、一日に2~3回に減り、彼と連絡がとれなくても何とも思わなくなりました。
頭頂からもエネルギーが来ているようです。
一度電話したら、けんかすることなく終わりました。
いつもはけんかして終わっても心がゆれてゆれてひどかったのが、執着心が無くなりつつあるようで、たとえ別れても頑張ろうと前向きになってきてます。
あまりの変化に、ちょっとおどろいてます。
14日目に、オレンジ色の丸いものがパッとはじけたように見えました。
きっと応援してくれているんだって思ったんです。
■参拝は21日無事に終了しました。
その後も毎日行ってます。
行くと気持ちいいし、スッキリするし、行かないとおちつかないというかホントに引っ張られる感じってやつですね。
けっこう「楽しい」という気持ちで行けてます。
それと恋愛の方も今は自分の気持ちが変わったことが自分でもわかります。
ムリにどうこうするのではなく、今自分がやるべきことをやっていく事できっといい方向に行くだろうと感じるようになってすごくラクになりました。
■ひかり様とご縁をもちまして、又、参拝を始めて、約1ヶ月ですが、私の人生がいい方向へと、確実に、自分がそのように感じられる程、動き始めています。
仕事のチャンスが舞い込んだり、ちょっとした縁で人間関係が広がっていきそうであったり、静かだった私の周りが、少しあわただしくなってきました。
目に見えない力がはたらいていることをみとめざるを得ません。
あまり調子にのらず、謙虚にこれからの事を受けとめ、努力したいと思っています。
■最近少しずつ自分をとりまく環境が変わっていくのが、わかります。
物事が横道にそれたようでも結果は悪くならず…本当に神仏に守られているのを感じ、不思議な気持ちです。
自分の心の持ち方が変わっていくのを、すごく感じます。
■先祖供養をやりはじめて2週間になります。
最初は幽霊が出てきたら困るなあと思いながらいやいやでしたが、1日やると1日分だけスッキリするような気がしたので、今もなんとか続けています。
あんなに去年体調が悪かったのに今は、少し楽になりました。
去年は何だったんだろうと不思議に思うほど、今は楽になりました。
まだまだ体調がすっかり良くなったわけではありませんが、あのイライラした毎日がなくなりました。
子供の勉強もほんのすこし出来るようになり、毎日がんばった結果が出てくるといいなーと思います。
■東寺(とうじ。京都市。真言宗総本山)に行ってきました。
ご本尊様のある御堂を開けたとたん、父の祖父の家のにおいがしてびっくりしました。
しかも大日如来様の前に立ったら、目の前に花びらが一枚ひらひらとおちてきてすごくびっくりしました。
どうして他の人はさわがないのだろうと思っていると、おちたはずの花びらがどこにもみあたらず、消えてしまったようです。
その後手を合わせると悲しくないのに涙が出てきました。
■祈り始めてからもうすぐ1年になるところです。
振り返ると色々な事がありました。
カルマが出て父が倒れたり、顔がかぶれたり…。
でもいい事もありました。
祈り始める前の私はテレフォン占いにはまってしまってお金を随分使っていました。
祈り始めてからやらなくなりました。
雑誌に「過去世や前世でのカルマを解消する儀式」とか載っていますが、以前の私だったら”やろうかな”って思ったと思いますが、今は「自分のカルマ解消は自分でやらなければ意味がない」と思うようになりました。
神社、仏壇、神棚で音が聞こえるようになった事etc.トータルにみて先生と知り合えた事、祈り方を教えて頂けた事に感謝しています。
■何度も手紙を読み返している時に、声が聞こえたのです。
「ほんとうにほんとうに久しぶり、やっと会えたね。」と。
カンはするどい私ですが、部屋の外の庭で母が誰かと話をしているのかと思い、母に「誰と話してたの?」と聞いたら、「誰も来てないし、話なんかしてない。」と言います。
■占ってもらおうと手紙を書き、投函して1日たった頃から、急にみぞおちの下あたりが痛みだし、下痢や吐き気をもよおし、また、頭痛、耳鳴りと原因不明のひどい症状に襲われました。
眠気もすごく、うつらうつらと浅い眠りの中で、昼夜、床に伏せっていました。
ところが、2日たった頃、突然楽になり、ケロッと元気になりました。
その後、1日たって紫野様からお返事が届いたのです。
そして通信を読んでびっくりしました。
私も、書いてあるような霊的に清まっていく過程の症状だったのでしょうか?
■鎮守参拝はとても充実した気持ちで、息子を亡くして以来何も行動に移す意欲のなくなっていた私に、少しずつ心の安らぎが出てきました。
不思議な気がします。
本当に、いつ死んでしまおうかと毎日考えていたのですから…それに無くしてしまったお金が出てきたり、息子が亡くなってから、カビだらけでまともにそうじなどしたことなどなかった風呂場や洗面台を、磨いてみる気になったりなど、気持ちがとてもさわやかなのです。
■人間関係で悩んでいましたが、相手がどんな行動を私に対してとろうと、とにかく受け止めるというか、見守ってみよう、人間根の悪い人はいないんだと思い、鎮守へ行ったら最後に涙がザーッと出てきました。
また、神棚で礼拝中、愛に貪欲になるより、先に人に愛を与えようと思いついたところで涙がどーっと心はおだやかなのにいつまでも出てきてびっくりしました。
■先生からのお返事が届く前日の夜中、急に目がさめて気づいたら、たくさんたくさん涙を流し、泣いていたのです。
どうして自分が泣いているのかわからず、ただただ涙があふれてきてどうしようもありませんでしたが、そのうちなんだかとてもすっきりとした気分になって熟睡してしまいました。
次の日、先生からお返事が届きびっくりし、先生が発する光によって様々な症状があらわれることを知り、もっとびっくりしました。
ちゃんと光が私の心に届いてくれたんだなと思うと、感謝でいっぱいです。