祈り通信講座を進めている皆様の、体験談です。
尚、文中に出てくる祈らら以外の人名や方法や考え方などは、それぞれの方の経験です。
祈ららでおすすめしているというわけではありませんので、取り入れる場合は自己責任で行ってください。
■先生の提供してくださるものは、祈りも、天然石も実力重視で飾らないものが多いなあと思います。 しかし、やってみるとパワー満載で、いつも驚き、たくさんの気づきをいただいております。 ありがとうございます。 ■いつも、朝仏壇と神棚に向かって祈っておりますが、ある日の夜、お風呂に入り、すっかり寝る準備を整えてから、神棚に向かって祈っておりました。目を閉じて祈りの言葉を唱えていますと、自分の身体が1.5倍ぐらいに大きくなった感覚があり、とても気持ち良くなりました。 「自分は肉体の身体だけでない、もっと大きなエネルギーだ」ということを感じられたような祈りでした。 ■なるほど~、先祖と子孫の心の中は食い違っていることもあるのですね。 ■霊の祈り2を初めて1年以上経ちます。 きっと怒られるだろうと思ったお墓での先祖供養も穏やかでした。 いままで1年ほどお仏壇で祈ってきた成果かもしれませんし、ご先祖様方はとても穏やかな方々だったのかもしれません。 本当に意外で、ありがたく、素直に祈りと感謝が伝えられたように思います。 祈りが終わっても、しばらくそこで爽やかな空気を感じていました。 隣町ですので、これからしばらく参らせていただこうと思いました。 ■霊の祈りレベル2を1年ほど祈っています。最初、「神棚を買いたい、仏壇に御本尊様をいれてきちんとしたい」と言ったところ、夫は「神様やご先祖を大切にする気持ちがあればいいんだから、そんなの必要か?」などと言っていました。 まだまだレベル2の道半ばですので、どういう変化が起こるかわかりませんが、続けていこうと思います。 ■本日レベル3の参拝の時に「○○は任せてください。」と思いつき、涙があふれました。レベル3の参拝で涙でたのは初めてかと思います。 ■瑞の祈りの資料をお送りいただき、ありがとうございました。 たまたまだった可能性もありますが、ご鎮守様が快く私を迎えてくださったのかもしれない と嬉しくなりました。 ■今日神だなで祈っていたら、のりとをあげている時にスサノオの命から、「恋は難しいのぉ。。。この話しでそちと一杯いけそうじゃ。」とはっきり聞こえてきて祝詞の途中で吹き出してしまいました(笑)スサノオの命は私がいつも真剣に困ってるときに笑顔にさせてくれます♪ ■お仏壇の前で瑞の祈りを捧げていると、ご先祖様が喜んでくださっているのを感じられるような気がします。 ■神社にお参りしてきました。 でも離れる前に(;-;)、まるで故郷のような○○神社さんに行く機会を設けられてよかったな、と思います。 ■カルマ浄化の祈りは6年ほど前からでしょうか、気にはなっていたものの、他の学びを優先させてきました。 ■今日は昼間家でドラゴンアイズを読みながら、うとうと…。 ■霊の祈りレベル1の21日間参拝が終わりました。 今思い出すと、これらが浄化だったのかなと思ったりしています。 21日間の参拝は満願しましたが、今でも鎮守の祈りは続けています。 最近では、祈らせてもらえることに感謝する気持ちになっていて、いつもありがとうございますと、伝えるようになりました。 これからも鎮守参拝は続けていきたいと思っています。 ■以前からパワーストーンは好きでした。父が倒れてから、私もこれからの生き方に興味を抱くようになり ■資料が届いた翌日(祈り開始2日前)から突然左足裏に痛みと痺れを感じました。 10日目にご祭神様のことが突然気になり、調べました。 左足の痛みと痺れは相変わらずで、他にも左肩の痛みや、左手に軽い湿疹みたいなものがでたり、左半身にいろんな症状がでました。 祈りを続けながら、2週間目にいつもよく行く一ノ宮にお参りに行きました。 祈りを続けるなかで、ご祭神様のことをもっと知りたいなあと思っていたら、職場の近くでその神様がテーマの講演会がたまたまありました。 3週目は、祈りの時ではなく生活してるなかで、突然涙が込み上げて、祈りの内容の気持ちでいっぱいになることがありました。 境内で祈っていると、頭から足にかけてエネルギーが通るのが感じられるようになりました。 19日目にまた左足の痛みと痺れが出ました。 21日目。無事に毎日通うことができました。 祈りを始めてから3週間、心が落ち着いていられることが多くなってきた気がします。 ■トラブル解決に行った帰りに、鎮守に行こうと思い立ち、行きました。 私は感情とか鈍いし、祈りとかもちゃんと出来ていないから、きっと2年経っても涙なんて出ないだろうなと日々思っていました。 そのあとの祈りの言葉が響いて響いて下の家に聞こえてしまうのではないかと心配になり、ボリュームを落としました。 家の神棚(としているところ)で落ち着いて話せるようお願いをしてから行ったので、帰ってから、御礼をしました。 ドラゴンアイズで、紫野先生が神社との和解の見極めを声が響くかどうかで見極めるというのが書いてありましたが、それは紫野先生だけしかないことだと思っていました。 参拝の際か終わってからか、父は鎮守の神社の氏子として、ここに引っ越してきてすぐから神社の神輿をかつぎ、足が悪くなりかつげなくなってからはずっと法被を着て、祭に奉仕してきていました。 鎮守の神は父が悩んでいることをずっと知っていて、私を通して助けたかったのだと思いました。 先生にご報告させていただきたく、メールを送らせていただきました。 私に教えていただき有り難うございます。 ■○○明神に久々に参拝しました。参拝の列にならんでるとき、○○明神さん大好きだなぁ、って思い、「なんでこんなに○○明神さん大好きなんだろう!」って思った瞬間、顔がくしゃってなって涙があふれました。 帰りに○○明神さんの近くの書店で役立ちそうなステキな本をみつけて、買ってきました。 こう書いてる今も涙が自然に浮かびます。 ■鎮守への参拝を続けながら霊の祈りレベル2を続けています。約1ヶ月程半祈りを続けたところ、不思議なことに義父が頻繁に連絡してくるようになりました。 なんとなく義父のご先祖様に守られているような気分がします。 今日、21日間満願の日でした。 わたしはすぐに驕りやすいし期待しやすいし、油断しやすい性格なので、集中するって難しいと思いました。 明日は神社の大祭です。 祈っていて、何しにきているのか。という男性っぽい想念がわきました。 すぐに答えられませんでした。 心が求めるままにきていますと答えましたが、ちゃんと答えられないので、宿題にして持ち帰りますと答え直しました。 質問してきた想念もわかった。みたいな感じでした。 祈っている最中、想念を感じたことは初めてでした。 ご祭神様かどうかどんなそんな存在に尋ねられているのか、自分の想念かはわかりませんでしたが、 21日最後は2日目の時のような何か見えるかなとどこかで期待がありましたが、注意というか今後に向けて気持ちを引き締める参拝となりました。 ■霊の祈りの資料が到着する前から浄化が始まりました。 2こめは神社に関係した何かのようにも思えました。 次の日から霊の祈りレベル1を始めました。 祈りはじめてしばらくすると、ジャリと玉砂利を踏むような音がして人が来た気配を感じます。 瑞の祈りの途中くらいから、そのようなことは毎回ありました。 2日目、参拝が終わって振り返ると、参道に高さ3メートルくらいのおっきな金剛力士みたいな感じがそびえ立っていました。 ■瑞の祈りレベル1が終わりました。 次に祈りをすすめると決めてから、どっと疲れが出て、風邪をひいてしまいました。 ■瑞の祈りを始めてから、毎日を気分よく過ごせていた。 ■鎮守の祈りでは、私の単なる妄想かもしれませんが、祈る時、扉の向こう側が湧いているような感じがあり、面白いです。 ■旦那の実家の氏神様に初めて参拝したとき、紺色の平安装束を着た男性が、お祈りをしている私の前に立って、私の肩を持ちながら私の顔を覗き込んできました。 ■昨日より鎮守の神様のお祈りを娘達(6才と8才)が一緒にさせて欲しいと言い出し、3人でたどたどしくお祈りさせていただいております。 見ず知らずの人達も、魂の仲間と思えるようになりましたので愛しいと思える時があります。 本当に感謝しております。 ※ 神社で流れる涙は、ご祭神の心を感じています。 ■1 はじめにこの祈りには、驚きと感謝の連続でした。祈りを続けてきた間に、私の心も生活も大きく変化したように思います。まずは、霊の祈りを教えて下さったひかりさんに感謝申し上げたいです。ありがとうございます。 (2)祈りが安定してきた頃 (3)祈りが日常的になってきた頃 (4)視点が変わってきた頃 (5)収穫期 ■霊の祈り1を11、12年続けております。 この生活を続けていたら、段々と動物がとても好きになり(何か関係あるのでしょうか?)人の為に何かしたいとすごく思うようになり、医療関係、福祉関係の仕事が最近とても気になっています。 何かの知らせなのか・・・祈りレベル2の途中でやめてしまっていたので、これも再開、レベル3、4と続けてみたいという気持ちが強くなり、こちらへやってきました。 ■私が祈ららのホームページを知ったきっかけはパワーストーンでした。ラリマーという石の優しい波動を感じて泣いてしまい、石と話をしたい、素敵な石と出会いたいとネット検索してる時でした。 ショップでストーンも何回か購入させていただきましたが、その度に家中が大掃除でもしたかのような清廉な空気になり改めて祈ららのすごさを思い知らされました。 やっと申込ができた翌朝、神社へ祈りの申込をした事を報告しますと間近で鶯が鳴き清らかな風が吹いてきて私が参拝している間ずっと続きました。 祈りの一日目も間近で鶯が鳴いてくれました。 第一週目はその魂の事を考えたり、同梱していただいた会報を読んだりしながら驚くほど周りにも穏やかな気持ちで接する事ができました。 七日目は神社の桜が満開でその光景のあまりの美しさに娘が涙を流してました。 二週目は子供の行事で忙しく内省できる時間が少なくずっと頭痛がしていました。 14日目に共存という言葉が降りてきました。 3週目に入ったと同時に全てのトラブルが終息しました。 16日目に祈り初めから涙が止まらなくなり、祈りの最後はいつも祈りに来させていただいた事、神社にご縁ができた事を感謝して終わるのですが、その日は[神社に来ていただき]になり、何回言い直してもそうなってしまいました。 21日目は身の丈で良いと教えられました。 祈りはじめてから、理由のわからない焦燥感がなくなりました。 ※ 神社参拝で涙が流れる時は、ご祭神が喜んでいます。 ■1はじめに数年前から子宮筋腫の為、ホルモン剤を服用するようになりました。 詳細 ・最初の7日間 1日目は仕事の帰りで夜の参拝になりました。 拝殿の正面には薄暗いですが明かりが灯っており、さらにセンサーで明るくなるようになっていました。この日は21日間参拝させていただくご挨拶のみさせていただきました。翌日は仕事に行く時間の都合で祈りの一部を省略させていただきましたが、穏やかな気持ちになり、背中が温かくなりました。3日目はにわか雨が降っていましたが、神社の上だけに青空がありました。この日から省略することなく祈り始めました。祈り終わった後は雨が一旦止み、徒歩25分のところにある職場についたとたん、再度雨が降り始めました。4日目以降は風で背の高い木の木の葉が鳴っていましたが、地上に吹き抜けることは無く、穏やかで清々しい気分になりました。 ・2週目の7日間 8日目は誕生日でした。最初の7日間が穏やかすぎてこのまま何事もなく21日参拝が終わるのではないかと思っていたのですが、無理でした。この日は頭痛はする、不正出血が始まる、しんどいなど精神的にも身体的にもかなり辛い日となりました。鎮守の神社で祈っても改善は無く、この日から母が少量ずつですが1日何回も便失禁をするようになり、トイレも汚れていることが多くなりました。その上、母の便は家中の窓を開けないと耐えられないぐらい臭く、「何とかして」と思いながらトイレ掃除に明け暮れました。 鎮守の神社での祈りは爽やかな風が吹いて、絵馬どうしのあたる音が耳にも心にも心地よかったです。 職場では人間関係が悪化しました。勤務を変わってもらえないか上司に相談したところ、上司に声をかけられた人が気持ちよく変わってくれたので、何度かお礼を言っていました。ですが相手に間違った日にちを上司が伝えていたようで、それが判明してその人が怒り、あなたが勤務を変わってと言わなければこんなことにならなかったのにと言われました。その人は間違った日にちで勤務の交代の予定をしていた為、変わってもらう日に予定を入れていたようです。上司のミスで休み希望を入れていたのにシフトが入っていた人と勤務を変わったので私も戻すことが出来ず、上司もその人を説得し、勤務は変わってもらったままでしたが、鉾先が私に向いているので事あるごとに攻撃されました。 ・3週目の7日間 15日目は珍しくカラスが静かでした。いつも狛犬に触らせてもらっているのですが、この日は触らずに帰ろうとしたら「触らないのか?」と聞かれました。初めて聞こえた声に感動しながら触れせていただきました。このままここに居たいとすら思いました。20日目には「なんでこんな事してるんやろ?おかしいやろ」と思いました。これが邪魔かぁと思いながら、21日間参拝することを改めて決意しました。母の便失禁はこの日を最後に収まりました。21日目の参拝を終えたあと、最初の2日は省略した祈りだったので2日空けて2日間祈って満願としました。最終日の前の日人間関係の悪化と精神状態が悪化しましたが、最終日は幸せな気分になり、涙が出そうになりました。 3総括 祈りは2日間省略形で行った為、以降の参拝より21日間の参拝とさせていただきました。身体的には時々しんどかったのですが、大きなさわりも無く、とにかく眠かったぐらいです。母の便失禁の掃除もしんどかったですが、カルマの解消がトイレ掃除ならありがたいものでした。ただ、人間関係は本当にしんどかったです。更年期症状で精神状態が悪化した時に狙ったようにくる攻撃、そんな時に限って仕事で抜けていることが多く精神的にしんどかったです。 そして、仕事を辞めることにしました。自分を振り返ってみて、とてもよく頑張ったと思うのです。更年期症状やそれに伴う感情のコントロール。すぐに苛々するのを宥め、怒りの感情に振り回されないように自分を抑え、毎年予防行動を取らずにインフルエンザで休む人がい中で、休んだら仕事が回らない、人に迷惑をかけると予防にも気を遣い、休んだ人の分忙しくなるのに文句も言わずに数年間、本当によく頑張って働いたと思うのです。退職すると決めたら、悪化した人間関係も「あなたは良く頑張った。仕事を離れて少しゆっくり休みなさい」と言われているように感じるようになりました。不思議なことに、そう思うようになるとストンっと何かが抜けて、解放感と余裕が戻ってきました。『祈ららの祈り』を始めていなければ、きっとこんな風に思うこともなく、ネガティブな思いに振り回されながら今の職場にしがみ付いていたと思います。 4終わりに インナーチャイルドワークを進めながら鎮守の神社参拝を行いました。 ■祈りを始めて色んな事がありました。 新しくご縁が出来た神様に反発したり、仲直りして頂いたり、供養では先祖同士の残酷な出来事を見せられ大泣きで祈らせて頂いたり、始めは御先祖様をやっかいに思っていたのに気がついたら自分の一部として大切に思えるようになったこと、 祈らせて頂ける幸せ、自分で供養をさせて頂けている幸せ、神様と共に生きる絶対的な幸福を知り、幸せすぎて嬉しくて嬉しくて心から「御神業に生きたい」と号泣して神棚に向かって土下座してお願いした事…。 などなど…まるで数年間の出来事のように懐かしいような愛しい思い出の数々ができました。 ■霊の祈りレベル1 それから2,3日は自分が本当に嫌で、情けなく感じ、このままでは本当にやばい!と思いました。 私は以前、自己啓発の様なワークを受けたことがあり、その時に一度自分の内面の汚い部分を知った時に急性腸炎で倒れたことがあります。 そんなことも思い出しながら、その時の免疫があったことは少なからず助けになり、またその時から全然進歩していないことにもガックリし、改めてこれは改心するチャンスなんだと薄々感じました。 その頃から、祈りで出てくるもの≪自己暴露≫を扱う事の大切さが、薄々から確信に変わっていきました。 2月15日は神社から『がんばれ』と受け取っています。 2月18日自己満足優先に祈る。 それから少しずつ◯◯◯◯について勉強し、自分の内面と向き合うように取り組みました。今までは都合よく自分の内面と向き合っていたわけです。 2月23日自分を指導して下さる存在をはっきりと感じました。 2月24日ストレスからかタバコを一日一本吸っていたのですが、吐いた煙が何度も顔にかかり『休む暇なんてないんだぞ』と受け取りました。 2月26日何だか神社は雰囲気が違っていました。 3月1日今朝祈り参拝に行き21日間の期間は完了しました。 21日間を終えて、振り返ってみると21日前の自分には戻りたくありません。 ■霊の祈り2を始めて1ヶ月が過ぎました。供養を始めて、体がしんどくなりました。 鎮守にはできるだけ毎日行くようにしています。 始めはレベル2の内容でいっぱいいっぱいだったので、鎮守にはサボりがちになっていました。 その事で謝ると御祭神の切ないような悲しい気持ちが心に届いて来ました。 「(私が)鎮守に通うことをまるで苦行のように感じてそれが出来ないと言って謝る事が悲しい…。神に会いたい会うのが楽しみ。と、嬉しい気持ちで来て欲しい…。」と言われました。 その純粋なお気持ちを知って私はより一層神様を愛しさらに鎮守を好きになりました。 仕事が終わり帰路につくたびに「会いたい 会いたい 会いたい …御祭神に会いたい…」と思いがつのり、毎日仕事帰りに鎮守に行くのが待ち遠しくなりました。 「ここは自分の家だと思って帰って来なさい。」と言って御祭神やけんぞくの霊たちとニコニコとしてちゃぶ台の向こうに座って待っていてくれる姿を見せてくれるのです。 またこんなこともありました。 御祭神はお二人いらしてお一人は倉稲魂命様です。 「毎日おいしいごはんをありがとう。 (私は霊的にはまだ幼いのでいつも自然に祈りの際は子供っぽくなります。神様も子供相手のような優しく可愛いがるような態度をとってくれます。そしてその事に違和感がありません。) そう言うと、「この町の皆もお前のように良い子になってくれたら嬉しいのに…。」と言って、私にお菓子をくれるのです。 御祭神は私を「良い子になった、良い子になった」と眼を細めて可愛いがってくれるようになったのです。 それで私が特別なのかと舞い上がりそうになりつつもどうかというと、神様は「世の人は誰一人残らず大切な我が子…。」と悲しそうに言うのです。 時がたつにつれて御祭神だけではなく、けんぞくの霊たちも総出で出迎えてくれるようになったのです。 鎮守参拝を続けてひとつとっても効果的なコツを発見しました。 鎮守に着くしばらく前から心の中で大声で叫びます。 けんぞくの霊が(幼い男の子の白狐くんで仲良しになったのです)先回りして神社に神様が来てるか見に行って「いるよ。」と報告をしてくれた事ありました。 これは以前の私には正直信じられない事です。 神様と対峙するには神様に届くくらいまではこちらも純粋な心にならなければ神様の声が聞こえたりお姿を見せてくれないと思います。なので日々、純粋で居るように心がけています。純粋な心で生きることは幸せです。 あるとき、神棚の参拝のあと寛いでいたら神棚のあたりから「この子を育てて良かった。」とはっきり聞こえました。神様と守護霊が話していたのかもしれません。 他にも不思議な事がたくさんありました。 残念なこともありますが、それでも今のこの毎日が幸せでたまりません。 この幸せは祈ららの祈りのお陰としか言えません。 またいくつもご報告したい事がありますので別の機会にメールさせて頂けたらと思っています。 祈ららの祈りが今後も広がっていくことをお祈りします。 ■霊の祈り1を終えて。初めて近所の◯◯神社を参拝させていただきました。 次の日からは霊障もなく風邪等もなく無事に21日間を参拝させていただきました。 参拝し始めの頃は職場の同僚が自分に対してイライラとした感じがありました。 10日くらい経ってくると同僚の態度がやわらかになっていくのを感じました。 21日間を終えてからは、物事がスムーズになっているように思います。 この祈りに出会えたことに感謝します。 ■私、祈りを始めて本当に良かったです。 毎日の祈りが幸せでたまりません。 ■10年以上前にレベル2で止まっていたところを最近再開しました。 夫の仕事の準備をしたくても、体が思うようには動きませんし、仕事を軌道に乗せるには供養をしなければいけないと思いました。 誕生日に夢を見ました。 供養でご先祖の方や、何か関連する方がつぎつぎかかって一緒にお経をあげました。 神棚参拝は特に問題なく、これでいいのかなと思いました。 鎮守参拝ですが、体がつらかったので、週に1回がやっとという期間が長かったです。 また、この神社の状態があまりよくありません。 自分でもなぜ急ぐのかわかりませんが、よろしくお願い致します。 ■霊の祈りレベル1を始めたのは確か3年くらい前かと思います。 それが少しずつ、良いことがあって、うまく行って、楽しい事があって、それが続いて、毎日がうまく行って、どんどん生き方も上手になって、幸せになって行きました。 祈ららの祈りでなくても、効果が薄くても、自分の気持ちで、自分の言葉で、鎮守の氏神様に感謝の気持ちを伝えれば良いんだ。と、思うようになりました。 あるときお参りの帰り道で、まるで子を思うお父さんのように優しい気持ちに包まれました。 それで私は、氏神様の事が大好きになって、「お父さん氏神様」とか「御父上様」とか愛称で呼ばせて頂くようになりました。 祈ららの祈りはやめてもスピリチュアル教室のblogやサイトの記事を良く読んでいました。 私は、鎮守の御祭神がどなたかもわからず、関心も無かったのですが大好きな氏神様の事が知りたくなって調べたら、国常立命様でした。 霊の祈りレベル1をもう一度始めて、祈りの最後に「私を正しい霊の道に導いて下さったのは紫野ひかりさんです。お礼の気持ちを伝えて下さい。」と言いました。 その日、帰って来て夜にスピリチュアル教室のblogをチェックしたら新しい記事がUPされていました。 鎮守には、もうお一人御祭神が居ることもわかりました。倉稲魂命様です。勝手に御祭神はお一人でそれも庶民的なおじさんの姿の小さい神様だと思っていました。 そんな風に神様のお気持ちをなんとなく感じられるようになってどんどん神様との関係が個人的なお付き合いになって来ました。 先祖供養にも興味が出てきて、紫野さんに供養代行をお願いしました。 さっそくその日の参拝では弱音が出てしまいました。 国常立命様が私の前にかがみ、薄金色の剣をそっと手渡してくださったのです。 国常立命様は小指を差し出され、「やり遂げると約束できるか」と言われました。 私は、以前の心の地獄時代に自分から変わる努力もせずに良いことがあるのをずっと待っていました。 守護霊様や神様がどんなに悲しんだかを、浮かばれないご先祖様に触れてわかりました。 ■以前、確か霊の祈り1だと思うのですが21日参りを行いました。 ■母がこの頃、なくなった両親の夢をみるそうです。 ■なかなか祈りを始めることができなくて、先生にメールをしてしまいましたが、もう一度インナーチャイルドを見つめて出し切ってみて、そしたら不安が無くなったように思え参拝を始めることができました。 ※ 参拝をはじめることができて良かったですね。 ■霊の祈りを続けていますが、私はお昼休みに会社の鎮守の神社へ参拝させて頂くようにしています。 紫野先生とご縁をいただいたことに心から感謝します。 ■しばらく、ず~っと祈りをお休みしていました。 最近になり、なかなかお返事や会話ができづらい神様から、少しづつ何かを感じられるようになってきました。 なので、自分がいかに愚かな人間であったか、なんという浅はかな人間だったのかと、思い知らされましたと同時に、あ~私って成長しているんだな~・・、成長するってこういうことだったんだ~、意外にシンプルなのね~と感じている、今日この頃です。 ■昨日、一宮に参詣しました。 私は驚いて胸が熱くなり、涙がこみ上げて苦しくなりました。 昨日は家を出る前に、急にお腹がゆるくなり、一気にスッキリしました。 ひかりさんのおっしゃるように一宮はとてもパワフルで、神気に満ちあふれていました。 ■5年前にひかりさんに初めてオーラの色を見ていただいた時は、赤色でした。 ■霊の祈りを申し込もうと思った日から不正出血が止まらず、体が重くて仕事をするのが大変でした。 2週目からは神社の参拝の作法の一部を外して1週間。 3週目からは作法のすべてを行うようにしました。 参拝を続けるととても体調が良くなり、重かった体もすっきりと体調も良くなってきました。 3週目から21日間参拝を続けました。 昨日は鎮守の神社のお祭りでした。 すると近所に住む会社の同僚から“今日は神社のお祭りですよ♪”というメールが届きました。 その日は開かれた神殿で参拝させて頂きました。 鎮守の神社の参拝が終わる頃、会社の近くの氏神様への参拝をはじめました。 こちらでも参拝するとまた、羽黒トンボが飛んでいました。 私は会社が合わず体調を壊して現在の会社に就職しました。 私は長い間、間違った霊性の道を歩んできてしまいました。 ■参拝中、身体だけは丈夫でここ数年、体調不良、風邪もひかなかった私ですが、突然、ひどい鼻水、咳、頭痛などでビックリする事もありましたが、参拝を中止する気にもとうていなれず続ける事ができ本当に感謝です。 ■祈りを始める2日前 家族が風邪を引き、仕事を早退しました 女郎花に対して男郎花(オトコエシ)という花がありました 祈りの初日のメッセージは これから浄化が始まるよ、 といったところでしょうか 鎮守神社に行き祈りました 2日目 時間は昼の2時過ぎだったので暑くて暑くて 祈りを唱えることに夢中になりすぎないように 最後の祈りを読み始めると突然 一匹のセミが あぁ きっと神さまが 3日目 スーパーは鎮守神社と目と鼻の先です 神殿の前に立つと男の人の声で どうやら 毎日祈りに来なさい ということみたいです 胸がいっぱいになったので 4日目 祈り中身の意味がまだよくわかりませんが 「自分の親もいつかはご先祖さまになるんだなぁ」と 自分のインナーチャイルドを癒すことは そろそろ親と子の学びから解き放たれようとしている だから そんな風に考えていくと 5日目 『よく来た』とまた声がしました 祈りの意味を現代語訳で調べて読んで見ると 本当にそうだなぁ と染み渡る感じがしました 当たり前のことだけど当たり前のことが 6日目 一緒に祈ってくれているのかな 今日は社のまわりをぐるりと回ってみました 祈るのが何となくクセになりそうです 感じです 7日目 今日は 『よくきた ご先祖もよろこんでおる』と声がしました 祈りが終わっても何となく帰りたくなかったので すると立ちながら瞑想が始まり それは本当に気持ちが良くて 8日目 あまりのタイミングのよさにニヤリと笑いました 今日はちゃんと 祈ったあとで 立ったまま瞑想しようと目をつぶったとたんに 神社の中に誰も人がいないのは 9日目 神殿の前まで来ると あらら ねぎらってもらいましたよ 祈っている間セミは鳴いていなくて 暑いけれど風がピューピューと吹いて ありがとう 10日目 神殿の前に立つと今まで一番胸がいっぱいになって 祈りの途中まで一匹だけセミが鳴いていました 11日目 祈りが終わったら 帰り道 歩きながら・・・ 父方の母の生前のふるまいが 祖母がいきなりそうなったのではなく 私の代でそのトラウマ カルマは終わりにしよう そこまで思い返したあと 「よーし 〇〇家 待ってろよー 祈ってやるー」って 自宅で瞑想中に誰かでてきました 誰ですかとたずねると 若い男性で 『一緒に瞑想する』 と言って 私の左側に座りました その次は繋がりのある他の高次の存在たちが 瞑想の後 13日目 夜 スサノオが現れて 私はそういう気分じゃないし 天照大御神に声をかけて 大天使ミカエルを呼んで 14日目 15日目 18日目 カラオケボックスでエコーを聞かせて 19日目 最後に『また来るがよい』と声がしました 20日目 祈りが終わって本殿に背中を向けたら 振り返って ありがとう 21日目 おぉ 私がひめさまだったことを知っているとは・・・ 境内の中にお稲荷さんの小さい社が置いてあります 本殿の中からは 21日の祈りの修了をお祝いしていただきました 祈りの20日目で 退会を決めた後 これは祈りの効果として これからのことについて 3つ 今後も これまでは そして ■祈りを続けていると、困難があっても必ず前進するのを感じます。留まることがないというか…現実問題に対しても成長のスピードが早くなった気がします。次々に課題が降りかかってくるのですが、課題があって止まっている時も、鎮守は同情してくれますし、祈りを始める前よりも解決が早まってます。 とにかく、神と共に生きるとは本当にすごいことだと感じています ■心身ともに疲れ切った日、鎮守で祈っていると涙がぽろぽろ出てきました。 ■1 あいさつ ・第2週(参詣7~10日目) ・第3週(参詣11~16日目) ・第4週(17~20日目) ・第5週(21日目) ・その後(22日目) (3)感じたこと いろいろ考え、スピリチュアル教室や本を読んでいるうちに、イライラする人たちについて、彼らから「自分を愛して、認めて」という心の叫びが伝わってくる気がして、苛立ちは静まり、同情するようになりました。このような心の空洞は、自分で自分を愛したり認めたりすることで埋めるのが良いのでしょうが、彼らはそれができず、他人からの愛や承認を求めています。でも、それでは永遠に心の空洞は埋まらないのでしょうから、彼らの苦しみは癒えないんだな、と思うと、彼らの放つ誹謗中傷にも冷静になれます。自分からの愛や承認が得られず、他人に求めて、それも得られないから他人を攻撃して、他人からも嫌われる、という構造は、ジャンクフードを食べて栄養失調になり、空腹が満たされずにまたジャンクフードを食べて体調を崩す、といった悪循環に思えます。この構造に本人が気づかない限り、苦しみは癒えないような気がします。 深い深い愛情や大きな愛情は、自分がそれを与えることができたり、逆に与えられたりすると、他には何もいらないような満足感があります。心というよりは、自分の本質(魂や霊)が喜んでいるのを感じます。私はそういう満足感を、子供のころは感じていて(まさに深くて大きな愛情を与えてくれる人がいました)、とても自由でした。それが感じられなくなって、苦しみや孤独を感じ、万能感がなくなりました。大人がよく持っている利己的な愛着や一時的な恋愛は、子供のころに感じていた愛情とは呼べないもので、それはいくつ集めても満足することはありませんでした。そういう空虚な時期を長く過ごしてきた気がします。 3 最後に ■レベル4に進んだ時にはちょうどスピリチュアルレッスンと供養代行を並行してすすめていたので、浄化がきつくなるのを避けるために、祈りには手を出せないでいたのでした。 「供養をすると、その相手のいる場所の波動をダイレクトに追体験することになるんだね、やっぱり。 父への祈りでは、怒りを感じました。 「祈りに加えて、インナーチャイルドへの祈りを同時進行してたら、昨日ものすごいいらいら、怒り、それから太陽神経叢の痛みがひどくて、周りに迷惑かけたし、わたしの体もずいぶんダメージを受けた。 それで、昨日は両方とも祈りを休んで、今日は○○だけにした。 昔にはもう絶対戻りたくないよ。 でも、祈りは無理せず、ひとつづつ、地道にやっていく。 夕方陽もくれた頃にやっと自転車乗ってお参りしてきたけど、緑をずっと眺めながら走ってたら、胸の痛みがいつの間にか消えてて驚いた。 「昨日のインナーチャイルドの主張は、やりたくないことをやらされた怒り、恨み。 母への祈りをしている期間は、批判や愚痴がいつも頭の中をめぐっていました。 この頃、阿部敏郎さんの『いまここ』というスピ系のブログをたまたま読み始めました。 今のわたしの理解。人は何者でもない。同じ人に対して、この人怖い、と思う人もいれば、この人いい人だな、と思う人もいる。 夫への祈りでは、恐れと、愛を得られないことへの不満を感じました。 相手が恐れの中で日々暮らしていること、母親から得られなかった愛を手にいれようと努力していること。 「ときどき目にするんだけど、独特の気持ち悪さを感じさせる人がいる。 こんなに自分を犠牲にしていろいろやってあげてるのに、なんで愛してくれないんだ、っていう不満や怒りがうずまいている。 「これ、ほんと巧妙だねえ。 かわいそうな人、苦しんでる人を見ると、助けたくなるんだよね。 はじめからかわいそうな人も、苦しい人もいないし、 今日ずっと変でね、なんか人の心配ばかりしてたり、人を助けなきゃ、ってその思考に占められてて、心がざわざわして、そわそわしていた。 助けなくていいよ。 相手をカワイソウと思うことは誰のためにもなってないね。 これまでの分析方法みたいのが染みついてて、分析すれば問題に対処できると思い込んでる自分がいる。 これ前から思ってたんだけど、人を見た時に、たとえ不幸に見えたとしても、不幸な人だ、と認識しなきゃいい。 思考を使うなら、それが正しい使い方だよ。 この頃、ロンダ・バーンの『ザ・パワー』を読みました。引き寄せの法則の本です。 「ザパワーを読んで、どうしてこれを知らなかったのか、って、いや、何度も他の本で目にしてきたけど、こんなに腑に落ちたのは、今回が初めてだったんだ。 人への不信感が、恐れにも恥ずかしい気持ちにも根底にあって、人から嫌な目に遭わされたから、警戒して信用しない、って状態になったわけだ。 祈りをやって、もう強制的に祈って祈って、それでも怒りや憎しみや批判非難は日常的にやってしまってたから、効果は半減していたんだろうけど、ホントにわけもわからず祈り続けて四年。 おもしろい。 子供への祈りをしました。人への恐怖が根強くて、それがいつも頭の中にありました。 この頃、セドナメソッド(手放す手法)の本を読んで、取り組みました。 受容や平安といった良い感情がわいてきた時も、それを手放すのですが、「そんなの手放せるわけない!手放したくない!」とそれらの心地良い感情に強く執着している自分がいて、手放すことに抵抗しました。 自分が相手や物事をコントロール(支配)したいと思う欲求を手放す時も、「そんなの手放せるか!コントロールすることやめたら、めちゃくちゃになっちゃうじゃないか!」と強く抵抗する自分にも会いました。でも、しばらくしてもう一度質問してみたら、「う~ん、確かに、手放しても大丈夫かも・・・。手放せるかも・・・。」と思いなおし始めている自分がいるんです。支配する子供の反応がおもしろくて、不思議でした。 それと同じ時期に、阿部敏郎さんが提唱している瞑想を伝授してもらいました。 心の面でも変化が起きました。 愛を渇望している自分。やりたくない事にやらされてものすごく抵抗を感じている自分。愛を得るために、やりたくないことを我慢してやっている自分。 全部手放しました。 愛を手放しました。 愛に執着するのをやめました。愛が得られなくてもいいと思いました。 手放して、ただ自由になりたいと心底思いました。 「さっき瞑想したら、まわりの人間はみんな敵だ!!っていう意識が浮かび上がってきて、安全欲求だな、と思って、解放のワークやってみた。 最初、まわりは敵だ。人は危険だ。自然だけがいつもただわたしを受け入れてくれた。という認識ばかりがめぐって、だから、わたしは危険にいつもさらされている、だから、わたしは安全ではない、だから、周りを警戒して周りをうかがってびくびくして自分を自分で守らなければならない、という結論にたどりつく。 そこまで考えついた時、わたしが『わたしは安全でいたくない。』 と思ってる自分に出会ったんだ。 そんなの関係ね~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ・・・いつもこんな感じで、今まで構築されてきた概念が、それこそばらばらのパズルのピースになって、ひっかきまわされているような日々でした。 弟への祈りでは、足がしびれる症状、姉への祈りでは、全身に湿疹が出て顔が真っ赤になりました。 お彼岸の頃は精神的に本当にきつい時期でした。 子供に対する怒りが今出てきてる。 そういう子供が、被害者意識の中で生きてることはわかっている。 「人間として生きてたら、もう先がないとわかった。 でも、人間やめればいいんだ、って思った。 よく、難病で身体が奇形になっちゃった人とかがこうなってよかった。って言うんだよね。 「○/○○ごろからものすごく精神的にきつくてきつくて、久々辛かった・・・。 とにかくやることなすことみることきくこと全部怒りの対象になって、あまりの激しさに耐えかねて、人間やめよう、細胞として生きよう、って、自我や感情を自分から切り離そうとした。 だって、一番いいのはあの世だもん。 そんなこと考えてて、夜、外国人のJPOPカラオケコンテスト(のど自慢ザワールド)のテレビ観て、そこにアフリカのマサイ族の戦士と、ケニアの女性がいて、そのあまりの笑顔と純粋さにうたれた。 あれ見てから、なんか歓びのイメージが身体に入ってなんか変化が起きたみたいで、ハートがよみがえってきたんだ。 起き上がれ、何度でも起き上がれ、何度打ちのめされてもおまえがマリオである以上、本体である愛は死なない。 子供への祈りを再度やって、次何を祈ればいいのか思いつかなかったので、ひと月いっぱい休んでいました。何をやっていたのか、記録がないので覚えていません。 「今日の供養は、胸によく響いた。 今ね、また違った感情が出てきてる。 春休み終わって、桜がとにかくきれいで、植物がいっきに芽を出して、あまりの美しさにくらくらするようで、頭おかしくなっちゃうんじゃないか、って思った。 最近特に心臓が痛い時がある。 「先週まで胸がすごい痛くなることあって、自己否定や自信のなさに悩まされてたんだけど、祈りを一通りやって、5か月やって、新しいこと始めることにして、供養終りにしたせいか、今日はおそろしいほど平和。」 「桜が好き、なんてもんじゃない。 「家業の子供たちは、みんなちゃんとしないし、遊んでたり話してたり、これでいいのか、って思う。 こんなぐらいで、ちょうどいいのかもしれない。 たまたま見かけて気になって、ホ・オポノポノの本を読みました。 他人のことまでは背負えない、それは自分じゃない、という決めつけがありました。でも、100%自分の責任、と言い切られたら言い訳できなくなりました。 自分が教えている生徒さんたちで、特に騒いで人に迷惑をかける子供、○○会の保護者でやりにくさを感じる保護者。それから再度、家族親類に。 「人の中に入っていると、どうしてもその目の前のことに入り込んでしまってるけど、独りになると、ああ、あれは記憶だったんだな、とわかる。 その、ああ自動再生か。って自分に戻ってくるたびに、なんか、子供みたいに無邪気な存在がいるのを感じるんだ。 ホントの自分は、ほんとのことしか言わない。 なんだかでも、最近。 「この一週間、立て続けに怖い思いをして、だまされたり、裏切られたりというそういう感情。 でも、今回のびっくり事件に巻き込まれて、完全に冷静さを失ってたけど、冷静に全体を見てる人に助けを求めることができて、危ないところを救われたんだ。 でも、危機一髪、くぐりぬけた自分を見て、ああ、守護してもらったんだ、って心底思った。 確かに自分の予想がことごとく裏切られて、ぐさりと傷つけられるたびに、肩の震えは止まらなかったけど、それでも、そのたびにすぐに回復する自分も感じていた。 生きてる限り、記憶は再生され続けるし、ハプニングも事件もなくならない。 傷つくのを恐れることはないんだって。 「最近家業の経営状態が前ほどではなくなってて、売り上げは落ちているけど、方向転換してる時期なんだろうな、という感触は感じている。 祈り始めて、21日間参拝二か所やって、この二ケ月間ずっと支払いにぎゅうぎゅうさせられる思いしてた。 税金や保険料や経費、って部分はどうしてもお金必要だけど、普段の生活、そんなお金いらないなあって思った。 自転車乗って、森の中走ると楽しいし、野菜は冷蔵庫に入ってて、何日かかけて食べれるし、納豆や豆腐は安価で健康的だし、祈ったり瞑想するのは呼吸と同じくらい、もう欠かせないものだけど、何の費用もかからない。 そんなこと思いながら、今日は久しぶりに○○寺にお参りしたくなってお参りしたら、本堂で、初めて涙が出た。 実際のところ、お金をかけなくても、というよりむしろお金をかけない方が、豊かな暮らしができる気がしてならない。 そうなんだ。 お金ってやっぱり、すごい要素だったんだね。昔から。 お金があろうがなかろうが、その人の幸せに関係ない。 「ちょっとまだ痛い記憶なんだけど、ああ、この人にとってはわたしはアウトオブ眼中なんだなあ、と思う時がある。 私の中に、「自分を受け入れないで下さい。」という記憶があったからなのか、なんなのか、今となってはよくわからない。 前は郵便局行っただけで、受付の人に嫌な顔された。 これはほんとに根強い記憶だなあ。 でもね、この前資源回収で、久しぶりに会った人にスルーされて、ちょっと悲しいというか傷ついたというかでもその一方で、ちょっと嬉しくもあったんだ。 田舎とか公園みたいなとこ行って、よくきくセリフ。 でも、なんかそれはそうなるべくしてそうなってるのかな、って思う。 わたしがほんとに心を開いていたのは山や樹や川や夕焼け空や虫の鳴き声や夜空だった。 皆からのけ者にされちゃうような、排除されるばかりの暮らしをしてきて、人間の味方は誰もいなかったけど、自然はいつもただ受け入れてくれた。 皆からなんか理由もなく反発される、っていうのは、波動が違うからに他ならない。 でも、自己否定の種になってしまってた、相手にされなかった排除された拒絶されたっていう記憶が、実は全然悪い事じゃなくて、むしろいいことだったんだ、って記憶に書き換えられたことは、それは喜びだ。 わたしの波動レベルでの価値観じゃなく、物質的な地獄波動での価値観でしか説明されてこなかったから、自然とわたしは否定された。 ありがとう。さようなら。 地獄波動の記憶が再生されると、苦しい経験となって現れる。 そうか。供養や祈りで地獄波動の記憶を消去し続けたから、自分の波動での記憶が再生される余地がでてきたのか。 ※ これが内省です。 |
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