■祈ららさんの祈りは本当にすごいなと感じたことがありました。
学生の頃からずっと、首の締めつけ感のような苦しさがあり、7年前からはこぶほぐしというマッサージに出会い楽にりました。
それでも1ヶ月に一回は施術を受けないと辛く、体質だからうまく付き合っていくのだと思っていました。
今月も辛くなってきて、首が辛くなると、呼吸も浅くなり、思考もネガティブになります。
インナーチャイルドの縛りのように、感情がコントロールできなくなります。
そして、辛くて、ここ2日間簡易的にしていた先祖供養の祈りをしてみようという気持ちになり、祈りをしていくと耳鳴りがしたりしましたが、どんどん首が楽になって、終わると心も体もとても楽になっていました。
2日間、神棚の祈りと鎮守の祈りはしていて、先祖供養の祈りだけ簡易的にしていたので、一緒にやるとこはとても重要なのだと感じました。
インナーチャイルドは大きなカルマであると身にしみて感じました。
今まで、一生付き合っていく性格や体質だと思っていたものに光がさしたような感覚です。
ゆっくり焦らず祈りとインナーチャイルドに向かい合っていこうと思います。
本当に祈ららさんの祈りはすごいです。
何かに依存させるのではなく、自分できる方法というところが、自立を促し、自分と向き合うことで気付きがあり、その気付きから精神を成長させていけるように思います。
紫野さんに出会えて本当によかったです。
ありがとうございます。
■生まれて初めて、神社の参拝を作法に基づいて通いまして、始めの3回はとても緊張をしながら途中を省いて参拝しました。
4回目からは全ての手順で参拝しまして、参拝する毎に気持ちが落ち着いていくのを感じていました。
気持ちが穏やかになれて、参拝に行くことが習慣のようになっていきますと、行かないと落ち着かないような気分になります。
鎮守の神社へは今まで1,2回しか行ったことがなかったのですが、(あまりひとけがないような人気がない神社という雰囲気)改めて参拝に行くようになりましたら、狛犬が素敵で、境内の中はいつも心地よい風が流れてくるような気がしていて、とても良い神社だな~と思えるようになりました。
それと、18回目位に体調を崩してしまいました。
20代の頃に患っていました不調が発症してしまいまして、激痛で食欲も落ちてしまい、元気が出なくなってしまいました。
今は大分傷みは緩和してきてはいますが、なにせ病院嫌いなので何とか民間療法的なことで治らないかと考えています。
■お盆に父方母方の行ける範囲のお墓にいろいろと行ったことで、今までは残念なことに変な宗教でも入ったのか、余計なことをするな、、、といった実家の雰囲気だったのですが、今回は各お墓に行くと、すでに他の親戚が訪れていたり、「ありがとう」という言葉が母や叔父祖母からあり、家族の変化も嬉しくおもいました。
また、周りにどう思われるかではなく、自分軸で行動できるように、そして自分と違う考えの家族も批判せず尊重し、本音と建前とはこういうことなのか、ととても勉強になりました。
仏壇での祈りも始めたころは、とてもエネルギーを送っている感覚で、終わると横になって休んでいたのですが、最近は仏壇での祈りをするとパワーをもらうような感覚があります。まだまだ未熟者ですが、こういった成長を感じられるように一生懸命毎日を過ごしていきたいと思います。
■お盆休みにお墓参りに行ったのですが、1ヶ月前に訪れた時は、お墓が汚れていて、ご先祖様が元気がないような感覚がありました。
しかし、今回は、とても綺麗で、1ヶ月の間に多くの親族も訪れていて、ご先祖様が元気な感覚がありました。
毎日祈りを進めていたおかげかなと思い、妻と喜んでいます。祈りを行う事で、自分たちだけでなく、両親も変わっており、現実が変わっていることをとても嬉しく思います。
■①『2020年のアメリカの大統領選挙でトランプ大統領が大勝利していた事。不正選挙があった事。の真実が暴露されますように。そして、その後に次から次へと真実が暴露され情報開示されていきますように。』と神様にお伝えしております。アメリカの選挙の事ですので、日本の神様にお伝えしても良いのかな?と思いながらお伝えしてみましたところ、この不正選挙の件でも声が詰まり涙目になってしまいます。
②『1985年8月12日 悪魔崇拝者達によって墜落されたJAL123便の真実が暴露されますように。
髙天原に眠られておられる520名の犠牲者の方々が、どうか救われますように。』とお伝えしますと、涙が出てきたり声が詰まったり涙声になってしまいます。
日本の神様は日本の事だけでなく、世界中の事を見ておられるのだ。と実感致しました。
『内のことは外のこと。外のことは内のこと』なのだと言われているツイートされておられる方がおっしゃる通りなのだと思いました。
■こつこつと神棚で祈りをしたあとに内省のレッスンをテキスト見ながらやるようになりました。内省の内容も書く、専用のミニノートも用意してやっています。
やってみて、わかったことは楽しい!の一言です。
真剣にやってみたのは今回がはじめてで、ノートに書いて内省したのもはじめてです。
感情に巻き込まれずにいろいろ考えることがこれほど日々の生活の中で大切だったとは、、、と驚いています。
ただ、うまく内省できてるかが少し不安なのと、書くと思考が、一時停止になるのが今の課題です。
以前、うまく内省されてる方の体験談がひかりさんのホームページにのっていたと思うのですが、その後たくさんの方のお便りが増えていき、どれだか分からなくなってしまいました(*T^T)
また、時間ある時探して参考にします。
内省しはじめて、少しずつ習慣化できてきて、これはある程度年齢がきたら誰にとっても必要なことな気がしてきました。
そして、夜内省しはじめたら、私は毎朝出勤時にポップスの曲を聞きながら出勤してるのですが、少しこの曲たちがうるさく感じるようになり、クラシックでさえもちょっと気が散るなぁ、と感じはじめ静かな生活がより好きになりました。
また、今日は「もう、私は人から愛やサービスを受けとるのを期待する時期ではなく、私が愛やサービスを与える方が自然かもしれない。」と思いつきました。
いろいろ内面の変化があり、面白さを感じてます。
それに、内省しはじめたら、私のなかのインナーチャイルドが人生を進むのを邪魔してるのが、明らかに分かりはじめました。
よいペースでインナーチャイルドの癒しをしていきたくなりました。
世間はオリンピックですが、最近、他人との勝ち負けよりも自分と向き合うマイペースが心地よく思えてきました。
そう、内省してる自分にテーマつけるなら、「今日の自分と向き合う」という感じでしょうか。
世間は内省から気持ちそらすものが多いなぁ、とも思え、こちらも世間に迎合することなくマイペースでいきたいです。
内省のよさ、もっといろいろな方に知ってもらいたいと思うくらい、楽しい作業です。
ひかりさんにご縁ができて本当に良かったです。
多分ご縁がなかったら、内省は一生しなかったと思います。ありがとうございます。
■毎朝、子供が起きる前に鎮守に行き、祈りのあとに境内のベンチでご紹介いただいた本を読んで勉強しております。
先日は愛についての箇所を読み、両親に求めてばかりいた自分に気付き、愛はしっかりあったことを思い出し涙が止まりませんでした。
インナーチャイルドの癒しも同時にできているように感じました。鎮守に行くと一羽のカラスが近づいて来たり、いつも出てきてくれる一匹のトンボさん、綿毛さん 鈴の音さんなどが迎えてくれているように感じます。
家族で行った帰りにはキラキラした緑~虹色に光るタマムシが私たちの周りをまわってくれました。
とても嬉しく感じました。
紫野さま。
未熟な私にとってこのような変化は本当に大きいものです。
変わりたくても変われずにずっと苦しかったです。
本当にありがとうございます。
主人、子供、すべての出来事に感謝いたします。
■鎮守は徒歩3分の場所にありました。ここは主人の仕事が忙しく私も初めての子育てで精神的に参ってしまった時に、赤ちゃんだった娘を抱えてよく来ていました。
正しいかわかりませんがその時に 主人と一緒にお札をいただき 簡易的な神棚を作り、リビングにお迎えしてあります。
その後もよちよち歩きになった娘とよく遊ばせてもらったことを思い出しました。
越してきたばかりで知り合いのいない環境での子育ての中、この神社で過ごした時間を思い出しました。
この○○神社が私たち家族の鎮守であると感じました。今までは参拝に行くと感謝を伝え、どうか主人が元気になりますようにと願ってばかりでした。
今回、霊の祈り教えていただき、夫婦であぁこれをする為に今この時間(主人が体調を崩し休職して家族で学ぶ時間)があるのだと感じました。
祈りは毎日、夫と娘と私の3人で神社に行き、行いました。
初めて鎮守参拝に行った日は娘の誕生日だったので、自宅で簡単な家族写真を撮ったのですが、心なしか顔が穏やかに思えました。
写真に写る自分が苦手だったのですがその時の写真は穏やかでよい顔に見えました。
主人にも顔が穏やかと言われました。
そして、一之宮からお祓いの案内のお便りが届いたので、その同じ鎮守の祈りを始めた日に厄除けをしていただきました。
涙がでました。
祈りの言葉は始めはぎこちなかったのですが、だんだんとドラゴンアイズを読ませていただいたこともあり、祈らせて頂けることへの感謝の気持ちがしっかり重なり、このような機会をいただいて、よい言葉が見つかりませんが本当にありがとうございますという気持ちで行っていました。
祈りを始めてから、カルマ出しなのか娘が初めて口内炎を経験したり、夫が頭痛で寝込んだり、私は、食欲がなくなり生理が遅れて体が重くなり声がでにくくなったり、夫も私もネガティブな気持ちになり、夫婦喧嘩がありました。
夫婦喧嘩で初めて娘が泣いてしまいました。
でも全て耐えられるものであり、これは神様がカルマを調整してくれているのだと思いました。
大雨に降られたのですが、全く嫌と感じず、主人も同じように言っていました。
祈り10日目の時に母と連絡から連絡がきたのですが、少し厳しいことを言われ、今まででしたら反発していたように思いますが、自分の意見を伝え、心配ではなく信頼してほしい、心配させない信頼してもらえる私になりたい、本当の意味で自立しなくてはと心から思えました。
涙が溢れてきました。
インナーチャイルドワークを平行して行わせていただいたこともあるかもしれませんがこの日からまた心持が大きく変わりました。
地に足をつけて目の前のことに自分でしっかり考えて乗り越えていこうと思いました。
その2週間後(鎮守21日間が終わり4日後)両親がいる実家に帰る機会があり、両親と良い距離で自然体で話しができました。
その日何故か母から母方の曾祖父母が自ら人生を終わらせていたことや、祖母の波乱万丈な人生をこちらから聞いていないのですが初めて話してきました。
これも意味があることだと思います。
焦らず祈りを進めさせていただきたいと思いました。
子どもの頃からよく行っていた○○大社に行きました。
会社員の時もよく悩むとよく境内のベンチで泣いていたことを思い出しました。
祈りを教えていただいて、家族3人で○○大社に来られたことにとても安心しました。
主人は一人で主人の実家のお墓を訪ねたところ、いつも比較的整っているお墓が、その日行くと荒れていたそうで、2日かけて掃除をしてきました。
初日はお墓に向かう車の中からずっと涙が出ていたそうです。
次の日、胃腸の不調がお墓をキレイにするとなくなったそうです。
祈り21日間を終えて1週間程たった時に、何故かその日はイライラしてしまい、そんな気持ちで車を運転してしまっていた時に、突然左側から自転車が飛び出してきました。
とてもびっくりしました。
幸いにもぶつからずにすみました。
その夜、お線香を一本たいて、般若心経を動画で聴いて心を落ち着かせていました。
写経してみたくなり初めてやってみました。
心が落ち着きました。
ごめんなさい、ありがとうございますと心の中で何度も言いました。
その次の日、家の片付けを無性にしたくなり、リビングに横に寝かせて置いておいてしまった。
一之宮でいただいたお札などを壁に立てかけました。
部屋の空気がよくなったように感じました。
また、目をつぶるとしばらく前から鬼がでてきたのですが、鎮守参拝にいった時に、感謝すれば鬼はいなくなると言われた気がしました。
また翌日、腰痛がありながらも片付けを進め、感情が溢れて主人といろいろと話をしました。
ポロポロと涙がでました。
その時目をつぶると蛇がでてきて鬼が小さくなったように感じました。
そして、初めて家族と一緒ではなく一人で鎮守参拝に行くと、鬼はまた心に隙ができると出てくるぞ、感謝の気持ちと家族を大切にするようにと言われた気がしました。
その夜、紫野さまからインナーチャイルドワーク2通目が届きました。
蛇が出てきてから鬼はいなくなったように感じましたが、今度は般若がいるように感じました。
そして、それらは私自身であるように感じました。
また翌日、今まで黒や白といった無難な服をよく着ていたのですが、黄色などの明るい色の服を着たくなり、購入しました。
主人から表情が明るく朗らかに戻ってきたと言われました。
また翌日、過去世で私が傲慢な権力のあった男の人で、人々にひどいことをしていたように感じる出来事がありました。
つーっと涙がでました。
祈りの意味がより明確になったように感じました。
祈ることができることへ感謝の気持ちがより大きくなりました。
自分の感じたことについて、流さず一つ一つしっかり向き合えるようになってきました。
いろいろな方がかけてくださる言葉を、いままでは反発してしまったり、今持っている価値観のなかで考えたり、照らし合わせて区別してとらえていたり、無意識に選別してしまっていた感じがします。
祈りを教えていただいてから、何かの出来事や言葉に最初はウッと感じたり、グサっと感じたり、イラっと感じたり、えっと感じたとしても、一度受け取り受け止める感覚が学べてきたように思います。
受け止めるのにまだまだ時間がかかり、感情の揺れがありますが、どんな言葉も意味があって私のところにきてきれたように思えます。
また、私が人に言っている言葉は、自分に言っている言葉でもあるように感じることがあります。
言葉についてこんなにも考えたことはありませんでした。
人見知りだった娘が、徐々に家族以外の人を交流するようになってきました。
まるで私の心を表しているようでとてもうれしく思います。
しかし、良い流れを感じていたのですが、娘のお友達のあつまりに私が黄色い服を着て参加し なんだか気分がよく浮ついてしまっていたように思います。
すると、私と遊んでいた子ども同士がぶつかってしまい、鼻血をだして泣いてしまいました。
浮ついた心ではいけないと言われた気がしました。
人間関係が不得意の私は、こういったママさん同士の関わりなどから 社会性を身に付ける学びの場であるように感じました。
みんなで楽しく仲良くなりたいと思っている一方で 振る舞いや言動が空回りしてしまうところは 母ととても似ていて課題に感じています。
また、他にも様々な気づきがありました。
私たち家族は夫が転職したことに伴い、移り住んできました。
夫がこの仕事を選んだ理由は、車メーカーで働きたいという希望があったからですが、他のメーカーもある中でこの場所にある会社を選んだことも必然であったことが分かってきました。
ここには私たちと同じ苗字の祭りがあり、主人の父が仕事でよくこの地を訪れていたことや、夫の家系は代々、糖尿病を患っており、義理の父は事故や大病が何度もあること、夫も病を患っていること等、この地で祈りをする為に、呼ばれていたのだと、夫婦で認識しました。
鎮守参拝は21日終えたあとも行きたいと感じており、何か理由がない限り毎日続けております。
■鎮守参拝58日目の現在は、「□□家…ひいては私の父母の代、そして祖父母達が汚してしまったこの■■家を、私が責任もって生涯かけてキレイにしていきます」と心に思い浮かべたところ、涙は出ずともジーンと感じられるようになりました。
また同時に、(これまで、心のどこかで必死になって「子を愛さぬ親などいない」とか「親は私の霊的成長を願って、愛情から試練を与えているのだ」とか「完璧な親などいない。だから何度でも広い心で親を許そう」などと思っていた)我が両親に対して、やっと「ホントこの人たち馬鹿みたい…」と、距離を置いて眺められるようになってきました。故あって現在、自動車教習所に通っているのですが、交通法規という内容的には全くの別カテゴリーながらも、育ちの影響をまざまざと実感させられるのが、我ながら痛いです。
「私の親が◯◯だったから、きっと他人だって同じだろう…」という予測が誰にでも通用する訳でなく、「親のやっていたこと」や「親から押し付けられていたこと(「親の言うことが聞けないんだったら、アンタどこ行ってもやっていけないんだからねッ!!」の発言etc…)」が「少しも世間に通用しない(おかしい)」ことに改めて気づかされるのが、毎日ショッキングです。
■会報のNo.124をやっと読み終えたのですが、義朝(ヨシトモ?)さんと祈り方の練習をされているのを読んで、なるほどこう思えばいいのか!ととても参考になりました。義朝さんは、相手にどのようになるのが幸せだと思っているのかわからない→これは私も同じだな~と思いました。
それに対し→神に近づくこと、そのために一歩一歩成長することが楽しいという感覚を知っている必要があるということ、愛の紋様とは相手に対しそれを願ってあげること、宇宙も霊界も人々も神の代理だということ。
と、ひかりさんが書いている内容が、胸に染み入りました。
■現在レベル2で、どれも気持ちの赴くままやっている感じですが、本当に気が向かないときは1、2か月ほど間があくときがありました。
それに罪悪感を感じ、報告するのが怖かったな~と思っていたことをここに報告します 笑鎮守参拝はだいぶ前は浄化で起こる出来事がキツイので、恐る恐るといった感じでやっていましたが、現在は外出したら目的地に行く前に、ふらっと立ち寄り祈ったり、いいことなのかわかりませんが、どれがカルマ浄化の出来事かどうかなどはあまり気にならなくなりました。
一時期先祖供養をたくさんやりたいと思っていたのに、最近ご無沙汰なので、少し心配になって鎮守で聞いてみたら、「そのうちわかる」とのことでした。
以前アフターフォローで、神棚参拝などで神仏が私の身体をペンジュラムのように動かして、伝えてくれることをお話しましたが、それ以外の方法でわかったとき、号泣で凄く喜んでいることを伝えてくれます。
まるで子供が生まれて初めて立ち上がったのを見て、大喜びする親みたいだな、と笑ってしまいました。
「そのうちわかる」のかもしれませんが、たぶん今よりもっと通じる祈り方や心の持ち方を、現実を通して学んでいるのかな、と思います。
最近急速に交友関係が広がって色んな人の話を聞く機会が増え、自分のことを受け入れてもらえる環境があることに気づきまして、さらに人のことを知り、自分を深めたいと思えます。
■本日無事に満願しました。浄化のために何かあるのではと、心配しましたが、何事もなく21日の祈りを終えました。
涙を流すことはできなかったので、神仏に祈りが通じたかどうか分かりません。
ですが、先生の指導する祈りが他とは違うことは感じ取りました。
私は以前、願いのために一か月くらい通ったことがありました。
また、感謝を伝える祈りも一か月くらい行ったことがあります。
その2回と手応えが全然違います。
現実は、何も変わっていませんが、先生がどこかで、「自分の心が変わったら」ということが書いてあったので、多分、そういうことなんだなぁと、自分の心の中で納得した次第です。
まず、この祈りを行うことによって、自分がやらなくてはならない義務を果たしている達成感のようなものを感じました。
それから、涙を流すことはなくても、言葉に表せないなんとも言えない感情が湧き上がってきました。
通いやすい神社だったので、さっくりおえましたが、ものすごい急な坂を登る夢を見たので、潜在意識は、負荷がかかったのかなと勝手な解釈をしました。
最終日、母と連絡を取りました。
話したことは、近況報告でしたが、電話を切ってから、何故か、今まで消化出来なかった気持ちを昇華することができました。
もう頭の中で、親を責めたり、ののしったりする言葉を吐くのは止めよう。
現実の母が何かを言ったら、そのときは、他の人と同じ対応をしよう。
親から自分の思うものを貰えなくても、マイナス思考は辞めよう。
親からされて傷ついたことは沢山あったけど、もういい加減水に流そう。
自分の心の中で、不思議と親に対しての区切りができました。
これは祈りの効果なのでしょうか。
どちらにしても、明日からまた引き続き神社に通います。
充実した時間を頂き感謝しております。
やはりプロに指導して頂いて正解でした。
なんだかんだで、自分の国の信仰が一番ですね。
遠回りした結果、そんな感想を持ちました。
これからも自分のペースで神社に向き合っていきたいと思いました。
本当にありがとうございました。
■霊の祈1を教えて頂き有難う御座います。
現在継続中です。
体調不良は本当に穏やかで我慢にもならない程度で順調です。
現在以降に凄いカルマ消化が来ても前向きに受けますよ(^^)氏神様とは、以前から参拝をさせて頂いおりましたので、継続となります。
以前はひふみ神示に書いてあることを基本に参拝させてもいました。
参拝してると左目から涙は出るのですが、毎回ではありません。
但し霊の祈りをやり始めてから、左目がさらに涙脆くなりました。
鳥居に入る直前からウルウルしはじめます。
妻にはなんで左目だけ涙が出てるのか?と笑われますが、これからも続けます。
祈りをしつつ皆が幸せに繋がるように!との言葉の導き方が本当に素晴らしいです。
祈っている自分自身が感動しています。
また、神社に行けない時は神棚で霊の祈りをさせて貰っています。
見えない方々ですがその分、気持ちや言葉が大きく影響していると実感しています。
霊の祈りは引き続き継続してステップアップしていきたいです。
■霊の祈りの参拝をスタートさせました。終わった後は気分が晴れる感じがあり、頭頂部がシュワ~っとします。
精神面も安定するようです。
連続して通うと効果が高い感じがありますね。
子育てに置いても慌てない心が出てきて嬉しい限りです。
もっと精神面を鍛えて子育てに留まらず、世の中の人を明るくさせるようにしていけたらいいなと思います!
■無事にテキストが届きました。
とても心がこもった資料で心が温かくなりました。私は今回、あまり深く考えずこの講座に申込みました。
アイクさんなど世界の陰謀を調べていたのであって、先祖供養や、精神世界の追求を今は全然考えていませんでした。
が、ブログを読み進めるうちに、「やばくない?!」とか、「私、大丈夫?!」など、急に回れ右して帰りたい気分になりました。
カルマ出し心配です。
申し込む前から子どものことでトラブルが発生しているのです。
あることがきっかけで、塾に行く前に必ず熱が出るようになって、それが5回目。
これも影響と考えていいのか分かりませんが。
通勤の途中にある神社が気になっていて、時々参拝していましたが、心の中でどんなお祈りをしたらいいのか分からず、モヤモヤしてました。
子どもの頃から神社でお願いするのは、なんか違うなぁと思っていましたので、特に心の中で言葉を言わないこともありました。
いろいろ調べた結果、いつも見守って頂きありがとうございます。
神様の繁栄をお祈りしています。
くらいしか思いつきませんでした。
なんか違うなー。
しっくりくるお祈りは、なんだろうか。
紫野先生の祈り方を読んで、「なるほど!」すごくスッキリしました!
タイミングがあったのでしょうね。
女性誌の占い広告にカルマ解消や、祈り方指導、先祖供養などの文字をみたことがありましたが、それでこの道に入ろうとは思わなかったです。
他宗教の祈りや、指導者レベルの方の祈りの文言も調べましたが、今となっては、綺麗事や自己満足にしか見えないように感じます。
■おたよりを読ませて頂きましたが、紫野さんへの感想は、「上品」という印象を受けました。
レビューや投書が好きでいろいろチェックしてますが、品を感じて凛とした気持ちになります。
知的に感じる文章はたくさん読んできましたが、上品さが滲み出る文章の集まりは、あまり出会わないです。
■霊の祈りレベル3を始めました。面識のあった祖父母の個別供養からしているのですが、最近亡くなった祖父とは感動の再会の場面がありましたが、楽しみにしていた祖母とは、笑顔だけは見えたのですが、さほどの交流はなく終わってしまいましたので、ちょっとがっかりというか、拍子抜けしてしまいました。
■祈り方の指導を希望します。霊的進歩をするために祈り方を教わりたいです。
それから社会奉仕のために祈りたいです。
何か社会で嫌なことが起きるたび、「自分にできることは何かないか?」と思い、見つからない時は、自己流で行っていましたが、教わることで微細に変わる何かがあるのであれば効果的に行いたいです。
通勤途中に地域の神社があり、気になった時に参拝していますが、自己流だと手応えがなく、日本の神様とどうお付き合いしたらいいのか分からず来てしまいました。
こちらのサイトに来る前、アシュタールの名で活躍されている方達のコンテンツを読み込んでいましたが、神社全否定でかなり混乱しました。
陰謀の歴史やら、爬虫類の宇宙人の話やら、既存の精神世界の考え方は、面白かったり共感できたし、多くの人に受けるのは分かるのですが…
この世界の真偽を見抜くのは、中々難しいですね。
落とし穴が多くてめげますが、あきらめないで一歩でも進めばいいかなと思ってます。
私はやっぱり日本の文化が好きです。
親が史跡巡りが好きで、神社によく立ち寄ったことで親しみがあります。
「闇の組織イルミナティ系スピリチュアルに注意!」の記事がとても役に立ちました。
それから、「イルミナティ系スピリチュアル、白色同胞団の洗脳を知っていよう」この記事は、驚きながら読みました。
白色同胞団は、全然存じ上げませんが、アシュタールのあの本のAmazonレビュー数が700以上あって、鳥居が死釘で、神社がプラシーボ効果という考えを受け入れる人が増えたら一体この国はどうなってしまうのだろうと考えてしまいます。
警鐘を鳴らして頂き感謝します。
コロナ騒動から、社会問題をずっと追っていましたが、紫野さんの文章を読んでいたら、自分の心に向き合うことに重きを置くことを思い出してきました。
かなりの文章量があり、じっくりと読ませて頂いております。
ここ1年は、YouTubeの動画メインに情報をとっていたので、久しぶりに読み応えのあるサイトに出会えて嬉しい限りです(やっぱり自分のペースで読める文字って最高!)。
まずは、祈り方を教わり、問題が生じたら他のメニューを申し込みたいです。
■最近地元の神社参拝のときに、よく鳩があいさつにきてくれます。神社に住み着いているようです。
よく見かけるような鳩とは少し違う、羽に茶色の筋がきれいに入った鳩でかわいいです。
神社に歓迎されているみたいでうれしいですね。
「おはよう」とか「またね」と声をかけています。
■「霊の祈りを申し込んでから最初に来たのは異常な睡魔でした。
布団に入り、気がつくともう朝でした。
滅多に無いことです。十分な睡眠を取っても日中はまだ眠く、変だなぁと思いました。
母も珍しく化粧かぶれを起こしたと言っていて、それも申し込み直後でした。
参拝前でも既に何かが起こっているなと感じました。
参拝では一部の言葉はまだなのですが、祈ると精神的に安定するような気がします。
ハプニング(おそらく浄化によるもの)が起こっても以前より心が荒れないし、腐らないのです。
メンタル弱な自分がちょっとずつでも変化していることが嬉しいです。
このまま精進していきます。
■紫野ひかり先生、この度は良き御縁をいただきましてありがとうございました。本日は春分の日。春がやってきました。
昨日、お陰様で長年の念願が成就致しました。
ありがとうございました。
先ほどは、鎮守様にもご挨拶に行ってきました。
12月7日よりはじめました霊の祈りレベル2祈願、先生が出した号泣4家(都合8家)の条件をクリアしました。
レベル2が始まったばかりの頃、「1月末、それと3月半ば」という声が聞こえましたので、終了は3月半ばなんだなぁと漠然とは、思っておりました。
1月いっぱいまでは、臭いがたまらず、供養のあとの窓開けと、着替え、そして供養のあとの供養は欠かせませんでした。
御神前で受けるような、“打てば響く”といった対話がまったく出来ず、まるで雲をつかむようで祈っていても先が見えず不安ばかりで、満足のようなものは、ほとんど得られませんでした。
日が経つにつれて、ご供養のお供え物にも、神棚にあげたものと似たような気が宿るようになりました。
自分的には、最後の9日間がもっとも苦しく、ここ2、3日は軽い鬱のような状態になっていました。
先に書かせていただいた3月半ばという指針以外にも、様々なエネルギー測定をしながら、妻のご先祖の成仏の日がもう近いことだけは分かっていたのにも関わらず、他の家の先祖たちに比べて、微動だにしない、表情が緩むことがない方たちでいらしたからです。
痺れを切らして、私の体内に一体降りていただき、対話を試みようとしましたが、私を足元から舐り定めるように私を見、粗探しをして上位に立とうとする女性。妻からは天皇家に仕えていた家柄と聞いていたので、その時は現実界と霊界の価値は違うのだということなど説得を試みたのですが、思い直して、一から取り組む直すことに決めました。
高級なお茶に代え、賛美歌を歌い、朝晩2回のお参りに代えましたが、それでも心が動きません。
19日の日は、通常どおり行おうと、他のご先祖の供養を淡々と続けているうちに、ほの温かい気持ちになってきたので、その調子が消えないうちに、やはり淡々とご供養をしているうちに号泣と相成ったわけです。
私はいま、51歳ですが、今から30年前、日本心霊科学協会の精神統一会にて、ある一人の女性が、前にいた導師から「あなたのご先祖の供養が、全部やっと終わった。でもまだこれからじゃ」と言っていたのを聞き、(ご先祖の供養が終わるなんていうことがあるんだな。すごいな)というひとつの憧れでした。
あれから私はいったい何人の霊能者と会い、この道のためにいくら使って来たのでしょうか?
私がこれほどに長い時間かかったのには、幾つかの理由がありますが、今回、先生のカリキュラムをさせていただいてわかったことが、これだけ繰り返しやらなければ、ご先祖は供養できないということでした。
カルマも自分が人並みの幸せを諦めて、ただただ苦しみさえすれば解消すると思い込んでいましたが、私にとってはもっとも身近な開運の方法を、私は特にこの数年は自ら放棄していたのです。
ここまでやってはじめてご供養が可能だったのかと、今回、あらためて学ばせていただきました。
(私が好きな孟子の言葉があります。それをこの文章の最末尾に書かせていただきますね※)
——————–
さて、先生からご指摘いただいた神棚の感想ですが、確かドラゴンアイズに「神棚は1日の最後に…」と書かれてあったように思います。
はじめからこの祈りは長丁場になることがわかっていました。
51歳の疲れ果てた身には、なかなかしんどいものでしたが、この期間を乗り越えて来られたのは、不謹慎かも知れませんが、ひとえにコロナ禍の状況にあったことが大きいと思われます。
ふだん外に出ている私の妻が食事を作ってくれたおかげで、私は祈りに集中できたからです。
8家分の祈り。毎日キッチンにたまる大量の洗いものの片付けなどをこなしていると、神棚に向かうのはほぼ深夜1時過ぎでした。
もともと、私は体力があまりありませんから、カリキュラムをこなしていくのは大変きつく、メニューを削ってその日その日を良しとしたこともあります。
ただ、どうしてもやめることだけは出来なかった。たとえ命が尽きたとしても、これだけはかじりついて続けようと思っていました。
それは、私が長年、世間からは認められず、結婚によってさらに社会との軋轢がひどくなったためです。
ここ数年間は、複数の神仏、ご先祖たちの神籬にただ水だけを運ぶ日々も続いていました。
妻が持っていた本から、ルシフェリアン(イルミナティなどの存在)を知った時から、いくら神仏の存在があっても、もうどうにもならないと、心が折れてしまったこともその理由のひとつでした。
でも、今回祈ららと出会ったことで、私の毎日は確実に変わりました。
家の中に祀ったすべての神仏に、毎日手をあわせる機会をいただいたのです。
我が家の空間が息を吹き返しました。
私が神棚に向かう頃、ちょうど妻が床に就きます。
私は隣りの部屋で妻の寝息を聞きながら、祈りを唱えるのが日課となりました。
レベル1のはじめから祈ららの祈りの意味がわからずやっておりました。
よく出来たシステムで、良い相乗効果があることだけは頭で分かっていましたが、どうしてこのように祈らなければならないかに関しては、私は頑なな人間でした。
私は陰陽師の末裔でもありますが、陰陽師同士が呪いを掛け合うことを知り、それをどこかで終わりにしなければならないことを、知識として知っておりました。
それが先生の祈りにたどり着きました。正直、嬉しかったです。
はじめは、私の意思を封じ込めて祈ららの祈りをしました。でも意外とすぐに、抵抗はなくなりました。
毎日、深夜2時頃にお祈りが終わり、台所と玄関の神様にも手を合わせ、ドラゴンアイズを読んで寝るのが三時半過ぎになったことも何回かあります。
神様から与えられた、この51歳という唯一無二の時に、何よりも感謝をしておりました(汚い話で恐縮ですが、あまり風呂に入れず、何日も体を拭いて就寝しました)。
世界のウイグル自治区の問題や、戦後日本の私たち日本人が辿った歪められた歴史などを見る時、私は未だすべてが因果論で解けるとは思っていませんが、今はこれでいい、これがいいと十分に納得し、心から感謝しております。
今日、妻と共に、鎮守様に詣でる道すがら、家の前の小川に、数年ぶりにつがいの鴨が泳いでいるのを見ました。
神社のお社につづく石段には、まるで晩秋のように枯葉が空から延々と降ってきて、私たちの足元に降り積もりました。
向かいの山の斜面には、一見、犬かと見紛う痩せた狸が現れました。
何度も通っている鎮守様ですが、これらのことは、初めての経験でした。
(ご先祖様は、常世の春を。私と妻はこの世の春を楽しみたいです)
以上
※
仁の不仁に勝つは、
猶(なお)水の火に勝つがごとし。
今の仁を為す者は、
猶一杯の水を以て、
一車薪(しゃしん)の火を救(すく)うがごとし。
熄(き)えざれば則ちこれを
水は火に勝たずと謂(い)う。
此れ又不仁に与(くみ)するの甚だしき者なり。
亦終(つい)に必ず亡(うしな)わんのみ。」
——————–
人の愛や情けが、人の計算高い心の冷たさに勝つということは、
まるで優しい水が、激しい火の力に勝つごときものである。
現代の愛や情けを行う人は、
たったコップ一杯の水を持ってきて、
薪の上で燃えている大きな火を消すようなことをしている。
それでもって、火が消えなければ、
人情や思いやりなど現代では何の役にもたたないなどと言っている。
これではまるで、仁ではなく、
不仁の助けをこそ、
その人自身がしているようなものではないか。
こういったことをくり返していれば、あなたの中から愛そのものがいつしか消えてしまうだろう。
孟子
■これってもしかして助けてくれているのかなという、小さなエピソードはちょこちょこあります。たとえば、メガネの小さなネジを床に落として見つけるのをあきらめていました。
その後、神棚のお米を取り換える時に少し粒がお皿からこぼれてしまい、拾っていた時にネジが米粒の傍に落ちていたのです。
ここにあるよっておしえてくれたのかなと思うとうれしくなりました。
■○○家のご先祖様のご供養にて、はじめての号泣をしました。
あの日は、朝起きた時から、ご先祖様との心の距離が近いことを感じていました。各家とも、ご供養が大分進んだことは分かっていましたが、だとしたらご供養に足りないものはなんだろう?そんなことを朝から考えていたような気がします。
ご供養はいつもより丁寧に、そして最後にはお経や祝詞というより、“お話し”をしていました。
もともと私は霊媒ですが、ここ数年は神仏との直接の交流はしませんでした。
久々に“あの”感覚が蘇りました。
いつでもどこでも、ということは、もう辞めにして、必要な時だけ交流出来れば良いと思っていたので、自分にはまだこんな感覚が残っているのだなと思いました。
ご先祖とは、目の前の対象を拝むのではなく、先祖は私の身の内にあると知りました。
子供の頃、この家系に生まれたことを神様になじりました。
こんなところにいては、つらい大人になることがわかっていましたから、出来るだけ○○家と離れるために、自分はキリスト教に改宗しようと思っていました。
二十歳の頃、神道に出会い、その後神仏混交の祈りを捧げる環境がありました。
そのうちに、キリスト教に改宗しなくて良かったと思えるようになりました。
両親のおかげで、○○家にも少しづつ感謝出来るようになりました。
他の霊現象で苦労しましたから、ようやくこの年になって、がっぷり四つに組んでご供養が出来るようになりました。
良い時期に先生とお会いできたことを、感謝しております。
今は、この先祖と共にどこまでも行こうと思っています。
あと、七家。
どのような経緯で、とりあえずのご供養が満了となるかはわかりませんが、その時を楽しみにしようと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
追伸:(七家も同様に出来るのではないかと、力技もやってみましたが、術や光でご供養が出来るほど、生易しいものではないことを知りました。
○○家のご供養が早かったのは、それまで私や父も祈り続けていてくれたおかげです)。
■時間があるときは仏壇や神棚にお祈りをしています。
心がとても落ち着きます。
マイペースで進めていこうと思います。祈りという行為に以前から憧れのような気持ちを持っていたので、祈ららとの縁に感謝しております。
■レベル2の祈りを正式な方法で進めてすぐに子どもが入院しました。
私も24時間の付き添いで仕事を休まざるを得なくなりました。病院に水晶ネックレス 、フローライトとアベンチュリンのブレスレットを持っていったら、男の子ですが喜んで身につけていました。
どなたかのご報告で「子どもは石が好きで取られてしまう」というのを読んだことがあったのは「このことだったのか!」と思わず納得しました。
子どもはアクセサリー、私は子どもが寝ているときに「急激な症状を鎮める」の祈りを進めて、今後定期的な経過観察は必要なものの、しっかりと回復しました。
大変なことはありましたし、多くのことと向き合いましたが、たくさんあるカルマの一部を出していただいたのかなと思います。
これからもできるペースで祈りを進めたいと思います。
■先月よりはじめました鎮守様の21日祈願、本日をもって満願となりました。
夜空には、美しい満月が光り輝いています。書類が届いた日は、『ドラゴンアイズ』以外の文章にすべて目を通してみました。
翌日からさっそく参拝に出かけました。
私の家のある場所と我が家の鎮守様は、同じ町内にあり歩いて5分ほどいった山の上に位置しています。
かつて占い師であり、数々の神道系の先生にお世話にもなってきた私は、越してすぐにこちらの神社さんに参拝に来ております。
それからも度々参拝をしたり、毎年、除夜の鐘が鳴リ終わる頃には初もうでの列に並んで参りました。
これまでに、スピリチュアルカウンセラーの資格を二つ取得しましたが、“祈り”と“神様”のいない技術と手法の連続に嫌気がさしてしまい、私はやはり日本の神霊の世界に戻りたいと思っておりました。
古来からの修養では得難いスピード力によって、私がそれまで何十年かけても成しえなかったことを、新しいスピリチュアルの世界で確かに実現もさせていただきましたけれども、私の天命は瞑想を繰り返すことではない、やはり神仏に見守られながら、先人たちが辿っていった正しい道を歩みたいと強く強く願っていた結果、紫野ひかり先生とお会いできたのだと思います。
ただ、先生も色々とご苦労があったかと思いますが、私もこの十年で本当にくたくたになりました。
これ以上カルマが噴き出すようなことがあっては、命まで危ういかとも思いましたが、私は家系の祭祀継承者として、一族を立て直す役目を担っております。
出来る限りのことはやってみようと思い、今回お送りいただきました霊の祈り、21日間連続して参拝致しました。
そうしましたところ、恐れていたカルマ噴出のような問題は、現在までの間に特に現れませんでした。
それよりか、今まで億劫になって出来なかったことが、どんどん出来るようになった気が致します。
お天気にも恵まれ、不思議と傘を一度もさすことなく、21日間参拝を致しました。
はじめの七日間は、それまで気が付かなかった神社の境内の周囲の様子に、あらためて気づきました。
お社のすぐ上に高圧線が立っていたことを知り、やきもきしたり、杜の奥に続く小路にお墓のようなものを見つけたり…などです。
たった一度だけ、6日目に蜂に刺されそうになりました。
しかも御神前において、よくは見えなかったのですが、5cmもあろうかと思われるスズメバチのようなものが、私の耳の横を通過して境内の裏手に飛んでいきました。
7日目には、鳥居を出たところで、非常に小さい虫が私の右目に飛び込みました。
9日目には、帰ろうとすると、お社から、「待て、これを持っていけ!」と言われて太剣のようなものを神霊より受理しました。
13日目になって、はじめて先にお参りする人に出会い、14日目には、私は会っていませんが、私より先に参って願をかけた方がいるようで、神社全体のエネルギーが落ちていました。
17日目には参道の両側に烏がたくさんいました。
参拝後御神前からは、「あと少し頑張りなさい」とお声をいただきました。
18日目には、子供たちを連れたお母さんとすれ違いました。
20日目に、祈りを唱えている時に、身体から嫌なものが抜けていく感じを体験し、非常にすっきりとしました。
この日は妻のことばかりを思っていて、同時に、これまで出会った女性に対する申し訳ない気持ちが自然と湧いてきました。
帰り道、空を見ましたら虹がかかっていました。
虹の下を下校中の子供たちが元気に走ります。
小さな虹でしたから、すぐに消えるかと思いましたが、遠回りして帰った道をしばらく歩いていましたが、虹はいつまでも消えずにそこにありました。
そして、本日21日目。
妻が出かけるというので、神社の鳥居の前まで一緒に歩きました。
すると、途中、カラスが電線にとまりました。
そこには、すでにとまっていたもう一羽のカラスがおりましたが、二羽並んだ瞬間に、私の耳に驚くような声が聞こえたのです。
「○○さんだ」。
私は、ご近所のおばさんが、私たちに声をかけたと思っていたのですが、そこには人は誰もいません。
どうしても、カラスがしゃべったとしか思えないのです。
妻と、不思議だねぇと話しながら歩いて、鳥居の前で妻が、「夫をどうぞよろしくお願いします」と神様にご挨拶しました。
鳥居をくぐって、階段を昇ると、それまで会ったことのなかったキジバトがそこにいました。
私の21日祈願は、以上の通りです。
■少し前になりますが、神棚を設置してすぐのこと。車の運転が少し怖い気がする私でしてあまり遠出はしません。
その日神棚にお願いしました。
よろしくお願いいたします、と。
何の期待もなく無です。
その時胸のへんがほわっとしました。
運転しているときいつもと違い安定感があるのがわかりました。
一度だけですが驚きました。
■祈り2をしたり会報を読んだりして、気付き・お便りを書きたくなりまして、こちらから失礼します。会報の中に、最終的には型を外す、という言葉を見かけること。
祈りの心は、外国の方にも通用すること。
また、日本で祈っていてもシュメールなどの外国の文明とつながっていること。
・・・自分の生活範囲で無理なくしている祈りが、深く突き詰めれば、広いのだな思いました。
私の母方の供養をしているとき、母方の家が秦氏に繋がるというのをチラッと聞いたことを思い出し、秦氏は渡来系なので、日中韓問題にもつながっているのかな、等と考えたりしました。
日中韓の間には、色々とカルマがあるのだろうな、祈ってみたいな、と思ったりしました。
また、アメリカ大統領選挙の最中、バイデン氏が当選したら困るということで、鎮守に祈念してみよう、でも外国なので鎮守の管轄外だろうか、とドキドキしながら参拝しました。
そうしたら、「何か言いたいことがあるようだな」と言われた気がしましたので、「大統領選挙が云々・・・」と悩みを言ったら、2秒後くらいに、「大丈夫、問題ない」と伝わってきたような気がしました。
自分の妄想かもしれず半信半疑ですが、そのときは、特別に霊感があるわけではないのに、会話が成立したようになっていました。
先祖供養は、観音経をよく読んでいます。それまでは観音様に興味を向けたことがなかったのですが、読んでいると、本当に有難いと思ってしまいます。
■霊の祈り2をして、あと少しで2カ月経ちます。
色々とカルマ出しなのか自然に起きたことなのか、私や子どもの体の症状がありました。そんな色々あってみて、鎮守へ祈り文を言うときに、その言葉の意味が、自分の中でビンビン響くようになっています。
鎮守の神様には、「精進されよ」と言われているように思えることがあります。
祈ららの祈りが「きつい祈り」というのは、こういうことなのか、と思いました。
■鎮守参拝21日を完了したので次の祈りへ進むためのレポートを申し込ませて頂きたいです。
まだまだ魂の綺麗さが足りないのか涙は出ていませんが、会社の上司の態度があからさまに軟化して驚いています。
また、参拝を終わった直後は肩が軽くなる事を経験しましたが翌日には元に戻っている事を繰り返し、参拝19日頃からは元に戻るという事が無くなりました。
これは参拝に徒歩で行っているので運動で血の巡りが良くなっただけかも知れませんが一応報告しておきます。
あと、執着外しに(会報)ドラゴンアイズが役に立っております。
例その1:
穀物の消化に負担がかかるという部分を読んでいての事。
同じ会社で私の2倍の体重がある人と昼食をともにする事が多かった時の事をふと思い出す。
外食する店は彼の希望に沿わないと却下される事が多いのでいつも「あんたの行きたい店でいいよ」と答えるのが普通だった。
安く量の多い中華、もしくはスシローのようなゲテモノ寿司(唐揚げの軍艦とか)の店をよく選ぶ彼に合わせて食事をしている私は消化不良を起こしていたのだろう。
食後に強烈な眠気が起こり仕事中に船を漕ぐのはしょっちゅうで、ひどい時は背筋を伸ばしたまま白目をむいて気絶するかのように意識が切れることもあった。
なるほどね、コロナ以降在宅ワークになってからは食後に強烈な眠気なんてこないのは消化でオーバーヒート気味だったのかと納得。
彼の持論は「出されたものは全部食べないと生産者や調理人に失礼」、「あんたはもっと食べて肉つけないと」という事。
もともと糖尿病を患うほど食べる彼の胃袋を満たせるだけの量を出す店に私がいけば、無理に食べる事になりこれがいけなかったのだと気が付く。
彼の言う事はもっともな話だが、彼に合わせて無理に食べる事で自分に対しては気を遣う事ができていなかったのだと。
何かこう、自分の中でストンと落ちた感じがした。
あ、なんか執着かチャイルドっぽい何かが1個外れた。
そんな気がした。
例その2:
(会報)ドラゴンアイズに目を通す。
読んでいる最中に私のミスで仕事にトラブルがあったと連絡が入る。
守護霊団へ守護と導きをお願いしてから顧客へ連絡すると驚くほどにスムーズに解決。
あまりの好調さに衝撃を受けるほどだ、今までの経験だとこういう場合はかなり荒れる事が多かった。
ここで予定している参拝の目的ついて思い浮かぶ。
「(さっきのようなすぐに許してくれる事柄なら話は分かるけれど、人殺しのような大きな痛みをもたらした相手をも許すとは神の愛とはなんて大きく深いものよのう。)」
・・・・・、おかしい、自分で思ってる事のはずなのに最後の語尾と口調が怪しいものになっている。
また、何かこう、自分の中でストンと落ちた感じがした。
あ、なんか執着かチャイルドっぽい何かが1個外れた。
そんな気がした。
■霊の祈り2になって、一か月と少し経ちました。
祈りをしていて、人間関係ですれ違ってしまう時の寂しさが、小さくなっています。
きっと、先祖への感謝や、祈りを唱えるときの幸福感で、満たされるからだと思います。最近、鎮守以外の神社へも、あいさつ程度に行きだしています。
その中で、八幡神社は、わたしにとって爽やかでした。
ですが、瀬織津姫命を祀っている神社に行ったら、帰りに、殺伐として攻撃的で寂しい心持ちになりました。
この祈りをしだして2か月間で、ここまで不幸な気持ちになったことはなかったので、これがカルマがある神社または地区なのかと実感できました。
そのネガティブで不幸な気持ちは、帰宅して先祖供養をしていると、スッキリしました・・・。
色々と考えどころです。
■一之宮の神社に、月に一度参拝しています。先月は、神社の鳥居と本殿の行き帰りに、植木職人さん達のパチパチというハサミの音と共に、近くの学校から吹奏楽部の演奏が聞こえてきました。
まるでファンファーレを聴いているようで、気恥ずかしく思いました。
今日も行きました。
駐車場から神社まで歩いたのですが、妙に足取りが軽く、急ぎ足になりました。
ゆっくり歩こうとしても急ぎ足になってしまいます。
こんな事は初めてです。
神社を出ると駐車場まで普通に歩いているのに気がつきました。
行きはあんなにいそいそとした足取りだったのに・・・不思議な体験でした。
■【祈りの進め方】
20日目までは午後3時ごろ、21日目は午前8時ごろ、鎮守の神社に通う。最初の2日間は祈りの一部を省略して、後は省略せずにする。神主さんは常駐していない。神社は掃除されているが、手を洗う水はボウフラが湧いているので、家で手を洗って行くようにした。【自分の霊的な感性は】
結論から言って、霊能力について自分が幼いと思ったのは、祈りの内容を形だけ言っている状態であること。今生のことならまだしも、前世のことは本当に分からない。本当に分かって心から祈れたなら、どんなに良いだろう。だけど、「ここは祈っといた方がいいよ」と経験者から言われて、分からないなりにやっている感じ。
そういう実感なしの想像力だけの祈りでも、何か自分に気付きがあった日には、涙が流れた。何の変哲もない日々だから自分の成長が遅いのは仕方ないと開き直るのは間違っていると思ったとき。私自身が人から酷いことをされた経験を思い出し、被害者の気持ちと祈りの必要性をありありと感じたとき。戦などで亡くなった方にも、今の私と同様に普通の日常があることを想ったとき。
そして祈りの20日目には、祈りの終わりに神様に意識を集中させるようにしたら、「ありがとう」と言われているような気がして、「こちらこそありがとう。神様の大切な方々が幸せになることを私も祈ります」と、泣きながら言っていたこと。ここまで本気で誰かに「ありがとう」を言ったのは、私の人生では珍しい。
ただ、この「神様の大切な方々が幸せになりますように」は、次の日に、また号泣できることを期待して念じたら、シーンと冷めた感じがした。考えられる理由は2つ。期待しすぎたから。もう1つは、主体性がなさすぎるから。神様の大切な方々っていうけど、じゃあ、自分の大切な人々は誰なの?本当に大切と思えるほど、小我を捨てて愛している人が、何人いるの?
【カルマ出し】
特別なことはなかった。というのが、肩こりやストレスや人間関係の苦手さは、今まで毎日少しずつ日常茶飯事にあったから。家の人達も、年中、色んな不調を抱えている。21日間もその延長だった。
ただ珍しいと思ったことは、参拝の間、私を含めて家の人が3人、同じ日にかすり傷を負ったことがあった。偶然かな・・・。
【少し怖かったこと】
21日間のうちに、子どもが深夜、鼻血をだしたとき、ずっと以前の鼻血の時ほど慌てない自分がいた。こういうのも小さいカルマ出しなのかな、と。しかし、その私の右耳元で「これで許されたと思うなよ」という怨念的な響きの声を感じた。神仏が言っているのではなくても、それは正論だろうと思った。だが義務感で脅されて祈るのは、しんどいとも思った。
翌日、私は『殺された人は人生がそこで終わるのだから、加害者は一生掛けて償いを繰りかえすのが筋なんだろうな』と心の中で思った。そうしたら即座に「そうだ」という声を、また右側のほうで感じた。
その日、参拝後、声は感じなくなった。
【役立ったこと】
これから会わなければならない人がマシンガントークの傾向があって、私の気持ちが滅入っている日の参拝。参拝に行く道でも、祈りの最中も、カラスの鳴き声が騒がしく、なかなか集中もできなかった。参拝のときにカラスが鳴いたのは、この日だけだった。
私は『きっとマシンガントークの人は、カラスのような存在なんだな』と思った。そうしたら、イライラするのも無駄だと割り切れた。
■神社参拝しました。
左足の親指の裏が痛かった。
神社は落ち着いた気分になれる所で、着いたときから気持ちよく。
参拝し、振り返り階段を降りるさいに [うけ賜ったぞ]という感じがしました。
この感じというのが、まだ確かなのかどうかわかりません。2日目
参拝後、[ちょっと待て、待て]という感じ。
今、思うとそこで会話するという発想が無かったので、帰って来てしまいました。
祈りの全文は1日目にしなかったので初めて読み、しんどいと思ってしまいました。
3日目は[ありがとう]っていう感じでした。
少し頭痛がしました。
暑い日々ですが、読んでると涼しい風が吹いていました。
6日目、行きは大雨でしたが、祈りのあとは青空が出てきました。
途中、体調のこともあり3日ほど休み。
その後、気持ちがざわざわした日があったり、近視の目が一瞬だけ良く見えたことに気がつきました。
また、曇り空から太陽がパーっとでたり、猫がいたり(犬、猫大好き)セミの鳴き声に感動した日がありました。
私の出身は田舎ですので、元々自然が好きでまた、動物に関しては人間より好きな方です。
年をとると共に皆そうでしょうね。
犬は3年前まで飼っていました。
何事もなく進み、その後一度、後ろに気配を感じた日がありました。
後で資料など読んできづいたのですが、参拝する事に必死でご先祖様のことを、思うということに欠けていました。
涙が出るということもありません。
私はスピリチュアルの方向で勉強していたので、自分に心地良くが中心にありました。
また、私が子供の頃から辛かったということは両親も辛く、ご先祖様も同じように辛い想いがあったのでしょうね。
それを、訴えていたのかも知れませんね。
■祈りのレベル1の資料にあった、「須佐之男命が教える・神との会話」をご参考に神棚で会話を試みてみました。
いつも参拝している鎮守の御祭神様にお選びし話しかけるようにしました。すると感動の涙、涙となったのですが、具体的に何を伝えられたいのかな…と暫くねばっていたら、かすかな念と共に、ペンジュラムのように上半身がゆらゆら揺れました。
それから数日、浮かんできた念に確認をしたければYESNO方式の質問で身体を揺らしてもらうといったコンタクトが続いています。
念は何となく感じていましたが、身体という形でここまではっきりと意思疎通をするのは初めてでした。
なので状況をご報告をしたいと思いました。
実は神棚での他にも図書館で、ユング心理学入門を読んでいる中でのこと、タイプの内容を読みながらふと閃いた瞬間がありまして。
「私って内向的思考型だと思ってたけど実は感覚型で、ただ今は上手に感覚を使えてないだけなの?」
と思った際に、ふっと意識が遠くなって首筋が伸ばされると前後に動いたことがありました。
あ?そうなんだ~!確か涙も沢山出たと思います。
普段はほいほい起こることではないので重要なことだったんだな、と思いました。
そして何故上手に感覚を使えてない状態になっているのかを掘り下げていくと、その後インナーチャイルドが原因だったと分かりました。社会人なりたての仕事でも人間関係でも右も左もわからなくて、周りに合わせられなくて苦労していた頃に、自分の感覚を封印して今の今まで思考”的”になろうと頑張っていた自分を、はっきり思い出してまた泣きました。イメージの中の自分は常に後ろを向いていて顔が見えない状態で、ここ数日かけて癒しの真っ最中です。
■霊の祈りの封筒が届きました。申し込みをさせていただく前に、1日躊躇していたときがありました。
私はメルカリをしていまして、最近、本がよく売れています。
ところが、一件スムーズにいかない、ものがありしばらくストップしました。
その時は、きづかなかったのですが、何気なく、霊の祈りを注文していました。
すると、何事もなかったかのように、メルカリがスムーズに進みました。
ああ、これか、と思いました。
その後、YouTubeで、神様がお知らせするような、内容の文章が目にとまり、納得しつつ、あー、この道なのかと改めて進む先がわかりました。
■先ほど鎮守の神社に参拝に行ってきたところ、男性の声で、「そなたは最近よく成長していてうれしく思うぞ」というようなことが伝わってきて、顔がくしゃっとなり、涙が溢れました。自分では成長してるか全くわからないので、こういった励ましは大変心強いです。
しかし、○○神社さまには引っ越してきてからまだ2年ちょっとしか経ってないのに3、4回程涙の参拝がありました。
祈り歴21年過ぎその間本当にたくさん引っ越しましたが、こういった鎮守様ははじめてです。
愛されてることをひしひしと感じます。
帰宅途中でもこの文章を書いてる今でも感涙の涙がにじみます。
ひょっとしたら思ってる以上にいろいろ進む土地かもしれないなぁと思いました。
■鎮守への参拝21日間、終了しました。この間、娘の検査入院がありましたが、トラブルもなく終わりました。
入院中、担当の先生とは別の先生の回診が、二回ありました。一回目の時は背が高く見えました。
二回目の時は背が低く見えたりして、同じ人でも随分見え方が、違うなあ・・・と思いました。
病院に行く時も、帰る時もトラブルがありませんでした。
検査入院の前に、一度診察に行ったのですが、その時はバスの乗り間違えなど、トラブルがあったのに・・・
参拝始めの時、一度涙が出ました。
その後暫くすると又涙がでました。
今度は感極まった感じでした。別に悲しくも無いのに・・・
参拝も中盤、マラソンでいうところの「折り返し地点」まで終えたとき、このまま何事もなく終わるのかな・・・少し気が緩みがちになりました。
でも次の日・・・
突然事件がおきました。
もちろんこれまでも小さなトラブルはありましたが、よくあることと見ていたのです。
けれど今回は息子がおこした事件です。
その影響は家族に及び・・・
親戚にも迷惑がかかるかもしれません。
以前にも同じ理由で起こしました。
浄化かな・・・不都合なことが起きると浄化のせいにしてしまうのもどうかと・・・
もし浄化であれば、汚れが洗い流されているということなので、いらぬ心配なのでしょうけど・・・
「ドラゴンアイズ」にも書かれていました。
神様にお任せするということ・・・
あと部屋にいた時、柱が軋む音が聞こえました。
最初は小さく次は大きな音でした。
17日、いつも通りに参拝しにいくと、4、5人の人が掃除していました。
時間をずらした方がいいかも・・・と思い帰りました。
そしてお昼頃、再び参拝しに行くと誰もいなかったのでいつも通り参拝しました。
たまに人に神社で会いますが、大勢の中で参拝するのはどうも苦手で、しかも「神社参拝の作法」持って行って神社で読んでいるので余計です。
参拝中は、木々がざわめき、風が突風の如く吹いていました。
帰り道足のふくらはぎ辺り押されているかのように、妙に足取りが軽く、家が見える所でその感覚は、無くなりました。
19日いつも通り参拝。
いつもなら車の走る音とか、鳥の声とかするのに一切の音がなく、まるで時が止まったような中、頭のなかで家族一人一人の顔思い描きました。
そしてお爺さん・・・
私の実家の母の父親の顔が浮かぶと、涙がでました。
悲しくもないのに・・・
20日で21日間が終わりましたが、ここからが始まり・・・という感じがしました。
■関係ないのかもしれないのですが、先祖供養を始めてから、何をしても取れなかった肩こりがこの頃楽になりました。
■今日はひさびさにドラゴンアイズを読む時間ができました。先生の記事、祈りを進められている皆様のおたよりや先生のコメント…どれを読んでもいろいろと勉強になります。
そして、育児をしながら祈りを進め、各地を参拝して、会報作成などのお仕事をされた先生に尊敬の念を抱いております。
バックナンバーを発行してくださるおかげで、当時それを知らなかった私が今学ぶことができる。そのことに感謝します。
ゆっくりペースですが、これからも学び続けたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
■もうすぐお彼岸ですよね。
今度、父方の家のお墓参りに初めて行こうと思うんです。
ご存知の通り、両親の仲が凄く悪くて私自身も少し父親にわだかまりを感じていたもので。
先祖供養で呼び出しはしても不思議とお墓参りには行きたいと思えなかったのです。
(もしかしてこれらも、先祖同士のカルマの一環だったのかもしれません)そして今お墓参りに行きたくなっていて…場所を確認するために父親にもアポ取りました。
それでなんだか嬉しくて涙が出そうになってしまうのですが、きっと誰かが喜んでくれてるのでしょうね~??
■会報は相変わらず楽しく読ませていただいてます。
たびたび源平合戦の話が出てくると、有名な合戦地が元々住んでた地元にあることもあって馴染み深く、ついふむふむと読んでしまいますね。
もし機会が来れば、合戦供養をさせていただくこともあるのかもしれないなぁなんて思います。
■引越し先の氏神さんを初めて見た時、「厳格」という雰囲気が印象的で、少し怖いなとすら感じました。
前の氏神神社は朱色の綺麗な建物だったのに対し、ある意味神社らしい(?)瓦と木の古めかしくちょっとボロボロな建物なので、それ自体はあまり珍しいことでもないだろうとは思うのですがもの凄くギャップがありました。御祭神は○○○○です。今調べてみたら、お墓といわれている所が中学まで暮らしていた住所と同じ町内にあるということに、とてもビックリしました。
というかワンコの行きつけの病院と近くてこの間ワンコと共にすぐ傍を歩きました…。
最初は怖いなと感じたけれど、全く歓迎されていないという訳ではないようで、初めての祈りの途中で涙が出ました。
それが安心感の生まれるきっかけで、それから今まで、祈りの回数を重ねるごとに通いやすく、祈りもしやすくなってきています。
初詣で引いてみたおみくじ、「よくここまで来たものだと思う」という文章が印象的でした。
色々あってようやく落ち着いて祈れるようになったこと、新生活を始めてしばらく経った私に、なんて優しいメッセージかと思いました。
■会報を読みたいときは相変わらず現実とリンクしているので、読むとスッキリしますね!
リンクし過ぎて、涙が出るほど感動してしまうこともあります。
■「ブログで、亡き作曲家さんがひかりさんとのカウンセリングで無事、成仏されたという内容を拝見しました。
そのやり取りに、本当に良かったなと心暖まるような穏やかな気持ちになりました。
それに礼儀正しい方なのでしょうか。
成仏後のやり取りでそのように感じました。また一つ、霊の世界について、理解が進んだような気がします。
供養といえば、こちらでも少し前、親戚が突然病気で亡くなり、遠方に住まれていて、お葬式を行うのが難しく、そのまま直葬になってしまった方がいました。
せめてこれだけでもと思い、ご先祖供養のときにその家と名前を呼んで祈りを唱えました。
直ぐに涙や鼻水も止まらないほどになってしまい、ちゃんと伝わったようで、力になれたようでなによりだと思いました。
成仏されたかな…だといいですが、確認するすべがないのが少しもどかしいです…^^;」
ご親戚の方の名前を呼んであげたのですね!
涙が流れたのでしたら、きっと成仏されていると思います。
「祈りの際、すぐに涙で溢れて、ものすごく感激されているように伝わってきたのが印象的で、今でも覚えています。
親戚の皆さんは、口々に「本当にいい人だった」と惜しそうに言います。
私とは記憶にある中では二度しか会ったことはありませんでした。
ですが就活について密かに落ち込んでいた頃、他の方の中で唯一前向きな言葉をかけてもらったことが、その後もその言葉を時々思い出すくらい、自分の糧になっていたと思います。
そんなことを、伝わって欲しいと思いつつ祈っていたら、さらにドバドバ涙が出てきて…本当に良かったと思います^^ お礼も一緒にお伝えしました。
やっぱりこの祈りの力は凄いですね。
ダイレクトに届くって感じなんですね~。」
これが霊感ですから、ご自身の感覚を信じてくださいね。
「そうなんですね~。
これが霊感だと、改めて言われますと嬉しいです!
自分の母方の先祖の方は、自分の実家で必ず毎回祈っているおかげか、他の家より反応がとても分かりやすくなっているように感じています。
親戚一同でお墓参りをしたとき、喜んでいるのを感じました。
亡くなられた親戚のお別れ会が済んだあとのことです。(両家のお墓が同じ土地にあります)
いつもの祈りで喜んでいる時と同じような感覚を感じました。
タイミング良く、祖母が「皆で参りに来たけんきっと喜んどるわ~」と言うので、「まさにそれ!」って思ってました(笑)
さらに、祈りは流石に時間が無く出来なかったのでご真言だけ唱えたのですが、唱え終わった直後にちょうど雲間から太陽が顔を出して明るくなりました。
これもご先祖さまか、先祖のご守護神仏さまか…喜んでくれているサインのように感じました。」
■今朝は、祈りの最後に祭神様に何か私に伝えたいことがあれば、そっとおしえてください。とお願いしてみました。なぜか感極まって涙がでそうになりました。
これがメッセージなのかなと思っています。
※「そっと」というのが、いいメッセージの証拠であることが多いと思います。
良かったですね。
■境内の中は手入れされているのですが、参道の階段は虫が多く、蟻やダンゴムシを踏まないようにと、下ばかり向いていたら蜘蛛が上から垂れ下がってきていて、驚きました。
蜘蛛が上から下がってきたのは最初の日だけで、参拝を重ねるにつれて、多かった虫も少しずつ減ってきたような気がしました。霊の祈りを始めた初日、涙は出ないのですが、心が泣いた後のような圧迫感のようなものを感じました。
4日目から3日間、強い眩暈を感じました。
眩暈は横になっている時が特に強く、身体と中身がずれているような感覚でした。
この感覚はアゼツライトなど強いパワーストーンを身に着けた時の感覚によく似ていました。
大抵は朝7時頃に参拝していました。
暑い日が多かったですが、とても涼しい日であっても祈りを終えると汗がしたたり落ちるくらいになります。
これは文言を長く唱えるからでしょうか。
結局、一度も涙が出ることはありませんでした。
また、須佐之男命が教える神との会話も試してみましたが、やはり、よくわかりませんでした。
ただ、時々胸に圧迫感のようなものを感じることはありました。
先日、実家の近くの神社に行きました。
実家にいた頃、その神社を通って通勤していたこともあり、その時はあまり感じなかったのですが、境内に入ると空気が変わりとても優しい雰囲気がして涙が出ました。
お参りすると頭の上から引っ張られるような感じがしました。
これは関係ないのかもしれませんが、夜『ポケットの中のダイヤモンド』という本を読んでから眠ろうとしたとき、突然、私は自分が無価値だと思っている、と突然思いました。
子供の頃、そう思う事でいろんな不条理なことに対して仕方がないと自分を納得させてきた、ということを思い出しました。
そのとたん、大袈裟に言えば世界が変わったような感じがしました。
■会報バックナンバーは、前巻も大変参考になりました。
読むのが楽しくなってきて、読み進めるスピードが段々と早くなってきています。スピリチュアルや神仏について、段々と理解が深まっていくようであり、これからももっともっと好きになっていくのだろうなという予感もあり、これらは自分の成長の証でのようであり、とても嬉しいことです。
■祈りの方も順調かなと思います。一時期、鎮守参拝や先祖供養を億劫に思う時期もありましたし、霊障で車関係の…あまり笑えないトラブルなんかもありましたが、それらが過ぎ去ると、今では当たり前のように予定に組み込んでいて、ちゃんと進歩しているのだなあ~と感慨深く思います。
自分の内面や現実面がすっきりしていっている感覚もあり、振り返ってみて、「あ、浄化されてたんだ~!」なんて思うこともあります。
進歩は浄化あっての…。
だから逆かな?笑
■祈ららさんの石や、祈り、スピリチュアルレッスン等々のおかげで精神面、現実面において様々な変化が起きており、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
■祈りを始めてから人間関係のトラブルが多々ありました。
職場の内部では上司から後輩に気をつかうことを求められ面倒ごとは押し付けられるという扱いを受けました。他にも細かなトラブルはいろいろありました。
職場の外部(お客様対応)では理不尽な要求を押し付けてくるお客様の対応をしなければならなくなりました。その他には、近所の人が坂の上から下の道に落ちるところを目撃したりしました(幸い大事には至らなかったのですが、見かけたときは非常に焦りました)。
私は幼少期から人間関係に課題を感じることが多々ありました。
そして、人間関係がうまくいかずにもがく中で自らが生み出してしまったカルマもあると認識しています。
そのあたりのことが表面化してきているのかなと感じました。
そのような毎日でしたが、鎮守へ行くときは非常に気持ちよく感じられました。
また、鎮守の空気は澄んでいるようにも感じられました。
そして、祈り続ける中で状況が改善したこともありましたし、状況は改善しなくても自分の捉え方が変化して当初ほどは苦に感じなくなったこともあり、祈り始めてから21日を迎える頃には落ちついて過ごすことができるようになりました。
祈り始める前は不安で仕方がありませんでした。
しかし、祈りを続けていく中で祈ららの祈りに出会うことができてほんとうに良かったと思う気持ちが強くなりました。
これからも自分としっかり向き合いながら祈りを進めていくことができればと思っています。
■ドラゴンアイズは、何か悩んでいる時にふと読みたくなってきて、読んでみるとそれにまつわる答えのような内容が出てきます。
いつも順番通りに読み進めているだけなのに、不思議ですね~。驚きますが、ありがたいです。とくにQ&Aからの私と同じ読者の方々が書かれた内容は、誰にも相談出来ないと思った状況のとき、同じように悩んでいる人がいるんだ…と分かっただけでも安心できます。
それにしても、これらが10年以上前の内容だなんて…これまた驚きです。
■1日目は作法通りに一通り行い、2日目に行きたくないような気持ちを感じたのでご挨拶だけにして一週間、その後再開して21日連続参拝いたしました。その間に必要性を感じてスピリチュアルレッスンも開始したので、安定を保ちながら出来たようです。
今の私が受け取れる、受け取るべき浄化があったと感じています。
浄化と受け取ったせいか、嫌な事というよりも気づきになりました。
気づきが学びの一種だとしたら、本当の意味で学べる事は自身を緩めて広がりを持たせてくれるものだなと思います。
15日目に共依存の母から電話がありました。
前回の電話で現在の状況(仕事も辞めて自宅療養みたいな状態)を初めて伝えておりました。
『どんな生活をしているのか見に行く』と言うので断りました。
心配という名のもとに砦を壊されたくないのです。
大袈裟でなく、来られたら死んでしまう気持ちでした。
そして、自分がこんな状態なのに心のどこかで母も助けなければと思い詰めていましたが、喚き散らすのを聞いて『これが母の限界なんだ』と分かり、私自身が『こうあって欲しい』という執着にがんじがらめになっていたなと改めて気づきました。
悲しいですが、母がそうある自由を認めなくてはならないのだと。
気づいて手放したはずの執着がすぐに舞い戻ってくることも感じ、依存はずっと気をつけねばならないもののようです。
他者との関係性とは別に、私個人に起こった癒しがあります。
数年前から両踝の皮膚炎症でかゆみがあり、ステロイド軟膏を使用していました。
塗れば収まりますが、止めれば戻るの状態。引っ越しを機に薬がなくなったままになり、昨夏頃に範囲も部位も拡大しました。
皮膚状態とメンタルは関係性が高いと思いますし、皮膚科に行く気にならず増悪に甘んじていました。
それが霊の祈り1の21日間が終了し、次の日から軽快してきています!
凄いことなのに、驚きよりもやはり、、といった気持ちなのですが。
今日で5日目、少し戻ったりしながらも明らかに良くなってきています。
気のせいではないです。
祈りの力のすごさを感じるとともに、かつて般若心経をただ自宅で唱えたことにも少しは意味はあったのだろうか?いややはり内面の問題を意識しながら、きめ細かく見つめるからこそ効果があるのだろう、など考えます。
これからも祈りを続け、さらに自分自身との一体感を増し、神仏との繋がりを強め、
そのことが様々な供養となればいいなと願っています。
■なにか自分に至らないところがあるのか、とにかく私まだまだだなーと半ば落ち込み気味で鎮守で祈っていたら思いがあとからとめどなく流れて涙、涙…となることもありました。
鎮守さんがとても優しいです…。霊障で車関係のトラブルも経験したり、そして最近とにかく忘れ物が酷かったです。
鎮守参拝を終えると「トラブルは今までの私になにかを気づかせたかったのだな」と思いました。
最近の私は、特に人に対してイライラすることが多くて、人のせいにしてはいけないと戒めても出来ないことが多くて、それは浄化すべきことの一つだったのかもしれまん。
一通りネガティブな出来事を経験すると、ゆっくり今までの怒りを手放していきます。
私は周囲の人に対してちょっと傲慢だったな、謙虚さってやつが足りなかったんだな、と心から思いました。
このような思いに至ったのが奇しくも平成最後の日だったので、私にとっての節目にあたる出来事だったんだなあと今までを受け入れられた気がします。
■私の鎮守は天照様がご祭神なのですが、毎日参拝してると天照様が私と手をつないでくれたりニコニコ微笑んでくださったりするのが思い浮かんでいます。昨日の参拝ではハグしてくれたのが思い浮かんで、神社の境内中の帰り道で、「天照様は憧れの女性だよなぁ。頭がよくておきれいで優しくて」と心から思った時、顔がくしゃっとなって涙が一粒、二粒でてきました。
最近、もっと世のため人のためになりたいと思いはじめて、天照様はそういった意味でも私のリーダーだなぁって思っていた時でもありました。
顔がくしゃっとなった瞬間はかなりすごい顔をしていたと思います(笑)
天照様と少しよい関係が築けてきたかなと思います。
このことを夜お仏壇で先祖供養の最後に報告したら、「良かった。」と思い浮かびまた涙が少し浮かびました。
■1日目は説明書の通りやってみました。
この状態になってから食事を作ることが苦痛で、生きる最低限何か食べることしか出来なかったのに。
不思議。
簡単なメニューではあっても当たり前のように作るように。何か自然に、心身に軸が入ったような感じです。
2日目、起きた時なんとなく行きたくないような気配を自分に感じました。
なので、祈りはせずご挨拶だけするようにしました。
それでも3日目の今日もいい感じで過ごしています。
自分に優しく、ってこういうことかなと思いました。
以前は良いと言われることは自分の反応はまるで無視してやっていました。
良いんだからやるべきでしょ、と。
自分に残酷なことばかりしてきました。
ちゃんと見て聞いてあげることですね。
『やろう』と思う気持ちは聞き入れているわけですから、満足です。
神社への参拝も、人によっては難しいものだなとも感じています。
私はきっとカルマが重い人間なので、今まであっちこっちとお参りしていたのも無理な浄化になっていたのかもしれないと今になってゾッとしております。
道すがら近所の掲示板に貼られていた、幼児施設の給食づくりのお手伝いアルバイトが目にとまりました。
『こういうところから始めさせてもらおうかな』と思った自分に驚きました。
仕事をするということがとても遠く、とてつもない準備が必要で、しかもその努力をする元気がまるでなかったのに。
恐れがあまりなくなったようです。
あまりにも当たり前のように変化していくようです。
驚いていますが、今までが異常だったから何もまともに進まなかっただけかもしれませんね。
祈ららさんの提供されることは、すべて、私には効果がはっきり感じられます。
こういうことってあまりない経験です。
ふらーとブログに辿り着き、あまりにもまともで、あまりにも自然に心に入ってきました。
はじめて入る考えのはずなのに、もうそれがはじめからあったように。
上から教えをさずけられたのではなく、横から手渡していただいた感覚です。
今までヒーリングって本当なの?と思っていましたし、石って何も感じなかったのですが。
実感しています!
自分で感じて考えながらやっていきたいなと思えているのがとてもうれしいです。
■霊の祈りレベル1で、確か初日にお参りさせていただく時、音楽を聴きながら神社に向かっていたのですが涙が出るような感動を音とともに感じました。
感極まるという感じでした。
21日間の最初の頃、神社で祈りをしていると鳥たちのさえずりが強くなったのを憶えております。21日間いろいろな反応をいただきました。
神社でお祈り中、ピシッと右頬に痛みが走りました。
また、神社ではないですが車の運転中に左足の付け根に痛みが2回走りました。
それから、心臓にズキンとした痛みが2回ありました、その内1回は治療のため人の身体に触れた瞬間でした。
16日目までは連続でお参りすることができたのですが、神経痛みたいなものが顔や頭に出始め、頭も重く、だるさが出てやる気がなくなり家で寝てばかりで過ごしておりました。
8日間お休みをさせていただき、大分回復したのでお参りを再開させていただきました。
18日目の時夜に神社に行ったのですが、祈りを捧げていたら、静けさの中で鳥が鳴きました。
19日目の時はもっとびっくりしたことが起きました。
夜にお参りさせていただいたのですが、境内に白い仙人みたいな猫がいました、
眼も赤くて、ちょっと気味が悪かったのですが、その猫も少しびっくりしたようですがとっさに逃げることもなく僕がお祈りをするまでじっと見つめてから静かに立ち去りました。
祈りを捧げている時は烏が鳴き始め、ひょんなことから影を見たら、自分の頭の所に霊気みたいなものが流されていたように見えました。
また、雨が結構降っていたのですが、祈りの終了とともに止みました。
あれっ、雨が止んでいると不思議に思いました。
20日目神社に行く前に桜を鑑賞していたのですが、鳥たちが多く集まってきました。
鳥たちに大分近づくことができるようになったのかなぁと思いました。(数年前霊格の高い方と街中を歩くことをご一緒させていただいた時、鳥たちが桜の枝を飛び回り、桜の花を下に落とすような幻想的な風景を見ました。)
20日目に気が付いたことなのですが、イヤホンで音楽を聴いているとたまに右耳に電気が走るような痛みがあり、カルマによる浄化なのかなと思っております。
21日目の時神社に向かう時鳥たちのさえずりがとても美しく、鳥居に入る前に10羽ぐらいの鳥たちが大空を飛び立っていきました。
鳥のさえずりは小さくなって静かになっていきしばらく祈っていたのですが、今日はあまり反応がないのかなぁと思って祈りを終了して帰ろうとした時に、一か月前に一度お会いしたことのある人にばたりと会いました。
相手の方も非常にびっくりされていました。
やはり人は見えない何かご縁と呼ばれるもので繋がっているのだと思いました。
祈りの内容は最初怖いという感じがありましたが、生きている時にこの内容で祈ることができるというのはとてもありがたいことなのだと思いました。
■霊の祈り3に取り組んでおりますが、先日日蓮宗のお寺で涙がひとすじ流れました。
泣く気持ちなど全くなかったので驚きました。
ただ涙が流れてくることがある、と皆さんが祈りの感想で書かれていたことはこれかなと実感致しました。これからの各所参拝もただ感じるままに周ってみようと思いました。
■霊の祈りレベル1で感じたことや、出来事を書いていきます。
参拝1回目の前後は不安と恐怖が少しありました。
「何かがガラリと変わってしまう」という変化への恐怖と、頼まれてもいないのに勝手にやっていることでその浄化作用のトラブルで、家族に迷惑をかけてしまうかもと思ったからです。その日の夜、前歯がボロボロ抜ける夢を見ました。
後で調べて見ると、身内に不幸が起きる予兆と出てきました。
半ば信じきれない心もありましたが、なにかが起きるということしか分からないから対策の仕様がないこと、一方で「ああー…やっぱり起こってしまうのかー…」という予感、「むしろ夢で知らせてくれたんだな」と少し嬉しい気持ち、自分の不安が具現化した=自分の気持ちを代弁してもらったかのような気がして少し肩の力が抜けたような気持ち……等々いっぺんにそのような感想を抱きました。
週末に事は起こりました。
母が重い胃腸炎で夜中に倒れ、救急車で運ばれたのです。
後で聞いたことですが、母の職場で流行っているものだったそうです。
付き添っていたのでその間中色々と大変だったのですが、終わってみれば我ながら笑ってしまうくらいあっさり事を捉えていて、それからは行けそうな週からほぼ毎日参拝できました。
4、5回目あたりのとき、祈りの途中で急に楽しくなってきて、ルンルンしながら祈りの言葉や挨拶を唱えていました。
非常にスッキリとして祈りを終え、その日に見た夢は龍雲の夢でした。
人の形をした男性のような人物(モヤッとしてて姿がはっきりしないけど、穏やかそ~な、そして私から見て目上っぽい偉い人)が、「思うがままをあげよう(欲しいものをあげよう的なニュアンス)」みたいなことを言いました。
そしたら濃い青い空に縦に長く伸びてこちらを見下ろす綺麗な龍雲が!
そのあと場面は移り変わり「ん」のように身体をくねらせてはっきり龍とわかる雲が!
龍雲を写真におさめたいなーと現実で思っていた私は大歓喜してました。
そのあとその龍雲が姿を変え、地上へ降りてきたと思ったら龍の銅像になったりとこのあたりから不思議さが増し、意味もわからなくなってきたので省きますが、目が覚めるとすっきりとしていて、1日を気持ちよく過ごすことが出来たのです。
さて「8」という数字は龍を象徴する数字であると聞いたことがあります。
その夢を見たあとから時々、現実で8のゾロ目や龍の絵や造形物をたまに見かけるようになったかなと思います。
印象的だったのが、つい昨日、祖母が何故かアルバムを出してきていて、その中に8年前の8月8日に撮った写真に龍の天井画がありました。
ちなみに身延山久遠寺のものです。びっくりです。
その他神社の外であった出来事では、
*何故か歌を歌うのが上手くなっていた。自分の肩身を狭くしていたと思われる固定観念がいつの間にか消えていて自分らしく歌うのが良いと思うようになっていた。(地味に嬉しい出来事でした)
*祈りが進んでいくと、ネガティブな気持ちに支配され続けることがさらに減った。
*職場の方との会話の中で、言われた言葉が強風のようになって煽られ、噛み合わないことにストレスを感じると、うっかり当たってしまったことがあります…。
*すぐ立ち直ることは出来るけれど感情が不安定になることも。
*一瞬だけの強めの頭痛が時々起こる。
*(↑補足)ふとしたときに狙ったようなタイミングで起こる。
・職場で神社についての話が始まった時、「こういう神社があったよ。行かないの」というふうに話を振られたので振り向いた(意識を向けた)瞬間に頭痛。
・怒りについて考えていた時。
私は怒ろうとする直前に気づきが起こるので怒るに怒れなくなって、それでフラストレーションを溜めてしまうこともあったのですが、「叶うなら怒りたい時に怒りたかったよね」と、もちろん今の自分の本音ではなくその時の自分はそうだったよね~というニュアンスですが、「」のことを思った瞬間に頭痛。
・等々…。他にも覚えてないですが、図ったようなタイミングで主に側頭部に刺すような一瞬の頭痛が増えました。
・「やめて」って言われている気がして、これも祈りの効果?なのでしょうか。
*祈りを終えて帰り、祖母宅にいるワンコを撫でていると遅れてきたように胸がジーンとしてきて、気がついたら涙が出ていました。
神社内での出来事や感じたこと
*神社の建物や紙垂が「ピシッパシッ」や「カサカサ」とよく鳴り、それが同時に人の気配に似ているので、後ろが気になって仕方ない。
*祈りの最中に本当に人が来ると、恥ずかしい気持ちが少しあるので静かに端に寄るのですが^^;
この鎮守さんは、前からそうで、いつも綺麗にされて枯山水なども整われていて、色々な人に本当に好かれているんだなと微笑ましく思ってしまいます。
夜は遠くから見ると結構な暗さで雰囲気があるのですが、本殿にお賽銭箱周りを照らすライトがついているので、最近は夕方なら多少暗くても行きやすくなりました。
祈りの16回目、祈り終えたあとに鎮守さんに断って、この街の総鎮守にあたる神社へ、だいぶ前に祈願した事柄が成就したのでお礼参りに参拝しました。
鎮守さんには祈りのことも話すと思いますと伝えました。
まだ祈りの途中だからルール違反ではないかと思ったのですが、この神社は祈ららさんに出会う前からも私の大好きな神社で、どうしても行きたいと思ったのでした。
祈りを唱えていると、わあっと涙が溢れだしました。
「よう来た」「久しぶりだな」と歓迎されているみたいで、ご無沙汰だったこともあって感無量でした。
私も来れて嬉しいよー!
就活中、悩んでいたときによく来ていた神社で、今回も祈りのことと、近況報告のようなことも話しました。
そしていつものごとくおみくじを引いたら「8」の大吉でした。
そしてそのときの私の状況に沿うようなメッセージでした。
ありがたいことです。
以前から思っていましたが、こんなに良くしてもらっていいのだろうかと思うぐらいの待遇です。
そして21回目です。
初めの頃の緊張していた頃を懐かしく思いながら、祈りの言葉を唱えているとちょっぴり泣きそうになりました。
この日と最初の日だけ祈りを長く唱えて、何事もなく終了しました。
本当に何事もなかったので、「あれ?今日ほんとうに21回目?」とか「祈りの最中の雑念がまずかったのかな」と少々不安になりました。
しかし、祈ららさんに出会う前、初めてこの鎮守さんに参拝したときの好きだなと思う気持ちを思い出してみると、私の好意の形が、感覚が、総鎮守さんに対するものへと近くなっているのを感じました。
鎮守さんと総鎮守さんは自分のお父さんとお母さんのようなもの、と聞きましたが、まさにそうですね。
これからも鎮守参拝を続けようと思います。
■まずは手探りで始めた霊の祈りでしたが、レベル1を終わると、家族の骨折などのカタチの状態での浄化が現れたように思います。
それがレベル2を始めるころには、肉親の金銭問題などが現れてきました。
進むほどに心のこと、微妙な違いに浄化が現れてくるように思いました。先祖供養は最初はとてもしんどく、お経を読み終わるまでに相当な時間がかかりました。
また、眠気も強く、祈り終わって仏壇の前で寝てしまうこともありました。
その後の神棚での祈りが救いでした。
しばらくはわからぬまま祈りを続けました。
祈りと前後して、共依存という心理的アプローチからも自分を知るようになっていました。
自分の祈りを続けるほどに、だんだんと苦しく感じることが多くなりました。
親の未熟さ、そして、いかに自分が愛されたがりで、他人に依存しているかが見えてきました。
そして、自分を否定する言葉から、「条件付きの愛」に気づきました。
条件付きの愛がいかに献身的に自分が自分を愛せることを知らせるものでした。
それからは、だんだんと祈りの反応が感じられるようになり、自然の見え方が変わり、また世間には古い価値観がはびこっていて、常識というものがどれほど人を縛っているかということがわかりました。
自分の感情や感覚も微細に感じるようになり、向き合うことが日常化していくたびに、怒りや不安、恐怖が見え、それが自分に、また世界に映されている気がしました。
世界が自分の反映だと考えるようになりました。
今はそのどんどん見えてくる自分に驚きながら、時として迷いながら進んでいます。
気づくべき反応はますます微細になり、ごまかせなくなってきた自分も感じます。
どれだけ行動できるかを問われているようで、そこに力を抜いて任せて生きたい自分と、それをコントロールしようとしている自分も感じています。
これらはスピリチュアルレッスンを併用して、やっと気づけたことで、本当に気づく前は苦しくて仕方なかったです。
しかし気づいたあとはとても世界が新しく美しく見え、自分の中に喜びが湧いてきました。
気づいた後、あまりにも自分の価値観と周りの価値観が違っていくのが見え、悲しく思ったり、苦しく思ったりして定着に時間がかかりました。
霊の祈り2は祈り始めてから約1年半かかりましたが、最初の1年の倍、最後の半年で気づいたように思いました。
そして、これからそのサイクルはどんどん早く、どんどん細かくなるのかもしれません。
そこにどれだけ真剣に向き合えるか少し怖くはありますが、進んでみたいと思っています。
「」部分は私の手帳などに書かれていたところを抜粋しています。
1ヶ月目 霊の祈り1をスタート。
週5日鎮守に祈り始める。
アダルトチルドレンだと気づき、インナーチャイルドワークを探していました。
偶然、祈ららと出会い、先生にインナーチャイルドワークをお願いしました。
「私にはインナーチャイルドがいる。
重い重い子。
この子が安まることを望んでいる。
私に気づいて!私を幸せにしてって。
インナーチャイルドの重さは、カルマの重さなんだって。
私きっとカルマが相当あるんだろうな。
落ち込んだ。
でもね、だから今私はここにいるの。
私は自分で認めてなかったけど、『虐待』されてた。
身体がキューっと縮こまる感じがする。
でもそれが事実。
上の子がこれに気づかせてくれた。
家業とこの地が私のカルマに気づかせてくれた。
これを感じるためにここにきたんだ。
こんな精緻な装置なかなか作れないよね~、すごいバランスだよね~。
私がこれを突破できたら、この現実も劇的に変わるのだろう。
それは感じる。」
インナーチャイルドが重いということを少なからずショックに思っていました。
子供によってこれに気づけたことに感謝しつつ、主人の地元を重く感じていた。
しかし一方でこの祈りをやってみたいとも思っていました。
ほぼ同時期に心理学の講座で、共依存のオンライン学習をスタート。
まずは時間とストロークについて学びました。
心理学の共依存のオンライン学習もスタート。
今回は、時間と自分に対して学ぶ。
2ヶ月目 霊の祈り1を終える。
それからすぐに資料を請求したものの、全く読めず過ごす。
その間も鎮守参拝は週2~3日で続ける。
3ヶ月目 親が骨折。
上の子が骨折その間も鎮守参拝は週2~3で続ける。
4ヶ月目 霊の祈り2の内容を準備するために、先生にアフターフォローをお願いする。
御本尊を買い求めたり、位牌を用意したり、神棚を用意したりする。
心理学のオンライン学習「共依存」について学ぶ。
5ヶ月目 肉親の金銭問題の相談。
可能な限りで援助する。
御魂入れをお願いする。
「自分って、まさに共依存じゃない?そういう名前なんだ。
しらなかった。
そんな風になっている人が世の中にこんなにいることもしらなかった。
それで普通だと思ってた。
もっと学ばないと!もっと知らないと。」
天然石リーディングもお願いする。
「自分の今までを知り、これからを責任を持って決めていきたい。
内的な成長にある程度期間集中したい。
お金についても学びたい」
6ヶ月目 霊の祈り2をスタート。
月25日祈る。
先祖供養をするだけで、1時間以上かかった。
途中眠くなり、頭痛もあり、いつも四苦八苦。
先祖供養のあと神棚での祈りをするのが楽しみだった。
祝詞はとてもたどたどしく、全く文章になっていなかったけど、1か月終わる頃にはスラスラ読めた。
毎日やりたかったが、週末は子供が騒いでできない。
週5日~6日というところ。
心理学の対面ワークショップを受ける。
「境界線」「インナーチャイルドワーク」
どちらもきちんと認識したのは初めての事でした。
自分がいかに境界線を破られてきたか、踏みにじってきたかよくわかったけれど、ショックも受けました。
そして、インナーチャイルドワークは泣いてばかりで疲れました。
お墓参りも始めます。
主人の父方のお墓。
「お墓にいく方が存在を近くに感じる。」
7ヶ月目 月20日祈る。
鎮守は週3~4日。
「なれてきた。
お経もよみやすくなってきた。
○○経はもう覚えたから○○経で祈りたいけど、でも□□経の方がいいみたい。
すごく眠くなる。
ほぼ週6日。」
「肉親のことを振り返った。
私は愛じゃなかったのかな。
自分の恐れから行動してしまったのかな。」
「昨日の朝はモーレツな怒りがあった。
結局怒りってなんだろう。
どういう役にたつんだろう。
私が何に怒っているか、書いたら、肉親には愛を伝えられたよ。
あの子の問題はあの子のもの。
私の問題は私のもの。
私は自分の問題に対応していこうって思った」
「先祖供養は、最初は肉親の金銭問題への助けになればと思った。
しかし、祈りを続けていくと、これは、肉親自身のカルマというか、問題で、私が何をしても助けられないことだと感じた。
また、肉親を助けてもらいたいという願いを願うことは、違うなと感じた」
「この結婚は、私にとってどんな意味があった?それは…私はインナーチャイルドを助けたかった。
子供を持ちたかった。
考える時間とお金を得たかった。
今までの過去を捨て、新しい自分になりたかった。
安心を得たかった。
そんなところ?今、こんな風に十分に自分と対話する時間が持てた。
それには感謝生活に不自由もない。
あと、子供ももてた。
でも、まだインナーチャイルドは助けられず、子供たちにも八つ当たりしている。
怒りに翻弄されて、自分を見失う。
過去を捨てて、新しい自分になったつもりでも、過去は容赦なく私を襲ってきて復讐し、過去の繰り返しばかりになっている。
安心は相手に求めるものではないと気づいた。
相手が安心をくれる訳ではない。
私が私に与えるものだ。
でもまだ全然そこまで行ってない。」
自分を振り返るということをしはじめました。
肉親の事で、スピリチュアル問答をお願いする。
お墓参りにいく。
相変わらずいい。
雑草を抜いて周りを綺麗にした。
8ヶ月目 月10日祈る。
全然思うように祈れず。
なぜか間隔が大きく空いてしまった。
母の実家の墓参りにいく。
「母の家は○○家といい、○○○○の子孫だという。
ほんとだろうか?父、母の言動が異常に目につく。
母は父の愚痴をひたすらに聞いてもらいたがる。
無視して子供たちと早めに寝る」
両親の親離れの出来なさを感じ、同時に自分の親離れの出来なさを見せつけられた感がして、ぐったり疲れました。
「父も母も誰かに幸せを求めてる。
誰かが自分を幸せにしてくれるはずだったのに、なんで誰も幸せにしてくれんのん?もっと認めて!もっと褒めて!もっと気持ちよくさせて!ってそればっかり。
そんな『だれか』はおらんのですよ。
だれもいないのですよ。
自分以外に」
「上の子がラーメン屋さんで水をこぼして、怒った。
あの子に罪悪感を植え付けた。
そしたら、上の子が下の子の前に足をだして、わざとひっかけた。
それをみて私はカッとなった。
怒り狂っていた。
あんな意地悪をするなんて!もう、今日は一人で寝かせてやろうと考えてた。
でも、家に帰る途中にそれって、私の意地悪じゃないの?って気づいて。
上の子は私の中の意地悪な気持ちを代弁してくれているだけ。
この先には何があるんだろう。
私の憎悪だ。
私を苦しめたものよ、もっと苦しめ!って思っている。
父に、母に、兄弟に、人に、夫に、義父母に、子供に…。
なんて醜い私。
でもそれが私。
見ないふりをしてきたけれど、これを超えないと自分はこれ以上進めない気がする。
どうしたらいいんだろう」
今ふりかえると、いろんな浄化が起こっていたんだと思います。
祈る気になれず、10日ほどしか祈れませんでした。
お墓参りに行けないままでした。
9ヶ月目 月20日祈る。
鎮守4~5日
やはり眠気が強い。
神棚ではスラスラと祈りの文をあげられるようになった。
やっといつものペースで祈ることができるようになりました。
不思議な幸せ感を感じる時もでてくる。
「スピリチュアル問答になかなか答えられず…。
それは本心か?褒められる言葉をさがしているのでは?と思う自分がいる」
心理学の対面ワークショップを受ける。
「時間」「インナーチャイルドワークショップ」
「時間に関しては、目かうろこ。
本当に向き合えている時間の少なさ。
自分の将来へのトライに当てている時間の少なさ。
本当はもっとあると思ってた。
でも実際はほとんど時間が取れていない。
継続するのも苦手だ。
もっともっと集中させなくては。
インナーチャイルドワークショップではなぜか違和感を覚える。
なぜか安全に嘆けなかった。
これは、私のなにが引っかかったのだろう?」
月末にお墓参り。
「お墓参りにやっといけた。
お盆のお花がたくさんあって汚れていたけれど、きれいにした。」
10ヶ月目 月20日祈る。
鎮守参拝は4~5日。
「離婚ばかり考える。
このルーズでどうしようもない夫と同等の人間なのかと思うと、自分に幻滅する。
そして家業。
めんどくさい。
みんなが周りを伺っていて、文句ばかりの組織。
そんなものに縛られている自分がイヤだ。
義家族、これも関わりたくない。
自分たちのルールを構わず押し付けてくる。
人のことを人として見てない。
軽んじてる。
こんな低レベルな人たちと付き合いたくない!そしてこの地域。
なんなの?みんなうわべばかりで本音を言わず、固執するくせにかっこつけて!そんなところに縛られている自分がイヤだ!」
日記に自分がモヤモヤしたことをそのまま書きなぐっていました。
共依存について、大学の心理学相談室でカウンセリングを受け始める(月1回 今も続いてます。)
スピリチュアルレッスンをスタート。
「思いがけなくイメージができて嬉しい。
こんな風にスタートするものだとは思わなかった。
スピリチュアル問答よりやりやすい。
問答は考えて考えて、考えてもうこれ以上考えられないって思うとやっと答えにたどり着く感じ。
レッスンは、ふと意外なところから言葉が聞ける感じ。
あれがハイヤーセルフというもの?イメージの方が感覚がつかみやすい」
お墓参りにいく。
慣れてきました。
11ヶ月目 月25日祈る。
鎮守は週4日ほど。
「私の中に反抗心がある。
私は成長がとまってる。
多分9~10歳ぐらい。
義家族にも、子供にもあたる。
上の子が上機嫌だからと言って、何もかも忘れたわけじゃない。
何も感じてないわけじゃない。
気持ちと感受性、態度を一緒にしない。
きっと上の子は今寂しさを感じているんだろうな。
失敗すること、覚悟を決めること、謝ること、その時に肚に何ももたないこと。
それが大事。
勇気ってなに?どうやったらもてるの?」
「機能不全家族って、私の実家じゃん。
我が家には、『否認も、孤立も、硬直性も、自己否定・恥辱感』全部あったよ。
私は自分は誰にも顧みられない、ちっぽけな存在だと感じているし、自分は変わってる、恥ずかしい存在だし、自分がどう感じているかわからないし、人を信頼できず、いつでも人を切れるようにしているし、子供なのにいろんなことを押し付けられてきたし、今それを子供たちに押し付けている。
泣きたい。
そして誰とも繋がれない。
それを自分の勇気のなさだと感じていて、子供な自分、弱い自分をダメだと思っている。
それが正直なところ」
「今日気づいたのは、人は放っておくとネガティブに考えてしまうんじゃない。
そういう刺激ばかりの世界に作り変えらえてしまったのだ。
『嫌なことのおかげで、まだ傷ついたり、まだ怒ったりする、自分の課題が引き出されるわけです。
そこで自分の内側(心理)を見つめるという流れにならないと行けない。
この苦しみは一体、自分のなにから起こっているのだろうと自分を見つめ、心理と向き合うことです』(どこかのブログからの抜粋です)そうだよね。
それが神の道。
荒野ではないけれど、何もかもが冴え冴えとしていて、どんなごまかしも効かない世界。
その世界を生きる。
ユーモアをもって。
この世の闇に飲み込まれないで生きるのだ。
どうか神様、私が目をそらさずにいられるよう見守ってください。
私が変えられるものを変えていく勇気をもてるように。
自分と向き合っていられるように。
いつもユーモアを忘れないように。
導きをお願いします。
歩いていけるように…。」
「今はひたすらに対話して、いろいろ感じることが大事。
自分が自分に思っている制限がかなりある。
私はなりたい私に値しないとか、もし夢が叶っちゃったらどうしようとかそんなことばかり考えてる。
本当は。」
「心がざわざわする。
これはなんだ?従業員さんに適当なこと言っちゃったんだよね。
自分を明け渡してしまった気がするんだ。
本当は感じているのに、どうして感じていないふりするの?あの従業員さん、俺たちが働いてやってるから経営者が食えるんだろ?っていう態度だった。
そうやって、自分のやり方を押し付けてきた。
付き合えない。
イヤな感じがする。
何より一番イヤなのは、『俺はすごいだろ、自分を大切に扱っていると感じさせて欲しい』と他人に求めるところだ。
あ~イヤだ。
イヤだ。
でもこれに反応するということは私の中にそういうエゴがあるということ。
そこをしっかりと見つめよう。
で、自分が貫けないのは、どうして?自分を無価値だと思う思い込みがあって、自分を蔑むようなことをしてしまうの。
自分で自分を試そうとしている。
他人を試そうとしている。
そんなことをしなくてもいいのに。
いるだけで価値があるとどうしても思えない。
『他人に依存する存在意義は、他人からの賞賛や評価、もしくは他人からの笑顔や「ありがとう」という言葉などを期待してそのためにやること。』私はこういうところがまだまだあるなあ。
共依存だなあ。
自分の内側で感じられる存在意義をしっかりと感じたい。
そのためには、自分の気持ちを取り逃がさないように、もっと丁寧に明らかにしていこう。」
このころは、いろんなものに反応していました。
自分のなかで沸き起こってくる感情と、その後感じる感覚をつかもうとしていました。
お墓参りにいく。
たくさんのご先祖さんがいるので、もっとおにぎりもってきた方がいいかも。
12ヶ月目 月25日で祈れるようになってきた。
ドラゴンアイズを読み始める。
「ここに、こんなに書いてあるじゃない?今まで全然読まなかったけど!今日地震があった。
『象徴で考える』をやってみた。
マインドマップを書く。
じゃあ、翻訳してみよう・正確な情報を集める。
・内部の圧力によって変化する・表面化で変化はおこっている・揺れていい、定めなくていい・準備が大切。
・私も変わっていく。
こんなところかな。」
「昨日知人にマウンティングされた。
海外旅行いくんです~だって。
その顔にイラっときた。
どうして?自分は行けないから?ここに縛り付けられているから?本当は行きたいのに…自分だっていけるわよって思ってる?でも家業があって行けないんだよね?いい嫁だと思われたい?嫌われたくない?働いて当たり前?我慢してあたり前?これ、自分の制限だよね。
苦労してないと嫌われちゃう?人より苦労していればイジメられない?ということは?自分の好きなことをするぐらいなら、目立たないで我慢している方がまし!つまり『やりたいことをするのは、いけないこと』これだ!こんなんでいいの?本当に後悔しない?するよ!絶対!私の求めるのは自由なのに、自分でそれにストップかけてる。
結局他人の許可がないと動けないと思っているんだ。
本当はもっと自分で決めて自立していきたいって決めたんじゃないの?結局決めてないんだな。
決められない私なんだな。
だって自分のこと旦那に食わせてもらってる力なき私って思ってるもん。
つまり、私は無力です。
自分で自分のこと決められませんって言ってるようなもんだもん。
こんな自分はイヤ!ぜったいイヤ!ぜったいおかしいって!私は自分のことを自分で決められません。
私は怖がって我慢ばかりしている自分を認めます。
私は今は怖くても、自分のやりたいことをやってみたいです。
自分にはやれる力があるんだ、自分は自由なんだっって感じてみたいです。
→自分の思い通り行動して、思い通りの自由を味わう!」
「今神様に、豊かになりたいんですが、どうしたら?って聞いたら、『本音を伝える』って言われた。
そうだよね。
私が本当に感じていることしか、世界に響かないんだもの。
『自分が本当に感じていることを逃すのは、チャンスを逃すのと同じこと』そうだよね。
その通りだよ。
それを逃さず、もっと感じていこう!本当に感じていることこそ、世界が知りたいこと。
それを放とう。
放てば手に満つ」
「今日、子供らと公園に行ったら、松ぼっくりを踏んだ。
種をそのとき、ワッと泣きたくなった。
生は命をまきちらしながら生きる。
その命が繋がろうと途絶えようと。
その同じ営みがこの子たちの中にも入ってる。
そう思うとただひたすら泣きたかった。
大声をあげて泣きたかった。
感じてみよう命そのものを」
「クリスマス、夫に怒りが湧いてきた。
なんで家にそんなにいないわけ?家族のことどう思ってんのよ!いい加減にしてよ!といって、怒鳴り散らした。
三人(夫と子供)で家片付けて勝手にクリスマスすれば!?と言って家を飛び出した。
苦しくて苦しくて、夜鎮守に参った。
「もうこの結婚が苦しいのです。
子供たちは大切だし、夫だってひどい人ではないけれど、もう苦しすぎて無理。
この土地に生きるのも苦しいのです」といってひたすら祈りを唱えていたら、「苦しいのは当たり前。
そこに癒されるべきものがあるから」というような言葉が聞こえてきた。
泣いた。
泣いて泣いた。
苦しいからか、神の言葉かわからないけれど。
泣けた。
するとスッキリして、クリスマスのご馳走を買って家に帰った。
夜8時過ぎてたけど、夫は変わらず、「おかえり~」といい、みんなでクリスマスをした。
あんなに気持ちを早く切り替えられたのって初めてだ。
いつもなら夜中まで飛び出しっぱなしになるのに。
鎮守の神様ありがとう。」
「今まで祈っていた。
でも何に?って思った。
祈るべき相手がいるのだと思っていた。
傷ついた誰かが、傷つけられた誰かが、そういう誰かに祈りたかった。
でも祈り続けていて、それは全部自分だという気もした。
私の宇宙に私の言葉が響いている。
私は私に謝っている。
私しかいない私の宇宙。
そこに響いている私の祈り。
これにどんな意味があるのだろう。
私は結局私に言い聞かせているだけ?自分が許されるに値するために?私が私のために祈りたがっている?何が何やら…?わからなくなってきた。
それでも続けるのかと言われれば、もちろん続ける。
これしかないのだもの。
いつかこの謎がわかるだろうか?」
感情が湧き出てくることが多く、それに気づいてはいますが、翻弄されるがまま行動していました。
年末にお墓参りにいく。
1年1ヶ月目 25日ほど。
鎮守には週3~4のペース。
落ち着いている。
「しばらくいい感じで過ごせた。
なぜだろう?鎮守で祈った。
いつものように。
私以外誰もいないような気がした。
これが世界が私なら?ということ?そう思うと、心がとても澄んできた。
水面がとても穏やかで、心が揺れるとすぐ気づいた。
気づいている『私』がいた。
いつもなら生理前で荒れまくっているのに…。
子供達にも丁寧に接せられた。
あの子達と一緒にいる時間がまさに蜜月だ。
地域の活動も、家業も嫌な感じはなく、ただやらないといけないことがきたから、やれることをやるだけ。
そんな気持ちになった。
みんなおなじなんだ。
やれるかどうか不安なんだ。
やりたくないんだ。
でもやれる限りやるんだって思った。
そうしたら私もそれでいいと思えた。
自分に許せた。
家業の従業員さん、親族や、義父母、そういう人たちに辟易していたけど、この人たちが、私を磨いてくださる…、この人たちに磨かれている?って思うとびっくり!今まで嫌だな~と思ってた人が大役をやってくれてるわけよ。
私に気づけ!エゴをとりされ!とそのきっかけをくれるのは、こういう人たち。
いやあ、これはなんということ?なんか正邪が反転する感じ?とても穏やか。
どうしちゃったんだろう。
私。
これも一時的なことなのか、それとも変化しているのかはわからないけれど、『気づいている自分』という体験、とても貴重だった。
嫌だなと思う人も、憎んでる人も、闇の人も自分と思えるにはまだまだだけど、でも結局みんなわかってもらいたかっただけなんだよね。
愛が欲しくて…それだけだったんだよね。
怯えていただけなんだよね。
なんか、ナウシカみたいな気持ちになるじゃな~い?あ~たくさん書きたいのに、もう眠い。」
「共依存についての学び。
今までの私は、選ばざるをえなかったものでできている。
それは抑圧的な家庭環境から生き延びるため。
今私は、自分で一つ一つ選び直そうとしている。
自分自身の心と身体を使って。
自分が何を選びたいのか感じるのに恐ろしく時間がかかるけれど。
自分の選びたいものを選ぼう。
そして愛せるもので、空間も時間も満たそう。」
「知人とランチ。
お医者さんの奥さん。
全然世界がちがうなあ~。
奥様業だけしていればいいというのが、羨ましかった。
私はどうしてそう思うの?みんなに羨ましがられる存在でありたかったのかな?でも私はこれを選んだ。
苦しくても、一気に成長したかったのかな?私はどこか深いところで、愛されるより、愛せる人になりたいと願った。
それにはまず自分を愛すること。
そのためには、自分を知ること。
失敗も成功も、心の愛も、光も闇も経験して、それでも自分を愛すること。
そういうことだった。
だから苦しいのは仕方がない。
土地に縛られているのも仕方ない。
全てに意味があるから。
それは私が選んだこと。
今となってはこの道を歩くしかない。
私はこの道を歩く。」
「今日は時間がなさすぎて、下の子をおこった。
下の子は必死で、「もう!怒らないで!」って言っていた。
その後穏やかさのピークはすぎるけど、また穏やかさに戻ってきた。
『本当のことは感覚的につかむだけで、平穏が訪れますね』ひかり先生の言葉。
本当にそうだと思う。
これが続いてくれればいいなと思う。
でもわかっているのは、続く限り続くということ。
この穏やかさが続かなければ、それはそれでまた私の学ぶことがきたということなのだ。
どこにも不足はない。
そういうことに最近気づいている。
そういう自分に花マルをあげたい。」
「今日は怒りばかりの日であった。
怒鳴り、叩き、最悪だった。
私の中にコントロールと怒りがあった。
私は何を求めているんだろう。
果たして、自分の思うようにコントロールして、自分の望む結果はえられるんだろうか?私は何を求めているの?わからない。
今の自分では全て足りないような気がする。」
アフターフォローをお願いし、「起こることを起こるがままにうけとめる」ということを伝えられ、とても穏やかな気持ちになりました。
自分の感情も起こるがままに受け止めようとしていました。
お墓参りに行く。
「水が止められていて、お花の水がなかった。
次からはお花用の水を持ってこないとと思う。」
1年2ヶ月目 月25日。
鎮守週3~4日。
「なんか今、辛くなってきた。
イライラしてきた。
やらなきゃならないことがうまくできない気がする。
怖い。
食べないと落ち着かない。
一人でうずくまっていたい。
頭がいたい。
部屋の片付けも進まない。
セーターに穴が空いてる。
ヘコむ。
下の子のおもらし。
すごーく右こめかみが痛い。
左耳の上がもぞもぞする。
涙が出てくる。
眠い…さっき、寝ちゃったのよ~4時間も。
もったいなかった!けど浄化かな?ターコイズの。
今日急にさ、辛い気持ちになっちゃってさ。
自分の感じていることを素直に書いた。
私、やっぱり人の反応を気にしていて、自分の好きな人に好きになってもらいたいために自分を作ろうとしている。
まだまだ自立には程遠い…。」
「起こることを起こるがままに…。
それを受け入れてあげること、大事だよね。
もう後戻りはしない。
この道をずっと進んでいくんだ。
皆本当はそうなんだ。
こうして歩むのが人が本当に進んでいる道だ。
無意識に歩んでいる人もいる、今やっていることにただ集中する、そういう人もいる。
道は一つではない。
皆歩んでいる。
皆一緒だ。」
「なぜそれほどに祈る?そこに癒されない私自身がいるから。
先祖の中の神も、インナーチャイルドも皆私。
私が癒されない、癒されたいと思う限り、私は祈り続ける。
それがカルマというもの。
これが私にとっての真実なんだ。
いつか癒されたと感じるまで。
ずいぶん時間がかかると思うの。
でもいい。」
「そう考えると、やっぱり時間なんてないんだね。
過去生の先祖も、未来のハイヤーセルフも同時に存在している。
その何万人と一緒に歩むよ。
私は。」
「昨日、とーってもイライラして、子供たちにあたってしまった。
そのあと、自分で、私、精神的に何にも成長してないな~って思ったら、『ね、こんな私だめでしょ?受け入れられないでしょ?自分のことでイライラして、子供たちに怒ってしまって、全く変わらないじゃん?何しても成長しない私、誰も愛してくれないよね?』って聞こえてびっくりした。
『そんなことないよ。
どんなお前でも愛しているよ。
不足なんかない。
そのまんまでいいよ』という声が…。
びっくりした。
神のようだった。
ああ、そうか、私、自分で自分を試していたんだ。
どんな自分でも受け入れて欲しくて。
いろんな自分を演出して、私は自分で自分の舞をしていた。
なんか、気づいたら、おかしくってさ。」
より深く感じようとしている時期でした。
またそうやって掘り下げて気づくことが多くなってきました。
月末にお墓参りに行く。
今回はお水も持って行けた。
あまり反応はなし。
寒かった。
1年3ヶ月目 帰省前までは順調に祈れました。
月15日程度。
鎮守は変わらず週3~4。
「ものすごくモヤモヤ。
甥っ子のこと。
行かないと行けない、お祝いを出さないといけないと思っていたけれど、嫌だなと感じた。
当たり前のように要求されているように感じる。
きょうだいが私の境界線をどれだけ踏みにじったか学ぶにつれ、イライラしてきた。
心せまいな~。
ケチと思われるのが怖いだけかな?なんでケチがいけないの?私ね、お金を使っても全然楽しくないことに気づいたの。
なのになんで支払ってんの?それって自分に対する裏切りだよね。
これでやめよう。
やめていいと思う。
嫌なことはやらない。
なんでそんなこと決めるのにこんなに時間がかかってんの?」
「鎮守に参ったあと、泣きたい気持ちになった。
『どんなに私が汚れていても、清めていく、清められる限り、清めていく。
この地も清めていく。
それができるだけで、私が生きていること、ここにきたことの意味があるというもの。
今は何もできない私だけれど、私にできる限りでこの私を清め続ける。
歩き続ける…』そう思ったら泣けて泣けて。
運転できなかった。」
スピリチュアル教室を読む。
「思いやりはほどほどに」「進んでは省みて浄化する」
自分の感情を感じ、感覚を確かめようとしていました。
共依存への取り組みとして、境界線のワークショップを受ける。
「自己否定へのイメージワークをやり、泣いてしまった。
みんな泣いていた。
『昔の家に小さなあなたと一緒に入ってください。
大好きな場所に言ってください。
小さなその子に告げてください。
今あなたは◯歳で、こうしてここまで生き抜いてここにいると。
今おとなのあなたがそこにいたら、できたことがたくさんあったでしょう。
親に反発したり、間違ってると言ったり、家を出ることだってできたでしょう。
でも、小さなあなたはそれができなかった。
それでもここまで生きてきたあの子になんといいますか?それでも自分を否定しますか?小さなあの子を否定しますか?自己否定なんてないんです。
必要ないんです。
みんな大切なんです。』そうだよね~ひどすぎるよね。
小さなあの子が一生懸命してきたことを否定するなんて。
結局共依存に取り組まなければ、境界線を健康に保つこともできないということ。
今私がやってること。
自分に向き合うこと。
それしかない。」
月半ばにお墓参りにいく。
帰省。
1年4ヶ月目 帰省時に風邪を引き、なかなか治らず、前半はほとんど祈れず。
月10日ほど。
鎮守も4月最初は行けず、10日ほどしか行けなかった。
「私は、ないないないの罠にはまっている。
教養がない、才能がない、学歴がない、自分を知らない、仕事が選べない、経験が少ない、お金がない、時間がない、まともな夫がない、友達がいない、プライバシーがない、全てに『ない』をつけて世界を見ている。
これが今の私なんだ。
じゃあ価値って何?自分の仕事?住んでるところ?友達が多いこと?美しいこと?博識?能力があるとか?自由?お金を多く持ってること?特別であるかどうか?全ての存在するものに意味があるとしたら?」「母みたいに絶対ならない!って思った。
ここにパラドックス。
ならないって思うと必ずなるね。
母は私が相談したことでも、平気で他人に喋った。
裏切られた気がした。
そして、『裏切られて傷つくなら、信じない方がマシ』という思い込みができた。
傷ついて、悲しい思いをしたくない自分、つまり本当は傷ついて悲しい思いをしているんだよね。
認めてなかったね。」
体調が悪くなるとともに、否定的な思いもたくさん出てくるようになっていました。
そのなかで自分の中に起こってくる感情を書き留め、自分の制限や思い込みを書き留めていました。
そして自分と向き合うということの繰り返しをしていました。
月末にお墓参り。
「お墓はなにか自慢げ。
曾祖父母には怒られているような気になった。」
1年5ヶ月目 忙しく祈れず、月20日ほど。
鎮守は週2~3日のペースで参る。
「人の集まりに誘われて行ったら、歓迎されてない気がした。
もうそうやって、人の顔色で自分のことを判断するのやめなよ。
もう、長いことやってきたんだから、自分で感じたように行動したんだから、それがどう受け止められようといいじゃない?やりたくないことをやらないと同時にやりたいことをやる。
それでいい。」
「いままで、機能不全家族だから、両親が未熟だから。
私が世間知らずなのは、親が世界を広げていなかったからって思っていたけれど、違うよね。
自分で行動しなかったからだよね。
でもできなかったんだ。」
「久しぶりのカウンセリング。
父母への軽蔑、集まりに行った時のモヤモヤ感、子供の託児の申し込みを出した時の後ろめたさなどを話した。
これらが全て、自分の中の『正しいことをしたい』って気持ちから沸き起こっていることが感じられた。
『正しいことをすることはあなたにとってどんな意味がありますか?』って言われて、思いついたのは、『正しいことをすれば、存在していい。
所属していい』っていうことだった。
驚いた。」
「朝せっかく早起きして、作業をしていたら、上の子が5時に起きてきた。
それで私は自分の自由な時間がなくなったと思い、イライラしてきた。
話しかけてくる上の子に、『お母さんは朝やることがあるの!一人の時間が必要なの!』って叫んだ。
どうしてこういう時に早く起きるの?このイライラはどこからくるの?『全てコントロールしたい、私の思い通りにしたい』というわけだ。
上の子のあの悲しそうな顔。
とても傷つけてしまった。
ごめんね。」
「数日、とても軽やかできれいな日だった。
すべてくっきりとしていて、きれいて、キラキラして見えた。
こんな日はなかなかない。
でもそんな中イライラが爆発した。
子供達が片付けないので、『もう今日は遊びにいかない!おもちゃ捨てるからね!』とか叫んだ。
子供らは泣きながら片付けた。
またやっちゃった。
子供らを犠牲にして自分だけ良くなろうとしてる。
馬鹿みたい。
でもそんな自分でもいいと思った。
仕方ない。
こういう軽やかな時は、浄化によっていろんなものが浮き上がってくるんだ…と実感した。」
否定的な気持ちで過ごしていました。
そのなかで気づかなければと四苦八苦していた時期だったと思います。
月末にお墓まいり。
あまり反応はない。
少し雨が降りそうな日だった。
1年6ヶ月目 落ち込みが激しい月で前半は全く祈れず。
月10日ほど。
鎮守は2~3日おきに参る。
「今日は雨。
検診で具合悪くなって寝る。
もう1日寝ていよう。
DVDを見た。
暗くなるDVDだった。
結局私たち、今も奴隷なのだ。
変わらない。
やっぱりそういう中で、気づく力、行動する力が必要だ。
そういう強さが必要。
自ら考え、行動し、その結果を引き受けること。
そういう自分。」
「自分に対してネガティブメッセージを受け取ってる。
こわいこわいこわい。
人目がきになる。
『お前なんか愛されない』『愛するに値しない』『ブスでのろくて、クズ』『お前は世間知らずでバカ』『常識もない』『友達もいない』『本気で挑戦したこともない』『臆病で、ビクビクしていて、子供の影にかくれて、こそこそしていて…』『いつも人を見下していて、高飛車で、プライドだけは人一倍ある人』『お前なんて、もう終わってる』『そんな歳でなにやっても無理』『どこにも行けず、何にもなれず、何の価値もない』『生きてても何の意味もない』そんな言葉ばかり。
あ~ひとはこうして鬱になっていくのかも。」
「あ~まだまだネガティブメッセージが続く…。
恐れ、怠惰、怒り、悲しみ、そんなもの。
心にあまりにたくさんの荷物があると人は動けなくなる。
インナーチャイルドもそう、トラウマも、ネガティブな思いも。
心を空っぽにってどうすればできるの?」
「『お前なんて愛されない』『お前なんて生きるに値しない』そう言っているお前はだれ?と尋ねた。
答えはなかった。
じゃあどうして生きているんだろう?なんで身体があるの?身体が消えても私は生き続ける。
こっちの方が幻想なのだ。
いつか全てが消えても、この意識が私と認識できなくなっても、生き続ける。
私の本質は、なんでもないもの?だからこの三次元を生きている?全てに価値があるように、全てに価値はない?全ては等価なのだ。」
「あまりにネガティブなので、グリーフワークをやってみる。
出さない手紙を書いてみる。
悲しい。
私が親しいと感じていた人たち、楽しかった思い出、その裏で私が暗にもらっていたメッセージに気づいた。
ただいまは悲しい。
6月はいい。
泣くのにいい。
雨が降っている。」
「少し悲しみが落ち着いてきた。
今感じるのは、攻めるべき人なんていないということ。
悪なんてないということ。
みんな未熟だった。
愛するより愛されたがりだった。
ここで人を恨んだり、怒ったりしても私は成長しない。
愛されたがりを卒業したい。
愛せる人間になりたいと思うけれど、なれない。
今日ひかり先生からレッスンの返事がきた。
自分がまだまだ条件付きの愛でいろんなものを縛っていることを再確認してショックだった。
できない自分を受け止めてあげられないというのも。
支配とコントロール。
私がしているのはそれだ。」
「今日は身体がエンプティなものばかり欲しがった。
ラーメン、マクドナルド、ドーナツ、コーヒー…。
悲しみは今はそう強く感じない。
まあ仕方ないって感じ。
それにしても私、自分を縛りまくっているなあ。
だらだらした自分を否定して、暗い自分はダメだと思って、やるべきことをやってばかりで、やりたいことはわからない。
そういう自分もいるんだ。
まっすぐにみつめていく。」
「ハンナ・アーレントのDVDを観る。
人がどうして平気で残虐になれるのか、なぜアイヒマンは自分に罪はないと思うのか。
それは『わからない』からだ。
全体主義。
思考停止。
『命令されたことを忠実にやっただけなのに、なぜ?』これがアイヒマンだ。
わからない、人の痛みも、自分の痛みも、スピリチュアルなことも。
だから、刺激を受けてそうしているだけ。
『思考を止めたものは人間であることを拒絶したのだ』という。
そういう社会。
今だってそう。
思考しているように思わされているだけ。
自分で感じて、本当の気持ちにしたがって、決断する。
絶対失ってはならない気持ちだ。
子供たちにももたせたい。」
「うわーん!今私の中から『どんなお前でもいい、生きていてくれて』という声が聞こえた。
子供らがいるのに、泣いてしまった。
最近苦しくて、何もする気がおきなくて、何もしなかった。
洗濯もたまりっぱなし。
家もきたないまま、でもいいと思った。
だって、やる気がおきないんだもん。
でも相変わらず鬱な気持ちになるし、お義母さんからなんか怒鳴られるし、離婚してやる!って思ってた。
漫画を貪りよみ、食べたいものを食べ、好きなだけ寝て、公園に行ったりした。
それから雨に打たれた。
急にすっきりした。
滝なんか打たれなくても、人はたった数分で生まれ変われる。」
「カルマがあるということは、苦しんでいる誰かがいるということ。
その誰かを助けたいと思えない。
私だけが助かればいいと思っている。
苦しいのに…。
自分一人の幸せなど存在しないのに。
頭ではわかってる。
でも気持ちの上で怒りが湧いてくる。
これは本当に私の気持ちだろうか?それとも癒すべき誰かなのだろうか。
そうしたって私を通して表現されてくるんだから同じなんだけど。
もっと理解したい。
毎日怒りで目覚める。
この怒りと執着をとりたい。」
「朝起きたら、すごーく悲しい。
心がさみしい、さみしいって言っていた。
この前まで怒りだったのに、今は寂しさばかり。
これは一体どうしたこと?この頃ドラゴンアイズを舐めるように読んでいて、自分の課題は自立だと思った。
私は本当に未熟で人に頼ってばかりだった。
自覚もなかった。
先生からアフターフォローがきた。
自分を否定する声については、『浄化が起こっているのだと思います。
このような浄化がおこらなくてはならない環境に生まれたということがカルマです』つまり、私が過去にしてきたことだ。
人を否定し踏みにじった。
そういうことだ。
それが自分に還ってきているんだ。
自分に自分でやってた。
『洗い流すには、心の納得が必要。
そのためには、正当な理由があるということがわかって、認めて受け入れる』ということらしい。
私の自己肯定は、すべて条件付きの愛という土壌に生えているからかな?無条件な愛なんかないってどこかで諦めているからかな?わからない…」
「祈ららのサイトには、『自分の最善の選択がこれで、なぜこれが最善の選択なのかということに気づかなくてはなりません。
その最善の選択がどれほど素晴らしいか、ということにも気づかなくてはなりません』だって。
ぜーんぜん気づかない。
まだ全然気づけない。
否定してる。
『自分の性格がみじめではなくて、素晴らしかったということがわかって、自分を愛し受け入れることが自然にできます』だって。
そうだよね。
自然に!おこってくるものだよね。
私には全然おこらないけど。」
「カウンセリングを受ける。
ずっと落ち込んでいることを話す。
自分と向き合い、グリーフワークもやってみたけど、効果はあっても落ち込みをなくすことはできなかった。
でもカウンセラーは、治療過程に「揺り戻し期間」というのがあると言っていた。
知らなかった。
私には、良くなるなら、ずっと良くなりたいっていう執着があった。
後戻りはしたくないって。
でも人はそうして少しづつ後戻りしては前進していくものだって。
知らなかった!ひかり先生は浄化という。
出てきたものは、出て来るべくして出て来るのだ。
いつか消えてしまうものだ。
もうすぐ消えてしまうものだから叫んでいるんだ。
私の心の中で。
それは希望かもしれない。
じゃあ彼らに何をしてあげれるの?あの無力感、悲しみ、恐怖、怒り、どうして必要だったの?」
「今、自分のことがとても好きだ!という気持ちが湧いてきた。
うわーん!愛せない私の代わりに私を守ってくれていた。
それが条件付きの愛だ。
なんていう献身、何ていう愛。
そういうことなの?私は私を愛したかった。
でもできなかった。
だから条件付きの愛が私を満たそうとしてくれていたんだ。
それでは永遠に満たされないことを知りながら。
でも私は私を愛したいように愛せるのだ!できるんだ!条件付きの愛は私に何かしたら愛してあげると言ってるんじゃない!私が愛せるのは私だけだよ。
と言ってくれていた。
なんていう献身。
父母もそういうことを教えようとしてくれてたんだ。
私は今日、私の中に、確かに私を愛したい私がいることを知った。
そうして私は私を愛せるんだって知った。
なんてパワフル!」
「先祖供養でなんとなく感じること。
母の生家に甘えてるな~。
父の生家からも和やかな反応あり。
『お前は優しいのう』っていう声が。
『これはお父さんの家からもらった優しさだよ。
みんなとても優しい人だったのに、時代や周りの環境や常識によって、攻撃的で、粗野に生きなくてはならなかった。
そうやるしかなかったということは痛ましいことでした。
もういいです。
好きなだけ優しく愛らしくいてください。
自分を好きなだけ愛してください。
もう我慢しなくていいんです。
自分を好きなだけ、愛してあげてください』というと『そうかのう~』と言ってみんな酒盛りにいっちゃった。
ゆかいな人たちだったんだね。
眠気もなし。
結構楽になってきた。」
気づく前は苦しくて、苦しくて毎日悶々としていましたが、気付いた後は、とてもスッキリとして、世界が新しく洗い直されたように感じました。
祈りも感じやすくなりました。
月末にお墓参りに行きました。
感謝を伝えました。
1年7ヶ月目 月20日ほど祈りました。
帰省の為1週間おやすみ。
鎮守は週3~4日。
「共依存に関する心理学のワークショップにいって、またいろんなことを知った。
それはショックもあったけど、実感もあって、自分の成長を感じた。
私はちゃんと感じてる。
反応している。
それを頭(思考)で押さえ込もうとしていたんだ。
もうその感覚を信じていい。
それにしたがって行動していい。
私は愛せるし、行動していいんだ。」
「心理学の講座では、『あなたはたまたま不幸なところに配属されたけど、それはあなたの責任じゃない』という。
私のこの生命としてはそうかもしれない。
でも魂としては違う。
それは私の責任である。
今までの生で作ってきた良いことも悪いことも宇宙に残り続ける。
想いや感情は時間の制約を受けず、残り続ける。
それを解除したくて、ひかり先生に出会ったんだ。
祈りに惹かれてしまうのはそういう訳かな?チャンスが少しでもあるのなら、それをやりたい。
それが自分のカルマから逃れたいからか、本当に謝罪の為かはわからない。
早く祈りを進めたい。」
「自然の見え方が変わってきた。
公園にいくより、雑草が美しいと感じる。
ものすごい勢い。
この時期。」
周りを見つめる自分が徐々に変わってきた様子でした。
心理学のワークショップを受ける。
「感情のワークショップ」「身体のワークショップ」自分が何を感じているか、毎日ひろう。
どういう感情を感じているときにどういう身体の反応を感じているか、知る。
「自分は感じていない訳ではなかった。
それを感じないことにするしかなかった過去があったから、そうしただけだった。
体の精緻さに驚く。
感情をちゃんと感じていた。
これについていこう。」
「達成ではなく、快を。
正しさではなく、楽しさを。
私はいつも誰かの正しさ、誰かの達成を生きようとしていた。」
お墓まいり。
あまりのらない。
台風の影響で父の実家の墓参りはできず。
母の実家のお墓には行けないままでした。
1年8ヶ月目 帰省の影響か、前半は祈れず。
月10日ほど。
鎮守は2~3日おきにいく。
「スピリチュアル教室「ありのままに受け入れてもっとも良い決断をする」を読んで、私、直感がよわいなと思った。
いつも後から気づくもんね。
感情と思考を止める…。
なるほど。」
「我慢している人がいやなのは、必ずその我慢を人に強いるからだ。
私、いままでこんなに我慢してきたんだから!我慢できる私ってすごいでしょ!?って。
常識も同じ。
やって当然なんだからやりなさいよ!って。
気持ち悪いよ。
そのときはそれしか知らなかったんだな~。
私も。
すこしづつ成長してる。」
「町内のお祭りに行って、いろんなお母さんから話しかけられた。
みんあすごく話しやすいじゃないか!いままで地域の活動なんてすごく億劫だったけど、子供の為と思ってやってた。
でも今日は楽しかった。
私の構える感じがなくなったからかもしれない。
人はそれぞれに学んでいくものだ。
それは魂の来歴も違う、DNAも違う、生い立ちも違う、のだから、私が決めつけてしまうのはもったいないように思った。
必要なことは起こってくる。
そう思えた日だった。」
「最近あまり乗り気でないので、鎮守に行って祈った。
すごく気持ちがよくなって、『もっと頼っていい』ってメッセージをもらったような気がした。
神様ありがとう。」
「今日きょうだいに、共依存のことを話した。
拒絶されるかとおもったけど、『ふうん』と話を聞いていた。
『じゃあ、我が家って共依存だった?私もあんたも?』『そうだよ』と話した。
とてもあたたかい気持ちで話せた。
私の境界に侵入してくる人と思っていたけど、ともに回復の道を歩く一員と思えた。
それは自分が広がっていく感覚だった。」
「今日はすごく嫌な気持ちになった。
会社の雰囲気。
あのお互いがお互いを縛りあう雰囲気。
なんだろう。
これは。
これはコントロールだ。
従えと。
みんなコントロールされてきたからそうするの?そうするのが当たり前になっちゃうの?こういう価値観がはびこっている。」
「魂の方向性は直感で知ることができる。
気持ちは感覚で知ることができる。
体が浮き立つような感覚、エネルギーで満たされる感覚、あたたかい感覚、軽やかな感覚。
感情を信じてはいけない。
感覚は起こってくるものだけど、感情は起こされるものだ。
必ず感情が湧いてくるきっかけがある。
それを見極めないと。
悟ると感情は湧いてこなくなる?名前をつけるだけ?いや、そんなことないのかも。
悟って初めて純粋な感情を味わえるのかも。
思考も同じ?悟って初めて明晰な思考ができるのかも。
肉体も100%使えるし、純粋な喜び、愛に生きるのかもしれない。」
「奇跡のリンゴをよんだ。
すごかった。
そして『わら一本の革命』も読んだ。
『人間っていうのは、何やったってダメなんだ。
一切のものが無に帰してしまう。
ゼロになってしまう。
そしてこの『無』こそ広大無辺の『有』なのだ』だって。
まさに空だ!私は最近「自然」を探していて、結局どんなところに行ったって自然というものはない。
地球のどこかに自然はあるのかもしれない。
でもそこに行けたとして、ポトリと落としてもらえたとして、私がそこに行くこと自体もう自然ではない。
私がそこで何かを一つ食べ、フンでもしたら全て異物だ。
地球にとって異物なの?私たちの自然のあり方を壊したのだ。
自然な人間のあり方、時の過ごし方、食べ方、コミュニケーション。
これからどう生きればいいの?もうお金にモノにも虚しさを感じる。
まるで人形劇を見ているよう。
でもそれが必要。
今ここが私のいる場所だ。
そうして、世界の価値は全く違うところにある。
どう生きればいいの?」
「もっとも壊れてるのは、私たちの意識。
人が魂に気づかず、平行時間を生きて、自分の殻に閉じこもって、まともにコミュニケーションできず、感覚も直感も失い、娯楽にまみれ、死んでいく…。
何度も何度も繰り返しながら、一度も本当の生命を生きることがない。
なんだこれ?本当にこんなことに意味はあるの?悟らないとありのままの自分にはなれない。
でもありのままの自分になったら、イミテーションの社会しかない。
どうなるの?」
少しづつそのまま自分を感じることができるようになり、何を感じても怖くなくなりましたが、自分の気づきと、周りの世界の有り様に驚いていました。
気づけば気づくほど、不自然なものしか見えないような気がして、ショックを受けていました。
初めて義母の実家のお墓参りに行く。
「とても気持ちよくて拍子抜け。
いつも義母とはギクシャクするから相当辛いかなとおもったけど、すごくいいところだった。
感動した。
ありがとう。」
1年9ヶ月目 月20日祈る。
快調。
ねむくもならず。
鎮守は週2~3日。
「私たちは夢を見ている。
とても長い、でも一瞬の夢を。
夢を見ているという状態を望んだので、こうなっている。
この身体も幻想らしい。
あと、私、もう○○とかに情熱がないことが。
それは今までやってきたことで、これからやることじゃない。
いや、これからもできるだろうけど、この状態を続けていくことには情熱は持てないと思った。
大切なのは、情熱だ。
人を動かすのも、神を動かすのも、お金を動かすのも!そういう情熱が、今の私には「ない」気がした。
浄化とか手放しってこういう風におこるの?今私がYES!と言えることはなんだろう?祈り、自然栽培、心理、祖先の森…どれも仕事にもお金にもならなくて、だから嫌なのか?もっと枠を外して考えよう。
神様どうか、インスピレーションを与えてください。」
「月曜から久しぶりの熱。
夜もうろうとしてきて、幻覚が見えて、天井のシミが動いてるみたいに見えた。
これは、九頭龍神社でいのっちゃったからか?それとも季節の変わり目だから?わからないけど、私の中に何かたまってたんだろうな。
浄化は問題解決だとひかり先生もいってた。
そう考えるとこちらも行動しやすい。
問題を解決すればいいんだもの。
もっともっと行動していきたい。
失敗してもいいじゃない。」
「幸せな日だった。
お義母さんと話して、ドヨーンとなったけど、すぐ幸せになった。
お義母さんに言われたことより、自分の思うことを大切にしようと思ったね。
みんなが同じ方向に向いてても仕方ないし。
ま、従業員さんは従業員さんの。
私は私のやることをやるしかないよね。
そうあるべきを求めるのはイヤだな。
今現在の自然体の私を生きる。
ってことが大切だし。
もう目標を立てるのはやめたの。
ビジョンはみるけど、目標はたてない。
だって選べるから。
今日恐怖について考えていて、でも、私は選べるから。
人生のおこることは、みんないいことだと。
それは自然に起こってくることなんだけど、本質の私は、『どっちも選べる!』どちらの世界も味わえる。
作り出せるわたしだから。
選ばないを選ぶから、物事が受動的に、起こってくるような、自分が被害者のような気がしてしまうのではない?選べるし、選んでいいんだ。
てか、本当は選んでたんだよ。
違うことが体験したければ、違うことを選べばいいんだ。
恐怖のよいところ、おこることは全ていいことと思えることに気づくこと。
それを選んでいる自分に気づくこと。
恐怖は感情?感情は自動発生してるんじゃない。
私が選んでるんだ!」
「夫が救急搬送されたって!もうびっくり!どうすんのよ。
こんな状況で!そのまま死ねばいいと思った。
私の心の中に愛なんかなかった。
怒りだ。
自分のことを自分で決められず、他人の言うなりにいきて、時間もお金も身体も使うだけ使って、オーバーフローする。
そんな風に自分を粗末に扱う自分に気づいてない。
できない自分を認めてない。
そこから変わりたいと望んでない。
そういう自分にいい加減気づけよ!ただ相手に合わせればいいと思っている、受け取らなければならないと思っている、感謝しなければと思っている。
それは本当の感謝じゃない。
本当に感謝していたら、自分をそんな風に扱うことはできないはずだよ!全てが嘘っぽい。
それは自分に向き合わないから。
上辺だけで共感されても腹が立つだけ。
結局自分に向き合おうとしない人は、他人を尊重することができない。
結局他人を踏みにじることになる。
それは子供も、私に対してもだ。」
「昨日あんなことがあったのに、とても幸せ感。
あまりねむってないから?夫と話したけど、なんであんな言い方したんやろか?やっぱり夫をしばりたかったんだろうね。
そんな自分が見えてもモヤモヤしない。
感情をくっつけないってすごい!こんなに楽なんだ~。
夫のことがどうなるかはわからないけれど、離れるときは離れるだろう。
今はそのときじゃない。
昨日夫が死んでしまってもいいや~って思う自分の中に、なんか、ここで夫が死んだら、大して課題を終わらずに逝くことになるなあと思った。
今気づいたけど、私はこの課題だらけの人生が好きみたい。
たくさん学び、乗り越え、成長したいと魂は望んでいる。
いや、マゾかも。
こんな挑戦するなんて。
でもこの身動きのとれなさ、ままならなさ、負の感情、愛おしいと思う感情、どれも夫がいないと味わえなかった。
そしてこの三次元だから、次元のちがう先生にも会えた。
いやあ、ここに来ようと思った自分の勇気に乾杯!」
「不安なんかない、恐れなんかない、み~んないいこと。
どうして自分にはそう思えて、他人にはそう思えないの?それは自分と他人を分けているからだよね。」
「ドラゴンアイズを読みふける。
先生の悟りについての振り返りがあった。
悟りたいんだろうか?わたし。
でもこんなに祈るってことは、悟りたいってことだよね。
魂はそれを望んでいるだろう。
間違いなく。
わたしはどちらかというと、ただ成長したい。
自分を成長させていきたい。
どれだけ歩けるかわからない。
悟りはそういうタイムラインに乗っていれば悟るのだろう。
「わら一本の革命」の福岡さんもそうだ。
あの人は悟って、一人孤独に農をすることを選んだ。
先生もそちらに惹かれると言っていたけれど、お役目のある人はちがうのだろう。
福岡さんも結果的に農に尽くした。
そういうお役目があったんだろう。」
「私の今の心はとてもおだやかで落ち着いている。
人を断ることもできるし、介入することもない。
でもただ進歩成長したい!という欲のためだけに祈っていないだろうか。
先生ほど心を尽くしているか?と言われればそうでもない。
だから今祈りが止まっている。
これは私の欲の抑制なのか?それとも怠けだろうか?それとも課題?のんびりでもいいのかな?」
「もう認めるしかない。
私は夫にすごく執着してる。
夫の未熟さを受け入れられず、進歩成長したいという自分を受け入れられず、他人をコントロールしようとしている私。
良いことなのだからといって人にすすめる執着。
他人も進歩成長するべきだという執着。
これはどこから来ている?私の怒り。
こんなに生きづらく、不自然な世の中への怒り。
でもそれは、不自然な自分自身への怒り。
自分の中のまだまだ自然になりきれていない部分を恥じる気持ち。
受け入れてない気持ち。
理想に執着する気持ち。
この気持ちのこと、先生はなんて言ってたっけ?」
「私は夫の幼さと心の清らかさを見間違えてたね~。
自分に対してもそうだったね。
幼いということが、清いと、より浄化されていると思い込んでた。
他人に求めている限り、自分は成長しなくていい。
求める必要があるということは自分が成長していない証。
成長はとまる。」
「私は成長したい。
でもそのためには自由と創造性を阻むものから離れないといけない。
それは夫か?それが今はできない。
今はそう感じるんだから、それでいい。
そう感じる必要があるからそうなんだ。
それが今の私にとっていいんだ。
そういう自分を認めないといけないね。」
「今、こんなに幸せ感。
心が成長すると、こんなにモヤモヤしなくて、幸せなの~?驚いている。
もちろん、一瞬感情に飲み込まれるときもある。
でも戻ってこれる。
この感じはスーパーセブンだな。」
「今私は、他人と自分を分けている。
だから他人が成長しないのが悲しいんだ。
イライラするんだ。
そしていいことだと思い込んでいるから押し付けても平気なんだ。
私も同じだ。
お義母さんと。」
自分の感情や感覚、気づきをひたすら書いていました。
心理学のワークショップ。
境界線を受ける。
「今回の境界線のワークショップは2回目だったけど、もっと理解したくて受けた。
でも結局、境界線って、自分を尊重するってことだと思った。
自分を尊重できないから、他人の境界も平気で踏みにじれるんだ。
とにかく自分を知ること。
大切に暖かい気持ちでいること。
それだと思った。」
お墓参りに行けず。
お彼岸やお盆のときほど行けないことが多いような気がする。
1年10ヶ月目 月20日ほど祈る。
鎮守は週4日ほど。
「悪を抱き参らせるについて考える。
悪を悪として映す鏡は私の心の中にある。
悪を取り除いて善ばかりの世にしようとおもうのは 独善ではないか?自分の安心を得たいための。
それを社会に求めるのは増長か?そうして自分の善を人に押し付けるようになる。
それこそが悪。」
「今日もドラゴンアイズを読んでいて、私の中にも増長があるなあって。
私も自分本位な人、周りを考えない人キライだ。
でもそう思っているってことは、それが私の心の中にあるってことだよね。
周りの人の小言、夫に対する愚痴。
そうやって、「自分は間違っていない、正しいんだから!っていう怒りが私の中にもある。
最近波動が下がってる気がする。
珍しく昼ドラなんか見てみた。
びっくりな世界。
条件付きの愛も、世間の常識も、恐怖も気づけた。
でもこの怒りは乗り越えられない。
祈りもおろそかになってる。
なんで気づけないの!気づかせてよ!って思う自分がいる。
なんて傲慢なんだ!そう思うけどさ、それが正直な自分。
でもさ、本当は何も大したことがないこの日常が何より恵みだし、神社で泣いたことはないけど、ちゃんと気持ち良くしてもらっているし、いろいろ直感ももらってるんだよね。
祈ららに出会えたことが奇跡だし。
人生の宝だ。
これがハイヤーセルフの技?夫のおかげで、お金も時間もある。
今本当にしたいことをしている。
それは、魂の道を歩くこと。
これが本当にしたくて、知りたかったことだ。
私は夢の真ん中にいるのに、どうしてこんなに怒りばかり投影しているのだろう。
自分の未熟さを受け入れられないのだろう。
私は私だ。
この不遜さを詫び、今ここから始めるしかない。
でも周りを気づかない人たちだと思い、夫を愚鈍な人間だと思い、家業を私をしばる鎖だと思う自分がいる。
それを正直に見つめよう。
その一方で、周りの人のその人なりの自然を尊重しよう、夫の善なるところを見つめていよう、私に時間とお金の自由をくれた家業に感謝したいという思いもある。
どちらも本当だ。」
「私が進めないのは、認めないからだ。
自分が見えない鎖によってがんじがらめになっていることを。
自分で切る決意ができないのは、鎖がないと思っているからだ。
いや、ある。
自分がかわいそうな人を見つけてしまうのは、自分が自分のことをかわいそうだと思っているからだ。
わ!今気づいた。
このかわいそうな自分を助けたくて、私はかわいそうな誰かに依存していく。
それなら自分を直接助ければいいじゃないか!私が見ようとしなかったのは、このかわいそうな私なんだ。
それでいいんだよ。
それを否定しなくていいんじゃないか。
自分の人生を決められなくて、自信が持てなくて、周りの目を気にして過ごしている。
それはとても痛ましくて、かわいそうだよ。
それでいいんだよ。
かわいそうな私、自立とは程遠く、他人に頼らなければ生きて行けず、自分の生き方を自分で決められない。
かわいそうな子供時代から何もかわっていない。
ずっと否定していたよ。
ごめんね。
ああ、本当にここからはじめるんだ。
始められるんだ。」
「子どもというのは、すべてを善きものとして取り入れる。
たとえ虐待であろうと。
私は世界を肯定したかった。
それをみんなもやっている。
かわいそうな私でもいい。
そうだよ。
自分のことかわいそうだと認めてあげるのが大事。
何も否定しないって、かわいそうじゃないって思い込むことじゃない。
それはコントロール。
じゃあ、どうして“かわいそう”を握っているの?」
「神から見れば、みんなどこまでいっても未熟だ。
そんな自分が許せないのかな?」
「この現実社会で、私はなにも成し遂げてない。
今は自立もできてないし、仲間もいない。
社会の歪に気付きながら、何も変えてはゆけない。
そんな無力な自分を感じた。
未熟なら未熟なりに全てを受け入れて謝るということができない。
ひかり先生みたいに真摯になれない。
そうやって人と自分を比べて、自分を小さな存在だ。
何も力がなければダメなのだと貶める。
私は自分を満たしているとは程遠い全然愛せてない。
でもその中で、かわいそうな自分を見つけた。
それを認めなくて隠していた。
自分に対しても。
そして、世界にまわりにそれを投影していた。
ただそれだけだった。
そうしたら世界は私の様々な未熟さの表れだと思うようになった。
初めて世界が私だ!と思えた瞬間だった。」
「昨日、無性にケンタッキーが食べたくなって、食べた。
ケンタッキーなんてここなん年も食べてなくて、お肉は胃が痛くなる感じだから食べるのを避けてた。
食べたいと思いながら食べるのを避けてるって、低い次元を受け入れたくないってことだよね。
私、自分のこと、かわいそう、惨めだって思ってた。
でもかわいそうな自然というのはあるんだろうか?かわいそうな動物というのはあるんだろうか?ライオンに食べられるシマウマはかわいそうなんだろうか?シマウマが喰われることがなくなったら、世界は平和なんだろうか?ライオンが衰退したら、世界は平和なんだろうか?強いものは飢えて死ねばいいとおもうんだろうか?それは闇なんじゃないだろうか?強いものの悲しみはないんだろうか?そもそも動物には感情がない。
思考もない。
痛いだろうなと思う思考。
かわいそうと思う感情。
それがくっついてる。
私が私のことを思考や感情で考えなくなれば、かわいそうな私はいなくなる。
人は直感と感覚で生きられる。
ずっとずっとエネルギーロスが少ないはずだ。
じゃあ思考や感情はなくてもいいの?でも、思考や感情で検証し、実行する方法を考える。
低い次元の自分も愛してあげよう。
全てを抱きとめる大きさを持つことは全ての悪を抱き参らせることは、私の低い次元も、悪も愛することなのだから。
それを置き去りにすると、他へ投影せざるをえなくなる。」
「今日従業員さんと話して、みんな『愛されない自分!』を高らかに叫んでいるんだと気づいた。
私も同じ。
自由じゃない私、やりたいことはやれない自分、って世界に叫んでるんだ。
そうやって世界に叫び続けているんだ。
それはやがて自分に跳ね返ってきて、愛されない自分を味わうだろう。
私のやっていることも同じ。
自由じゃない私、豊かでない私!って叫んでいたから、こうして不自由な自分が生まれた。
本当はそんなことない。
経済的自由も得たし、時間的自由も。
愛情の自由も(自分も他人も好きなように愛せる)、心の自由度も増してる(何を感じてもいい)。
きっとどこだっていける。
未来はちゃんとよくなるし、今が至上最高だって信じられる。
心が“今ここ”にあるって、なんて自由で軽やかなんだろう。
本当にこのバランス感、幸せ感って素晴らしい。
スーパーセブンのおかげだな~」
「私は多分、苦しいところに生まれてみたかったし、家族を助けたかったし、結婚も育児もしてみたかったし、最高のパートナーシップも味わいたかったし、また一人で生きていく強さ、自由も欲しいのだろう。
それは全部ちゃんと手に入る気がする。
いつかはわからないけれど。
私は今自分の歩みが応援されていることを感じる。
日常はアンラッキーも多いし、ぶつかることだってあるけど、これは総じて浄化の結果だと思う。
本当に大きなことを小さく出してもらってるんだ。
今日映画館で親子連れに苦情をいわれたときも、いつもならイライラしたり、逆に縮こまって考えられなくなったけれど、今日は『これは、私の何がこの人にこういわせたのか?』と思えた。
成長したね。」
お墓参りにいく。
いつも通り。
お墓はいつも自慢げ。
お酒を周りにたくさん振舞うと喜んでいるみたいに思う。
○○教の二人はいつも通り。
お花が好きみたい。
義母のお墓はいつも穏やか~。
何も期待しない。
ただ朴とつと自然と生きた人たちのように思われる。
とても落ち着く。
1年11ヶ月目 ほとんど祈れず。
月10日ほど。
「今日は子供達を怒鳴って、叱りつけて、脅してコントロールした。
あの怒り、ムカムカ。
他人を苦しめている。
これが私だ。
私は私よりできる人、綺麗な人、成功者、才能のある人に嫉妬している。
そして、自分が見下す人には、“かわいそう”って思っている。」
「チャラチャラしている子、軽くて嫌だと思った。
好きなことしかやらず、やりたくないことは放り出していまう若い子、無責任って思ってた。
でもね、いまは気づくことができる。
それは、“自分の好きなことが好きといえる、自分のやりたいことに正直である”こんな姿勢に嫉妬していたのかも。
嫉妬ってどういいの?嫉妬と憧れの違いは?」
「最近自分が見えすぎてつらい。
自分の臆病さが見える。
なのに、自分ができる、やってきたと思っている自分がイタい。
どんどんハードルが高くなっている気がしている。」
「今日久しぶりにインナーチャイルドワークをした。
私は、欲しいものもやりたいことも何一つできなかった自分に会いに行った。
ピアノが弾けない私をみて、チャイルドが、「やっぱり私習わせてもらえなかったんだね」と言った。
そして、「そうなの。
あなたの欲しいものは与えられなかった。
欲しいけれど、手に入らなかったものを描いて生きていったの」といった。
悲しそうなチャイルドの顔。
でもその子に「でも、あなたが大切に思うものは、最初からあなたがここに持っている。
それは決して奪われたり、汚れたりしない」と伝えた。
チャイルドの中からオレンジ色のような光が輝き出したように思った。」
「今日またエンプティなものが食べたくなり、MACに行った。
私は私を恐れていた。
それを受け入れていなかった。
「ごめんね、もう恐れないよ。
私は私を」と言った。
私はどこかで許可をもらおうとしていたんだんじゃないだろうか?受け入れられる自分を求めていたんじゃないだろうか?相手に承認を求めていたんじゃないだろうか?だからお義母さんや、従業員さんの関係が苦しいんだ。
私は自分の価値を他人や持っているものではかっている。
だから夫や子供や自分のものをコントロールするんだ。」
「疑いの中に止まることが大事。
自分がどう感じているのか。
反応したら、時として肯定することになる。
微細であれば、同調できる幅が広い?荒いものは細かくなれないが、細かいものは荒いものを感じられる?要検証。」
「最近、すっごくこわい…微細なことに目を向ければむけるほど、向き合わなくてはならないことにも丁寧な配慮が必要。
エネルギーのサイクルにも敏感になる。
それに振り回される私と、いつも幸せな私を感じる。
そういう自分を感じる。
感じるように思う私が本当の私。
本体の私とでもいおうか?本体の対義語は現象なんだって!本当にそんな感じ。
“本体の私”と“現象の私”。
現象の私は、イライラしたり、嬉しくなったり、悩んだり、怒ったり…忙しい。
現象が本体だと思ってとらわれすぎるのが、ワナ。
命というのは、始まりもなく、終わりもないとしたら恐ろしいだろうか?私たちはたった一つの命の様々なバーションで、それが収縮しているだけだとしたら、途方もないだろうか?」
「かわいそうな私の良さって何?人に頼って生きていける?守ってもらえる?子供でいたいから?責任をとりたくない?本当は自分で自分を助けたい、救い出したいんだよね。
私は私のヒーローでありたいんだよね。
そして素晴らしいのは、“私にはその力がある”ってこと!ああ、今そう感じたら、胸骨のあたりからじんわり何か出てきたよ。
そうだね。
私には私を豊かにする力がある。
豊かさを広げてゆける。」
様々な考えが頭のなかを巡っていました。
どんどん気づきたい自分と、細かく気づくほど自分の未熟な部分が見えるようにも思え、苦しく思う日もありました。
心理学のワークショップで「人間関係」について学ぶ。
原家族のパターンをそのまま踏襲している。
自分と自分の関係がまわりとの人間関係に投影されていることを改めて目の当たりにする。
月末、お墓参りへ。
すっきり。
主人の祖父母のお墓で、祖母に「○○に行ってきました。
○○にはちゃんと謝りますから安心してください。
というと、ほっとしたような雰囲気を感じた。」
(○○神社に行った時、やたらと祈りたくなりました。
それで祈り続けました。
祖母の家は○○の出身だったので、何かあったのかもしれないと感じました。
それで、一言お墓で報告しました)
1年12ヶ月目 月10日ほど祈る。
鎮守へは週2~3日。
先祖供養は、○○経より、□□□経の回数が増えてきました。
「私が感じたいのは、不足な自分、できない自分、改善すべき私ではなく、そのままでいい私。
あるがままの私だ。
そのままの私でいいから、いかようにでも変えられる。
変化できる。
変化できる私もそのまま受け入れられる。
そのままのわたしでいい、と思えた時そうなるんだ。
何かがある、何かかができるから、豊かなのではない。
私は私だから豊かなのだ。
そう、だから豊かになれるのだ。」
「カウンセリングで、ADHDの検査結果を聞いた。
私は注意散漫というADHDの境界線1歩手前ということだった。
でもカウンセラーは、この不注意という傾向を不安があるために予習や予防ができたのかもしれないと言った。
確かに学校でも社会でも困ったことはあまりなかった。
でも緊張は強かった。
あきっぽく、複数のものに同時に関わりたくなるのも、そういうことだったのかも。
でも、不安や緊張を常に抱え、共依存という他人の承認を求め他人軸で動くということをやっていたから、何をやってもうまくいかなかった。
その現実が今よく見えるようになった。
そして、こうも言える。
私は共依存の回復に取り組み、自分の不安と向き合い、自分との関係を変えようとしたので、この注意散漫というADHD傾向を知ることとなったのではないか?自分の不安を降ろそうとした時、この傾向をまっすぐに捉えられるようになったのではないか?いつも何をやっても足りないような不安、恐れ、正しいことをやりたいという欲望、コントロール。
それは、他人の軸から自分を満たそうとしているからだった。
誰かが自分を満たしてくれる、ということが、そもそもおかしい。
本当はいつも自分なのに。
そう思えてきたから、自分の傾向に気づいて対応できるのかもしれない。
これは、ものすごい成長だね。」
(共依存という症状の一因として、自分に大人の発達障害があるのではないかと思ったので、カウンセラーに検査をお願いしていました。
知能検査とADHDの検査を受けました。
知能はとくに傾向はなく、ADHDの方が、境界線は超えていないが、不注意傾向が高いという所見でした。)
「なぜか幸せ感がもどってきた。
今日はお義母さんからいろいろいわれたけど、反応しちゃったなあ。
う~んカルマ。
まだまだ成長域あり。
未熟って捉えるよりそうとらえたい。
夫に対して、なんだか愛が湧いてきた。
本当に夫が幸せで希望を持って生きるために私にできることがあるならしたい。
夫のために祈りたい。
なぜ今までそう思いつかなかったんだろう。
自分を犠牲にしてまで働かなくていいように。
そしてこうも思った。
夫の手助けはしたいが、私を犠牲にすることはしない、と。
それは拒否していいし、自分で道を見つけていいと思った。」
「心理学ワークショップの主催者の怒りを感じる。
敵対心。
それは私の心の中にもある。」
「私、夫に対して、離婚、離婚と騒ぐ私は『相手が間違っていると思い、相手に対抗し、頑なに相手を拒否することも逃げの一つです。
』私はこうなっていなかっただろうか?私ずっと逃げていたんだね。
私は間違っていない。
あなたが間違っている!って言いたいんだ。」
「今日は全然だめだ~。
やりたいことが多すぎて、時間がしっちゃかめっちゃか。
何を考えたいんだっけ?私は今結婚によって苦しんでいる。
それは私の選んだことだから仕方ない。
子供といる喜びを今世味わえてよかった。
そのチャンスをくれて嬉しかった。
夫よ。
神よ、ありがとう。
子供たちよ、私のお腹にきてくれてありがとう。
そして、私は中途半端な選択の結果を最後まで見つめてみようと思う。
それは我慢してここに居続けるということではない。
私はここで精一杯自分を表現して行くのだ。
それが否と言われれば、ここを離れよう。
それがハイヤーセルフに対する誠実でもあり、自分への喜びへの奉仕であるように思う。
でも今はどうやって自分を表現し、どうやってこの三次元を生きて行けばいいのかわからない。
どうやってお金を得ればいいのかわからない。
今はお金がないと生きて行けない世の中だもの。
お金が嫌いなのに、お金が欲しい。
この矛盾が私の中にあるんだな。
自分が好きなのに、自分が受け入れられない。
つまり…自分を好きであることに自信がない。
どうしてだろう?どんな自分も愛せるのに。
世の中の常識や基準は見せかけなのに…。
それを知っていてもなぜ?『自分を好きになってしまうと周りを失うから?』でもその誰かってだれ?本当は誰もいないんだよ。
自分で自分を愛せれば孤独はないんじゃない?」
いろいろなことを感じました。
さまざまな方向から自分を理解しようとし、また今までの自分を変えるために何かをしなければという自分と、もう全てを任せてしまおうという自分が両方いるように感じていました。
今はまだ心底自分を受け入れきれていないなと感じています。
霊の祈り2は、四苦八苦という感じでしたが、
神仏とともに歩むことができる、自分の成長を感じられる、ということを知った充実した毎日でした。
今振り返ると、最初はこんなことを考えていたんだなあと驚いたり、
気づきの前に、きっかけとなるようなことがあり、サインもあったんだなあと俯瞰できました。
最初は荒々しい波であったことが、気づきがだんだんと細かくなり、今は波の起こる前の揺らぎをつかみたいという感じです。
でもそれに気づくには、日常の細やかさがもっと必要な気がして、まだまだそこには至っていません。
これが、先生が言っていた、進めば進むほど難しくなる、ということなのかなと思ったりする毎日です。 |