皆さまからのおたより・最新

祈り通信講座を進めている皆様の、体験談です。
尚、文中に出てくる祈らら以外の人名や方法や考え方などは、それぞれの方の経験です。
祈ららでおすすめしているというわけではありませんので、取り入れる場合は自己責任で行ってください。


■祈りをする前から、仏壇や神棚には手を合わせていたので、それほどカルマは出ないだろうと思っていました。
しかし、3日目くらいから首や肩が痛くなり回らなくなってしまうほどの激痛に襲われました。
父方母方両方のご先祖全てに対する祈りが物凄く強力なのだなと感じました。

祈りのパワーを弱める方法がありましたが、元々ストイックなところがあり、どうせなら乗り越えたいと思い頑張って祈りました。
霊視できる息子が、未成仏のご先祖たちが日に日に上がっていくのを教えてくれて○月○日には良くなると言ったのですが、その通りにスーッと抜けて痛みも引いていきました。
祈りの中で、父方のご先祖の男性が「私たちのために済まないね、ありがとう」というようなメッセージをくれて涙が出てきたりしました。
最初の頃は祈りながら涙が溢れることがありましたが、段々とそのようなことはなくなりました。

一年以上経ち、毎日ではありませんが仏壇と神棚で祈るとやはり清々しい気持ちになります。
祝詞の本も素晴らしく、自分のエネルギーが浄化され神界と繋がりやすくなると感じます。

■最近は、旦那の実家に一人でお墓参りに行きました。
移動距離片道1000キロ超えです。
普段運転しないですがレンタカー借りたり、久しぶりに15時間以上夜行バスに乗りました。
2泊車中泊、1泊ホテルで宿泊。
独身時代に戻った気持ちの旅でした。

父方母方両方のお墓をお参りすることができ、どちらも涙を流しました。
あまりにも自然で、風が目にしみたのかなと思ったけど、あとで同じ気象条件でもそうはなりませんでした。

私の父方のお墓にも家族で行きました。
そちらは涙が流れなかったので、また来いとのことなのでしょう。

来年は母方に行く予定です。
今年行こうと思いましたが、母が都合を合わせて一緒に行きたいとのことなので、来年の宿題となりました。

こうして目に見えない方たちと交流していくんだなと感じた今日この頃です。

■レベル3をスタートして、ご先祖様からは反応を頂くことができ、何回祈ればいいのか分かるようになりました。

遠く離れた父のお墓にお参りすることもできましたし、これから旦那の方にも行く予定でいます。
その際に過去帳を見せて頂けるお約束もしました。

小さなお寺さんで怒鳴られたり、もちろん丁寧な方もいましてお堂に上がらせて祈らせて頂いたり、座禅体験もしました。

自転車で周っているので太ももは引き締まった気がします。

■レベル3の祈りを行っている時に出会った心身の不調に効果のあるキネシオロジーという技術を妻と二人で習っており、今年からは家族や友人、知人にキネシオロジーセラピーを行うようになりました。

この地球での使命を与えられたような、自然に、楽しく、幸せを感じながらキネシオロジーを学んでいます。

開業に向けて一歩一歩歩んでおります。
キネシオロジーの技術を深めるためにアメリカのロサンゼルスに行って参ります。

これから、多くの方のサポートができるように、精進して参ります。

■祈ららの祈りは強いものと思います。

注釈されていますが、精神的な病気の人は頑張ってはいけない。
でも辛いと思っていてもそれが生まれた時からだと受診する意識がなく、病識が持てない。
自分でどうにかしようとするのでなかなか難しいところです。

■瑞の祈りもですが、祈りを始めると、起きてくる物事を冷静に客観的に見れるようになったかもしれません。

自分は物事をネガティブにとらえてしまうことがくせになってるようです。

人生に大変なことも多かったので、防衛的にそうなってしまうので、「また悪く捉えちゃったな、私…」と気づくことと、その繰り返しで、起きてくること、感じることを上手にとらえて行動を変えていくという、地道な努力を積むしかないのです。

瑞の祈りの頃、ご祭神様からのエネルギーの感じ方は、2種類あった気がします。

正面からまっすぐズンと来るもの(「よく来た」等)と、子供がおじいちゃんの膝で聴くような、耳から入るようなものです。(「遠慮せんでいい」等)
後者は、神社が好きなこの地区の年配の方の念とか、もしかしたら、亡くなられている方?

霊の祈りの始まりは、できるかなあ、と思いましたが、いざやってみるとさわやかな気持ちになりました。
祈りの言葉の中で、胸がいっぱいになってしまい、いつも同じ箇所でつまっていました。
神殿の中はもちろん誰もいないけど、目に見えない親のような、大いなる存在が迎えてくれているようでした。

地域への祈りと、主に市内対象で自分がいつまでも後悔している相手が浮かんだら、祈っていましたが、それでよかったのかな。
とにかく、過去と自分自身を受け入れていくことにはなったようです。

何回目かの参拝で帰宅後、めまいがしましたが、大きな蓮の葉と花の夢を見たと、感想でご報告したかもしれません。

10回目の参拝の時、そういえばさらっと優しい雨が少し降ってきました。
参拝中に、気持ちが通じにくいと悩んでいた人から電話があり、とても素直な気持ちで話せました。

帰宅後のタイミングで、何年も断られた就業先から、面談するという連絡が入りました。
夫と結婚するとき、そんな言葉を知らなかっただけで、「カルマの相手(家)と結婚した」という感覚はどこかにありました。

夫はいい人だし結婚当初は仲良しで癒されましたが、子供が生まれてからが大変でした。
夫は、祈りや先祖供養をやめろとは言いませんが、「みんなそんなこと考えてない」と言います。
テキストなどを見せたら、なんでやらなきゃいけないの?と言われそうです。

11回目は、祈りの途中で涙があふれてきて、息子が今こうなっている(学校を休みがち、不安定)のは、それがすべての原因ではないですが、私がちょうどいい思い方ができなかった面があったことをうけとめます、と祈りました。(現実レベルでは、私のせいではなく、障害のせい、と言われます。障害を受け入れて、自分を責めないで、と。)

実の両親とのことも、夫の両親の価値観を受け入れられなかったことも、この地区でスムーズにいかなくて人を恨んだことも、私が逆境に負けてしまっていました、と祈り「私がこんどは逆境に負けないように見守ってください」「本当の気持ちに従って本当の満足で満たされる生き方ができるように見守ってください」と言い、涙を拭きながら帰りました。

厳しい言い方になるけれど、いろいろなことは、自分が引き寄せているから起きているのでした。

その後、スモーキークオーツの注文をして、確認の返信を受けっとった次の日の参拝で、つーんと檜の香りがずっと漂ってきました。
時々なるのですが、この日も、参拝の初めの言葉の途中で涙でつかえてしまいました。

祈りの後半くらいから、見える世界が今までとずいぶん違いました。
こんなにスムーズで良いの?と思いました。

時々、祈りの言葉を唱えながら気もそぞろになっている時があって、そんな時はあんまり檜の香りがわかりません。
集中しだすとまた香ってくるのです。
本当に不思議です。
モルダバイトが手放せないです。

参拝21日を終えた時、邪魔か調整が働いたようでした。
朝から用事があって出かけたのに目的地に着けませんでした。
何かに引っ張られるような重い感じでした。
お昼頃、「家族が倒れて救急車で運ばれていた」ことを知りました。

私だけ進歩成長しようとしても家族みんなで進んでいくことしかできない、という気がしました。

また、その後、祈りのテキストの一部がなくなっていることに気が付きました。
それは本当にショックでした。

その後、風邪で息子は咳が止まらず、学校を休んだり、大好きな水泳を見学していました。

私も咳が止まらず、声が全く出なくなり、やっと決まりかけていた面接後の仕事をなんと、ふいにしてしまい落ち込みました。
そればかりか、今までと同じ化粧品で顔がかぶれてしまい(年齢のせいかも)、ハーブやローズ水に変えて、何を塗ってもかゆいから、ファンデーションなどは手作りになりました。
4月から測ってないけどみんなに激やせしたと言われ、受け付ける食べ物が変わってしまいました(急に痩せて抵抗力が落ちたと思うけど)。
スイーツはほとんど欲しくなくなってしまいました。
食べたものの匂いがずっと気になって、必要なもの、不要なものに敏感になっているようです。

祈り期間、夫との喧嘩は過去最高でしたが、方法としては良くないけど、自分の本当の気持ちを出せるとすっきりして、3週間ほどで私の体調は戻りました。
息子は2週間ほどでした。

足が遠のいていた参拝、レポートやワークもやっと取り組めそうになってきました。

21日の参拝を終えて、強めの浄化もおさまってきて今、自分の半生をネガティブに思うのではなく、進歩成長のために必要だった面を自分でねぎらって自信にしていいとわずかに思えます。
社会的に、達成してきたこともあったのではないでしょうか。
同時にそのことで、カルマをつくってきたとも言えるのですね。

間違っていたこともあったけど、それは、進歩成長の気づきのためだったと、実感できるといいのでしょうか。

より上手な思い方、上手な振る舞いができるようになれるといいのですね。

インナーチャイルドの癒しを並行しながら、心を開ける相手がもう少しできるといいのですね。

また、どこか守られている感じもあり、ご先祖様に感謝しながら供養できたらいいのでしょうか。

慢性的な絶望感のようなものはありますが、極端な落ち込みは和らいで、カルセドニーにはさらにクラックが…(かわいそう)

癒し系の石を、着けていられなくなって、外さずにはいられないことがおきます。
エネルギー補給がちょっとずつされている?ということでしょうか。

まだ、少しずつ浄化が起きてくるのでしょうか。
でも、進歩したいという気持ちは止まることがありません…。
いつもアフターフォローや励ましをいただきまして、感謝いたします。

■霊の祈り1を受けました!
コロナの初めの頃で、職場が潰れ仕事がなく、家に引きこもっていてもいけないので近所の〇〇神社に参拝する日々でした。
人があまりいない時期で祈りやすかったです。

通っているうちに、何も感じていなかったのに、実は色々なことが感じとれているのではと意識が変わっていきました。
悩みがあればそこの神社に行き、答えが分からなくても心の中で会話したりするようになりました。

今は引っ越して生まれた街とは違う街にいますが、当時の神社の写真を見るだけで泣きそうになります。
目に見えない大きな存在、色々なものを司る力も「存在」なのだと最近また実感できるようになり、心が温かくなります。

かなりたくさんの資料も送っていただき、コロナの中楽しい友ができたような感覚でした。
確実に私の中の意識が変わった体験でした。
ありがとうございました。

■この度は、祈りに出会わせていただき感謝します。

正直、最初は「できるかな」と違和感がありました。

祈りを始めて(特に「〇〇神社」に行ったとき)、最初のうちはとにかく祈れたことがうれしくて、そのうち、自分のいままでのことが恥ずかしくなったり(その時はそれで精一杯だったとしても)、辛かったことも自分が原因と受け入れる気持ちが出てきました。

そして眠くなります。

初めて「〇〇神社」に参拝したときは、帰宅後めまいがしてその夜、大きな蓮の葉と花の夢を見ました。

■今回は職場の鎮守参拝での体験をご報告させて頂きます(長文)

3月の半ばに初めて職場の鎮守参拝を行いました。

横には三宝に載せられた御神籤があり、中に一つだけ古い感じのものが目に入りそちらを頂くことにしました。

以下、その「神の教」からの引用です。

『影が鏡か、かがみかかげか、拝む心が、神ごころ
拝む姿が、拝む心が、神の姿、神の心。
神様の清しい正しい誠の心と、神様から受け傅える(かしずける)真直ぐな、美しい自分の心が、拝むことによって、ピッタリ一つに照らし合わされれば、邪魔の入る一分の隙もない。安心して其日其日が楽しく面白く過ごされる』

紫野先生や祈ららのことが通じており、祈ららの祈りを励まされるようなお言葉に感動しました。
表面には『何事も正直にして他人を恨まず仕事大事と励みなさい』書かれており、仕事面に触れられるあたり、さすがは職場の鎮守様なのだなと思いました。
心に刻まれる参拝となりました。

後日↓↓

前回からひと月ほど経ち職場でも新年度になりましたのでご挨拶も兼ねて鎮守へ向かいました。
今回は祈ららの祈りを行ってみたところ、途中から眉間というか顔面から頭部にかけてものすごい圧迫感を感じました。
御祭神の前での祈りだから通じやすいのでしょうか。
(家の鎮守様は閉鎖されており普段は外からお祈りしています。)

スギライトを初めてお迎えした時に受けた何倍もの強いパワー?御祭神の力?に圧倒され震えるような祈りとなりました。

その足でいつもの鎮守様で参拝しました。
まだ顔面から頭部には神様の気が感じられましたがこれはどちらの神様のものだろう?と思いながらその日の祈りを終えたのでした。
自分のカルマに気付く少し前の出来事です。

■今日は鎮守参拝で気付いたことがありましたのでご報告させて頂きます。

その後も鎮守参拝は毎日続けておりいつの間にか二ヶ月が過ぎていました。
時々不思議だなぁと思う事がありましたが涙が溢れるようなこともなく、それでもいいのだからと淡々と通っておりました。

三月末に職場の鎮守の参拝を行い、2回目に祈りを捧げた時とても強い御祭神の力?のようなものを感じました(また改めてご報告致します)。
そして疑問を持ちました。
なぜ鎮守では何も感じないのだろうと。
そして昨夜眠ろうとした時ふと「私にカルマがあるのではないか」と浮かびその時に涙が出そうになるのです。

今日も鎮守に向かう道すがら「きっとそうに違いない、私がこの土地や鎮守様や氏子の皆様を苦しめた事があるのだな」と思うと涙が滲みます。

車から降りて急かされる思いで鎮守に向かうと少し離れた時にピッと音がして自動で施錠されました。
私はすっかり施錠を忘れて行こうとしていたのですが何かの力が働いたようです。

鎮守に足を踏み入れる時から鳥たちの鳴き声がこれまでで一番激しく聞こえました。

カルマのある私がこの土地をお里として生まれ、
幼き頃から無邪気に行き来し成長するとこの土地に嫁ぎ、こんなにご縁の深い鎮守の神様だからきっと喜ばれるに違いないとの思いで祈りを捧げてきたことが本当に申し訳なく、お経を唱えていると涙がポロポロとこぼれました。
カルマの深さゆえにこれほどこの地に引きつけられていたのだなとやっと気付きました。
溢れる涙は私の心で御祭神様が喜ばれているのでないのかもしれません。
祈り終わってからも「カルマのある私が毎日来て祈る事を喜ばれないのではないか?」と思いしばらく立ち尽くしてしまいました。

しかし振り返り鳥居を出る頃には「だからこそ来なければならないのだな」と思うのでした。
以上が今の私が気付いた事です。

些細な事かもしれませんが今日鎮守から出た時初めてげっぷが出ました。
げっぷは浄化であると何かで読んだように思います。
もしそうならば御祭神様のお心は何と偉大なのでしょうか。

↓つづき

涙が流れた翌朝のこと、階段を普通にトントンと降りた自分に驚きました。
というのもレベル2を申し込んだ頃より臀部から脚にかけての痛みが激しくなり、治すには手術しかないとのことでした。

降って湧いたように症状が出始めたこと、急激に悪化したことなどかなり不自然で恐らくカルマではないかと思います。
今朝はまた元に戻り一段ずつ片足ずつ降りることしかできませんでしたが、昨日のそれは鎮守様に心が通じたことを示して下さったのかもしれないなと思うのです。

かなりつらい症状ですがそれでも本来より軽くして頂いているのかもしれないと思うと、できるだけ休止することなく祈りを続けて行けたら…と思っています。

■先祖供養で起きたこと

お香の効果なのか、夫は生あくびがたくさん出て、眠い眠いという日が続きましたが、いつも仕事で疲れてイライラしていたり、子供にきつくなったりしてしまうのが、穏やかになり、そればかりか私に余裕がないときはフォローしてくれるほどに。
助かりますが急にそうなるのでびっくりでした。

私は緑茶が苦手でおなかが痛くなるのですが、供養の時、おいしくなるように考えて心を込めていれました。
ご先祖様、喜んでくれたらいいな、と早く差し上げたくて仕方ありませんでした。
味見でいただきましたがおなか痛くなりませんでした。
いつも飲まない夫まで飲んでましたし、くれたこともないバレンタインのお返しまで来たのでどうしちゃったのと思いました。

外出中に上着から本当に心地よい香りがするので、何かなあと考えてたら、お香でした。(仏壇屋さんおすすめの、煙少なめさわやかな香りの毎日香)

神様、仏様と言うけど、自分は今まで何やってたんだと思いました。
ほぼ毎日供養していると(したくなるので)ある日、「本当に本当に本当にご苦労様でした。本当に本当に大変でしたね。本当に本当にありがとう。」と涙が出ました。

神棚には「お導きに感謝します」と言っていることが多く、お願いをしたことはなかったのですが、珍しく一つだけお願いをしました。(具体的に書けませんが)
自分の中でチューニングのようなことが起きました。

供養の時の香炉と燭台は手作りでしたが、さすがにやりづらいので小さい仏具セットを購入しました。
全宗派用の蓮の花が描かれてるものでしたが自分が蓮の上に座ってるような感覚になり、本当にありがたかったです。
座ったところからふわっと何かに包まれるような感じでした。
「ありがとう、ありがとう」と言って涙が出てしまいました。

■昨日の鎮守参拝では祈り始めると霧のような雨?
周りは降っていないように…と不思議に思うと葉に溜まっていたような大粒の水が首筋に2回落ちてきました。
しかし帰り道で周囲に雨の気配はないようでした。今日は30日目。
鎮守の側にある梅の一本が開花していました。
今も喜びの涙は頂けませんが心を委ねてお祈りを続けていくつもりです。

■一宮神社に行きました。
いろいろ考えて行こうと思い、休みをとり納骨の日から2週間後の今日行く予定でしたが、3日早まって行くことになりました。その日も他の用で休みを取っていました。
自宅近くの神社と私の実家近くの神社に参拝後用事を済ませました。
午前中いっぱいかかると思っていましたが、30分ほどで終わりました。
空は晴れて太陽の光が心地よくいい気持ち。
ちょっとだけ一宮神社のことが頭に浮かびましたが、気にせずもう一つ用を済ませようと行ったのですが、あいにく場所が空いてなく、自宅に戻りました。
時間は午前9時。
その時再び一宮神社が頭に浮かびました。
納骨の日から10日。
何が起こるかわからないので、いつも参拝に身につける6本のブレスにスギライトのさざれ、クンツァイトとイエローベリルのペンダントトップ。
そしてカンポ・デル・シエロを持って出かけました。

途中道に迷いながらもナビを頼りにどうにか着きました。
神社に向かう途中危うく転びそうになりましたが、傍にあった杭につかまりどうにか転ばずに済みました。
この時カンポ・デル・シエロだけ車の中。
過去に、〇〇神社に参拝した帰りに転び血を見たので用心はしていたのですが・・・・油断禁物。
何とか参拝出来ました。
参拝中ちょっとだけ目に湿り気を感じ、参拝終わりのニ拍手のニ拍手目の音が大きくなりました。
帰りは危うく道を間違えそうになりながらも、帰ってくることができました。

初めて〇〇神社に行った時にも思ったのですが、何だか両方の鎮守神社に背中を押され、導かれた様な気がしました。

■祈りを始めたことや波動の高い石たちを身につけていることなど、見た目には分からないはずですが、とりまく状況が変わってきているのを感じます。人間関係のところでは主人の名前をあげる日が多いのですが、私の主人に対する内面の変化(良い方へ)と主人の態度の微妙な変化を感じます。
クンツァイトの強い浄化が心配するほどではなくて良かったな…と思っておりましたが、ふと考えてみるとその頃から上司をとりまく環境が悪化の一途を辿っており、祈りの影響もあると思いますが数日前からは心身共に崩れて仕事にならない状況です。
もしかしたら浄化がその方に向けて作用しているのではないかと思うほどです。

今後は私にも強い浄化やカルマ出しがあるかもしれませんので気を引き締めながら祈りを続けていきたいと思います。

■昨日は6日目の朝でしたが予報通り積雪があり、鎮守の坂道は除雪がされておらず出勤前でしたので少々焦り、行きつ戻りつして何とか停車し、お社に向かおうとしましたが、新雪がどっさりあったため第一鳥居を入った所でお祈りをしました。雪道の通勤は時間が掛かるため「自宅参拝にすれば良かったのか…。不完全だったな。」という思いが込み上げてきて運転しながら涙が溢れました。
出勤時という抑制がなかったら号泣しそうなくらい感極まりました。
しかし不思議と心(ハート?)の辺りは温かく、気温0℃でしたが冷え性の指先まで不思議と温かさに包まれて有り難い気持ちになったのも事実です。

仕事中は徐々に頭痛になりましたが耐えられそうなので耐えようと思いました。
クンツァイトとチャロアイトのブレスから午後から何となくガーネットとひすいに替えたのですが本当にスッと頭痛が治り驚きました。

そういう経緯もあって7日目の今日は『行けば6日目の涙の意味も分かる』との思いもあり、張り切って鎮守に向かいました。
お社まではフカフカの雪が20cm位に見えましたが段々と雪深くなり進めなくなり、やむを得ずお社手前の3つ目の鳥居を過ぎた位置でお祈りをしました。
涙は溢れてこず、やはり昨日は不完全な祈りが悲しくて泣いたのだなと感じました。

出勤すると直属の上司(女性)が家で眩暈がひどく今日は大きな病院へ行くとのことでした。
この方は恐らく精神的に問題があると思うのですが気分の波が異常に激しく、気に入らないと周囲の状況おかまいなしで声高に攻撃するのでみんな怖がっていますが、私は2年間一番近い席で見ていて「可哀想」という思いもあり、毎日何とか穏やかな気持ちになってもらいたく、時には安心させる為に『充分お仕事をこなされていますよ』(実際はこのままでは先が心配と思っている)などと本心と違うことも言っていますので今朝はお名前を上げたところでしたのでそのせいかもしれないと思いました。

■もしかしたら、私の霊感は体感覚かもしれません。
肉体は聴覚優位だけど、精神の世界は違うのかもしれません。鎮守様にそれで投げかけたら、眉間がムズムズしてきました。
目に見えない存在と話せるようになったら、答えのない問いについて語りたい。
そう思ったら、たくさん話しかけるようになりました。
鎮守様との交流ですが、ある日仕事で疲れて祈っていたら、吹き出して笑ってしまいました。
まさか神さまが笑わせてくれるとは思わず驚きました。

感情で会話すること、市内全域参拝を通じた祈りをすることを通じて、本当に自分が求めていた道に通じると心から思えて嬉しいです。

自分は、知らず知らずのうちに人を傷つけている。
それに耐えられない。
どうしたら間違いを犯さないようにできるのか分からなかった。
思春期くらいから何か罪深いことを抱えているような気がしてました。
いじめにあったり人とうまく付き合えないのは、自分が何かあるのは薄々気がついている感覚がありました。
認めたくなかったんだろうなぁ。

この祈りを通じて、嫉妬や妬みや嫉みを浄化していけると思うと、本当に出会えて良かったです。

■先日、昨年亡くなった叔母を供養しておりました。
そうすると、黄色と白のお花畑に若い(18、9くらい)女性の姿が見え、なんとなく叔母かな、と思いました。
そして私の心が軽く感じましたので、ああ、叔母は良いところにいるんだな~と思いました。
ですが、叔母の足が花畑から動かず、見ると、その先にえんじ色のセーターをきてうつむいている男の人が見えました。
叔母から、「結婚していない息子が気になる…」という言葉が聞こえ、その日の供養を終えました。
私としては、ああ、これは叔母より先に癌でなくなったご長男さんのことかな?
ご結婚されていないと言っていたな。
と思いました。また、別の日には、父方の曽祖父を供養していたのですが、その際に左腕がピリピリといたみました。
自分の腕をさすりながらお経を唱えていましたが、あまりよくならず、ますますピリピリするので、なんだろうなと思っていました。
家系図のメモを見ていたら、曽祖父は日露戦争で腕をなくしたと父が言っていたので、供養の際痛くなっても自分の腕をさするのはやめて、曽祖父の腕をさするようにイメージして手を前にかざしてさすっていましたら、腕の痛みはなくなりました。
以前先生がドラゴンアイズで供養の際に出てきた方にお札を貼ってあげたという箇所を思い出して、そうしてみました。
すると翌日の供養では、お経の最後にポンと肩に両手が置かれたような気がしました。
ああ、曽祖父の腕が2本ともよくなったのかなと思いました。
また今日の御供養のお話です。
父方の曽祖父を供養している中で、良い反応も悪い反応もない場合がありました。
順調に祈れてはいたので、3日目になり「もうやめてもいいということかな?」と思って心の中で名前を呼んでみました。
そうすると井戸のようなところの内部から外の丸い光が見え、そこから私が呼んでいるのが見えたような気がしました。
私はこれはもしかして、曽祖父の視点かな?と思い、桶につながっているロープで曽祖父を外に引き出しました。
曽祖父はボーゼンとした様子でしたが、その穴から遠ざけベンチに座らせると、5歳くらいの男の子みたいになり、泣きじゃくっていました。
私がお経を終え、祈りの言葉を言っている間に落ち着き、真言を唱えていると、むくむくと大きくなり18歳くらいの若者にみえました。

■祈ららのこの第三段階の内容を知った時には、こんなにみっちりと、個別にやるのは結構大変だな、と思ったのですが、市内全域参拝を終え、個別供養をしてみて、祈ららの祈りの段階はとてもよくつくられているなあと感心しております。こうして個別供養をするまでの間に、ご鎮守との関係を確立し(第一段階)、大きな先祖の守りを得ながら、(第二段階)、強いエネルギーを持つ土地との関係、実際的な個人のカルマと相対していく(第三段階)というふうになっているのだなと思いました。
より身近で実際的な守りから、小さいカルマを解消し、大きな守りの中で大きいカルマ解消に向かっていく。
個別供養によって、現世で不浄霊となってしまっているご先祖が少しでも軽くなれば、一家のカルマは軽くなり、土地の負担も軽くなり、また自分の過去世のカルマも少しづつ理解でき、解消されていきます。
それは霊能者の方に負担をかけなくても、霊感がなくても、自分できる、可能な限りの浄霊方法、自分自身のカルマの解消方法なのだなあと感じております。

進みはのんびりですが、できる範囲でやっていこうと思います。

■『祈り通信講座』が届き、今日たまたま仕事の休みを取っておりましたので必ず今日鎮守の参拝に行こうと決めました。神社に近づくと車が一台、鳥居にバックした状態で停車しており道を塞いでいました。
中に人は居るものの車を動かす気配がなかったので出直した方が良いのか?とも思いましたが、参拝したいという気持ちを最初から挫かれるのはいやだな…と思い暫く待ってみて、それでも動かないので少しずつ近付いていくとやっと気付いたようで立ち去ってくれました。
手水舎が使えないのが分かっておりましたので家で手と口は清めて行きました。
鳥居をくぐると崖に繋がる左手の社叢の中に黒いものが動きましたがクマではないようでしたのでそのまま進むことにしました。

境内までは雪が15cm位積もってはいたものの氷のように固まっておりましたので滑りそうでしたが何とか沈まず歩くことが出来ました。

気温は1℃、みぞれが降る中での初めての参拝は祈りの言葉を唱えるだけでも必死、背後から誰か近づいてきやしないかとハラハラしながらであまり心を込められなかったかもしれません。
しかし祈りを唱えることがこれほど気持ちの良いものだとは知りませんでした。
今回は帰宅後も背中がゾクゾクするようなこともなくホッと致しております。

↓後日

今日も神社に参拝してきました。
恐怖心はあるもののその後の清々しい気持ちには代えられません。
みなさんの体験のように涙が出るというようなことはないのでそれは鎮守様の今のお心なのだなと思います。
寒さに震えながらでも祈りの言葉を唱えておりますと温かく見守って下さるような気持ちがしますので出来る限りは神社に出向いてお祈りしてきたいと思っております。

■祈りをはじめて、23年が過ぎましたが、最近進歩成長してるらしいと思えることが増えてきました。
それは、最近私に「憧れてます」とか「尊敬してます」という事が言われることが男女問わず増えてきたことです。
本当に私としては普通にしているだけですから、驚きです。確かに祈りはじめのころアフターフォローでひかりさんに「前向きな態度の方が好ましい」というようなことをおっしゃられて、それから数年間、前向きさを心がけたところ、毎日自然と起きた事への感謝と反省をし、反省点は次にではこれからどうすればよいかなどを考えて実行した(ここが大事なポイントな気がします)ことの積み重ねをしてきた結果かなぁ、と思えるようになりました。
最近は特に相手のタイプにあわせて接し方を変える、ということが対人関係では大切、とやっと気付き、遅ればせながら、少しずつ試行錯誤してるところです。

まだまだ私には課題があることは重々承知しておりますが、「本当に自立してますね」、「いつも前向きでありがとうございます」など言われることもだいぶ前から多くなってきたことを考えると成長が確認できて嬉しく思います。

自立してきた結果、どんな場面でも相手への不平不満はほぼなくなってきました。
相手を変えようとすることをしなくなってきたからだと思います。
相手が変わることを願うことって、それこそ賭けに近くて100年待っても無理なことが多いなぁ、と今は思っています。

■職場に通勤途中に地域の中核になる宮司さんのいる神社があり、毎朝お祈りできるようになりたいと憧れから祈ららを始めることにしました。
過去、2回ほど自己流で1ヶ月通ったことがありましたが、全然続かず諦めたことがありました。私のような一般人なんかが神仏と縁を持つことができるのか疑問でした。
生まれながらの特別な人だけと思い込んでいたからです。
霊的なものが見えたり聞こえたりするようにはなりませんでしたが、神仏の加護と導きを得ていることをハッキリと分かることがありました。

それは、人とのご縁です。

今まで生きて一番人間関係に恵まれています。
人とのご縁は、祈りの賜物だと感じます。

神棚で祈るようになってからSNSを通じて一気に人間関係が広がりました。

SNSの使い方は人それぞれだけど、私は、ここで起きることは神様から与えられた課題と思って真摯に対処することを決めました。

ちょうど子どもが手を離れていく年頃。
仕事と家事と子育てで疲れ果てていた毎日がガラリと変わりました。

生活サイクルは変わらないのに、家にいながら普通に生きているだけでは巡り会うことにできない人たちとの交流が始まりました。

人付き合いが面倒で自分の世界に閉じこもっていたのが嘘くらいの勢いで、本当にたくさんの人と関わりを持つようになりました。

当然関わる人数が増えるにつれて揉め事トラブルが起きます。
人と関わることによって、自分の性格的弱点や問題や課題を認識することも多いです。

それを一つづつ前向きに克服していってます。
営業や接客が苦手だから事務職を選んで仕事しているのに、趣味とは言え、人とのやり取りに抵抗がありましたが、数をこなすうちに自然とできるようになりました。

自分のやりたいことを決意表明できたし、人に言いにくいことや、お願いや交渉ができるようになりました。
スキルで言えば、1人で40分話すことができるようになりました。

これもご縁で仲間と一緒にやってきたからです。
今まで人間関係に恵まれたことがなかったので、この状況でできることを学んでいます。

実際の祈りの取り組み方ですが、新しい趣味音声SNSと並行して行うにあたり、どんなに面白い話をしていても、祈りが終わってから。
また、配信を聞き終わった後に必ず祈ると決めました。
もちろん、個人的な話をしてできない時もありました。

最初は4家から読経3回から始め、少しづつ負荷をかけました。

祈りの時間40分はあっという間です。
あまり面倒を感じず取り組めました。
学生時代の勉強を始める前の億劫さはあまりありません。

神棚を用意するところまでは躊躇なくできましたが、流石に仏具を準備するには家族の手前、抵抗がありました。
半年神棚での祈りを見ていて旦那から、「そのうち仏壇を買いそう」と言われたので、なんとか話を持って仏具を揃えて、スタートすることができました。
旦那の母も祖母もよくお仏壇で祈っていたので、奥さんが祈りを始めても抵抗がなさそうでした。

号泣することは一年間でありませんでしたが、感情で会話することがなんとなく分かり、身体から涙が込み上げてくる感覚はありました。

ニコニコしながら楽しい気持ちで祈ることもあれば、絞り出すようにお経を読む時もありました。

SNSで取り組んだことは、ブログにあるオーラからみる価値観です。
この話は赤色のオーラの話だなとか、考えながら聞き、心の成長に感心を寄せる人にかなり説明しました。

ブログの内容をノートにまとめて図に起こしました。


私は祈ららの何を祈るか?
その目的が好きで続けてます。
盲目的に神仏を信じるのではなく、〇〇〇〇ことに深く共感しているからです。

祈りとSNSでの活動が連動していることもあり、レベル2終了のちょっと前に困難と壁に当たってます。
失敗したことに落ち込んでいるのではなく、日頃から自分の伝えたいことを表現をしていなかった。
それが原因と言うことに気がつきました。

SNSに身を置いてますが、自己開示することを避けていました。
自分をオープンすることで、傷つきたくなかった。
周りにいる人に離れて欲しくない、嫌われたくない、批判されたくない。
自分を貫くことの怖さに向き合いました。

自分が良かれと思ってやった行動が、間違っていたらどうしようという不安。
かつて習っていた占いの先生が、「師匠の背中を追うのではなく、師匠の目線の先を追え」と言っていたことを思い出しました。

自分を貫くことは、追う人がいなくなること。
常識や親や先生が教えることでは対応できない。
そうしたら何を軸とすればいいの?
祈りで、神仏に守護導きを求めよう。

そう決めたら弱さが強さに変わった感覚を得ました。
そしてそれは心の軸として直接外に見せないし、きっと他人から見て分かることではないけれど。
信仰で心の闇を祓っていくんだ。
きっといつか神仏との交流が始まる。
その日を信じて。

自分に素直に正直に発信していこう。
自分を貫く発信をすることに対して、腹を括ることを決めました。

■鎮守神社への参拝、ようやく満願です。いつも緊張するのですが「あんた、そんな遠慮せんでいい」とか「いろいろ気にしなくていい」等…。
年が明けてからは、自分が整う瞬間を感じる気がして、参拝が好きになってきました。
途中、なかなか足が向かない期間もありました。

■祈りは夫婦でレベル3の市内参拝を少しずつ進めており、現実が良い方向に変わってきているように思います。祈ららの祈りを始めた頃には想像もしなかった人生になってきていて、祈ららの祈りの凄さ、出会えたことに感謝しながら日々過ごしています。
そして、先日、鎮守に初詣に行きましたところ、とても気持ちよく迎えてくださりました。
同じ日の夜に家族3人で鎮守に行きましたところ、妻が楽しく踊るように言われたように感じ、実家の方の宮踊りを妻が境内をぐるぐる回りながら踊り、涙していました。

■ゆっくりと祈り3をやっています。近所の地区の神社で、今まで聞いたことのないご祭神がありました。
神社庁のホームページで見ると、ご祭神はどんな人か分かりませんが、神社の由来は分かりました。
古代史は抽象的で、何を意味しているのか、私にはサッパリです…。
一回目の参拝では、挨拶だけをして帰りました。
二回目の参拝は祈りをしましたが、印象が重く厳しい感じでした。どうしても祈りの言葉を思い出せなくなりました。
シトシトと冷たい雨が降っていました。
今日三回目の参拝をしました。
新年で、地域の人々が参拝したからか?雰囲気が少し軽やかに思いました。
祈りを唱えながら、色々思いました。
ご祭神は、古代にこの地域の政を司っていた人かもしれないな…。
なんだか感動してきて、うっすら泣けてきます。
いい参拝ができました。

なんだか色んな神社に出会えて、うれしいです。
うれしかったので、感想を書きました。

■本当は、自分の先祖供養がどのくらいあっているのかなぁということが知りたくて瑞の祈り2が欲しかったのですが、1を飛ばすのはダメなんだろうなぁということで、1.2を注文させてもらいました。なので、1の次は皆さん霊の祈りにされていますよと教えていただきましたが、断ったのはそういうことなのでした。
先祖供養の方は、お墓参りにお菓子を持っていく風習がうちの方にはないので、お団子を買っていきました。
これだけが、できてないポイントで、やってみて何だか安心しました。

そういえば昔は、お墓でお饅頭をむしゃむしゃ食べているおばあさんとかいたなあ。。と思い出しました。
お地蔵様とかにも、お菓子がいっぱいでした。

ということは、ここ30年~くらいでお墓にお供え物をしなくなったのかなぁと思います。(カラス対策とかですかね。)

■カリキュラム取り組み中の、途中経過報告を致します。私がLv.2の申込みをさせて頂いたのは去年の5月頃でしたが、転居・転職などの事情が重なり、神棚礼拝と先祖供養を実際にスタートできたのは、申込みから1年近く経った今年の4月に入ってからのことでした。
有難いことに父方の先祖供養は1日目から号泣できましたが、母方は60日目を過ぎる頃まで、ずっと長く無反応の状態が続いていました。
そんな中、母方の供養が90日目を迎えようとしていたつい先日のこと、偶然に立ち寄った店内で流れていたBGMの懐かしさに、思わず心が躍りました。(それは、子供の頃に夜更かしをしながら聴いていたラジオ番組「The American Top 40」で何週にも渡ってチャートインをし続け、ついにNo.1にまでなった曲だったからです)
帰宅し、スマホの鼻歌検索でググった所、その曲はビリー・ジョエルの「The River Of Dreams」であることが分かりました。

 

この曲への興味から、ネットで歌詞の和訳をいくつも読み漁っていたところ(訳者の言葉選びによって、一つひとつの完成形が微妙に異なるのです)、次第に「まるで、三途の川を渡れないでいる我が母方先祖達のことをいっているようだな…」と感じ始め、急に涙が込み上げてきました。
ビリー・ジョエルのボーカルは最高にノリノリなのに、歌詞の意味を知ってしまったがために、私には切なくて涙が溢れてくるばかりです。

以上のことから、今後の母方の供養の折には「〇〇〇〇〇〇〇〇」で進めてみようかと目下思案中です。
ここの所、日常生活でもなかなかしんどい思いをすることが多いのですが、踏ん張っていきたいと思います。

※注)
我が母は、私が11歳の時に完全に育児を放棄しましたが「産みっぱなしじゃない!ちゃんと育てた!!(怒)」などと言う人です。
悲しい現実ですが、母方の家系はこういうタイプの人物を(悪い意味で)輩出してしまう血筋です。
神棚の神からは「あれ(我が母)と共に生きるのは、共倒れの道ぞ」と言われ、父方先祖からは「オメェのあのお母さんとは、もう会うんじゃないぞ」と言われています。

■SNSでスピリチュアル系の方と交流がありますが、私は、ちょっと変わったことをしている人と見られているようです。
「心で祈ればいい。型はいらない。神棚いらないし、お辞儀もお賽銭も必要ない」
直接言われたわけではありませんが、もっと自由でいいと伝えたいのでしょう。頭では、みなさんが語ることに対して納得同意していますが、理屈でない部分で、この祈りに惹きつけられている感じがします。
どっかで「自分、何やっているんだろう?」とツッコミを入れますが、よく分からない所で必要性を感じてます。
かなり負荷がかかりますし、8家の供養のメニュを半年以上続けることは大変です。
それでも祈りをしていると、楽しいと思う気持ちや心が満たされるような不思議な気分、それを味わえただけで、神様の声が聞こえたり、天使が見えたり、幽霊と話したり、龍神のエネルギーを感じなくても、充実感が持てて、この祈りに巡り会えてよかったです。

■無理と思っていたお経を8ヶ月で暗唱できました。
同じ文言の繰り返しが多いので、見ながらでいいと思っていたのですが、紙がボロボロになり、セロテープを何度も貼り付けたのを見て、思い立ったのですが、覚えられて嬉しかったです。
お経を暗唱できる人生が自分にあると思わなかったので驚いています。
ちなみに今年5月から8家でほぼ毎日頑張ってます。祈りをしていると、気力が満ちるのを感じます。
きっと前世でも祈っていた気がします。
過去と現在と未来が一つであるような、不思議な感覚になる時があります。
先生が、守護し導いていることを何となく感じています。

ありがとうございます。

飽きっぽい自分が毎日続ける祈りができると思わなくてビックリの一年です。
特に通信教育系なんて資料を取り寄せて終わるのが私の普通です。
普通は段々楽な方向にいくのに、どんどん自分から負荷をかけてます。
勉強やピアノや英語や難しい知識を得ることなど、ルーティンの前は嫌々になるのに、この祈りはどこか楽しんでいて不思議です。

観音様とご縁があるかどうか分かりませんが、祈っているとき、ふと湧いたイメージがあります。
仏像の前(観音様かどうかは知識がないので分かりません)で、袈裟を着た一心に祈っているお坊さんの姿が浮かんできました。
高僧とか立派な人ではなく、田園風景が広がる農村部の普通の人っぽい感じでした。
多分私で、前世というものがあるなら、それかもしれません。

お経を唱えていると、過去も現在も時間が同時に存在する不思議な感覚になる時があります。

霊的な感覚なく鈍感だと思っていましたが、よく分からないものです。

■完璧でないですが、神社参拝も順調にできていますし、神棚の祈りも祝詞全集からいくつか選んで奏上していますし、先祖供養は来年の1月中くらいで一年になります。毎日コツコツ続けることで自信に繋がるんだなと感じてます。

■神社参拝に慣れなくてで緊張したので最初のうちは感想を記録していました。
瑞の祈り初日 やっと来られてうれしかったです、と伝えました。
祈りの言葉は短いですが、途中でじわじわと温かいものが込み上げたり、感極まったりしていましたが、表には出せませんでした。
帰りに、神社に敷かれている砂利がきらきらしてところどころ翡翠のように見えました。
とても緊張していたので、とにかくぎこちない作法になっていました。
帰宅してリラックスすると、喜びでいっぱいになりました。
部屋の空気が軽くなってきらきらしていたり、ふっと檜の香りがしたり(なんでかな)、涙が出たり。
何より、鳥居から振り返ったときの神社の美しさは、素晴らしかったこともよみがえりました。しばらくして、鎮守がカルマのコントロールをしてくれている、というのが分かった気がしました。
祈り5回 このあたりで、最近行っていなかった実家へ母の様子を見に行きました。
元気だったかなと気になって訪ねたのですが、今まで、母のところに少し行くだけで、ものすごい疲れて寝込んでしまうくらいでしたが、その日は大丈夫でした。
それだけでなく産土神社のことを尋ねてみたり、昔話をしたり、最近起きた気になることをいっぱい聞いてあげたりできたのです。
おかげさまで充実した気持ちを持てました。
鎮守の参拝と、インナーチャイルドのワークのおかげでしょうか。

■レベル3の祈りは夫婦でマイペースに少しずつ進めています。
祈りを進めると共に住んでいる土地がどんどん好きになっているように思います。現在も仕事は休職中ではありますが、将来に向けての学びをしながら、なんとか生活できており、ご神仏様にお守り頂いているように感じます。
毎日感謝しながら過ごしています。
今は〇〇〇〇と〇〇〇の両方の技術習得に励んでおり、妻のご両親にも施術をしたり、一歩一歩確実に前に進んでいます。

これからも日々精進して参ります。

■【中間報告】今回は、9月23日の秋分までに、私のほうのご先祖の供養をすべて終わらせることを目標に、続けていました。
そして、昨日、9月20日に、無事、目標を達成することが出来ました。
ありがとうございます。

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想えば、ちょうど一年前には、〇〇家の供養をすべて終わらせる目標を達成し、今年は、私の先祖すべての供養を終わらせることが出来ました。

それ以前には、妻のほうの供養をしたり、市内参拝なども行っていたので、この夏は、本当に供養に特化した祈りとなっており、大変にエネルギーを使ったなぁと実感しております。

『異人たちとの夏』という映画を、夏の終わりに観ましたが、この夏、私は実際に会った人たちよりも遥かに多くの異世界の先祖たちとの交流で過ごした時間のほうが多く、私にとって2022年の夏は、まさに『異人たちとの夏』一色でありました。

今回は、半分レポートのようになってしまいますが、レベル3は盛りだくさんですので、中間報告としてちょうど良い時期かなと思っております。

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いま、終わってみて思ったことは、ちょっと期待していたこととは、違ったということでした。

私の血の中に流れる、もっとも近しいご先祖や、私が生きて実際に会ったことのある親戚もたくさんいたので、彼らは、私に感謝して、もっともっと運勢を上げてくれるものとばかり思っていましたが、実際は、以前と変わらない生活が続いているように思います。

昨日、最後のひとりの供養が終わってから、美容室に行き、その足で実家に行きましたが、両親は相変わらず小競り合いなどを繰り返しながらも、私を交えて一緒に食事をしましたが、先祖の話しになっても今一つ盛り上がることなく、特に言い合いになるようなことはなかったものの、なんだか妙に体調が悪くなって、帰宅するとくたくたに疲れていて、その日は家事も放りっぱなしで、すぐに寝てしまいました。

妻には、これまで以上に感謝の言葉を、意識してかけるようにしていますが、妻のおちょこちょいはそのままで、私はと言えば、夏に大切なお客様が去っていった心の痛手を、まだ払拭できずにおります(内省は済みました)。

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それでも一回一回にかける供養は、毎回、そのたびに違う出会いがあり、重い人、軽い人、濃い人、薄い人、高慢な人、卑下する人、お供え物を遠慮する人、のべつ幕なしに食べたいものを列挙する人、本当に様々でした。

読経の一回目ではほとんどわかりません。
二回目を唱えると、その霊の様子が大体わかるようになり、少し重さを抱えた霊は、三回目が終わると、すでに軽くなり始めます。

中くらいの重さの方は、7回終了後には、良くなっていることが多いです。

それ以上の重さを抱えている霊は、大体、真言を唱えることで、一日で終了となりますが、中には、霊障を供養後に霊障をひきずったり、部屋の中がもわもわとして、窓を開けて放つこともありました。

初めから覚悟はしていましたが、私の叔父にあたる方で凶悪な…(笑)方は、三日かかりました。
でもこの日数は、私にとっては拍子抜けするくらい意外な速さでした。

もっとも長かった人は、8日かかりました。
理由あって、葬儀以降、親類がその後の回帰供養を一度もしていなかった女性でした。

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家系の中には、何人か離婚があったり、夭逝した子たちも少なくありませんでした。

また、養子縁組や兄弟間での養子養父の関係を持った人も何人かありました。

子孫の人生のことを後々まで興味を持って聞いてくる家長のようなおじいさんもいましたし、逆に、未だ、生前の葛藤が払拭できずに苦しんでいる人もいました。

親や子を愛せない人もいました。

誤った稲荷信仰をして、その後の子孫に良くない影響を与えていた女性もいました。

肩書と内面が大分違っている人もいました。

性格の良い人にあたると安心しました。

素直な人は、目いっぱいお経を吸収して、天に昇っていきました。

生前宗教を持っていた人ほど、成仏は遅くなりました。

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そんなことがありながらも、夏の季節中、私の心は、陰へ陰へと向かっていきました。

妻には「うるさい」ばかりで、ちっとも優しくしてあげられませんでした。

また、お祈りの最中、その人の名前を想起しながら、お経を送っているつもりが、私が人生の時々で、人にされた悔しかったこと、憤り、心の傷、先々の不安…

コンプレックスが次々にあふれ出して、供養が終わったご先祖の数が増えるたびに、私の自信や誇りは、却ってそぎ落とされていったような気さえしています。

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私は当初、この修行を始めた時に、死んでもいいと思って始めました。

〇〇〇〇協会を皮切りに、30年間、多くの先生に師事し、色々なものを犠牲にしてきました。

結婚してからは、自身の最後の誇りであった善人でいるということも、妻側の多くの人間たちによって破壊されてきました。

世の中の真実を求めれば求めるほど、正義とは程遠い、人類というものの作って来た歴史の数々。

20代の頃のお世話になったあの先生にまた会いたいな…

そうして久しぶりに連絡をとってみると、奥様が出られて、その電話の半年前に他界されていらっしゃいました。

紫野先生の祈ららに出会ったのはその頃でした。

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その少し前には、陰陽師になるために、関西に誘われたこともあります。

でも、どうしても気が進まなくて…

最近、千日回峰行の動画を観ました。
来る日も来る日も、山内を回峰し、ケガをしても病になっても、休んではならない。

1300年間の歴史の中で、成功した人はたったの二人だと。

そして、修行を失敗したものは、自害するのだと…

私は、彼らがなんのために、その行を課すのか?悟りが目的だというのであれば、どこか間違っているような…

ただ、、現在、年間三万人の自殺者が出るこの国で、藁をもつかむ気持ちで、死んだ気で何かに挑戦したいという気持ちは、私は、ようくわかります。

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私の『異人たちとの夏2022』は、楽しくも、苦しい修行の日々でありました。

美容院の人から、以前はなかった白髪が増えた(私の髪は長く、生えてきたのではなく、急に白くなった毛が何本もある)と言われました。

今は、日常の感謝や喜びといったものからは、だいぶかけ離れています。

それでも、進むわけは、…この30年考えたこともありません。

でも、とりあえず、私の分の供養だけは終わりました。
嬉しいのは、ふたたび同じ霊の供養をしなくてもいいこと。

最近は、一度の供養で、かなり成仏に近いまでのご供養が出来るようになったようです。

以前は守護霊に守ってもらうことばかり考えていましたが、なんだか今は、どちらが霊界だか現実だか?

どちらが守護霊だか、見守り、助けられるほうだか分からなくなりました。

以上、中間報告とさせていただきます。

お読みいただき、ありがとうございました。

我が人生のこの時期に、この法に会わせていただき、感謝申し上げます。

これからもよろしくお願いいたします。

■(先祖供養よりも)神様の方が波動を感じやすく、祝詞を読むととても温かく満たされ少し軽くなります。祝詞の本に、この世で生きるための叡知が詰まっていて、神々の名前を見ていると、日本はこんなにも守られている神の国なんだと泣けてきました。
みんながこれを知って祈れば、日本の精神性は更に良くなり真の神の国になるのになと感じました。

■「霊の祈りレベル3が始まってから約3年半、約300の寺社を巡らせていただきました。
レベル3の祈りの途中ではありますが、市内参拝が終わりましたので祈りのご報告をしたく、連絡致しました。<祈りの歩み>
祈りを始めたのは、〇〇〇〇年年始からでした。
私の出身は四国で、いつもお遍路さんを見ていたので、参拝に回ることはとても自然に思えました。
先生も一度会報の中でも書かれていたように、私も何か行(ぎょう)がしたかった。
自分の体を使って、何かできるというのは私にとって心強いことのように思えました。
〇〇市は合戦もあり、いろいろな勢力が入り乱れた場所でもあります。
最初は様子を見ながら…ということだったので、1ヶ月目は1週間に2~3社、数日おきにとしていましたが、もっと祈りを進めたいと思うようになり、3ヶ月目には、週に4社も5社も祈っていました。
ご鎮守の周りから放射状に広がるように祈り、最初は近所ばかりだったので、実際に行って祈ることができました。

2年目に入ると、近隣で参れるところはほとんど終わってしまい、一度伺って祈った後は、ほとんどが自宅の神棚か、鎮守での参拝になりました。
私自身行ったこともないところも多く、山の中にかなり分け入って祈ることもありました。
合戦の跡地などでは、しんどくなり、帰ってから石を外して寝るというようなところもありました。

他にも伺った先では様々な反応もありました。
「うちは旧○○町だから、〇〇市に一緒にして欲しくない」と言われたこともありますし、逆に、「そんなに遠い街中からここまできてくれたんだね」とわざわざ果物を持ってきてくださった方もいらっしゃいました。
町の歴史も様々、人も様々な反応でありました。

山の中では、獣除けの電気鉄柵を超えた向こうに、素晴らしい神社があったりして、土地のエネルギーを強く感じました。

3年目には主に〇〇町を回りましたが、やはり〇〇町エリアでは、〇〇一族の力というかエネルギーを強く感じました。
〇〇町は神社もお寺も立派なところが多く、観光がてらのんびり巡りました。
〇〇町は〇〇市と少し雰囲気が違い、鎮守も力強かったですが、お寺からもエネルギーを感じました。

一応地図にある所と、また、地図にはないのですがナビで表示される所というのもあり、それもできるだけ回りました。
地図にある中で、「〇〇堂」などと記載があり、山中に紛れてしまってわからないところが3、4箇所ほどあり、そこは結局断念しました。
295の寺院、神社を回り終え今年の6月に一応の市内参拝を終えました。
まだ少し見落としているところがあるかもしれませんが、それはまた今後近隣を通って見つけたら祈っていきたいと思います。

祈りの中でいくつかとても印象深いことがありましたので、それもご報告致します。

まず、ある地域の諏訪社で祈った時のことです。

地元の名前のついた神社でしたが、御祭神は建御名方命、八坂刀売命でした。
諏訪社はとても多く、よくあるパターンでした。
そこで祈り始めると、私は〇〇〇〇〇〇〇〇…という思いで一杯になり、祈りの言葉を終えたあとは、号泣し、「〇〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇…」と繰り返しました。
自分は女性であり、なにか大変なことをしてしまった。
大切な物を置き去りにしてしまったような気がしました。
建御名方命は全て知っていて、優しい感じで、「もうよい」と言ってくれたような感じがしました。
私は建御名方命を悪者にして封印することで、他の安心を得たのだという気がしました。
建御名方命は戦いの神と言われますが、私自身の印象としては、闘うというより、そうせざるをえなかったので、そうしたという感じでした。
爽やかで優しい雰囲気でした。
とても温かい空気を感じて、建御名方命の存在みたいなものを感じました。
神の雰囲気は私の倍ぐらいの大きさがあり、(3メートルぐらい?)背中に手を当てられたような気がしました。

それから、他の諏訪社で祈る時も、同じ雰囲気を感じたところがありました。
神社の名前は地元の地名がついているので、諏訪社かどうかは入って確かめてみるまでわからないのですが、入る前から、あ、これは建御名方命様だなと感じる雰囲気で、諏訪社でした。
そのときの私はなんというか、恋するような気持ち似た高揚した感じがします。
これは神への私自身の憧れということかもしれません。
建御名方命の祭られているところでは、いつも強さより優しさを感じました。
諏訪社は多かったですが、すべてが同じ印象ではなく、なんの反応も感じないところもありました。

また、250寺社を超えた頃に祈った神社では、建南方富命と白木武尊(タケミナカタの命と、ヤマトタケルの命でしょうか)でしたが、祈っていると身体がびりびりと電気的なものを感じ、足元から何かが登ってくるような感覚がしました。
声が響いて、私だけではない、誰かの声と重なっているような音でした。
私が何かに包まれているような感じがしました。
水のなかで話すとこんな感じがするのではないかな?という感じで、声が不思議に響きました。
祈り終えると、声の響きも普通になり、無事終えました。

他には、愛宕神社ですが、祈っていると、不思議に美味しい甘い感じが口の中に広がり、どこからか白檀の香りがしてきました。
なんとなく神気を感じ、祈りました。
祈りはとても楽しい、温かい感じがしました。
いつものお仏壇での祈りで、白檀入りのお線香をご先祖様が喜んでいる感じがしていたのですが、これは神の神気に近いからかなあと思ったりしました。

<祈りの中での外側の変化>
初めはゆっくりと始めたのですが、だんだんと市内参拝が楽しくなり、毎日祈り始めた頃、次男が自家中毒になり、下痢嘔吐を繰り返し、2週間ほど点滴に通いました。
1ヶ月で体重が1割ほど減ってしまい、これは祈りによる浄化の影響が家族に出てきているのかなと思いました。
それからは、市内参拝はお休みし、レベル2の祈りを続け、調子がよくなれば再開するというやり方で進みました。
その後も家族の不調はかなりあり、その時はお休みするか、かなり頻度を下げて行いました。

この3年いろいろありましたが、カルマが出てくるということは、それを手放せる時だとも思い、それはとても有難いことかもしれないと思いました。
私自身としては自分の身には何も起こらなかったのですが、何か起こった時は祈りのペースを休むか緩め、自分が気付けること、自分の内側に沸き起こってくることに集中しようと内省が多くなりました。
家族の入院や手術などもありましたが、皆特に命には別状なく元気に過ごせています。
これは、大難を小難に替えていただいたのだろうと感じ、鎮守にて御礼を伝え祈りました。

<祈りの中での内側の変化>
この3年、私自身は風邪もひかず、体調はよかったです。
行動力も増したと感じています。
始めた頃は、まだまだ内省することが多く、それだけで日々が終わることが多かったです。
市内参拝を初めて1年ぐらい立ってから、少しは自由な自分を開放し、いろいろなことを楽しみ、トライすることができるようになりました。
手芸や、絵を書くこと、読書、ものづくりなど、感覚的なことが多かったように思います。
『「ほんとうの私」を生きる』の本を手引きにワークをしていました。
見ること、聞くこと、感覚に集中すること、集中し続けることは難しかったです。
トラウマを思い出すことなどは、インナーチャイルドワークでやっていたので、その延長でインナーチャイルドとノートの中で話し込みました。

その中で、どうも自分は身体感覚的なことが苦手だなあと思い、身体感覚を取り戻すために太極拳を習うようになりました。
太極拳では、腸腰筋という内側の筋肉によって起こってくる力をいかに素直に手足に伝えるか。
筋肉ではなく、骨で動く、など最初は????という感じだったのですが、これは、結局スピリチュアル な知恵と同じことを言っているのだなと思うようになりました。
スピリチュアルな柱を中心において、それを素直に伝え、生きられるようになりたいと思うようになりました。

また、自分の認知の特性について知るために、ユングのタイプ論を元にしたMBTI診断なども受けました。
私は内向的感情型のようで、直感を使うタイプなので、思考と感覚的なことが苦手なのかなと自覚しました。
直感は捉えやすく、未来の方向性はわかるのですが、現実を変えていく力がとぼしく、そのことは感覚をしっかり確かめる、今の事実を捉え、替えていく力を養う必要がありました。
そのために体を使うことは役に立ったように思います。
ただ、それはどうしても優勢な機能ではないので、集中して意識しないとつかみづらいです。
内省は感覚と思考を使うので、私の苦手をずいぶん鍛えてくれたように思います。

祈ららの祈り3に入り、自分の課題である経済的自立の課題に取り組んでいました。
その中で投資もやってみたりしましたが、投資というものをやってみて、金融システムというものが、いかに幻想的なものか、虚しさというものを感じました。
利益も出たのですが、投資を続けるということは、今の経済体制をより強固にし、仮想システムを支えることになってしまう。
私自身が本当は虚像であったものを実態だと思うようになってしまうように感じました。
それは私のセルフの望んでいることではなく、私はこれを続けていきたくはないなと思い、すべて株を売り、資金は引き上げました。
投資を学んで、世界がどう動き、世間が何を見ているのかの一端を学べたように思います。
しかし投資を続けようとは思わなくなりました。

今感じるのは、自分自身のエネルギーは増し、以前より軽やかに生きている気がします。
小さな失敗も大きな失敗もありますが、そういうことにあまりとらわれなくなったとも思います。
少しは迷い悩む時もありますが、内省し、自分で決め、行動し、振り返るということを繰り返せるようになりました。
まだまだ行動の力は弱いですが、少しづつ成長しているようには感じています。

今はスピリチュアルという真の柱から最も素直なかたちでセルフの表現としての自分で在れるよう、その意思を感じ、実現できる力を強くしていこうと思います。
経済的な自立に関してもその柱から素直にできることでやっていこうと思い、再挑戦しているところです。

<祈りを通して全体的に感じたこと>
最初は、住んでいるところと遠い生活に関係のないエリアも同じ市内だからというだけで参るということを不思議に思っていました。
それよりも、いつもよくいく隣町の神社に行く方が良いのではなどと勝手に考えていましたが、そうではないのだなと思いました。
この土地に住んでいるということは多かれ少なかれ影響を受けています。

行政上の県や、市というものは、人間が決めた勝手な境界線ではありますが、できる限り一緒に協働させていただきたい。神々の働きの助けになればと思うようになりました。

現代は、山を崩し、木を切り土地の神やエネルギーなど考えずに、人間の利のために利用されていることが多いです。
それでも、山や町、様々なところに神のエネルギーは確かにあり、網目のように目に見えない力で私たちを支え、守られているように感じました。
神社の鎮守の森では少しではありますが木々や植物が守られ、日本に息づいています。
そこにある御神木、植物たちからはたくさんのパワーをいただきました。
私たちは見えないものに守られ、育まれている。そして土地にはそれぞれの歴史やエネルギー、特性があり、古代はそれをよく理解していたのだなと感じました。

結婚し、引っ越してきたときには、誰かに見られているような、いつも緊張したものをこの土地に感じたものですが、今は市内に入ると少しホッとする感じがします。
それは住む年数が重なり、慣れてきたというだけかもしれませんが、土地の神々と通じあえているようで、私自身にとって市内参拝はとても充実した体験となりました。

■祈り3を始めたころから、生活上でやることが増えまして、少し疲れて祈るので、祈り2の時ほど、敏感に色々と感じ取るということをしなくなって、せめて祈りが届けばいい、という気持ちでやっています。でも、このお盆に、久しぶりに実家のお墓に参りましたら、線香もお菓子も水も持っていず、ただ祈っただけだったのですが、何故か感動して涙が伝いました。
丁度その日は大雨で、電車が大幅に遅れ、こんな面倒な思いをして行く意味があるのかとも思いましたが、しんどくても行った価値はあるのだと思いました。
そこで久しぶりに、自宅で、ご先祖の個々の家の供養をしてみました。
以前、個々の家の供養で、なかなか祈った反応を感じ取れない家がありました。
その家を祈ったところ、何故か分からないのですが、感動ではなく感謝でもなく、「〇〇〇」という気持ちだけで胸が一杯になりました。
他の家への供養だと、ほとんど「ありがとう」の気持ちがベースにありますが、ここは違いました。
不思議で、何でか本当に意味が分かりません。

■祈らら様からの返信(お問い合わせやカウンセリングの回答など)が到着する前に、引きずり込まれるように眠ってしまうことがあり、目が覚めたらメールが届いていた、ということがありました。「霊の祈り」に興味を持ってお問い合わせをしていた前後に、夜中(明け方に近いかも)、突然部屋の景色が変わり(昔、神社の隣に住んでましたが、神社に一番近い配置の部屋の中、窓から鎮守の森が映る景色)寝ている自分の右腕を何かに押さえつけられました。
感覚的には人の力というか、圧力のようなものでした。(仰向けなので自分では押さえられない)
その時「自分を押さえつけているのは自分自身」と心の中から聞こえたので、「おいおい、何やってるんだ」ととっさに言うのですが、声が出ません。

すると今度は「自分の感覚をもっと信用してください」と沸き上がってきたので、息をしっかり吸って
「おいおい、何やってるんだ」
「うん」
今度はもう少し声が出て
「おいおい、なにやってるんだ」
「うん」
近くで眠ってた子供が私の声に返事をしているんだ、と気づいて
「あな...た.に言ってる...んじゃない...から、だいじょうぶ..」と言うのが精いっぱい。
「うん」
安心して眠ったようだったので、それで私自身も安心して体が動くようになったとたん、部屋も元通りになっていました...。

日中、「あれはどんな意味だったのかなあ」とぼーっとしてしまったり、祈ららさんにかかわることでなくても、抗えないくらい眠くなったり、病気でもないのに体調が悪いと感じたり(ワクチン接種者の影響かも)、「地獄を見下ろしているよう」な気分になったりしました。
大変でした。
「自分自身が地獄のような気持で苦しむ」というのは一瞬で、抜け出そうとして苦しい、のかもしれないので、それは進歩なのかな?

「祈ららの浄化について」という項目をもう一度読みまして、「邪魔が入っていること」の部分も読みまして、いろんな反応に対する支えができて少し楽になりました。

■祈ららの祈りを始めた頃から、不定期で急に腸の不調、肩痛、首痛、眼痛、頭痛が起きる日がありました。
頭が痛すぎて寝れなかったり、気持ち悪くなり戻してしまったり、症状が現れるととても辛いです。
腸に悪い物食べてしまったかな、ストレスに感じることがあったかなと色々と考えるのですが、原因は分からず、お風呂で身体を温めたり、経口補水液を飲んだり、マッサージをしたりして、症状が治るのを待つことが何度もありました。先日も同じ症状が現れました。
ふと妻が祈ららさんから購入したペンデュラムを手に取り、不調の原因が霊障によるものか、食べ物によるものか尋ねた所、霊障である事が分かりました。
また、私の身体に霊がついているか、念がついているかを問うと念がついていることが分かりました。
すぐに紫野先生に教えて頂いた、祈りを行った所、祈りの最中にすごい量の汗が出て、祈りが終わると少し症状が良くなり、それから時間が経つにつれて回復していきました。
今までは不調の原因が分からず、試行錯誤して時間が経つのを待つしかなかったのですが、ペンデュラムで原因がわかり、すぐに対処ができたので、すごく助かりました。
最近は神社の参拝を進めていたのですが、久しぶりにお寺の参拝を行ったこともあり、それが影響したのかなと思ったりしています。

今回の事で祈りの効果を改めて感じました。
これから同じような症状が起きても対処できそうです。
教えて頂き、ありがとうございました。

■【掃除が止まらない】今年は夏に入る前から、施餓鬼供養をしようとずっと決めていました。
迎え火をしたあとに、今年はいつもの三倍くらいのお供え物をして、四日間、丁寧にご供養しました。
ご先祖を送ってから、すぐに我が家に変化がありました。

それは、私が掃除魔になってしまい、(おかしくなったんじゃないか)というくらい、毎日どこかを掃除していました。それは一週間以上続きました。

普段掃除をしていないわけではないのですが、古い家ですから探せばどこかは必ず汚れがあるのです。

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【ある朝、ネズミが死んでいた】

毎日、掃除をしていたある日の朝、妻が玄関を出て、驚いたような声で私を呼びました。
なんだろうと思って、出てみると、庭に一匹のネズミが死んでいました。

このネズミは、私たちがこの家にやってくる以前から、この家の天井裏に住んでいたネズミだとすぐに気づきました。そのネズミは、天井裏から、こともあろうに神棚の真後ろにやってきて、そこでゴソゴソやっているのが、日常でした(神様と一緒になんどそのネズミを拝んだかわかりません)。

そのせいでしょうか。何度か天井裏を開けた時には、いつももぬけの殻で、またたいして汚れていませんでした。毒エサを仕掛けましたが、ほとんど食べず、それからも普通に住み着いていました。

足掛け、7年間。私たちは、天井裏のネズミと共に暮らしていました。

そして、あの日、庭で干からびて死んでいたのです。

それまでには、先程よりも強い毒エサは買ったものの、なんだか仕掛けるのが忍びなくて、そのままにしておいたのです。何をしても、絶対に出ていかなかったネズミが、お盆の先祖供養をしたら、誰も迷惑にならないような場所で、こちらが手を下すことなく、死んでいました。すぐに役所に電話して、引き取ってもらいました。

私はもう一度天井裏を開けると、木の枠の隅の所に、申し訳なさそうに少量のフンが固まって置かれているのを見ただけで、天井裏は、ほとんど傷もなく、汚れてもいませんでした。

長年、悩まされていたネズミではありましたが、彼は大きな音を立てることもなく、鳴き声も一切せず、静かに死んでいきました。
ひたすらに嫌われるために存在していた彼でしたが、仮にそんな人間がいたら…と考えていたら、なんだか憐れになり、引き取られていく姿に思わず手を合わせました。

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【夏の先祖供養はキツイ】

今回のお盆の先祖供養で気付いたことがあります。
私はレベル3になってから、もう1年3か月になります。この夏の供養は、まるでレベル2を始めた時のように、ご先祖の気が重かったです。

私は、紫野先生にお願いして、本来1年間のレベル2の供養を「涙が出るまで」に変えていただきました。そして、約4か月でレベル2を終了出来ました。

ただ思えば、この4か月は、冬期のお祈りだったのです。

その後も、個別供養と共に、先祖供養は行っていますが、どうしても個別供養のほうに割合は嵩んでしまいました。そんな中、施餓鬼供養をしようと意気込んだ結果、、しかも、八家を一気に供養してやってきたご先祖を供養したら、本当に体がきつかったです。

夏前までは、仏壇に手を合わせると、神棚での参拝とさほど変わらないくらい、気は落ち着いていたのですが、今年のお盆は、まるで、レベル2のお祈りを始めた時のよう…

それにしても、送り火が終わったにも関わらず、いつもよりご先祖が多いのは、、
(新旧盆混在しています。。m(_ _)m)

ご供養が終わるたびに窓を開けていた、初期の時頃の感覚を思わず思い出しました。

■私が妻と伊豆高原に出掛けた時の話しです。
あまりにも衝撃的だったので、先生にお伝えすることもどこか憚っていたのです。
以前訪れたペンションが素敵だったので、また癒されたくて出かけました。
以前の場所は取れず、妻が取ってくれたペンションはなんとなくお粗末な雰囲気…。
うちは車が無いものですから、ペンションの周囲を散策するためには、自分たちの足を使って、アップダウンの激しい高原の道を移動しなければなりませんでした。
しかも、毎日、長時間の祈りと供養によって、私の脚は一時期、感覚を失い、もう歩けなくなるのではないか?と思うほど、よくない時でした。
夜、ペンションおすすめの温泉に出かけるのに、一歩また一歩と歩きながら、妻に寄り添ってもらって歩ききったなんだかこんなことをするために、伊豆高原に来たのかって、朝夕の食事もさほど、感激しなかったんです。
翌朝、バスを使って到着した美術館が休館。
時刻はまだ9時過ぎたばかりでしたが、妻が「どうする?ペンションのオーナーが進めてくれた大室山行ってみる?リフトだから歩かなくていいと思うし…」私は文句たらたらで、「伊豆高原には神社もない、癒しもない」ただ、伊豆高原駅の前にあった足湯だけが嬉しくて、いつも神社にするように、その場にお賽銭(箱はない)を置いて、「もう帰ろう」と言いました。
妻の顔がとても残念そうで、妻からすれば私の面倒と愚痴を聞きにここまで来たようなもので「いいよ。あなたがしたいようにするよ。じゃあ、帰る?」その瞬間に、「山に行ってみる」と言ったんですね。
精神的にも八方塞がりだったんですけど、道や可能性が開けているところを、もう一度だけ信じてみようと思った。
「いいの?」
「うん」
「ただ、リフトで登って降りてくるだけだよ」
すぐ目の前バス停から、バスに乗っていたら木が一本もない山が見えて来た(ここは山焼きをやっているのか…)リフト乗り場まで着くと、「浅間大社」の文字が…。
(あ、ここにも浅間大社があるのか、富士宮の浅間大社また行きたいな)そんなことを思いながら、複雑な面持ちで妻とリフトに乗りました。
頂上に着くと、火口(死火山)がアーチェリー場になって、火口の周りをぐるりと一周出来るようになっています。
その火口を少し登ったところにお社があります。
(神社があった!)
御祭神の由緒書きを見てみたら、木花咲耶姫ではなく、『磐長姫』と書かれている。
木花咲耶姫様が美を表す神様でいらっしゃるように、磐長姫様は永久の繁栄を表す神様であられる。
瓊瓊杵尊様は、磐長姫様のお顔が醜かったことから、美しい妹の木花咲耶姫様だけを妻とし、姉の磐長姫様をお返しになった。
父の大山津見神はそれを怒り、「石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」ことを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。
この話しをふいに思い出した。
磐長姫様…
私は足が痛いのも、どうでもよくなって、お社までの階段を下って行った。
その間、嗚咽しながら、涙が止まらない。
妻に支えられながら、先ほど書いたようなことを、脈絡もなく妻に語りながら、妻に引きずらるようにして階段を降りていく。
今、思い出しても涙が出て仕方ない。
磐長姫様~!!
神籬の前で、私は叫んでいた。「何卒、日本の存続を~~!!」
私の涙に応えた磐長姫様の涙が私の中に二重写しになって、爆発する(この二年間の祈り人生で最大の涙です)
「何卒、何卒日本の永遠の存続を~~」
(泣きながら、応える。「お前のようなやつは初めてじゃ…」)言いながら、また、涙、涙……
日本の民は美しくもあろう。
しかし、欲はない。
感謝もない。
なぜ、自分たちが日本に生まれ、なぜこのような姿形で、このような環境で、物を考え、日々の生活をしているか、考えることもしない。
美と悠久、どちらも大切ではある!!
その時に気がついた。
隣りにいる妻のことを。
妻の名は、〇〇である。
私は、磐長姫様と木花咲耶姫を御二方とも妻にしたのだ。
懺悔文を抜かした全ての祈りを磐長姫様に捧げた。
同時にこれまでの10年間、私に寄り添い、信じ、共に歩み続けてくれた妻への感謝でもあった。
ここに来て本当によかった!
私たちが四苦八苦しながら歩いた、伊豆高原の街が眼下に見える。
晴れの日はここから富士山も見えるそうだ。
私は日本の国の存続のために、残りの命のすべてを使いたいと思った。
私は、、まだ具体的な自分の道が見えてきません。
ただただ、祈りを続けて参りたいと思います。

■いわゆる「霊感」がない私ですが、必要なときはちゃんと夢や神社などでなにからしらのメッセージをいただけます。
祈りとともに成長できることはとても幸せです。

■霊の祈りのレベル1の氏神様の神社のご参拝を昨年の5月半ばから開始して、旅行に出掛けて行く時以外はサボらずに毎早朝3時30分から4時頃に家を出て参拝を続けて、一年が過ぎました。
あっという間に一年が経ちました。生き霊ですが、どうやら宇宙人グレイのようです。
これも今年のゴールデンウィークを過ぎた辺りから、身体全身に纏わりついて、背中にピッタリとくっついて24時間これにレイプされているのでが、週ごとに薄くなってきました。
氏神様の神社に毎早朝に通い出して、丁度一年になる頃から、この生き霊もどきが薄くなってきました。

そして、毎早朝 神社で宇宙の高次元の皆様に『私にあらゆるサイキック能力をお与えください。』とお願いをしております。

昨年からユーチューブで『タロットカード、オラクルカードのリーディング』をしてくれるサイトにハマり出して一日中、色々な方のリーディングを見ております。

はじめのうちは自分の直感でカードを選んでおりました。
ですが、いつの頃からかは覚えていないのですが、3枚のカードの絵柄を見たいのに
自分の意思ではなく勝手に目がタイムスタンプに運ばれて『こっちのカード』と誘導されて選ぶようになりました。

この現象はサイキック能力なのか?
高次元の皆様に寄って誘導されているのか?
恥ずかしながら、今の私にはまだ理解出来ておりません。
このような現象が起こって折ります。
というご報告をさせていただきます。

祈ららの紫野ひかり様の霊の祈りを知ることが出来て本当に有り難く感謝致しております。
祈ららのサイトにたどり着く事が出来て本当に良かったです。
霊の祈りがなかったら、氏神様の神社に毎日ご参拝をすることはなかったことです。
祈りを教えていただけて、良かったです。
ありがとうございました。

■会報誌を読んで祈りの趣旨により深く賛同しました。自分の自己否定や自己嫌悪がどこからくるのか?
勝つことや有利な立場に自分を置くことが苦手で違和感を覚えます。
人と勝負をすることが辛いです。
昔、高校受験を目の前にして勉強することが嫌と言うよりも、人と競う状況に気持ちがついていきませんでした。

私は競争するより協力したい。

不利な立場で頑張っても報われない人。
何もしなくても有利な立場にいる人。

勝ち負けの世の不条理に対してどうすることもできない。
その想いに応えるのがこの祈りだと理解しています。

負けることが多いけど、何かの縁で勝ってしまった自分。

敗者への想いをこの祈りで昇華できると信じているから、一年間神社に通い続けることができたのかなと思いました。

負けた自分と勝った自分が握手をするようなそんな気持ちになれるノーサイドなこの祈りを続けていきたいなと思いました。

■今年から始めた先祖供養も順調に続いています。
子供が学校に上がって時間ができたおかげで、週4回くらい○○経を○回○家に祈ることができています。
かなり長丁場の読経にも関わらず、楽しく進めている自分にビックリです。

■祈りの方は頻度がぐっと下がりつつも、続けている感じです。
ひとり暮らしをしていた頃、変に責任感…いえ自責グセでしょうか、があり、祈っている間は雑念が酷かったので心から祈らねば…という考えをもち苦しかったのを覚えています。
「この祈りを心から祈れる自分になれますように」と神棚などで手を合わせたこともあります。これがよかったのか、それから色々な出来事が起きて、磨かれているのかなぁ私と思ったこともあります。また、ひとり暮らし解消する頃の鎮守さんの印象は、最初の頃と比べると柔らかくなっているなぁ優しいなぁ好きだなぁと自然と感じられるようになってました。
感じ方は会報を参考にもしているのですが、鎮守さんのあるこの町が好きだなぁ、この地域では何が起きても大丈夫だ、という感覚があり、今でも町を通るとその感覚になって懐かしくなるとともに安心感も感じます。
これが祈りをして、鎮守さんと仲良くなった感じなのかな~と思いました。やっぱりこの祈りは凄いと思います。
先祖供養は、母方先祖の霊のあり方がかなり優しくなっているなぁと最近感じます。
ひとり暮らししていた頃は父方がいち早く柔らかくなったというか、お経も母方と比べて明らかに軽かったのを覚えています。でも、父方の祖父が亡くなったとき、お葬式に行った日、派手に転んだり体調不良になったりトラブルが酷かった。母方の霊障なのか…と思ってそれからは祈れるときはなるべく熱心さを大事にしました。頻度は今でも課題ですが…汗

私自身も、「楽になりたくても肝心の祈る人がムリをしていたら意味ないよねぇ」と思い、どんな気持ちで祈ったらいいのかは試行錯誤しました。今浮かんだのですが、頻度どうこうより、内面を良くすることが大事なのかもしれません。
内面が整ってくる…また自分自身も精神的成長することの楽しさがわかってきたとき、なんとなくコツもわかってきたような感触があって、その頃から母方の霊の反応が嬉しそうなのが伝わってきました。ルンルン♪している印象です。私と先祖がシンクロしているのかな、と感じました。

■大山寺の不動明王さんに会いたくなって、家族で登山してきました。
大山寺に着き、ぱっと時計を見ると11日11時11分でした。そして、知らずに行ったのですが春山花祭のご開帳日で嬉しくて飛び跳ねました。
祈り始めると涙が滲みました。
その祈りをする者を知っておるぞ、と言われた気がしました。
紫野さんが今までずっと不動明王さんと信頼関係を築いてくださっているんだろうなぁと思いました。
私たち家族がいろいろありながも、なんとか毎日の生活ができていること、この守護に感謝の気持ちが溢れてました。
終わって外に出ると、トカゲが出てきてくれました。

その2日後、また大山寺を訪ねました。
内拝させていただけるようだったので、中に入ると動明王さんの迫力にドキドキしてしまいました。
空いていて私1人しかいなかったのでしばらく見つめていました。
タイガーアイ勾玉さんを握りしめて、靈の祈りレベル3を進める上で、とても心強い気持ちになりました。

娘の通う保育の裏にお寺があり、一度祈りに行きたいと思っていました。
大山寺に行った次の日に導かれるように行くと、行きに私の運転でヒヤッとし、帰りに主人の運転でヒヤッとしたことがありました。
今までこのようなことは無かったので、何かカルマがある場所なのかなと思いました。
これくらいですませてくださり本当にありがとうございます。

このように毎日手探りで、石さんのパワーをお借りしながら、一生懸命祈らせていただいております。
ありがとうございます。

今日も大山寺に行って来ました。
祈りをすると涙が止まりませんでした。

この気持ちをどのような言葉に表してもしっくりきません。
ただただ涙が溢れます。
今もメールを作成しながら涙が溢れてきます。

■霊の祈り2を昨年より主人と共に始めさせていただきました。
ご指導いただきありがとうございます。
そして全部の供養で号泣しましたのでご報告させていただきたいと思います。主人が早朝に祈り、私が夜祈る生活リズムが定着してきました。
鎮守へは娘と主人と三人で夕方にほぼ毎日参拝しております。
祈りを始めた頃はものすごくパワーを使っている感覚があり、お経を読むのはとても苦しく、大きなラップ音やゲップ、おならの連続や、体のどこかが痛くなったり、一家族の祈りが終わるごとにお手洗いに行ったり、全部の祈りが終ると布団で休んだりとととても大変でヘトヘトでした。
それだけご先祖様が苦しまれていたのだと思いました。

特に始めの三か月間はとにかく祈り中心の生活でした。
毎日が祈りをする為にあり、空いた時間はドラゴンアイズを読み、主人と気付いたことや感じたことを話し合う生活は、人生で一番充実した時間のように感じました。
イライラしてしまいぶつかることやネガティブな感情も多く出てきましたが、その都度神棚や主人と話し合い、内観しインナーチャイルドや自分の観念に気付き、丁寧にゆっくりと感情と向き合うことができるようになってきました。
この生活を支えてくれている主人と娘に、また、この環境へ導いて下さった御神仏様本当に感謝しております。

紫野様からご紹介していただいた本もとても勉強になりました。
私はリヴィングウィズジョイがとても読みやすくインナーチャイルドの癒しにもなりました。
他にもシルバーバーチの霊訓・ほんとうの私の見つけ方・アセンションの道しるべ・私はアセンションした星から来た等の本を主人が購入して勉強させていただきました。
祈りの時間は浮つきやすい私にとって、地に足をつけるとても重要な時間となっております。

それでは以下、少し長くなりますが日記を見返しながら祈りで号泣した日や、何か強く感じた日の出来事などをご報告させていただきたいと思います。

私の母方の祖父のご先祖様の祈りは始まりとともに号泣でした。
涙が止まらず泣きながら祈っていると
左肩になにか感じました。とても軽くあたたかい感じでした。
大きなカラスの声が聞こえました。
ご先祖様が喜んでくださっているのであれば、とてもうれしく感じました。
神棚の祈りでは気持ちのいい汗ばみを感じました。

数日、スッキリしない夢をみたり体が重く感じたりして祈りができるか心配でしたが、神棚での祈りがとてもスムーズにできて、エネルギーをたくさんいただいた感覚があり、涙がとまりませんでした。
幼く未熟な自分に気付きながらも変わることができずに辛かったことを素直に話すと、社会性を身に着けることと言われた感じがしました。

また、父方の祖父の祈りで私は女性へのカルマがあるのではないかと心の中で思ったところバチバチといろんなところでラップ音がなりました。

夢をみても嫌な感じがしなくなりました。体が軽くなりました。
主人が祈りを毎日続けることが大切、すきを見せないことだよと教えてくれたことで、祈りを完璧にやらなくてはと張りつめていた気持ちがいい具合に力が抜けました。

掃除をしていると左の指を紙で切ってしまいました。

生理がきました。先祖の祈りで紫や白色の光の中に人の顔が見えたような気がしました。
お風呂で突然むせてしまい、咳がとまらずとても苦しく、咳の腹圧で生理の血がとまらずお風呂が血まみれになってしまい、とてもビックリしました。
そして同じ日に娘が机におでこをぶつけました。

どれも大事には至らなかったのですがケガや「血」を見る機会が多かったので大きな浄化なのかもしれないと感じました。
これくらいにすませてくださりありがとうございますという気持ちになりました。

帰省し、両家全部のお墓に行こうと前々から決めていました。
しかし当日の朝になると体が重く全く支度が進まず、だんだんと家族全員イライラして家の中がぐちゃぐちゃになりこのまま帰省できないのではないかと思うほどでした。
なんとか大幅に時間が遅れながら出発するも、車内は険悪モード。
目的地にあります私の父方の祖父のお墓に到着し、近くで仏花を購入しようと立ち寄ったお店で、強面の体の大きな外国人が酔っている様子で車に体当たりしてきて少し怖い思いをしました。
そして雨も強く降ってきて、足場の悪い斜面を下った場所にあるお墓に行くのはとても困難だと思いました。
しかし、紫野さまのお墓参りの指導の紙に書いてあった「めげづにつき進んでください!」の言葉を思い出し、不思議とどんどん足が進み、嫌な感じはなく、さわやかに祈ることができました。
いつもお仏壇で名前を読んでいるご先祖様のお墓なので霊の祈り2を始める前よりも、とても親近感を感じて、なんだが親戚の家に来たような感覚でした。

6年前に、それまで一度も自分の苗字のお墓に行ったことないことがずっと寂しく、違和感を感じていたことから、祖母にこのお墓の場所を聞き、家族に黙ってお墓探しをした時のことを強く思い出しました。
地図を見て、付近のお寺を一軒一軒尋ねて回りました。
そんな時に主人と出会い、2人で探し始めたところ、まるで導かれたかのように斜面の下にぽつんとあったお墓を見つけた時は涙が溢れました。
この時から私たちが祈ららさんの祈りに出会うことは決まっていたのかもしれないなぁと思いました。

次に、曾祖母のお墓によると和尚さんが話しかけてきました。
後日、その和尚さんが若い方が来られていましたよ。と親戚にお伝えされたようで、その連絡が私の両親にも入り、私たちがお墓参りに行ったことが両親に伝わりました。
なんだか面倒なことになってしまうかなと少し思いましたが、親戚も喜んでいたよ、うちはあまり親戚づきあいがなかったからね、ありがとうと母から言われました。

母方の祖父母のお墓参り。母がお仏壇で火のついたお線香の先が手首にあたりやけどをしました。
浄化かなと思いました。
これくらいにすませてくださりありがとうございます。
なぜか親戚のほとんどの人が水色や青の服を着ていました。

主人の実家のお墓参り。義母の「~べき」という常識にしばられた発言が以前より減ったように感じました。
何故か黄色い服を着ている人が多いなぁと思いました。

そんな流れでお墓参りの話がスムーズにできて、初めて母方の曾祖母のお墓(2人とも自害されたと伺っている方のお墓)に母と一緒に行くことができました。
今までお墓参りをする習慣がない実家でしたので、行くことができて驚きました。導かれたように感じました。
お墓につくと、来られて良かったととても安心しました。
帰り際に黒いアゲハ蝶が私たちの頭上を通って母のところにきました。
母のことをとても守っているように感じました。
後日祖母も喜んでいたそうです。
これから毎日お仏壇で祈らせていただこうと思いました。

その後、○○大社に行き、参拝したところとてもあたたかく迎えてくれているように感じました。
いずれこの地に帰ってくるような気がしました。

神棚の祈りをするとこれまでにない無心・心の静けさでこのままずっと祈りを続けられるような感覚でした。
目をつぶっていると紫の光が見えました。
目を開けると神棚のお札のところに「蟻」がいました。
お仏壇ではゲップとラップ音が続き、浄化かなと思いました。

鎮守に一人で行くと、紙をもって何かを探しているような方がいたので声をかけてみると、迷って神社にきてしまったようでした。
道を案内してさしあげることができました。
そして涙が出てきました。
ただの道案内ですが、その時の私には、あなたに何もないなんてことはない、今のあなたにできることはたくさんあると言われたような気がしました。
感謝されたことが嬉しいのではなく、何かしてあげられたことの喜びを感じました。
この感覚を忘れないようにしようと思いました。

この時期、鎮守に行くと必ず蝶が迎えてくれたり、ゾロ目を目にすることが多く、御神仏様を近くに感じました。

母方の曾祖母(自害された)の祈りで初めて涙がでました。
苦しまれたのだと感じました。
祈ららさんの石さんが届きました。
祈祷していただいたヒマラヤ水晶クラスターはとても優しく部屋の空気が変わりました。物質的にも部屋がとてもきれいになりました。

父方の曾祖母の祈りで号泣しました。

主人の父方の祖父の祈りで号泣しました。
私の父方の祖父の祈りで大号泣しました。

石さんが届いてからさらに集中して祈りができるようになったように感じました。

祈りが生活の中で自然なこととなり、お仏壇での祈りも祈り初めた頃ほど疲れなくなってきました。
主人と二人で祈らせていただいていることも大きいと思いますが、ご先祖様が元気になられてきたのであればとても嬉しく感じました。

夜に突然思い立ってブログを始めようと思いました。
気付いたらパソコンに向かって深夜3時までかかりブログを立ち上げました。
そして、その日は精神世界の鉄人ブログトーマイタルさんの誕生日であったと知り、涙が出ました。

知人のヒプノセラピーを受けることになりました。
見えた未来は地球ではないところで、水晶を中心として大自然と近未来が調和していました。
お金も食べ物も必要なく、言葉ではなくテレパシーで心と心を通じ合わせていました。負の感情はありません。
主人は光の存在となり、高い波動のエネルギーで他の小さな光たちを照らしていました。
みんなに慕われるリーダー的な存在で、低い波動のものさえも光の主人の前にくると何度も何度もやり直せるんだという温かいエネルギーに包まれてありがたい気持ちになっていました。
私は光の主人のサポートをしていました。
また横にいさせてもらえてとてもありがたく感じました。
また、主人の根底にある輝きが報われている未来に涙がとまりませんでした。
とても嬉しく感じました。

家族で天然石リーディングをお願いしました。
この頃から石さんとの生活が本格的に始まりました。
初めは眠気やイライラなど石さんの浄化かなと感じる出来事がいくつかありましたが、今では欠かせない存在となっております。

また、実家の家族とも程よい関係ができてきたように思います。
母が自然食品店で調味料を購入するようになったり、父が玄米と白米を半々ずつ食べるようになったりと思わぬ影響が出ていてビックリしました。

少し前まではワクチンの危険性を伝えたいが為に、両親に感情的になってしまうことがありましたが、そこには私の執着がまだまだあるのかもしれないと気付きました。
相手を尊重することはとても大切なのだと学びました。
もどかしいですが、淡々と伝えてあとは本人が気付くことを祈ろうと思いました。

父方の祖父の祈り
レインボーオブシディアンを主人に借りて祈らせていただきました。
過去世で私がしたひどい行いを思い出した気がして涙がとまりませんでした。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○と言葉が自然と出て大号泣しました。
祈ることができていることへの感謝がより強く感じました。

母方の曾祖母の祈り
レインボーオブシディアンと、以前に祈ららさんにプレゼントでいただいたスギライトとハーキマーダイヤモンドを側において祈りました。
全身の筋肉が委縮してしまう病で亡くなった祖父のことを思い出しました。
とても苦しかったこと、支えていた祖母や叔父や母の悲しみが伝わってきました。
涙がとまりませんでした。

最近は落ち着いていた祈りでしたので、久しぶりに大号泣し、石さんの力を感じました。石さんを付けて祈ると御神仏様に繋がっている感覚が強くなるように感じます。

B祈祷していただいたロードライトガーネットのペンダントを初めてつけたところ、とても眠くなり夕方寝てしまいました。
起きると生理前の不調がなくなり、祈りをすると排便とゲップの強い浄化がありました。
神棚で涙が溢れ、家族の幸せを祈ることさえ我れ良しのおこがましい気持ちであると感じ、○○○○○○○○○○○○とたくさん伝えました。

その後、生理前~生理の不調が驚くほど軽くなりました。
天然石リーディングでガーネットが選ばれ、「女性に対してや女性としてのカルマがあることを教えてくれています。女性の中で、カルマが少しずつ解消されるように調節してくれます」と教えていただいておりましたので、祈りとガーネットさんのお力でカルマを調節してくださっているのだと感じ、感謝の気持ちが溢れました。

実家に帰省しましたところ、程よい距離で過ごすことができました。
しかし、テレビが伝える感染症の情報に一喜一憂し、人間関係に悩む母、何かをかかえてイライラしている様子の父、体をボロボロにしてはたらく弟の姿を見て、とても苦しくなりました。

これまでの私は助けたい、気付いてほしい、という気持ちが強く相手を尊重せず一方的に意見を述べて衝突していたと思います。
祈りを始めて心持が変化したのでしょうか、できることをしようという気持ちになりました。

父に添加物の入っていない美味しいお菓子を買っていったり、母の職場の人間関係の悩みを聞いて共感したり寄り添ったりする姿勢をとることで、自然と相手の気持ちがほぐれていったように感じました。

そして、頑固な父が頭皮に優しいヘナで白髪を染めてみたときはその変化に驚きました。
また、母から施設に入っている祖母がブレスレットを探しているという相談を受けました。
祈ららさんを紹介すると、喜んでラッキーカラーの紫を身に着けたいと言い出しました。
いつか母や祖母にも祈ららさんの石をプレゼントしたいと思っていたことと、普段アクセサリーなど身に付けない母なので、スムーズに紹介できたことにとてもビックリしました。
必然なのだと感じました。

主人は習っている「○○○○○」の感覚をつかむことができはじめ、私も何度も腹部の不調をとってもらい、娘は主人に頭にエネルギーを送るように触ってもらうと安心して眠るようになりました。
○○治療をしている主人の父も主人の施術を受けると気持ちよさそうにすぐに眠ってしまいます。
浄化でしょうか主人の母が手術をしまして、術後主人の施術を受けました。滅多にうたた寝などしない義母が眠っていました。
必然のように主人の治療を必要とする人が増えてきているように思います。

主人は奉仕の心を持った素晴らしい方だなと常々学ばせていただいております。
ただ、施術をすると自分が体調が悪くなってしまったりするようなので、自分に影響が出ない次の段階もご教授していただいたので少しずつ鍛錬してほしいと思います。
原因は分かりませんが例えば人のカルマまで背負ってしまったりしないかなど、いろいろと注意して模索していきたいと思います。

帰省を終えて帰宅すると、娘も主人も私もとても疲れていて数日間ひたすら家のなかで休みました。
主人に至っては両親に施術をしてきたからなのか、カルマが重そうな母方の曾祖母のお墓まいりに行ってきたからなのか、頭痛と腹痛で寝込んで動けなくなってとても大変そうでした。

娘が実家の母と電話をしたいというのでかけてみると、母は色々な不調があり、同じく父もだとのことでした。

私は急に怖くなり、なぜ急にと聞くことができませんでした。
あまりにワクチンの副作用に似た症状であったからです。
打たないと言っていたワクチンを打ったのかもしれないという考えが頭の中を巡り大変ショックを受けました。

数日間そのことで頭がいっぱいになりました。
祈りをすると御神仏様は淡々とされていました。

そして紫野様の親離れのブログや本を読み、内観し、私の中に親への執着があり、親離れできていないことに気付きました。

親に元気でいてほしい、ワクチンを打ってほしくない、気付いてほしいといった期待がたくさんありました。
視点を変えると、私が心配したくない、私をいつも安心させてほしいという利己的な気持ちがありました。

もしかすると母の立場で考えてみると、母はテレビの感染症の情報を信じている一方で、娘がワクチンは危険だよという情報も気にかかり、何を信じれよいか分からず、職場で一人だけワクチン未接種で不安な日々を送っていたのかもしれないなぁと思いました。
一方であちら側が考えたテレビ洗脳・同調圧力を作り出す仕組みになんとも言えない気持ちになりました。

また、すべては母や私の魂が成長するための課題であるのかもしれないとも思いました。
私が感じた気持ちは、私が心配したくない、私が母に元気でいてほしいという執着からでてきたものであり、親離れできていないのだと学びました。
どんな母の選択も尊重しようと少し思えました。

少しというのは、まだ言い聞かせている感覚があり、心の中はざわざわしているからです。

主人は冷静で、もちろん親には打って欲しくないと言いますが、そこまで執着がないような反応でした。
むしろ自分の治療の技術を高めて必要な時がきたらできることをすればよいといった感じでした。
主人は愛を与える側の視点で考えられる人なのだと感じ、素晴らしいなと思うと同時に、自分の幼さを感じました。
主人の両親はワクチンは打たないと言っているそうで、もしかすると私が親離れできていないことも一つの要因となって私の両親がワクチン打った(かもしれない)現実が起こったのではないかと少し思いました。
いずれにせよ、この騒動で私がまだまだ親離れできていない愛されたがりであることに気付くことができました。

親離れという課題が浮彫になり、この騒動に対して感謝の気持ちがだんだん大きくなってきました。
感謝の気持ちが大きくなると自分の成長が楽しみになり、他の心配は少なくなってきているように感じます。

私にとってこの「親離れできていないことを認識した」ことはとても大きな出来事です。
インナーチャイルドの癒しなども平行して行い少しずつ成長していきたいと思います。

娘の保育の集まりにて、初めて話した方といろいろと通ずる部分が多く、めずらしく話が弾みました。
私がインナーチャイルドの癒しとマクロビを学んだことも話すことができて、今後も良いお付き合いができたらいいなぁと思いました。
しかし、その方が帰られるとのことで見送ると、発進してすぐに車がぬかるみにはまり横滑りするように動けなくなってしまいました。
幸い周りの人たちの協力で無事に帰られたのですが、もしかすると祈ららさんのペンダントやブレスレットをいくつか付けていたこともあり、何かの浄化だったのかなぁと少し思いました。

主人と共に祈りが生活の一部になり、御神仏様を近くに感じることが多くなりました。
本来、これは特別なことではなく、人は肉体様を借りている魂であり、今までのように霊と切り離して考える三次元の生活はなんだか操り人形のようだなぁと思いました。
まだまだ精神世界を学び始めたばかりですが、ここからが今生のスタートのつもりで精進して参ります。

世間はコロナ騒動で慌ただしいですが、この騒動で元よりあった、その人その人の課題が浮彫になっているように感じます。
今後どのような状況になっても、人に光を与えられるような存在になりたいと思いました。
その為には、ふわふわとポジティブでごまかすのではなく、ネガティブな部分にもしっかり向き合うことが必要であると感じております。

■私、何も結果が出てませんが、この祈ららの祈りが好きです。
何も分からないけど、願いでも感謝でもなく、○○という趣旨で祈ることに不思議な満足感を得ています。祈っている自分が好き。
○○という気持ちを与える余裕を持っている自分が好き。
続けられるのは、そんな理由かもしれません。

今年に入ってから、仏具を買い求め先祖供養を始めました。
主人の様子を見ながらで、やっとこちらの祈りも進めることができました。
神社神棚参拝から半年遅れのスタートです。

何も結果が出てないと書きましたが、先祖供養を始めてからお茶とお水を運ぶ時、込み上げてくるものがあります。
号泣へは遠いけれど、身体は反応しているのを感じます。

先祖供養や会報誌を読みながら、自分がこの祈りをやっていいのかと、恐れを抱いてしまいます。

先祖全体の供養をすることも壮大ですし、世間一般で言われている除霊とは全然レベルが違い驚きました。

自分がどこまでできるか未知数ですが、先祖供養を始めることができましたので、淡々とやっていきたいと思います。

■祈りの通信講座、霊の祈りのテキストなども送っていただき、ありがとうございます。
充実した内容で読み応えがあり、実際に祈るとこんな感じだよということが会報の体験談から分かって、とても勉強になります。
神様の絵も雅で素敵です。
わたしは神社の知識がさっぱりないので、会報を読んでびっくりしました。まず、鎮守や近くの神社の由緒を勉強してみたのですが、日本の歴史上有名な武将の名前が出てきたり、地域の戦乱が想起されるエピソードがあったり、簡単にお参りするという気持ちでは取り組めず、心の予行練習中です。

■今年の年末年始は、いつも神棚、仏棚にお祀りしているお札のある御神仏への祈りをさせていただきました。さんざん苦しんだ地域の鎮守様(市外)に遠隔でお詣りさせていただきましたが、五日目にして号泣で終わることが出来ました。
その地域の人によって傷つけられ私の心の傷はまだ癒えてはいませんが、現在でも何かと縁ある地でもあります。
そこで働いている方から、お年始をいただきました。
初めてのことでしたので、神様からのお返事なのかなと思いました。
初日の黒い雲から号泣に至るまでの変化や、憎みながらもどこかで私を受け入れる相手の尊さや、気付きを教えられたこと。
カルマが溶けていく瞬間を体験、はっきりと自覚させていただきました。
その日は、奇しくも元日でした。

2日には、以前何度もお詣りを重ねた江ノ島神社の遠隔参拝では、一度で号泣を果たし、私の口からなんども「○○○○○○」という言葉が出てきました。

■姉の子供の姪っ子は引き込もりになっていますが、私がお墓参りした日に、「学校に通いたい」などと前向きな状態になるので効果があると思います。先生が言うように、自然に霊感が身についてきたので、癒しのパワーをくださいと思うだけで、チャクラや、体が癒されます。

■参拝しだしてから、不幸なことが3割は減った感じがして助かりました。祈っているとたまにチャクラとして合図を受け取っています。
神と話せないので内容はわかりません。

■祈りの方ですが、昨年まで厳しかった、同じマンションの方とのお付き合いがここ数ヶ月在宅ワークになって、鎮守の神社に朝昼夜参拝していたら、かなりかなりよくなりました。同じマンションにとどまらず、近所の方ともあたたかい交流を築けています。
祈りは素晴らしい、と改めて思いました。

■祈ららの祈りを始めてから、丸一年が経ちました。とても長い間、霊的な師と手段を探すための時間に費やした私にとって、祈ららと紫野先生の存在は、かけがえのないものとなりました。
まるで神様が私のためにあつらえてくださった、プライベートレッスンを受けているような気にさえなっております。

先祖供養にしても、参拝にしても、私が人生の途中ですべて中途半端に投げ出してきたものを、丁寧に、一つ一つ、完成させていっているような感覚です。

一年前、私には幾つかの選択肢はありましたが、先生を選んで本当によかったと思っています。

現実の課題はまだまだ山積みですが、私の今は、おそらく、過去にも未来にもない稀有な時。。これからも一歩一歩歩んで行きたいと思っています。

心より感謝を込めて。

■霊の祈りは丁度14日になりました。
雨の日と用事のある日以外は、神様に会うのが嬉しくて通っております。1週間を過ぎたころに、同居の父が3度目の脳梗塞で倒れまして、入院などでバタバタしておりました。

■霊の祈りのレベル2を21日間づつ祈りを終えました。
祝詞の祈りが難しくてなかなか慣れません。
お経はとても心が落ち着くので好きです。
唱えている最中に不思議といつも眠くなってしまいます。祈りを始めてから、落ち着いている時と心が乱れて急に苛立ちを感じてしまう時と波の打ち方が激しいような気がしていました。
以前お世話になったことがある主人の叔母さまで、またいつかお会いしたら楽しいお話を聞かせてほしいなと思っていたのですが、なかなかお会いできずにお亡くなりになってしまいましてとても悲しい思いを経験したことがありましたが、急にふとその方のことを思い出してしまい、生前中にどうにかお会いしてまだお話をしたかったことがたくさんあったのに・・・と思い、深い悲しみがこみ上げて号泣してしまいました。
最近は、過去の出来事や思いに浸ることが増えました。
泣きたい時にたくさん泣けることが幸せだなあと思うようになりました。

■この度の霊の祈りのテキストを母に郵便局まで受け取りに行ってもらったのですが、その日以来母も関心が出て、なぜか私と行く気満々なので、今日はお散歩がてら母とパートナーの3人で神社まで行って来たところです。往復1時間半ゆっくりと歩き、80近くの母ですが、何十年ぶりかに地元を歩いて子供の頃を思い出し、懐かしんでおりました。
私がお祈りしている間は足を休めてもらい、終わってから3人で参拝し、今日は神様方にファミリーを紹介出来てなんだか嬉しかったです。

■今日も歩いて参拝に行きまして、お祈りをさせて頂きました。
昨日の初日は祈りを短く唱えましたが、今日は長く唱えました。
長い方が途中から体も少し揺れてリズムがとれて、気持ち良かったです。2日とも誰もいなくてゆったりと安心してお祈りすることが出来ました。
神社に入る時から参拝中も、木々が声の様に鳴り響き、風が気持ち心地良く、太陽の光が反射してきらきらとしてまして、参拝後は神社で白い猫と出会ったり、帰り道は下校中の子供たちから元気に挨拶されたりと気持ち良いひと時を過ごしてます。
この度、鎮守の神様・諸々お世話になっている存在方に気持をお伝えする機会を与えて頂けたことに喜びと感謝の気持ちで一杯です。

■先日、私が学んでいるマッサージの施術を初めて私の父に行いました。
妻以外の人に施術するのは初めてだったので、しっかり施術できるかな、効果がでるかなと不安の中で行いました。
祈ららの天然石をしっかりと身につけ、施術してみると、肩こりがよくなり、体も軽くなったようで、すごいと言ってくれました。父が元気になった喜びと、施術して効果が出た事で、大きな自信になりました。
私にとって大きな一日でした。
一方で施術をした後から、腸の調子が悪くなったり、股関節が痛くなったりと施術した事で、体の不調を受けてしまうこともあるのかなと思い、紫野先生に教えて頂いた、急激な霊障を静める祈りを行いました。
すると、途中でとても眠くなり、半分寝ているような状態で祈っていました。
また、股関節から膝の方に何かが動く感覚があり、祈りが終ると痛みが和らいでいました。
祈りを教えて下さり、本当にありがとうございます。
これからも祈りを続けていきます。

■神社参拝、満願致しました。これがカルマの浄化かなぁと思う事がいくつかありましたが、無事に21日間参拝する事が出来ました。
参拝を始めると急に風が吹いたり鳥が飛んで来たりが結構ありましたが、4回目には猫が二匹現れました。
もしかして御祭神様が歓迎してくれているのかなとウキウキした気持ちになりました。
9回目の参拝の直後に水道管が破損して急な出費がありましたが、これもカルマの浄化かなと…。
11回目の参拝後、神社の敷地内で工事が始まったので参拝を2ヶ月休み、その間に急に自宅の庭に現れるようになった母猫と子猫4匹の里親探しとTNRを大変でしたがやり遂げました。

工事も終わり、残りの参拝を始めましたが、17回目を終えた所で口唇ヘルペス、19回目に口腔内をケガしてしまいました。
20回目の参拝を終えた帰り道、何だかとても寂しいような、胸が苦しくなるような感覚があり、あと一回で終わりだからかなぁと思いながら帰宅しました。
21日目、ご祭神様の前に立つと何度もパキパキと音がしました。
祈りを始めると急に沢山の鳥が鳴き始め、祈りの後半には祈りの言葉が声が上ずって上手く言えなくなりました。
祈りを終え、この様な機会を与えて下さった事への感謝の気持ちををご祭神へお伝えし参拝を終えました。
帰り道、また寂しい、泣きたくなるような気持ちと軽い頭痛がしました。
その3日後、左足が足底腱膜炎になって今も痛いです(笑)
でも気持ちがすっきりして少し強くなった気がします。

まだまだだと思いますので、これからも参拝を続けていこうと思います。
紫野先生、本当にこの様な素晴らしい祈りを教えて頂きましてありがとうございました。

■初めは好転反応が怖く、祈りではなく塩を持ってご挨拶から始めました。
鎮守の敷地内には自治会館が建てられており、人が沢山集まっているのが見えました。
決して綺麗に整備されている神社ではなく、集会の人達がいなかったら寂しい空間なので、なんだかホッとしました。ご挨拶後少し好転反応のようなものが出た気がしたので、数日経ってから意を決して第1回目をスタートさせました。
夕方でしたが高校生くらいの男の子がいました。ここへ1人で放課後を過ごしてるなんて神秘的な子だなぁと思いました。
鎮守へ向かう時は333や3333のゾロ目がよく目に入り、何かに応援されている気になりました。
第1回目が終わって鎮守を後にすると、すぐ「197 いくな」のナンバーが目に飛び込みドキッとしました…気にしすぎでしょうか…(^^)

2回目で涙が出てしまいました。
とても有難い気持ちになったんです。
え?もう気持ちが伝わったのかしら?と拍子抜けしましたが、しかし後にも先にも涙したのはこの日だけでした…

1回目から17回目までは勢いよく祈りを進められました。
ほぼ毎回頭がすぅ~っとしてフワフワする感覚を受けました。
この間は特に大きな出来事は起こらず、気持ちの浮き沈みを繰り返していました。
でも以前よりは前向きな気持ちになる事が多かったと思います。

しかし、途中で参拝がパタッと止まってしまいました…祈りをしていなかった間は、天然石の沼にどっぷり浸かってしまい、先生の石も含めてコレクターの様に集めていました。(石に詳しくなってきました…)

天然石に支払う金額もすごい事になり、流石に我に帰り、なぜこうなったのか内観を始めているうちに、インナーチャイルドの癒しが起こりました。
インナーチャイルドは娘が気づかせてくれました。
子育てのイライラから反転!有難いことなんだと感謝の気持ちになりました。
2回ほどインナーチャイルドの癒しの涙を流したあたりから、ようやく祈りを再開する気になりました。
しかし、再開の初日から足止めがありました。
仕事を終えて帰宅しようとしたら、職場の後輩と何故かインナーチャイルドに関連する話になり、自分の今のテーマでもあったので、時間を忘れて話し込んでしまいました。
その日は参拝は出来ず、翌日から再開させました。
再開した18回目も特に何も起こらず、平和でした。
しかし19回目以降から娘とのやりとりがまた辛くなってきた時期がありました。

最後の21回目は娘と2人で参りました。
祈りの間、娘がどこかへ行ってしまわないか不安でしたが、待っててくれました。
娘にとっては神社内も遊び場なので、また2人で来れたらいいなと思いました。
翌日は気分も良く、仕事中は充実感もあり、結構今の仕事が好きなんだなと確認できました。

鎮守は少し寂しい所なので、1人で参拝してると、後ろが気になってしまい完全に集中出来ていない気もします。
この不安感も改善して祈りに身が入るようにしていきたいです。

■近所にある小さな神社は気になっていたものの、訪れたことはありませんでした。
すぐ側にお墓があって、暗い印象で賽銭箱なども無くあまり近づきたくないような・・・怖々伺ってみると、晴天のためかとても爽やかな風が吹き、何となく歓迎されていると感じました。
大きな杉の木が二本あり、今まで蔑ろにしていて申し訳ない気持ちがわきました。
しどろもどろで、祈りながら一日目を終えました。
八幡神社で、天照大神と八坂刀売神がお祀りされているようでした。
調べてみましたが、あまりしっくりくることがなく不思議でした。
何度か子ども達と一緒に、祈りに行くとその度にいつも爽やかな風で迎えてくれる、そんな印象の神社です。

特に日常生活で辛いことは起こりませんでしたし、精神も安定していました。
寝違えて、背中が少し痛んだくらいです。
あとは、不思議な夢を見ました。
当時子宮の細胞変異があったのですが、卵巣の管を切るような手術されるような夢で、寂しいような、もう妊娠に囚われなくてもいいような そんな感情が残りました。

時々神様から「よく来たな」「子ども達を護ってやる」
そのような言葉が伝わってくることもあり、段々と仲良くなれている気がしていました。

振り返るといつも参拝には白い服で訪れることが多く、祈りの後は赤とんぼやテントウムシがやってきてサインをくれている気がしました。
最後の祈りの日は新月で、久しぶりに感情が出てきましたが、無事に祈り終えることができてうれしく思いました。

・・・・・

あれから3年以上経ってしまいましたが、時々お祈りをする程度になってしまいました。
最近日本の神仏に関するメッセージが相次いでおり、特にガイドとして繋がりのある観音経を写経してみたいと思っていたところ、久しぶりに紫野さんのサイトを見て、霊の祈りレベル2の内容と、観音経のキーワードにこれだ!と申し込みを致しました。

自宅に仏壇があるのですが、これまで神仏には興味が薄く、恥ずかしながら時々しか掃除をしていない状態でした。

久しぶりに扉を開けて、中にいらっしゃるお釈迦様に触れたときに、悲しくも無かったのに何故か号泣してしまい、心の内を話してお釈迦様と対話している自分がいました。

お釈迦様の大きな愛に触れて至福の時間を過ごしながら、日本の神仏との繋がりを深めていくときなのだと確信しました。
鎮守の神社に思いを寄せてみると、笹の葉のイメージと、白い服を着て赤い笛を持っている神様が見えてきました。
調べると、応仁天皇でしっくりきました。

いつものように爽やかな神様です。(近くに竹林があるのを思い出しました)

ああずっと参拝していなかった・・・

今日参拝をしてきましたが、やはり爽やかな風が吹き、迎えてくださいました。

3年前に、私たちが参拝をし始めてから、賽銭箱が設置され、旗も立つようになりました。
これからは、まめに訪れたいと思っています。

■何の証拠もないのですが、祈りの効果を感じています。
仕事や家庭ではなく、趣味の世界の話ですが、何かに導かれ、強力なサポートを得ています。今まで、このようなことがなかったので、狼狽えてます。

■先日行った神社では、参拝後、脚の不自由な犬がひょこひょこと出て来て、私をいつまでも見送ってくれました。
(彼の顔はまるで笑っているように見えました)

■お彼岸に入る前に、川崎大師と浅草寺のお札のエネルギーが同時に切れました。
ご神仏が必死で守護してくださったことに、感激致しました。浅草寺は、現在、お札やお守りを郵送していただけます。
川崎大師は、郵送はおこなっていないので、妻とお大師様に行きました。
川崎大師の本堂のお参りが終わり、不動堂でのこと。
その日はなぜか中にあがる気がせず、献香所から不動堂を仰いで、手を合わせました。

そこに不動堂の中から、出て来た若い母親と5歳くらいの男の子がひとり、木の階段のど真ん中を降りてくると、手を合わせている私に向かって、その男の子が手を合わし返しました。
そして、小さなその男の子が、手を合わせたまま、「ありがとうございます」と私に言ったんです。

それはまるで、不動明王のご眷属が、私に向かって放った言葉のような気がして、神聖な、なんとも言えない気持ちになりました。

私は、これまでの人生の中で、(少なくとも記憶している限りにおいては)まったく経験したことのない、何かポッとしたあたたかい思いを、言葉に表せない思いを、その男の子から受けたのです。
そこには、疑ることも、怒りも悲しみも存在しませんでした。

私は、男の子が無心で私に手を合わせ返してくれたこの度の光景を、一生忘れることはないと思います。(涙)

■レベル1を始めて、2ヶ月後に神棚を設置して、ほぼ毎日祈っています。
続けられるか不安でしたが、3ヶ月続けることができ、少し自信がつきました。仕事の行き帰りのどちらかで神社に寄ることが日常となりました。
三日坊主な私ができると思っていなかったので、驚いています。
そんな私なので、仏壇の祈りを加えると続けられなさそうなので、神社と神棚の祈りで進めています。

年単位のことなので、急いだり焦ったりせず、ゆっくり自分のペースでやっていこうと思っています。

祈りの効果かわかりませんが、神棚を設置してから、たくさんの人と巡り会うご縁を頂きました。

具体的な話をすると、Twitterのスペースという音声snsです。
複数人と電話できるシステムで、一気に自分の世界を広げてしまいました。

人が集まるとトラブルも発生しますが、神社や神棚で祈るとサッパリとした気持ちになり、効果を実感しています。

他人から見たらどう思われるのか分かりませんが、私は、祈ららの祈りと音声snsが何かリンクしているような気がしてます。

今までネットからたくさんのものを与えてもらいました。
だから、自分も何かそこに返したい。

そんな思いでsnsでやりとりしています。

現実世界で疲れたり、傷ついている人が多いからこそ、できるだけ居心地の良い場所が作れるように、人間関係のカルマを浄化しながら、自分も周りの人も穏やかな毎日が過ごせるよう精進しています。

■職場の鎮守に参拝させていただくようになって、少しずつわかってきましたが、どうやらほのかに歓迎されているように感じます。
綺麗な境内なのにいつ行っても人がいないのが不思議です。
「援助してやろう」というささやかなメッセージが感じられました。ちょっと前までなんだか職場のアラというか、「あっここがカルマな感じ(^.^;」と起きてくる出来事や身体の不調に振り回される毎日でしたが、祈りはじめてから少しずつ、なんとかこの荒波を乗りこなしてみせようと使命感のようなものが湧いてきて、「業務は業務でやりつつ、私は私でやりたいことをやろう」、アラがあるならそれを補おうとするようにしよう、と思えてきました。
なんだか心の勉強をまたきちっとやりたくなってきました。
業務内容にはないですけどね。
それを、○○神社さんは応援してくれているような気がします。(涙)

■落ち着いて考えてみたら、先生から教えてもらったことのお陰で4年半でここまでくることができたんだなと思いました(先生に会う前の私のままだったら決してこのペースでは進めなかったです)。

祈り
会報ドラゴンアイズ
ブログ
ブログで紹介されているおすすめ本
アクセサリー
全てが私を育ててくれました。
これからも焦らずに進んでいきたいと思います。

■あと4,5日で、霊の祈り2を申し込んで1年経ちます。
形よりは中身という価値観が自分の中にありますので、物を揃えることについてはマイペースでした。はじめて供養をしてみた時、夫の家に対しては、(いたらない自分でごめんなさい)という気持ちになり、涙が出ました。
自分の実家に対しては、(やっとご供養できた)という感動で泣きました。
『祈るときの涙は、相手に祈りが通じている』という文章を読んでいたので、(通じているのかな)と嬉しく思いました。
それから数日に1度の割合で、何故か祈りの中で泣くことがありました。
ご先祖に関して、舅家と姑家への祈っている感じは、全く異なりました。

舅家は、お会いしたこともない親族が沢山いる中で、個故人の名を呼んでお経を唱えたときは、感動して涙が出ることもありました。
でも、舅家全体を祈るとき、なんだか壁に向かって祈っているような状態が、長く続きました。

姑家については、はじめから軽やかな手応えで、祈りはじめのころは、嬉しくてよく泣きました。
私が(皆のために働きたいな)と思いながらお経を唱えているときは、(どんどんやって!)と肩を押されているような気持ちになることもありました。

私の実父家については、自分が育った家なので、よく知っています。
その家では、私は小さいときから人間関係で停滞し、思春期では金縛りによく遭いました。
それで、ご供養のときは(苦しんでいるご先祖様も居るのだろう。戦で人を殺したくないのに殺した方もいただろう)と思いながらお経を唱えると、涙が出てきました。
一年弱祈ったお盆のとき、実父家のお位牌の前に座ると、ニコニコと楽しそうな雰囲気がし、今まではそういう雰囲気はよく分からなかったので、(私の感知能力も育ってきたのかな)と思いました。

私の実母家は、好きだった祖母を思いながらお経を唱えることが多いです。
涙が出る頻度は、姑家や実父家に比べると、少なめでした。

先祖供養に関しては、そのようにして季節が過ぎていきました。
夜寝る前に小声で供養したり、昼間誰もいない時に声を出して供養したり、バタバタしたときは中途で席を立ってまた供養を続けたり、です。
最近は、早朝に神棚・先祖供養等するのが、気持ちよくなりました。

神棚といっても、お札も棚もなく、ただ祝詞等をあげるだけが、ずっと続きました。
何となく、急に、色々と買い揃えるのが、おこがましい気がしたからです。
(・・・家には、家の人は崇敬する神社の神棚がありましたが、天照様や鎮守様のはないです。)
はじめ、神様に祝詞やお経をあげながら考え事をしていると、自分の考えがスッパリと端的になるのが不思議でした。
例えば、人間関係で悩んでいるときは(そんな人と同席する必要はない!)という考えが浮かんだりしました。
その考えが正しいかどうかは分からないです。
でも、けっこう最初は、祈りが悩み相談みたいになっていました。
最近は、あまり悶々とすることが、時期的にでしょうか、減っています。

そして最近は、祈りに少し自信がついてきたのか、スーパーで買い物をしながら、自転車を漕ぎながら、(この場が清まりますように)という祈りを込めて、マスクの中でブツブツお経を唱えたりしています。
良いのか悪いのか、効果がない気がしますが、自分の精神力は付くような感覚になります。
また、鎮守の神社で「この地域の方々のワクチンの害が消えますように」と祈ったりもしました。
が、その翌日、その鎮守で祈っていると、(鎮守の神様は、皆の魂の成長だけが嬉しんだ。)(昨日の願いは、聞けれない。)(あなたのように参拝に来る人じゃないと・・・)みたいな言葉が思い浮かび、無理な願いをしてしまったと私はグサッと落ち込みました。
それでも、家でも懲りずに、舅姑・実父母のワクチンの無害化を祈っています。
それが良いのか悪いのかわかりません。
ただ、そういう願いの中で、またもうすぐ祈り一年だし、どうしても天照大神のお札と鎮守のお札がいる、と思い、ようやく部屋の戸棚の上に置かせて頂きました。
それらは柔らかい優しい雰囲気でした。

この一年間の健康については、今でこそ早起きして祈っていますが、はじめは、子育ての疲れなどで、早起きできませんでした。
そのころ、子どもも風邪をこじらせて、はじめて中耳炎にまでなり、園を遅刻したり休んだりの日々が、数カ月も続きました。
私は、腰を痛めて、トイレまで歩くのに這って行くのも大変な状態になり、一日は寝たきりになりました。
家庭用の温熱治療器を使ったりして徐々に治りましたが、けっこうなカルマが返ってきているのではないか、と思いました。
また、舅姑は、かなり痛い怪我をし、やがて治りました。
実父はある原因から、少し体が不自由になり、なかなか治ってはいません。

それまでも、毎年、多少の不具合はありましたが、今年はカルマの出が、祈りも手伝ってか、コロナ禍で外での気晴らしができないからか、いつもより多い時期かもしれませんでした。

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