祈り通信講座を進めている皆様の、体験談です。
尚、文中に出てくる祈らら以外の人名や方法や考え方などは、それぞれの方の経験です。
祈ららでおすすめしているというわけではありませんので、取り入れる場合は自己責任で行ってください。
無理と思っていたお経を8ヶ月で暗唱できました。 同じ文言の繰り返しが多いので、見ながらでいいと思っていたのですが、紙がボロボロになり、セロテープを何度も貼り付けたのを見て、思い立ったのですが、覚えられて嬉しかったです。 お経を暗唱できる人生が自分にあると思わなかったので驚いています。 ちなみに今年5月から8家でほぼ毎日頑張ってます。 祈りをしていると、気力が満ちるのを感じます。 先生が、守護し導いていることを何となく感じています。 ありがとうございます。 飽きっぽい自分が毎日続ける祈りができると思わなくてビックリの一年です。 観音様とご縁があるかどうか分かりませんが、祈っているとき、ふと湧いたイメージがあります。 お経を唱えていると、過去も現在も時間が同時に存在する不思議な感覚になる時があります。 霊的な感覚なく鈍感だと思っていましたが、よく分からないものです。 |
完璧でないですが、神社参拝も順調にできていますし、神棚の祈りも祝詞全集からいくつか選んで奏上していますし、先祖供養は来年の1月中くらいで一年になります。
毎日コツコツ続けることで自信に繋がるんだなと感じてます。 |
神社参拝に慣れなくてで緊張したので最初のうちは感想を記録していました。 瑞の祈り初日 やっと来られてうれしかったです、と伝えました。 祈りの言葉は短いですが、途中でじわじわと温かいものが込み上げたり、感極まったりしていましたが、表には出せませんでした。 帰りに、神社に敷かれている砂利がきらきらしてところどころ翡翠のように見えました。 とても緊張していたので、とにかくぎこちない作法になっていました。 帰宅してリラックスすると、喜びでいっぱいになりました。 部屋の空気が軽くなってきらきらしていたり、ふっと檜の香りがしたり(なんでかな)、涙が出たり。 何より、鳥居から振り返ったときの神社の美しさは、素晴らしかったこともよみがえりました。 しばらくして、鎮守がカルマのコントロールをしてくれている、というのが分かった気がしました。 祈り5回 このあたりで、最近行っていなかった実家へ母の様子を見に行きました。 |
レベル3の祈りは夫婦でマイペースに少しずつ進めています。 祈りを進めると共に住んでいる土地がどんどん好きになっているように思います。 現在も仕事は休職中ではありますが、将来に向けての学びをしながら、なんとか生活できており、ご神仏様にお守り頂いているように感じます。 今は〇〇〇〇と〇〇〇の両方の技術習得に励んでおり、妻のご両親にも施術をしたり、一歩一歩確実に前に進んでいます。 これからも日々精進して参ります。 |
【中間報告】
今回は、9月23日の秋分までに、私のほうのご先祖の供養をすべて終わらせることを目標に、続けていました。 そして、昨日、9月20日に、無事、目標を達成することが出来ました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 想えば、ちょうど一年前には、〇〇家の供養をすべて終わらせる目標を達成し、今年は、私の先祖すべての供養を終わらせることが出来ました。 それ以前には、妻のほうの供養をしたり、市内参拝なども行っていたので、この夏は、本当に供養に特化した祈りとなっており、大変にエネルギーを使ったなぁと実感しております。 『異人たちとの夏』という映画を、夏の終わりに観ましたが、この夏、私は実際に会った人たちよりも遥かに多くの異世界の先祖たちとの交流で過ごした時間のほうが多く、私にとって2022年の夏は、まさに『異人たちとの夏』一色でありました。 今回は、半分レポートのようになってしまいますが、レベル3は盛りだくさんですので、中間報告としてちょうど良い時期かなと思っております。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* いま、終わってみて思ったことは、ちょっと期待していたこととは、違ったということでした。 私の血の中に流れる、もっとも近しいご先祖や、私が生きて実際に会ったことのある親戚もたくさんいたので、彼らは、私に感謝して、もっともっと運勢を上げてくれるものとばかり思っていましたが、実際は、以前と変わらない生活が続いているように思います。 昨日、最後のひとりの供養が終わってから、美容室に行き、その足で実家に行きましたが、両親は相変わらず小競り合いなどを繰り返しながらも、私を交えて一緒に食事をしましたが、先祖の話しになっても今一つ盛り上がることなく、特に言い合いになるようなことはなかったものの、なんだか妙に体調が悪くなって、帰宅するとくたくたに疲れていて、その日は家事も放りっぱなしで、すぐに寝てしまいました。 妻には、これまで以上に感謝の言葉を、意識してかけるようにしていますが、妻のおちょこちょいはそのままで、私はと言えば、夏に大切なお客様が去っていった心の痛手を、まだ払拭できずにおります(内省は済みました)。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* それでも一回一回にかける供養は、毎回、そのたびに違う出会いがあり、重い人、軽い人、濃い人、薄い人、高慢な人、卑下する人、お供え物を遠慮する人、のべつ幕なしに食べたいものを列挙する人、本当に様々でした。 読経の一回目ではほとんどわかりません。 中くらいの重さの方は、7回終了後には、良くなっていることが多いです。 それ以上の重さを抱えている霊は、大体、真言を唱えることで、一日で終了となりますが、中には、霊障を供養後に霊障をひきずったり、部屋の中がもわもわとして、窓を開けて放つこともありました。 初めから覚悟はしていましたが、私の叔父にあたる方で凶悪な…(笑)方は、三日かかりました。 もっとも長かった人は、8日かかりました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 家系の中には、何人か離婚があったり、夭逝した子たちも少なくありませんでした。 また、養子縁組や兄弟間での養子養父の関係を持った人も何人かありました。 子孫の人生のことを後々まで興味を持って聞いてくる家長のようなおじいさんもいましたし、逆に、未だ、生前の葛藤が払拭できずに苦しんでいる人もいました。 親や子を愛せない人もいました。 誤った稲荷信仰をして、その後の子孫に良くない影響を与えていた女性もいました。 肩書と内面が大分違っている人もいました。 性格の良い人にあたると安心しました。 素直な人は、目いっぱいお経を吸収して、天に昇っていきました。 生前宗教を持っていた人ほど、成仏は遅くなりました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* そんなことがありながらも、夏の季節中、私の心は、陰へ陰へと向かっていきました。 妻には「うるさい」ばかりで、ちっとも優しくしてあげられませんでした。 また、お祈りの最中、その人の名前を想起しながら、お経を送っているつもりが、私が人生の時々で、人にされた悔しかったこと、憤り、心の傷、先々の不安… コンプレックスが次々にあふれ出して、供養が終わったご先祖の数が増えるたびに、私の自信や誇りは、却ってそぎ落とされていったような気さえしています。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 私は当初、この修行を始めた時に、死んでもいいと思って始めました。 〇〇〇〇協会を皮切りに、30年間、多くの先生に師事し、色々なものを犠牲にしてきました。 結婚してからは、自身の最後の誇りであった善人でいるということも、妻側の多くの人間たちによって破壊されてきました。 世の中の真実を求めれば求めるほど、正義とは程遠い、人類というものの作って来た歴史の数々。 20代の頃のお世話になったあの先生にまた会いたいな… そうして久しぶりに連絡をとってみると、奥様が出られて、その電話の半年前に他界されていらっしゃいました。 紫野先生の祈ららに出会ったのはその頃でした。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* その少し前には、陰陽師になるために、関西に誘われたこともあります。 でも、どうしても気が進まなくて… 最近、千日回峰行の動画を観ました。 1300年間の歴史の中で、成功した人はたったの二人だと。 そして、修行を失敗したものは、自害するのだと… 私は、彼らがなんのために、その行を課すのか?悟りが目的だというのであれば、どこか間違っているような… ただ、、現在、年間三万人の自殺者が出るこの国で、藁をもつかむ気持ちで、死んだ気で何かに挑戦したいという気持ちは、私は、ようくわかります。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 私の『異人たちとの夏2022』は、楽しくも、苦しい修行の日々でありました。 美容院の人から、以前はなかった白髪が増えた(私の髪は長く、生えてきたのではなく、急に白くなった毛が何本もある)と言われました。 今は、日常の感謝や喜びといったものからは、だいぶかけ離れています。 それでも、進むわけは、…この30年考えたこともありません。 でも、とりあえず、私の分の供養だけは終わりました。 最近は、一度の供養で、かなり成仏に近いまでのご供養が出来るようになったようです。 以前は守護霊に守ってもらうことばかり考えていましたが、なんだか今は、どちらが霊界だか現実だか? どちらが守護霊だか、見守り、助けられるほうだか分からなくなりました。 以上、中間報告とさせていただきます。 お読みいただき、ありがとうございました。 我が人生のこの時期に、この法に会わせていただき、感謝申し上げます。 これからもよろしくお願いいたします。 |
(先祖供養よりも)神様の方が波動を感じやすく、祝詞を読むととても温かく満たされ少し軽くなります。
祝詞の本に、この世で生きるための叡知が詰まっていて、神々の名前を見ていると、日本はこんなにも守られている神の国なんだと泣けてきました。 |
「霊の祈りレベル3が始まってから約3年半、約300の寺社を巡らせていただきました。 レベル3の祈りの途中ではありますが、市内参拝が終わりましたので祈りのご報告をしたく、連絡致しました。 <祈りの歩み> 〇〇市は合戦もあり、いろいろな勢力が入り乱れた場所でもあります。 2年目に入ると、近隣で参れるところはほとんど終わってしまい、一度伺って祈った後は、ほとんどが自宅の神棚か、鎮守での参拝になりました。 他にも伺った先では様々な反応もありました。 山の中では、獣除けの電気鉄柵を超えた向こうに、素晴らしい神社があったりして、土地のエネルギーを強く感じました。 3年目には主に〇〇町を回りましたが、やはり〇〇町エリアでは、〇〇一族の力というかエネルギーを強く感じました。 一応地図にある所と、また、地図にはないのですがナビで表示される所というのもあり、それもできるだけ回りました。 祈りの中でいくつかとても印象深いことがありましたので、それもご報告致します。 まず、ある地域の諏訪社で祈った時のことです。 地元の名前のついた神社でしたが、御祭神は建御名方命、八坂刀売命でした。 それから、他の諏訪社で祈る時も、同じ雰囲気を感じたところがありました。 また、250寺社を超えた頃に祈った神社では、建南方富命と白木武尊(タケミナカタの命と、ヤマトタケルの命でしょうか)でしたが、祈っていると身体がびりびりと電気的なものを感じ、足元から何かが登ってくるような感覚がしました。 他には、愛宕神社ですが、祈っていると、不思議に美味しい甘い感じが口の中に広がり、どこからか白檀の香りがしてきました。 <祈りの中での外側の変化> この3年いろいろありましたが、カルマが出てくるということは、それを手放せる時だとも思い、それはとても有難いことかもしれないと思いました。 <祈りの中での内側の変化> その中で、どうも自分は身体感覚的なことが苦手だなあと思い、身体感覚を取り戻すために太極拳を習うようになりました。 また、自分の認知の特性について知るために、ユングのタイプ論を元にしたMBTI診断なども受けました。 祈ららの祈り3に入り、自分の課題である経済的自立の課題に取り組んでいました。 今感じるのは、自分自身のエネルギーは増し、以前より軽やかに生きている気がします。 今はスピリチュアルという真の柱から最も素直なかたちでセルフの表現としての自分で在れるよう、その意思を感じ、実現できる力を強くしていこうと思います。 <祈りを通して全体的に感じたこと> 行政上の県や、市というものは、人間が決めた勝手な境界線ではありますが、できる限り一緒に協働させていただきたい。神々の働きの助けになればと思うようになりました。 現代は、山を崩し、木を切り土地の神やエネルギーなど考えずに、人間の利のために利用されていることが多いです。 結婚し、引っ越してきたときには、誰かに見られているような、いつも緊張したものをこの土地に感じたものですが、今は市内に入ると少しホッとする感じがします。 |
祈り3を始めたころから、生活上でやることが増えまして、少し疲れて祈るので、祈り2の時ほど、敏感に色々と感じ取るということをしなくなって、せめて祈りが届けばいい、という気持ちでやっています。
でも、このお盆に、久しぶりに実家のお墓に参りましたら、線香もお菓子も水も持っていず、ただ祈っただけだったのですが、何故か感動して涙が伝いました。 そこで久しぶりに、自宅で、ご先祖の個々の家の供養をしてみました。 |
祈らら様からの返信(お問い合わせやカウンセリングの回答など)が到着する前に、引きずり込まれるように眠ってしまうことがあり、目が覚めたらメールが届いていた、ということがありました。
「霊の祈り」に興味を持ってお問い合わせをしていた前後に、夜中(明け方に近いかも)、突然部屋の景色が変わり(昔、神社の隣に住んでましたが、神社に一番近い配置の部屋の中、窓から鎮守の森が映る景色)寝ている自分の右腕を何かに押さえつけられました。 その時「自分を押さえつけているのは自分自身」と心の中から聞こえたので、「おいおい、何やってるんだ」ととっさに言うのですが、声が出ません。 すると今度は「自分の感覚をもっと信用してください」と沸き上がってきたので、息をしっかり吸って 日中、「あれはどんな意味だったのかなあ」とぼーっとしてしまったり、祈ららさんにかかわることでなくても、抗えないくらい眠くなったり、病気でもないのに体調が悪いと感じたり(ワクチン接種者の影響かも)、「地獄を見下ろしているよう」な気分になったりしました。 「祈ららの浄化について」という項目をもう一度読みまして、「邪魔が入っていること」の部分も読みまして、いろんな反応に対する支えができて少し楽になりました。 |
祈ららの祈りを始めた頃から、不定期で急に腸の不調、肩痛、首痛、眼痛、頭痛が起きる日がありました。 頭が痛すぎて寝れなかったり、気持ち悪くなり戻してしまったり、症状が現れるととても辛いです。 腸に悪い物食べてしまったかな、ストレスに感じることがあったかなと色々と考えるのですが、原因は分からず、お風呂で身体を温めたり、経口補水液を飲んだり、マッサージをしたりして、症状が治るのを待つことが何度もありました。 先日も同じ症状が現れました。 最近は神社の参拝を進めていたのですが、久しぶりにお寺の参拝を行ったこともあり、それが影響したのかなと思ったりしています。 今回の事で祈りの効果を改めて感じました。 |
【掃除が止まらない】
今年は夏に入る前から、施餓鬼供養をしようとずっと決めていました。 ご先祖を送ってから、すぐに我が家に変化がありました。 それは、私が掃除魔になってしまい、(おかしくなったんじゃないか)というくらい、毎日どこかを掃除していました。それは一週間以上続きました。 普段掃除をしていないわけではないのですが、古い家ですから探せばどこかは必ず汚れがあるのです。 ☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆ 【ある朝、ネズミが死んでいた】 毎日、掃除をしていたある日の朝、妻が玄関を出て、驚いたような声で私を呼びました。 このネズミは、私たちがこの家にやってくる以前から、この家の天井裏に住んでいたネズミだとすぐに気づきました。そのネズミは、天井裏から、こともあろうに神棚の真後ろにやってきて、そこでゴソゴソやっているのが、日常でした(神様と一緒になんどそのネズミを拝んだかわかりません)。 そのせいでしょうか。何度か天井裏を開けた時には、いつももぬけの殻で、またたいして汚れていませんでした。毒エサを仕掛けましたが、ほとんど食べず、それからも普通に住み着いていました。 足掛け、7年間。私たちは、天井裏のネズミと共に暮らしていました。 そして、あの日、庭で干からびて死んでいたのです。 それまでには、先程よりも強い毒エサは買ったものの、なんだか仕掛けるのが忍びなくて、そのままにしておいたのです。何をしても、絶対に出ていかなかったネズミが、お盆の先祖供養をしたら、誰も迷惑にならないような場所で、こちらが手を下すことなく、死んでいました。すぐに役所に電話して、引き取ってもらいました。 私はもう一度天井裏を開けると、木の枠の隅の所に、申し訳なさそうに少量のフンが固まって置かれているのを見ただけで、天井裏は、ほとんど傷もなく、汚れてもいませんでした。 長年、悩まされていたネズミではありましたが、彼は大きな音を立てることもなく、鳴き声も一切せず、静かに死んでいきました。 ☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆ 【夏の先祖供養はキツイ】 今回のお盆の先祖供養で気付いたことがあります。 私は、紫野先生にお願いして、本来1年間のレベル2の供養を「涙が出るまで」に変えていただきました。そして、約4か月でレベル2を終了出来ました。 ただ思えば、この4か月は、冬期のお祈りだったのです。 その後も、個別供養と共に、先祖供養は行っていますが、どうしても個別供養のほうに割合は嵩んでしまいました。そんな中、施餓鬼供養をしようと意気込んだ結果、、しかも、八家を一気に供養してやってきたご先祖を供養したら、本当に体がきつかったです。 夏前までは、仏壇に手を合わせると、神棚での参拝とさほど変わらないくらい、気は落ち着いていたのですが、今年のお盆は、まるで、レベル2のお祈りを始めた時のよう… それにしても、送り火が終わったにも関わらず、いつもよりご先祖が多いのは、、 ご供養が終わるたびに窓を開けていた、初期の時頃の感覚を思わず思い出しました。 |
私が妻と伊豆高原に出掛けた時の話しです。
あまりにも衝撃的だったので、先生にお伝えすることもどこか憚っていたのです。
以前訪れたペンションが素敵だったので、また癒されたくて出かけました。
以前の場所は取れず、妻が取ってくれたペンションはなんとなくお粗末な雰囲気…。
うちは車が無いものですから、ペンションの周囲を散策するためには、自分たちの足を使って、アップダウンの激しい高原の道を移動しなければなりませんでした。
しかも、毎日、長時間の祈りと供養によって、私の脚は一時期、感覚を失い、もう歩けなくなるのではないか?と思うほど、よくない時でした。
夜、ペンションおすすめの温泉に出かけるのに、一歩また一歩と歩きながら、妻に寄り添ってもらって歩ききったなんだかこんなことをするために、伊豆高原に来たのかって、朝夕の食事もさほど、感激しなかったんです。
翌朝、バスを使って到着した美術館が休館。
時刻はまだ9時過ぎたばかりでしたが、妻が「どうする?ペンションのオーナーが進めてくれた大室山行ってみる?リフトだから歩かなくていいと思うし…」私は文句たらたらで、「伊豆高原には神社もない、癒しもない」ただ、伊豆高原駅の前にあった足湯だけが嬉しくて、いつも神社にするように、その場にお賽銭(箱はない)を置いて、「もう帰ろう」と言いました。
妻の顔がとても残念そうで、妻からすれば私の面倒と愚痴を聞きにここまで来たようなもので「いいよ。あなたがしたいようにするよ。じゃあ、帰る?」その瞬間に、「山に行ってみる」と言ったんですね。
精神的にも八方塞がりだったんですけど、道や可能性が開けているところを、もう一度だけ信じてみようと思った。
「いいの?」
「うん」
「ただ、リフトで登って降りてくるだけだよ」
すぐ目の前バス停から、バスに乗っていたら木が一本もない山が見えて来た(ここは山焼きをやっているのか…)リフト乗り場まで着くと、「浅間大社」の文字が…。
(あ、ここにも浅間大社があるのか、富士宮の浅間大社また行きたいな)そんなことを思いながら、複雑な面持ちで妻とリフトに乗りました。
頂上に着くと、火口(死火山)がアーチェリー場になって、火口の周りをぐるりと一周出来るようになっています。
その火口を少し登ったところにお社があります。
(神社があった!)
御祭神の由緒書きを見てみたら、木花咲耶姫ではなく、『磐長姫』と書かれている。
木花咲耶姫様が美を表す神様でいらっしゃるように、磐長姫様は永久の繁栄を表す神様であられる。
瓊瓊杵尊様は、磐長姫様のお顔が醜かったことから、美しい妹の木花咲耶姫様だけを妻とし、姉の磐長姫様をお返しになった。
父の大山津見神はそれを怒り、「石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」ことを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。
この話しをふいに思い出した。
磐長姫様…
私は足が痛いのも、どうでもよくなって、お社までの階段を下って行った。
その間、嗚咽しながら、涙が止まらない。
妻に支えられながら、先ほど書いたようなことを、脈絡もなく妻に語りながら、妻に引きずらるようにして階段を降りていく。
今、思い出しても涙が出て仕方ない。
磐長姫様~!!
神籬の前で、私は叫んでいた。「何卒、日本の存続を~~!!」
私の涙に応えた磐長姫様の涙が私の中に二重写しになって、爆発する(この二年間の祈り人生で最大の涙です)
「何卒、何卒日本の永遠の存続を~~」
(泣きながら、応える。「お前のようなやつは初めてじゃ…」)言いながら、また、涙、涙……
日本の民は美しくもあろう。
しかし、欲はない。
感謝もない。
なぜ、自分たちが日本に生まれ、なぜこのような姿形で、このような環境で、物を考え、日々の生活をしているか、考えることもしない。
美と悠久、どちらも大切ではある!!
その時に気がついた。
隣りにいる妻のことを。
妻の名は、〇〇である。
私は、磐長姫様と木花咲耶姫を御二方とも妻にしたのだ。
懺悔文を抜かした全ての祈りを磐長姫様に捧げた。
同時にこれまでの10年間、私に寄り添い、信じ、共に歩み続けてくれた妻への感謝でもあった。
ここに来て本当によかった!
私たちが四苦八苦しながら歩いた、伊豆高原の街が眼下に見える。
晴れの日はここから富士山も見えるそうだ。
私は日本の国の存続のために、残りの命のすべてを使いたいと思った。
私は、、まだ具体的な自分の道が見えてきません。
ただただ、祈りを続けて参りたいと思います。 |
いわゆる「霊感」がない私ですが、必要なときはちゃんと夢や神社などでなにからしらのメッセージをいただけます。 祈りとともに成長できることはとても幸せです。 |
霊の祈りのレベル1の氏神様の神社のご参拝を昨年の5月半ばから開始して、旅行に出掛けて行く時以外はサボらずに毎早朝3時30分から4時頃に家を出て参拝を続けて、一年が過ぎました。 あっという間に一年が経ちました。 生き霊ですが、どうやら宇宙人グレイのようです。 氏神様の神社に毎早朝に通い出して、丁度一年になる頃から、この生き霊もどきが薄くなってきました。 そして、毎早朝 神社で宇宙の高次元の皆様に『私にあらゆるサイキック能力をお与えください。』とお願いをしております。 昨年からユーチューブで『タロットカード、オラクルカードのリーディング』をしてくれるサイトにハマり出して一日中、色々な方のリーディングを見ております。 はじめのうちは自分の直感でカードを選んでおりました。 この現象はサイキック能力なのか? 祈ららの紫野ひかり様の霊の祈りを知ることが出来て本当に有り難く感謝致しております。 |
会報誌を読んで祈りの趣旨により深く賛同しました。
自分の自己否定や自己嫌悪がどこからくるのか? 勝つことや有利な立場に自分を置くことが苦手で違和感を覚えます。 私は競争するより協力したい。 不利な立場で頑張っても報われない人。 勝ち負けの世の不条理に対してどうすることもできない。 負けることが多いけど、何かの縁で勝ってしまった自分。 敗者への想いをこの祈りで昇華できると信じているから、一年間神社に通い続けることができたのかなと思いました。 負けた自分と勝った自分が握手をするようなそんな気持ちになれるノーサイドなこの祈りを続けていきたいなと思いました。 |
今年から始めた先祖供養も順調に続いています。 子供が学校に上がって時間ができたおかげで、週4回くらい○○経を○回○家に祈ることができています。 かなり長丁場の読経にも関わらず、楽しく進めている自分にビックリです。 |
祈りの方は頻度がぐっと下がりつつも、続けている感じです。 ひとり暮らしをしていた頃、変に責任感…いえ自責グセでしょうか、があり、祈っている間は雑念が酷かったので心から祈らねば…という考えをもち苦しかったのを覚えています。 「この祈りを心から祈れる自分になれますように」と神棚などで手を合わせたこともあります。これがよかったのか、それから色々な出来事が起きて、磨かれているのかなぁ私と思ったこともあります。 また、ひとり暮らし解消する頃の鎮守さんの印象は、最初の頃と比べると柔らかくなっているなぁ優しいなぁ好きだなぁと自然と感じられるようになってました。 先祖供養は、母方先祖の霊のあり方がかなり優しくなっているなぁと最近感じます。 私自身も、「楽になりたくても肝心の祈る人がムリをしていたら意味ないよねぇ」と思い、どんな気持ちで祈ったらいいのかは試行錯誤しました。今浮かんだのですが、頻度どうこうより、内面を良くすることが大事なのかもしれません。 |
大山寺の不動明王さんに会いたくなって、家族で登山してきました。 大山寺に着き、ぱっと時計を見ると11日11時11分でした。 そして、知らずに行ったのですが春山花祭のご開帳日で嬉しくて飛び跳ねました。 終わって外に出ると、トカゲが出てきてくれました。 その2日後、また大山寺を訪ねました。 娘の通う保育の裏にお寺があり、一度祈りに行きたいと思っていました。 このように毎日手探りで、石さんのパワーをお借りしながら、一生懸命祈らせていただいております。 今日も大山寺に行って来ました。 この気持ちをどのような言葉に表してもしっくりきません。 |
霊の祈り2を昨年より主人と共に始めさせていただきました。 ご指導いただきありがとうございます。 そして全部の供養で号泣しましたのでご報告させていただきたいと思います。 主人が早朝に祈り、私が夜祈る生活リズムが定着してきました。 祈りを始めた頃はものすごくパワーを使っている感覚があり、お経を読むのはとても苦しく、大きなラップ音やゲップ、おならの連続や、体のどこかが痛くなったり、一家族の祈りが終わるごとにお手洗いに行ったり、全部の祈りが終ると布団で休んだりとととても大変でヘトヘトでした。 特に始めの三か月間はとにかく祈り中心の生活でした。 紫野様からご紹介していただいた本もとても勉強になりました。 それでは以下、少し長くなりますが日記を見返しながら祈りで号泣した日や、何か強く感じた日の出来事などをご報告させていただきたいと思います。 私の母方の祖父のご先祖様の祈りは始まりとともに号泣でした。 数日、スッキリしない夢をみたり体が重く感じたりして祈りができるか心配でしたが、神棚での祈りがとてもスムーズにできて、エネルギーをたくさんいただいた感覚があり、涙がとまりませんでした。 また、父方の祖父の祈りで私は女性へのカルマがあるのではないかと心の中で思ったところバチバチといろんなところでラップ音がなりました。 夢をみても嫌な感じがしなくなりました。体が軽くなりました。 掃除をしていると左の指を紙で切ってしまいました。 生理がきました。先祖の祈りで紫や白色の光の中に人の顔が見えたような気がしました。 どれも大事には至らなかったのですがケガや「血」を見る機会が多かったので大きな浄化なのかもしれないと感じました。 帰省し、両家全部のお墓に行こうと前々から決めていました。 6年前に、それまで一度も自分の苗字のお墓に行ったことないことがずっと寂しく、違和感を感じていたことから、祖母にこのお墓の場所を聞き、家族に黙ってお墓探しをした時のことを強く思い出しました。 次に、曾祖母のお墓によると和尚さんが話しかけてきました。 母方の祖父母のお墓参り。母がお仏壇で火のついたお線香の先が手首にあたりやけどをしました。 主人の実家のお墓参り。義母の「~べき」という常識にしばられた発言が以前より減ったように感じました。 そんな流れでお墓参りの話がスムーズにできて、初めて母方の曾祖母のお墓(2人とも自害されたと伺っている方のお墓)に母と一緒に行くことができました。 その後、○○大社に行き、参拝したところとてもあたたかく迎えてくれているように感じました。 神棚の祈りをするとこれまでにない無心・心の静けさでこのままずっと祈りを続けられるような感覚でした。 鎮守に一人で行くと、紙をもって何かを探しているような方がいたので声をかけてみると、迷って神社にきてしまったようでした。 この時期、鎮守に行くと必ず蝶が迎えてくれたり、ゾロ目を目にすることが多く、御神仏様を近くに感じました。 母方の曾祖母(自害された)の祈りで初めて涙がでました。 父方の曾祖母の祈りで号泣しました。 主人の父方の祖父の祈りで号泣しました。 石さんが届いてからさらに集中して祈りができるようになったように感じました。 祈りが生活の中で自然なこととなり、お仏壇での祈りも祈り初めた頃ほど疲れなくなってきました。 夜に突然思い立ってブログを始めようと思いました。 知人のヒプノセラピーを受けることになりました。 家族で天然石リーディングをお願いしました。 また、実家の家族とも程よい関係ができてきたように思います。 少し前まではワクチンの危険性を伝えたいが為に、両親に感情的になってしまうことがありましたが、そこには私の執着がまだまだあるのかもしれないと気付きました。 父方の祖父の祈り 母方の曾祖母の祈り 最近は落ち着いていた祈りでしたので、久しぶりに大号泣し、石さんの力を感じました。石さんを付けて祈ると御神仏様に繋がっている感覚が強くなるように感じます。 B祈祷していただいたロードライトガーネットのペンダントを初めてつけたところ、とても眠くなり夕方寝てしまいました。 その後、生理前~生理の不調が驚くほど軽くなりました。 実家に帰省しましたところ、程よい距離で過ごすことができました。 これまでの私は助けたい、気付いてほしい、という気持ちが強く相手を尊重せず一方的に意見を述べて衝突していたと思います。 父に添加物の入っていない美味しいお菓子を買っていったり、母の職場の人間関係の悩みを聞いて共感したり寄り添ったりする姿勢をとることで、自然と相手の気持ちがほぐれていったように感じました。 そして、頑固な父が頭皮に優しいヘナで白髪を染めてみたときはその変化に驚きました。 主人は習っている「○○○○○」の感覚をつかむことができはじめ、私も何度も腹部の不調をとってもらい、娘は主人に頭にエネルギーを送るように触ってもらうと安心して眠るようになりました。 主人は奉仕の心を持った素晴らしい方だなと常々学ばせていただいております。 帰省を終えて帰宅すると、娘も主人も私もとても疲れていて数日間ひたすら家のなかで休みました。 娘が実家の母と電話をしたいというのでかけてみると、母は色々な不調があり、同じく父もだとのことでした。 私は急に怖くなり、なぜ急にと聞くことができませんでした。 数日間そのことで頭がいっぱいになりました。 そして紫野様の親離れのブログや本を読み、内観し、私の中に親への執着があり、親離れできていないことに気付きました。 親に元気でいてほしい、ワクチンを打ってほしくない、気付いてほしいといった期待がたくさんありました。 もしかすると母の立場で考えてみると、母はテレビの感染症の情報を信じている一方で、娘がワクチンは危険だよという情報も気にかかり、何を信じれよいか分からず、職場で一人だけワクチン未接種で不安な日々を送っていたのかもしれないなぁと思いました。 また、すべては母や私の魂が成長するための課題であるのかもしれないとも思いました。 少しというのは、まだ言い聞かせている感覚があり、心の中はざわざわしているからです。 主人は冷静で、もちろん親には打って欲しくないと言いますが、そこまで執着がないような反応でした。 親離れという課題が浮彫になり、この騒動に対して感謝の気持ちがだんだん大きくなってきました。 私にとってこの「親離れできていないことを認識した」ことはとても大きな出来事です。 娘の保育の集まりにて、初めて話した方といろいろと通ずる部分が多く、めずらしく話が弾みました。 主人と共に祈りが生活の一部になり、御神仏様を近くに感じることが多くなりました。 世間はコロナ騒動で慌ただしいですが、この騒動で元よりあった、その人その人の課題が浮彫になっているように感じます。 |
私、何も結果が出てませんが、この祈ららの祈りが好きです。 何も分からないけど、願いでも感謝でもなく、○○という趣旨で祈ることに不思議な満足感を得ています。 祈っている自分が好き。 続けられるのは、そんな理由かもしれません。 今年に入ってから、仏具を買い求め先祖供養を始めました。 何も結果が出てないと書きましたが、先祖供養を始めてからお茶とお水を運ぶ時、込み上げてくるものがあります。 先祖供養や会報誌を読みながら、自分がこの祈りをやっていいのかと、恐れを抱いてしまいます。 先祖全体の供養をすることも壮大ですし、世間一般で言われている除霊とは全然レベルが違い驚きました。 自分がどこまでできるか未知数ですが、先祖供養を始めることができましたので、淡々とやっていきたいと思います。 |
祈りの通信講座、霊の祈りのテキストなども送っていただき、ありがとうございます。 充実した内容で読み応えがあり、実際に祈るとこんな感じだよということが会報の体験談から分かって、とても勉強になります。 神様の絵も雅で素敵です。 わたしは神社の知識がさっぱりないので、会報を読んでびっくりしました。 まず、鎮守や近くの神社の由緒を勉強してみたのですが、日本の歴史上有名な武将の名前が出てきたり、地域の戦乱が想起されるエピソードがあったり、簡単にお参りするという気持ちでは取り組めず、心の予行練習中です。 |
今年の年末年始は、いつも神棚、仏棚にお祀りしているお札のある御神仏への祈りをさせていただきました。
さんざん苦しんだ地域の鎮守様(市外)に遠隔でお詣りさせていただきましたが、五日目にして号泣で終わることが出来ました。 初日の黒い雲から号泣に至るまでの変化や、憎みながらもどこかで私を受け入れる相手の尊さや、気付きを教えられたこと。 2日には、以前何度もお詣りを重ねた江ノ島神社の遠隔参拝では、一度で号泣を果たし、私の口からなんども「○○○○○○」という言葉が出てきました。 |
姉の子供の姪っ子は引き込もりになっていますが、私がお墓参りした日に、「学校に通いたい」などと前向きな状態になるので効果があると思います。
先生が言うように、自然に霊感が身についてきたので、癒しのパワーをくださいと思うだけで、チャクラや、体が癒されます。 |
参拝しだしてから、不幸なことが3割は減った感じがして助かりました。
祈っているとたまにチャクラとして合図を受け取っています。 |
祈りの方ですが、昨年まで厳しかった、同じマンションの方とのお付き合いがここ数ヶ月在宅ワークになって、鎮守の神社に朝昼夜参拝していたら、かなりかなりよくなりました。
同じマンションにとどまらず、近所の方ともあたたかい交流を築けています。 祈りは素晴らしい、と改めて思いました。 |
祈ららの祈りを始めてから、丸一年が経ちました。
とても長い間、霊的な師と手段を探すための時間に費やした私にとって、祈ららと紫野先生の存在は、かけがえのないものとなりました。 まるで神様が私のためにあつらえてくださった、プライベートレッスンを受けているような気にさえなっております。 先祖供養にしても、参拝にしても、私が人生の途中ですべて中途半端に投げ出してきたものを、丁寧に、一つ一つ、完成させていっているような感覚です。 一年前、私には幾つかの選択肢はありましたが、先生を選んで本当によかったと思っています。 現実の課題はまだまだ山積みですが、私の今は、おそらく、過去にも未来にもない稀有な時。。これからも一歩一歩歩んで行きたいと思っています。 心より感謝を込めて。 |
霊の祈りは丁度14日になりました。 雨の日と用事のある日以外は、神様に会うのが嬉しくて通っております。 1週間を過ぎたころに、同居の父が3度目の脳梗塞で倒れまして、入院などでバタバタしておりました。 |
霊の祈りのレベル2を21日間づつ祈りを終えました。 祝詞の祈りが難しくてなかなか慣れません。 お経はとても心が落ち着くので好きです。 唱えている最中に不思議といつも眠くなってしまいます。 祈りを始めてから、落ち着いている時と心が乱れて急に苛立ちを感じてしまう時と波の打ち方が激しいような気がしていました。 最近は、過去の出来事や思いに浸ることが増えました。 |
この度の霊の祈りのテキストを母に郵便局まで受け取りに行ってもらったのですが、その日以来母も関心が出て、なぜか私と行く気満々なので、今日はお散歩がてら母とパートナーの3人で神社まで行って来たところです。
往復1時間半ゆっくりと歩き、80近くの母ですが、何十年ぶりかに地元を歩いて子供の頃を思い出し、懐かしんでおりました。 |
今日も歩いて参拝に行きまして、お祈りをさせて頂きました。 昨日の初日は祈りを短く唱えましたが、今日は長く唱えました。 長い方が途中から体も少し揺れてリズムがとれて、気持ち良かったです。 2日とも誰もいなくてゆったりと安心してお祈りすることが出来ました。 この度、鎮守の神様・諸々お世話になっている存在方に気持をお伝えする機会を与えて頂けたことに喜びと感謝の気持ちで一杯です。 |
先日、私が学んでいるマッサージの施術を初めて私の父に行いました。 妻以外の人に施術するのは初めてだったので、しっかり施術できるかな、効果がでるかなと不安の中で行いました。 祈ららの天然石をしっかりと身につけ、施術してみると、肩こりがよくなり、体も軽くなったようで、すごいと言ってくれました。 父が元気になった喜びと、施術して効果が出た事で、大きな自信になりました。 一方で施術をした後から、腸の調子が悪くなったり、股関節が痛くなったりと施術した事で、体の不調を受けてしまうこともあるのかなと思い、紫野先生に教えて頂いた、急激な霊障を静める祈りを行いました。 |
神社参拝、満願致しました。
これがカルマの浄化かなぁと思う事がいくつかありましたが、無事に21日間参拝する事が出来ました。 参拝を始めると急に風が吹いたり鳥が飛んで来たりが結構ありましたが、4回目には猫が二匹現れました。 工事も終わり、残りの参拝を始めましたが、17回目を終えた所で口唇ヘルペス、19回目に口腔内をケガしてしまいました。 まだまだだと思いますので、これからも参拝を続けていこうと思います。 |
初めは好転反応が怖く、祈りではなく塩を持ってご挨拶から始めました。 鎮守の敷地内には自治会館が建てられており、人が沢山集まっているのが見えました。 決して綺麗に整備されている神社ではなく、集会の人達がいなかったら寂しい空間なので、なんだかホッとしました。 ご挨拶後少し好転反応のようなものが出た気がしたので、数日経ってから意を決して第1回目をスタートさせました。 鎮守へ向かう時は333や3333のゾロ目がよく目に入り、何かに応援されている気になりました。 2回目で涙が出てしまいました。 1回目から17回目までは勢いよく祈りを進められました。 しかし、途中で参拝がパタッと止まってしまいました…祈りをしていなかった間は、天然石の沼にどっぷり浸かってしまい、先生の石も含めてコレクターの様に集めていました。(石に詳しくなってきました…) 天然石に支払う金額もすごい事になり、流石に我に帰り、なぜこうなったのか内観を始めているうちに、インナーチャイルドの癒しが起こりました。 最後の21回目は娘と2人で参りました。 鎮守は少し寂しい所なので、1人で参拝してると、後ろが気になってしまい完全に集中出来ていない気もします。 |
近所にある小さな神社は気になっていたものの、訪れたことはありませんでした。 すぐ側にお墓があって、暗い印象で賽銭箱なども無くあまり近づきたくないような・・・ 怖々伺ってみると、晴天のためかとても爽やかな風が吹き、何となく歓迎されていると感じました。 しどろもどろで、祈りながら一日目を終えました。 特に日常生活で辛いことは起こりませんでしたし、精神も安定していました。 時々神様から「よく来たな」「子ども達を護ってやる」 振り返るといつも参拝には白い服で訪れることが多く、祈りの後は赤とんぼやテントウムシがやってきてサインをくれている気がしました。 ・・・・・ あれから3年以上経ってしまいましたが、時々お祈りをする程度になってしまいました。 自宅に仏壇があるのですが、これまで神仏には興味が薄く、恥ずかしながら時々しか掃除をしていない状態でした。 久しぶりに扉を開けて、中にいらっしゃるお釈迦様に触れたときに、悲しくも無かったのに何故か号泣してしまい、心の内を話してお釈迦様と対話している自分がいました。 お釈迦様の大きな愛に触れて至福の時間を過ごしながら、日本の神仏との繋がりを深めていくときなのだと確信しました。 いつものように爽やかな神様です。(近くに竹林があるのを思い出しました) ああずっと参拝していなかった・・・ 今日参拝をしてきましたが、やはり爽やかな風が吹き、迎えてくださいました。 3年前に、私たちが参拝をし始めてから、賽銭箱が設置され、旗も立つようになりました。 |
何の証拠もないのですが、祈りの効果を感じています。 仕事や家庭ではなく、趣味の世界の話ですが、何かに導かれ、強力なサポートを得ています。 今まで、このようなことがなかったので、狼狽えてます。 |
先日行った神社では、参拝後、脚の不自由な犬がひょこひょこと出て来て、私をいつまでも見送ってくれました。 (彼の顔はまるで笑っているように見えました) |
お彼岸に入る前に、川崎大師と浅草寺のお札のエネルギーが同時に切れました。 ご神仏が必死で守護してくださったことに、感激致しました。 浅草寺は、現在、お札やお守りを郵送していただけます。 川崎大師の本堂のお参りが終わり、不動堂でのこと。 そこに不動堂の中から、出て来た若い母親と5歳くらいの男の子がひとり、木の階段のど真ん中を降りてくると、手を合わせている私に向かって、その男の子が手を合わし返しました。 それはまるで、不動明王のご眷属が、私に向かって放った言葉のような気がして、神聖な、なんとも言えない気持ちになりました。 私は、これまでの人生の中で、(少なくとも記憶している限りにおいては)まったく経験したことのない、何かポッとしたあたたかい思いを、言葉に表せない思いを、その男の子から受けたのです。 私は、男の子が無心で私に手を合わせ返してくれたこの度の光景を、一生忘れることはないと思います。(涙) |
レベル1を始めて、2ヶ月後に神棚を設置して、ほぼ毎日祈っています。 続けられるか不安でしたが、3ヶ月続けることができ、少し自信がつきました。 仕事の行き帰りのどちらかで神社に寄ることが日常となりました。 三日坊主な私ができると思っていなかったので、驚いています。 年単位のことなので、急いだり焦ったりせず、ゆっくり自分のペースでやっていこうと思っています。 祈りの効果かわかりませんが、神棚を設置してから、たくさんの人と巡り会うご縁を頂きました。 具体的な話をすると、Twitterのスペースという音声snsです。 人が集まるとトラブルも発生しますが、神社や神棚で祈るとサッパリとした気持ちになり、効果を実感しています。 他人から見たらどう思われるのか分かりませんが、私は、祈ららの祈りと音声snsが何かリンクしているような気がしてます。 今までネットからたくさんのものを与えてもらいました。 そんな思いでsnsでやりとりしています。 現実世界で疲れたり、傷ついている人が多いからこそ、できるだけ居心地の良い場所が作れるように、人間関係のカルマを浄化しながら、自分も周りの人も穏やかな毎日が過ごせるよう精進しています。 |
職場の鎮守に参拝させていただくようになって、少しずつわかってきましたが、どうやらほのかに歓迎されているように感じます。 綺麗な境内なのにいつ行っても人がいないのが不思議です。 「援助してやろう」というささやかなメッセージが感じられました。 ちょっと前までなんだか職場のアラというか、「あっここがカルマな感じ(^.^;」と起きてくる出来事や身体の不調に振り回される毎日でしたが、祈りはじめてから少しずつ、なんとかこの荒波を乗りこなしてみせようと使命感のようなものが湧いてきて、「業務は業務でやりつつ、私は私でやりたいことをやろう」、アラがあるならそれを補おうとするようにしよう、と思えてきました。 それを、○○神社さんは応援してくれているような気がします。(涙) |
落ち着いて考えてみたら、先生から教えてもらったことのお陰で4年半でここまでくることができたんだなと思いました(先生に会う前の私のままだったら決してこのペースでは進めなかったです)。
祈り 全てが私を育ててくれました。 |
あと4,5日で、霊の祈り2を申し込んで1年経ちます。 形よりは中身という価値観が自分の中にありますので、物を揃えることについてはマイペースでした。 はじめて供養をしてみた時、夫の家に対しては、(いたらない自分でごめんなさい)という気持ちになり、涙が出ました。 ご先祖に関して、舅家と姑家への祈っている感じは、全く異なりました。 舅家は、お会いしたこともない親族が沢山いる中で、個故人の名を呼んでお経を唱えたときは、感動して涙が出ることもありました。 姑家については、はじめから軽やかな手応えで、祈りはじめのころは、嬉しくてよく泣きました。 私の実父家については、自分が育った家なので、よく知っています。 私の実母家は、好きだった祖母を思いながらお経を唱えることが多いです。 先祖供養に関しては、そのようにして季節が過ぎていきました。 神棚といっても、お札も棚もなく、ただ祝詞等をあげるだけが、ずっと続きました。 そして最近は、祈りに少し自信がついてきたのか、スーパーで買い物をしながら、自転車を漕ぎながら、(この場が清まりますように)という祈りを込めて、マスクの中でブツブツお経を唱えたりしています。 この一年間の健康については、今でこそ早起きして祈っていますが、はじめは、子育ての疲れなどで、早起きできませんでした。 それまでも、毎年、多少の不具合はありましたが、今年はカルマの出が、祈りも手伝ってか、コロナ禍で外での気晴らしができないからか、いつもより多い時期かもしれませんでした。 |
祈ららさんの祈りは本当にすごいなと感じたことがありました。
学生の頃からずっと、首の締めつけ感のような苦しさがあり、7年前からはこぶほぐしというマッサージに出会い楽にりました。 今月も辛くなってきて、首が辛くなると、呼吸も浅くなり、思考もネガティブになります。 そして、辛くて、ここ2日間簡易的にしていた先祖供養の祈りをしてみようという気持ちになり、祈りをしていくと耳鳴りがしたりしましたが、どんどん首が楽になって、終わると心も体もとても楽になっていました。 2日間、神棚の祈りと鎮守の祈りはしていて、先祖供養の祈りだけ簡易的にしていたので、一緒にやるとこはとても重要なのだと感じました。 インナーチャイルドは大きなカルマであると身にしみて感じました。 今まで、一生付き合っていく性格や体質だと思っていたものに光がさしたような感覚です。 ゆっくり焦らず祈りとインナーチャイルドに向かい合っていこうと思います。 本当に祈ららさんの祈りはすごいです。 紫野さんに出会えて本当によかったです。 |
生まれて初めて、神社の参拝を作法に基づいて通いまして、始めの3回はとても緊張をしながら途中を省いて参拝しました。 4回目からは全ての手順で参拝しまして、参拝する毎に気持ちが落ち着いていくのを感じていました。 気持ちが穏やかになれて、参拝に行くことが習慣のようになっていきますと、行かないと落ち着かないような気分になります。 鎮守の神社へは今まで1,2回しか行ったことがなかったのですが、(あまりひとけがないような人気がない神社という雰囲気)改めて参拝に行くようになりましたら、狛犬が素敵で、境内の中はいつも心地よい風が流れてくるような気がしていて、とても良い神社だな~と思えるようになりました。 それと、18回目位に体調を崩してしまいました。 20代の頃に患っていました不調が発症してしまいまして、激痛で食欲も落ちてしまい、元気が出なくなってしまいました。 今は大分傷みは緩和してきてはいますが、なにせ病院嫌いなので何とか民間療法的なことで治らないかと考えています。 |
お盆に父方母方の行ける範囲のお墓にいろいろと行ったことで、今までは残念なことに変な宗教でも入ったのか、余計なことをするな、、、といった実家の雰囲気だったのですが、今回は各お墓に行くと、すでに他の親戚が訪れていたり、「ありがとう」という言葉が母や叔父祖母からあり、家族の変化も嬉しくおもいました。 また、周りにどう思われるかではなく、自分軸で行動できるように、そして自分と違う考えの家族も批判せず尊重し、本音と建前とはこういうことなのか、ととても勉強になりました。 仏壇での祈りも始めたころは、とてもエネルギーを送っている感覚で、終わると横になって休んでいたのですが、最近は仏壇での祈りをするとパワーをもらうような感覚があります。 まだまだ未熟者ですが、こういった成長を感じられるように一生懸命毎日を過ごしていきたいと思います。 |
お盆休みにお墓参りに行ったのですが、1ヶ月前に訪れた時は、お墓が汚れていて、ご先祖様が元気がないような感覚がありました。 しかし、今回は、とても綺麗で、1ヶ月の間に多くの親族も訪れていて、ご先祖様が元気な感覚がありました。 毎日祈りを進めていたおかげかなと思い、妻と喜んでいます。 祈りを行う事で、自分たちだけでなく、両親も変わっており、現実が変わっていることをとても嬉しく思います。 |
①『2020年のアメリカの大統領選挙でトランプ大統領が大勝利していた事。不正選挙があった事。の真実が暴露されますように。そして、その後に次から次へと真実が暴露され情報開示されていきますように。』と神様にお伝えしております。
アメリカの選挙の事ですので、日本の神様にお伝えしても良いのかな?と思いながらお伝えしてみましたところ、この不正選挙の件でも声が詰まり涙目になってしまいます。 ②『1985年8月12日 悪魔崇拝者達によって墜落されたJAL123便の真実が暴露されますように。 日本の神様は日本の事だけでなく、世界中の事を見ておられるのだ。と実感致しました。 |
こつこつと神棚で祈りをしたあとに内省のレッスンをテキスト見ながらやるようになりました。
内省の内容も書く、専用のミニノートも用意してやっています。 やってみて、わかったことは楽しい!の一言です。 真剣にやってみたのは今回がはじめてで、ノートに書いて内省したのもはじめてです。 感情に巻き込まれずにいろいろ考えることがこれほど日々の生活の中で大切だったとは、、、と驚いています。 ただ、うまく内省できてるかが少し不安なのと、書くと思考が、一時停止になるのが今の課題です。 以前、うまく内省されてる方の体験談がひかりさんのホームページにのっていたと思うのですが、その後たくさんの方のお便りが増えていき、どれだか分からなくなってしまいました(*T^T) また、時間ある時探して参考にします。 内省しはじめて、少しずつ習慣化できてきて、これはある程度年齢がきたら誰にとっても必要なことな気がしてきました。 そして、夜内省しはじめたら、私は毎朝出勤時にポップスの曲を聞きながら出勤してるのですが、少しこの曲たちがうるさく感じるようになり、クラシックでさえもちょっと気が散るなぁ、と感じはじめ静かな生活がより好きになりました。 また、今日は「もう、私は人から愛やサービスを受けとるのを期待する時期ではなく、私が愛やサービスを与える方が自然かもしれない。」と思いつきました。 いろいろ内面の変化があり、面白さを感じてます。 それに、内省しはじめたら、私のなかのインナーチャイルドが人生を進むのを邪魔してるのが、明らかに分かりはじめました。 よいペースでインナーチャイルドの癒しをしていきたくなりました。 世間はオリンピックですが、最近、他人との勝ち負けよりも自分と向き合うマイペースが心地よく思えてきました。 そう、内省してる自分にテーマつけるなら、「今日の自分と向き合う」という感じでしょうか。 世間は内省から気持ちそらすものが多いなぁ、とも思え、こちらも世間に迎合することなくマイペースでいきたいです。 内省のよさ、もっといろいろな方に知ってもらいたいと思うくらい、楽しい作業です。 ひかりさんにご縁ができて本当に良かったです。 多分ご縁がなかったら、内省は一生しなかったと思います。ありがとうございます。 |
毎朝、子供が起きる前に鎮守に行き、祈りのあとに境内のベンチでご紹介いただいた本を読んで勉強しております。 先日は愛についての箇所を読み、両親に求めてばかりいた自分に気付き、愛はしっかりあったことを思い出し涙が止まりませんでした。 インナーチャイルドの癒しも同時にできているように感じました。 鎮守に行くと一羽のカラスが近づいて来たり、いつも出てきてくれる一匹のトンボさん、綿毛さん 鈴の音さんなどが迎えてくれているように感じます。 紫野さま。 |
鎮守は徒歩3分の場所にありました。ここは主人の仕事が忙しく私も初めての子育てで精神的に参ってしまった時に、赤ちゃんだった娘を抱えてよく来ていました。 正しいかわかりませんがその時に 主人と一緒にお札をいただき 簡易的な神棚を作り、リビングにお迎えしてあります。 その後もよちよち歩きになった娘とよく遊ばせてもらったことを思い出しました。 越してきたばかりで知り合いのいない環境での子育ての中、この神社で過ごした時間を思い出しました。 この○○神社が私たち家族の鎮守であると感じました。 今までは参拝に行くと感謝を伝え、どうか主人が元気になりますようにと願ってばかりでした。 祈りは毎日、夫と娘と私の3人で神社に行き、行いました。 祈りの言葉は始めはぎこちなかったのですが、だんだんとドラゴンアイズを読ませていただいたこともあり、祈らせて頂けることへの感謝の気持ちがしっかり重なり、このような機会をいただいて、よい言葉が見つかりませんが本当にありがとうございますという気持ちで行っていました。 祈りを始めてから、カルマ出しなのか娘が初めて口内炎を経験したり、夫が頭痛で寝込んだり、私は、食欲がなくなり生理が遅れて体が重くなり声がでにくくなったり、夫も私もネガティブな気持ちになり、夫婦喧嘩がありました。 祈り10日目の時に母と連絡から連絡がきたのですが、少し厳しいことを言われ、今まででしたら反発していたように思いますが、自分の意見を伝え、心配ではなく信頼してほしい、心配させない信頼してもらえる私になりたい、本当の意味で自立しなくてはと心から思えました。 インナーチャイルドワークを平行して行わせていただいたこともあるかもしれませんがこの日からまた心持が大きく変わりました。 その2週間後(鎮守21日間が終わり4日後)両親がいる実家に帰る機会があり、両親と良い距離で自然体で話しができました。 子どもの頃からよく行っていた○○大社に行きました。 主人は一人で主人の実家のお墓を訪ねたところ、いつも比較的整っているお墓が、その日行くと荒れていたそうで、2日かけて掃除をしてきました。 祈り21日間を終えて1週間程たった時に、何故かその日はイライラしてしまい、そんな気持ちで車を運転してしまっていた時に、突然左側から自転車が飛び出してきました。 その次の日、家の片付けを無性にしたくなり、リビングに横に寝かせて置いておいてしまった。 また翌日、腰痛がありながらも片付けを進め、感情が溢れて主人といろいろと話をしました。 また翌日、今まで黒や白といった無難な服をよく着ていたのですが、黄色などの明るい色の服を着たくなり、購入しました。 また翌日、過去世で私が傲慢な権力のあった男の人で、人々にひどいことをしていたように感じる出来事がありました。 自分の感じたことについて、流さず一つ一つしっかり向き合えるようになってきました。 人見知りだった娘が、徐々に家族以外の人を交流するようになってきました。 しかし、良い流れを感じていたのですが、娘のお友達のあつまりに私が黄色い服を着て参加し なんだか気分がよく浮ついてしまっていたように思います。 また、他にも様々な気づきがありました。 |
鎮守参拝58日目の現在は、「□□家…ひいては私の父母の代、そして祖父母達が汚してしまったこの■■家を、私が責任もって生涯かけてキレイにしていきます」と心に思い浮かべたところ、涙は出ずともジーンと感じられるようになりました。 また同時に、(これまで、心のどこかで必死になって「子を愛さぬ親などいない」とか「親は私の霊的成長を願って、愛情から試練を与えているのだ」とか「完璧な親などいない。だから何度でも広い心で親を許そう」などと思っていた)我が両親に対して、やっと「ホントこの人たち馬鹿みたい…」と、距離を置いて眺められるようになってきました。 故あって現在、自動車教習所に通っているのですが、交通法規という内容的には全くの別カテゴリーながらも、育ちの影響をまざまざと実感させられるのが、我ながら痛いです。 |
会報のNo.124をやっと読み終えたのですが、義朝(ヨシトモ?)さんと祈り方の練習をされているのを読んで、なるほどこう思えばいいのか!ととても参考になりました。
義朝さんは、相手にどのようになるのが幸せだと思っているのかわからない→これは私も同じだな~と思いました。 |
現在レベル2で、どれも気持ちの赴くままやっている感じですが、本当に気が向かないときは1、2か月ほど間があくときがありました。 それに罪悪感を感じ、報告するのが怖かったな~と思っていたことをここに報告します 笑 鎮守参拝はだいぶ前は浄化で起こる出来事がキツイので、恐る恐るといった感じでやっていましたが、現在は外出したら目的地に行く前に、ふらっと立ち寄り祈ったり、いいことなのかわかりませんが、どれがカルマ浄化の出来事かどうかなどはあまり気にならなくなりました。 一時期先祖供養をたくさんやりたいと思っていたのに、最近ご無沙汰なので、少し心配になって鎮守で聞いてみたら、「そのうちわかる」とのことでした。 以前アフターフォローで、神棚参拝などで神仏が私の身体をペンジュラムのように動かして、伝えてくれることをお話しましたが、それ以外の方法でわかったとき、号泣で凄く喜んでいることを伝えてくれます。 「そのうちわかる」のかもしれませんが、たぶん今よりもっと通じる祈り方や心の持ち方を、現実を通して学んでいるのかな、と思います。 |
本日無事に満願しました。
浄化のために何かあるのではと、心配しましたが、何事もなく21日の祈りを終えました。 涙を流すことはできなかったので、神仏に祈りが通じたかどうか分かりません。 私は以前、願いのために一か月くらい通ったことがありました。 その2回と手応えが全然違います。 まず、この祈りを行うことによって、自分がやらなくてはならない義務を果たしている達成感のようなものを感じました。 それから、涙を流すことはなくても、言葉に表せないなんとも言えない感情が湧き上がってきました。 通いやすい神社だったので、さっくりおえましたが、ものすごい急な坂を登る夢を見たので、潜在意識は、負荷がかかったのかなと勝手な解釈をしました。 最終日、母と連絡を取りました。 もう頭の中で、親を責めたり、ののしったりする言葉を吐くのは止めよう。 自分の心の中で、不思議と親に対しての区切りができました。 充実した時間を頂き感謝しております。 なんだかんだで、自分の国の信仰が一番ですね。 これからも自分のペースで神社に向き合っていきたいと思いました。 本当にありがとうございました。 |
霊の祈1を教えて頂き有難う御座います。 現在継続中です。 体調不良は本当に穏やかで我慢にもならない程度で順調です。 現在以降に凄いカルマ消化が来ても前向きに受けますよ(^^) 氏神様とは、以前から参拝をさせて頂いおりましたので、継続となります。 但し霊の祈りをやり始めてから、左目がさらに涙脆くなりました。 祈りをしつつ皆が幸せに繋がるように!との言葉の導き方が本当に素晴らしいです。 見えない方々ですがその分、気持ちや言葉が大きく影響していると実感しています。 |
霊の祈りの参拝をスタートさせました。
終わった後は気分が晴れる感じがあり、頭頂部がシュワ~っとします。 子育てに置いても慌てない心が出てきて嬉しい限りです。 |
無事にテキストが届きました。 とても心がこもった資料で心が温かくなりました。 私は今回、あまり深く考えずこの講座に申込みました。 が、ブログを読み進めるうちに、「やばくない?!」とか、「私、大丈夫?!」など、急に回れ右して帰りたい気分になりました。 カルマ出し心配です。 申し込む前から子どものことでトラブルが発生しているのです。 通勤の途中にある神社が気になっていて、時々参拝していましたが、心の中でどんなお祈りをしたらいいのか分からず、モヤモヤしてました。 いろいろ調べた結果、いつも見守って頂きありがとうございます。 なんか違うなー。 紫野先生の祈り方を読んで、「なるほど!」すごくスッキリしました! タイミングがあったのでしょうね。 他宗教の祈りや、指導者レベルの方の祈りの文言も調べましたが、今となっては、綺麗事や自己満足にしか見えないように感じます。 |
おたよりを読ませて頂きましたが、紫野さんへの感想は、「上品」という印象を受けました。 レビューや投書が好きでいろいろチェックしてますが、品を感じて凛とした気持ちになります。 知的に感じる文章はたくさん読んできましたが、上品さが滲み出る文章の集まりは、あまり出会わないです。 |
霊の祈りレベル3を始めました。
面識のあった祖父母の個別供養からしているのですが、最近亡くなった祖父とは感動の再会の場面がありましたが、楽しみにしていた祖母とは、笑顔だけは見えたのですが、さほどの交流はなく終わってしまいましたので、ちょっとがっかりというか、拍子抜けしてしまいました。 |
祈り方の指導を希望します。
霊的進歩をするために祈り方を教わりたいです。 通勤途中に地域の神社があり、気になった時に参拝していますが、自己流だと手応えがなく、日本の神様とどうお付き合いしたらいいのか分からず来てしまいました。 こちらのサイトに来る前、アシュタールの名で活躍されている方達のコンテンツを読み込んでいましたが、神社全否定でかなり混乱しました。 この世界の真偽を見抜くのは、中々難しいですね。 私はやっぱり日本の文化が好きです。 「闇の組織イルミナティ系スピリチュアルに注意!」の記事がとても役に立ちました。 警鐘を鳴らして頂き感謝します。 コロナ騒動から、社会問題をずっと追っていましたが、紫野さんの文章を読んでいたら、自分の心に向き合うことに重きを置くことを思い出してきました。 かなりの文章量があり、じっくりと読ませて頂いております。 まずは、祈り方を教わり、問題が生じたら他のメニューを申し込みたいです。 |
最近地元の神社参拝のときに、よく鳩があいさつにきてくれます。
神社に住み着いているようです。 |
「霊の祈りを申し込んでから最初に来たのは異常な睡魔でした。 布団に入り、気がつくともう朝でした。 滅多に無いことです。 十分な睡眠を取っても日中はまだ眠く、変だなぁと思いました。 参拝では一部の言葉はまだなのですが、祈ると精神的に安定するような気がします。 |
紫野ひかり先生、この度は良き御縁をいただきましてありがとうございました。
本日は春分の日。春がやってきました。 12月7日よりはじめました霊の祈りレベル2祈願、先生が出した号泣4家(都合8家)の条件をクリアしました。 レベル2が始まったばかりの頃、「1月末、それと3月半ば」という声が聞こえましたので、終了は3月半ばなんだなぁと漠然とは、思っておりました。 1月いっぱいまでは、臭いがたまらず、供養のあとの窓開けと、着替え、そして供養のあとの供養は欠かせませんでした。 日が経つにつれて、ご供養のお供え物にも、神棚にあげたものと似たような気が宿るようになりました。 自分的には、最後の9日間がもっとも苦しく、ここ2、3日は軽い鬱のような状態になっていました。 痺れを切らして、私の体内に一体降りていただき、対話を試みようとしましたが、私を足元から舐り定めるように私を見、粗探しをして上位に立とうとする女性。妻からは天皇家に仕えていた家柄と聞いていたので、その時は現実界と霊界の価値は違うのだということなど説得を試みたのですが、思い直して、一から取り組む直すことに決めました。 高級なお茶に代え、賛美歌を歌い、朝晩2回のお参りに代えましたが、それでも心が動きません。 19日の日は、通常どおり行おうと、他のご先祖の供養を淡々と続けているうちに、ほの温かい気持ちになってきたので、その調子が消えないうちに、やはり淡々とご供養をしているうちに号泣と相成ったわけです。 私はいま、51歳ですが、今から30年前、日本心霊科学協会の精神統一会にて、ある一人の女性が、前にいた導師から「あなたのご先祖の供養が、全部やっと終わった。でもまだこれからじゃ」と言っていたのを聞き、(ご先祖の供養が終わるなんていうことがあるんだな。すごいな)というひとつの憧れでした。 私がこれほどに長い時間かかったのには、幾つかの理由がありますが、今回、先生のカリキュラムをさせていただいてわかったことが、これだけ繰り返しやらなければ、ご先祖は供養できないということでした。 カルマも自分が人並みの幸せを諦めて、ただただ苦しみさえすれば解消すると思い込んでいましたが、私にとってはもっとも身近な開運の方法を、私は特にこの数年は自ら放棄していたのです。 ここまでやってはじめてご供養が可能だったのかと、今回、あらためて学ばせていただきました。 (私が好きな孟子の言葉があります。それをこの文章の最末尾に書かせていただきますね※) —————————————————- さて、先生からご指摘いただいた神棚の感想ですが、確かドラゴンアイズに「神棚は1日の最後に…」と書かれてあったように思います。 はじめからこの祈りは長丁場になることがわかっていました。 51歳の疲れ果てた身には、なかなかしんどいものでしたが、この期間を乗り越えて来られたのは、不謹慎かも知れませんが、ひとえにコロナ禍の状況にあったことが大きいと思われます。 8家分の祈り。毎日キッチンにたまる大量の洗いものの片付けなどをこなしていると、神棚に向かうのはほぼ深夜1時過ぎでした。 もともと、私は体力があまりありませんから、カリキュラムをこなしていくのは大変きつく、メニューを削ってその日その日を良しとしたこともあります。 それは、私が長年、世間からは認められず、結婚によってさらに社会との軋轢がひどくなったためです。 でも、今回祈ららと出会ったことで、私の毎日は確実に変わりました。 家の中に祀ったすべての神仏に、毎日手をあわせる機会をいただいたのです。 私が神棚に向かう頃、ちょうど妻が床に就きます。 レベル1のはじめから祈ららの祈りの意味がわからずやっておりました。 私は陰陽師の末裔でもありますが、陰陽師同士が呪いを掛け合うことを知り、それをどこかで終わりにしなければならないことを、知識として知っておりました。 それが先生の祈りにたどり着きました。正直、嬉しかったです。 はじめは、私の意思を封じ込めて祈ららの祈りをしました。でも意外とすぐに、抵抗はなくなりました。 毎日、深夜2時頃にお祈りが終わり、台所と玄関の神様にも手を合わせ、ドラゴンアイズを読んで寝るのが三時半過ぎになったことも何回かあります。 世界のウイグル自治区の問題や、戦後日本の私たち日本人が辿った歪められた歴史などを見る時、私は未だすべてが因果論で解けるとは思っていませんが、今はこれでいい、これがいいと十分に納得し、心から感謝しております。 今日、妻と共に、鎮守様に詣でる道すがら、家の前の小川に、数年ぶりにつがいの鴨が泳いでいるのを見ました。 (ご先祖様は、常世の春を。私と妻はこの世の春を楽しみたいです) 以上 ※ 今の仁を為す者は、 熄(き)えざれば則ちこれを 此れ又不仁に与(くみ)するの甚だしき者なり。 亦終(つい)に必ず亡(うしな)わんのみ。」 ————————————————————- 人の愛や情けが、人の計算高い心の冷たさに勝つということは、 現代の愛や情けを行う人は、 それでもって、火が消えなければ、 これではまるで、仁ではなく、 こういったことをくり返していれば、あなたの中から愛そのものがいつしか消えてしまうだろう。 孟子 |
これってもしかして助けてくれているのかなという、小さなエピソードはちょこちょこあります。
たとえば、メガネの小さなネジを床に落として見つけるのをあきらめていました。 |
○○家のご先祖様のご供養にて、はじめての号泣をしました。 あの日は、朝起きた時から、ご先祖様との心の距離が近いことを感じていました。 各家とも、ご供養が大分進んだことは分かっていましたが、だとしたらご供養に足りないものはなんだろう?そんなことを朝から考えていたような気がします。 ご供養はいつもより丁寧に、そして最後にはお経や祝詞というより、“お話し”をしていました。 久々に“あの”感覚が蘇りました。 ご先祖とは、目の前の対象を拝むのではなく、先祖は私の身の内にあると知りました。 子供の頃、この家系に生まれたことを神様になじりました。 二十歳の頃、神道に出会い、その後神仏混交の祈りを捧げる環境がありました。 他の霊現象で苦労しましたから、ようやくこの年になって、がっぷり四つに組んでご供養が出来るようになりました。 あと、七家。 追伸:(七家も同様に出来るのではないかと、力技もやってみましたが、術や光でご供養が出来るほど、生易しいものではないことを知りました。 |
時間があるときは仏壇や神棚にお祈りをしています。 心がとても落ち着きます。 マイペースで進めていこうと思います。 祈りという行為に以前から憧れのような気持ちを持っていたので、祈ららとの縁に感謝しております。 |
レベル2の祈りを正式な方法で進めてすぐに子どもが入院しました。 私も24時間の付き添いで仕事を休まざるを得なくなりました。 病院に水晶ネックレス 、フローライトとアベンチュリンのブレスレットを持っていったら、男の子ですが喜んで身につけていました。 子どもはアクセサリー、私は子どもが寝ているときに「急激な症状を鎮める」の祈りを進めて、今後定期的な経過観察は必要なものの、しっかりと回復しました。 大変なことはありましたし、多くのことと向き合いましたが、たくさんあるカルマの一部を出していただいたのかなと思います。 これからもできるペースで祈りを進めたいと思います。 |
先月よりはじめました鎮守様の21日祈願、本日をもって満願となりました。 夜空には、美しい満月が光り輝いています。 書類が届いた日は、『ドラゴンアイズ』以外の文章にすべて目を通してみました。 翌日からさっそく参拝に出かけました。 私の家のある場所と我が家の鎮守様は、同じ町内にあり歩いて5分ほどいった山の上に位置しています。 それからも度々参拝をしたり、毎年、除夜の鐘が鳴リ終わる頃には初もうでの列に並んで参りました。 これまでに、スピリチュアルカウンセラーの資格を二つ取得しましたが、“祈り”と“神様”のいない技術と手法の連続に嫌気がさしてしまい、私はやはり日本の神霊の世界に戻りたいと思っておりました。 ただ、先生も色々とご苦労があったかと思いますが、私もこの十年で本当にくたくたになりました。 そうしましたところ、恐れていたカルマ噴出のような問題は、現在までの間に特に現れませんでした。 はじめの七日間は、それまで気が付かなかった神社の境内の周囲の様子に、あらためて気づきました。 たった一度だけ、6日目に蜂に刺されそうになりました。 9日目には、帰ろうとすると、お社から、「待て、これを持っていけ!」と言われて太剣のようなものを神霊より受理しました。 そして、本日21日目。 私の21日祈願は、以上の通りです。 |
少し前になりますが、神棚を設置してすぐのこと。
車の運転が少し怖い気がする私でしてあまり遠出はしません。 その日神棚にお願いしました。 その時胸のへんがほわっとしました。 運転しているときいつもと違い安定感があるのがわかりました。 |
祈り2をしたり会報を読んだりして、気付き・お便りを書きたくなりまして、こちらから失礼します。
会報の中に、最終的には型を外す、という言葉を見かけること。 私の母方の供養をしているとき、母方の家が秦氏に繋がるというのをチラッと聞いたことを思い出し、秦氏は渡来系なので、日中韓問題にもつながっているのかな、等と考えたりしました。 また、アメリカ大統領選挙の最中、バイデン氏が当選したら困るということで、鎮守に祈念してみよう、でも外国なので鎮守の管轄外だろうか、とドキドキしながら参拝しました。 先祖供養は、観音経をよく読んでいます。それまでは観音様に興味を向けたことがなかったのですが、読んでいると、本当に有難いと思ってしまいます。 |
霊の祈り2をして、あと少しで2カ月経ちます。 色々とカルマ出しなのか自然に起きたことなのか、私や子どもの体の症状がありました。 そんな色々あってみて、鎮守へ祈り文を言うときに、その言葉の意味が、自分の中でビンビン響くようになっています。 |
鎮守参拝21日を完了したので次の祈りへ進むためのレポートを申し込ませて頂きたいです。
まだまだ魂の綺麗さが足りないのか涙は出ていませんが、会社の上司の態度があからさまに軟化して驚いています。 あと、執着外しに(会報)ドラゴンアイズが役に立っております。 例その1: 外食する店は彼の希望に沿わないと却下される事が多いのでいつも「あんたの行きたい店でいいよ」と答えるのが普通だった。 彼の持論は「出されたものは全部食べないと生産者や調理人に失礼」、「あんたはもっと食べて肉つけないと」という事。 何かこう、自分の中でストンと落ちた感じがした。 例その2: ここで予定している参拝の目的ついて思い浮かぶ。 また、何かこう、自分の中でストンと落ちた感じがした。 |
霊の祈り2になって、一か月と少し経ちました。 祈りをしていて、人間関係ですれ違ってしまう時の寂しさが、小さくなっています。 きっと、先祖への感謝や、祈りを唱えるときの幸福感で、満たされるからだと思います。 最近、鎮守以外の神社へも、あいさつ程度に行きだしています。 |
一之宮の神社に、月に一度参拝しています。
先月は、神社の鳥居と本殿の行き帰りに、植木職人さん達のパチパチというハサミの音と共に、近くの学校から吹奏楽部の演奏が聞こえてきました。 今日も行きました。 神社を出ると駐車場まで普通に歩いているのに気がつきました。 |
【祈りの進め方】 20日目までは午後3時ごろ、21日目は午前8時ごろ、鎮守の神社に通う。最初の2日間は祈りの一部を省略して、後は省略せずにする。神主さんは常駐していない。神社は掃除されているが、手を洗う水はボウフラが湧いているので、家で手を洗って行くようにした。 【自分の霊的な感性は】 【カルマ出し】 【少し怖かったこと】 【役立ったこと】 |
神社参拝しました。 左足の親指の裏が痛かった。 神社は落ち着いた気分になれる所で、着いたときから気持ちよく。 参拝し、振り返り階段を降りるさいに [うけ賜ったぞ]という感じがしました。 この感じというのが、まだ確かなのかどうかわかりません。 2日目 暑い日々ですが、読んでると涼しい風が吹いていました。 6日目、行きは大雨でしたが、祈りのあとは青空が出てきました。 途中、体調のこともあり3日ほど休み。 後で資料など読んできづいたのですが、参拝する事に必死でご先祖様のことを、思うということに欠けていました。 私はスピリチュアルの方向で勉強していたので、自分に心地良くが中心にありました。 |
祈りのレベル1の資料にあった、「須佐之男命が教える・神との会話」をご参考に神棚で会話を試みてみました。 いつも参拝している鎮守の御祭神様にお選びし話しかけるようにしました。 すると感動の涙、涙となったのですが、具体的に何を伝えられたいのかな…と暫くねばっていたら、かすかな念と共に、ペンジュラムのように上半身がゆらゆら揺れました。 念は何となく感じていましたが、身体という形でここまではっきりと意思疎通をするのは初めてでした。 実は神棚での他にも図書館で、ユング心理学入門を読んでいる中でのこと、タイプの内容を読みながらふと閃いた瞬間がありまして。 |
霊の祈りの封筒が届きました。
申し込みをさせていただく前に、1日躊躇していたときがありました。 ああ、これか、と思いました。 その後、YouTubeで、神様がお知らせするような、内容の文章が目にとまり、納得しつつ、あー、この道なのかと改めて進む先がわかりました。 |
先ほど鎮守の神社に参拝に行ってきたところ、男性の声で、「そなたは最近よく成長していてうれしく思うぞ」というようなことが伝わってきて、顔がくしゃっとなり、涙が溢れました。
自分では成長してるか全くわからないので、こういった励ましは大変心強いです。 しかし、○○神社さまには引っ越してきてからまだ2年ちょっとしか経ってないのに3、4回程涙の参拝がありました。 祈り歴21年過ぎその間本当にたくさん引っ越しましたが、こういった鎮守様ははじめてです。 愛されてることをひしひしと感じます。 帰宅途中でもこの文章を書いてる今でも感涙の涙がにじみます。 ひょっとしたら思ってる以上にいろいろ進む土地かもしれないなぁと思いました。 |
鎮守への参拝21日間、終了しました。
この間、娘の検査入院がありましたが、トラブルもなく終わりました。 二回目の時は背が低く見えたりして、同じ人でも随分見え方が、違うなあ・・・と思いました。 検査入院の前に、一度診察に行ったのですが、その時はバスの乗り間違えなど、トラブルがあったのに・・・ 参拝始めの時、一度涙が出ました。 参拝も中盤、マラソンでいうところの「折り返し地点」まで終えたとき、このまま何事もなく終わるのかな・・・少し気が緩みがちになりました。 突然事件がおきました。 もし浄化であれば、汚れが洗い流されているということなので、いらぬ心配なのでしょうけど・・・ あと部屋にいた時、柱が軋む音が聞こえました。 17日、いつも通りに参拝しにいくと、4、5人の人が掃除していました。 参拝中は、木々がざわめき、風が突風の如く吹いていました。 19日いつも通り参拝。 20日で21日間が終わりましたが、ここからが始まり・・・という感じがしました。 |
関係ないのかもしれないのですが、先祖供養を始めてから、何をしても取れなかった肩こりがこの頃楽になりました。 |
今日はひさびさにドラゴンアイズを読む時間ができました。
先生の記事、祈りを進められている皆様のおたよりや先生のコメント…どれを読んでもいろいろと勉強になります。 バックナンバーを発行してくださるおかげで、当時それを知らなかった私が今学ぶことができる。そのことに感謝します。 ゆっくりペースですが、これからも学び続けたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。 |
もうすぐお彼岸ですよね。 今度、父方の家のお墓参りに初めて行こうと思うんです。 ご存知の通り、両親の仲が凄く悪くて私自身も少し父親にわだかまりを感じていたもので。 先祖供養で呼び出しはしても不思議とお墓参りには行きたいと思えなかったのです。 (もしかしてこれらも、先祖同士のカルマの一環だったのかもしれません) そして今お墓参りに行きたくなっていて…場所を確認するために父親にもアポ取りました。 |
会報は相変わらず楽しく読ませていただいてます。 たびたび源平合戦の話が出てくると、有名な合戦地が元々住んでた地元にあることもあって馴染み深く、ついふむふむと読んでしまいますね。 もし機会が来れば、合戦供養をさせていただくこともあるのかもしれないなぁなんて思います。 |
引越し先の氏神さんを初めて見た時、「厳格」という雰囲気が印象的で、少し怖いなとすら感じました。 前の氏神神社は朱色の綺麗な建物だったのに対し、ある意味神社らしい(?)瓦と木の古めかしくちょっとボロボロな建物なので、それ自体はあまり珍しいことでもないだろうとは思うのですがもの凄くギャップがありました。 御祭神は○○○○です。今調べてみたら、お墓といわれている所が中学まで暮らしていた住所と同じ町内にあるということに、とてもビックリしました。 最初は怖いなと感じたけれど、全く歓迎されていないという訳ではないようで、初めての祈りの途中で涙が出ました。 初詣で引いてみたおみくじ、「よくここまで来たものだと思う」という文章が印象的でした。 |
会報を読みたいときは相変わらず現実とリンクしているので、読むとスッキリしますね! リンクし過ぎて、涙が出るほど感動してしまうこともあります。 |
「ブログで、亡き作曲家さんがひかりさんとのカウンセリングで無事、成仏されたという内容を拝見しました。 そのやり取りに、本当に良かったなと心暖まるような穏やかな気持ちになりました。 それに礼儀正しい方なのでしょうか。 成仏後のやり取りでそのように感じました。 また一つ、霊の世界について、理解が進んだような気がします。 供養といえば、こちらでも少し前、親戚が突然病気で亡くなり、遠方に住まれていて、お葬式を行うのが難しく、そのまま直葬になってしまった方がいました。 せめてこれだけでもと思い、ご先祖供養のときにその家と名前を呼んで祈りを唱えました。 ご親戚の方の名前を呼んであげたのですね! 「祈りの際、すぐに涙で溢れて、ものすごく感激されているように伝わってきたのが印象的で、今でも覚えています。 親戚の皆さんは、口々に「本当にいい人だった」と惜しそうに言います。 私とは記憶にある中では二度しか会ったことはありませんでした。 そんなことを、伝わって欲しいと思いつつ祈っていたら、さらにドバドバ涙が出てきて…本当に良かったと思います^^ お礼も一緒にお伝えしました。 やっぱりこの祈りの力は凄いですね。 これが霊感ですから、ご自身の感覚を信じてくださいね。 「そうなんですね~。 自分の母方の先祖の方は、自分の実家で必ず毎回祈っているおかげか、他の家より反応がとても分かりやすくなっているように感じています。 親戚一同でお墓参りをしたとき、喜んでいるのを感じました。 いつもの祈りで喜んでいる時と同じような感覚を感じました。 さらに、祈りは流石に時間が無く出来なかったのでご真言だけ唱えたのですが、唱え終わった直後にちょうど雲間から太陽が顔を出して明るくなりました。 |
今朝は、祈りの最後に祭神様に何か私に伝えたいことがあれば、そっとおしえてください。とお願いしてみました。
なぜか感極まって涙がでそうになりました。 ※「そっと」というのが、いいメッセージの証拠であることが多いと思います。 |
境内の中は手入れされているのですが、参道の階段は虫が多く、蟻やダンゴムシを踏まないようにと、下ばかり向いていたら蜘蛛が上から垂れ下がってきていて、驚きました。 蜘蛛が上から下がってきたのは最初の日だけで、参拝を重ねるにつれて、多かった虫も少しずつ減ってきたような気がしました。 霊の祈りを始めた初日、涙は出ないのですが、心が泣いた後のような圧迫感のようなものを感じました。 大抵は朝7時頃に参拝していました。 結局、一度も涙が出ることはありませんでした。 先日、実家の近くの神社に行きました。 これは関係ないのかもしれませんが、夜『ポケットの中のダイヤモンド』という本を読んでから眠ろうとしたとき、突然、私は自分が無価値だと思っている、と突然思いました。 |
会報バックナンバーは、前巻も大変参考になりました。 読むのが楽しくなってきて、読み進めるスピードが段々と早くなってきています。 スピリチュアルや神仏について、段々と理解が深まっていくようであり、これからももっともっと好きになっていくのだろうなという予感もあり、これらは自分の成長の証でのようであり、とても嬉しいことです。 |
祈りの方も順調かなと思います。
一時期、鎮守参拝や先祖供養を億劫に思う時期もありましたし、霊障で車関係の…あまり笑えないトラブルなんかもありましたが、それらが過ぎ去ると、今では当たり前のように予定に組み込んでいて、ちゃんと進歩しているのだなあ~と感慨深く思います。 自分の内面や現実面がすっきりしていっている感覚もあり、振り返ってみて、「あ、浄化されてたんだ~!」なんて思うこともあります。 進歩は浄化あっての…。 |
祈ららさんの石や、祈り、スピリチュアルレッスン等々のおかげで精神面、現実面において様々な変化が起きており、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございます。 |
祈りを始めてから人間関係のトラブルが多々ありました。 職場の内部では上司から後輩に気をつかうことを求められ面倒ごとは押し付けられるという扱いを受けました。他にも細かなトラブルはいろいろありました。 職場の外部(お客様対応)では理不尽な要求を押し付けてくるお客様の対応をしなければならなくなりました。 その他には、近所の人が坂の上から下の道に落ちるところを目撃したりしました(幸い大事には至らなかったのですが、見かけたときは非常に焦りました)。 私は幼少期から人間関係に課題を感じることが多々ありました。 そのような毎日でしたが、鎮守へ行くときは非常に気持ちよく感じられました。 そして、祈り続ける中で状況が改善したこともありましたし、状況は改善しなくても自分の捉え方が変化して当初ほどは苦に感じなくなったこともあり、祈り始めてから21日を迎える頃には落ちついて過ごすことができるようになりました。 祈り始める前は不安で仕方がありませんでした。 |
ドラゴンアイズは、何か悩んでいる時にふと読みたくなってきて、読んでみるとそれにまつわる答えのような内容が出てきます。 いつも順番通りに読み進めているだけなのに、不思議ですね~。驚きますが、ありがたいです。 とくにQ&Aからの私と同じ読者の方々が書かれた内容は、誰にも相談出来ないと思った状況のとき、同じように悩んでいる人がいるんだ…と分かっただけでも安心できます。 |
1日目は作法通りに一通り行い、2日目に行きたくないような気持ちを感じたのでご挨拶だけにして一週間、その後再開して21日連続参拝いたしました。
その間に必要性を感じてスピリチュアルレッスンも開始したので、安定を保ちながら出来たようです。 浄化と受け取ったせいか、嫌な事というよりも気づきになりました。 気づきが学びの一種だとしたら、本当の意味で学べる事は自身を緩めて広がりを持たせてくれるものだなと思います。 15日目に共依存の母から電話がありました。 大袈裟でなく、来られたら死んでしまう気持ちでした。 そして、自分がこんな状態なのに心のどこかで母も助けなければと思い詰めていましたが、喚き散らすのを聞いて『これが母の限界なんだ』と分かり、私自身が『こうあって欲しい』という執着にがんじがらめになっていたなと改めて気づきました。 悲しいですが、母がそうある自由を認めなくてはならないのだと。 気づいて手放したはずの執着がすぐに舞い戻ってくることも感じ、依存はずっと気をつけねばならないもののようです。 他者との関係性とは別に、私個人に起こった癒しがあります。 数年前から両踝の皮膚炎症でかゆみがあり、ステロイド軟膏を使用していました。 塗れば収まりますが、止めれば戻るの状態。引っ越しを機に薬がなくなったままになり、昨夏頃に範囲も部位も拡大しました。 それが霊の祈り1の21日間が終了し、次の日から軽快してきています! 祈りの力のすごさを感じるとともに、かつて般若心経をただ自宅で唱えたことにも少しは意味はあったのだろうか?いややはり内面の問題を意識しながら、きめ細かく見つめるからこそ効果があるのだろう、など考えます。 これからも祈りを続け、さらに自分自身との一体感を増し、神仏との繋がりを強め、 |
なにか自分に至らないところがあるのか、とにかく私まだまだだなーと半ば落ち込み気味で鎮守で祈っていたら思いがあとからとめどなく流れて涙、涙…となることもありました。 鎮守さんがとても優しいです…。 霊障で車関係のトラブルも経験したり、そして最近とにかく忘れ物が酷かったです。 鎮守参拝を終えると「トラブルは今までの私になにかを気づかせたかったのだな」と思いました。 最近の私は、特に人に対してイライラすることが多くて、人のせいにしてはいけないと戒めても出来ないことが多くて、それは浄化すべきことの一つだったのかもしれまん。 一通りネガティブな出来事を経験すると、ゆっくり今までの怒りを手放していきます。 このような思いに至ったのが奇しくも平成最後の日だったので、私にとっての節目にあたる出来事だったんだなあと今までを受け入れられた気がします。 |
私の鎮守は天照様がご祭神なのですが、毎日参拝してると天照様が私と手をつないでくれたりニコニコ微笑んでくださったりするのが思い浮かんでいます。
昨日の参拝ではハグしてくれたのが思い浮かんで、神社の境内中の帰り道で、「天照様は憧れの女性だよなぁ。頭がよくておきれいで優しくて」と心から思った時、顔がくしゃっとなって涙が一粒、二粒でてきました。 最近、もっと世のため人のためになりたいと思いはじめて、天照様はそういった意味でも私のリーダーだなぁって思っていた時でもありました。 顔がくしゃっとなった瞬間はかなりすごい顔をしていたと思います(笑) 天照様と少しよい関係が築けてきたかなと思います。 このことを夜お仏壇で先祖供養の最後に報告したら、「良かった。」と思い浮かびまた涙が少し浮かびました。 |
1日目は説明書の通りやってみました。 この状態になってから食事を作ることが苦痛で、生きる最低限何か食べることしか出来なかったのに。 不思議。 簡単なメニューではあっても当たり前のように作るように。 何か自然に、心身に軸が入ったような感じです。 2日目、起きた時なんとなく行きたくないような気配を自分に感じました。 自分に優しく、ってこういうことかなと思いました。 ちゃんと見て聞いてあげることですね。 神社への参拝も、人によっては難しいものだなとも感じています。 道すがら近所の掲示板に貼られていた、幼児施設の給食づくりのお手伝いアルバイトが目にとまりました。 仕事をするということがとても遠く、とてつもない準備が必要で、しかもその努力をする元気がまるでなかったのに。 恐れがあまりなくなったようです。 あまりにも当たり前のように変化していくようです。 祈ららさんの提供されることは、すべて、私には効果がはっきり感じられます。 ふらーとブログに辿り着き、あまりにもまともで、あまりにも自然に心に入ってきました。 今までヒーリングって本当なの?と思っていましたし、石って何も感じなかったのですが。 自分で感じて考えながらやっていきたいなと思えているのがとてもうれしいです。 |
霊の祈りレベル1で、確か初日にお参りさせていただく時、音楽を聴きながら神社に向かっていたのですが涙が出るような感動を音とともに感じました。 感極まるという感じでした。 21日間の最初の頃、神社で祈りをしていると鳥たちのさえずりが強くなったのを憶えております。 21日間いろいろな反応をいただきました。 16日目までは連続でお参りすることができたのですが、神経痛みたいなものが顔や頭に出始め、頭も重く、だるさが出てやる気がなくなり家で寝てばかりで過ごしておりました。 18日目の時夜に神社に行ったのですが、祈りを捧げていたら、静けさの中で鳥が鳴きました。 19日目の時はもっとびっくりしたことが起きました。 20日目神社に行く前に桜を鑑賞していたのですが、鳥たちが多く集まってきました。 21日目の時神社に向かう時鳥たちのさえずりがとても美しく、鳥居に入る前に10羽ぐらいの鳥たちが大空を飛び立っていきました。 祈りの内容は最初怖いという感じがありましたが、生きている時にこの内容で祈ることができるというのはとてもありがたいことなのだと思いました。 |
霊の祈り3に取り組んでおりますが、先日日蓮宗のお寺で涙がひとすじ流れました。 泣く気持ちなど全くなかったので驚きました。 ただ涙が流れてくることがある、と皆さんが祈りの感想で書かれていたことはこれかなと実感致しました。 これからの各所参拝もただ感じるままに周ってみようと思いました。 |
霊の祈りレベル1で感じたことや、出来事を書いていきます。 参拝1回目の前後は不安と恐怖が少しありました。 「何かがガラリと変わってしまう」という変化への恐怖と、頼まれてもいないのに勝手にやっていることでその浄化作用のトラブルで、家族に迷惑をかけてしまうかもと思ったからです。 その日の夜、前歯がボロボロ抜ける夢を見ました。 週末に事は起こりました。 4、5回目あたりのとき、祈りの途中で急に楽しくなってきて、ルンルンしながら祈りの言葉や挨拶を唱えていました。 さて「8」という数字は龍を象徴する数字であると聞いたことがあります。 その他神社の外であった出来事では、 神社内での出来事や感じたこと 祈りの16回目、祈り終えたあとに鎮守さんに断って、この街の総鎮守にあたる神社へ、だいぶ前に祈願した事柄が成就したのでお礼参りに参拝しました。 そして21回目です。 しかし、祈ららさんに出会う前、初めてこの鎮守さんに参拝したときの好きだなと思う気持ちを思い出してみると、私の好意の形が、感覚が、総鎮守さんに対するものへと近くなっているのを感じました。 これからも鎮守参拝を続けようと思います。 |
まずは手探りで始めた霊の祈りでしたが、レベル1を終わると、家族の骨折などのカタチの状態での浄化が現れたように思います。 それがレベル2を始めるころには、肉親の金銭問題などが現れてきました。 進むほどに心のこと、微妙な違いに浄化が現れてくるように思いました。 先祖供養は最初はとてもしんどく、お経を読み終わるまでに相当な時間がかかりました。 祈りと前後して、共依存という心理的アプローチからも自分を知るようになっていました。 それからは、だんだんと祈りの反応が感じられるようになり、自然の見え方が変わり、また世間には古い価値観がはびこっていて、常識というものがどれほど人を縛っているかということがわかりました。 自分の感情や感覚も微細に感じるようになり、向き合うことが日常化していくたびに、怒りや不安、恐怖が見え、それが自分に、また世界に映されている気がしました。 これらはスピリチュアルレッスンを併用して、やっと気づけたことで、本当に気づく前は苦しくて仕方なかったです。 霊の祈り2は祈り始めてから約1年半かかりましたが、最初の1年の倍、最後の半年で気づいたように思いました。 「」部分は私の手帳などに書かれていたところを抜粋しています。 1ヶ月目 霊の祈り1をスタート。 アダルトチルドレンだと気づき、インナーチャイルドワークを探していました。 「私にはインナーチャイルドがいる。 インナーチャイルドが重いということを少なからずショックに思っていました。 ほぼ同時期に心理学の講座で、共依存のオンライン学習をスタート。 心理学の共依存のオンライン学習もスタート。 2ヶ月目 霊の祈り1を終える。 3ヶ月目 親が骨折。 4ヶ月目 霊の祈り2の内容を準備するために、先生にアフターフォローをお願いする。 心理学のオンライン学習「共依存」について学ぶ。 5ヶ月目 肉親の金銭問題の相談。 「自分って、まさに共依存じゃない?そういう名前なんだ。 天然石リーディングもお願いする。 「自分の今までを知り、これからを責任を持って決めていきたい。 6ヶ月目 霊の祈り2をスタート。 先祖供養をするだけで、1時間以上かかった。 心理学の対面ワークショップを受ける。 お墓参りも始めます。 7ヶ月目 月20日祈る。 「なれてきた。 「肉親のことを振り返った。 「昨日の朝はモーレツな怒りがあった。 「先祖供養は、最初は肉親の金銭問題への助けになればと思った。 「この結婚は、私にとってどんな意味があった?それは…私はインナーチャイルドを助けたかった。 自分を振り返るということをしはじめました。 肉親の事で、スピリチュアル問答をお願いする。 お墓参りにいく。 8ヶ月目 月10日祈る。 母の実家の墓参りにいく。 両親の親離れの出来なさを感じ、同時に自分の親離れの出来なさを見せつけられた感がして、ぐったり疲れました。 「父も母も誰かに幸せを求めてる。 「上の子がラーメン屋さんで水をこぼして、怒った。 今ふりかえると、いろんな浄化が起こっていたんだと思います。 お墓参りに行けないままでした。 9ヶ月目 月20日祈る。 やはり眠気が強い。 不思議な幸せ感を感じる時もでてくる。 「スピリチュアル問答になかなか答えられず…。 心理学の対面ワークショップを受ける。 月末にお墓参り。 10ヶ月目 月20日祈る。 「離婚ばかり考える。 日記に自分がモヤモヤしたことをそのまま書きなぐっていました。 共依存について、大学の心理学相談室でカウンセリングを受け始める(月1回 今も続いてます。) 「思いがけなくイメージができて嬉しい。 お墓参りにいく。 11ヶ月目 月25日祈る。 「私の中に反抗心がある。 「機能不全家族って、私の実家じゃん。 「今はひたすらに対話して、いろいろ感じることが大事。 「心がざわざわする。 このころは、いろんなものに反応していました。 お墓参りにいく。 12ヶ月目 月25日で祈れるようになってきた。 「ここに、こんなに書いてあるじゃない?今まで全然読まなかったけど!今日地震があった。 「昨日知人にマウンティングされた。 「今神様に、豊かになりたいんですが、どうしたら?って聞いたら、『本音を伝える』って言われた。 「今日、子供らと公園に行ったら、松ぼっくりを踏んだ。 「クリスマス、夫に怒りが湧いてきた。 「今まで祈っていた。 感情が湧き出てくることが多く、それに気づいてはいますが、翻弄されるがまま行動していました。 年末にお墓参りにいく。 1年1ヶ月目 25日ほど。 「しばらくいい感じで過ごせた。 「共依存についての学び。 「知人とランチ。 「今日は時間がなさすぎて、下の子をおこった。 「今日は怒りばかりの日であった。 アフターフォローをお願いし、「起こることを起こるがままにうけとめる」ということを伝えられ、とても穏やかな気持ちになりました。 お墓参りに行く。 1年2ヶ月目 月25日。 「なんか今、辛くなってきた。 「起こることを起こるがままに…。 「なぜそれほどに祈る?そこに癒されない私自身がいるから。 「そう考えると、やっぱり時間なんてないんだね。 「昨日、とーってもイライラして、子供たちにあたってしまった。 より深く感じようとしている時期でした。 月末にお墓参りに行く。 1年3ヶ月目 帰省前までは順調に祈れました。 「ものすごくモヤモヤ。 「鎮守に参ったあと、泣きたい気持ちになった。 スピリチュアル教室を読む。 共依存への取り組みとして、境界線のワークショップを受ける。 「自己否定へのイメージワークをやり、泣いてしまった。 月半ばにお墓参りにいく。 1年4ヶ月目 帰省時に風邪を引き、なかなか治らず、前半はほとんど祈れず。 「私は、ないないないの罠にはまっている。 体調が悪くなるとともに、否定的な思いもたくさん出てくるようになっていました。 月末にお墓参り。 1年5ヶ月目 忙しく祈れず、月20日ほど。 「人の集まりに誘われて行ったら、歓迎されてない気がした。 「いままで、機能不全家族だから、両親が未熟だから。 「久しぶりのカウンセリング。 「朝せっかく早起きして、作業をしていたら、上の子が5時に起きてきた。 「数日、とても軽やかできれいな日だった。 否定的な気持ちで過ごしていました。 月末にお墓まいり。 1年6ヶ月目 落ち込みが激しい月で前半は全く祈れず。 「今日は雨。 「自分に対してネガティブメッセージを受け取ってる。 「あ~まだまだネガティブメッセージが続く…。 「『お前なんて愛されない』『お前なんて生きるに値しない』そう言っているお前はだれ?と尋ねた。 「あまりにネガティブなので、グリーフワークをやってみる。 「少し悲しみが落ち着いてきた。 「今日は身体がエンプティなものばかり欲しがった。 「ハンナ・アーレントのDVDを観る。 「うわーん!今私の中から『どんなお前でもいい、生きていてくれて』という声が聞こえた。 「カルマがあるということは、苦しんでいる誰かがいるということ。 「朝起きたら、すごーく悲しい。 「祈ららのサイトには、『自分の最善の選択がこれで、なぜこれが最善の選択なのかということに気づかなくてはなりません。 「カウンセリングを受ける。 「今、自分のことがとても好きだ!という気持ちが湧いてきた。 「先祖供養でなんとなく感じること。 気づく前は苦しくて、苦しくて毎日悶々としていましたが、気付いた後は、とてもスッキリとして、世界が新しく洗い直されたように感じました。 月末にお墓参りに行きました。 1年7ヶ月目 月20日ほど祈りました。 「共依存に関する心理学のワークショップにいって、またいろんなことを知った。 「心理学の講座では、『あなたはたまたま不幸なところに配属されたけど、それはあなたの責任じゃない』という。 「自然の見え方が変わってきた。 周りを見つめる自分が徐々に変わってきた様子でした。 心理学のワークショップを受ける。 「達成ではなく、快を。 お墓まいり。 台風の影響で父の実家の墓参りはできず。 1年8ヶ月目 帰省の影響か、前半は祈れず。 「スピリチュアル教室「ありのままに受け入れてもっとも良い決断をする」を読んで、私、直感がよわいなと思った。 「我慢している人がいやなのは、必ずその我慢を人に強いるからだ。 「町内のお祭りに行って、いろんなお母さんから話しかけられた。 「最近あまり乗り気でないので、鎮守に行って祈った。 「今日きょうだいに、共依存のことを話した。 「今日はすごく嫌な気持ちになった。 「魂の方向性は直感で知ることができる。 「奇跡のリンゴをよんだ。 まさに空だ!私は最近「自然」を探していて、結局どんなところに行ったって自然というものはない。 「もっとも壊れてるのは、私たちの意識。 少しづつそのまま自分を感じることができるようになり、何を感じても怖くなくなりましたが、自分の気づきと、周りの世界の有り様に驚いていました。 初めて義母の実家のお墓参りに行く。 1年9ヶ月目 月20日祈る。 「私たちは夢を見ている。 「月曜から久しぶりの熱。 「幸せな日だった。 「夫が救急搬送されたって!もうびっくり!どうすんのよ。 「昨日あんなことがあったのに、とても幸せ感。 「不安なんかない、恐れなんかない、み~んないいこと。 「ドラゴンアイズを読みふける。 「私の今の心はとてもおだやかで落ち着いている。 「もう認めるしかない。 「私は夫の幼さと心の清らかさを見間違えてたね~。 「私は成長したい。 「今、こんなに幸せ感。 「今私は、他人と自分を分けている。 自分の感情や感覚、気づきをひたすら書いていました。 心理学のワークショップ。 お墓参りに行けず。 1年10ヶ月目 月20日ほど祈る。 「悪を抱き参らせるについて考える。 「今日もドラゴンアイズを読んでいて、私の中にも増長があるなあって。 「私が進めないのは、認めないからだ。 「子どもというのは、すべてを善きものとして取り入れる。 「神から見れば、みんなどこまでいっても未熟だ。 「この現実社会で、私はなにも成し遂げてない。 「昨日、無性にケンタッキーが食べたくなって、食べた。 「今日従業員さんと話して、みんな『愛されない自分!』を高らかに叫んでいるんだと気づいた。 「私は多分、苦しいところに生まれてみたかったし、家族を助けたかったし、結婚も育児もしてみたかったし、最高のパートナーシップも味わいたかったし、また一人で生きていく強さ、自由も欲しいのだろう。 お墓参りにいく。 1年11ヶ月目 ほとんど祈れず。 「今日は子供達を怒鳴って、叱りつけて、脅してコントロールした。 「チャラチャラしている子、軽くて嫌だと思った。 「最近自分が見えすぎてつらい。 「今日久しぶりにインナーチャイルドワークをした。 「今日またエンプティなものが食べたくなり、MACに行った。 「疑いの中に止まることが大事。 「最近、すっごくこわい…微細なことに目を向ければむけるほど、向き合わなくてはならないことにも丁寧な配慮が必要。 「かわいそうな私の良さって何?人に頼って生きていける?守ってもらえる?子供でいたいから?責任をとりたくない?本当は自分で自分を助けたい、救い出したいんだよね。 様々な考えが頭のなかを巡っていました。 心理学のワークショップで「人間関係」について学ぶ。 月末、お墓参りへ。 1年12ヶ月目 月10日ほど祈る。 「私が感じたいのは、不足な自分、できない自分、改善すべき私ではなく、そのままでいい私。 「カウンセリングで、ADHDの検査結果を聞いた。 「なぜか幸せ感がもどってきた。 「心理学ワークショップの主催者の怒りを感じる。 「私、夫に対して、離婚、離婚と騒ぐ私は『相手が間違っていると思い、相手に対抗し、頑なに相手を拒否することも逃げの一つです。 「今日は全然だめだ~。 いろいろなことを感じました。 霊の祈り2は、四苦八苦という感じでしたが、 今振り返ると、最初はこんなことを考えていたんだなあと驚いたり、 最初は荒々しい波であったことが、気づきがだんだんと細かくなり、今は波の起こる前の揺らぎをつかみたいという感じです。 でもそれに気づくには、日常の細やかさがもっと必要な気がして、まだまだそこには至っていません。 これが、先生が言っていた、進めば進むほど難しくなる、ということなのかなと思ったりする毎日です。 |
先生の提供してくださるものは、祈りも、天然石も実力重視で飾らないものが多いなあと思います。 しかし、やってみるとパワー満載で、いつも驚き、たくさんの気づきをいただいております。 ありがとうございます。 |
いつも、朝仏壇と神棚に向かって祈っておりますが、ある日の夜、お風呂に入り、すっかり寝る準備を整えてから、神棚に向かって祈っておりました。
目を閉じて祈りの言葉を唱えていますと、自分の身体が1.5倍ぐらいに大きくなった感覚があり、とても気持ち良くなりました。 この感覚は、朝は感じたことがなく、夜自分をスッキリとさせてからでないと感じられないようなので、心身を整えてから祈るということも大切だなと思いました。 「自分は肉体の身体だけでない、もっと大きなエネルギーだ」ということを感じられたような祈りでした。 |
なるほど~、先祖と子孫の心の中は食い違っていることもあるのですね。
義母のご先祖様のお墓は、昔りんご畑だった山の道を少し入ったところにあって、竹林に囲まれていました。 義母とのイザコザで、私はこちらの家にカルマがあるのかなあなんて考えていたので、先祖供養がこんなに気持ち良くできるということにびっくりでした。 |
霊の祈り2を初めて1年以上経ちます。 毎日祈りをできているわけではありませんが、マイペースに続けています。 先日やっと義母の実家のお墓参りが出来ました。 義母とは言い争いもあったり、今まで引っかかりを感じていたのですが、お墓ではとても爽やかな雰囲気を感じました。 きっと怒られるだろうと思ったお墓での先祖供養も穏やかでした。 いままで1年ほどお仏壇で祈ってきた成果かもしれませんし、ご先祖様方はとても穏やかな方々だったのかもしれません。 本当に意外で、ありがたく、素直に祈りと感謝が伝えられたように思います。 祈りが終わっても、しばらくそこで爽やかな空気を感じていました。 隣町ですので、これからしばらく参らせていただこうと思いました。 |
霊の祈りレベル2を1年ほど祈っています。
最初、「神棚を買いたい、仏壇に御本尊様をいれてきちんとしたい」と言ったところ、夫は「神様やご先祖を大切にする気持ちがあればいいんだから、そんなの必要か?」などと言っていました。 最初は見て見ぬ振りをしていた主人ですが、最近、こっそり見ていると神棚に柏手を打って出かけていく様子を見ました。 まだまだレベル2の道半ばですので、どういう変化が起こるかわかりませんが、続けていこうと思います。 |
本日レベル3の参拝の時に「○○は任せてください。」と思いつき、涙があふれました。
レベル3の参拝で涙でたのは初めてかと思います。 これからもコツコツぼちぼちやっていきます。 |
瑞の祈りの資料をお送りいただき、ありがとうございました。 昨日、今日と、鎮守の参拝をしてきました。 私にはまだ祈りをするのは早いのではないかという気持ちがありましたが、参拝をさせていただくとすっきりして、この感覚を忘れたくないと思いました。 初日は社殿の階段に蝉の死骸がたくさん落ちていたり、毛虫の糞で境内が汚れていたりして、ちょっと弱気になっていたのですが、二日目に行くとすっかりきれいになっていました。 たまたまだった可能性もありますが、ご鎮守様が快く私を迎えてくださったのかもしれない と嬉しくなりました。 |
今日神だなで祈っていたら、のりとをあげている時にスサノオの命から、「恋は難しいのぉ。。。この話しでそちと一杯いけそうじゃ。」とはっきり聞こえてきて祝詞の途中で吹き出してしまいました(笑)
スサノオの命は私がいつも真剣に困ってるときに笑顔にさせてくれます♪ |
お仏壇の前で瑞の祈りを捧げていると、ご先祖様が喜んでくださっているのを感じられるような気がします。 また、なんとなくですが、供養のしはじめは体調不良等自分自身の生活にいろいろな変化が起こり、継続して同じ方の供養を続けていると日に日に自分自身の生活が穏やかになっていくように感じられます。 |
神社にお参りしてきました。 ここは鎮守というだけでなく、産土神さまだと思います。 近くですが今となっては滅多に行かない場所です。 神社のすぐ側にある私の生家は潰れていて、家の基礎が残っていました。 実はわたしは引越しの予定があります。 でも離れる前に(;-;)、まるで故郷のような○○神社さんに行く機会を設けられてよかったな、と思います。 |
カルマ浄化の祈りは6年ほど前からでしょうか、気にはなっていたものの、他の学びを優先させてきました。 元々他者や精霊神々の波動と共振する性質があるため、これ以上霊感が開いて過敏になってしまったらと思うと日常生活に支障が出てしまうとも思いましたものですから、躊躇しておりました。 ですがやってみたい、思うことは何でもやってみてから考えようという考え方になることが出来ましたし、これまでに自分が学んできたものとの似ているところや違うところがありそうで、好奇心が湧いてまいりました。 |
今日は昼間家でドラゴンアイズを読みながら、うとうと…。 やっぱり昼寝を2時間もしてしまいました。 ドラゴンアイズバックナンバーも高波動だな~と感じた次第です。 |
霊の祈りレベル1の21日間参拝が終わりました。 参拝を始める時、正直カルマ浄化ということが不安でした。 家族への影響も考えると、参拝を始めて良いのだろうかと悩みましたが、先に瑞の祈り1を終えていて、鎮守参拝に惹かれていましたので、レベル1に入ることを決心しました。 それでも毎日祈らせていただきながらも不安や心配は続きました。 私には霊感はないので、皆さんが体験されているような不思議なことは何もないのですが、21日間参拝している間に、家の給湯器のスイッチが突然つかなくなったり、トイレに何か落としてしまったのかトイレが詰まってしまい、慌てて業者を手配したりとバタバタしました。 私自身は体調不良などはなかったのですが、子どもは風邪をひき、長いこと咳が引かなくて心配でした。 今思い出すと、これらが浄化だったのかなと思ったりしています。 21日間の参拝は満願しましたが、今でも鎮守の祈りは続けています。 最近では、祈らせてもらえることに感謝する気持ちになっていて、いつもありがとうございますと、伝えるようになりました。 これからも鎮守参拝は続けていきたいと思っています。 |
以前からパワーストーンは好きでした。父が倒れてから、私もこれからの生き方に興味を抱くようになり ネットで検索していて、祈ららのサイトを見つけました。 不安があったので、瑞の祈りから始めています。 自分の気持ちをみつめるチャンスに巡りあえて良かったです。 |
資料が届いた翌日(祈り開始2日前)から突然左足裏に痛みと痺れを感じました。 祈り始める前は続けられるかどうか不安で、田舎の集落なので、人目がとても気になりました。 最初はなんだか落ち着かず、祈りに集中できず注意散漫な状態でした。 1週間ほどで、だんだん祈りにも集中できるようになり、人目も気にならなくなってきました。 10日目にご祭神様のことが突然気になり、調べました。 左足の痛みと痺れは相変わらずで、他にも左肩の痛みや、左手に軽い湿疹みたいなものがでたり、左半身にいろんな症状がでました。 祈りを続けながら、2週間目にいつもよく行く一ノ宮にお参りに行きました。 祈りを続けるなかで、ご祭神様のことをもっと知りたいなあと思っていたら、職場の近くでその神様がテーマの講演会がたまたまありました。 3週目は、祈りの時ではなく生活してるなかで、突然涙が込み上げて、祈りの内容の気持ちでいっぱいになることがありました。 境内で祈っていると、頭から足にかけてエネルギーが通るのが感じられるようになりました。 19日目にまた左足の痛みと痺れが出ました。 21日目。無事に毎日通うことができました。 祈りを始めてから3週間、心が落ち着いていられることが多くなってきた気がします。 |
トラブル解決に行った帰りに、鎮守に行こうと思い立ち、行きました。 車を降りた時に、よくやった。と言われたような気がしました。 祈っている最中、 祈っていたら涙がでてきました。 私は感情とか鈍いし、祈りとかもちゃんと出来ていないから、きっと2年経っても涙なんて出ないだろうなと日々思っていました。 そのあとの祈りの言葉が響いて響いて下の家に聞こえてしまうのではないかと心配になり、ボリュームを落としました。 家の神棚(としているところ)で落ち着いて話せるようお願いをしてから行ったので、帰ってから、御礼をしました。 ドラゴンアイズで、紫野先生が神社との和解の見極めを声が響くかどうかで見極めるというのが書いてありましたが、それは紫野先生だけしかないことだと思っていました。 参拝の際か終わってからか、父は鎮守の神社の氏子として、ここに引っ越してきてすぐから神社の神輿をかつぎ、足が悪くなりかつげなくなってからはずっと法被を着て、祭に奉仕してきていました。 鎮守の神は父が悩んでいることをずっと知っていて、私を通して助けたかったのだと思いました。 先生にご報告させていただきたく、メールを送らせていただきました。 私に教えていただき有り難うございます。 |
○○明神に久々に参拝しました。
参拝の列にならんでるとき、○○明神さん大好きだなぁ、って思い、「なんでこんなに○○明神さん大好きなんだろう!」って思った瞬間、顔がくしゃってなって涙があふれました。 まっ社でも「ちかごろのそなたは自分を大事にしていて進歩がみられる」と思いうかび、ありがとうございます、と思いながら涙が浮かびました。 帰りに○○明神さんの近くの書店で役立ちそうなステキな本をみつけて、買ってきました。 こう書いてる今も涙が自然に浮かびます。 |
鎮守への参拝を続けながら霊の祈りレベル2を続けています。
約1ヶ月程半祈りを続けたところ、不思議なことに義父が頻繁に連絡してくるようになりました。 「もうすぐ雨がふるから、洗濯物入れとけよ~」とか(仕事先から、私の自宅が見えます。私はそのとき不在でした)、子供の学費もお祝いをくれました。 なんとなく義父のご先祖様に守られているような気分がします。 |
今日、21日間満願の日でした。 久し振りに初めから集中できました。 粒子が吸い込まれていくようなものが見える時が、自分的に祈りに集中できている時なのだなとこの祈りをはじめて感じました。 21日間の間では2回でした。 わたしはすぐに驕りやすいし期待しやすいし、油断しやすい性格なので、集中するって難しいと思いました。 明日は神社の大祭です。 祈っていて、何しにきているのか。という男性っぽい想念がわきました。 すぐに答えられませんでした。 心が求めるままにきていますと答えましたが、ちゃんと答えられないので、宿題にして持ち帰りますと答え直しました。 質問してきた想念もわかった。みたいな感じでした。 祈っている最中、想念を感じたことは初めてでした。 ご祭神様かどうかどんなそんな存在に尋ねられているのか、自分の想念かはわかりませんでしたが、 21日最後は2日目の時のような何か見えるかなとどこかで期待がありましたが、注意というか今後に向けて気持ちを引き締める参拝となりました。 |
霊の祈りの資料が到着する前から浄化が始まりました。 夜にお昼に食べた物をすべて嘔吐しました。 同じ夜、家族は家に帰ってきた途端お腹が痛くなり、何も食べずに寝て、次の日にはよくなったようです。 2日後、資料が到着しました。 寝る時、横になって目を閉じたとき、鮮やかな青緑色の装束をまとった髪を両耳の上わっかが垂れ下がるようにした人の後ろ横姿が見えました。 2こめは神社に関係した何かのようにも思えました。 次の日から霊の祈りレベル1を始めました。 祈りはじめてしばらくすると、ジャリと玉砂利を踏むような音がして人が来た気配を感じます。 瑞の祈りの途中くらいから、そのようなことは毎回ありました。 2日目、参拝が終わって振り返ると、参道に高さ3メートルくらいのおっきな金剛力士みたいな感じがそびえ立っていました。 |
瑞の祈りレベル1が終わりました。 有難うございました。 もっと早く鎮守の神社に寄せていただけたらと思いました。 祈りを決めた途端に、誰かに触られている感じが数回ありました。 20日目に、それまで優しく接して下さった方が、キツい顔で私を見られて、急に怒られてびっくりしました。 次に祈りをすすめると決めてから、どっと疲れが出て、風邪をひいてしまいました。 |
瑞の祈りを始めてから、毎日を気分よく過ごせていた。 神社に行くのが大変になり、1週間半ほどお休みしていたら、またイライラしだして、前から悩んでいた症状がでてきた。 瑞の祈りをまた再開しだしたら、少しずつ回復し始めた。 問題からの回復は自分自身の意思や祈りも大切なのだと今回の件で感じた。 |
鎮守の祈りでは、私の単なる妄想かもしれませんが、祈る時、扉の向こう側が湧いているような感じがあり、面白いです。 この4ヶ月を終え、不思議と夫への怒りが収まってきました。嫁ぎ先の家業の手伝いがあまり抵抗なくできるようになってきました。 |
旦那の実家の氏神様に初めて参拝したとき、紺色の平安装束を着た男性が、お祈りをしている私の前に立って、私の肩を持ちながら私の顔を覗き込んできました。 いやな気持は全くせず、微笑んでいるように見えました。 夫婦はカルマが重いと聞いていたので、歓迎されるわけはないと思いましたが驚きました。 |
昨日より鎮守の神様のお祈りを娘達(6才と8才)が一緒にさせて欲しいと言い出し、3人でたどたどしくお祈りさせていただいております。 上の娘が神様に涙しておりました。 神様との繋がりが感じられてからは苦しみにも意味があると頭だけではなく心で理解出来るようになりました。 紫野様のブログと出会える事ができ、鎮守の神様と繋がりを持てるようになりましてから私の人生ひっくり返る位変わりました。 見ず知らずの人達も、魂の仲間と思えるようになりましたので愛しいと思える時があります。 本当に感謝しております。 ※ 神社で流れる涙は、ご祭神の心を感じています。 |
1 はじめに
この祈りには、驚きと感謝の連続でした。祈りを続けてきた間に、私の心も生活も大きく変化したように思います。まずは、霊の祈りを教えて下さったひかりさんに感謝申し上げたいです。ありがとうございます。 2 レポート (2)祈りが安定してきた頃 (3)祈りが日常的になってきた頃 (4)視点が変わってきた頃 (5)収穫期 |
霊の祈り1を11、12年続けております。
半信半疑でしたが、祈り始めて、顔に吹き出物がすごくでて(それ以降その時だけで、そんな事いちども起こりませんでした。)すぐいい結婚相手も見付かり、家も建てて、結婚した先で出産して、そろそろ、仕事探すかな・・・と思った時にこっちの土地ではまだしてなかった祈りを始めて、その日に仕事が見付かり、すぐ採用・・・パートでしたが、子供が大きくなってフルタイムで出来るかな・・・と思った頃には正社員の方が辞められて正社員にしてもらえる事に。 ここまで良くなっていてもまだ半信半疑でしたが、思い返すのやっぱり祈りのおかげだと思うようになりました。 この生活を続けていたら、段々と動物がとても好きになり(何か関係あるのでしょうか?)人の為に何かしたいとすごく思うようになり、医療関係、福祉関係の仕事が最近とても気になっています。 何かの知らせなのか・・・祈りレベル2の途中でやめてしまっていたので、これも再開、レベル3、4と続けてみたいという気持ちが強くなり、こちらへやってきました。 |
私が祈ららのホームページを知ったきっかけはパワーストーンでした。
ラリマーという石の優しい波動を感じて泣いてしまい、石と話をしたい、素敵な石と出会いたいとネット検索してる時でした。 祈りの体験談を読んで、涙がとまらなくなり、今まで全く興味がなかった近所の神社へ猛烈に行きたくなり何度も参拝させていただくようになりました。 ショップでストーンも何回か購入させていただきましたが、その度に家中が大掃除でもしたかのような清廉な空気になり改めて祈ららのすごさを思い知らされました。 やっと申込ができた翌朝、神社へ祈りの申込をした事を報告しますと間近で鶯が鳴き清らかな風が吹いてきて私が参拝している間ずっと続きました。 祈りの一日目も間近で鶯が鳴いてくれました。 第一週目はその魂の事を考えたり、同梱していただいた会報を読んだりしながら驚くほど周りにも穏やかな気持ちで接する事ができました。 七日目は神社の桜が満開でその光景のあまりの美しさに娘が涙を流してました。 二週目は子供の行事で忙しく内省できる時間が少なくずっと頭痛がしていました。 14日目に共存という言葉が降りてきました。 3週目に入ったと同時に全てのトラブルが終息しました。 16日目に祈り初めから涙が止まらなくなり、祈りの最後はいつも祈りに来させていただいた事、神社にご縁ができた事を感謝して終わるのですが、その日は[神社に来ていただき]になり、何回言い直してもそうなってしまいました。 21日目は身の丈で良いと教えられました。 祈りはじめてから、理由のわからない焦燥感がなくなりました。 ※ 神社参拝で涙が流れる時は、ご祭神が喜んでいます。 |
1はじめに
数年前から子宮筋腫の為、ホルモン剤を服用するようになりました。 2レポート 詳細 ・最初の7日間 1日目は仕事の帰りで夜の参拝になりました。 拝殿の正面には薄暗いですが明かりが灯っており、さらにセンサーで明るくなるようになっていました。この日は21日間参拝させていただくご挨拶のみさせていただきました。翌日は仕事に行く時間の都合で祈りの一部を省略させていただきましたが、穏やかな気持ちになり、背中が温かくなりました。3日目はにわか雨が降っていましたが、神社の上だけに青空がありました。この日から省略することなく祈り始めました。祈り終わった後は雨が一旦止み、徒歩25分のところにある職場についたとたん、再度雨が降り始めました。4日目以降は風で背の高い木の木の葉が鳴っていましたが、地上に吹き抜けることは無く、穏やかで清々しい気分になりました。 ・2週目の7日間 8日目は誕生日でした。最初の7日間が穏やかすぎてこのまま何事もなく21日参拝が終わるのではないかと思っていたのですが、無理でした。この日は頭痛はする、不正出血が始まる、しんどいなど精神的にも身体的にもかなり辛い日となりました。鎮守の神社で祈っても改善は無く、この日から母が少量ずつですが1日何回も便失禁をするようになり、トイレも汚れていることが多くなりました。その上、母の便は家中の窓を開けないと耐えられないぐらい臭く、「何とかして」と思いながらトイレ掃除に明け暮れました。 鎮守の神社での祈りは爽やかな風が吹いて、絵馬どうしのあたる音が耳にも心にも心地よかったです。 職場では人間関係が悪化しました。勤務を変わってもらえないか上司に相談したところ、上司に声をかけられた人が気持ちよく変わってくれたので、何度かお礼を言っていました。ですが相手に間違った日にちを上司が伝えていたようで、それが判明してその人が怒り、あなたが勤務を変わってと言わなければこんなことにならなかったのにと言われました。その人は間違った日にちで勤務の交代の予定をしていた為、変わってもらう日に予定を入れていたようです。上司のミスで休み希望を入れていたのにシフトが入っていた人と勤務を変わったので私も戻すことが出来ず、上司もその人を説得し、勤務は変わってもらったままでしたが、鉾先が私に向いているので事あるごとに攻撃されました。 ・3週目の7日間 15日目は珍しくカラスが静かでした。いつも狛犬に触らせてもらっているのですが、この日は触らずに帰ろうとしたら「触らないのか?」と聞かれました。初めて聞こえた声に感動しながら触れせていただきました。このままここに居たいとすら思いました。20日目には「なんでこんな事してるんやろ?おかしいやろ」と思いました。これが邪魔かぁと思いながら、21日間参拝することを改めて決意しました。母の便失禁はこの日を最後に収まりました。21日目の参拝を終えたあと、最初の2日は省略した祈りだったので2日空けて2日間祈って満願としました。最終日の前の日人間関係の悪化と精神状態が悪化しましたが、最終日は幸せな気分になり、涙が出そうになりました。 3総括 祈りは2日間省略形で行った為、以降の参拝より21日間の参拝とさせていただきました。身体的には時々しんどかったのですが、大きなさわりも無く、とにかく眠かったぐらいです。母の便失禁の掃除もしんどかったですが、カルマの解消がトイレ掃除ならありがたいものでした。ただ、人間関係は本当にしんどかったです。更年期症状で精神状態が悪化した時に狙ったようにくる攻撃、そんな時に限って仕事で抜けていることが多く精神的にしんどかったです。 そして、仕事を辞めることにしました。自分を振り返ってみて、とてもよく頑張ったと思うのです。更年期症状やそれに伴う感情のコントロール。すぐに苛々するのを宥め、怒りの感情に振り回されないように自分を抑え、毎年予防行動を取らずにインフルエンザで休む人がい中で、休んだら仕事が回らない、人に迷惑をかけると予防にも気を遣い、休んだ人の分忙しくなるのに文句も言わずに数年間、本当によく頑張って働いたと思うのです。退職すると決めたら、悪化した人間関係も「あなたは良く頑張った。仕事を離れて少しゆっくり休みなさい」と言われているように感じるようになりました。不思議なことに、そう思うようになるとストンっと何かが抜けて、解放感と余裕が戻ってきました。『祈ららの祈り』を始めていなければ、きっとこんな風に思うこともなく、ネガティブな思いに振り回されながら今の職場にしがみ付いていたと思います。 4終わりに インナーチャイルドワークを進めながら鎮守の神社参拝を行いました。 |
祈りを始めて色んな事がありました。 でも経験や日々が過ぎるのが速すぎてなかなか纏めてご報告が出来ません。 今ちょっと思い返してみるとたくさんの思い出がありすぎて忘れてしまいそうです…。 祈りを始めてからずっと鎮守の国常立命の事が大好きで大好きで、そう言っていたら「私もお前の事が大好きなのだぞ。」と伝えてくれて嬉しくて眩しくて次の日もずっと心が眩しくて地下鉄のホームで幸せに押し潰されてうずくまりそうになったこと。 父として、それから異性として大好きになり結婚してほしいと泣いて懇願したり(笑)、(神様は性別を越えた両性のエネルギーなので人間の男女の愛を越えたレベルの高い愛を与えてくれる事がわかりました。人間の私にとって認識できる最大の愛は男女の愛であったために、その力のかぎりで神様に恋をして男女の愛を越えた愛を教えて貰って乗り越える事ができました。) 新しくご縁が出来た神様に反発したり、仲直りして頂いたり、供養では先祖同士の残酷な出来事を見せられ大泣きで祈らせて頂いたり、始めは御先祖様をやっかいに思っていたのに気がついたら自分の一部として大切に思えるようになったこと、 祈らせて頂ける幸せ、自分で供養をさせて頂けている幸せ、神様と共に生きる絶対的な幸福を知り、幸せすぎて嬉しくて嬉しくて心から「御神業に生きたい」と号泣して神棚に向かって土下座してお願いした事…。 などなど…まるで数年間の出来事のように懐かしいような愛しい思い出の数々ができました。 |
霊の祈りレベル1 2月10日から毎日通いました。 平日は仕事帰り、土日は時々早朝です。 初回の時はとにかく祈り参拝に行くことが嬉しくてテンションがすごく上がりました。 私より霊的な存在の方々が喜んでいるようにも感じました。 何か応援されているような感じです。 初めての神社はとても厳かな感じがしました。 2月13日4回目の時にはっきり『我が強い』と受け取りました。 それから2,3日は自分が本当に嫌で、情けなく感じ、このままでは本当にやばい!と思いました。 私は以前、自己啓発の様なワークを受けたことがあり、その時に一度自分の内面の汚い部分を知った時に急性腸炎で倒れたことがあります。 そんなことも思い出しながら、その時の免疫があったことは少なからず助けになり、またその時から全然進歩していないことにもガックリし、改めてこれは改心するチャンスなんだと薄々感じました。 その頃から、祈りで出てくるもの≪自己暴露≫を扱う事の大切さが、薄々から確信に変わっていきました。 2月15日は神社から『がんばれ』と受け取っています。 2月18日自己満足優先に祈る。 それから少しずつ◯◯◯◯について勉強し、自分の内面と向き合うように取り組みました。今までは都合よく自分の内面と向き合っていたわけです。 2月23日自分を指導して下さる存在をはっきりと感じました。 2月24日ストレスからかタバコを一日一本吸っていたのですが、吐いた煙が何度も顔にかかり『休む暇なんてないんだぞ』と受け取りました。 2月26日何だか神社は雰囲気が違っていました。 3月1日今朝祈り参拝に行き21日間の期間は完了しました。 21日間を終えて、振り返ってみると21日前の自分には戻りたくありません。 |
霊の祈り2を始めて1ヶ月が過ぎました。
供養を始めて、体がしんどくなりました。 供養ではつらい事や嬉しい出来事もたくさんあったのでぜひ報告をと思うのですが今日は鎮守の事を書こうと思います。 鎮守にはできるだけ毎日行くようにしています。 始めはレベル2の内容でいっぱいいっぱいだったので、鎮守にはサボりがちになっていました。 その事で謝ると御祭神の切ないような悲しい気持ちが心に届いて来ました。 「(私が)鎮守に通うことをまるで苦行のように感じてそれが出来ないと言って謝る事が悲しい…。神に会いたい会うのが楽しみ。と、嬉しい気持ちで来て欲しい…。」と言われました。 その純粋なお気持ちを知って私はより一層神様を愛しさらに鎮守を好きになりました。 仕事が終わり帰路につくたびに「会いたい 会いたい 会いたい …御祭神に会いたい…」と思いがつのり、毎日仕事帰りに鎮守に行くのが待ち遠しくなりました。 「ここは自分の家だと思って帰って来なさい。」と言って御祭神やけんぞくの霊たちとニコニコとしてちゃぶ台の向こうに座って待っていてくれる姿を見せてくれるのです。 またこんなこともありました。 御祭神はお二人いらしてお一人は倉稲魂命様です。 「毎日おいしいごはんをありがとう。 (私は霊的にはまだ幼いのでいつも自然に祈りの際は子供っぽくなります。神様も子供相手のような優しく可愛いがるような態度をとってくれます。そしてその事に違和感がありません。) そう言うと、「この町の皆もお前のように良い子になってくれたら嬉しいのに…。」と言って、私にお菓子をくれるのです。 御祭神は私を「良い子になった、良い子になった」と眼を細めて可愛いがってくれるようになったのです。 それで私が特別なのかと舞い上がりそうになりつつもどうかというと、神様は「世の人は誰一人残らず大切な我が子…。」と悲しそうに言うのです。 時がたつにつれて御祭神だけではなく、けんぞくの霊たちも総出で出迎えてくれるようになったのです。 鎮守参拝を続けてひとつとっても効果的なコツを発見しました。 鎮守に着くしばらく前から心の中で大声で叫びます。 けんぞくの霊が(幼い男の子の白狐くんで仲良しになったのです)先回りして神社に神様が来てるか見に行って「いるよ。」と報告をしてくれた事ありました。 これは以前の私には正直信じられない事です。 神様と対峙するには神様に届くくらいまではこちらも純粋な心にならなければ神様の声が聞こえたりお姿を見せてくれないと思います。なので日々、純粋で居るように心がけています。純粋な心で生きることは幸せです。 あるとき、神棚の参拝のあと寛いでいたら神棚のあたりから「この子を育てて良かった。」とはっきり聞こえました。神様と守護霊が話していたのかもしれません。 他にも不思議な事がたくさんありました。 残念なこともありますが、それでも今のこの毎日が幸せでたまりません。 この幸せは祈ららの祈りのお陰としか言えません。 またいくつもご報告したい事がありますので別の機会にメールさせて頂けたらと思っています。 祈ららの祈りが今後も広がっていくことをお祈りします。 |
霊の祈り1を終えて。
初めて近所の◯◯神社を参拝させていただきました。 1日目の祈りの時に背中が涼しく感じました。 次の日からは霊障もなく風邪等もなく無事に21日間を参拝させていただきました。 参拝し始めの頃は職場の同僚が自分に対してイライラとした感じがありました。 10日くらい経ってくると同僚の態度がやわらかになっていくのを感じました。 21日間を終えてからは、物事がスムーズになっているように思います。 この祈りに出会えたことに感謝します。 |
私、祈りを始めて本当に良かったです。 私は今幸せです。 紫野さんにご縁が繋がって大感謝なんです。 鎮守の祈りからご縁が出来た御祭神には日々愛情を注いで頂いて学びの毎日です。 日々悩みや問題があっても夢やメッセージでヒントを貰って考えたりしながら勉強しています。 今はまごころを使った祈りを勉強中です。 おっしゃるように神棚は最高です! 最近はこれから先ご先祖様の事が一段落すればはもっと神様や霊のために祈りたいと思うようになってしまいました。 毎日の祈りが幸せでたまりません。 |
10年以上前にレベル2で止まっていたところを最近再開しました。 レベル2の供養を始めて一週間余りで霊障がひどくなりました。 体のあちこちが凝って重く、頭がパニックであまり考えられないようになりました。 供養をする体力はなくなりました。 インナーチャイルドカウンセリングを受けたあと、夢で夫の仕事に関連するようなものを繰り返し見ました。 各家のカルマを自身で見てみたところ、 夫の仕事の準備をしたくても、体が思うようには動きませんし、仕事を軌道に乗せるには供養をしなければいけないと思いました。 誕生日に夢を見ました。 供養でご先祖の方や、何か関連する方がつぎつぎかかって一緒にお経をあげました。 神棚参拝は特に問題なく、これでいいのかなと思いました。 鎮守参拝ですが、体がつらかったので、週に1回がやっとという期間が長かったです。 また、この神社の状態があまりよくありません。 自分でもなぜ急ぐのかわかりませんが、よろしくお願い致します。 |
霊の祈りレベル1を始めたのは確か3年くらい前かと思います。 その頃の私は、毎日がつまらなく面倒で、こんなにつまらない人生が続くのかとがっかりしていました。 そんな人生を切り開きたくて祈りに挑戦したのでした。 祈りは私にとって面倒で、毎日嫌々鎮守に通っていました。 何とか21日やりとおして私はやっと鎮守に通わなくて良くなった事を喜んだのでした。 それにもかかわらず私の生活は少しずつ楽しいものになっていきました。 私の生活は、暗い所に閉じ込められていて出口が見えずにいるという感じでした。 それが少しずつ、良いことがあって、うまく行って、楽しい事があって、それが続いて、毎日がうまく行って、どんどん生き方も上手になって、幸せになって行きました。 祈ららの祈りでなくても、効果が薄くても、自分の気持ちで、自分の言葉で、鎮守の氏神様に感謝の気持ちを伝えれば良いんだ。と、思うようになりました。 あるときお参りの帰り道で、まるで子を思うお父さんのように優しい気持ちに包まれました。 それで私は、氏神様の事が大好きになって、「お父さん氏神様」とか「御父上様」とか愛称で呼ばせて頂くようになりました。 祈ららの祈りはやめてもスピリチュアル教室のblogやサイトの記事を良く読んでいました。 私は、鎮守の御祭神がどなたかもわからず、関心も無かったのですが大好きな氏神様の事が知りたくなって調べたら、国常立命様でした。 霊の祈りレベル1をもう一度始めて、祈りの最後に「私を正しい霊の道に導いて下さったのは紫野ひかりさんです。お礼の気持ちを伝えて下さい。」と言いました。 その日、帰って来て夜にスピリチュアル教室のblogをチェックしたら新しい記事がUPされていました。 鎮守には、もうお一人御祭神が居ることもわかりました。倉稲魂命様です。勝手に御祭神はお一人でそれも庶民的なおじさんの姿の小さい神様だと思っていました。 そんな風に神様のお気持ちをなんとなく感じられるようになってどんどん神様との関係が個人的なお付き合いになって来ました。 先祖供養にも興味が出てきて、紫野さんに供養代行をお願いしました。 さっそくその日の参拝では弱音が出てしまいました。 国常立命様が私の前にかがみ、薄金色の剣をそっと手渡してくださったのです。 国常立命様は小指を差し出され、「やり遂げると約束できるか」と言われました。 私は、以前の心の地獄時代に自分から変わる努力もせずに良いことがあるのをずっと待っていました。 守護霊様や神様がどんなに悲しんだかを、浮かばれないご先祖様に触れてわかりました。 |
以前、確か霊の祈り1だと思うのですが21日参りを行いました。 お参りした結果全くというほど人生が好転しています。 氏神様と思っております近所の神社の神様の事が心から大好きになりました。 ※ こちらから大好きになるということは、ご祭神様からも同じ気持で思われているということだと思います。 (紫野) |
母がこの頃、なくなった両親の夢をみるそうです。 今まで滅多にみることがなかったそうですが、このところ頻繁にみるらしく、祖父母2人で畑仕事をしているそうです。 そして、御経が聴こえるそうです。 生前、祖父はお坊さんになりたかったそうですが、体が弱く、諦めたと聞いています。 先祖供養の祈りが届いているのでしょうか。 霊の祈りをはじめて、祈ることが習慣になりつつあります。 そんな自分に少し驚いています。 神様と向かい合えるようになれたのは先生のお陰です。 |
なかなか祈りを始めることができなくて、先生にメールをしてしまいましたが、もう一度インナーチャイルドを見つめて出し切ってみて、そしたら不安が無くなったように思え参拝を始めることができました。 まだ1週間経ってはいませんが、家族がとても元気に生活できています。 これは偶然のことなのか、祈りを始めたからなのか私には分からないのですが、普通に暮らせる日常が我が家にはなかったことなので本当に嬉しく思います。 我が家はカルマが重いと思っているので、また急に何か変化することもあるのかと様子を伺ってしまうのですが、今は心から感謝を持って祈りをしようと思っております。 ※ 参拝をはじめることができて良かったですね。 |
霊の祈りを続けていますが、私はお昼休みに会社の鎮守の神社へ参拝させて頂くようにしています。 会社の鎮守の神社には2つの神社がお祀りされています。 一つは○○神社という鎮守の神社・もう一つは近くのお城の跡地にお祀りしていた□□神社というご神体を移築してきたものです。 鎮守の神社への参拝はスムーズに足を運ぶことができたのですが、すぐ横にある□□神社への参拝は何故だか恐れという感情を抱いてしまい、なかなか参拝することができませんでした。 霊の祈レベル2をはじめて、神棚をつくり、祈りにも慣れてき頃、□□神社へ参拝できるかなと思えるようになりました。 参拝初日は挨拶からはじめました。 翌日もお昼休みに参拝にでかけました。 紫野先生とご縁をいただいたことに心から感謝します。 |
しばらく、ず~っと祈りをお休みしていました。 数ヶ月後に、ご鎮守様へ端の祈りではなく、霊の祈りで祈りたくなり、祈ってみましたら、涙が溢れてきました。 祈りを休んでいたことに対しても、責めるような感覚はなく、むしろ暖かで穏やかな波動で包み込んで下さいました。 その後、自分の気持ちに変化があり(デイリーヒーリングを申し込んだ後)素直な気持ちで参拝しましたら、「それでいいのだ」と聞こえました。 ご鎮守様の境内の中にあります、摂社様にもいつも参拝していて(女性の、特に婦人科に効く神様だそうです)自分の身体に対して、もっときちんと向き合い、自分の身体ともっときちんと会話をして精進していきます、とお話したら、「それが本当」と聞こえました。 最近になり、なかなかお返事や会話ができづらい神様から、少しづつ何かを感じられるようになってきました。 なので、自分がいかに愚かな人間であったか、なんという浅はかな人間だったのかと、思い知らされましたと同時に、あ~私って成長しているんだな~・・、成長するってこういうことだったんだ~、意外にシンプルなのね~と感じている、今日この頃です。 |
昨日、一宮に参詣しました。 出発前に鎮守に「行ってきます」と言うと、「○○さんはよき方で、そなたを歓迎してくれよう」と言ってくれました。 神社の一の鳥居につくと、耳の奥が圧迫される感じがしました。 三の鳥居をくぐり境内に入ると、とても温かく穏やかでありながら、ものすごい神気と神の存在感で圧倒されました。 空間の隅々まで神気で満ちている感じがしました。 祈り始めると、御祭神から 「○○を守ってくれてありがとう。辛い思いをさせてすまない。苦しい役を負わせてすまない」 私は驚いて胸が熱くなり、涙がこみ上げて苦しくなりました。 昨日は家を出る前に、急にお腹がゆるくなり、一気にスッキリしました。 ひかりさんのおっしゃるように一宮はとてもパワフルで、神気に満ちあふれていました。 |
5年前にひかりさんに初めてオーラの色を見ていただいた時は、赤色でした。 それが、1年前の時はグリーンになっていました。 この間、公私ともにいろいろな困難があり、体調を崩したりもしましたが、 周りの人に助けてもらいながら立ち直ることができました。とても必死だったのを覚えています。 心や魂の成長は常に意識していますが、振り返ると、一生懸命自分の人生を生きることが魂の成長にもつながったと感じます。 祈りを続けていると、試練試練の連続ですが(カルマ出し?)、試練は必ず乗り越えることができ、 |
霊の祈りを申し込もうと思った日から不正出血が止まらず、体が重くて仕事をするのが大変でした。 一週間ほど、出血していたのですが、今まで不正出血をしたことなどなかったので、このまま止まらないようでしたら、検査してもらわなくてはいけないと考えていた時に、霊の祈りの資料が届きました。 すると出血が止まりました。 浄化だったようです。 私は実家の新築に伴い現在の場所で暮らすことになったのですが、近隣の様子もわからないこの土地で暮らすのが怖いと感じていました。 その為、初日から1週間ほどの参拝はこの土地へのご挨拶のみを行いました。 2週目からは神社の参拝の作法の一部を外して1週間。 3週目からは作法のすべてを行うようにしました。 参拝を続けるととても体調が良くなり、重かった体もすっきりと体調も良くなってきました。 3週目から21日間参拝を続けました。 昨日は鎮守の神社のお祭りでした。 すると近所に住む会社の同僚から“今日は神社のお祭りですよ♪”というメールが届きました。 その日は開かれた神殿で参拝させて頂きました。 鎮守の神社の参拝が終わる頃、会社の近くの氏神様への参拝をはじめました。 こちらでも参拝するとまた、羽黒トンボが飛んでいました。 私は会社が合わず体調を壊して現在の会社に就職しました。 私は長い間、間違った霊性の道を歩んできてしまいました。 |
参拝中、身体だけは丈夫でここ数年、体調不良、風邪もひかなかった私ですが、突然、ひどい鼻水、咳、頭痛などでビックリする事もありましたが、参拝を中止する気にもとうていなれず続ける事ができ本当に感謝です。 まだまだ魂の成長ができずに神様の前で涙する事も体感することもできないですが、まだまだ参拝、気持が足りないと逆にはげみになり、続けて祈ってます。 もっともっと神に近づきたく、心の成長がしたく、次のステップに進みたいと思ってます。 |
祈りを始める2日前 家族が風邪を引き、仕事を早退しました さっそく浄化が始まったようです 1週間 会社を休み、2週間 風邪薬を飲んでいました 私も熱が少し出て喉も少し痛くて3日ほどだるかったです 1日目 女郎花(オミナエシ)の効能 女郎花に対して男郎花(オトコエシ)という花がありました 祈りの初日のメッセージは これから浄化が始まるよ、 といったところでしょうか 鎮守神社に行き祈りました 2日目 時間は昼の2時過ぎだったので暑くて暑くて 祈りを唱えることに夢中になりすぎないように 最後の祈りを読み始めると突然 一匹のセミが あぁ きっと神さまが 3日目 スーパーは鎮守神社と目と鼻の先です 神殿の前に立つと男の人の声で どうやら 毎日祈りに来なさい ということみたいです 胸がいっぱいになったので 4日目 祈り中身の意味がまだよくわかりませんが 「自分の親もいつかはご先祖さまになるんだなぁ」と 自分のインナーチャイルドを癒すことは そろそろ親と子の学びから解き放たれようとしている だから そんな風に考えていくと 5日目 『よく来た』とまた声がしました 祈りの意味を現代語訳で調べて読んで見ると 本当にそうだなぁ と染み渡る感じがしました 当たり前のことだけど当たり前のことが 6日目 一緒に祈ってくれているのかな 今日は社のまわりをぐるりと回ってみました 祈るのが何となくクセになりそうです 7日目 今日は 『よくきた ご先祖もよろこんでおる』と声がしました 祈りが終わっても何となく帰りたくなかったので すると立ちながら瞑想が始まり それは本当に気持ちが良くて 8日目 あまりのタイミングのよさにニヤリと笑いました 今日はちゃんと 祈ったあとで 立ったまま瞑想しようと目をつぶったとたんに 神社の中に誰も人がいないのは 9日目 神殿の前まで来ると あらら ねぎらってもらいましたよ 祈っている間セミは鳴いていなくて 暑いけれど風がピューピューと吹いて ありがとう 10日目 神殿の前に立つと今まで一番胸がいっぱいになって 祈りの途中まで一匹だけセミが鳴いていました 11日目 祈りが終わったら 帰り道 歩きながら・・・ 父方の母の生前のふるまいが 祖母がいきなりそうなったのではなく 私の代でそのトラウマ カルマは終わりにしよう そこまで思い返したあと 「よーし 〇〇家 待ってろよー 祈ってやるー」って 自宅で瞑想中に誰かでてきました 誰ですかとたずねると 若い男性で 『一緒に瞑想する』 と言って 私の左側に座りました その次は繋がりのある他の高次の存在たちが 瞑想の後 13日目 夜 スサノオが現れて 私はそういう気分じゃないし 天照大御神に声をかけて 大天使ミカエルを呼んで 14日目 15日目 18日目 カラオケボックスでエコーを聞かせて 19日目 最後に『また来るがよい』と声がしました 20日目 祈りが終わって本殿に背中を向けたら 振り返って ありがとう 21日目 おぉ 私がひめさまだったことを知っているとは・・・ 境内の中にお稲荷さんの小さい社が置いてあります 本殿の中からは 21日の祈りの修了をお祝いしていただきました 祈りの20日目で 退会を決めた後 これは祈りの効果として これからのことについて 3つ 今後も これまでは そして |
祈りを続けていると、困難があっても必ず前進するのを感じます。留まることがないというか…現実問題に対しても成長のスピードが早くなった気がします。
次々に課題が降りかかってくるのですが、課題があって止まっている時も、鎮守は同情してくれますし、祈りを始める前よりも解決が早まってます。 そして、全てのことは神の意思による成長の糧で、辛いことも悲しいことも乗り越えることができるんだと思います。 とにかく、神と共に生きるとは本当にすごいことだと感じています |
心身ともに疲れ切った日、鎮守で祈っていると涙がぽろぽろ出てきました。 鎮守も「大変だろう、かわいそうに。辛いのは分かっておる。頑張っておる。いつでも応援している」と励まして下さいました。 |
1 あいさつ 自分の力で自分の魂や現実社会を変えていきたいと思い、祈りを始めました。途中、いろいろなことが起こりましたが、とても貴重で勉強になる経験ができました。神様のことや、自分や先祖の過去や過去世にまつわる様々なことを振り返るきっかけを与えて下さったひかりさんご本人と、ひかりさんとの縁に、まずは一言感謝申し上げたいです。ありがとうございます。 2 レポート (2)詳細 ・第2週(参詣7~10日目) ・第3週(参詣11~16日目) ・第4週(17~20日目) ・第5週(21日目) ・その後(22日目) (3)感じたこと いろいろ考え、スピリチュアル教室や本を読んでいるうちに、イライラする人たちについて、彼らから「自分を愛して、認めて」という心の叫びが伝わってくる気がして、苛立ちは静まり、同情するようになりました。このような心の空洞は、自分で自分を愛したり認めたりすることで埋めるのが良いのでしょうが、彼らはそれができず、他人からの愛や承認を求めています。でも、それでは永遠に心の空洞は埋まらないのでしょうから、彼らの苦しみは癒えないんだな、と思うと、彼らの放つ誹謗中傷にも冷静になれます。自分からの愛や承認が得られず、他人に求めて、それも得られないから他人を攻撃して、他人からも嫌われる、という構造は、ジャンクフードを食べて栄養失調になり、空腹が満たされずにまたジャンクフードを食べて体調を崩す、といった悪循環に思えます。この構造に本人が気づかない限り、苦しみは癒えないような気がします。 深い深い愛情や大きな愛情は、自分がそれを与えることができたり、逆に与えられたりすると、他には何もいらないような満足感があります。心というよりは、自分の本質(魂や霊)が喜んでいるのを感じます。私はそういう満足感を、子供のころは感じていて(まさに深くて大きな愛情を与えてくれる人がいました)、とても自由でした。それが感じられなくなって、苦しみや孤独を感じ、万能感がなくなりました。大人がよく持っている利己的な愛着や一時的な恋愛は、子供のころに感じていた愛情とは呼べないもので、それはいくつ集めても満足することはありませんでした。そういう空虚な時期を長く過ごしてきた気がします。 3 最後に |
レベル4に進んだ時にはちょうどスピリチュアルレッスンと供養代行を並行してすすめていたので、浄化がきつくなるのを避けるために、祈りには手を出せないでいたのでした。 そしてインナーチャイルドが癒され始めて、幸せな時間の方が多くなった時、供養をするのが億劫になってしまったんです。 浄化がないとこんなに楽なのか~、とわかってしまったので。 それで8ヶ月間、先祖供養以外は休んでいたので、とても調子はよかったのですが、新しい家が建って、この土地に戻ってきたら、ラップ音が頻繁にする、左手がしびれて動かない、となんだか祈りを再開するように催促されているように感じて、またちょうど家族の結婚式があり、父を許せない自分がまだいることを思い知り、祈りをしました。 浄化は精神的に毎回きつかったです。(といっても、大事にはならないので、ずいぶん軽くなったと思います。) 「供養をすると、その相手のいる場所の波動をダイレクトに追体験することになるんだね、やっぱり。 父への祈りでは、怒りを感じました。 「祈りに加えて、インナーチャイルドへの祈りを同時進行してたら、昨日ものすごいいらいら、怒り、それから太陽神経叢の痛みがひどくて、周りに迷惑かけたし、わたしの体もずいぶんダメージを受けた。 それで、昨日は両方とも祈りを休んで、今日は○○だけにした。 昔にはもう絶対戻りたくないよ。 でも、祈りは無理せず、ひとつづつ、地道にやっていく。 夕方陽もくれた頃にやっと自転車乗ってお参りしてきたけど、緑をずっと眺めながら走ってたら、胸の痛みがいつの間にか消えてて驚いた。 「昨日のインナーチャイルドの主張は、やりたくないことをやらされた怒り、恨み。 母への祈りをしている期間は、批判や愚痴がいつも頭の中をめぐっていました。 この頃、阿部敏郎さんの『いまここ』というスピ系のブログをたまたま読み始めました。 今のわたしの理解。人は何者でもない。同じ人に対して、この人怖い、と思う人もいれば、この人いい人だな、と思う人もいる。 夫への祈りでは、恐れと、愛を得られないことへの不満を感じました。 相手が恐れの中で日々暮らしていること、母親から得られなかった愛を手にいれようと努力していること。 「ときどき目にするんだけど、独特の気持ち悪さを感じさせる人がいる。 こんなに自分を犠牲にしていろいろやってあげてるのに、なんで愛してくれないんだ、っていう不満や怒りがうずまいている。 「これ、ほんと巧妙だねえ。 かわいそうな人、苦しんでる人を見ると、助けたくなるんだよね。 はじめからかわいそうな人も、苦しい人もいないし、 今日ずっと変でね、なんか人の心配ばかりしてたり、人を助けなきゃ、ってその思考に占められてて、心がざわざわして、そわそわしていた。 助けなくていいよ。 相手をカワイソウと思うことは誰のためにもなってないね。 これまでの分析方法みたいのが染みついてて、分析すれば問題に対処できると思い込んでる自分がいる。 これ前から思ってたんだけど、人を見た時に、たとえ不幸に見えたとしても、不幸な人だ、と認識しなきゃいい。 思考を使うなら、それが正しい使い方だよ。 この頃、ロンダ・バーンの『ザ・パワー』を読みました。引き寄せの法則の本です。 「ザパワーを読んで、どうしてこれを知らなかったのか、って、いや、何度も他の本で目にしてきたけど、こんなに腑に落ちたのは、今回が初めてだったんだ。 人への不信感が、恐れにも恥ずかしい気持ちにも根底にあって、人から嫌な目に遭わされたから、警戒して信用しない、って状態になったわけだ。 祈りをやって、もう強制的に祈って祈って、それでも怒りや憎しみや批判非難は日常的にやってしまってたから、効果は半減していたんだろうけど、ホントにわけもわからず祈り続けて四年。 おもしろい。 子供への祈りをしました。人への恐怖が根強くて、それがいつも頭の中にありました。 この頃、セドナメソッド(手放す手法)の本を読んで、取り組みました。 受容や平安といった良い感情がわいてきた時も、それを手放すのですが、「そんなの手放せるわけない!手放したくない!」とそれらの心地良い感情に強く執着している自分がいて、手放すことに抵抗しました。 自分が相手や物事をコントロール(支配)したいと思う欲求を手放す時も、「そんなの手放せるか!コントロールすることやめたら、めちゃくちゃになっちゃうじゃないか!」と強く抵抗する自分にも会いました。でも、しばらくしてもう一度質問してみたら、「う~ん、確かに、手放しても大丈夫かも・・・。手放せるかも・・・。」と思いなおし始めている自分がいるんです。支配する子供の反応がおもしろくて、不思議でした。 それと同じ時期に、阿部敏郎さんが提唱している瞑想を伝授してもらいました。 心の面でも変化が起きました。 愛を渇望している自分。やりたくない事にやらされてものすごく抵抗を感じている自分。愛を得るために、やりたくないことを我慢してやっている自分。 全部手放しました。 愛を手放しました。 愛に執着するのをやめました。愛が得られなくてもいいと思いました。 手放して、ただ自由になりたいと心底思いました。 「さっき瞑想したら、まわりの人間はみんな敵だ!!っていう意識が浮かび上がってきて、安全欲求だな、と思って、解放のワークやってみた。 最初、まわりは敵だ。人は危険だ。自然だけがいつもただわたしを受け入れてくれた。という認識ばかりがめぐって、だから、わたしは危険にいつもさらされている、だから、わたしは安全ではない、だから、周りを警戒して周りをうかがってびくびくして自分を自分で守らなければならない、という結論にたどりつく。 そこまで考えついた時、わたしが『わたしは安全でいたくない。』 と思ってる自分に出会ったんだ。 そんなの関係ね~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ・・・いつもこんな感じで、今まで構築されてきた概念が、それこそばらばらのパズルのピースになって、ひっかきまわされているような日々でした。 弟への祈りでは、足がしびれる症状、姉への祈りでは、全身に湿疹が出て顔が真っ赤になりました。 お彼岸の頃は精神的に本当にきつい時期でした。 子供に対する怒りが今出てきてる。 そういう子供が、被害者意識の中で生きてることはわかっている。 「人間として生きてたら、もう先がないとわかった。 でも、人間やめればいいんだ、って思った。 よく、難病で身体が奇形になっちゃった人とかがこうなってよかった。って言うんだよね。 「○/○○ごろからものすごく精神的にきつくてきつくて、久々辛かった・・・。 とにかくやることなすことみることきくこと全部怒りの対象になって、あまりの激しさに耐えかねて、人間やめよう、細胞として生きよう、って、自我や感情を自分から切り離そうとした。 だって、一番いいのはあの世だもん。 そんなこと考えてて、夜、外国人のJPOPカラオケコンテスト(のど自慢ザワールド)のテレビ観て、そこにアフリカのマサイ族の戦士と、ケニアの女性がいて、そのあまりの笑顔と純粋さにうたれた。 あれ見てから、なんか歓びのイメージが身体に入ってなんか変化が起きたみたいで、ハートがよみがえってきたんだ。 起き上がれ、何度でも起き上がれ、何度打ちのめされてもおまえがマリオである以上、本体である愛は死なない。 子供への祈りを再度やって、次何を祈ればいいのか思いつかなかったので、ひと月いっぱい休んでいました。何をやっていたのか、記録がないので覚えていません。 「今日の供養は、胸によく響いた。 今ね、また違った感情が出てきてる。 春休み終わって、桜がとにかくきれいで、植物がいっきに芽を出して、あまりの美しさにくらくらするようで、頭おかしくなっちゃうんじゃないか、って思った。 最近特に心臓が痛い時がある。 「先週まで胸がすごい痛くなることあって、自己否定や自信のなさに悩まされてたんだけど、祈りを一通りやって、5か月やって、新しいこと始めることにして、供養終りにしたせいか、今日はおそろしいほど平和。」 「桜が好き、なんてもんじゃない。 「家業の子供たちは、みんなちゃんとしないし、遊んでたり話してたり、これでいいのか、って思う。 こんなぐらいで、ちょうどいいのかもしれない。 たまたま見かけて気になって、ホ・オポノポノの本を読みました。 他人のことまでは背負えない、それは自分じゃない、という決めつけがありました。でも、100%自分の責任、と言い切られたら言い訳できなくなりました。 自分が教えている生徒さんたちで、特に騒いで人に迷惑をかける子供、○○会の保護者でやりにくさを感じる保護者。それから再度、家族親類に。 「人の中に入っていると、どうしてもその目の前のことに入り込んでしまってるけど、独りになると、ああ、あれは記憶だったんだな、とわかる。 その、ああ自動再生か。って自分に戻ってくるたびに、なんか、子供みたいに無邪気な存在がいるのを感じるんだ。 ホントの自分は、ほんとのことしか言わない。 なんだかでも、最近。 「この一週間、立て続けに怖い思いをして、だまされたり、裏切られたりというそういう感情。 でも、今回のびっくり事件に巻き込まれて、完全に冷静さを失ってたけど、冷静に全体を見てる人に助けを求めることができて、危ないところを救われたんだ。 でも、危機一髪、くぐりぬけた自分を見て、ああ、守護してもらったんだ、って心底思った。 確かに自分の予想がことごとく裏切られて、ぐさりと傷つけられるたびに、肩の震えは止まらなかったけど、それでも、そのたびにすぐに回復する自分も感じていた。 生きてる限り、記憶は再生され続けるし、ハプニングも事件もなくならない。 傷つくのを恐れることはないんだって。 「最近家業の経営状態が前ほどではなくなってて、売り上げは落ちているけど、方向転換してる時期なんだろうな、という感触は感じている。 祈り始めて、21日間参拝二か所やって、この二ケ月間ずっと支払いにぎゅうぎゅうさせられる思いしてた。 税金や保険料や経費、って部分はどうしてもお金必要だけど、普段の生活、そんなお金いらないなあって思った。 自転車乗って、森の中走ると楽しいし、野菜は冷蔵庫に入ってて、何日かかけて食べれるし、納豆や豆腐は安価で健康的だし、祈ったり瞑想するのは呼吸と同じくらい、もう欠かせないものだけど、何の費用もかからない。 そんなこと思いながら、今日は久しぶりに○○寺にお参りしたくなってお参りしたら、本堂で、初めて涙が出た。 実際のところ、お金をかけなくても、というよりむしろお金をかけない方が、豊かな暮らしができる気がしてならない。 そうなんだ。 お金ってやっぱり、すごい要素だったんだね。昔から。 お金があろうがなかろうが、その人の幸せに関係ない。 「ちょっとまだ痛い記憶なんだけど、ああ、この人にとってはわたしはアウトオブ眼中なんだなあ、と思う時がある。 私の中に、「自分を受け入れないで下さい。」という記憶があったからなのか、なんなのか、今となってはよくわからない。 前は郵便局行っただけで、受付の人に嫌な顔された。 これはほんとに根強い記憶だなあ。 でもね、この前資源回収で、久しぶりに会った人にスルーされて、ちょっと悲しいというか傷ついたというかでもその一方で、ちょっと嬉しくもあったんだ。 田舎とか公園みたいなとこ行って、よくきくセリフ。 でも、なんかそれはそうなるべくしてそうなってるのかな、って思う。 わたしがほんとに心を開いていたのは山や樹や川や夕焼け空や虫の鳴き声や夜空だった。 皆からのけ者にされちゃうような、排除されるばかりの暮らしをしてきて、人間の味方は誰もいなかったけど、自然はいつもただ受け入れてくれた。 皆からなんか理由もなく反発される、っていうのは、波動が違うからに他ならない。 でも、自己否定の種になってしまってた、相手にされなかった排除された拒絶されたっていう記憶が、実は全然悪い事じゃなくて、むしろいいことだったんだ、って記憶に書き換えられたことは、それは喜びだ。 わたしの波動レベルでの価値観じゃなく、物質的な地獄波動での価値観でしか説明されてこなかったから、自然とわたしは否定された。 ありがとう。さようなら。 地獄波動の記憶が再生されると、苦しい経験となって現れる。 そうか。供養や祈りで地獄波動の記憶を消去し続けたから、自分の波動での記憶が再生される余地がでてきたのか。 ※ これが内省です。 |
考えていたことで鎮守の神社に参拝したときに「意気地なしなイノリストですみません。でも、祈りは絶対にやめません。ご祭神様と共にたくさんの人を助けたいです」と祈ると号泣し、背を向けて帰っていると、静かに深い深いイメージで「守護する。」と何度も伝わってきて感激しました。
訳もわからず泣くことは時々あったのですが、言葉が伝わってきたのは祈りだして初めてのことでした。 ※ 意志しだいで、霊界側では必ず守ってくれますね。(紫野) |
霊の祈りレベル3へ進んだばかりです。 事情があり、今はストップになっていますが、始めて祈ったときは、苦しくなり「ああ~だめかも・・・」と、思いましたが、ご本尊様とご鎮守様に助けて下さいと、心で念じたら、どうにかこうにか最後まで続けられました。 翌日から、パワーストーンをいくつかセレクトしてつけて供養してみたら、まったく問題ありませんでした。 確か・・オニキス、スギライト、カンポデルシエロ、そして祈祷していただいたサンムーンストーンでした。 きっと供養を待っていて下さっている方々がたくさんいるはずだから・・・と、なぜか供養が楽しみだったのです。 |
以前もインナーチャイルドの祈りのすばらしさを実感していましたが、あまりに気持ちいいので2巡しました。 母に愛されなかった(と思っていた)私を癒していたのですが、最近の否定的な感情まで癒されました。 のちのち、以前の恋人など数人に対して否定的な気持ちが残っていていずれ祈ったほうがいいと思っていたのに |
本日、霊の祈りレベル1の鎮守神社への参拝21日が無事に終了しました。
最初の数日は、祈りの言葉を申し上げるだけで精一杯でした。 3日ほど過ぎてからは、少し祈ることにも慣れたので、祈りの言葉に気持ちをしっかり乗せて申し上げるよう集中しました。 後半に入ってからは、ご祭神様と落ち着いて向き合うことが出来るようになったと思います。 神社の雰囲気も、最初のうちはとても重く感じられましたが、参拝を続けて後半に入ると、ふんわりとした柔らかい空気に変わってきました。 いつからか、参拝を終えると、鈴が揺れるほどの風が吹いたり、絵馬がカランと鳴ったりするようになりました。 また、拝殿で祈っていると、誰かが後ろに立っているような気配がします。 最初のうち、参拝を終えた途端に、バケツをひっくり返したような雨に降られ、近くに雷が一発落ちた事もありました。 それ以降はそんなに激しい雨には当たらず、参拝中は小雨が降っても、鳥居をくぐる時にはお日様が顔を出して下さる事が多くなりました。 また、参拝に伺うと、ちょうど祈祷が始まったりということもあります。 心配したカルマ出しも、それほど大きなものはありませんでした。 また、途中で腰を痛めたり、外出先でハチに刺されたりと、身体面でのトラブルはいくつかありましたが、人間関係などのトラブルは無く、本当に有難く思います。 21日間の参拝を終えて感じることは、自分の中にある【芯】の部分がとても強くなったような気がします。 人間がどんどん余計なものを削ぎ落としていったら、最後は「祈ること」しか出来ないのでは無いか? 「祈り」とは、神様と一対一で向き合うこと、そして自分の魂と向き合うことなのですね。 今はレベル2に進みたい!という気持ちでいっぱいです。 |
レベル3は、最初は余裕かと思いましたら、結局全て祈り終えるまでに2年間を要しました。
初めての参拝を終えた日に疲れてしまってうたた寝していた時に見た夢が、「ヒッチコックの『鳥』のように沢山のカラスに襲われれる」という夢で、これが邪魔なのかなと思いました。 ここ数年の間に趣味が旅行になってきて、今度はどこに行こうかとぼんやりと考えているとなんとなく○○県の□□市に行ってみようかという気になり、行ってみたところ思わぬ経験をさせていただきました。 自分の中の感覚としては○○・□□辺りは相性が良いだろうという感覚がありそちらを信じて行ってみました。 このお寺は真田幸村の息子と娘の墓があることで知られているのですが、まず山門の前に到着した時点で何だが胸がいっぱいになり、「あれれ?」と思っていると、そこに猫がいました。 □□市から帰ってきて、鎮守に無事に帰ってきたこと、当信寺の参拝のご縁をいただけたことを報告とお礼をすると、滂沱の涙が出ました。 供養については家によって反応が違うことに気がつきました。 供養中に職場で異動があり、結果非常に忙しく心身ともにつらい状況になりました。 霊の祈りを始めて確か4~5年になりますが、未だにご神仏の声を聞いたりお姿を見たりは叶いませんがなんとなくご神仏の反応を涙で感じられるようにになりました。 私の思い違いかもしれませんが、ドラゴンアイズに「しびれは清め」とあった記憶があります。 最後になりますがどこまで出来るかわかりませんが祈りを続けていこうと思いますので、これからもご指導をよろしくお願いいたします。 |
引っ越し先の新鎮守のご祭神はスサノオの命だそうです! まだ直接参拝には行ってないのですが、神棚で参拝をしたら、いきなり涙がでてきて若々しい男性の声で「そなたへの愛は深いぞ!」との感謝の声が聞こえてきました。 間違いなく私はスサノオの命の一部なのだと感じました。 引っ越しが決まってクンツァイトが来てからのど風邪をずっとひいていて、新しい鎮守を知ってから神棚で参拝し終わるまで頭痛がしてたのですが、「カルマ出しですか?」と神様に聞いたら「そう。そなたを思って(こういう)だし方をした。」と言われました。 私はメンタル面で出されるよりホントに体が丈夫なのでこのような出され方に感謝いたしました。 また今日今の鎮守に今までの感謝をしにいったら、涙がでてきて20代前半の武将の格好した神様が見えました。 また今日新しい住まいの鎮守を調べていてNTTで聞いたらなんと間違って職場の鎮守を教えられました! かなりのご老人の神様が見えて感謝されました。 今の鎮守もずっと年配の神様が見えて、今日の参拝で若々しい神様になり涙があふれたので今度もこういう感じかもしれません。 愛は深い。のホントの感覚がまだつかめないのですが、楽しみな引っ越しになりそうです。 |
神奈川に移ってきました。 地図は買ったのですがまだ新居の鎮守は分かりません。 そこで神奈川の一ノ宮の寒川神社様に先ほどご挨拶をかねて参拝してきました。 祈りもびっくりする位スラスラ唱えられ意外と神奈川とは相性いいかもと思いました。 参道での帰り道、私はもうすぐ人生の後半に入るのですが、カルマはほぼ終わって後半に向けて徐々にごほうび的な人生が始まるのかなと考えました。 神様も喜んでくださってると思うと喜びもひとしおです。 ひかりさんとのお付き合いも16年目を迎え、ひかりさんのアドバイスがなければ人生の中年以降は私は穏便に生きるのは難しかったと思います。 最近思うのは現実生活が即祈りだというようになってきたことです。 これからも頑張ります。 ※ 神奈川へようこそ! 寒川さんへ参拝されたのですね。 人生がどんどん発展して行っているようで、本当に良かったですね。 紫野 |
昨年の5月からレベル2をスタートしました。 当方、霊感はあまりないタイプです。 鎮守参拝は月~金曜日の帰宅前に毎日行い、先祖供養と神棚の祈りは、月~土曜日はどちらか一方、日曜日は両方行いました。 *鎮守参拝は、最初の頃は神社に行くと他の人がずっとおしゃべりしていたり、何だか不審な感じの人が居たりして落ち着かないまま祈りを捧げていたのですが、続けていくうちに、私が祈りをする時には他の人が来なくなったので落ち着いてできるようになりました。 参拝を続けてしばらくすると、後ろから誰かに見られているような気がしたり、隣に誰かが立っているような気配を感じました。(神様からのお言葉を頂いたり、涙が流れたり、は今のところありません。) そして祈っていると、頭頂部と眉間のチャクラ?がじんわりとした感じがすることが何度かありました。 *先祖供養は、最初はお供物などの支度が大変なので、面倒に思うこともありましたが、続けていくうちに、今日は供養しよう!と思ったらすぐに実行できるようになりました。 最初は声がかすれてお経が上げづらいこともありましたが、(特に父の家)続けていくうちにだんだん楽に上げられるようになりました。 そして10回に1回位は涙があふれました。お経をあげていると、部屋の時計がカチッと鳴ったり、ろうそくの炎が勢いよくなることが何度もありました。 1年経ちますと、祈りの資料に書いてありました通り、ご先祖様もだいぶ落ち着いてきたようで、「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」と言われているような気がします。 *神棚の祈りでも、祈りの途中に時計がカチッと鳴ることが何度かありました。 *墓参は、そんなに頻繁に行けませんでしたが、行くといつも蝶が飛んできました。 *カルマ出しと思われる出来事もいくつかありました。 自分以外では、会社の人が何人も急に体調を崩したり、入院したりしました。(自分の仲の良い人も、苦手な人も両方とも) *祈りを1年度続けて変化を感じたことは、まず天然石が以前よりもキレイに見えるようになったことです。(祈ららさんで求めたものでないものも、何かしらパワーが出ているのが何となくわかるようになりました) |
霊の祈りレベル2を始めて3年になりました。 その間何度も中断してしまいましたが、もうやめようと思ったことはありませんでした。 続けたいけど続けられない、体が思うようにいかない、心が安定しない、そんな苦痛のなかで、とうとう仕事を退職する事になってしまいました。 このレポートを書いていて気づきましたが、レベル2を申し込んだ数ヵ月後に、退職していました。 祈りは順調とはいえませんでしたが、少しずつ進んでいる実感はありました。 このまま、自分の足で再び普通に歩める日が来るのだろうかと、不安と焦りが頭をよぎりましたが、いまは「静」の時だと、割り切って、今できることに集中することに決めました。 それでも、お墓参りでは、「和解」というメッセージをいただいたり、途中で引き返すこともなく、ちゃんと参ることができました。 鎮守さまとの会話では、最初の頃は、進みたいという私の願いに「まだじゃ・・」とたしなめるようなメッセージをいただいていました。 1度、わたしがすごく凹んでいた時は、厳しいお叱りもいただきましたが、突き放された・・・という感じではありませんでした。 最近祈りを再開して、また聞いてみましたら、「進め」と一言、言われました。 そのあと、つい先日も、「もうよい、そなたの願いは聞き届けられた、もうよいぞ」と・・・とてもお優しい波動で、ここまでよう頑張ったな、というような感触を受けました。 先祖供養も、再開してからは、まるで神社参拝でもしたように、清々しくさっぱりとした気分になれました。 なんとなく、なにかが変わったな~と、そんな感覚にさせられました。 そろそろ次に進むのかな~と思いながら、祈ららのHPを訪れて、レベル3を読んでいたら、ぐっとくるものがあり、ああ、もう時期が来たんだと、感じました。 神仏との繋がりが持てるということが、こんなにも素晴らしい事なんだな~と、最近つくづく感じております。 まだまだ、時には厳しい試練を受けるときがありますが、きっと私なら乗り越えられる、という、神仏さまの期待度が大きいんだろうな~と、前向きに受け止めていこうと考えております。 |
レベル4の祈り、ぼちぼちというかやっと重い腰をあげインナーチャイルドの祈りをしていますが、やっぱり祈ららの祈りはすごいですね! 祈り始めたと同時に号泣です。 普通はほかのところ(よそで見かけるなんとか療法など)でワークをしても、こんなに簡単に自分を癒すことはできないのではないかと思います。 自分自身だけで昔の自分と向き合っていたときでも、時間をかけて思い出してやっと心の氷が溶けて号泣という感じだったのに祈ったとたんってすごいです! もちろん以前自分自身で癒してきたせいもあるとは思いますが、昔のことを思い出したわけでもなくただ祈っただけなのにこんなに涙が溢れるなんて、いつも供養をしてる相手の方はこんな感じなのかなぁとうれしくなってしまいました。 |
レベル3では、日々のスケジュールも考慮して淡々と過ごさせて下さいと願いつつ、さっくりと進めさせていただきました。 また、私の場合、これまでの人生で既に大方出尽くした感があるので、大事にはならないだろう、という気持ちもどこかにありました。 完璧ではありませんがなんとか進めまして、本人はレベル4を早くやりたいと願っています。 なんというか、やはり全体的には有難いなあ、と思いました。 *途中、風邪に似た症状で結構しつこいのがでました。 *私は腎臓が慢性的に弱いのですが、それをしっかり意識していたら、今では少し楽になったというか、、、あまり気にならなくなりました。 少し良くなったようです。 *一時期、過去に嫌いだった人、苦手だった人、問題のあった人などが次々に思い出されたのですが、ある人は当時の苦々しい思いのままでしたが、ある人は想像(空想)の中でごく自然に仲良くしているのです。 *また隣人で、何十年の問題人物(大迷惑人間)がいつの間にか入院していました。 *ご先祖様のことが思い浮かぶ時は、「ああ、辛かったね。でもすごいよ、そんな時代のそんな状況を生き抜いてすごいよ、今度はいい時代に生まれてくださいね。」 と祈ったりしています。 *レベル3の途中から断捨離がマイブームになりました。 |
会報は、読み始めたら一気に読みますが、祈りと同じで止まるとず~~~~っと止まってしまいます。 祈りは再開しても、会報はず~~~っと止まっていました。 しかし、最近また読みたくなり、はまっています。 一瞬、もっと早く読んでいれば・・と思いましたが、すぐに、いや、「今」だから理解できるんだと、納得しました。 ここ2.3日、朝が起きれなくなり、おかしい・・・・と考えていましたが、日記をつけていて気がつきました。 会報は、何度読み返しても、その都度新しい発見があります。 |
霊の祈り1の鎮守参拝21日間が無事に終わりました。 霊の祈りを申し込む前にカルマが多いためでしょうか、まず1週間自分で神社に通ってから霊の祈り1を申し込みました。 祈りを申し込んだ翌日に職場でカルマ出しと思われるトラブルが起こりました。 21日間は参拝している時は長く感じられましたが終わってみるとあっという間に終わりました。 |
数日前、お墓参りに行ってきました。両親ともに他県(お隣り)の人なので、いつも1日がかりになってしまいます。 なので、頻繁に行くことができず、ずっと行きたくて気になっていました。 行く前は、体調がう~んな感じになってきたので、「邪魔が入ったか・・」と思いながらも「大丈夫♪」とあまり気にせずに出発しました。 最初は父方から・・お参りのあと、珍しく気分爽快になり、先祖が喜んでくれている感覚がしました。始めてのことで、こっちがびっくりしましたが、ぼんやりと「和解」という感覚が生まれました。 許して下さったのでしょうか?・・・ 続いて母方のほうへ車を走らせていたら、段々と具合が悪くなってきてしまい、「やっぱり邪魔されてる?・・・大丈夫~♪明日は休み~♪」と能天気に走っていましたが、首や肩や目が辛くなり、途中で休憩しました。 母方のお参りも無事に終わり、掃除をして帰りましたが、あれほど体調が良くなかったのに、帰りは絶好調!!でした(笑) 何となく、認めてもらえたのかな・・許してもらえたのかな・・というような、穏やかな感じをうけました。 なんだか嬉しくて、こんな日がくるんだな~と、しみじみと感じています。 |
ご鎮守様での、神様との対話なんですが、ボチボチメッセージをいただけていまして・・・
今日、それとなく、私の仕事始めはいつ頃なのかな~と心の中で、独り言のようにイメージをしてみましたら、「まだじゃ・・」とお返事をいただきました。 どうやら、まだ私の準備が整っていないらしく、「私がまだ未熟だからですか?」と問いかけると「そうではないのだが、まだなんじゃ・・」と、私の気持ちは痛いほどわかるけど、まだなんだよ、こればかりは私にもどうにもしてあげられないのだよ、という、とてもお優しい気持ちを、波動を感じました。 私の日常で、中々動けずに、毎日だらしない日々を送っていることを話すと、「今はそうするしかないのだ」「それしかできないのだ」と、いただきました。 私が本格的に仕事を始めれば、ちゃんと守るから、今は我慢してくれ・・・というニュアンスのメッセージをいただいたので、涙をうるませながら、ありがとうございました、と帰ってきました。 神様からのお言葉を、いただくようになってから、やっとご鎮守様と本当に仲良くなれたような気がします。 それまでは、祈っても、うんともすんとも言ってくれないので、境内の波動の優しさを感じることはあっても、ピンときませんでした。 今日ほど、祈りをやっていて良かったと、感じた日はありませんでした。 感謝です。ありがとうございます。 |
私は霊感があまりないので、参拝する度に奇跡を感じたり、涙を流したりするようなことは無かったのですが、参拝を始めてからちょっと面白いことが起こりました。
・風がうんと冷たくて寒い日、参拝の帰りには風が止んで太陽が差してきた はっきりと感じとることは出来ないのですが、きっと神様が静かに見守って下さっているのだと思います。 また、最近はずっと平穏に過ごしていたので、カルマ出しのためか急に人間関係のトラブルが続出したときは驚きましたが、つらい思いをしても参拝をすると神様が嫌な気分をふっととってくれたような気になり、いつも程思い悩まずにすみました。 |
まず、霊の祈りレベル1の申込みをしたその日の夜に私の大事な人が交通事故をしました。幸い彼女の車が後ろから先方の車を軽く追突しただけで両者とも怪我はありませんでした。
祈りの資料が届き、早速思い当たる神社へ参拝し始めました。大好きな出雲大社と同じ大国主命が御祭神だったり、昔源氏の方々も参拝した神社だそうで、喜び勇んで参拝しました。 最初の3日間位は参拝後体が気だるくなって頭の中がモヤモヤして調子が悪くなりました。しかし、それ以降それ以外のカルマ出しは特に有りませんでした。 毎回の参拝で必ず感じることは、参拝後振り返ってから参道を歩いて鳥居までの間にみぞおちがギューンとなってものすごく泣きたい気持ちになって、自然に深く長く息を吐き出し始めます。その後、御祭神様からテレパシーで「頑張れよ」とか「またこいよ」とか何かしら一言かけてくださいます。「あ~、汚れを吐き出してるな~」って感じがします。 そのまましばらく続き、18日目に社務所を伺って御札を頂きました。その際この神社の氏子範囲を聞いたところ、自分の住んでいる場所がその範囲に入っていませんでした。 愕然としていたところ、その夜に徐々に左足首が痛みだし、だんだん激しく痛みだしました。思い返すとその日の朝に急に立ち上がったときに肉離れを起こしていた様です。その後2日間仕事を休んだりしましたが、何とか治りました。たぶん本当の鎮守様から叱られたんではないかと思います。 気持ちを改めもっと近くの神社を調べて行ってみると、案内板に現住所が氏子範囲であると書いてあり、通う事にしました。また最初から21日間やり直しです。 初日参拝して祈ると、トゲトゲしい雰囲気を感じました。やっぱり怒ってるんだなぁと思いました。 2日目参拝後、鎮守様とお伊勢様のお札をいただいて、その足で神棚を購入して帰りました。3日目祈った後内陣の鏡の方に目を向けると、50~60歳代の男性で昔の位の高い人がするような髭を生やしたふっくらとした顔立ちの人がニカ~~ッて笑った顔のイメージが湧いてきました。思わずこちらもニカ~~ッてなりました。許してくださったんだと思いました。 この神社の御祭神様は、この前通った神社と違い、殆ど言葉は送ってきてくれませんが、終始ニコニコしてくださっているような雰囲気を発してくださいます。自然に参拝中はこちらもニコニコしてしまいます。 その後参拝し続けても特に強いカルマ出しのようなものは有りませんでした。強いて挙げるなら日頃ふとしたときに過去の思い出したくもない嫌な思い出が浮かんできて「馬鹿だったなぁ。」とか「ダメだったなぁ。」とか考えて落ち込んでしまうことが多くなりました。反対に、日常の何気ない事に対して感謝を感じることも多くなりました。「有り難いなぁ。幸せだなぁ。」とか思って泣きたい気持ちになります。 あと、勘違いかも知れませんが、周りを浄化しているのか職場の同僚が原因不明の体調不良になったり、同じ部署内で怪我が頻発し、緊急の安全会議が開かれたりもしました。でも、裏返すと良い方向に転換しているんだと思います。 そんなこんなで色んな初体験をさせてもらいながら21日間終了しました。引き続き鎮守様とご縁を感じる以前の神社の大国主様の所にも通い続けようと思います。 今回祈りの行を始めさせてもらったたのは、本当に大大大正解でした。これからも続けていって、もっと清まっていきたいです。 |
霊の祈り2の資料が無事届き枕元に置いて寝ましたら、いきなり携帯電話が原因不明で壊れてしまいました(笑) いつもの事ながらひかりさんの力はすごいなぁ~って感じます。 |
ひかりさんの祈りを実行し始めてから占いや他の霊能師さんの事は見向きもしなくなりました。 祈りが基本と分かったからです。 嘘の様に占いジプシーから抜け出せました。 |
資料が届いたと同時に動悸・目まい・吐き気で倒れそうになり、裏の実家に駆け込んで「気分が悪い。ご飯を食べさせて」と訴え茶碗一杯のご飯と鮭を少し、麦茶を飲む。 気分が悪いので寝ころんで資料を読む。 暑いので夕方参拝する。 帰りは軽い足取り、清々しい気分。 帰宅すると食事中より睡魔に襲われる。非常に眠かった。 午後7時30分には耐えきれなくなり就寝。 体は冷えているのに掌と足の裏のみが熱すぎて寝苦しかった。 夜中2時前に起床し腹痛・下痢。線香を1本立て入眠。 翌日も起床するが怠いので横になったまま。 この日を境に体調不良は無くなり周りがざわついた様子も日に日になくなり落ち着いて参拝できるようになった。 印象深いのは21日目。 何時の日か祠の前に立つと気持ち良い風が吹き始める。 あれから仕事も入って家族も落ち着き落ち着いた日々を過ごしています。 |
祈り指導をしていただいて、本当に本当にいいお導きでびっくりしています。 とても幸せな生活をさせていただいています。 半信半疑でしたが、本当に実感しているので、信頼して先生には何度かメール鑑定して頂いています。 |
※ 上と下は別の方からのおたよりです。 |
10年ほど前に相談させて頂いたことは、おかげさまで、すべてうまくいき、先生が以前会報でお書きになられていた、「カルマが解けると、こんなに幸せでいいのかという気分になる」というのが少しわかります。
もちろん、仕事のストレスや細かい問題は普通に生じていますが、それは人生で当然のことだと思っています。 |
霊の祈り2をマイペースながら行なってきました。当初は頑張って毎日行なっていましたが、何だか私の周りにいる(?)無縁仏さんにもお経を差し上げます…といって供養(※祈ららの指導にはありませんので、真似しないでください)を始めたら、その直後から体調を崩し持病の喘息が近年稀に見るくらい悪化してしばらく自分のことだけで精一杯になっていました。 それからは申し訳ないですが、自分のご先祖様だけを指定し、供養のペースも落として行なっています。 祈ららの祈りの強さを実感したと同時に、これほど供養を必要としている人たちが多いのかと愕然とした次第です。 鎮守参拝はひところのように泣いてしまうということはなくなりましたが、いつも静かに見守って貰えている感覚がします。 逆に鎮守とうってかわって反応が強いのが上杉神社です。 この祈りを始めると次々と厄介なことが起こるのかと身構えていました、 生活と折り合いをつけながら自分のペースで祈りを続けたいと思います。 |
申し込みとともに雷鳴。翌日の雷と豪雨に濁流。 なにかこんな風に決意するときは雷の空気のときのようです。 また2日目と終了した数日後に熱もなく大汗をかきました。 また鎮守神社の宮司様方も参拝をしずかに見守ってくださり、幼子を見守るような神仏でいらしたと思われました。 終了した日、境内を出て駅までの道、祈ることができていたのだろうかと。形だけだったのか?と自問していたら、おぉ、おぉ、ようやった、と声が湧いてきました。 |
霊の祈りレベル1の初日は夏の雲で太陽が隠れていたのですが、祈り終えるとちょうど雲が切れて太陽が出たので、目を閉じて心の中で最後のお礼を言っている時に瞼の裏側がキラキラ~っと光で満ち て、なかなかいい感じできれ いだったのが印象に残っています。 (別に単純に太陽の光で他の意味はなくとも、印象としては綺麗でしたので。) 祈り自体はつつがなく、ほぼ毎日続けて通いました。 他は、祈りながら足がジンジンして来た時もありましたし、左肩が重く感じる時もありました。 また、参拝を始めてからは掃除をしたい気持ちが湧きますね。 また、不思議な夢も時々見ました。 *顔見知りの年配女性が出て来てこんなやりとりをした夢。 *非常に高齢の女性が出て来て、「ずっと寝ていたので背中が痛い。」と言われた夢。(ひい祖母さんかもっと上の人かなあ、と思ったのです。) *夢なんだけど、お経が頭の中でクリアに響いたり(しかもそのお経は普通の日本語です)、さらに死んでしまったという子供が二人でてきて「おめでとう」とか言う夢。 *鎮守で大祭が行われた夢。 *大きな亀の夢 などなど。 私は以前から体質改善のためいろいろと継続中で、中盤はそれの好転反応もあったり、雷雨が続いたりしたので少々ペースダウンしましたが、後半はまた毎日行けるようになり、全体的にはつつがなく終了しました。 期間中は父の月命日に壁飾りが落ちたり、新たな健康法を始めたり、参拝後に「天使の羽根」に出会うなど、ちょっとしたことを楽しんでおりました。 |
レベル3に進んで初めて供養した時は、どんな霊障が起きるのか想像がつかず、ものすごく覚悟を決めて、やった気がします。 結局、レベル1程、きついことはありませんでした。 終わってみて一番に思うことは、トラブル、霊障いろいろありましたが、それでも、とにかく楽しかったということです。 神社仏閣との相性の良い悪いもなんとなくわかってきました。 ただ、参拝して涙はながれませんでしたが、自転車に乗りながら涙が出てしまうことはありました。 |
暑さにやられて鎮守になかなか行けず、自宅の神棚と仏壇ではお休み中の祈り方でぼちぼちとやっていますが、生活の中でちょこちょこと楽しいことが起きるので(失敗した!と思う事が、かえってそのほうがよかったりしたり。あと、小さい懸賞に当たったり。)だれか援助してくれているかたがいるのかな~と思っています。
仏壇では何も感じませんが、神棚では、おでこあたり(みけんというか)にマイナスイオンみたいなものがサーっと来てるなあと感じたり、祈りの途中、力が抜けてふわ~っと眠くなってあくびがでたり、神様っているんだなーっと実感します。 |
レベル4の祈り、こつこつがんばっています。 現実改善の祈りはすばらしいですね! 神棚の皆さんも、この祈りを確実に応援してくれていて、効果抜群です! 自分を見つめるアンケートを見ていたら問題ばかりですが、祈りを進めていくなかでこの方に関わった合戦の供養は必ずしたいと思うことも出てきました。 まだまだ先の話になりそうですが、こつこつ楽しんで祈っていきます。 |
人生を変えてくれるのは目に見えない世界ではありますが、紫野さんが教えてくださったのは、「私が幸せになるための」一人称の救いではなく、先祖をさかのぼりあまねく命とつながった大きな救済だったと思います。
これからも、いろんなかたの不幸を光明にかえてください。 |
霊の祈りレベル2を進行中です。
なかなか順調に進まず、休みを挟みながらの祈りですが、霊障やカルマ出しに苦しみながらも、不思議と、やめたいとは思いませんでした。 悩みながら、迷いながらも、自分自身が、ほんの少しづつだけど、進んでいるのがわかってくるので、やめようという氣になりません。 人それぞれ進み方はあると思うし、早さもそれぞれ違うと思います。 私は少し遅いかもしれないけど、それでも私は私のペースで、進んでいけたら、それでいいのかなと、最近思えるようになりました。 |
私の鎮守神社は産土神社でもあります。 春分の日に祈りの資料が届き、始めるなら今だと思い立ち自転車ですぐ出掛けました。 久しぶりに来た神社は、こじんまりとしているものの境内はよく掃除されていて鳥もたくさん鳴いていて、綺麗な場所でした。 夜中に目を閉じて鎮守神社のことを考えていたのですが、「産土神社さま」と呼びかけてみたら、山吹色みたいな黄色の光のイメージが出て、その光の力がとても大きくてビリビリと体が震えました。 13日目の日、心の中の流れが急に変ったのを感じて、普段感情的に泣きだすことがないクールな?私ですが、突然うわーっと泣きだしてしまい、泣いているあいだ申し訳ない思いでした。 その後の残りの参拝は淡々と済みました。 |
祈り始めて3日ぐらいに、すぐに涙が溢れ、後の祈りボロボロでした。 その後は、祈り始めると胸がドキドキしますが、頑張って祈り続けています。 毎日朝の習慣になり、又気分爽快です。 祈り始めて、周りで思いがけない事が起こってますが、余り執着せずさらりと眺めております。 レベル2に進むのが楽しみです。 |
21日参拝の一日目は待ちに待っていた霊の祈りレベル1の資料が届いた日でした。 鎮守の場所が、その日まではっきりとはわからずじまいでした。 とりあえず以前通っていた鎮守と思われる神社で参拝を始めて、できるだけ早めに誰か区長さんのような人に直接伺わなければと思っていたのですが、なんと一日目に以前通っていた鎮守のそばで近所のお年寄りにお会いし、声をかけさせていただいたら鎮守は以前通っていたところで間違いないことを教えていただけました。 すごく嬉しくなって「これは絶対に神様がしてくださったことだ。だって、こんな一日目に鎮守の場所を知っている方に探してみたわけでもないのに、お会いできるなんて!」と思いすごく嬉しくなりました。 参拝してすぐはカルマが出ているのか、精神的に不安定になりました。 21日の参拝は、相手の状況が見えてきて気持ちも伝わってきてという場合もありますが、見えてくるけど相手の気持ちがあまり伝わってこないと感じることもありました。 また、21日の間に家族から「うるさいと言わなくなったね。」と言われました。 母とはまだ時々トラブルがありますが、他の家族に対しては自分の気持ちが少し良い方向に変わったような気がします。 |
霊の祈りレベル1を祈りました。
祈りが届いていたのか自信がないのですが、いつもは誰も行かない神社なので人目がとても気になりました。 この21日間はとにかくカルマについて祈りました。 |
21日間、レベル1の参拝を行ってきました。
最初の二、三日は、祈るのが苦しかったり、つっかえたりということが多く、神社に行くまでは早起きができて、心身ともに軽く清々しいのに対して、帰りは苦しく、体がだるい、おならやげっぷ、痰が出るということが多くありました。 五日目に、「ご祭神さまのためにわたしがするべきことはなんですか?」とお尋ねしたところ、とてもハキハキと祝詞を唱えていらっしゃる方が隣にいらしたので、自分の祈り方が下手くそなのだなあと思い、その日から祈りの文を覚えたりハキハキ言うことに重点を置くようになりました。 中盤あたりはだんだんとご祭神様の感じもやわらかく、静かなものになっていき、祈っている間、特にいろいろな映像?を見ました。 十日目に、ご祭神様にお声をかけると、別のご祭神様に「お忙しいのですよ」と言われ、「お構いなく、ただどうぞわたしを何か御為にお役立てください」というと、体を磨いてほしいと言われたので、磨くように気をお送りすると、鳥になって肩や頭に乗ってくださり「ゆきなさい」とお声をかけていただき、その瞬間に、幼いころに頭の上に鳥が乗ったという記憶が蘇ってきて、「あれは神の祝福だったのか」と気づき、涙があふれました。 十二日目、割けたご神木を見てたまらなく痛々しくなり、祈りを捧げると、「ずっと待っていた」「小さいときからずっと見ていたよ」と言われ、わたしが幼いときの神社の光景が走馬灯のように目の前に広がり、ぼろぼろ泣いてしまいました。 この頃から、このような感覚は本殿でお祈りしているときにはまだないなあ、と気づき、また、ちょうど紫野様から別件の質問のご返答を頂いたころで、「想像力にアクセルを回しすぎている」自分に気が付き、祈りでもそうなっているなあと気づきました。 後半になってくると、私の祈りが終わるころ、ちょうどご祈祷が始まったりすることが増えました。 ご祭神様方との会話や映像は、アクセル全開だった中盤よりぐっと減り、最初の頃のような一言、二言だけということが増えましたが、「精進しろ」というような感じから、「祈りがうまくなったな」というような、お褒めの言葉をいただくようになってきました。 祈りを始めてから、とにかく毎日行かずにはいられない思いです。 後半のある日に、私が鳥居の前で振り返って礼をするのを見ていたカップルが、私に倣って礼をしてくれたのを見て、「よかったなあ。ご祭神様方はどう思われてるかなあ」と思った直後に、神社中から「ありがとうありがとう嬉しいよくやった」という声がワーッと聞こえて、初めてお役に立てたという実感があったので、そのような状態をいつも目指して、精進していかなければと思いました。 最初は○○○○様のような大きな神社さまのお手伝いが私なんかにできるだろうかと思っていたのですが、最近は、私が精進することで、○○○○様のお手伝いができれば、きっと何かを大きく動かすお手伝いになれるだろうと嬉しく思えるようになりました。 まだまだ毎日参拝を続けるべきと感じているので、精進を重ねながら、通い続けるつもりです。 |
鎮守の神社が○○神社さまだということがわかると、翌日からすぐに参拝に行きたくなり、毎朝通わせていただいています。 日に日に体や気持ちが軽くなっていくのがわかりますし、とても落ち着いた形でカルマが出るので、神の慈愛の深さにおどろき、ただ感謝しています。 通い始める少し前から、○○○○命さまは他の神社さまのご祭神さまよりそっけない感じだなあと思っていて、でも○○神社さまの感じは暖かいし、いつも鳥が鳴いてるし、 気も流してくださるので、そんなに関係は悪くないのかなあ、わたしを通わせるための感じなのかなあと暢気に思っていたのですが、最近になって、もしかしたらそれは○○○○命さまがとても優しいから、あまりよろしくない関係のわたしにも優しくしてくださったのではないかと思い始めました。 祈っていると必ず団体さま方が押し寄せてきて苦しい日が多いのですが、最近は末社の神さまや、□□□□命さまが、とても応援してくださっているのがわかります。 今日の参拝では□□□□命さまがアヤメの花をくださって、嬉しくて涙ぐみました。 つい半年ほど前まで「悩みがなくなるなんてことは一度もないなあ」とずっと思っていたのが、最近(特に祈りを始めてから)は、悩みはすべて「課題」に変わり、一日以上にわたって感情的に引きずることがなくなったように思います。 |
霊の祈りレベル1に申し込ませていただいたきっかけは、気功指導を受けていた方から神社への参拝を勧められたことからでした。
21日間の間に行けない邪魔が入ったり雨が降ったらどうしようか心配しながら(屋根がない中で祈りを唱えられるかどうか)でしたが、無事に終えることが出来ました。 今後も鎮守には定期的に通う予定です。 日々、参拝する中で当社の従業員に会ったことは驚きでした。 そして多くの方が朝早く訪れるのを見て、自分の常識では今まで必要を感じていなかったことを実践している日本人が残っていることを知りました。 ちょうど21日間連続の参拝を終えて夜、気功の指導を受けていた時に先生から「パワーが相当上がっている。やはり神社はいいんだねえ。」と言われました。 |
先日のお盆で実家のお墓参りに行って、祈ららの作法通りにご供養を差し上げたら、泣けて泣けて仕方ない状態になりました。 |
霊の祈りレベル1の参拝をして感じることといえば劇的に何かを感知する…というようなことはありませんが時々涙ぐんだり、最近は参拝後の帰宅途中にゲップが出るようになってきてはいるなと感じています。それと神社に行くと気分的にすっきりします。
その昔に○○県の□□市を訪れたことがあり、それ以来「ああ、ここにはまた来たいなあ」と漠然と思い続けてきました。今年の3月ころより猛烈に行きたい気持ちが強くなり、とうとう今月再訪を果たすことができました。3日間□□市に滞在し、観光の最中連日○○神社を参拝しました。行かずにいられなかったというのが正直な状態でした。 初日の参拝の時、涙がこみ上げてきて仕方なかったです。悲しくないのに心がほんのり温かいのに泣けて仕方ない。ずーっとここにいたいと思えたのは初めての体験でした。なんというか見守ってくれている人とわかりあえたという感覚でした。他の○○家関連の場所も観光しましたが、感覚的に温かく迎えてくれている感じがしました。□□市滞在中は嬉しい気持ちで過ごすことができました。 ご縁があってひかり先生の祈りの方法を教えていただくことができましたが、以前よりなんとなく自分が実家の墓守というか先祖の供養をしていかないとならないのかなという思いを抱えていました。何か足りなくないだろうかと思ってきました。 自分でなんとかしたいと思いながらどうしていいのかわからなかった時に先生の祈りにふれ、これなのだと直感しました。自分のペースで進めていきたいと思います。 |
瑞の祈りレベル1をさせていただきましたが、お腹の下あたりの重い感じが すっきりしました。 隣人との関係もだいぶ良くなった様に感じられます。 |
~瑞の祈り(レベル1) を終えて~
今日、鎮守への参拝が無事に完了しました。 私の参拝は、起床後、朝食を済ませてから、出勤前に毎日、参拝しました。最初の頃は、祈りの文が日常使わない言葉であったため、違和感がある状態で祈ってましたが、5日目あたりからは、違和感なく、そして気持ちを込めてはっきり祈ることができるようになってました。 毎日、とても充実した日を送れていました。 これからも参拝を続けて、毎日が充実した日を送っていきたいと思います。 最後に、祈りを始めてから、仕事上での悩みがなくなりました。前向きな気持ちでいれるようになったからかもしれませんが・・・。 |
祈りで得られたことは、神は確かに居られると確信がもてるようになったことです。 |
霊の祈りレベル1の祈りを始めてみると、最初の数日間は、とてもすがすがしく、何だか久しぶりにワクワクしてきてとても楽しくて、また次の日に神社へ行くのが待ち遠しいくらいでした。
参拝の中頃は、少しモヤモヤしていたように感じられましたが、後半頃になると、不思議なことに、祈る時の声が大きくなり、一語一語を丁寧にはっきりと言うようになり、と、言うより、ゆっくりはっきりと祈ることによって、自分自身の中心がとても気持ちよくて、何とも言えない充足感というか、満足感というのか、とても満たされた気持ちでいっぱいになれるんです!! こんな感覚は、初めてのことでした。 今年に入ってから、体の不調がずっと続いています。仕事でのストレスも半端ではないです。 でも、今、霊の祈りレベル1を終えた自分は、確かに祈りを始める前の自分とは、違っています。 むしろ、将来の自分がどう変わっていってくれるのだろうと、楽しみでもあります。 そして、神仏様にも、ようやく心の底から「感謝」の気持ちを持てるようになってきました。 もっともっと感謝の気持ちを持ち続けたい、もっと色んな事に、色んな人に、素直に「ありがとう」と言える自分になりたい・・・ ゆっくりと楽しみながら、進歩成長していく自分を見つめて生きていきたいです。 |
以前からお世話になっております。確か10年以上前・・・
恋愛相談にのって頂き・・・祈り指導を一緒にもらって、あれよあれよと良い方向へいろいろ進み、幸せな毎日を送っております。 |
霊の祈りレベル3をとおして感じたこと
祈りをはじめたころの私と比べて今の私は、生きながらにして生まれ変わったという感覚でいます だから、普通の人がすごく悩むことが気にしなかったり、そんなに悩まずにすんだりかなりラクな人生になっています 以前のままの私だったらこれまで祈りを通して起きてきた出来事で、心がさらに病んでいたと思います 自分が変わったなぁと実感したのは、レベル3の祈りをはじめてすぐ、夫の父方を供養した次の日、母が骨折し、そのときに主に私が母の面倒を見たのですが、私は母を殺したいほど憎む気持ちや母に愛されたかった気持ちなど、母に対する葛藤がひどかったのですが、母の事故の数ヶ月前に母を許すことができたので、まさかこんなに暖かい気持ちで母に接することができるとは思いもせず、母にとっては大変でしたが、私にとってはすばらしい体験になりました(涙)。 すべては自分がうつしだしている鏡だということが、当たり前すぎるくらいに分かっているので人や出来事のせいにせず、自分の心さえ見つめればいいので悩んでもシンプルです 恋愛や祈りを通して「自分を本当に愛する」ということが、一番重要なことだと感じていましたが、そこはだいぶ理解できたように思います レベル3になって「自分の思いがいろんなことを創造する」ということを、ひしひしと感じています。 逆に(逆にという言い方も変ですが)一般的に悪い出来事と言われることも現実になりやすくて、(出来事は中立なので私が悪い出来事と今までの価値感で判断しているだけなのですが)、自分が発する思い、言葉というのも気を付けなくてはいけないなぁと思います これは確実にそうだ。とは言い切れないのですが、知り合いになって「ああ、この人と心が通じたな」と感じた矢先に、相手の方が事故やトラブルに合うということが時々あります。 祈りのことを考えたり、祈りをはじめると、苦しませた相手の心が祈りで少しでも楽になって欲しい、幸せの一歩を歩むきっかけをつかんで欲しいと心から思います。 祈ららの祈りは今のところ一生続けるんだろうなぁと思っています。 |
初めて「神社で泣く」という体験を致しました。
悩んだ時や辛い時に、鎮守様で涙を流すような事はあっても、ひかりさんのおっしゃる「泣く」とは違うのだろうな…と、常々感じていましたので、大変、驚きました。 つい先日、仕事で○○に行った際、近くに○○神社があるのを思い出し、立ち寄りました。 実はこの神社、私の名付けをしてくださった神社で、当時の神主様は、母の師でもありました。 小さな神社ですが、境内に入ったとたん涙があふれ、なつかしさやら、安堵感やらで、自分でも驚くくらい、おいおいと泣いてしまったのです。 家に帰って母に、いらした神主様の年格好や風貌を伝えると、「先生にそっくり!きっとご家族だろう」ということになりました。 神様にプレゼントを頂いた様で、とても嬉しかったです。 |
とにかく、祈りたい、最後にゆるされるのは祈る事しかないのじゃないかって思って、神棚のあつかいと先祖供養をしたい、自分で納得いく形でしたい!とあるときから強く思い始めて、でも宗教団体に入る気はさらさらなかったし、今はインターネットという便利なものがあって、いろいろと探していたわけです。
ですが、たいがいが、お金をだして「能力」のある人にお願いするという形のもので、無能力なものは何もできないという感じでした。 そこで祈ららにいきついて、ひかりさんの人に頼まなくても自分で祈ることができるんです自分で祈ったほうがよく通じるんですよ、この言葉はほかのどんな言葉より私を納得させるものでした。 実際、今で言う「霊の祈り」を手にとってみると、ほんとのところ、最初はこんなことしろうとがしてもいいのかな?っていうくらいレベルの高いもので、少々、不安に思ったこともあったのですが、アフターフォローではとても安心できたし、今は迷いなく頑張ってます。 といってもまだレベル2で、これはちょっと長期間を必要とする感じですが、レベル2までは(それ以上をしらないので)やっぱり、最低でもやっておかなければならない内容じゃないでしょうか。 |
先日、職場の鎮守に参ると末社に厳島神社があったので参拝しました。
翌日の朝、神棚にて「厳島神社に祝詞をあげさせていただきましてありがとうございました。」とお礼を言い、そこで弁財天祝詞を読んだ後には(暖かい)号泣でした。 祈ららの祈りに出会えて本当に良かった。 |
ドラゴンアイズが届くたびに、えぐられるような気になるのですが、大きな気づきになんともいえない感慨を抱くのです。 ドラゴンアイズは何度読み返したことでしょうか。 読み返すたびに、新たな気づきと感動があります。 それは自分が少しずつ成長したことなのかなとうれしく思います。 祈ららの祈りをはじめてから、祈ららの祈りのレベルの高さと自分の幼さにうちのめされる毎日でした。 |
これはとても嬉しかった事なのですが、1週間くらい前に、カルマ出しでしょうか、携帯で知り合いに励ましのメールを出したところ、言葉を悪く取られたらしく、思いもかけないキツイ言葉が返って来ました。 そういう言葉が苦手なので、一旦、静観する事にしてそのことは終ったのですが、自分の気持ちとしてはかなり傷ついてしまったらしく、悶々としました。 相手の事を悪く思いたくないけれど、自分の中の柔らかい部分が傷を負ってしまっていて、悲しいのです。 仏壇でのお祈りでも中々気持ちが集中しないのですが、真言をあげている所で、涙がこぼれてきました。 その後すこし気分が落ち着き、祈りも祝詞を幾つかあげている所になり、初めて、十種祓い、祝詞を挙げた後に、ふと「相手の人が成長するまで、諦めずに待とう」と思えたのです。 よく先生や皆様が涙が溢れてと話されていましたが、こういう事かもしれませんし、違うかも知れません。 |
知恩院さんの有名な門が見えた時のこの感じ。 門の前に立った時確実に実感、ここに来た、今日ここのためにと。 ずっといい感じ。 友人も一日中いられる気がすると言った。 私は、すごいすごいとワクワクいい感じがうれしくて。 ここの本殿は御影堂。 本殿から、すごくいい感じ。 左方で檀家さんの供養らしきしていた。 けど、○○寺で出くわしたそれと、全くちがう。 お経もいい感じ。 小坊主さんたちは裸足。 寒そうな藍色のじんべ上下のような。 本殿の中をおそうじしていた。 おまいりの邪魔にもならない。 もう全て、お坊さん小坊主さん、一瞬にして○○寺とは全然ちがうものを痛感。 阿弥陀堂へ。 でーんと大きな阿弥陀様すわっている像。 アルカイックスマイル。 畳部がせまく、すごくちかい。 中に参拝の人がなく、私と友人一番乗りって感じで、私はまん前にすわり、あいさつをとまどいはじめる。 柵の手前に木魚がいっぱい並んでる。 私もさわっていいの? 日ごろ家の仏壇で見守ってもらって、今日は阿弥陀様につたないお経をとなえだしたら、おそうじの為と思っていたお坊さんたちの読経がはじまった。 木魚に拍子木みたいな音、ドラムみたいな音、私は目を閉じていたので、だんだん人が増えてる様子。 横の入り口がパタンパタンと開いたり閉まったり、バタバタ入ってくる音、私が見た、並んでいた木魚が次々になくなっていく。 自分のお経をやめて、ゆだねた。 すごいすごい。 お経が大きくうねり、つつみこまれ、涙々、あふれるあふれる。 私のためと思った。 私をここへ導いてくださったと。 そしてこれは私へのプレゼント(誕生?のような気もした)。 いっぱい話しかけた。 うぬぼれていいのですね。 どうしてどうして、私はまだ何もはじめてなくて何もしていないのに。 ありがたくて、ありがたくて。 今も涙が出る。 しゃがれ声のお坊さんの声。 えっ?前の木魚は小坊主さんのようなのを想像していて、目を開けた。 (多分ずっとゆだねているのがこわかったのでしょう。あとで未熟さをうらんだ。せっかくだったのにと) そしたらまん中で、無知な私でもわかる袈裟や着物、両脇の若いお坊さんがその僧が立ったりすわったりして経をとなえるたび袈裟をもってしつらえる。 まさにすごい上の方の僧。 老人でしゃがれ声だけど、いい。 えーっという人数でした。 こんなことになるなんて夢にも思ってなかったし、パタンパタンと並んでる木魚の人らが出て行き、柵の中の人らは中から去り。 呆然とする間もなく「もう閉めます」といわれ、あわてて階段へ。 ティッシュをさがし、でれでれの顔、鼻水。 |
昨日、久しぶりの休みで、朝、急に父方の墓参りに行きたくなったので、行ってきました。 墓地に入るとたくさんの、とってもたくさんの視線・・・(他の墓の方々でしょうね。。) でも、かかってくる感じはなく、どちらかというと、「いいなぁ~」という視線かな?? ゆっくりとお経をあげ、祖父母の孫であること、たくさんのご先祖様たちの子孫であることに感謝し、この祈りに感謝して、、お墓が暖かく感じます。 後で気が付いたのですが、昨日は「敬老の日」で、今日から「彼岸の入り」なんですね。 |
送っていただいた会報を読ませていただきましたが、本当に勉強になり、質問したいことの答えもあり、読み応えたっぷりです。 なにより、そこからかもし出される空気が(ホームページもそうですが)さわやかで清々しいです。 |
私は特に何も考えてない時からよく神社やお寺に行っていたのですが、ある時友達から「宇宙神霊紀」とかいう、漫画家の美内すずえさんの本を借りて、目からうろこというか・・・ 神様は本当にいて神社やお寺はただの建造物ではないって事や、輪廻転生は本当に自分にもあるという事、エネルギーという言葉の意味や、石や音や光が似たようなものであるという事などを初めて知り、今まで「綺麗な場所やね~」とか「かっこいい建物やわ~」という風にしか思っていなかった神社やお寺が、本当に神様がいたりする場所だったなんて・・・と、何とも言えないショックを受けました。 神聖な場所は、本当の意味で「神聖な場所」だったのか・・・と。 それまでは神社やお寺にまつわる話を、おとぎ話的に捉えていました。 これは新発見!みたいなノリで周りの友達に話すと、信じない人と、そうでない人や前から知ってる人とキッパリ分かれたので、それにも驚きましたが、前から知ってる人やなんとなく私が言ってることが解る人たちがそんな話に関する本を貸してくれたり買ってきてくれたりして、みんなが「読んでみて」と。 それから私は神社やお寺の神様に、すごく興味を持つようになって、敬意を払うようになって、きちんとあいさつとご縁を持てた事の感謝を言うようになりました。 色々回るうちに、真言と般若心経と祝詞に興味を持つようになりました。 たぶんあの言葉たちは、神様に一番伝わりやすい言葉なのだろうと思いました。 お坊さんや神職の人たちが羨ましくなりました。 私は神様にお願い事を聞いてもらったり守ってもらったりしてるから、ちゃんと伝わる言葉で感謝を伝えたいって思うようになりました。 あるきっかけで、不動明王さんと大日如来さんの真言は覚えました。 般若心経はどこでも唱えられているので、いつかは覚えようと小さいものを持っていて、たまに目を通していました。 で、ひかりさんの祈りの言葉はどんなものかと、ずーと気になっていて、何か決まりごともあるようで、続けられなかったら怖いとか、色々考えていましたが、まずレベル1をしてみて、無理そうならその時考えようと決心しました。 で、届いた祈りの言葉を見て、「あ~ホンマに基礎っぽいわ~」と、これならできる!というか、ぜひやりたい!と思いました。 真言をサンスクリット語で読むようにしてたりとか、なんかすごく細かな気配りで好き!って思いました。 私は、神様に届きやすい言葉が知りたかったので、ぴったりです! |
先祖供養を始めてから何となく感じるのですが、誰か供養を強く望んでいる人の存在が私や私をとりまく状況を先祖供養の方に導いているように思うのです。 これは私だけでなく他の方々にもよくあることなのでしょうか。 それが誰なのかわからず戸惑っています。 |
今は、参拝がとても楽しい! ただ、今参拝したほとんどの仏閣で、相手ご本尊様から、「驚き」(現世御利益を願わない祈りに対して、また、何故お前(私)がこのように祈るのか?)や「とまどい」(同じ)、「感謝」「喜び」のような気持ちを感じます。「怒り」などの感覚は今のところありません。 |
ドラゴンアイズのバックナンバーを毎晩読んでいます。 で、毎晩、どうしようもない眠気に襲われて、はうようにベッドへ・・・紫野様の「エネルギーアタリ」というか、高い波動を感じます。(朝起きると、スッキリしているので) |
夫のご先祖のお墓参りに行って参りました。 次男がお祈り中に大きなげっぷをしましたので浄化のしるしかなとちょっと思いました。 お参りの帰りに墓地から出ようとしたとき先を歩いていた次男が「今、風と握手したよ」といいました。 「きっとご先祖様が感謝のお祈りを聞いてくださったんだね」と話しながら帰りました。 今、そのときのことを次男に聞いてみたら、「2回も握手してくれたよ」「キスもしてくれたよ」「後ろから追いかけてきてしてくれたよ」「涙がでるほどうれしかった」「○○おじいちゃんだと思うよ」「ほかの人もきてくれて握手してくれたよ」「にいちゃんとも握手してたよ」「にいちゃんが気づかないから『あれー』とおもったよ」「かあさんのところにも来てたよ」「3回なみだがでそうになった」と言うのでびっくりしました。 |
体のいたみを、祈り続いてた頃、楽しんでいた。 ろっ骨は、胸がいたくて(何をするも)いたいいたいと自分の声で目がさめてたかな。 神棚で一つ一つのいたみの所で苦しんでいるであろう方々に祈って、幸せになって下さいと、それを願って祈りました。 どうか御光をと。 痛みがゆるむにつれ、うれしくてネ。 それにまつわり、いろんな人と出会って、自分の成長とともに出会う人もステキになっていくのが、よくわかる。 |
祈りコースを申し込んだ頃は咳が酷く、なかなか神社へと通えませんでした。 家族も不調になる者が出ていました。 元々今年に入ってから神社へと通う日が多く、日頃のお礼などを伝えに行っていました。 神社参拝方法の用紙を頂いて、実際神社へと通えるようになった頃、何番か省いて祈りを始めて良いと書かれていたので、2回程行って様子を見ていました。 何とか大丈夫そうかなと初めて見た所、仕事が急に決まりまして、それも中学生の頃からやってみたかったお仕事なんです! 1日祈って1日休みを繰り返していたのですが、病持ちの伯母が再度入院したり、私も10回ほど祈ったある日お客様を怒らせてしまったり・・。 ですが、これを気にこの方と仲良くなれるのでは?と思っていましたら、本当にその通りになりました。 お仕事前の朝や(8時半頃)お休みの日の午前中に祈りに行くことがあるのですが、不調が続くと2日間お休みになったりします。 その時は、「お休みが続いて申し訳ありません」と伝えてから祈るようにしています。 不思議な事に、たった今まで無風だったのに、祈りを開始した途端風が吹いて来たり、祈りが終わって振り返った途端絵馬がカランと一斉に鳴ったりしました。 2日連続で祈った事があったのですが、空気の流れが変わり、やはり1日おきに祈った方が良いのだなと感じました。 ですが、その時神社では「良くぞ来た」という声が頭を過ぎりました。 そして祈りを始めて数回してから不思議な夢を見たのです。 私が2日間祈りを休んだ時に見た夢です。 神社へ行く夢を見て神社の裏の森に私がいるのです。 そこで私は誰かに憑依をされ口が動いたのです。 「どうして人は勝手な願いばかりしに来るのだ。どうしてこの子のように祈らないのだ・・。」と。 周囲にいた人間は驚いて皆去っていくという夢でした。 これは祈りに関係しているか分からないのですが、母が私を今呼ぼうと思っていたという、呼ばれる声が聞こえるのです。 「○○」と呼ばれたので「はーい」と返答して母の所に行くと、今呼ぼうと思っていたけど、呼んではいないよ。というのが続いたのです。 それは確かに母の声。 これから祈り11回目と後半へと突入します。 ずっと続けて行こうと思っています。 レベル2になるとお金も倍になるので、どうしようかと思っていた所、ひょんな事から縁がありました。 これは仏壇を購入してきちんと先祖供養をして欲しいと言う事なんだろうと思っています。 これからも宜しくお願いしますね! |
先祖供養は、マイペースで続けています。 続けてきて新しく感じたことがあります。 先祖供養をしていると、生活にメリハリが出てきて、一日一日が楽しくなりました。先祖供養を始めた頃よりも、ご先祖様が軽く?なったようです。 |
祈りはじめてから、体は健康になりました。 時々、疲れたりはするけど、風邪とか全然ひかなくなって病気にかからなくなりました。感謝です。 |
先日、レベル1が終わりました。 毎朝、神社に行って祈るようになり、酷い風邪をひいたり体が極端に辛くなったり、それでも自分の仕事がどうしても休めず、かなり辛い思いをしましたが、それとは逆に全ての物事が良い方へ良い方へと向かっていて、感謝の毎日です。 この祈りを知ったのも神様のお導きなのかもしれません。 |
冬至のアセンション第一波は、やはりかなり強かったようです。 私はお祈りをしてるせいか、神様の守護があついのか、そんなに影響を受けずにすんでいて、現実を動くのではなく、やはりお祈りをするのがお役目のようです。 そのように神様がまた強く働きかけて下さっています。 すごいですね。 ほんと、不思議です。 |
石を使った祈りを早速やりましたが、次の日空でも飛びそうなくらいでビックリ! すっごい効きました。 自分がこんなに素直だとは(笑) 教えて頂いてありがとうございます! いろいろへこむ事はありますが、少しずつ前進していこうと思います。 |
家の鎮守のお札を作ってる方の神社に参拝したら、途中から泣けてしまいました。 なんだかこれ程嬉しい気持ちになったこと、他にはありません。 供養し続け、清めたことがこんなに喜ばれてるとは!! やってよかったと思えた瞬間でありました。 以前に参拝してもこんな良い反応はずっとなかったんです。 供養はカルマを受けるのがやっぱり辛かったけど、苦しんでる御霊達が救われたことが、こんなにも神様がお喜びになるとは! 祈り始めた頃は自分の不幸をなげき人のせいにしたりする私でしたが、罪の重さを実感し、今は心から詫びる思いです。 |
先生を知り、天然石の素晴らしさを知り、以前からきちんと神社で神様方に祈りたかったという気持に気づき、自然と「祈り」を始めました。 まだレベル1ですが、神社に参拝するということは本当に気持ちいいものですね。 祈りを通して物事を前向きに捉えられるようになってきました。 そして先月、もう仕事は来ないだろうと思っていた会社から仕事の依頼が舞い込んだのです。 また、現在アルバイトのようなことをしている職場からも、職員としてやってみないかという声を掛けていただきました。 このアルバイトは、実は私がもっとも苦手とする分野です。 1度やめようとしたのに引き止められ、今度は職員ですから、この分野で勉強しろということなのかと受け止めています。 1週間のうちに思いも掛けなかった仕事の話しが来て、少しボーッとしています。 こういうことってあるのですね。 今思えば、半年前仕事が打ち切られたのは「祈り」へ至る道筋だとしか思えません。 祈りを知らなければ、きっと違った今を生きていたのではないでしょうか。 仕事の他にもいろいろなことが起こりました。 それらから感じることは、私達は本当に神様方から見守られているんだなぁということです。このことに気づかせてくださって、本当にありがとうございました。 |
合戦の供養に入り、旅(参拝旅行ですが)に出た時以外は1日も休むことなく、(祈りを)続けてこれたことに、今私をお守り下さるご神仏様、ひかり先生に感謝致します。 本当に私は、供養が大好きです。 今も涙が出てきました。 |
一宮さまには行かなくてはならないと思い立ち、バイクで、下総の国の一ノ宮・香取神宮に行ってきました。 鳥居をくぐって参道を登っていく途中の森がとても気持ちよかったです。 それで本殿に行ったら感動してしまいました。 改築をしたばかりなのか、塗装や装飾がやけにきれいなのです。 黒を基調として緑の格子や金の装飾、それから色とりどりの中国風の模様・・、それらにそれらに見とれているうちに「ありがたいなぁ」っていう気持ちになりました。 それから人のいない本殿の裏に回ってゆっくり歩いていたのですが、本殿の茅葺屋根から溢れてきているエネルギーを感じているうちに、泣きたいような気持ちになってしまいました。 神社に参拝してそんな気持ちになったのははじめてです。 なにかご縁がある場所なのでしょうか。 それからさらに裏の方の摂社や末社をぼんやり見ていたら、「よくきたな、まってたぞ」みたいな感じのメッセージが伝わってまいりました。 本当に泣きたかったです。 しかし誰なのかよくわかりません。 御祭神のフツヌシノオオカミなのでしょうか。 |
最近は私も不思議なことが多くなりました。 音信不通だった友人にバッタリ会ってしまったり、メールもパッと見たらちょうど来たばかりだったり。 友人に会ったりしたのは、おそらく自分が思ったことが現実になったんだなぁって思ったのと、その波動に合わせるとその現実がやってくるんだなって思った。 そこにどっぷりつかってる時はその現実しか知らないけど、こうしてみると、いろんな世界をかいま見ることができて、なんか面白いですね。 思ったことを引き寄せる想念の力にもちょっと自分でもびっくり。。。 パワーアップしてるみたい。。。 これは気をつけないといけないかな。。。 |
祈りを始めてから、私の足の痛みはおさまりました。 あれほど痛くて、足を引きずり歩いていたのに、本当にうれしいです。 ありがとうございました。 ひかりさんの祈り指導は、本当にすばらしいものだと、実感しました。 |
私は、ひかりさんの祈り指導を受けるまで、先祖に思いをはせることはありませんでした。先祖とは過去の人達、今の私には関係無い存在でした。 お墓の現状を見て、子孫やお寺から見放され、悲しく、肩身の狭い思いをしていることがよくわかりました。私たち家族に不幸ばかり起こるのがよく理解できました。 |
鑑定結果のメールを読ませていただき、早速鎮守の神社へ行ってきました。なんとも手を合わせて鳥居をくぐる瞬間から、手や体中があったかくなって、歓迎されているのかなという気持ちになりました。そういう感覚が気持ちいいので、毎日通っております。 |
いつの間にか私は母を支え、祈り、助言するような自分になっていました。 人を救い、導けた喜びは何にもかえがたいものです。 両親の変わらなさにずっと悩んできて、話をするのもイヤだった私ですが、必要な時だけ、必要なことを言ってあげる、自分も彼らへの接し方を少しつかみました。 |
私の方は、大きな問題があまり起こらなくなり、出会う人もいい人ばかりで幸せな毎日です。 また、問題が起こったとしても以前ほどジタバタしなくなり、これも祈りのおかげかなあと劣等生ながら実感しております。 |
仕事から帰って玄関を開けると、ご先祖様が勢揃いで迎えてくれて、その中に祖父がいました。 私は涙涙で祖父やご先祖様たちの気持ちを受け取りました。もう、私の一家は大丈夫!!と思う出来事でした!今はご先祖様も泣き顔から落ち着き、穏やかです。これからも祈りを続けるぞ! ご先祖様の守護を感じます! 沢山のご先祖様です!祈りをしていたからですね! 私は一人じゃないんですね! ご先祖様の気持ちを一心に受けています! 今までの人生にこれほど素晴らしい事はなかったです! 有り難いです! 沢山のご先祖様! でも私は祖父しか知ってる先祖がいないけど、沢山の感謝の気持ちが伝わる! 言葉では表現出来ないすばらしさ! 有り難いです。 |
自分がだいぶ浄化されたなぁと思うのは昔は結婚の事をかなり言っていた母が合戦の供養を始めて半年位たった頃からほとんど執着しなくなった事、また私に会う人はよく風邪などひくんですが会って30分もすると相手が精神的に落ちついてきたりさっぱり明るくなってきたりして喜んでくれる事や電話で話しをしても30分もすると私がゲップをして相手が精神的に落ち着いてきたりする事です。 最近は母は私の人生にも執着しなくなってきています。 人の相談にものりますがこういう時精神的に成長できててよかったなと思います。 |
今年の初詣、鎮守の反応がとても良く、氏子の方が、私がよく祈ってるのを知っていて「ぼくたちも頑張ります」と言って下さいました。 神棚も古いのを鎮守に持っていってお炊き上げしてもらったのですが、「随分守ってもらったんだね」と言われました。私の心も浄化され清まるにつれて、本当に回りも変化してきてる!と思いました。 鎮守は随分きれいに手入れされるようになったし、整ってきました。 今年は「はらい給え、清め給え、神ながら寄魂幸わえ給え」の唱え言葉をはりつけるようになりました。 お参りしてると以前よりグンとお参りする人、増えました。 |
私のこれまでの人生はあまり楽しいこともなく、辛い人生だったといえると思います。 でも不思議と死のうと思ったことはなく、人生を良くするためにどうしたらいいかと考えたり、いろんなことを試して何とかやってきて、今、祈り指導にたどり着きました。 祈りを初めて思うのは、このことに命をかけてもいいなということです。 他の人の手紙の紹介を読むと、死にたいという思いが、祈りと共になくなっていくというのが普通だと思うのですが、私の場合はその逆で、祈りを続けている今でも命をかけたいという思いが強いのです。 祈りを続けていくと、人生が好転していくと思うので、命をかけなくてもいいと思うのですが、もし今、祈りに命をかける道と、祈りをして人生が良くなっていく道のどちらか選択できるとしたら、祈りに命をかける道を選ぶと思います。 私自身、意味あることならば、命をかけることは惜しくないと思えるし、ご先祖様の役に立つために命をかけるならば喜びに感じます。 でも祈り指導は供養をしっかりして、自分の人生を良くしていくものであるので、このことで命をかけるというのは適切ではないと思うのですが、現在このような気持ちでいます。 |
今年は自分がとても素晴らしい人間であってどんな環境にいてもひかり輝ける存在なんだと知って驚きました。 そして嬉しい事に全ての人もひかりかがやける素晴らしい存在なんだという事が分かりました。 今は自分が清らかな光のひとつぶとなって宇宙を泳ぐようにとんでいる感じがします。 昨日、いろんな神様に「こうなる事は分かっていた」といわれたのですが、私もこう感じる事ができるようになる事が分かっていたような気がします。 小さい頃から知っていた気がします。 |
もう周りを変えるのは99%ムリだと感覚的に思うので自分磨きが一番良いと思いました。自分を成長させる課題も答えも実は自分の中にあるんじゃないかなと思います。 いのりをして自分がシンプルになっていく事を感じます。ちょっとうぬぼれかもしれないけどいろんな神様と近くなってきた感じがします。 |
最近、今までの事がだんだん理解できてきてああいう風に心が苦しくなってくるのはカルマだとか、周りが今までの自分のやり方に干渉してくるように思えた事がらの中でやはり有意義な物があったという事とか人間関係というのは自分の思い通りにいかないのが自然だという事です。 まわりをみると自分より波動の高い方はもうそうそういない気がしてきたので(自分の中にまだ低い部分は残ってますが)こういう状態になった時に自分がどういう立場をとるか考えていかないといけないなぁと思ってます。 |
先生が合戦の供養をしている時が一番充実していると書かれていて、以前の私にはその意味が全然分かりませんでした。 でも供養をやりはじめて「これって供養のおかげかな?」と思えるような出来事があったりして、じわじわと「供養っていいな・・・」とたまーにですが、感じはじめました。 こういう気持ちを常に持ち続ける事ができれば、人類愛に繋がって行くのかなと最近思います。 レベル3までは序章で合戦の供養からが本番というか、愛に繋がって行くというか・・・手応えを感じます。 |
ある神社に、参拝をした時のことです。神社の石段を降りながら、肩の痛みが消えている気がしました。 肩こりとかじゃなく、急に重いものを持ったせいで、片方の肩の筋をたくさん痛めてしまったようでした。 1年半くらいそのまま放っていた状態でした。 何かしら治療を受けないと治らないだろうなと思っていました。 石段を降りながら「気のせいよね」と思いましたが、実際それから肩の痛みがなくなっていました。 もちろん、ご祭神様に肩の痛みのことや、治してほしいなんて話していません。 有難くって、参拝が終わったあとにもう一度、痛みを取ってくださったお礼に参拝に行きました。 |
祈りを始めてから約一年、物事がどんどん自分の希望したように変わり、あきらめていたのに出会いまであって、結婚をすることになりました。 |
祈り始めてからどんなふうに変わっていくのか、半信半疑だったけれど、毎々瞬々刻々と変わっていってる感じです。 苦しさあり、感動あり、喜びありと、まるで劇的に心の中に起こっています。 霊界を浄めることが、神仏や人々にとって大事なことを、神仏の反応の変化、現実の人々の変化から、強く感じるようになってきました。 レベル4に入る前は祈っていてもピンとこなくて、心を込めることができなかったのですが、合戦の供養を進めていくうち、救われてない人々がまだ沢山いることを実感し、祈りの大切さ、又、やらなければいけないことを痛感しました。 |
等々力不動尊に行きました。 その時、本堂ではなんとも感じなかったのですが、ひかれるままに渓谷の方に降りて行くと、滝不動と稲荷神社がありました。 そこでどちらにもお経を上げると、予想できない涙がたくさん流れました。 その後、弘法大師様の稚児堂に寄ったのですが、ありがたくて涙があふれました。(しかし、なにがありがたかったのかは思い出せません) こういう経験は、いかんせんなかったことです。 |
この3年間、ふり返ると本当にすばらしい進歩でした。 ある方に恋をして失恋したのが3年前で、それで紫野さんと出会いました。 同じ3年とは思えないし、もうその人のことはさっぱりした気持ちです。 お仏壇でお供物を毎日用意するうちに、それまで家事がめんどうでやらなかったのに、自分をちゃんとさせる充実を知り、家事をするようになったこと。 次の年にボランティアを生まれて初めてして、説明のしようのない幸福感を味わったこと。 対立していた母に、実は愛されていたと気づいたこと。 世の中、奉仕できることはたくさんあって、喜びにあふれていると知ったこと。 奉仕を自分の極限までやることが2週間続いて、自分の意識が高い次元に飛んで、とても高い安定した何も怖くない心境にたどりついたこと。 合戦の供養をしはじめて、戦争映画を見、戦争なんてもういやと思ったこと。 地域の最も悲惨な人たちは、実は自分の一部だということが分かり、浮浪者におにぎりと野菜の煮つけとホッカイロとメッセージをあげて遠くから喜んでくれるか見たこと。 もう一度あげに行った時、とても喜んでくれたこと。 地域と日本の現状にショックを受け、けどこの責任は前世の自分にある、そして幸せにできると思ったこと。 ○○の戦いの供養は日本全土のためになっていると知り、この為に私は生きているんだと分かったこと。 今、日本という国を丸飲みするイメージが自然に起こること。 神も人間も自然も見た目が違うだけで実は同じものだと分かったこと。 各々が精神か心かの霊的なもので、音楽のように響きあい、流れながら存在するのが宇宙の生命体だと分かった喜び。 そして自分の人生が、親や学問も含めて、宇宙の生命体に奉仕するために無意識に自分で設定してきたと気づいたこと。 悪や失敗こそが、善や成功と協力して私を成長させてくれたと分かったこと。 思っていたように生きるということはクリエイティブで、宇宙は美しかったこと。 今まで合わないと思っていた人達と合わせることの創造性の楽しさを知ったこと。 自然や人間の何であれ、軽蔑することの無意味さを悟ったこと。 たくさんありました。 数年前、難しい解釈を本当に一生懸命に考えぬいた後で、自分が高い安定したゾーンに意識がとんでいく経験をしました。 周囲の喧騒も確かにあるはずなのに、聞こえてるのに耳に届かず、自分の名前を忘れてしまって、思い出そうとしてもできませんでした。 代わりに自分の本質だけが心に座っているという経験をしました。 祈りでこれに似た経験を2度しています。 1度目は奉仕をがんばった時、2度目は合戦の供養の資料が届いたその日です。 不思議です。ここまでいってしまうと死ぬのも怖くない心境です。 このような経験、皆してるのでしょうか? 数学や物理なんかでは、大学の先生でも全員は、ここまでの本質のみというところまでいかないみたいです。 能力よりも志が同じ人と、仲間になれたらと思います。 以前は学問で優劣を競ったりして、自分に申し訳なかったと思います。もうしたくないです。 |
九頭龍弁財天様に神社でお会いしたとき、涙が出ました。 初めての時も2度目のときも、ただただ涙で感動でした。 うれしくて。 生きている上で、このような幸せをいただけることが、本当に最近はただただうれしくて、神仏様と共に生きるということの、言葉には出せない感謝とうれしさの気持ちをこれからずっとありがたく生きていこうと思っています。 祈りをずっと一生続けて、私は未熟だけど、私なりに神仏様に奉仕と感謝の心を持ち続けたいと思っています。 いつか、いつか、人の心がいやせるような人間になりたい、そう思います。 ○○神宮では号泣・・・産土神社では目をつむったら光が浮かび、ずっと光の玉がありました。 「お寒くないですか?おつらくないですか?」とたずねたら、もうすごい涙でした。 「○○様おつらかったら、私で良かったらお使いください・・」と言いました。 涙々でした。 神仏を感じながら生きていくことを教えてくださった紫野先生に本当に感謝いたします。 |
久々に金縛りにあいました。 驚いた事にお寺の弁天様が助けてくれました。 鎮守を思い浮かべようとしたら、お寺がみえたから「弁天様」だとわかり、弁天様を思い浮かべた瞬間、金縛りがとけました。 神仏と仲良くなれて幸せです。 |
供養をはじめて一年がたちました。 紫野さんに出会って一年、自分でも驚くほど環境が変わっていていい一年でした。 紫野さんに出会えてほんとうによかった! こころの奥底からの癒しが実感できて、自分の出きる限りの力ですすんでいける。(他人任せではなく) すごい祈りだな~と思います。 これからも地道にすすんでいきたいです。 |
最近、何があっても気にならなくなってしまいました。 少し前は、何となく気にならない…今では、気にならない…です。 それと、○○○○が守護神って思うと嬉しいです。涙がポロポロ…でも、昼休みなので我慢してます。 とっても幸せです。 生きる事がこんなに清々しいなんて知りませんでした。 ※守護神については、この方がご自分で理解されました。皆さん、そのように特にご縁のある神仏がわかってくるようです。紫野 |
私もどこまでできるかわからないけれど、力の限りこのご神業に尽くしていこうと思います。 「誰かが道を切り開かなければならない」私もそうできることを祈ります。 古い保守的なものも多いけれど、祈ってると、他の人も祈る気持ちになってくれたりする人もいて、うれしくなりますね。 |
前に紫野様が「人が何を考えてるか分かる様になる」言ってましたよね。実は金曜に初めて人の気持ちが分かったのですよ。 会社で仲良くしてる伯母さんの。 分かった時は「優しい振りしてただけなのね」と、驚きとショックでした。 けど、私の勘違いかも…と思ってたのですが、勘違いではない事が今日、ある事がきっかけで分かったのです。 人が何を考えているかを知るって、少し恐い…様な…。と、思いましたけど、注意とか出来ていいですね。 |
祈りを始めて、以前はどうもうまくいかなかった女性との人間関係が比較的いい関係が続けられるようになりました。 合わない人とは無理をせず、ぶつからないようにするだけで深く考え無理に合わせていかないように。また、いい関係の人とは、よりよく。 ひかりさんの、そして神様のおかげです。今日は特に、静かに嬉しい感じです。 |
うまくいえないけれど、やっぱりひかり先生に逢えたおかげでどんどんどんどん、ひとつひとつのおもりが体からはなれていっているような感じで、ほんとうに必要なものって、やっぱり魂のごはんだけなんだなあ、なんて感じていました。 ひかり先生にめぐり逢うことができてほんとうによかった!!!これからもずーっとついていきたいです!よろしくおねがいします! |
いのりをはじめて2年半程になりますが、ようやく明るい人生の幕あけが見えてきました。 生まれた時からでさえも自分の人格に悪があることを自覚し、なかなか明るくなれず、これが自分の本当の性格だと思っていました。 けど、合戦の供養を進めるうちにこの悪ぬきがするするとされ本当の自分はとても明るい性格だということをこの年にして発見し驚いています。 カルマで素直に出せなかっただけじゃないかと思います。 今は神、宇宙、人類、自然に対し、連帯感、責任感、奉仕の気持ち、友情の気持ちでいっぱいです。 いのり仲間のみなさんまた、これを読んでくださったみなさん、そして、ここまでアドヴァイスをしてくださった紫野さんのこれから永遠の魂の成長の繁栄をいのっています。 私も魂の永遠の旅に明るく笑顔ででかけようとおもいます。 |
先生のところで祈りをさせていただいて1年になります。 当時、精神不安定がひどくて、わらをもすがる気持で先生に手紙を書きました。 1年たった今、気持は安定しています。 不安になることもありますが、極端な方向に行くことはほとんどありません。 そればかりか引っ越してからは、笑顔が増えましたし、ワクワクしたりなんとなく嬉しく感じたりすることが多くなりました。 出かかっていた精神のカルマを出してくださったのだと思います。 精神不安定になったのをきっかけに極端なマイナス指向も治すように努力しました。 1年でここまで立ち直ったのですから、2年、3年と祈りを続けたら、自分がどのように変化していけるのか、とても楽しみです。 マスターを目指すのかどうかはまだわかりませんが、とにかくレベル5までいきたいと思っています。 |
ひかりさんと出会い、自分が成長しているのがわかり本当に感謝してます。 神様との縁も築き旦那の理解がありませんがこうやってやっていられるのもひかりさんと出会い神社との縁を教えてくださったおかげです。 神社はお願い事する場と思ってた私が、自分の成長や縁をもてたことに対する感謝をするところに変わりそうしていくうちに勝手に願いが叶えられていき、○○の仕事ができたり仕事が増えたり、生活が安定したり感謝せずにおられません。 後は旦那や家族の理解が得られたら完璧なのですが、いつかそれも叶う気がしてきました。 いつまでも見守っていてください。 本当にありがとうございます。 そしてこれからもお願いします。 |
祈りコースが届いたので、さっそく近所の神社に行って来ました! 参拝に行ってから自殺願望もなくなり、一人じゃない気がして心があったかくて、参拝に行くのがとっても楽しいです。 私が参拝に行っている神社は、手水舎の水はなく、お賽銭入れもないのです。 きっと正月、節分の日にしか、人が参拝しないからでしょう。参拝って楽しいのに・・・。 参拝してからは本当に誰かと一緒にいる気がするのですよ。 祈りコースに申し込んで、本当に良かったです。 申し込む前の私は、考えることといえば自殺(未遂あり)・・・。死にたくて、死にたくて・・・。 けど、今は違います! 神仏と一緒に生きたいし、生きないといけない! だって神仏が大好きだから。 |
私はカルマを乗り越えるのってワリと簡単に考えていたけれど、快苦や落差を味わいながら気づかされて、少しずつしか進まないことを感じました。 でも、がんばって辛いのも苦しいのも、一所懸命我慢して乗り越えたら、ホント、グンと周りの人より一歩も二歩も成長したようです。 みんなに良くなったとか、大人になったねって言われました。 何かが変わったと感じるようです。 |
同封のドラゴンアイズ、一気に読みました。 すばらしい! 求めてきたものに出会えた喜びを感じています。 昨日、確実に鎮守さまを確認しました。 ご挨拶もしました。 本日からがんばります。 祈りの内容、コロンブスの卵というのでしょうか、こんなに肝心なことが参拝に抜けているとは!と驚きつつ、逆に本物とはそういうものかもしれないと思いました。 着々とやるべきことをこなしていきます。 先生のやってこられたことを、会報通じて知り、本当にホンモノだと思います。 ご神業に参加させていただくこと喜びです。 |
いつも電話で魂に元気をいただき、私は本当に最近変わった気がします。 それは自分をすごく好きになれたという事や、今まで苦しかった母との関係が苦しいものではなくなり、逆にあんなに葛藤があったにもかかわらず母は母の幸せをつかんでほしいと思えた事…。 |
私が以前関わってしまったある会は、紫野様のおっしゃる事とずいぶん似ていましたが、会にふりまわされつつあるという感覚だけではなく、特別心の安定とかも得られませんでした。 やはり、自分で感じ、ものごとを決めていかなければダメなんだなと思います。 紫野流の祈りは「神との関係の基本は1対1」ですよね。 そこがいいんです! また、やはりそうじゃないとダメなんだと思います。 |
大きいカルマ出しがありました。 母方の伯母が、私が参拝を始めてから脳内出血で倒れたのです…私は後から知ったのですが、伯母は一人暮らしで、助けを求めることもできず、そのまま意識を失ったのですが、近所の人に見つけてもらい、奇跡的に後遺症もなく先日無事退院しました。 思い上がりかもしれませんが、私の祈りで軽くなったのではないかと思っています。 |
先祖供養なんですが、夫の方はあまり感じませんが、私の父方を拝みますと、おぱあさんが「おまえばっかり苦労してなぁ。」とか「一人じゃないんだから。」とか話かけてくれます。 これは、先祖供養をはじめて、かなり初期の頃からです。 最近では、私の母方から、大勢で「がんばれ!」とエールを送ってくれます。 かなり涙が出ちゃってます。 グッときます。 |
参拝10日目以降、なんだか地に足がつく感じがしてきて、彼や彼の親に対する怒りや憎しみも、だいぶ減ったように思います。 今までは一日に何度も何時間も一人でぶつぶつ独り言を言っていたのが、一日に2~3回に減り、彼と連絡がとれなくても何とも思わなくなりました。 頭頂からもエネルギーが来ているようです。 一度電話したら、けんかすることなく終わりました。 いつもはけんかして終わっても心がゆれてゆれてひどかったのが、執着心が無くなりつつあるようで、たとえ別れても頑張ろうと前向きになってきてます。 あまりの変化に、ちょっとおどろいてます。 14日目に、オレンジ色の丸いものがパッとはじけたように見えました。 きっと応援してくれているんだって思ったんです。 |
参拝は21日無事に終了しました。 その後も毎日行ってます。 行くと気持ちいいし、スッキリするし、行かないとおちつかないというかホントに引っ張られる感じってやつですね。 けっこう「楽しい」という気持ちで行けてます。 それと恋愛の方も今は自分の気持ちが変わったことが自分でもわかります。 ムリにどうこうするのではなく、今自分がやるべきことをやっていく事できっといい方向に行くだろうと感じるようになってすごくラクになりました。 |
ひかり様とご縁をもちまして、又、参拝を始めて、約1ヶ月ですが、私の人生がいい方向へと、確実に、自分がそのように感じられる程、動き始めています。 仕事のチャンスが舞い込んだり、ちょっとした縁で人間関係が広がっていきそうであったり、静かだった私の周りが、少しあわただしくなってきました。 目に見えない力がはたらいていることをみとめざるを得ません。 あまり調子にのらず、謙虚にこれからの事を受けとめ、努力したいと思っています。 |
最近少しずつ自分をとりまく環境が変わっていくのが、わかります。 物事が横道にそれたようでも結果は悪くならず…本当に神仏に守られているのを感じ、不思議な気持ちです。 自分の心の持ち方が変わっていくのを、すごく感じます。 |
先祖供養をやりはじめて2週間になります。 最初は幽霊が出てきたら困るなあと思いながらいやいやでしたが、1日やると1日分だけスッキリするような気がしたので、今もなんとか続けています。 あんなに去年体調が悪かったのに今は、少し楽になりました。 去年は何だったんだろうと不思議に思うほど、今は楽になりました。 まだまだ体調がすっかり良くなったわけではありませんが、あのイライラした毎日がなくなりました。 子供の勉強もほんのすこし出来るようになり、毎日がんばった結果が出てくるといいなーと思います。 |
東寺(とうじ。京都市。真言宗総本山)に行ってきました。 ご本尊様のある御堂を開けたとたん、父の祖父の家のにおいがしてびっくりしました。 しかも大日如来様の前に立ったら、目の前に花びらが一枚ひらひらとおちてきてすごくびっくりしました。 どうして他の人はさわがないのだろうと思っていると、おちたはずの花びらがどこにもみあたらず、消えてしまったようです。 その後手を合わせると悲しくないのに涙が出てきました。 |
祈り始めてからもうすぐ1年になるところです。 振り返ると色々な事がありました。 カルマが出て父が倒れたり、顔がかぶれたり…。 でもいい事もありました。 祈り始める前の私はテレフォン占いにはまってしまってお金を随分使っていました。 祈り始めてからやらなくなりました。 雑誌に「過去世や前世でのカルマを解消する儀式」とか載っていますが、以前の私だったら”やろうかな”って思ったと思いますが、今は「自分のカルマ解消は自分でやらなければ意味がない」と思うようになりました。 神社、仏壇、神棚で音が聞こえるようになった事etc.トータルにみて先生と知り合えた事、祈り方を教えて頂けた事に感謝しています。 |
何度も手紙を読み返している時に、声が聞こえたのです。 「ほんとうにほんとうに久しぶり、やっと会えたね。」と。 カンはするどい私ですが、部屋の外の庭で母が誰かと話をしているのかと思い、母に「誰と話してたの?」と聞いたら、「誰も来てないし、話なんかしてない。」と言います。 |
占ってもらおうと手紙を書き、投函して1日たった頃から、急にみぞおちの下あたりが痛みだし、下痢や吐き気をもよおし、また、頭痛、耳鳴りと原因不明のひどい症状に襲われました。 眠気もすごく、うつらうつらと浅い眠りの中で、昼夜、床に伏せっていました。 ところが、2日たった頃、突然楽になり、ケロッと元気になりました。 その後、1日たって紫野様からお返事が届いたのです。 そして通信を読んでびっくりしました。 私も、書いてあるような霊的に清まっていく過程の症状だったのでしょうか? |
鎮守参拝はとても充実した気持ちで、息子を亡くして以来何も行動に移す意欲のなくなっていた私に、少しずつ心の安らぎが出てきました。 不思議な気がします。 本当に、いつ死んでしまおうかと毎日考えていたのですから…それに無くしてしまったお金が出てきたり、息子が亡くなってから、カビだらけでまともにそうじなどしたことなどなかった風呂場や洗面台を、磨いてみる気になったりなど、気持ちがとてもさわやかなのです。 |
人間関係で悩んでいましたが、相手がどんな行動を私に対してとろうと、とにかく受け止めるというか、見守ってみよう、人間根の悪い人はいないんだと思い、鎮守へ行ったら最後に涙がザーッと出てきました。 また、神棚で礼拝中、愛に貪欲になるより、先に人に愛を与えようと思いついたところで涙がどーっと心はおだやかなのにいつまでも出てきてびっくりしました。 |
先生からのお返事が届く前日の夜中、急に目がさめて気づいたら、たくさんたくさん涙を流し、泣いていたのです。 どうして自分が泣いているのかわからず、ただただ涙があふれてきてどうしようもありませんでしたが、そのうちなんだかとてもすっきりとした気分になって熟睡してしまいました。 次の日、先生からお返事が届きびっくりし、先生が発する光によって様々な症状があらわれることを知り、もっとびっくりしました。 ちゃんと光が私の心に届いてくれたんだなと思うと、感謝でいっぱいです。 |