祈ららスピリチュアル

霊能者でチャネラーでセラピスト、ラベンダー色オーラの紫野ひかりのサイト。スピリチュアルカウンセリングが2800円。神仏が感涙を流す、カルマ浄化の祈り通信講座。効果を感じるパワーストーン・天然石。インナーチャイルドカウンセリング。ヒーリング。霊への供養とカウンセリング。他。

皆さまからのおたより

祈り通信講座を進めている皆様の、体験談です。

尚、文中に出てくる祈らら以外の人名や方法や考え方などは、それぞれの方の経験です。
祈ららでおすすめしているというわけではありませんので、取り入れる場合は自己責任で行ってください。

霊の祈りレベル1で、確か初日にお参りさせていただく時、音楽を聴きながら神社に向かっていたのですが涙が出るような感動を音とともに感じました。
感極まるという感じでした。
21日間の最初の頃、神社で祈りをしていると鳥たちのさえずりが強くなったのを憶えております。

21日間いろいろな反応をいただきました。
神社でお祈り中、ピシッと右頬に痛みが走りました。
また、神社ではないですが車の運転中に左足の付け根に痛みが2回走りました。
それから、心臓にズキンとした痛みが2回ありました、その内1回は治療のため人の身体に触れた瞬間でした。

16日目までは連続でお参りすることができたのですが、神経痛みたいなものが顔や頭に出始め、頭も重く、だるさが出てやる気がなくなり家で寝てばかりで過ごしておりました。
8日間お休みをさせていただき、大分回復したのでお参りを再開させていただきました。

18日目の時夜に神社に行ったのですが、祈りを捧げていたら、静けさの中で鳥が鳴きました。

19日目の時はもっとびっくりしたことが起きました。
夜にお参りさせていただいたのですが、境内に白い仙人みたいな猫がいました、
眼も赤くて、ちょっと気味が悪かったのですが、その猫も少しびっくりしたようですがとっさに逃げることもなく僕がお祈りをするまでじっと見つめてから静かに立ち去りました。
祈りを捧げている時は烏が鳴き始め、ひょんなことから影を見たら、自分の頭の所に霊気みたいなものが流されていたように見えました。
また、雨が結構降っていたのですが、祈りの終了とともに止みました。
あれっ、雨が止んでいると不思議に思いました。

20日目神社に行く前に桜を鑑賞していたのですが、鳥たちが多く集まってきました。
鳥たちに大分近づくことができるようになったのかなぁと思いました。(数年前霊格の高い方と街中を歩くことをご一緒させていただいた時、鳥たちが桜の枝を飛び回り、桜の花を下に落とすような幻想的な風景を見ました。)
20日目に気が付いたことなのですが、イヤホンで音楽を聴いているとたまに右耳に電気が走るような痛みがあり、カルマによる浄化なのかなと思っております。

21日目の時神社に向かう時鳥たちのさえずりがとても美しく、鳥居に入る前に10羽ぐらいの鳥たちが大空を飛び立っていきました。
鳥のさえずりは小さくなって静かになっていきしばらく祈っていたのですが、今日はあまり反応がないのかなぁと思って祈りを終了して帰ろうとした時に、一か月前に一度お会いしたことのある人にばたりと会いました。
相手の方も非常にびっくりされていました。
やはり人は見えない何かご縁と呼ばれるもので繋がっているのだと思いました。

祈りの内容は最初怖いという感じがありましたが、生きている時にこの内容で祈ることができるというのはとてもありがたいことなのだと思いました。

霊の祈り3に取り組んでおりますが、先日日蓮宗のお寺で涙がひとすじ流れました。
泣く気持ちなど全くなかったので驚きました。
ただ涙が流れてくることがある、と皆さんが祈りの感想で書かれていたことはこれかなと実感致しました。

これからの各所参拝もただ感じるままに周ってみようと思いました。

霊の祈りレベル1で感じたことや、出来事を書いていきます。
参拝1回目の前後は不安と恐怖が少しありました。
「何かがガラリと変わってしまう」という変化への恐怖と、頼まれてもいないのに勝手にやっていることでその浄化作用のトラブルで、家族に迷惑をかけてしまうかもと思ったからです。

その日の夜、前歯がボロボロ抜ける夢を見ました。
後で調べて見ると、身内に不幸が起きる予兆と出てきました。
半ば信じきれない心もありましたが、なにかが起きるということしか分からないから対策の仕様がないこと、一方で「ああー…やっぱり起こってしまうのかー…」という予感、「むしろ夢で知らせてくれたんだな」と少し嬉しい気持ち、自分の不安が具現化した=自分の気持ちを代弁してもらったかのような気がして少し肩の力が抜けたような気持ち……等々いっぺんにそのような感想を抱きました。

週末に事は起こりました。
母が重い胃腸炎で夜中に倒れ、救急車で運ばれたのです。
後で聞いたことですが、母の職場で流行っているものだったそうです。
付き添っていたのでその間中色々と大変だったのですが、終わってみれば我ながら笑ってしまうくらいあっさり事を捉えていて、それからは行けそうな週からほぼ毎日参拝できました。

4、5回目あたりのとき、祈りの途中で急に楽しくなってきて、ルンルンしながら祈りの言葉や挨拶を唱えていました。
非常にスッキリとして祈りを終え、その日に見た夢は龍雲の夢でした。
人の形をした男性のような人物(モヤッとしてて姿がはっきりしないけど、穏やかそ~な、そして私から見て目上っぽい偉い人)が、「思うがままをあげよう(欲しいものをあげよう的なニュアンス)」みたいなことを言いました。
そしたら濃い青い空に縦に長く伸びてこちらを見下ろす綺麗な龍雲が!
そのあと場面は移り変わり「ん」のように身体をくねらせてはっきり龍とわかる雲が!
龍雲を写真におさめたいなーと現実で思っていた私は大歓喜してました。
そのあとその龍雲が姿を変え、地上へ降りてきたと思ったら龍の銅像になったりとこのあたりから不思議さが増し、意味もわからなくなってきたので省きますが、目が覚めるとすっきりとしていて、1日を気持ちよく過ごすことが出来たのです。

さて「8」という数字は龍を象徴する数字であると聞いたことがあります。
その夢を見たあとから時々、現実で8のゾロ目や龍の絵や造形物をたまに見かけるようになったかなと思います。
印象的だったのが、つい昨日、祖母が何故かアルバムを出してきていて、その中に8年前の8月8日に撮った写真に龍の天井画がありました。
ちなみに身延山久遠寺のものです。びっくりです。

その他神社の外であった出来事では、
*何故か歌を歌うのが上手くなっていた。自分の肩身を狭くしていたと思われる固定観念がいつの間にか消えていて自分らしく歌うのが良いと思うようになっていた。(地味に嬉しい出来事でした)
*祈りが進んでいくと、ネガティブな気持ちに支配され続けることがさらに減った。
*職場の方との会話の中で、言われた言葉が強風のようになって煽られ、噛み合わないことにストレスを感じると、うっかり当たってしまったことがあります…。
*すぐ立ち直ることは出来るけれど感情が不安定になることも。
*一瞬だけの強めの頭痛が時々起こる。
*(↑補足)ふとしたときに狙ったようなタイミングで起こる。
・職場で神社についての話が始まった時、「こういう神社があったよ。行かないの」というふうに話を振られたので振り向いた(意識を向けた)瞬間に頭痛。
・怒りについて考えていた時。
私は怒ろうとする直前に気づきが怒るので怒るに怒れなくなって、それでフラストレーションを溜めてしまうこともあったのですが、「叶うなら怒りたい時に怒りたかったよね」と、もちろん今の自分の本音ではなくその時の自分はそうだったよね~というニュアンスですが、「」のことを思った瞬間に頭痛。
・等々…。他にも覚えてないですが、図ったようなタイミングで主に側頭部に刺すような一瞬の頭痛が増えました。
・「やめて」って言われている気がして、これも祈りの効果?なのでしょうか。
*祈りを終えて帰り、祖母宅にいるワンコを撫でていると遅れてきたように胸がジーンとしてきて、気がついたら涙が出ていました。

神社内での出来事や感じたこと
*神社の建物や紙垂が「ピシッパシッ」や「カサカサ」とよく鳴り、それが同時に人の気配に似ているので、後ろが気になって仕方ない。
*祈りの最中に本当に人が来ると、恥ずかしい気持ちが少しあるので静かに端に寄るのですが^^;
この鎮守さんは、前からそうで、いつも綺麗にされて枯山水なども整われていて、色々な人に本当に好かれているんだなと微笑ましく思ってしまいます。
夜は遠くから見ると結構な暗さで雰囲気があるのですが、本殿にお賽銭箱周りを照らすライトがついているので、最近は夕方なら多少暗くても行きやすくなりました。

祈りの16回目、祈り終えたあとに鎮守さんに断って、この街の総鎮守にあたる神社へ、だいぶ前に祈願した事柄が成就したのでお礼参りに参拝しました。
鎮守さんには祈りのことも話すと思いますと伝えました。
まだ祈りの途中だからルール違反ではないかと思ったのですが、この神社は祈ららさんに出会う前からも私の大好きな神社で、どうしても行きたいと思ったのでした。
祈りを唱えていると、わあっと涙が溢れだしました。
「よう来た」「久しぶりだな」と歓迎されているみたいで、ご無沙汰だったこともあって感無量でした。
私も来れて嬉しいよー!
就活中、悩んでいたときによく来ていた神社で、今回も祈りのことと、近況報告のようなことも話しました。
そしていつものごとくおみくじを引いたら「8」の大吉でした。
そしてそのときの私の状況に沿うようなメッセージでした。
ありがたいことです。
以前から思っていましたが、こんなに良くしてもらっていいのだろうかと思うぐらいの待遇です。

そして21回目です。
初めの頃の緊張していた頃を懐かしく思いながら、祈りの言葉を唱えているとちょっぴり泣きそうになりました。
この日と最初の日だけ祈りを長く唱えて、何事もなく終了しました。
本当に何事もなかったので、「あれ?今日ほんとうに21回目?」とか「祈りの最中の雑念がまずかったのかな」と少々不安になりました。

しかし、祈ららさんに出会う前、初めてこの鎮守さんに参拝したときの好きだなと思う気持ちを思い出してみると、私の好意の形が、感覚が、総鎮守さんに対するものへと近くなっているのを感じました。
鎮守さんと総鎮守さんは自分のお父さんとお母さんのようなもの、と聞きましたが、まさにそうですね。

これからも鎮守参拝を続けようと思います。

まずは手探りで始めた霊の祈りでしたが、レベル1を終わると、家族の骨折などのカタチの状態での浄化が現れたように思います。
それがレベル2を始めるころには、肉親の金銭問題などが現れてきました。
進むほどに心のこと、微妙な違いに浄化が現れてくるように思いました。

先祖供養は最初はとてもしんどく、お経を読み終わるまでに相当な時間がかかりました。
また、眠気も強く、祈り終わって仏壇の前で寝てしまうこともありました。
その後の神棚での祈りが救いでした。
しばらくはわからぬまま祈りを続けました。

祈りと前後して、共依存という心理的アプローチからも自分を知るようになっていました。
自分の祈りを続けるほどに、だんだんと苦しく感じることが多くなりました。
親の未熟さ、そして、いかに自分が愛されたがりで、他人に依存しているかが見えてきました。
そして、自分を否定する言葉から、「条件付きの愛」に気づきました。
条件付きの愛がいかに献身的に自分が自分を愛せることを知らせるものでした。

それからは、だんだんと祈りの反応が感じられるようになり、自然の見え方が変わり、また世間には古い価値観がはびこっていて、常識というものがどれほど人を縛っているかということがわかりました。

自分の感情や感覚も微細に感じるようになり、向き合うことが日常化していくたびに、怒りや不安、恐怖が見え、それが自分に、また世界に映されている気がしました。
世界が自分の反映だと考えるようになりました。
今はそのどんどん見えてくる自分に驚きながら、時として迷いながら進んでいます。
気づくべき反応はますます微細になり、ごまかせなくなってきた自分も感じます。
どれだけ行動できるかを問われているようで、そこに力を抜いて任せて生きたい自分と、それをコントロールしようとしている自分も感じています。

これらはスピリチュアルレッスンを併用して、やっと気づけたことで、本当に気づく前は苦しくて仕方なかったです。
しかし気づいたあとはとても世界が新しく美しく見え、自分の中に喜びが湧いてきました。
気づいた後、あまりにも自分の価値観と周りの価値観が違っていくのが見え、悲しく思ったり、苦しく思ったりして定着に時間がかかりました。

霊の祈り2は祈り始めてから約1年半かかりましたが、最初の1年の倍、最後の半年で気づいたように思いました。
そして、これからそのサイクルはどんどん早く、どんどん細かくなるのかもしれません。
そこにどれだけ真剣に向き合えるか少し怖くはありますが、進んでみたいと思っています。

「」部分は私の手帳などに書かれていたところを抜粋しています。

1ヶ月目 霊の祈り1をスタート。
週5日鎮守に祈り始める。

アダルトチルドレンだと気づき、インナーチャイルドワークを探していました。
偶然、祈ららと出会い、先生にインナーチャイルドワークをお願いしました。

「私にはインナーチャイルドがいる。
重い重い子。
この子が安まることを望んでいる。
私に気づいて!私を幸せにしてって。
インナーチャイルドの重さは、カルマの重さなんだって。
私きっとカルマが相当あるんだろうな。
落ち込んだ。
でもね、だから今私はここにいるの。
私は自分で認めてなかったけど、『虐待』されてた。
身体がキューっと縮こまる感じがする。
でもそれが事実。
上の子がこれに気づかせてくれた。
家業とこの地が私のカルマに気づかせてくれた。
これを感じるためにここにきたんだ。
こんな精緻な装置なかなか作れないよね~、すごいバランスだよね~。
私がこれを突破できたら、この現実も劇的に変わるのだろう。
それは感じる。」

インナーチャイルドが重いということを少なからずショックに思っていました。
子供によってこれに気づけたことに感謝しつつ、主人の地元を重く感じていた。
しかし一方でこの祈りをやってみたいとも思っていました。

ほぼ同時期に心理学の講座で、共依存のオンライン学習をスタート。
まずは時間とストロークについて学びました。

心理学の共依存のオンライン学習もスタート。
今回は、時間と自分に対して学ぶ。

2ヶ月目 霊の祈り1を終える。
それからすぐに資料を請求したものの、全く読めず過ごす。
その間も鎮守参拝は週2~3日で続ける。

3ヶ月目 親が骨折。
上の子が骨折その間も鎮守参拝は週2~3で続ける。

4ヶ月目 霊の祈り2の内容を準備するために、先生にアフターフォローをお願いする。
御本尊を買い求めたり、位牌を用意したり、神棚を用意したりする。

心理学のオンライン学習「共依存」について学ぶ。

5ヶ月目 肉親の金銭問題の相談。
可能な限りで援助する。
御魂入れをお願いする。

「自分って、まさに共依存じゃない?そういう名前なんだ。
しらなかった。
そんな風になっている人が世の中にこんなにいることもしらなかった。
それで普通だと思ってた。
もっと学ばないと!もっと知らないと。」

天然石リーディングもお願いする。

「自分の今までを知り、これからを責任を持って決めていきたい。
内的な成長にある程度期間集中したい。
お金についても学びたい」

6ヶ月目 霊の祈り2をスタート。
月25日祈る。

先祖供養をするだけで、1時間以上かかった。
途中眠くなり、頭痛もあり、いつも四苦八苦。
先祖供養のあと神棚での祈りをするのが楽しみだった。
祝詞はとてもたどたどしく、全く文章になっていなかったけど、1か月終わる頃にはスラスラ読めた。
毎日やりたかったが、週末は子供が騒いでできない。
週5日~6日というところ。

心理学の対面ワークショップを受ける。
「境界線」「インナーチャイルドワーク」
どちらもきちんと認識したのは初めての事でした。
自分がいかに境界線を破られてきたか、踏みにじってきたかよくわかったけれど、ショックも受けました。
そして、インナーチャイルドワークは泣いてばかりで疲れました。

お墓参りも始めます。
主人の父方のお墓。
「お墓にいく方が存在を近くに感じる。」

7ヶ月目 月20日祈る。
鎮守は週3~4日。

「なれてきた。
お経もよみやすくなってきた。
○○経はもう覚えたから○○経で祈りたいけど、でも□□経の方がいいみたい。
すごく眠くなる。
ほぼ週6日。」

「肉親のことを振り返った。
私は愛じゃなかったのかな。
自分の恐れから行動してしまったのかな。」

「昨日の朝はモーレツな怒りがあった。
結局怒りってなんだろう。
どういう役にたつんだろう。
私が何に怒っているか、書いたら、肉親には愛を伝えられたよ。
あの子の問題はあの子のもの。
私の問題は私のもの。
私は自分の問題に対応していこうって思った」

「先祖供養は、最初は肉親の金銭問題への助けになればと思った。
しかし、祈りを続けていくと、これは、肉親自身のカルマというか、問題で、私が何をしても助けられないことだと感じた。
また、肉親を助けてもらいたいという願いを願うことは、違うなと感じた」

「この結婚は、私にとってどんな意味があった?それは…私はインナーチャイルドを助けたかった。
子供を持ちたかった。
考える時間とお金を得たかった。
今までの過去を捨て、新しい自分になりたかった。
安心を得たかった。
そんなところ?今、こんな風に十分に自分と対話する時間が持てた。
それには感謝生活に不自由もない。
あと、子供ももてた。
でも、まだインナーチャイルドは助けられず、子供たちにも八つ当たりしている。
怒りに翻弄されて、自分を見失う。
過去を捨てて、新しい自分になったつもりでも、過去は容赦なく私を襲ってきて復讐し、過去の繰り返しばかりになっている。
安心は相手に求めるものではないと気づいた。
相手が安心をくれる訳ではない。
私が私に与えるものだ。
でもまだ全然そこまで行ってない。」

自分を振り返るということをしはじめました。

肉親の事で、スピリチュアル問答をお願いする。

お墓参りにいく。
相変わらずいい。
雑草を抜いて周りを綺麗にした。

8ヶ月目 月10日祈る。
全然思うように祈れず。
なぜか間隔が大きく空いてしまった。

母の実家の墓参りにいく。
「母の家は○○家といい、○○○○の子孫だという。
ほんとだろうか?父、母の言動が異常に目につく。
母は父の愚痴をひたすらに聞いてもらいたがる。
無視して子供たちと早めに寝る」

両親の親離れの出来なさを感じ、同時に自分の親離れの出来なさを見せつけられた感がして、ぐったり疲れました。

「父も母も誰かに幸せを求めてる。
誰かが自分を幸せにしてくれるはずだったのに、なんで誰も幸せにしてくれんのん?もっと認めて!もっと褒めて!もっと気持ちよくさせて!ってそればっかり。
そんな『だれか』はおらんのですよ。
だれもいないのですよ。
自分以外に」

「上の子がラーメン屋さんで水をこぼして、怒った。
あの子に罪悪感を植え付けた。
そしたら、上の子が下の子の前に足をだして、わざとひっかけた。
それをみて私はカッとなった。
怒り狂っていた。
あんな意地悪をするなんて!もう、今日は一人で寝かせてやろうと考えてた。
でも、家に帰る途中にそれって、私の意地悪じゃないの?って気づいて。
上の子は私の中の意地悪な気持ちを代弁してくれているだけ。
この先には何があるんだろう。
私の憎悪だ。
私を苦しめたものよ、もっと苦しめ!って思っている。
父に、母に、兄弟に、人に、夫に、義父母に、子供に…。
なんて醜い私。
でもそれが私。
見ないふりをしてきたけれど、これを超えないと自分はこれ以上進めない気がする。
どうしたらいいんだろう」

今ふりかえると、いろんな浄化が起こっていたんだと思います。
祈る気になれず、10日ほどしか祈れませんでした。

お墓参りに行けないままでした。

9ヶ月目 月20日祈る。
鎮守4~5日

やはり眠気が強い。
神棚ではスラスラと祈りの文をあげられるようになった。
やっといつものペースで祈ることができるようになりました。

不思議な幸せ感を感じる時もでてくる。

「スピリチュアル問答になかなか答えられず…。
それは本心か?褒められる言葉をさがしているのでは?と思う自分がいる」

心理学の対面ワークショップを受ける。
「時間」「インナーチャイルドワークショップ」
「時間に関しては、目かうろこ。
本当に向き合えている時間の少なさ。
自分の将来へのトライに当てている時間の少なさ。
本当はもっとあると思ってた。
でも実際はほとんど時間が取れていない。
継続するのも苦手だ。
もっともっと集中させなくては。
インナーチャイルドワークショップではなぜか違和感を覚える。
なぜか安全に嘆けなかった。
これは、私のなにが引っかかったのだろう?」

月末にお墓参り。
「お墓参りにやっといけた。
お盆のお花がたくさんあって汚れていたけれど、きれいにした。」

10ヶ月目 月20日祈る。
鎮守参拝は4~5日。

「離婚ばかり考える。
このルーズでどうしようもない夫と同等の人間なのかと思うと、自分に幻滅する。
そして家業。
めんどくさい。
みんなが周りを伺っていて、文句ばかりの組織。
そんなものに縛られている自分がイヤだ。
義家族、これも関わりたくない。
自分たちのルールを構わず押し付けてくる。
人のことを人として見てない。
軽んじてる。
こんな低レベルな人たちと付き合いたくない!そしてこの地域。
なんなの?みんなうわべばかりで本音を言わず、固執するくせにかっこつけて!そんなところに縛られている自分がイヤだ!」

日記に自分がモヤモヤしたことをそのまま書きなぐっていました。

共依存について、大学の心理学相談室でカウンセリングを受け始める(月1回 今も続いてます。)
スピリチュアルレッスンをスタート。

「思いがけなくイメージができて嬉しい。
こんな風にスタートするものだとは思わなかった。
スピリチュアル問答よりやりやすい。
問答は考えて考えて、考えてもうこれ以上考えられないって思うとやっと答えにたどり着く感じ。
レッスンは、ふと意外なところから言葉が聞ける感じ。
あれがハイヤーセルフというもの?イメージの方が感覚がつかみやすい」

お墓参りにいく。
慣れてきました。

11ヶ月目 月25日祈る。
鎮守は週4日ほど。

「私の中に反抗心がある。
私は成長がとまってる。
多分9~10歳ぐらい。
義家族にも、子供にもあたる。
上の子が上機嫌だからと言って、何もかも忘れたわけじゃない。
何も感じてないわけじゃない。
気持ちと感受性、態度を一緒にしない。
きっと上の子は今寂しさを感じているんだろうな。
失敗すること、覚悟を決めること、謝ること、その時に肚に何ももたないこと。
それが大事。
勇気ってなに?どうやったらもてるの?」

「機能不全家族って、私の実家じゃん。
我が家には、『否認も、孤立も、硬直性も、自己否定・恥辱感』全部あったよ。
私は自分は誰にも顧みられない、ちっぽけな存在だと感じているし、自分は変わってる、恥ずかしい存在だし、自分がどう感じているかわからないし、人を信頼できず、いつでも人を切れるようにしているし、子供なのにいろんなことを押し付けられてきたし、今それを子供たちに押し付けている。
泣きたい。
そして誰とも繋がれない。
それを自分の勇気のなさだと感じていて、子供な自分、弱い自分をダメだと思っている。
それが正直なところ」
「今日気づいたのは、人は放っておくとネガティブに考えてしまうんじゃない。
そういう刺激ばかりの世界に作り変えらえてしまったのだ。
『嫌なことのおかげで、まだ傷ついたり、まだ怒ったりする、自分の課題が引き出されるわけです。
そこで自分の内側(心理)を見つめるという流れにならないと行けない。
この苦しみは一体、自分のなにから起こっているのだろうと自分を見つめ、心理と向き合うことです』(どこかのブログからの抜粋です)そうだよね。
それが神の道。
荒野ではないけれど、何もかもが冴え冴えとしていて、どんなごまかしも効かない世界。
その世界を生きる。
ユーモアをもって。
この世の闇に飲み込まれないで生きるのだ。
どうか神様、私が目をそらさずにいられるよう見守ってください。
私が変えられるものを変えていく勇気をもてるように。
自分と向き合っていられるように。
いつもユーモアを忘れないように。
導きをお願いします。
歩いていけるように…。」

「今はひたすらに対話して、いろいろ感じることが大事。
自分が自分に思っている制限がかなりある。
私はなりたい私に値しないとか、もし夢が叶っちゃったらどうしようとかそんなことばかり考えてる。
本当は。」

「心がざわざわする。
これはなんだ?従業員さんに適当なこと言っちゃったんだよね。
自分を明け渡してしまった気がするんだ。
本当は感じているのに、どうして感じていないふりするの?あの従業員さん、俺たちが働いてやってるから経営者が食えるんだろ?っていう態度だった。
そうやって、自分のやり方を押し付けてきた。
付き合えない。
イヤな感じがする。
何より一番イヤなのは、『俺はすごいだろ、自分を大切に扱っていると感じさせて欲しい』と他人に求めるところだ。
あ~イヤだ。
イヤだ。
でもこれに反応するということは私の中にそういうエゴがあるということ。
そこをしっかりと見つめよう。
で、自分が貫けないのは、どうして?自分を無価値だと思う思い込みがあって、自分を蔑むようなことをしてしまうの。
自分で自分を試そうとしている。
他人を試そうとしている。
そんなことをしなくてもいいのに。
いるだけで価値があるとどうしても思えない。
『他人に依存する存在意義は、他人からの賞賛や評価、もしくは他人からの笑顔や「ありがとう」という言葉などを期待してそのためにやること。』私はこういうところがまだまだあるなあ。
共依存だなあ。
自分の内側で感じられる存在意義をしっかりと感じたい。
そのためには、自分の気持ちを取り逃がさないように、もっと丁寧に明らかにしていこう。」

このころは、いろんなものに反応していました。
自分のなかで沸き起こってくる感情と、その後感じる感覚をつかもうとしていました。

お墓参りにいく。
たくさんのご先祖さんがいるので、もっとおにぎりもってきた方がいいかも。

12ヶ月目 月25日で祈れるようになってきた。
ドラゴンアイズを読み始める。

「ここに、こんなに書いてあるじゃない?今まで全然読まなかったけど!今日地震があった。
『象徴で考える』をやってみた。
マインドマップを書く。
じゃあ、翻訳してみよう・正確な情報を集める。
・内部の圧力によって変化する・表面化で変化はおこっている・揺れていい、定めなくていい・準備が大切。
・私も変わっていく。
こんなところかな。」

「昨日知人にマウンティングされた。
海外旅行いくんです~だって。
その顔にイラっときた。
どうして?自分は行けないから?ここに縛り付けられているから?本当は行きたいのに…自分だっていけるわよって思ってる?でも家業があって行けないんだよね?いい嫁だと思われたい?嫌われたくない?働いて当たり前?我慢してあたり前?これ、自分の制限だよね。
苦労してないと嫌われちゃう?人より苦労していればイジメられない?ということは?自分の好きなことをするぐらいなら、目立たないで我慢している方がまし!つまり『やりたいことをするのは、いけないこと』これだ!こんなんでいいの?本当に後悔しない?するよ!絶対!私の求めるのは自由なのに、自分でそれにストップかけてる。
結局他人の許可がないと動けないと思っているんだ。
本当はもっと自分で決めて自立していきたいって決めたんじゃないの?結局決めてないんだな。
決められない私なんだな。
だって自分のこと旦那に食わせてもらってる力なき私って思ってるもん。
つまり、私は無力です。
自分で自分のこと決められませんって言ってるようなもんだもん。
こんな自分はイヤ!ぜったいイヤ!ぜったいおかしいって!私は自分のことを自分で決められません。
私は怖がって我慢ばかりしている自分を認めます。
私は今は怖くても、自分のやりたいことをやってみたいです。
自分にはやれる力があるんだ、自分は自由なんだっって感じてみたいです。
→自分の思い通り行動して、思い通りの自由を味わう!」

「今神様に、豊かになりたいんですが、どうしたら?って聞いたら、『本音を伝える』って言われた。
そうだよね。
私が本当に感じていることしか、世界に響かないんだもの。
『自分が本当に感じていることを逃すのは、チャンスを逃すのと同じこと』そうだよね。
その通りだよ。
それを逃さず、もっと感じていこう!本当に感じていることこそ、世界が知りたいこと。
それを放とう。
放てば手に満つ」

「今日、子供らと公園に行ったら、松ぼっくりを踏んだ。
種をそのとき、ワッと泣きたくなった。
生は命をまきちらしながら生きる。
その命が繋がろうと途絶えようと。
その同じ営みがこの子たちの中にも入ってる。
そう思うとただひたすら泣きたかった。
大声をあげて泣きたかった。
感じてみよう命そのものを」

「クリスマス、夫に怒りが湧いてきた。
なんで家にそんなにいないわけ?家族のことどう思ってんのよ!いい加減にしてよ!といって、怒鳴り散らした。
三人(夫と子供)で家片付けて勝手にクリスマスすれば!?と言って家を飛び出した。
苦しくて苦しくて、夜鎮守に参った。
「もうこの結婚が苦しいのです。
子供たちは大切だし、夫だってひどい人ではないけれど、もう苦しすぎて無理。
この土地に生きるのも苦しいのです」といってひたすら祈りを唱えていたら、「苦しいのは当たり前。
そこに癒されるべきものがあるから」というような言葉が聞こえてきた。
泣いた。
泣いて泣いた。
苦しいからか、神の言葉かわからないけれど。
泣けた。
するとスッキリして、クリスマスのご馳走を買って家に帰った。
夜8時過ぎてたけど、夫は変わらず、「おかえり~」といい、みんなでクリスマスをした。
あんなに気持ちを早く切り替えられたのって初めてだ。
いつもなら夜中まで飛び出しっぱなしになるのに。
鎮守の神様ありがとう。」

「今まで祈っていた。
でも何に?って思った。
祈るべき相手がいるのだと思っていた。
傷ついた誰かが、傷つけられた誰かが、そういう誰かに祈りたかった。
でも祈り続けていて、それは全部自分だという気もした。
私の宇宙に私の言葉が響いている。
私は私に謝っている。
私しかいない私の宇宙。
そこに響いている私の祈り。
これにどんな意味があるのだろう。
私は結局私に言い聞かせているだけ?自分が許されるに値するために?私が私のために祈りたがっている?何が何やら…?わからなくなってきた。
それでも続けるのかと言われれば、もちろん続ける。
これしかないのだもの。
いつかこの謎がわかるだろうか?」

感情が湧き出てくることが多く、それに気づいてはいますが、翻弄されるがまま行動していました。

年末にお墓参りにいく。

1年1ヶ月目 25日ほど。
鎮守には週3~4のペース。
落ち着いている。

「しばらくいい感じで過ごせた。
なぜだろう?鎮守で祈った。
いつものように。
私以外誰もいないような気がした。
これが世界が私なら?ということ?そう思うと、心がとても澄んできた。
水面がとても穏やかで、心が揺れるとすぐ気づいた。
気づいている『私』がいた。
いつもなら生理前で荒れまくっているのに…。
子供達にも丁寧に接せられた。
あの子達と一緒にいる時間がまさに蜜月だ。
地域の活動も、家業も嫌な感じはなく、ただやらないといけないことがきたから、やれることをやるだけ。
そんな気持ちになった。
みんなおなじなんだ。
やれるかどうか不安なんだ。
やりたくないんだ。
でもやれる限りやるんだって思った。
そうしたら私もそれでいいと思えた。
自分に許せた。
家業の従業員さん、親族や、義父母、そういう人たちに辟易していたけど、この人たちが、私を磨いてくださる…、この人たちに磨かれている?って思うとびっくり!今まで嫌だな~と思ってた人が大役をやってくれてるわけよ。
私に気づけ!エゴをとりされ!とそのきっかけをくれるのは、こういう人たち。
いやあ、これはなんということ?なんか正邪が反転する感じ?とても穏やか。
どうしちゃったんだろう。
私。
これも一時的なことなのか、それとも変化しているのかはわからないけれど、『気づいている自分』という体験、とても貴重だった。
嫌だなと思う人も、憎んでる人も、闇の人も自分と思えるにはまだまだだけど、でも結局みんなわかってもらいたかっただけなんだよね。
愛が欲しくて…それだけだったんだよね。
怯えていただけなんだよね。
なんか、ナウシカみたいな気持ちになるじゃな~い?あ~たくさん書きたいのに、もう眠い。」

「共依存についての学び。
今までの私は、選ばざるをえなかったものでできている。
それは抑圧的な家庭環境から生き延びるため。
今私は、自分で一つ一つ選び直そうとしている。
自分自身の心と身体を使って。
自分が何を選びたいのか感じるのに恐ろしく時間がかかるけれど。
自分の選びたいものを選ぼう。
そして愛せるもので、空間も時間も満たそう。」

「知人とランチ。
お医者さんの奥さん。
全然世界がちがうなあ~。
奥様業だけしていればいいというのが、羨ましかった。
私はどうしてそう思うの?みんなに羨ましがられる存在でありたかったのかな?でも私はこれを選んだ。
苦しくても、一気に成長したかったのかな?私はどこか深いところで、愛されるより、愛せる人になりたいと願った。
それにはまず自分を愛すること。
そのためには、自分を知ること。
失敗も成功も、心の愛も、光も闇も経験して、それでも自分を愛すること。
そういうことだった。
だから苦しいのは仕方がない。
土地に縛られているのも仕方ない。
全てに意味があるから。
それは私が選んだこと。
今となってはこの道を歩くしかない。
私はこの道を歩く。」

「今日は時間がなさすぎて、下の子をおこった。
下の子は必死で、「もう!怒らないで!」って言っていた。
その後穏やかさのピークはすぎるけど、また穏やかさに戻ってきた。
『本当のことは感覚的につかむだけで、平穏が訪れますね』ひかり先生の言葉。
本当にそうだと思う。
これが続いてくれればいいなと思う。
でもわかっているのは、続く限り続くということ。
この穏やかさが続かなければ、それはそれでまた私の学ぶことがきたということなのだ。
どこにも不足はない。
そういうことに最近気づいている。
そういう自分に花マルをあげたい。」

「今日は怒りばかりの日であった。
怒鳴り、叩き、最悪だった。
私の中にコントロールと怒りがあった。
私は何を求めているんだろう。
果たして、自分の思うようにコントロールして、自分の望む結果はえられるんだろうか?私は何を求めているの?わからない。
今の自分では全て足りないような気がする。」

アフターフォローをお願いし、「起こることを起こるがままにうけとめる」ということを伝えられ、とても穏やかな気持ちになりました。
自分の感情も起こるがままに受け止めようとしていました。

お墓参りに行く。
「水が止められていて、お花の水がなかった。
次からはお花用の水を持ってこないとと思う。」

1年2ヶ月目 月25日。
鎮守週3~4日。

「なんか今、辛くなってきた。
イライラしてきた。
やらなきゃならないことがうまくできない気がする。
怖い。
食べないと落ち着かない。
一人でうずくまっていたい。
頭がいたい。
部屋の片付けも進まない。
セーターに穴が空いてる。
ヘコむ。
下の子のおもらし。
すごーく右こめかみが痛い。
左耳の上がもぞもぞする。
涙が出てくる。
眠い…さっき、寝ちゃったのよ~4時間も。
もったいなかった!けど浄化かな?ターコイズの。
今日急にさ、辛い気持ちになっちゃってさ。
自分の感じていることを素直に書いた。
私、やっぱり人の反応を気にしていて、自分の好きな人に好きになってもらいたいために自分を作ろうとしている。
まだまだ自立には程遠い…。」

「起こることを起こるがままに…。
それを受け入れてあげること、大事だよね。
もう後戻りはしない。
この道をずっと進んでいくんだ。
皆本当はそうなんだ。
こうして歩むのが人が本当に進んでいる道だ。
無意識に歩んでいる人もいる、今やっていることにただ集中する、そういう人もいる。
道は一つではない。
皆歩んでいる。
皆一緒だ。」

「なぜそれほどに祈る?そこに癒されない私自身がいるから。
先祖の中の神も、インナーチャイルドも皆私。
私が癒されない、癒されたいと思う限り、私は祈り続ける。
それがカルマというもの。
これが私にとっての真実なんだ。
いつか癒されたと感じるまで。
ずいぶん時間がかかると思うの。
でもいい。」

「そう考えると、やっぱり時間なんてないんだね。
過去生の先祖も、未来のハイヤーセルフも同時に存在している。
その何万人と一緒に歩むよ。
私は。」

「昨日、とーってもイライラして、子供たちにあたってしまった。
そのあと、自分で、私、精神的に何にも成長してないな~って思ったら、『ね、こんな私だめでしょ?受け入れられないでしょ?自分のことでイライラして、子供たちに怒ってしまって、全く変わらないじゃん?何しても成長しない私、誰も愛してくれないよね?』って聞こえてびっくりした。
『そんなことないよ。
どんなお前でも愛しているよ。
不足なんかない。
そのまんまでいいよ』という声が…。
びっくりした。
神のようだった。
ああ、そうか、私、自分で自分を試していたんだ。
どんな自分でも受け入れて欲しくて。
いろんな自分を演出して、私は自分で自分の舞をしていた。
なんか、気づいたら、おかしくってさ。」

より深く感じようとしている時期でした。
またそうやって掘り下げて気づくことが多くなってきました。

月末にお墓参りに行く。
今回はお水も持って行けた。
あまり反応はなし。
寒かった。

1年3ヶ月目 帰省前までは順調に祈れました。
月15日程度。
鎮守は変わらず週3~4。

「ものすごくモヤモヤ。
甥っ子のこと。
行かないと行けない、お祝いを出さないといけないと思っていたけれど、嫌だなと感じた。
当たり前のように要求されているように感じる。
きょうだいが私の境界線をどれだけ踏みにじったか学ぶにつれ、イライラしてきた。
心せまいな~。
ケチと思われるのが怖いだけかな?なんでケチがいけないの?私ね、お金を使っても全然楽しくないことに気づいたの。
なのになんで支払ってんの?それって自分に対する裏切りだよね。
これでやめよう。
やめていいと思う。
嫌なことはやらない。
なんでそんなこと決めるのにこんなに時間がかかってんの?」

「鎮守に参ったあと、泣きたい気持ちになった。
『どんなに私が汚れていても、清めていく、清められる限り、清めていく。
この地も清めていく。
それができるだけで、私が生きていること、ここにきたことの意味があるというもの。
今は何もできない私だけれど、私にできる限りでこの私を清め続ける。
歩き続ける…』そう思ったら泣けて泣けて。
運転できなかった。」

スピリチュアル教室を読む。
「思いやりはほどほどに」「進んでは省みて浄化する」
自分の感情を感じ、感覚を確かめようとしていました。

共依存への取り組みとして、境界線のワークショップを受ける。

「自己否定へのイメージワークをやり、泣いてしまった。
みんな泣いていた。
『昔の家に小さなあなたと一緒に入ってください。
大好きな場所に言ってください。
小さなその子に告げてください。
今あなたは◯歳で、こうしてここまで生き抜いてここにいると。
今おとなのあなたがそこにいたら、できたことがたくさんあったでしょう。
親に反発したり、間違ってると言ったり、家を出ることだってできたでしょう。
でも、小さなあなたはそれができなかった。
それでもここまで生きてきたあの子になんといいますか?それでも自分を否定しますか?小さなあの子を否定しますか?自己否定なんてないんです。
必要ないんです。
みんな大切なんです。
』そうだよね~ひどすぎるよね。
小さなあの子が一生懸命してきたことを否定するなんて。
結局共依存に取り組まなければ、境界線を健康に保つこともできないということ。
今私がやってること。
自分に向き合うこと。
それしかない。」

月半ばにお墓参りにいく。
帰省。

1年4ヶ月目 帰省時に風邪を引き、なかなか治らず、前半はほとんど祈れず。
月10日ほど。
鎮守も4月最初は行けず、10日ほどしか行けなかった。

「私は、ないないないの罠にはまっている。
教養がない、才能がない、学歴がない、自分を知らない、仕事が選べない、経験が少ない、お金がない、時間がない、まともな夫がない、友達がいない、プライバシーがない、全てに『ない』をつけて世界を見ている。
これが今の私なんだ。
じゃあ価値って何?自分の仕事?住んでるところ?友達が多いこと?美しいこと?博識?能力があるとか?自由?お金を多く持ってること?特別であるかどうか?全ての存在するものに意味があるとしたら?」「母みたいに絶対ならない!って思った。
ここにパラドックス。
ならないって思うと必ずなるね。
母は私が相談したことでも、平気で他人に喋った。
裏切られた気がした。
そして、『裏切られて傷つくなら、信じない方がマシ』という思い込みができた。
傷ついて、悲しい思いをしたくない自分、つまり本当は傷ついて悲しい思いをしているんだよね。
認めてなかったね。」

体調が悪くなるとともに、否定的な思いもたくさん出てくるようになっていました。
そのなかで自分の中に起こってくる感情を書き留め、自分の制限や思い込みを書き留めていました。
そして自分と向き合うということの繰り返しをしていました。

月末にお墓参り。
「お墓はなにか自慢げ。
曾祖父母には怒られているような気になった。」

1年5ヶ月目 忙しく祈れず、月20日ほど。
鎮守は週2~3日のペースで参る。

「人の集まりに誘われて行ったら、歓迎されてない気がした。
もうそうやって、人の顔色で自分のことを判断するのやめなよ。
もう、長いことやってきたんだから、自分で感じたように行動したんだから、それがどう受け止められようといいじゃない?やりたくないことをやらないと同時にやりたいことをやる。
それでいい。」

「いままで、機能不全家族だから、両親が未熟だから。
私が世間知らずなのは、親が世界を広げていなかったからって思っていたけれど、違うよね。
自分で行動しなかったからだよね。
でもできなかったんだ。」

「久しぶりのカウンセリング。
父母への軽蔑、集まりに行った時のモヤモヤ感、子供の託児の申し込みを出した時の後ろめたさなどを話した。
これらが全て、自分の中の『正しいことをしたい』って気持ちから沸き起こっていることが感じられた。
『正しいことをすることはあなたにとってどんな意味がありますか?』って言われて、思いついたのは、『正しいことをすれば、存在していい。
所属していい』っていうことだった。
驚いた。」

「朝せっかく早起きして、作業をしていたら、上の子が5時に起きてきた。
それで私は自分の自由な時間がなくなったと思い、イライラしてきた。
話しかけてくる上の子に、『お母さんは朝やることがあるの!一人の時間が必要なの!』って叫んだ。
どうしてこういう時に早く起きるの?このイライラはどこからくるの?『全てコントロールしたい、私の思い通りにしたい』というわけだ。
上の子のあの悲しそうな顔。
とても傷つけてしまった。
ごめんね。」

「数日、とても軽やかできれいな日だった。
すべてくっきりとしていて、きれいて、キラキラして見えた。
こんな日はなかなかない。
でもそんな中イライラが爆発した。
子供達が片付けないので、『もう今日は遊びにいかない!おもちゃ捨てるからね!』とか叫んだ。
子供らは泣きながら片付けた。
またやっちゃった。
子供らを犠牲にして自分だけ良くなろうとしてる。
馬鹿みたい。
でもそんな自分でもいいと思った。
仕方ない。
こういう軽やかな時は、浄化によっていろんなものが浮き上がってくるんだ…と実感した。」

否定的な気持ちで過ごしていました。
そのなかで気づかなければと四苦八苦していた時期だったと思います。

月末にお墓まいり。
あまり反応はない。
少し雨が降りそうな日だった。

1年6ヶ月目 落ち込みが激しい月で前半は全く祈れず。
月10日ほど。
鎮守は2~3日おきに参る。

「今日は雨。
検診で具合悪くなって寝る。
もう1日寝ていよう。
DVDを見た。
暗くなるDVDだった。
結局私たち、今も奴隷なのだ。
変わらない。
やっぱりそういう中で、気づく力、行動する力が必要だ。
そういう強さが必要。
自ら考え、行動し、その結果を引き受けること。
そういう自分。」

「自分に対してネガティブメッセージを受け取ってる。
こわいこわいこわい。
人目がきになる。
『お前なんか愛されない』『愛するに値しない』『ブスでのろくて、クズ』『お前は世間知らずでバカ』『常識もない』『友達もいない』『本気で挑戦したこともない』『臆病で、ビクビクしていて、子供の影にかくれて、こそこそしていて…』『いつも人を見下していて、高飛車で、プライドだけは人一倍ある人』『お前なんて、もう終わってる』『そんな歳でなにやっても無理』『どこにも行けず、何にもなれず、何の価値もない』『生きてても何の意味もない』そんな言葉ばかり。
あ~ひとはこうして鬱になっていくのかも。」

「あ~まだまだネガティブメッセージが続く…。
恐れ、怠惰、怒り、悲しみ、そんなもの。
心にあまりにたくさんの荷物があると人は動けなくなる。
インナーチャイルドもそう、トラウマも、ネガティブな思いも。
心を空っぽにってどうすればできるの?」

「『お前なんて愛されない』『お前なんて生きるに値しない』そう言っているお前はだれ?と尋ねた。
答えはなかった。
じゃあどうして生きているんだろう?なんで身体があるの?身体が消えても私は生き続ける。
こっちの方が幻想なのだ。
いつか全てが消えても、この意識が私と認識できなくなっても、生き続ける。
私の本質は、なんでもないもの?だからこの三次元を生きている?全てに価値があるように、全てに価値はない?全ては等価なのだ。」

「あまりにネガティブなので、グリーフワークをやってみる。
出さない手紙を書いてみる。
悲しい。
私が親しいと感じていた人たち、楽しかった思い出、その裏で私が暗にもらっていたメッセージに気づいた。
ただいまは悲しい。
6月はいい。
泣くのにいい。
雨が降っている。」

「少し悲しみが落ち着いてきた。
今感じるのは、攻めるべき人なんていないということ。
悪なんてないということ。
みんな未熟だった。
愛するより愛されたがりだった。
ここで人を恨んだり、怒ったりしても私は成長しない。
愛されたがりを卒業したい。
愛せる人間になりたいと思うけれど、なれない。
今日ひかり先生からレッスンの返事がきた。
自分がまだまだ条件付きの愛でいろんなものを縛っていることを再確認してショックだった。
できない自分を受け止めてあげられないというのも。
支配とコントロール。
私がしているのはそれだ。」

「今日は身体がエンプティなものばかり欲しがった。
ラーメン、マクドナルド、ドーナツ、コーヒー…。
悲しみは今はそう強く感じない。
まあ仕方ないって感じ。
それにしても私、自分を縛りまくっているなあ。
だらだらした自分を否定して、暗い自分はダメだと思って、やるべきことをやってばかりで、やりたいことはわからない。
そういう自分もいるんだ。
まっすぐにみつめていく。」

「ハンナ・アーレントのDVDを観る。
人がどうして平気で残虐になれるのか、なぜアイヒマンは自分に罪はないと思うのか。
それは『わからない』からだ。
全体主義。
思考停止。
『命令されたことを忠実にやっただけなのに、なぜ?』これがアイヒマンだ。
わからない、人の痛みも、自分の痛みも、スピリチュアルなことも。
だから、刺激を受けてそうしているだけ。
『思考を止めたものは人間であることを拒絶したのだ』という。
そういう社会。
今だってそう。
思考しているように思わされているだけ。
自分で感じて、本当の気持ちにしたがって、決断する。
絶対失ってはならない気持ちだ。
子供たちにももたせたい。」

「うわーん!今私の中から『どんなお前でもいい、生きていてくれて』という声が聞こえた。
子供らがいるのに、泣いてしまった。
最近苦しくて、何もする気がおきなくて、何もしなかった。
洗濯もたまりっぱなし。
家もきたないまま、でもいいと思った。
だって、やる気がおきないんだもん。
でも相変わらず鬱な気持ちになるし、お義母さんからなんか怒鳴られるし、離婚してやる!って思ってた。
漫画を貪りよみ、食べたいものを食べ、好きなだけ寝て、公園に行ったりした。
それから雨に打たれた。
急にすっきりした。
滝なんか打たれなくても、人はたった数分で生まれ変われる。」

「カルマがあるということは、苦しんでいる誰かがいるということ。
その誰かを助けたいと思えない。
私だけが助かればいいと思っている。
苦しいのに…。
自分一人の幸せなど存在しないのに。
頭ではわかってる。
でも気持ちの上で怒りが湧いてくる。
これは本当に私の気持ちだろうか?それとも癒すべき誰かなのだろうか。
そうしたって私を通して表現されてくるんだから同じなんだけど。
もっと理解したい。
毎日怒りで目覚める。
この怒りと執着をとりたい。」

「朝起きたら、すごーく悲しい。
心がさみしい、さみしいって言っていた。
この前まで怒りだったのに、今は寂しさばかり。
これは一体どうしたこと?この頃ドラゴンアイズを舐めるように読んでいて、自分の課題は自立だと思った。
私は本当に未熟で人に頼ってばかりだった。
自覚もなかった。
先生からアフターフォローがきた。
自分を否定する声については、『浄化が起こっているのだと思います。
このような浄化がおこらなくてはならない環境に生まれたということがカルマです』つまり、私が過去にしてきたことだ。
人を否定し踏みにじった。
そういうことだ。
それが自分に還ってきているんだ。
自分に自分でやってた。
『洗い流すには、心の納得が必要。
そのためには、正当な理由があるということがわかって、認めて受け入れる』ということらしい。
私の自己肯定は、すべて条件付きの愛という土壌に生えているからかな?無条件な愛なんかないってどこかで諦めているからかな?わからない…」

「祈ららのサイトには、『自分の最善の選択がこれで、なぜこれが最善の選択なのかということに気づかなくてはなりません。
その最善の選択がどれほど素晴らしいか、ということにも気づかなくてはなりません』だって。
ぜーんぜん気づかない。
まだ全然気づけない。
否定してる。
『自分の性格がみじめではなくて、素晴らしかったということがわかって、自分を愛し受け入れることが自然にできます』だって。
そうだよね。
自然に!おこってくるものだよね。
私には全然おこらないけど。」

「カウンセリングを受ける。
ずっと落ち込んでいることを話す。
自分と向き合い、グリーフワークもやってみたけど、効果はあっても落ち込みをなくすことはできなかった。
でもカウンセラーは、治療過程に「揺り戻し期間」というのがあると言っていた。
知らなかった。
私には、良くなるなら、ずっと良くなりたいっていう執着があった。
後戻りはしたくないって。
でも人はそうして少しづつ後戻りしては前進していくものだって。
知らなかった!ひかり先生は浄化という。
出てきたものは、出て来るべくして出て来るのだ。
いつか消えてしまうものだ。
もうすぐ消えてしまうものだから叫んでいるんだ。
私の心の中で。
それは希望かもしれない。
じゃあ彼らに何をしてあげれるの?あの無力感、悲しみ、恐怖、怒り、どうして必要だったの?」

「今、自分のことがとても好きだ!という気持ちが湧いてきた。
うわーん!愛せない私の代わりに私を守ってくれていた。
それが条件付きの愛だ。
なんていう献身、何ていう愛。
そういうことなの?私は私を愛したかった。
でもできなかった。
だから条件付きの愛が私を満たそうとしてくれていたんだ。
それでは永遠に満たされないことを知りながら。
でも私は私を愛したいように愛せるのだ!できるんだ!条件付きの愛は私に何かしたら愛してあげると言ってるんじゃない!私が愛せるのは私だけだよ。
と言ってくれていた。
なんていう献身。
父母もそういうことを教えようとしてくれてたんだ。
私は今日、私の中に、確かに私を愛したい私がいることを知った。
そうして私は私を愛せるんだって知った。
なんてパワフル!」

「先祖供養でなんとなく感じること。
母の生家に甘えてるな~。
父の生家からも和やかな反応あり。
『お前は優しいのう』っていう声が。
『これはお父さんの家からもらった優しさだよ。
みんなとても優しい人だったのに、時代や周りの環境や常識によって、攻撃的で、粗野に生きなくてはならなかった。
そうやるしかなかったということは痛ましいことでした。
もういいです。
好きなだけ優しく愛らしくいてください。
自分を好きなだけ愛してください。
もう我慢しなくていいんです。
自分を好きなだけ、愛してあげてください』というと『そうかのう~』と言ってみんな酒盛りにいっちゃった。
ゆかいな人たちだったんだね。
眠気もなし。
結構楽になってきた。」

気づく前は苦しくて、苦しくて毎日悶々としていましたが、気付いた後は、とてもスッキリとして、世界が新しく洗い直されたように感じました。
祈りも感じやすくなりました。

月末にお墓参りに行きました。
感謝を伝えました。

1年7ヶ月目 月20日ほど祈りました。
帰省の為1週間おやすみ。
鎮守は週3~4日。

「共依存に関する心理学のワークショップにいって、またいろんなことを知った。
それはショックもあったけど、実感もあって、自分の成長を感じた。
私はちゃんと感じてる。
反応している。
それを頭(思考)で押さえ込もうとしていたんだ。
もうその感覚を信じていい。
それにしたがって行動していい。
私は愛せるし、行動していいんだ。」

「心理学の講座では、『あなたはたまたま不幸なところに配属されたけど、それはあなたの責任じゃない』という。
私のこの生命としてはそうかもしれない。
でも魂としては違う。
それは私の責任である。
今までの生で作ってきた良いことも悪いことも宇宙に残り続ける。
想いや感情は時間の制約を受けず、残り続ける。
それを解除したくて、ひかり先生に出会ったんだ。
祈りに惹かれてしまうのはそういう訳かな?チャンスが少しでもあるのなら、それをやりたい。
それが自分のカルマから逃れたいからか、本当に謝罪の為かはわからない。
早く祈りを進めたい。」

「自然の見え方が変わってきた。
公園にいくより、雑草が美しいと感じる。
ものすごい勢い。
この時期。」

周りを見つめる自分が徐々に変わってきた様子でした。

心理学のワークショップを受ける。
「感情のワークショップ」「身体のワークショップ」自分が何を感じているか、毎日ひろう。
どういう感情を感じているときにどういう身体の反応を感じているか、知る。
「自分は感じていない訳ではなかった。
それを感じないことにするしかなかった過去があったから、そうしただけだった。
体の精緻さに驚く。
感情をちゃんと感じていた。
これについていこう。」

「達成ではなく、快を。
正しさではなく、楽しさを。
私はいつも誰かの正しさ、誰かの達成を生きようとしていた。」

お墓まいり。
あまりのらない。

台風の影響で父の実家の墓参りはできず。
母の実家のお墓には行けないままでした。

1年8ヶ月目 帰省の影響か、前半は祈れず。
月10日ほど。
鎮守は2~3日おきにいく。

「スピリチュアル教室「ありのままに受け入れてもっとも良い決断をする」を読んで、私、直感がよわいなと思った。
いつも後から気づくもんね。
感情と思考を止める…。
なるほど。」

「我慢している人がいやなのは、必ずその我慢を人に強いるからだ。
私、いままでこんなに我慢してきたんだから!我慢できる私ってすごいでしょ!?って。
常識も同じ。
やって当然なんだからやりなさいよ!って。
気持ち悪いよ。
そのときはそれしか知らなかったんだな~。
私も。
すこしづつ成長してる。」

「町内のお祭りに行って、いろんなお母さんから話しかけられた。
みんあすごく話しやすいじゃないか!いままで地域の活動なんてすごく億劫だったけど、子供の為と思ってやってた。
でも今日は楽しかった。
私の構える感じがなくなったからかもしれない。
人はそれぞれに学んでいくものだ。
それは魂の来歴も違う、DNAも違う、生い立ちも違う、のだから、私が決めつけてしまうのはもったいないように思った。
必要なことは起こってくる。
そう思えた日だった。」

「最近あまり乗り気でないので、鎮守に行って祈った。
すごく気持ちがよくなって、『もっと頼っていい』ってメッセージをもらったような気がした。
神様ありがとう。」

「今日きょうだいに、共依存のことを話した。
拒絶されるかとおもったけど、『ふうん』と話を聞いていた。
『じゃあ、我が家って共依存だった?私もあんたも?』『そうだよ』と話した。
とてもあたたかい気持ちで話せた。
私の境界に侵入してくる人と思っていたけど、ともに回復の道を歩く一員と思えた。
それは自分が広がっていく感覚だった。」

「今日はすごく嫌な気持ちになった。
会社の雰囲気。
あのお互いがお互いを縛りあう雰囲気。
なんだろう。
これは。
これはコントロールだ。
従えと。
みんなコントロールされてきたからそうするの?そうするのが当たり前になっちゃうの?こういう価値観がはびこっている。」

「魂の方向性は直感で知ることができる。
気持ちは感覚で知ることができる。
体が浮き立つような感覚、エネルギーで満たされる感覚、あたたかい感覚、軽やかな感覚。
感情を信じてはいけない。
感覚は起こってくるものだけど、感情は起こされるものだ。
必ず感情が湧いてくるきっかけがある。
それを見極めないと。
悟ると感情は湧いてこなくなる?名前をつけるだけ?いや、そんなことないのかも。
悟って初めて純粋な感情を味わえるのかも。
思考も同じ?悟って初めて明晰な思考ができるのかも。
肉体も100%使えるし、純粋な喜び、愛に生きるのかもしれない。」

「奇跡のリンゴをよんだ。
すごかった。
そして『わら一本の革命』も読んだ。
『人間っていうのは、何やったってダメなんだ。
一切のものが無に帰してしまう。
ゼロになってしまう。
そしてこの『無』こそ広大無辺の『有』なのだ』だって。

まさに空だ!私は最近「自然」を探していて、結局どんなところに行ったって自然というものはない。
地球のどこかに自然はあるのかもしれない。
でもそこに行けたとして、ポトリと落としてもらえたとして、私がそこに行くこと自体もう自然ではない。
私がそこで何かを一つ食べ、フンでもしたら全て異物だ。
地球にとって異物なの?私たちの自然のあり方を壊したのだ。
自然な人間のあり方、時の過ごし方、食べ方、コミュニケーション。
これからどう生きればいいの?もうお金にモノにも虚しさを感じる。
まるで人形劇を見ているよう。
でもそれが必要。
今ここが私のいる場所だ。
そうして、世界の価値は全く違うところにある。
どう生きればいいの?」

「もっとも壊れてるのは、私たちの意識。
人が魂に気づかず、平行時間を生きて、自分の殻に閉じこもって、まともにコミュニケーションできず、感覚も直感も失い、娯楽にまみれ、死んでいく…。
何度も何度も繰り返しながら、一度も本当の生命を生きることがない。
なんだこれ?本当にこんなことに意味はあるの?悟らないとありのままの自分にはなれない。
でもありのままの自分になったら、イミテーションの社会しかない。
どうなるの?」

少しづつそのまま自分を感じることができるようになり、何を感じても怖くなくなりましたが、自分の気づきと、周りの世界の有り様に驚いていました。
気づけば気づくほど、不自然なものしか見えないような気がして、ショックを受けていました。

初めて義母の実家のお墓参りに行く。
「とても気持ちよくて拍子抜け。
いつも義母とはギクシャクするから相当辛いかなとおもったけど、すごくいいところだった。
感動した。
ありがとう。」

1年9ヶ月目 月20日祈る。
快調。
ねむくもならず。
鎮守は週2~3日。

「私たちは夢を見ている。
とても長い、でも一瞬の夢を。
夢を見ているという状態を望んだので、こうなっている。
この身体も幻想らしい。
あと、私、もう○○とかに情熱がないことが。
それは今までやってきたことで、これからやることじゃない。
いや、これからもできるだろうけど、この状態を続けていくことには情熱は持てないと思った。
大切なのは、情熱だ。
人を動かすのも、神を動かすのも、お金を動かすのも!そういう情熱が、今の私には「ない」気がした。
浄化とか手放しってこういう風におこるの?今私がYES!と言えることはなんだろう?祈り、自然栽培、心理、祖先の森…どれも仕事にもお金にもならなくて、だから嫌なのか?もっと枠を外して考えよう。
神様どうか、インスピレーションを与えてください。」

「月曜から久しぶりの熱。
夜もうろうとしてきて、幻覚が見えて、天井のシミが動いてるみたいに見えた。
これは、九頭龍神社でいのっちゃったからか?それとも季節の変わり目だから?わからないけど、私の中に何かたまってたんだろうな。
浄化は問題解決だとひかり先生もいってた。
そう考えるとこちらも行動しやすい。
問題を解決すればいいんだもの。
もっともっと行動していきたい。
失敗してもいいじゃない。」

「幸せな日だった。
お義母さんと話して、ドヨーンとなったけど、すぐ幸せになった。
お義母さんに言われたことより、自分の思うことを大切にしようと思ったね。
みんなが同じ方向に向いてても仕方ないし。
ま、従業員さんは従業員さんの。
私は私のやることをやるしかないよね。
そうあるべきを求めるのはイヤだな。
今現在の自然体の私を生きる。
ってことが大切だし。
もう目標を立てるのはやめたの。
ビジョンはみるけど、目標はたてない。
だって選べるから。
今日恐怖について考えていて、でも、私は選べるから。
人生のおこることは、みんないいことだと。
それは自然に起こってくることなんだけど、本質の私は、『どっちも選べる!』どちらの世界も味わえる。
作り出せるわたしだから。
選ばないを選ぶから、物事が受動的に、起こってくるような、自分が被害者のような気がしてしまうのではない?選べるし、選んでいいんだ。
てか、本当は選んでたんだよ。
違うことが体験したければ、違うことを選べばいいんだ。
恐怖のよいところ、おこることは全ていいことと思えることに気づくこと。
それを選んでいる自分に気づくこと。
恐怖は感情?感情は自動発生してるんじゃない。
私が選んでるんだ!」

「夫が救急搬送されたって!もうびっくり!どうすんのよ。
こんな状況で!そのまま死ねばいいと思った。
私の心の中に愛なんかなかった。
怒りだ。
自分のことを自分で決められず、他人の言うなりにいきて、時間もお金も身体も使うだけ使って、オーバーフローする。
そんな風に自分を粗末に扱う自分に気づいてない。
できない自分を認めてない。
そこから変わりたいと望んでない。
そういう自分にいい加減気づけよ!ただ相手に合わせればいいと思っている、受け取らなければならないと思っている、感謝しなければと思っている。
それは本当の感謝じゃない。
本当に感謝していたら、自分をそんな風に扱うことはできないはずだよ!全てが嘘っぽい。
それは自分に向き合わないから。
上辺だけで共感されても腹が立つだけ。
結局自分に向き合おうとしない人は、他人を尊重することができない。
結局他人を踏みにじることになる。
それは子供も、私に対してもだ。」

「昨日あんなことがあったのに、とても幸せ感。
あまりねむってないから?夫と話したけど、なんであんな言い方したんやろか?やっぱり夫をしばりたかったんだろうね。
そんな自分が見えてもモヤモヤしない。
感情をくっつけないってすごい!こんなに楽なんだ~。
夫のことがどうなるかはわからないけれど、離れるときは離れるだろう。
今はそのときじゃない。
昨日夫が死んでしまってもいいや~って思う自分の中に、なんか、ここで夫が死んだら、大して課題を終わらずに逝くことになるなあと思った。
今気づいたけど、私はこの課題だらけの人生が好きみたい。
たくさん学び、乗り越え、成長したいと魂は望んでいる。
いや、マゾかも。
こんな挑戦するなんて。
でもこの身動きのとれなさ、ままならなさ、負の感情、愛おしいと思う感情、どれも夫がいないと味わえなかった。
そしてこの三次元だから、次元のちがう先生にも会えた。
いやあ、ここに来ようと思った自分の勇気に乾杯!」

「不安なんかない、恐れなんかない、み~んないいこと。
どうして自分にはそう思えて、他人にはそう思えないの?それは自分と他人を分けているからだよね。」

「ドラゴンアイズを読みふける。
先生の悟りについての振り返りがあった。
悟りたいんだろうか?わたし。
でもこんなに祈るってことは、悟りたいってことだよね。
魂はそれを望んでいるだろう。
間違いなく。
わたしはどちらかというと、ただ成長したい。
自分を成長させていきたい。
どれだけ歩けるかわからない。
悟りはそういうタイムラインに乗っていれば悟るのだろう。
「わら一本の革命」の福岡さんもそうだ。
あの人は悟って、一人孤独に農をすることを選んだ。
先生もそちらに惹かれると言っていたけれど、お役目のある人はちがうのだろう。
福岡さんも結果的に農に尽くした。
そういうお役目があったんだろう。」

「私の今の心はとてもおだやかで落ち着いている。
人を断ることもできるし、介入することもない。
でもただ進歩成長したい!という欲のためだけに祈っていないだろうか。
先生ほど心を尽くしているか?と言われればそうでもない。
だから今祈りが止まっている。
これは私の欲の抑制なのか?それとも怠けだろうか?それとも課題?のんびりでもいいのかな?」

「もう認めるしかない。
私は夫にすごく執着してる。
夫の未熟さを受け入れられず、進歩成長したいという自分を受け入れられず、他人をコントロールしようとしている私。
良いことなのだからといって人にすすめる執着。
他人も進歩成長するべきだという執着。
これはどこから来ている?私の怒り。
こんなに生きづらく、不自然な世の中への怒り。
でもそれは、不自然な自分自身への怒り。
自分の中のまだまだ自然になりきれていない部分を恥じる気持ち。
受け入れてない気持ち。
理想に執着する気持ち。
この気持ちのこと、先生はなんて言ってたっけ?」

「私は夫の幼さと心の清らかさを見間違えてたね~。
自分に対してもそうだったね。
幼いということが、清いと、より浄化されていると思い込んでた。
他人に求めている限り、自分は成長しなくていい。
求める必要があるということは自分が成長していない証。
成長はとまる。」

「私は成長したい。
でもそのためには自由と創造性を阻むものから離れないといけない。
それは夫か?それが今はできない。
今はそう感じるんだから、それでいい。
そう感じる必要があるからそうなんだ。
それが今の私にとっていいんだ。
そういう自分を認めないといけないね。」

「今、こんなに幸せ感。
心が成長すると、こんなにモヤモヤしなくて、幸せなの~?驚いている。
もちろん、一瞬感情に飲み込まれるときもある。
でも戻ってこれる。
この感じはスーパーセブンだな。」

「今私は、他人と自分を分けている。
だから他人が成長しないのが悲しいんだ。
イライラするんだ。
そしていいことだと思い込んでいるから押し付けても平気なんだ。
私も同じだ。
お義母さんと。」

自分の感情や感覚、気づきをひたすら書いていました。

心理学のワークショップ。
境界線を受ける。
「今回の境界線のワークショップは2回目だったけど、もっと理解したくて受けた。
でも結局、境界線って、自分を尊重するってことだと思った。
自分を尊重できないから、他人の境界も平気で踏みにじれるんだ。
とにかく自分を知ること。
大切に暖かい気持ちでいること。
それだと思った。」

お墓参りに行けず。
お彼岸やお盆のときほど行けないことが多いような気がする。

1年10ヶ月目 月20日ほど祈る。
鎮守は週4日ほど。

「悪を抱き参らせるについて考える。
悪を悪として映す鏡は私の心の中にある。
悪を取り除いて善ばかりの世にしようとおもうのは 独善ではないか?自分の安心を得たいための。
それを社会に求めるのは増長か?そうして自分の善を人に押し付けるようになる。
それこそが悪。」

「今日もドラゴンアイズを読んでいて、私の中にも増長があるなあって。
私も自分本位な人、周りを考えない人キライだ。
でもそう思っているってことは、それが私の心の中にあるってことだよね。
周りの人の小言、夫に対する愚痴。
そうやって、「自分は間違っていない、正しいんだから!っていう怒りが私の中にもある。
最近波動が下がってる気がする。
珍しく昼ドラなんか見てみた。
びっくりな世界。
条件付きの愛も、世間の常識も、恐怖も気づけた。
でもこの怒りは乗り越えられない。
祈りもおろそかになってる。
なんで気づけないの!気づかせてよ!って思う自分がいる。
なんて傲慢なんだ!そう思うけどさ、それが正直な自分。
でもさ、本当は何も大したことがないこの日常が何より恵みだし、神社で泣いたことはないけど、ちゃんと気持ち良くしてもらっているし、いろいろ直感ももらってるんだよね。
祈ららに出会えたことが奇跡だし。
人生の宝だ。
これがハイヤーセルフの技?夫のおかげで、お金も時間もある。
今本当にしたいことをしている。
それは、魂の道を歩くこと。
これが本当にしたくて、知りたかったことだ。
私は夢の真ん中にいるのに、どうしてこんなに怒りばかり投影しているのだろう。
自分の未熟さを受け入れられないのだろう。
私は私だ。
この不遜さを詫び、今ここから始めるしかない。
でも周りを気づかない人たちだと思い、夫を愚鈍な人間だと思い、家業を私をしばる鎖だと思う自分がいる。
それを正直に見つめよう。
その一方で、周りの人のその人なりの自然を尊重しよう、夫の善なるところを見つめていよう、私に時間とお金の自由をくれた家業に感謝したいという思いもある。
どちらも本当だ。」

「私が進めないのは、認めないからだ。
自分が見えない鎖によってがんじがらめになっていることを。
自分で切る決意ができないのは、鎖がないと思っているからだ。
いや、ある。
自分がかわいそうな人を見つけてしまうのは、自分が自分のことをかわいそうだと思っているからだ。
わ!今気づいた。
このかわいそうな自分を助けたくて、私はかわいそうな誰かに依存していく。
それなら自分を直接助ければいいじゃないか!私が見ようとしなかったのは、このかわいそうな私なんだ。
それでいいんだよ。
それを否定しなくていいんじゃないか。
自分の人生を決められなくて、自信が持てなくて、周りの目を気にして過ごしている。
それはとても痛ましくて、かわいそうだよ。
それでいいんだよ。
かわいそうな私、自立とは程遠く、他人に頼らなければ生きて行けず、自分の生き方を自分で決められない。
かわいそうな子供時代から何もかわっていない。
ずっと否定していたよ。
ごめんね。
ああ、本当にここからはじめるんだ。
始められるんだ。」

「子どもというのは、すべてを善きものとして取り入れる。
たとえ虐待であろうと。
私は世界を肯定したかった。
それをみんなもやっている。
かわいそうな私でもいい。
そうだよ。
自分のことかわいそうだと認めてあげるのが大事。
何も否定しないって、かわいそうじゃないって思い込むことじゃない。
それはコントロール。
じゃあ、どうして“かわいそう”を握っているの?」

「神から見れば、みんなどこまでいっても未熟だ。
そんな自分が許せないのかな?」

「この現実社会で、私はなにも成し遂げてない。
今は自立もできてないし、仲間もいない。
社会の歪に気付きながら、何も変えてはゆけない。
そんな無力な自分を感じた。
未熟なら未熟なりに全てを受け入れて謝るということができない。
ひかり先生みたいに真摯になれない。
そうやって人と自分を比べて、自分を小さな存在だ。
何も力がなければダメなのだと貶める。
私は自分を満たしているとは程遠い全然愛せてない。
でもその中で、かわいそうな自分を見つけた。
それを認めなくて隠していた。
自分に対しても。
そして、世界にまわりにそれを投影していた。
ただそれだけだった。
そうしたら世界は私の様々な未熟さの表れだと思うようになった。
初めて世界が私だ!と思えた瞬間だった。」

「昨日、無性にケンタッキーが食べたくなって、食べた。
ケンタッキーなんてここなん年も食べてなくて、お肉は胃が痛くなる感じだから食べるのを避けてた。
食べたいと思いながら食べるのを避けてるって、低い次元を受け入れたくないってことだよね。
私、自分のこと、かわいそう、惨めだって思ってた。
でもかわいそうな自然というのはあるんだろうか?かわいそうな動物というのはあるんだろうか?ライオンに食べられるシマウマはかわいそうなんだろうか?シマウマが喰われることがなくなったら、世界は平和なんだろうか?ライオンが衰退したら、世界は平和なんだろうか?強いものは飢えて死ねばいいとおもうんだろうか?それは闇なんじゃないだろうか?強いものの悲しみはないんだろうか?そもそも動物には感情がない。
思考もない。
痛いだろうなと思う思考。
かわいそうと思う感情。
それがくっついてる。
私が私のことを思考や感情で考えなくなれば、かわいそうな私はいなくなる。
人は直感と感覚で生きられる。
ずっとずっとエネルギーロスが少ないはずだ。
じゃあ思考や感情はなくてもいいの?でも、思考や感情で検証し、実行する方法を考える。
低い次元の自分も愛してあげよう。
全てを抱きとめる大きさを持つことは全ての悪を抱き参らせることは、私の低い次元も、悪も愛することなのだから。
それを置き去りにすると、他へ投影せざるをえなくなる。」

「今日従業員さんと話して、みんな『愛されない自分!』を高らかに叫んでいるんだと気づいた。
私も同じ。
自由じゃない私、やりたいことはやれない自分、って世界に叫んでるんだ。
そうやって世界に叫び続けているんだ。
それはやがて自分に跳ね返ってきて、愛されない自分を味わうだろう。
私のやっていることも同じ。
自由じゃない私、豊かでない私!って叫んでいたから、こうして不自由な自分が生まれた。
本当はそんなことない。
経済的自由も得たし、時間的自由も。
愛情の自由も(自分も他人も好きなように愛せる)、心の自由度も増してる(何を感じてもいい)。
きっとどこだっていける。
未来はちゃんとよくなるし、今が至上最高だって信じられる。
心が“今ここ”にあるって、なんて自由で軽やかなんだろう。
本当にこのバランス感、幸せ感って素晴らしい。
スーパーセブンのおかげだな~」

「私は多分、苦しいところに生まれてみたかったし、家族を助けたかったし、結婚も育児もしてみたかったし、最高のパートナーシップも味わいたかったし、また一人で生きていく強さ、自由も欲しいのだろう。
それは全部ちゃんと手に入る気がする。
いつかはわからないけれど。
私は今自分の歩みが応援されていることを感じる。
日常はアンラッキーも多いし、ぶつかることだってあるけど、これは総じて浄化の結果だと思う。
本当に大きなことを小さく出してもらってるんだ。
今日映画館で親子連れに苦情をいわれたときも、いつもならイライラしたり、逆に縮こまって考えられなくなったけれど、今日は『これは、私の何がこの人にこういわせたのか?』と思えた。
成長したね。」

お墓参りにいく。
いつも通り。
お墓はいつも自慢げ。
お酒を周りにたくさん振舞うと喜んでいるみたいに思う。
○○教の二人はいつも通り。
お花が好きみたい。
義母のお墓はいつも穏やか~。
何も期待しない。
ただ朴とつと自然と生きた人たちのように思われる。
とても落ち着く。

1年11ヶ月目 ほとんど祈れず。
月10日ほど。

「今日は子供達を怒鳴って、叱りつけて、脅してコントロールした。
あの怒り、ムカムカ。
他人を苦しめている。
これが私だ。
私は私よりできる人、綺麗な人、成功者、才能のある人に嫉妬している。
そして、自分が見下す人には、“かわいそう”って思っている。」

「チャラチャラしている子、軽くて嫌だと思った。
好きなことしかやらず、やりたくないことは放り出していまう若い子、無責任って思ってた。
でもね、いまは気づくことができる。
それは、“自分の好きなことが好きといえる、自分のやりたいことに正直である”こんな姿勢に嫉妬していたのかも。
嫉妬ってどういいの?嫉妬と憧れの違いは?」

「最近自分が見えすぎてつらい。
自分の臆病さが見える。
なのに、自分ができる、やってきたと思っている自分がイタい。
どんどんハードルが高くなっている気がしている。」

「今日久しぶりにインナーチャイルドワークをした。
私は、欲しいものもやりたいことも何一つできなかった自分に会いに行った。
ピアノが弾けない私をみて、チャイルドが、「やっぱり私習わせてもらえなかったんだね」と言った。
そして、「そうなの。
あなたの欲しいものは与えられなかった。
欲しいけれど、手に入らなかったものを描いて生きていったの」といった。
悲しそうなチャイルドの顔。
でもその子に「でも、あなたが大切に思うものは、最初からあなたがここに持っている。
それは決して奪われたり、汚れたりしない」と伝えた。
チャイルドの中からオレンジ色のような光が輝き出したように思った。」

「今日またエンプティなものが食べたくなり、MACに行った。
私は私を恐れていた。
それを受け入れていなかった。
「ごめんね、もう恐れないよ。
私は私を」と言った。
私はどこかで許可をもらおうとしていたんだんじゃないだろうか?受け入れられる自分を求めていたんじゃないだろうか?相手に承認を求めていたんじゃないだろうか?だからお義母さんや、従業員さんの関係が苦しいんだ。
私は自分の価値を他人や持っているものではかっている。
だから夫や子供や自分のものをコントロールするんだ。」

「疑いの中に止まることが大事。
自分がどう感じているのか。
反応したら、時として肯定することになる。
微細であれば、同調できる幅が広い?荒いものは細かくなれないが、細かいものは荒いものを感じられる?要検証。」

「最近、すっごくこわい…微細なことに目を向ければむけるほど、向き合わなくてはならないことにも丁寧な配慮が必要。
エネルギーのサイクルにも敏感になる。
それに振り回される私と、いつも幸せな私を感じる。
そういう自分を感じる。
感じるように思う私が本当の私。
本体の私とでもいおうか?本体の対義語は現象なんだって!本当にそんな感じ。
“本体の私”と“現象の私”。
現象の私は、イライラしたり、嬉しくなったり、悩んだり、怒ったり…忙しい。
現象が本体だと思ってとらわれすぎるのが、ワナ。
命というのは、始まりもなく、終わりもないとしたら恐ろしいだろうか?私たちはたった一つの命の様々なバーションで、それが収縮しているだけだとしたら、途方もないだろうか?」

「かわいそうな私の良さって何?人に頼って生きていける?守ってもらえる?子供でいたいから?責任をとりたくない?本当は自分で自分を助けたい、救い出したいんだよね。
私は私のヒーローでありたいんだよね。
そして素晴らしいのは、“私にはその力がある”ってこと!ああ、今そう感じたら、胸骨のあたりからじんわり何か出てきたよ。
そうだね。
私には私を豊かにする力がある。
豊かさを広げてゆける。」

様々な考えが頭のなかを巡っていました。
どんどん気づきたい自分と、細かく気づくほど自分の未熟な部分が見えるようにも思え、苦しく思う日もありました。

心理学のワークショップで「人間関係」について学ぶ。
原家族のパターンをそのまま踏襲している。
自分と自分の関係がまわりとの人間関係に投影されていることを改めて目の当たりにする。

月末、お墓参りへ。
すっきり。
主人の祖父母のお墓で、祖母に「○○に行ってきました。
○○にはちゃんと謝りますから安心してください。
というと、ほっとしたような雰囲気を感じた。」
(○○神社に行った時、やたらと祈りたくなりました。
それで祈り続けました。
祖母の家は○○の出身だったので、何かあったのかもしれないと感じました。
それで、一言お墓で報告しました)

1年12ヶ月目 月10日ほど祈る。
鎮守へは週2~3日。
先祖供養は、○○経より、□□□経の回数が増えてきました。

「私が感じたいのは、不足な自分、できない自分、改善すべき私ではなく、そのままでいい私。
あるがままの私だ。
そのままの私でいいから、いかようにでも変えられる。
変化できる。
変化できる私もそのまま受け入れられる。
そのままのわたしでいい、と思えた時そうなるんだ。
何かがある、何かかができるから、豊かなのではない。
私は私だから豊かなのだ。
そう、だから豊かになれるのだ。」

「カウンセリングで、ADHDの検査結果を聞いた。
私は注意散漫というADHDの境界線1歩手前ということだった。
でもカウンセラーは、この不注意という傾向を不安があるために予習や予防ができたのかもしれないと言った。
確かに学校でも社会でも困ったことはあまりなかった。
でも緊張は強かった。
あきっぽく、複数のものに同時に関わりたくなるのも、そういうことだったのかも。
でも、不安や緊張を常に抱え、共依存という他人の承認を求め他人軸で動くということをやっていたから、何をやってもうまくいかなかった。
その現実が今よく見えるようになった。
そして、こうも言える。
私は共依存の回復に取り組み、自分の不安と向き合い、自分との関係を変えようとしたので、この注意散漫というADHD傾向を知ることとなったのではないか?自分の不安を降ろそうとした時、この傾向をまっすぐに捉えられるようになったのではないか?いつも何をやっても足りないような不安、恐れ、正しいことをやりたいという欲望、コントロール。
それは、他人の軸から自分を満たそうとしているからだった。
誰かが自分を満たしてくれる、ということが、そもそもおかしい。
本当はいつも自分なのに。
そう思えてきたから、自分の傾向に気づいて対応できるのかもしれない。
これは、ものすごい成長だね。」
(共依存という症状の一因として、自分に大人の発達障害があるのではないかと思ったので、カウンセラーに検査をお願いしていました。
知能検査とADHDの検査を受けました。
知能はとくに傾向はなく、ADHDの方が、境界線は超えていないが、不注意傾向が高いという所見でした。)

「なぜか幸せ感がもどってきた。
今日はお義母さんからいろいろいわれたけど、反応しちゃったなあ。
う~んカルマ。
まだまだ成長域あり。
未熟って捉えるよりそうとらえたい。
夫に対して、なんだか愛が湧いてきた。
本当に夫が幸せで希望を持って生きるために私にできることがあるならしたい。
夫のために祈りたい。
なぜ今までそう思いつかなかったんだろう。
自分を犠牲にしてまで働かなくていいように。
そしてこうも思った。
夫の手助けはしたいが、私を犠牲にすることはしない、と。
それは拒否していいし、自分で道を見つけていいと思った。」

「心理学ワークショップの主催者の怒りを感じる。
敵対心。
それは私の心の中にもある。」

「私、夫に対して、離婚、離婚と騒ぐ私は『相手が間違っていると思い、相手に対抗し、頑なに相手を拒否することも逃げの一つです。
』私はこうなっていなかっただろうか?私ずっと逃げていたんだね。
私は間違っていない。
あなたが間違っている!って言いたいんだ。」

「今日は全然だめだ~。
やりたいことが多すぎて、時間がしっちゃかめっちゃか。
何を考えたいんだっけ?私は今結婚によって苦しんでいる。
それは私の選んだことだから仕方ない。
子供といる喜びを今世味わえてよかった。
そのチャンスをくれて嬉しかった。
夫よ。
神よ、ありがとう。
子供たちよ、私のお腹にきてくれてありがとう。
そして、私は中途半端な選択の結果を最後まで見つめてみようと思う。
それは我慢してここに居続けるということではない。
私はここで精一杯自分を表現して行くのだ。
それが否と言われれば、ここを離れよう。
それがハイヤーセルフに対する誠実でもあり、自分への喜びへの奉仕であるように思う。
でも今はどうやって自分を表現し、どうやってこの三次元を生きて行けばいいのかわからない。
どうやってお金を得ればいいのかわからない。
今はお金がないと生きて行けない世の中だもの。
お金が嫌いなのに、お金が欲しい。
この矛盾が私の中にあるんだな。
自分が好きなのに、自分が受け入れられない。
つまり…自分を好きであることに自信がない。
どうしてだろう?どんな自分も愛せるのに。
世の中の常識や基準は見せかけなのに…。
それを知っていてもなぜ?『自分を好きになってしまうと周りを失うから?』でもその誰かってだれ?本当は誰もいないんだよ。
自分で自分を愛せれば孤独はないんじゃない?」

いろいろなことを感じました。
さまざまな方向から自分を理解しようとし、また今までの自分を変えるために何かをしなければという自分と、もう全てを任せてしまおうという自分が両方いるように感じていました。
今はまだ心底自分を受け入れきれていないなと感じています。

霊の祈り2は、四苦八苦という感じでしたが、
神仏とともに歩むことができる、自分の成長を感じられる、ということを知った充実した毎日でした。

今振り返ると、最初はこんなことを考えていたんだなあと驚いたり、
気づきの前に、きっかけとなるようなことがあり、サインもあったんだなあと俯瞰できました。

最初は荒々しい波であったことが、気づきがだんだんと細かくなり、今は波の起こる前の揺らぎをつかみたいという感じです。

でもそれに気づくには、日常の細やかさがもっと必要な気がして、まだまだそこには至っていません。

これが、先生が言っていた、進めば進むほど難しくなる、ということなのかなと思ったりする毎日です。

先生の提供してくださるものは、祈りも、天然石も実力重視で飾らないものが多いなあと思います。
しかし、やってみるとパワー満載で、いつも驚き、たくさんの気づきをいただいております。
ありがとうございます。

いつも、朝仏壇と神棚に向かって祈っておりますが、ある日の夜、お風呂に入り、すっかり寝る準備を整えてから、神棚に向かって祈っておりました。

目を閉じて祈りの言葉を唱えていますと、自分の身体が1.5倍ぐらいに大きくなった感覚があり、とても気持ち良くなりました。
眠かったので、錯覚かなと思いましたが、その後も夜祈った時は、何度かそういう感覚を感じました。

この感覚は、朝は感じたことがなく、夜自分をスッキリとさせてからでないと感じられないようなので、心身を整えてから祈るということも大切だなと思いました。

「自分は肉体の身体だけでない、もっと大きなエネルギーだ」ということを感じられたような祈りでした。

なるほど~、先祖と子孫の心の中は食い違っていることもあるのですね。

義母のご先祖様のお墓は、昔りんご畑だった山の道を少し入ったところにあって、竹林に囲まれていました。
8月の真夏の暑さでしたが、お墓は竹林の陰で涼しく、さわさわと竹の音がして、それはそれは気持ちいい場所でした。
あ、でも無事お墓に到着するまでに、入る脇道を間違え道に迷い、2回ほどグルグルと車で走り周りました。
少しは邪魔もあったのかもしれません。

義母とのイザコザで、私はこちらの家にカルマがあるのかなあなんて考えていたので、先祖供養がこんなに気持ち良くできるということにびっくりでした。

霊の祈り2を初めて1年以上経ちます。
毎日祈りをできているわけではありませんが、マイペースに続けています。

先日やっと義母の実家のお墓参りが出来ました。
義母の先祖のお墓は、昔農地だったところにあり、正確な位置がわからなかったのでした。

義母とは言い争いもあったり、今まで引っかかりを感じていたのですが、お墓ではとても爽やかな雰囲気を感じました。

きっと怒られるだろうと思ったお墓での先祖供養も穏やかでした。
おそるおそる訪れたお墓で、こんなに気持ちになるとは驚きでした。

いままで1年ほどお仏壇で祈ってきた成果かもしれませんし、ご先祖様方はとても穏やかな方々だったのかもしれません。

本当に意外で、ありがたく、素直に祈りと感謝が伝えられたように思います。

祈りが終わっても、しばらくそこで爽やかな空気を感じていました。

隣町ですので、これからしばらく参らせていただこうと思いました。

霊の祈りレベル2を1年ほど祈っています。

最初、「神棚を買いたい、仏壇に御本尊様をいれてきちんとしたい」と言ったところ、夫は「神様やご先祖を大切にする気持ちがあればいいんだから、そんなの必要か?」などと言っていました。
私は「だから見えるカタチが必要なんじゃないの?」といい、祈りを進めたかったので、半ば強引に神棚を購入、お仏壇を整え祈り始めました。

最初は見て見ぬ振りをしていた主人ですが、最近、こっそり見ていると神棚に柏手を打って出かけていく様子を見ました。
付き合いでお葬式に出る機会も多いのですが、帰って来たあとは仏壇にお線香をあげ、なんだかブツブツ言っています。
なにか報告しているようです。
こういう形でも主人が神々、ご先祖様とのつながりを持とうとしているのは、祈ららの祈りのおかげかなあと思っております。

まだまだレベル2の道半ばですので、どういう変化が起こるかわかりませんが、続けていこうと思います。

本日レベル3の参拝の時に「○○は任せてください。」と思いつき、涙があふれました。

レベル3の参拝で涙でたのは初めてかと思います。
充実した参拝になりました。

これからもコツコツぼちぼちやっていきます。

瑞の祈りの資料をお送りいただき、ありがとうございました。
昨日、今日と、鎮守の参拝をしてきました。

私にはまだ祈りをするのは早いのではないかという気持ちがありましたが、参拝をさせていただくとすっきりして、この感覚を忘れたくないと思いました。

初日は社殿の階段に蝉の死骸がたくさん落ちていたり、毛虫の糞で境内が汚れていたりして、ちょっと弱気になっていたのですが、二日目に行くとすっかりきれいになっていました。

たまたまだった可能性もありますが、ご鎮守様が快く私を迎えてくださったのかもしれない と嬉しくなりました。
(と書きながら泣きそうになっています)

今日神だなで祈っていたら、のりとをあげている時にスサノオの命から、「恋は難しいのぉ。。。この話しでそちと一杯いけそうじゃ。」とはっきり聞こえてきて祝詞の途中で吹き出してしまいました(笑)

スサノオの命は私がいつも真剣に困ってるときに笑顔にさせてくれます♪

お仏壇の前で瑞の祈りを捧げていると、ご先祖様が喜んでくださっているのを感じられるような気がします。
また、なんとなくですが、供養のしはじめは体調不良等自分自身の生活にいろいろな変化が起こり、継続して同じ方の供養を続けていると日に日に自分自身の生活が穏やかになっていくように感じられます。

神社にお参りしてきました。
ここは鎮守というだけでなく、産土神さまだと思います。
近くですが今となっては滅多に行かない場所です。

神社のすぐ側にある私の生家は潰れていて、家の基礎が残っていました。
懐かしい木々の匂い。
父母を亡くして○ヶ月のわたしは、その家の跡地や周りの景色に泣いてしまいました。
神社の神様は、とてもとても暖かく迎えて下さったと思います。
おかえりと言われたような気がします。
子供の頃遊びながら見上げていた神社の森の雰囲気そのままでした。
爽やかな風を吹かせてくださいました。
爽やかで濃さや重さがなく、自然な感じがしました。

実はわたしは引越しの予定があります。
ですがわたしは、○○がとても大好きで、ここを離れることはとても悲しいです。
あちらのお家の鎮守は多分□□神社さんで、引っ越すならば□□、と何度か自分のチャネリングでメッセージを受けとっていたので(最初は□□は地名の事かと思っていましたが、□□神社というのが日本中にあるのですね。)家が決まった後に地図をみて□□神社をみつけ、やっぱりかーと思いました。

でも離れる前に(;-;)、まるで故郷のような○○神社さんに行く機会を設けられてよかったな、と思います。
私の子、と言われたような気がしました。
わたしは妊娠期間中を○○で過ごしていた時もあったので、子供たちの産土神さまも○○神社なのかもしれません。
結構大変だったわたしの妊娠期間などを、私の知らぬところでお助け下さっていたのかもしれないと思ってしまうくらい優しかった。
今度は子供たちとも一緒に行ってみたいなと思いました。

カルマ浄化の祈りは6年ほど前からでしょうか、気にはなっていたものの、他の学びを優先させてきました。
元々他者や精霊神々の波動と共振する性質があるため、これ以上霊感が開いて過敏になってしまったらと思うと日常生活に支障が出てしまうとも思いましたものですから、躊躇しておりました。

ですがやってみたい、思うことは何でもやってみてから考えようという考え方になることが出来ましたし、これまでに自分が学んできたものとの似ているところや違うところがありそうで、好奇心が湧いてまいりました。
更なる真理の体感を得られることを期待しております。
どうぞこれからよろしくお願いします(*・ω・)*_ _))ペコリン

今日は昼間家でドラゴンアイズを読みながら、うとうと…。
やっぱり昼寝を2時間もしてしまいました。
ドラゴンアイズバックナンバーも高波動だな~と感じた次第です。

霊の祈りレベル1の21日間参拝が終わりました。
参拝を始める時、正直カルマ浄化ということが不安でした。
家族への影響も考えると、参拝を始めて良いのだろうかと悩みましたが、先に瑞の祈り1を終えていて、鎮守参拝に惹かれていましたので、レベル1に入ることを決心しました。
それでも毎日祈らせていただきながらも不安や心配は続きました。

私には霊感はないので、皆さんが体験されているような不思議なことは何もないのですが、21日間参拝している間に、家の給湯器のスイッチが突然つかなくなったり、トイレに何か落としてしまったのかトイレが詰まってしまい、慌てて業者を手配したりとバタバタしました。

私自身は体調不良などはなかったのですが、子どもは風邪をひき、長いこと咳が引かなくて心配でした。
主人も日頃の疲れが出てしまったのか、高熱を出してしまい、仕事を休まなければならなくなったりしました。

今思い出すと、これらが浄化だったのかなと思ったりしています。

21日間の参拝は満願しましたが、今でも鎮守の祈りは続けています。

最近では、祈らせてもらえることに感謝する気持ちになっていて、いつもありがとうございますと、伝えるようになりました。

これからも鎮守参拝は続けていきたいと思っています。
そして、次のステップに進みたいと思っています。
紫野ひかりさんに出会えたこと、鎮守参拝を知ることが出来たことに感謝しています。

以前からパワーストーンは好きでした。父が倒れてから、私もこれからの生き方に興味を抱くようになり
ネットで検索していて、祈ららのサイトを見つけました。
不安があったので、瑞の祈りから始めています。
自分の気持ちをみつめるチャンスに巡りあえて良かったです。

資料が届いた翌日(祈り開始2日前)から突然左足裏に痛みと痺れを感じました。
祈り始める前は続けられるかどうか不安で、田舎の集落なので、人目がとても気になりました。

最初はなんだか落ち着かず、祈りに集中できず注意散漫な状態でした。
都合上、夜の参拝が多かったのですが、初めて夜に祈った時は、境内の扉が突然カタカタなってびびってしまいました。

1週間ほどで、だんだん祈りにも集中できるようになり、人目も気にならなくなってきました。
恐怖心も和らいで、祈りに行くのが毎日楽しみになりました。
祈っている時に、左側に気配を感じたり、何かいるように見えることがありました。

10日目にご祭神様のことが突然気になり、調べました。
何かはわかったのですが、いまいちどんな神様なのかわかりませんでした。
祈っていても反応はあるのだけれど、なんか言葉とかではないエネルギーみたいなものを感じました。

左足の痛みと痺れは相変わらずで、他にも左肩の痛みや、左手に軽い湿疹みたいなものがでたり、左半身にいろんな症状がでました。

祈りを続けながら、2週間目にいつもよく行く一ノ宮にお参りに行きました。
神社の傍に川が流れているのですが、そこで足を洗うといいと思い川に入りました。
それからいつの間にか、左足の痛みと痺れはなくなっていました。
なくなって初めて、あー、これはカルマ出しだったんだなと思いました。

祈りを続けるなかで、ご祭神様のことをもっと知りたいなあと思っていたら、職場の近くでその神様がテーマの講演会がたまたまありました。
昼休みだけ参加して、ご祭神様の特集の本を購入することができました。
こんなに講演会や本を出すほど、熱心に研究してる方がたくさんいるとは、謎が多く、でも愛されて根付いてる神様なのだなと思いました。

3週目は、祈りの時ではなく生活してるなかで、突然涙が込み上げて、祈りの内容の気持ちでいっぱいになることがありました。
そして生かされているということを自覚しました。

境内で祈っていると、頭から足にかけてエネルギーが通るのが感じられるようになりました。
こんな近くに強力なパワースポットがあったんですね!

19日目にまた左足の痛みと痺れが出ました。
(今度はすぐ治りました。)
祈り始めて、いろいろ症状や出来事が起こりましたがそのことよりも、これぐらいで済んでいることにありがたいと思い、守られていることに感謝の気持ちが溢れてきます。

21日目。無事に毎日通うことができました。
その感謝を伝えていると、見守っているからなという思いが心に伝わってきて、初めて祈りの最中に涙が溢れてきました。
そしてこれで終わりでなく、やっと神様とのつながりができて、ここからが始まりなのだと思いました。

祈りを始めてから3週間、心が落ち着いていられることが多くなってきた気がします。
うまくいかないことも、おまかせで、なるようになっていくと、以前より焦らずにいられる気がします。
始めることができて本当によかったです。
ありがとうございました。

トラブル解決に行った帰りに、鎮守に行こうと思い立ち、行きました。
車を降りた時に、よくやった。と言われたような気がしました。

祈っている最中、
『重荷を背おわせて悪かった』
『とんでもないです。(そのあとも何か言いましたが忘れてしまいました)』
2言3言やりとりがありましたが忘れてしまいました。

祈っていたら涙がでてきました。
先ほどのやりとりは正直辟易としたけれど、別に泣くほど嫌だったわけでもなく…あれ?となりました。
会報に載っていた、これがご祭神様の涙なのかな?と思いました。

私は感情とか鈍いし、祈りとかもちゃんと出来ていないから、きっと2年経っても涙なんて出ないだろうなと日々思っていました。
祈りながら、(大変申し訳ないことなんですが)あっけなかったな、なんて不埒な考えをしてしまいました。

そのあとの祈りの言葉が響いて響いて下の家に聞こえてしまうのではないかと心配になり、ボリュームを落としました。

家の神棚(としているところ)で落ち着いて話せるようお願いをしてから行ったので、帰ってから、御礼をしました。
神棚でも祝詞や祈りが、響きだしました。

ドラゴンアイズで、紫野先生が神社との和解の見極めを声が響くかどうかで見極めるというのが書いてありましたが、それは紫野先生だけしかないことだと思っていました。
響くなんてことが、涙がでる、なんてことが、あるんですね。
私には絶対ないと思っていましたから、びっくりしました。

参拝の際か終わってからか、父は鎮守の神社の氏子として、ここに引っ越してきてすぐから神社の神輿をかつぎ、足が悪くなりかつげなくなってからはずっと法被を着て、祭に奉仕してきていました。
だから、神社の神様は21日満願の日に、私に知らせるように父への手紙がポストに入っているのを見せ、随所随所でこの問題を私が知ることができるように働きかけてくださって、この問題に携わる時だけ、私に神がかるのだと思いました。

鎮守の神は父が悩んでいることをずっと知っていて、私を通して助けたかったのだと思いました。
愛の懐の深さに言葉がでません。

先生にご報告させていただきたく、メールを送らせていただきました。

私に教えていただき有り難うございます。
これからを謙虚に進めていけるよう、気を引き締めて参ります。

○○明神に久々に参拝しました。

参拝の列にならんでるとき、○○明神さん大好きだなぁ、って思い、「なんでこんなに○○明神さん大好きなんだろう!」って思った瞬間、顔がくしゃってなって涙があふれました。
きっと相思相愛なんですね!

まっ社でも「ちかごろのそなたは自分を大事にしていて進歩がみられる」と思いうかび、ありがとうございます、と思いながら涙が浮かびました。

帰りに○○明神さんの近くの書店で役立ちそうなステキな本をみつけて、買ってきました。
きっと○○明神さんのプレゼントかなって思います。

こう書いてる今も涙が自然に浮かびます。

鎮守への参拝を続けながら霊の祈りレベル2を続けています。

約1ヶ月程半祈りを続けたところ、不思議なことに義父が頻繁に連絡してくるようになりました。
今までは緊急時しか私の携帯には電話してこなかったのですが、このところ、なんでもないことでも連絡がきます。

「もうすぐ雨がふるから、洗濯物入れとけよ~」とか(仕事先から、私の自宅が見えます。私はそのとき不在でした)、子供の学費もお祝いをくれました。
細かいことを気遣ってくれて、人が変わったようで、ちょっと面白いです。

なんとなく義父のご先祖様に守られているような気分がします。

今日、21日間満願の日でした。
久し振りに初めから集中できました。

粒子が吸い込まれていくようなものが見える時が、自分的に祈りに集中できている時なのだなとこの祈りをはじめて感じました。

21日間の間では2回でした。

わたしはすぐに驕りやすいし期待しやすいし、油断しやすい性格なので、集中するって難しいと思いました。

明日は神社の大祭です。
大祭前日に満願となりました。

祈っていて、何しにきているのか。という男性っぽい想念がわきました。

すぐに答えられませんでした。

心が求めるままにきていますと答えましたが、ちゃんと答えられないので、宿題にして持ち帰りますと答え直しました。

質問してきた想念もわかった。みたいな感じでした。
言葉遣いはわかった。ではありませんでしたが。

祈っている最中、想念を感じたことは初めてでした。

ご祭神様かどうかどんなそんな存在に尋ねられているのか、自分の想念かはわかりませんでしたが、
『なにしにきているのか』はなんのための祈りなのかを自分でしっかりと自覚できていないし、する必要があることを自覚させる質問だったと思うので、これから霊の祈り1の2回目を自分の中であきらかにしていく課題だと思いました。

21日最後は2日目の時のような何か見えるかなとどこかで期待がありましたが、注意というか今後に向けて気持ちを引き締める参拝となりました。

霊の祈りの資料が到着する前から浄化が始まりました。
夜にお昼に食べた物をすべて嘔吐しました。
同じ夜、家族は家に帰ってきた途端お腹が痛くなり、何も食べずに寝て、次の日にはよくなったようです。

2日後、資料が到着しました。
会報1.2号を読んだところで、赤い湿疹が右、左の腕に身体の内からでできました。

寝る時、横になって目を閉じたとき、鮮やかな青緑色の装束をまとった髪を両耳の上わっかが垂れ下がるようにした人の後ろ横姿が見えました。
そのあと、しばらくして何か違うのが見えましたが、眠くて次の日には忘れてしまいました。

2こめは神社に関係した何かのようにも思えました。
見えた感覚は初めてだったのでびっくりしました。

次の日から霊の祈りレベル1を始めました。
時間がなく少ししか祈れないことをお詫びしたらカラスがクワァクワァクワァと優しく鳴いてくれました。

祈りはじめてしばらくすると、ジャリと玉砂利を踏むような音がして人が来た気配を感じます。
振り返りますが誰もいません。
(参拝している鎮守の神社は玉砂利がなく、アスファルトの参道とそれ以外は原っぱなので、ジャリとする音がするのは考えると変なのですが)

瑞の祈りの途中くらいから、そのようなことは毎回ありました。
会報を読み、守護霊様と知り、安心しました。

2日目、参拝が終わって振り返ると、参道に高さ3メートルくらいのおっきな金剛力士みたいな感じがそびえ立っていました。
金剛力士と同じくらいの背丈の杖?のようなものを向かって左に手にしていました。
白と透明みたいな感じで、キラキラした感じで、色彩はありませんでした。

瑞の祈りレベル1が終わりました。
有難うございました。
もっと早く鎮守の神社に寄せていただけたらと思いました。

祈りを決めた途端に、誰かに触られている感じが数回ありました。
神社を参拝させていただくと風が吹き始め、温かい感じがしました。
毎回参拝後、清々しい感じで過ごせることができました。

20日目に、それまで優しく接して下さった方が、キツい顔で私を見られて、急に怒られてびっくりしました。

次に祈りをすすめると決めてから、どっと疲れが出て、風邪をひいてしまいました。
初心に戻って参拝させていただきました。
有難うございました。

瑞の祈りを始めてから、毎日を気分よく過ごせていた。
神社に行くのが大変になり、1週間半ほどお休みしていたら、またイライラしだして、前から悩んでいた症状がでてきた。
瑞の祈りをまた再開しだしたら、少しずつ回復し始めた。
問題からの回復は自分自身の意思や祈りも大切なのだと今回の件で感じた。

鎮守の祈りでは、私の単なる妄想かもしれませんが、祈る時、扉の向こう側が湧いているような感じがあり、面白いです。
この4ヶ月を終え、不思議と夫への怒りが収まってきました。嫁ぎ先の家業の手伝いがあまり抵抗なくできるようになってきました。

旦那の実家の氏神様に初めて参拝したとき、紺色の平安装束を着た男性が、お祈りをしている私の前に立って、私の肩を持ちながら私の顔を覗き込んできました。
いやな気持は全くせず、微笑んでいるように見えました。
夫婦はカルマが重いと聞いていたので、歓迎されるわけはないと思いましたが驚きました。

昨日より鎮守の神様のお祈りを娘達(6才と8才)が一緒にさせて欲しいと言い出し、3人でたどたどしくお祈りさせていただいております。
上の娘が神様に涙しておりました。

神様との繋がりが感じられてからは苦しみにも意味があると頭だけではなく心で理解出来るようになりました。
子供達にも、これからの人生色々経験する時に神様との繋がりを感じた上での受け止め方ができれば、それが一番学んで欲しい事だったんだなと思います。

紫野様のブログと出会える事ができ、鎮守の神様と繋がりを持てるようになりましてから私の人生ひっくり返る位変わりました。
表面上は変化ないのですが、心の中がいつもポカポカしていて愛で満たされております。

見ず知らずの人達も、魂の仲間と思えるようになりましたので愛しいと思える時があります。
波がありますが(笑)

本当に感謝しております。
今後とも宜しくお願い致します。

※ 神社で流れる涙は、ご祭神の心を感じています。
娘さんは神様の心を受け取られたのですね!
本当に素晴らしいと思いました。
神様は、心の通りに接してくれますね。
紫野

1 はじめに

この祈りには、驚きと感謝の連続でした。祈りを続けてきた間に、私の心も生活も大きく変化したように思います。まずは、霊の祈りを教えて下さったひかりさんに感謝申し上げたいです。ありがとうございます。

2 レポート
(1)祈り始めた頃
資料を送付していただいた直後から急に仕事が忙しくなり、しばらく着手できずにいました。後でひかりさんに質問したところ、これも妨害の一種だと教えられ、なるほどと納得しました。
ようやく祈りを始めてからは、仕事や職場の人間関係がこれまでにないほど忙しく、同種の案件では始めてという特殊な事態も多数生じ、体力気力ともに限界まで働きました。神様たちは「これは試練だけど、必ず成功する」といつも仰っていました。それを信じて、忙しい中でも深夜などに時間を作って祈り続けるようにしたところ、仕事は困難な状況とは裏腹に、誰も予期しないほどのスピードで進み、最終的に成果を上げることができました。

(2)祈りが安定してきた頃
大きな仕事が一段落し、少し時間ができたため、自分のペースで祈りをこなせるようになりました。また、休日に運動を始めたところ、身体も元気になり心も前向きになれ、新しい友達もできました。
神様たちは、一仕事終えたことをねぎらって下さるとともに、もっと前に進むよう励まして下さいました。
そうこうしているうちに、再び仕事が繁忙期を迎え、以前とは異なる種類の困難な状況に直面しました。ですが、この時は「最終的には上手くいく」という確信があり、以前よりも前向きに明るく業務をこなすことができました。結果、なんとかまとめることができ、達成感を得ることができました。
また、プライベートの対人関係も変化があり、自分から素直に自分の気持ちを表現することができたように思います。そして、人から愛されるのを求めるのではなく、人を愛し赦すことに充実感を覚え始めました。

(3)祈りが日常的になってきた頃
祈りも安定して自分のペースを維持できるようになり、祈ることが日常的になってきました。
仕事面は若干の落ち着きを見せ始めました。また、今までよりも自分で判断できる部分が増え、自由に仕事を進められるようになり、楽しさが増してきました。
プライベートや生活面では、なかなか希望が通らなかったり、ここぞというところで上手くいかなかったりと、悔しい思いをしましたが、これも修行や神のお考えに基づくものだろうと思って受け入れました。人間は刹那的で目の前のことしか見ず、一喜一憂してしまいますが、長い時間や大きな運命の流れからすれば、いま失敗に見えることも、大きな幸せへのステップの一つなんだろう、と考えるようになりました。いろいろ辛いこともありましたが、何かのせいにするのではなく、常に前向きに捉えるようになってきました。

(4)視点が変わってきた頃
祈りは変わらず安定しています。体調が悪い時は簡易な祈りにすることはありますが、何日も祈らない日が続くと落ち着かない感じがしました。喉や頭が痛い時、神にお祓いいただくと、すっと軽くなるのを感じます。また、不思議なことに、祈ってる時は全身の余分な力が抜けて心地よいですし、嫌なことがあった日でも、祈ると心のオリが取れてスッキリし心がきれいになるのを感じます。身体にも心にも祈りは作用しているようです。
仕事面では、新しい業務が加わり、とても忙しい日々が続きました。これまでのような下仕事ではなく、ある程度責任のある仕事を任されるようになって、仕事の性質が変わったことにプレッシャーを感じました。ですが、周りの人と協力しながら一つの仕事を成し遂げた時は、これまで以上に充実感を感じました。新しい仕事から学ぶことも多く、成長できる日々でした。
プライベートや生活面では、神様からご褒美をいただき、苦しいながらも少しずつ前に進んでいる感覚がありました。3歩進んで2歩下がるような感覚で、上手くいったりつまづいたりしながらも、全体としては少しずつ改善されているような感じです。

(5)収穫期
この時期は、神様からのご褒美の時期だったように思います。仕事も落ち着いて時間ができました。慣れてきたこともあって、上司が満足のいくものを作ることができ、仕事の成果に喜び合う機会が増えました。また、公私両方の対人関係について、これまで以上に信頼し合い励まし合う間柄になれる相手が増えたように思います。
また、余暇の活動や身の回りのことについても、小さなことから大きなことまで希望が実現する機会が増え、神仏や先祖に守られているのを感じ、感謝することがいっぱいの毎日でした。
愛については、いまだに愛し赦すことに徹することができず、愛されたり赦されたりすることを求めて苦しむこともあります。ですが、その苦しい想いを正直に相手に話すことによって、少しずつですが、人を愛し赦すことができる人間に近付いていきたいと思っています。
神様(とくに鎮守の神)からは、早く次のステップに進むことを期待されるようになってきました。レベル3は「住んでいる土地の浄化」ということですので、鎮守が切望されているのが何となく理解でき、レベル3に進んでみようと思いました。
以上

霊の祈り1を11、12年続けております。

半信半疑でしたが、祈り始めて、顔に吹き出物がすごくでて(それ以降その時だけで、そんな事いちども起こりませんでした。)すぐいい結婚相手も見付かり、家も建てて、結婚した先で出産して、そろそろ、仕事探すかな・・・と思った時にこっちの土地ではまだしてなかった祈りを始めて、その日に仕事が見付かり、すぐ採用・・・パートでしたが、子供が大きくなってフルタイムで出来るかな・・・と思った頃には正社員の方が辞められて正社員にしてもらえる事に。

ここまで良くなっていてもまだ半信半疑でしたが、思い返すのやっぱり祈りのおかげだと思うようになりました。
遅くてすみません・・・

この生活を続けていたら、段々と動物がとても好きになり(何か関係あるのでしょうか?)人の為に何かしたいとすごく思うようになり、医療関係、福祉関係の仕事が最近とても気になっています。
以前紫のひかりさんの占いで前世で看護婦さんがいると聞いていたので、そのせいかもしれませんが・・・

何かの知らせなのか・・・祈りレベル2の途中でやめてしまっていたので、これも再開、レベル3、4と続けてみたいという気持ちが強くなり、こちらへやってきました。
また宜しくお願いします。

私が祈ららのホームページを知ったきっかけはパワーストーンでした。

ラリマーという石の優しい波動を感じて泣いてしまい、石と話をしたい、素敵な石と出会いたいとネット検索してる時でした。
初めは何気無くスルーしてしまった後にものすごく気になり、祈ららで検索をかけてじっくり拝見させていただきました。

祈りの体験談を読んで、涙がとまらなくなり、今まで全く興味がなかった近所の神社へ猛烈に行きたくなり何度も参拝させていただくようになりました。

ショップでストーンも何回か購入させていただきましたが、その度に家中が大掃除でもしたかのような清廉な空気になり改めて祈ららのすごさを思い知らされました。
ただ祈りの申込だけはなぜか体が動かず気持ちだけが急いている状態が続きました。

やっと申込ができた翌朝、神社へ祈りの申込をした事を報告しますと間近で鶯が鳴き清らかな風が吹いてきて私が参拝している間ずっと続きました。
こんな事は初めてだったので驚くと同時に感動しました。

祈りの一日目も間近で鶯が鳴いてくれました。
私には謝罪してもしきれないほど傷付けてしまった魂がいて祈りの途中で泣いてしまいました。

第一週目はその魂の事を考えたり、同梱していただいた会報を読んだりしながら驚くほど周りにも穏やかな気持ちで接する事ができました。
内省できる時間がたっぷりありました。
そして、もし自分に時間を遡る事ができるならあの日に戻り、私が最後の砦で守るべきだったあの魂を救えるのにと考えてました。

七日目は神社の桜が満開でその光景のあまりの美しさに娘が涙を流してました。
祈りながら一期一会という言葉が降りてきました。
人や物、魂そして時間も一期一会であり、全てが大切な瞬間なのだと、対峙する相手にとっても大切な瞬間なんだと教えていただきました。

二週目は子供の行事で忙しく内省できる時間が少なくずっと頭痛がしていました。
また、人間関係が悪化しました。
私の普段の悪い言動が原因で身近な人達の悪い所がぶつかり、その二人が喧嘩をしてしまったりと他にも色々なトラブルがありましたが反省するべきところが顕になりました。
私自身は神様の采配の下で起こってる出来事なので時期がくれば必ず終息すると思ってましたので振り回される事もなくいられました。

14日目に共存という言葉が降りてきました。
人との共存、動植物との、そして目に見えない魂との共存です。
人間だけが地球の主役のようになってしまい、まして目に見えないものを一切認めない傲慢な常識がある事、全ての存在を否定せずに振り回されることなく生きる事の大切さを教えていただきました。

3週目に入ったと同時に全てのトラブルが終息しました。

16日目に祈り初めから涙が止まらなくなり、祈りの最後はいつも祈りに来させていただいた事、神社にご縁ができた事を感謝して終わるのですが、その日は[神社に来ていただき]になり、何回言い直してもそうなってしまいました。
私の方が感謝しているのに、でも神様からの胸がつまるような感謝の気持ちで満たされました。
その頃から自分にできる事、生き方を考えるようになりました。

21日目は身の丈で良いと教えられました。
私にはまだまだ業が沢山ありとても弱い魂ですが少しづつ魂を綺麗にしていって、いつの日か周りを暖かく照らせるような魂になりたいです。

祈りはじめてから、理由のわからない焦燥感がなくなりました。
今後も祈りをすすめていきたいと思います。」

※ 神社参拝で涙が流れる時は、ご祭神が喜んでいます。
祈ららの祈りで流れる涙は、ほとんどの場合、ご祭神からの感謝と喜びの合わさった涙です。(紫野)

1はじめに

数年前から子宮筋腫の為、ホルモン剤を服用するようになりました。
当たり前のことですが、更年期症状が出現し、自分で自分の感情がコントロール出来ずにしんどい思いをしておりました。職場の人間関係も微妙でストレスが溜まる状態でした。そんな時、紫野ひかり先生のブログを見つけました。「カルマの解消には興味があるけど、好転反応とか出たら嫌だなぁ」とか「いまでもギリギリなのに悪化とか…考えたくもないなぁ。祈るなら瑞の祈りかなぁ」などと 思っておりました。が、残念なことにブログを見つけた翌日から体調は悪化する、人間関係も悪化する、職場は忙しくなる、やさしくなれないなどの反応が出ました。しばらく様子を見ていましたが、一向に収まる気配は無く「これはもう霊の祈りを祈るしかない」と思い『霊の祈り1』を申し込みました。自分の中にインナーチャイルドがあるのは分かっていましたので、『インナーチャールドカウンセリング』を受け、ワークをしながら祈りを始めました。

2レポート

詳細

・最初の7日間

1日目は仕事の帰りで夜の参拝になりました。
紫野先生は大丈夫とおっしゃっていましたが、午後3時以降、日没後の参拝は神社の雰囲気やあり方が変わるので、お正月などの特別な場合を除き避けた方がいいと聞いていたので恐る恐る参拝しました。夜間なのでちょっと寂しい感じはしましたが、怖い雰囲気はありませんでした。仕事の帰りに参拝して帰宅される方も見かけました。

拝殿の正面には薄暗いですが明かりが灯っており、さらにセンサーで明るくなるようになっていました。この日は21日間参拝させていただくご挨拶のみさせていただきました。翌日は仕事に行く時間の都合で祈りの一部を省略させていただきましたが、穏やかな気持ちになり、背中が温かくなりました。3日目はにわか雨が降っていましたが、神社の上だけに青空がありました。この日から省略することなく祈り始めました。祈り終わった後は雨が一旦止み、徒歩25分のところにある職場についたとたん、再度雨が降り始めました。4日目以降は風で背の高い木の木の葉が鳴っていましたが、地上に吹き抜けることは無く、穏やかで清々しい気分になりました。

・2週目の7日間

8日目は誕生日でした。最初の7日間が穏やかすぎてこのまま何事もなく21日参拝が終わるのではないかと思っていたのですが、無理でした。この日は頭痛はする、不正出血が始まる、しんどいなど精神的にも身体的にもかなり辛い日となりました。鎮守の神社で祈っても改善は無く、この日から母が少量ずつですが1日何回も便失禁をするようになり、トイレも汚れていることが多くなりました。その上、母の便は家中の窓を開けないと耐えられないぐらい臭く、「何とかして」と思いながらトイレ掃除に明け暮れました。

鎮守の神社での祈りは爽やかな風が吹いて、絵馬どうしのあたる音が耳にも心にも心地よかったです。

職場では人間関係が悪化しました。勤務を変わってもらえないか上司に相談したところ、上司に声をかけられた人が気持ちよく変わってくれたので、何度かお礼を言っていました。ですが相手に間違った日にちを上司が伝えていたようで、それが判明してその人が怒り、あなたが勤務を変わってと言わなければこんなことにならなかったのにと言われました。その人は間違った日にちで勤務の交代の予定をしていた為、変わってもらう日に予定を入れていたようです。上司のミスで休み希望を入れていたのにシフトが入っていた人と勤務を変わったので私も戻すことが出来ず、上司もその人を説得し、勤務は変わってもらったままでしたが、鉾先が私に向いているので事あるごとに攻撃されました。

・3週目の7日間

15日目は珍しくカラスが静かでした。いつも狛犬に触らせてもらっているのですが、この日は触らずに帰ろうとしたら「触らないのか?」と聞かれました。初めて聞こえた声に感動しながら触れせていただきました。このままここに居たいとすら思いました。20日目には「なんでこんな事してるんやろ?おかしいやろ」と思いました。これが邪魔かぁと思いながら、21日間参拝することを改めて決意しました。母の便失禁はこの日を最後に収まりました。21日目の参拝を終えたあと、最初の2日は省略した祈りだったので2日空けて2日間祈って満願としました。最終日の前の日人間関係の悪化と精神状態が悪化しましたが、最終日は幸せな気分になり、涙が出そうになりました。

3総括

祈りは2日間省略形で行った為、以降の参拝より21日間の参拝とさせていただきました。身体的には時々しんどかったのですが、大きなさわりも無く、とにかく眠かったぐらいです。母の便失禁の掃除もしんどかったですが、カルマの解消がトイレ掃除ならありがたいものでした。ただ、人間関係は本当にしんどかったです。更年期症状で精神状態が悪化した時に狙ったようにくる攻撃、そんな時に限って仕事で抜けていることが多く精神的にしんどかったです。

そして、仕事を辞めることにしました。自分を振り返ってみて、とてもよく頑張ったと思うのです。更年期症状やそれに伴う感情のコントロール。すぐに苛々するのを宥め、怒りの感情に振り回されないように自分を抑え、毎年予防行動を取らずにインフルエンザで休む人がい中で、休んだら仕事が回らない、人に迷惑をかけると予防にも気を遣い、休んだ人の分忙しくなるのに文句も言わずに数年間、本当によく頑張って働いたと思うのです。退職すると決めたら、悪化した人間関係も「あなたは良く頑張った。仕事を離れて少しゆっくり休みなさい」と言われているように感じるようになりました。不思議なことに、そう思うようになるとストンっと何かが抜けて、解放感と余裕が戻ってきました。『祈ららの祈り』を始めていなければ、きっとこんな風に思うこともなく、ネガティブな思いに振り回されながら今の職場にしがみ付いていたと思います。

4終わりに

インナーチャイルドワークを進めながら鎮守の神社参拝を行いました。
参拝中は色々な事があってしんどい思いもしましたが、無事に終わることが出来ました。ありがとうございます。
最初に比べると随分私自身が変わったなぁと思います。
今度は『霊の祈り2』へと進んで、自分と向き合い、更に学び、成長していきたいと思っております。

祈りを始めて色んな事がありました。
でも経験や日々が過ぎるのが速すぎてなかなか纏めてご報告が出来ません。
今ちょっと思い返してみるとたくさんの思い出がありすぎて忘れてしまいそうです…。

祈りを始めてからずっと鎮守の国常立命の事が大好きで大好きで、そう言っていたら「私もお前の事が大好きなのだぞ。」と伝えてくれて嬉しくて眩しくて次の日もずっと心が眩しくて地下鉄のホームで幸せに押し潰されてうずくまりそうになったこと。

父として、それから異性として大好きになり結婚してほしいと泣いて懇願したり(笑)、(神様は性別を越えた両性のエネルギーなので人間の男女の愛を越えたレベルの高い愛を与えてくれる事がわかりました。人間の私にとって認識できる最大の愛は男女の愛であったために、その力のかぎりで神様に恋をして男女の愛を越えた愛を教えて貰って乗り越える事ができました。)

新しくご縁が出来た神様に反発したり、仲直りして頂いたり、供養では先祖同士の残酷な出来事を見せられ大泣きで祈らせて頂いたり、始めは御先祖様をやっかいに思っていたのに気がついたら自分の一部として大切に思えるようになったこと、

祈らせて頂ける幸せ、自分で供養をさせて頂けている幸せ、神様と共に生きる絶対的な幸福を知り、幸せすぎて嬉しくて嬉しくて心から「御神業に生きたい」と号泣して神棚に向かって土下座してお願いした事…。

などなど…まるで数年間の出来事のように懐かしいような愛しい思い出の数々ができました。
全身で全力で神にぶつかり、悩み、愛し愛され導かれ学びの毎日です。

霊の祈りレベル1
2月10日から毎日通いました。
平日は仕事帰り、土日は時々早朝です。
初回の時はとにかく祈り参拝に行くことが嬉しくてテンションがすごく上がりました。
私より霊的な存在の方々が喜んでいるようにも感じました。
何か応援されているような感じです。

初めての神社はとても厳かな感じがしました。
初日は心身ともに引き締まる感じでした。
2回目3回目とまだまだよく分かっていない感じと、自分なんかに祈る資格があるのか?とかこれでいいのかな?とか祈る意味って?とか色々な内面の会話が出てきました。

2月13日4回目の時にはっきり『我が強い』と受け取りました。
祈るたびに薄々感じていましたが、自分のダメなところが浮き彫りになっていく感じです。

それから2,3日は自分が本当に嫌で、情けなく感じ、このままでは本当にやばい!と思いました。
向き合うところはしっかり向き合い、セルフイメージも持つようにして切り替えるようにしました。

私は以前、自己啓発の様なワークを受けたことがあり、その時に一度自分の内面の汚い部分を知った時に急性腸炎で倒れたことがあります。

そんなことも思い出しながら、その時の免疫があったことは少なからず助けになり、またその時から全然進歩していないことにもガックリし、改めてこれは改心するチャンスなんだと薄々感じました。

その頃から、祈りで出てくるもの≪自己暴露≫を扱う事の大切さが、薄々から確信に変わっていきました。
自己中心的な自分が居心地よかったわけです。
自分の損得勘定で行動していた自分など…トホホ

2月15日は神社から『がんばれ』と受け取っています。

2月18日自己満足優先に祈る。
神社から『やっと分かってきたか…』と受け取りました。

それから少しずつ◯◯◯◯について勉強し、自分の内面と向き合うように取り組みました。今までは都合よく自分の内面と向き合っていたわけです。

2月23日自分を指導して下さる存在をはっきりと感じました。

2月24日ストレスからかタバコを一日一本吸っていたのですが、吐いた煙が何度も顔にかかり『休む暇なんてないんだぞ』と受け取りました。
それからタバコはきっぱり止めています。
◯◯◯◯を勉強したおかげで欲求の執着を区別して手放すことが少しできるようになりました。

2月26日何だか神社は雰囲気が違っていました。
いつもと違う誰かがいるような。
祈り参拝後『合格』と受け取りました。

3月1日今朝祈り参拝に行き21日間の期間は完了しました。
神社にはこれからは毎日ではないと思いますがまた来ますので宜しくお願いしますと伝え、私に何か伝えたいことはありますかとお聞きしたところ、『ありがとう』と受け取りました。

21日間を終えて、振り返ってみると21日前の自分には戻りたくありません。
改心の機会を頂けたことに感謝です。
祈りは毎日続けますのでこれからも宜しくお願い致します。

霊の祈り2を始めて1ヶ月が過ぎました。

供養を始めて、体がしんどくなりました。
ご先祖様がつらい状況が伝わって来るのです。
その時期に紫野先生にメールをしたらその日からどういうわけかとても調子が良くなったのです。

供養ではつらい事や嬉しい出来事もたくさんあったのでぜひ報告をと思うのですが今日は鎮守の事を書こうと思います。

鎮守にはできるだけ毎日行くようにしています。

始めはレベル2の内容でいっぱいいっぱいだったので、鎮守にはサボりがちになっていました。
いつも平日は遅い仕事帰りにしか行けず供養で疲れきっていたのでついつい「毎日神棚で鎮守の神様をお呼びして祈れば一応いいかな」と軽く考えてしまっていたのでした。

その事で謝ると御祭神の切ないような悲しい気持ちが心に届いて来ました。

「(私が)鎮守に通うことをまるで苦行のように感じてそれが出来ないと言って謝る事が悲しい…。神に会いたい会うのが楽しみ。と、嬉しい気持ちで来て欲しい…。」と言われました。

その純粋なお気持ちを知って私はより一層神様を愛しさらに鎮守を好きになりました。

仕事が終わり帰路につくたびに「会いたい 会いたい 会いたい …御祭神に会いたい…」と思いがつのり、毎日仕事帰りに鎮守に行くのが待ち遠しくなりました。

「ここは自分の家だと思って帰って来なさい。」と言って御祭神やけんぞくの霊たちとニコニコとしてちゃぶ台の向こうに座って待っていてくれる姿を見せてくれるのです。

またこんなこともありました。
億劫さからレベル1の内容はやらず日々の感謝だけで祈っていたら、「次からはあの部分(祈ららの祈りの内容)もちゃんと言うのだぞ。まだ禊終わっていないのだからな…。」と優しく微笑みながら言って下さるのです。
それでやはり祈ららの祈りはそれほどまでに合理的で効果的なんだ。と驚きました。

御祭神はお二人いらしてお一人は倉稲魂命様です。
食べ物の神様なので私はこの神様に毎日の食事のお礼をしています。

「毎日おいしいごはんをありがとう。
神様がくれたごはんを食べれて私は幸せです。
これからもずっとこの町とみんなを守って下さい…。」

(私は霊的にはまだ幼いのでいつも自然に祈りの際は子供っぽくなります。神様も子供相手のような優しく可愛いがるような態度をとってくれます。そしてその事に違和感がありません。)

そう言うと、「この町の皆もお前のように良い子になってくれたら嬉しいのに…。」と言って、私にお菓子をくれるのです。

御祭神は私を「良い子になった、良い子になった」と眼を細めて可愛いがってくれるようになったのです。
頭を撫でてくれたり時にはふわっと抱きしめてくれたり…。
本当に我が子のように愛し慈しみ可愛いがってくれるのです。

それで私が特別なのかと舞い上がりそうになりつつもどうかというと、神様は「世の人は誰一人残らず大切な我が子…。」と悲しそうに言うのです。
私や祈ららの皆さんがしているのと同じように神様を愛し慕って欲しいと思っているのだそうです。

時がたつにつれて御祭神だけではなく、けんぞくの霊たちも総出で出迎えてくれるようになったのです。

鎮守参拝を続けてひとつとっても効果的なコツを発見しました。

鎮守に着くしばらく前から心の中で大声で叫びます。
「神様~!今から私が行きま~す ! 待っててくださ~い ! 」
と呼び掛けておくと着いた頃には鳥居の辺りまで出てきて手招きして出迎えてくれるのです。
こうしておくと、着いてからはじめてお呼びだしするよりずっと早く繋がれます。

けんぞくの霊が(幼い男の子の白狐くんで仲良しになったのです)先回りして神社に神様が来てるか見に行って「いるよ。」と報告をしてくれた事ありました。

これは以前の私には正直信じられない事です。
祈ららの祈りを始める前は、神社で神気を感じるどころか冷たくきつい印象しかありませんでした。
神様を見える事も聞こえたり感じる事もありませんでした。
やはり紫野先生がスピリチュアル教室で書かれていたように神様のほうがこちらの霊感を強くして見えたり聞こえたりさせてくれるのです。
見えたり聞こえたりする事は、あまりにもはっきりしていて疑いようが無いんです。
人から見たら妄想や空想だと思われるでしょうが当の自分が疑いようが無い確信と実感をもって体験しています。
何より心の交流が感動を伴って通じあっているのです。
空想や妄想では他者の心の動き感情を感じてしまう事やその交流の実感は得られるはずがありません。
自分は持って無いような崇高で繊細で純粋な心を神様は持っていてそれを感じると驚きと感動でいっぱいです。

神様と対峙するには神様に届くくらいまではこちらも純粋な心にならなければ神様の声が聞こえたりお姿を見せてくれないと思います。なので日々、純粋で居るように心がけています。純粋な心で生きることは幸せです。

あるとき、神棚の参拝のあと寛いでいたら神棚のあたりから「この子を育てて良かった。」とはっきり聞こえました。神様と守護霊が話していたのかもしれません。
これからの私に期待して下さっているのが感じられてとても嬉しかったです。

他にも不思議な事がたくさんありました。
まだ1~2ヶ月の祈りの生活がもう何年かたった事のように感じます。
昨年の自分とはまるで違う感覚があります。
そういえばなんだか以前興味あった事にあまり関心が無くなり今まで楽しかった友達付き合いも減ってしまいました。
飲み会に行ってお酒を飲んだ日や、焼き肉に行った日は祈れなくて祈りをおやすみしないといけない事があります。
残念だけどこれがスピリチュアルでよく言われる波動の変化の事か…と思いました。

残念なこともありますが、それでも今のこの毎日が幸せでたまりません。
神様という父と母に愛され叱られ(叱ってくださりもします。)ながら日々成長させて頂くことは今まで生きてきて一番の最高の幸せです。
この幸福に比べれば過去の楽しみは小さいものだったと感じます。

この幸せは祈ららの祈りのお陰としか言えません。
御祭神は祈ららに感謝されているようです。。
この働きがあったから人と繋がる縁を取り持ってくれて神との交流が広がる事を喜んでおられると思います。
これから誰かがこういう文を読んで自分も神様と繋がりたい。と思って欲しいと思われて居ると感じます。
それだけ神様が人びとを思っていると思うと過去の自分にとっては驚きです。
ただ神様の愛が自分の知っている愛とはレベルが違いすぎて気付けなかったのだと思います。

またいくつもご報告したい事がありますので別の機会にメールさせて頂けたらと思っています。

祈ららの祈りが今後も広がっていくことをお祈りします。

霊の祈り1を終えて。

初めて近所の◯◯神社を参拝させていただきました。

1日目の祈りの時に背中が涼しく感じました。
神社を出た後で頭痛がありました。家に帰ってから霊障だと分かりました。
祈りの文言を心中で祈りました。

次の日からは霊障もなく風邪等もなく無事に21日間を参拝させていただきました。

参拝し始めの頃は職場の同僚が自分に対してイライラとした感じがありました。
また、母親も怒っているわけではないのですが口をきかなくどうしたのか?と疑問に思っていました。

10日くらい経ってくると同僚の態度がやわらかになっていくのを感じました。
19日目頃になると、母親が里芋を買ってきて、それをふかして私の帰宅を待っててくれていました。
それからは母親との会話も増えてきた感じがします。

21日間を終えてからは、物事がスムーズになっているように思います。
気持ち的にも落ち着きがある感じがします。

この祈りに出会えたことに感謝します。
ありがとうございます。
もし できることなら次のステップに進みたく。
よろしくお願いいたします。

私、祈りを始めて本当に良かったです。
私は今幸せです。
紫野さんにご縁が繋がって大感謝なんです。
鎮守の祈りからご縁が出来た御祭神には日々愛情を注いで頂いて学びの毎日です。
日々悩みや問題があっても夢やメッセージでヒントを貰って考えたりしながら勉強しています。
今はまごころを使った祈りを勉強中です。

おっしゃるように神棚は最高です!
神棚の祈りを知らなければ私にとっての神棚は「ただの物」でした。

最近はこれから先ご先祖様の事が一段落すればはもっと神様や霊のために祈りたいと思うようになってしまいました。
霊の道に入ってしまったのでしょうか。
たった1ヶ月で変わってしまったみたいです。
でも幸せでやめれそうにないです。
当分の間このまま頑張ってみて、レベル3に挑戦する時が来るかもしれません。

毎日の祈りが幸せでたまりません。
忌み嫌い逃げ回っていた「清く正しい生き方」が逆にこんなに私の求めていた自由な世界だと思いませんでした。
今は自分に対して「神様に見せる美しい心と正しい歩み」を熱望しています。
自分で信じられないくらいの変化です。

10年以上前にレベル2で止まっていたところを最近再開しました。
レベル2の供養を始めて一週間余りで霊障がひどくなりました。
体のあちこちが凝って重く、頭がパニックであまり考えられないようになりました。
供養をする体力はなくなりました。

インナーチャイルドカウンセリングを受けたあと、夢で夫の仕事に関連するようなものを繰り返し見ました。
準備が足りていないという夢でした。
またこのころ宿便のデトックスがありました。

各家のカルマを自身で見てみたところ、
家の移転の時に人を大量に解雇したので、それで困った人が沢山いる、
無責任で芯のない人を多数出してしまった、
一族や組織で、目下の人に関して責任を取らない態度だった、
女性が男性(少年を含む)を痛めつけた、
自分の得になるようにえこひいきがひどかった、
女性や弱い者を差別し時には切り捨てた、
などが出てきて、それぞれインナーチャイルドヒーリングの方法で、瞑想の中でヒーリングや祈りを行いました。
またこの際、フラワーレメディなども併用しました。

夫の仕事の準備をしたくても、体が思うようには動きませんし、仕事を軌道に乗せるには供養をしなければいけないと思いました。

誕生日に夢を見ました。
ゴールデンレトリーバーの仔犬を散歩のためにケージから出そうとしている夢でした。
仔犬は新しい自分が生まれた象徴かと思いました。

供養でご先祖の方や、何か関連する方がつぎつぎかかって一緒にお経をあげました。
その人たちについていかなくてはいけないので、大変と思う時もありましたが、きちんと出来たようでした。

神棚参拝は特に問題なく、これでいいのかなと思いました。

鎮守参拝ですが、体がつらかったので、週に1回がやっとという期間が長かったです。
やっと安定するようになったところです。
鎮守様との関係は今のところはよくわからない感じです。
カルマがあるようにも思います。

また、この神社の状態があまりよくありません。
参拝を始めた当初は蜘蛛の巣がひどく大変不潔でした。
掃除はまあまあといったくらいで、いわゆる神社らしくきちんとした感じがありません。
一度蜘蛛の巣を払いに行きましたが、地元の人に嫌な感じで見られました。
また、お社が開いたのを見たことがありません。
お社はみすぼらしいのに、外側ばかり飾ってものすごいアンバランスです。
神主の方に問題があるのかもしれません。

自分でもなぜ急ぐのかわかりませんが、よろしくお願い致します。

霊の祈りレベル1を始めたのは確か3年くらい前かと思います。
その頃の私は、毎日がつまらなく面倒で、こんなにつまらない人生が続くのかとがっかりしていました。
そんな人生を切り開きたくて祈りに挑戦したのでした。
祈りは私にとって面倒で、毎日嫌々鎮守に通っていました。
何とか21日やりとおして私はやっと鎮守に通わなくて良くなった事を喜んだのでした。

それにもかかわらず私の生活は少しずつ楽しいものになっていきました。
途中、母がガンになって手術したことがありそれはもしかしたら浄化だったのかもしれません。
私の祈りに、唯一救いがあったのは、「私が幾世も生きてきて絶対に誰にも迷惑をかけていないなんて事はあり得ない、知らずにおかしている過ちがあるに違いない、それを浄化したい」という気持ちが僅かであっても本心で有った事でした。

私の生活は、暗い所に閉じ込められていて出口が見えずにいるという感じでした。
うまくいくはずが邪魔されているようにわざわざ拗れてうまくいかないという事ばかりで、不平不満の日々でした。
私は地獄に居たんだと思っています。

それが少しずつ、良いことがあって、うまく行って、楽しい事があって、それが続いて、毎日がうまく行って、どんどん生き方も上手になって、幸せになって行きました。
他者や神仏への感謝の気持ちが自然に生まれるようになって行きました。

祈ららの祈りでなくても、効果が薄くても、自分の気持ちで、自分の言葉で、鎮守の氏神様に感謝の気持ちを伝えれば良いんだ。と、思うようになりました。
それで、時々、鎮守へお参りするようになりました。

あるときお参りの帰り道で、まるで子を思うお父さんのように優しい気持ちに包まれました。
これは氏神様の気持ちかな?と思いましたが、神様というよりは人間のお父さんのようでもしかしたら別の存在からのものかな、それに境内で感じるのでは無くて帰り道だからやっぱり氏神様じゃ無いのかも。
でも、こんな小さい町の鎮守だから、大きな神様では無くて庶民的な神様なのだなと思いました。

それで私は、氏神様の事が大好きになって、「お父さん氏神様」とか「御父上様」とか愛称で呼ばせて頂くようになりました。
毎日通うようになって優しいお父さんが待っててくれる家みたいに鎮守を思うようになって、霊としての家と人間としての家 二つも大好きな帰る家が出来て幸せに思いました。

祈ららの祈りはやめてもスピリチュアル教室のblogやサイトの記事を良く読んでいました。
それで、御神仏が泣いて喜ばれる参拝というのに憧れるようになってきました。
私も大好きな氏神様に喜んでいただきたいと思うようになって、もう一度祈りに挑戦する事にしました。

私は、鎮守の御祭神がどなたかもわからず、関心も無かったのですが大好きな氏神様の事が知りたくなって調べたら、国常立命様でした。

霊の祈りレベル1をもう一度始めて、祈りの最後に「私を正しい霊の道に導いて下さったのは紫野ひかりさんです。お礼の気持ちを伝えて下さい。」と言いました。

その日、帰って来て夜にスピリチュアル教室のblogをチェックしたら新しい記事がUPされていました。
その記事には国常立命様の事が書かれていました。
私が思った事が書かれていて、これは神様からのおしるしかな、と思いました。
それは12月12日の事です。

鎮守には、もうお一人御祭神が居ることもわかりました。倉稲魂命様です。勝手に御祭神はお一人でそれも庶民的なおじさんの姿の小さい神様だと思っていました。
私はその事をどちらの御祭神にも詫びましたが、私が思う失礼と神様の思う無礼な事はちょっと違うような感じがしました。
つまり怒ってはおられませんでした。
倉稲魂命様はなんとなくお姿を見せてくださったように見えて、私に金色のお米粒を鼻先に置いて下さるのを感じました。
私は急いでそれを頂きました。

そんな風に神様のお気持ちをなんとなく感じられるようになってどんどん神様との関係が個人的なお付き合いになって来ました。
神様の事を感じようとすると、今までつまらないと思っていた日常での社会生活の人間関係で学んで来た相手の気持ちを解ろうとする感性が神様の気持ちを感じる事に役立っていると思いました。
なので、今まで苦手で悩み工夫してきた事が無駄じゃ無かったのだと思いました。

先祖供養にも興味が出てきて、紫野さんに供養代行をお願いしました。
自分がやるべき事が見えてきて始めはきっと皆を幸せにしてあげよう ! と勇気凛々でした。
始めての供養代行の結果のご報告は私にとって悲しいものでした。

さっそくその日の参拝では弱音が出てしまいました。
「私にあの人達を助けるだけのお力を下さい。泣」
そう言ったらすぐに国常立命様が姿を現して下さったのが見えました。

国常立命様が私の前にかがみ、薄金色の剣をそっと手渡してくださったのです。
ちょうど両手に収まる大きさです。
私はそれを両手で受け取って胸に抱きました。
そうしたら「武器は愛」と言われました。

国常立命様は小指を差し出され、「やり遂げると約束できるか」と言われました。
私は半ベソかきながら指切りげんまんをしました。
まるでTVの「はじめてのお使い」のお父さんと子供のような光景です。
普段は「世の中の事は大体わかってるし、それなりに色んな経験もしてきたし。」と、大人ぶってる私は神様の前で霊としてまだ幼稚園の年長さんくらいの小さい幼児なのでした。

私は、以前の心の地獄時代に自分から変わる努力もせずに良いことがあるのをずっと待っていました。
そして良いことを起こしてくれない守護霊様に文句たらたらだったことを思い出しました。
それで神も仏も無い、居たとしても私には関係無い。私を愛してくれる神仏など居ない。
そう思っていた事を反省しました。

守護霊様や神様がどんなに悲しんだかを、浮かばれないご先祖様に触れてわかりました。
私は、私の成長と幸せを願ってくれている、守護霊様や神様を傷つける事を言ってしまった事が良くわかりました。
今、私は新しい人生をスタートした実感があります。

以前、確か霊の祈り1だと思うのですが21日参りを行いました。
お参りした結果全くというほど人生が好転しています。
氏神様と思っております近所の神社の神様の事が心から大好きになりました。

※ こちらから大好きになるということは、ご祭神様からも同じ気持で思われているということだと思います。 (紫野)

母がこの頃、なくなった両親の夢をみるそうです。
今まで滅多にみることがなかったそうですが、このところ頻繁にみるらしく、祖父母2人で畑仕事をしているそうです。
そして、御経が聴こえるそうです。
生前、祖父はお坊さんになりたかったそうですが、体が弱く、諦めたと聞いています。
先祖供養の祈りが届いているのでしょうか。
霊の祈りをはじめて、祈ることが習慣になりつつあります。
そんな自分に少し驚いています。
神様と向かい合えるようになれたのは先生のお陰です。

なかなか祈りを始めることができなくて、先生にメールをしてしまいましたが、もう一度インナーチャイルドを見つめて出し切ってみて、そしたら不安が無くなったように思え参拝を始めることができました。
まだ1週間経ってはいませんが、家族がとても元気に生活できています。

これは偶然のことなのか、祈りを始めたからなのか私には分からないのですが、普通に暮らせる日常が我が家にはなかったことなので本当に嬉しく思います。
ありがとうございます。

我が家はカルマが重いと思っているので、また急に何か変化することもあるのかと様子を伺ってしまうのですが、今は心から感謝を持って祈りをしようと思っております。

※ 参拝をはじめることができて良かったですね。
そして状況が改善されてきたようで、本当に良かったと思いました。
人によって違いがあるので絶対とは言えないのですが、今までたくさんつらい思いをしてきた人は、参拝によってとても楽になることが多いように思います。(紫野)

霊の祈りを続けていますが、私はお昼休みに会社の鎮守の神社へ参拝させて頂くようにしています。
会社の鎮守の神社には2つの神社がお祀りされています。
一つは○○神社という鎮守の神社・もう一つは近くのお城の跡地にお祀りしていた□□神社というご神体を移築してきたものです。
鎮守の神社への参拝はスムーズに足を運ぶことができたのですが、すぐ横にある□□神社への参拝は何故だか恐れという感情を抱いてしまい、なかなか参拝することができませんでした。
霊の祈レベル2をはじめて、神棚をつくり、祈りにも慣れてき頃、□□神社へ参拝できるかなと思えるようになりました。

参拝初日は挨拶からはじめました。
翌日は全ての参拝を終わり会社に戻ると私の後から黒い蝶が会社の自動扉に飛び込んできました。
時折、雀などが施設内に入ってしまうと出るに出られず大変なのですが、風よけ室のところで止まり、出て行ってしまったのでその時は少しホットした程度で、その時は特に何とも思いませんでした。

翌日もお昼休みに参拝にでかけました。
この日はとてもお天気が良く、穏やかな温かい日差しを感じる日でした。
○○神社の参拝の後に、□□神社を参拝しました。
祈りを始めると黒い蝶が私の肩に触れるくらいの距離に飛んできました。
その瞬間、昨日の蝶は神様の御遣いだったのだと思いました。
涙があふれ出て、祈りの言葉を唱えられないくらい涙が流れてきて、声を出し泣いてしまいました。
長い間、涙は止まらず40分以上かけてお参りをしました。
このようなことは今まで体験したことがありません。
私には神様の声は聞こえませんが、蜻蛉や蝶などが神様の御遣いとなって現れてくれるのだと思いました。

紫野先生とご縁をいただいたことに心から感謝します。
毎日、神仏へ参拝できている自分がとても不思議です。
これからは自分の内面にも向き合って行かなくてはいけないと強く感じています。
スピルチュアレッスンもストップしている状態でおりますが、進めてゆきたいと思います。
これからもよろしくお願い致します。

しばらく、ず~っと祈りをお休みしていました。
数ヶ月後に、ご鎮守様へ端の祈りではなく、霊の祈りで祈りたくなり、祈ってみましたら、涙が溢れてきました。
祈りを休んでいたことに対しても、責めるような感覚はなく、むしろ暖かで穏やかな波動で包み込んで下さいました。

その後、自分の気持ちに変化があり(デイリーヒーリングを申し込んだ後)素直な気持ちで参拝しましたら、「それでいいのだ」と聞こえました。

ご鎮守様の境内の中にあります、摂社様にもいつも参拝していて(女性の、特に婦人科に効く神様だそうです)自分の身体に対して、もっときちんと向き合い、自分の身体ともっときちんと会話をして精進していきます、とお話したら、「それが本当」と聞こえました。

最近になり、なかなかお返事や会話ができづらい神様から、少しづつ何かを感じられるようになってきました。
感じられるようになってみて、気づきましたが、そういった神様は、ちょっと厳しい感じ、気難しい感じがして、とても波動が高い方のように思われました。

なので、自分がいかに愚かな人間であったか、なんという浅はかな人間だったのかと、思い知らされましたと同時に、あ~私って成長しているんだな~・・、成長するってこういうことだったんだ~、意外にシンプルなのね~と感じている、今日この頃です。

昨日、一宮に参詣しました。
出発前に鎮守に「行ってきます」と言うと、「○○さんはよき方で、そなたを歓迎してくれよう」と言ってくれました。
神社の一の鳥居につくと、耳の奥が圧迫される感じがしました。
三の鳥居をくぐり境内に入ると、とても温かく穏やかでありながら、ものすごい神気と神の存在感で圧倒されました。
空間の隅々まで神気で満ちている感じがしました。

祈り始めると、御祭神から
「来てくれてありがとう。もっとそばに来なさい」と言われて、2,3歩前に進みました。その後のやりとりです。

「○○を守ってくれてありがとう。辛い思いをさせてすまない。苦しい役を負わせてすまない」
「構いません。守っているつもりはありませんでしたが・・・。お役に立てるなら嬉しいです」
「これからは好きに生きるがよい。何事も思いのままに生きるがよい。いつも傍にいて、いつでも守ってやる。
また来てほしい。時々でもよい。また会いに来ておくれ。」
「ありがとうございます。また来ます。」

私は驚いて胸が熱くなり、涙がこみ上げて苦しくなりました。
人が多く、参拝にも列ができていましたが、列から離れて人の目も気にせず、長い間祈っていました。
お札をいただいて、お守りもたくさん買ってしまいました。

昨日は家を出る前に、急にお腹がゆるくなり、一気にスッキリしました。
今日は家の片付けをし、久しぶりに家中の天然石や岩塩など浄化グッズを全て掃除しました。
これも一宮の浄化かなと思っています。

ひかりさんのおっしゃるように一宮はとてもパワフルで、神気に満ちあふれていました。
とても強い守護を授かったような気がします。また行こうと思います。

5年前にひかりさんに初めてオーラの色を見ていただいた時は、赤色でした。
それが、1年前の時はグリーンになっていました。
この間、公私ともにいろいろな困難があり、体調を崩したりもしましたが、
周りの人に助けてもらいながら立ち直ることができました。とても必死だったのを覚えています。
心や魂の成長は常に意識していますが、振り返ると、一生懸命自分の人生を生きることが魂の成長にもつながったと感じます。

祈りを続けていると、試練試練の連続ですが(カルマ出し?)、試練は必ず乗り越えることができ、
一つクリアすると魂が成長し、また新しい試練が与えられるという毎日を感じます。
困難に遭遇しても、神の試練なんだと思えるようになり、何だって乗り越えてみせる!と思えるようになりました。
神々はいつもとても優しく、また時には厳しく私を見守ってくれます。
これからも神とともに歩む人生を楽しんでいきたいと思います。

霊の祈りを申し込もうと思った日から不正出血が止まらず、体が重くて仕事をするのが大変でした。
一週間ほど、出血していたのですが、今まで不正出血をしたことなどなかったので、このまま止まらないようでしたら、検査してもらわなくてはいけないと考えていた時に、霊の祈りの資料が届きました。
すると出血が止まりました。
浄化だったようです。

私は実家の新築に伴い現在の場所で暮らすことになったのですが、近隣の様子もわからないこの土地で暮らすのが怖いと感じていました。

その為、初日から1週間ほどの参拝はこの土地へのご挨拶のみを行いました。
鎮守の神社に入ると真黒な蝶々のようなトンボが沢山、神社に飛んで来ました。
今まで見たことがないトンボだったので、不安に感じてしまいました。
帰宅後、ネットで調べると羽黒トンボ、別名、神様トンボという名前で縁起の良いトンボであるということでした。
その日以来、通勤途中に神社があるという事もあり、毎日、参拝させていただいています。

2週目からは神社の参拝の作法の一部を外して1週間。

3週目からは作法のすべてを行うようにしました。

参拝を続けるととても体調が良くなり、重かった体もすっきりと体調も良くなってきました。
今までになくクリアな状態で仕事をすることができました。

3週目から21日間参拝を続けました。
この間体調が悪くなったり、一度すっきりした状態から重くなってしまったりと様々でした。
私は今まで、他人に影響されることが多かったのですが、自分と他人の間に距離を持つことができるようになりました。
また家族に関しても、言われるままに行動するのではなく、できない時はできないと言えるようになりました。

昨日は鎮守の神社のお祭りでした。
休日でしたので、外出の前に参拝しようと神社に立ち寄るとお祭りの準備をされていたので、今日の参拝は諦めることにしました。

すると近所に住む会社の同僚から“今日は神社のお祭りですよ♪”というメールが届きました。
同僚のお父さんが準備を手伝っているとのことでした。

その日は開かれた神殿で参拝させて頂きました。
いつもお世話になっている神様に、心ばかりお祝いを届けせて頂きました。
神様に来てもいいですよ。と言ってもらえたのかなぁと思いました。

鎮守の神社の参拝が終わる頃、会社の近くの氏神様への参拝をはじめました。

こちらでも参拝するとまた、羽黒トンボが飛んでいました。
水辺だからでしょうか。

私は会社が合わず体調を壊して現在の会社に就職しました。
この地にご縁を頂いたお礼を神様に伝えると、涙がこみあげてきて目が潤んでしまいました。
それ以来、時間があれば出勤前に、なければ昼休みにできる限り参拝させて頂くようにしています。

私は長い間、間違った霊性の道を歩んできてしまいました。
知人について霊性を学んできたつもりでしたが、それは間違いでした。
今まで、日本にいながら先祖や自分の内面を正しく見つめないで進んできてしまいました。
なんだか違うと思っていましたが、ここで一気に蓋をあけてしまった状態になり、自分が生まれきた目的を果たす正しい道への軌道修正が始まった気がします。
神様に繋がりたいと思ってもなかなか実行できないことが多いのですが、毎日、参拝を続けられたことに驚いています。

参拝中、身体だけは丈夫でここ数年、体調不良、風邪もひかなかった私ですが、突然、ひどい鼻水、咳、頭痛などでビックリする事もありましたが、参拝を中止する気にもとうていなれず続ける事ができ本当に感謝です。
まだまだ魂の成長ができずに神様の前で涙する事も体感することもできないですが、まだまだ参拝、気持が足りないと逆にはげみになり、続けて祈ってます。
もっともっと神に近づきたく、心の成長がしたく、次のステップに進みたいと思ってます。

祈りを始める2日前 家族が風邪を引き、仕事を早退しました
さっそく浄化が始まったようです
1週間 会社を休み、2週間 風邪薬を飲んでいました
私も熱が少し出て喉も少し痛くて3日ほどだるかったです

1日目
明け方何度も言葉が聞こえたので枕元でメモしました
「おみえなし」と聞こえましたがネットで調べてみると「おみなえし」でした
黄色い小さな花が固まりになって咲いている花の名前でした
見たことがあります

女郎花(オミナエシ)の効能
解熱、消炎、浄血、解毒、排毒作用、腹痛、下痢、子宮出血
こしけなどに用いられる

女郎花に対して男郎花(オトコエシ)という花がありました

祈りの初日のメッセージは

これから浄化が始まるよ、
人間には女性性と男性性があるけれど特に女性性を癒していこう

といったところでしょうか

鎮守神社に行き祈りました
祈りを読むのに必死になっていました
祈りの一区切りで顔を上げて神殿の方を見るようにしました
祈りが終わったあと 神殿の方を見たら 目が潤んで胸がいっぱいになりました
やはり 祈る何らかの理由が私にはあったようです

2日目
祈りを読み出すと胸がいっぱいになってきて深呼吸しました
感極まるってこんな感じかな

時間は昼の2時過ぎだったので暑くて暑くて
背中とふくらはぎに陽が当たっているのがわかります

祈りを唱えることに夢中になりすぎないように
祈りの一区切りごとに顔を上げて神殿を見つめるようにしました

最後の祈りを読み始めると突然 一匹のセミが
ジィー ジィーと鳴き始めたので

あぁ きっと神さまが
『聞こえてるよ 聞いてるよ』って返事してくれたのだと思います
とてもうれしかったです ありがとう

3日目
連続して祈る予定にしていなかったのですが
スーパーのチラシで大根が特売
母からお使いを頼まれました

スーパーは鎮守神社と目と鼻の先です

神殿の前に立つと男の人の声で
『よく来た』と言ってくれました
リュックに大根を背負ったまま祈りました

どうやら 毎日祈りに来なさい ということみたいです

胸がいっぱいになったので
深呼吸をしてから祈り始めました
祈りも今までよりスラスラと言えるようになってきました
祈っている間はエネルギーが動いている感じがしました

4日目
お賽銭忘れてきたっ

祈り中身の意味がまだよくわかりませんが
なぜ祈りを始めたのかわかりました

「自分の親もいつかはご先祖さまになるんだなぁ」と
そんなことがふと浮かびました

自分のインナーチャイルドを癒すことは
親子関係のトラウマを癒したり、カルマを開放するのと
同じようなことだと思っています

そろそろ親と子の学びから解き放たれようとしている
のかもしれません

だから
次はご先祖さまへの祈りを始めようと準備をしているのだと思います

そんな風に考えていくと
肉体のある相手とのトラウマやカルマを浄化をすることと
肉体がない霊、ご先祖さまとのトラウマやカルマを浄化することは
それほど違いがないように思えました

5日目
昨日の分をプラスしてお賽銭箱へ

『よく来た』とまた声がしました
祈りはときどき つっかえながらもスラスラと読めるように
なりました

祈りの意味を現代語訳で調べて読んで見ると
胸がいっぱいになって泣きそうになりました

本当にそうだなぁ と染み渡る感じがしました

当たり前のことだけど当たり前のことが
普通に書いてあるんですね

6日目
祈りを読み出すと
たくさんのセミが鳴いている中から
一匹だけがさらに声を上げて鳴きだしました

一緒に祈ってくれているのかな
私を応援しようとしているセミだよ~ きっと
うれしいな ありがとう

今日は社のまわりをぐるりと回ってみました
本殿と祈るところは同じでした
本殿の裏に公園 道を挟んで隣には古い家
懐かしい昭和を感じさせる雰囲気です

祈るのが何となくクセになりそうです
鎮守神社は家から近いし毎日通うのは
なんてことない感じです

7日目
神殿の正面には楕円形の白いモノ
右側に胡坐をかいて弓を持ち着物姿で黒い背の高い帽子
をかぶった男性の仏像が置いてあります
雛人形のように顔が描いてあって布の着物を着ています
人間の半分ぐらいの大きさです

今日は
左側にも同じような男性の仏像があることを発見
右側は年配の方で左側は若い男性です

『よくきた ご先祖もよろこんでおる』と声がしました

祈りが終わっても何となく帰りたくなかったので
何かメッセージがもらえるような気がしてそのまま
立っていました

すると立ちながら瞑想が始まり
足元は固定されたままで胴体が前後左右にグルグルと
回り出しました

それは本当に気持ちが良くて
ずーっとグルグルしていたい気分でした
「ありがとう」と感謝の気持ちが湧いてきました

8日目
手水舎で手を洗ってひしゃくを元に戻したとたん
隣に置いてあったふたつのひしゃくが ひとつづつ
ポコ ポコ と 音を立てて下にずれ落ちました

あまりのタイミングのよさにニヤリと笑いました
私を歓迎してくれたのか、遊んでくれたのか
なんだかうれしくなりました ありがとう

今日はちゃんと
神殿の右と左に仏像があるのを確認
『よくきた』と声がしました

祈ったあとで
家族の風邪が治るようにお願いしてみました

立ったまま瞑想しようと目をつぶったとたんに
左側後ろで『ジャリ』と砂を踏んだ音がしました

神社の中に誰も人がいないのは
わかっていましたが
誰かが私の側に来てくれたようです

9日目
今日は使ったひしゃくを元に戻したら
一番左側のひしゃくだけが 下にずれ落ちました

神殿の前まで来ると
『暑いのによく来た』

あらら ねぎらってもらいましたよ

祈っている間セミは鳴いていなくて
静かでした

暑いけれど風がピューピューと吹いて
涼しくしていただきました

ありがとう
至れりつくせりです

10日目
今日は『歯を磨いて来い』と言われてしまいました
起きてすぐに出かけたので次からは気をつけます

神殿の前に立つと今まで一番胸がいっぱいになって
うれしさがこみ上げて来ました
こういう時は相手も喜んでるって言ってましたね。

祈りの途中まで一匹だけセミが鳴いていました
鳴きやんだので静かになりました
本当に静けさがただよっていました

11日目
『暑いところよく来た』
『歯を磨いてこなくてもいいよ』
うがいをしてくるだけでもいいみたいです

祈りが終わったら
『早く帰れ』
暑いのでねぎらってくれたようです

帰り道 歩きながら・・・

父方の母の生前のふるまいが
嫁たちやその子どもたちに多大な影響を与えている

祖母がいきなりそうなったのではなく
原因はその前からあったのだと

私の代でそのトラウマ カルマは終わりにしよう

そこまで思い返したあと

「よーし 〇〇家 待ってろよー 祈ってやるー」って
つぶやいていました

自宅で瞑想中に誰かでてきました

誰ですかとたずねると
『スサノオ』

若い男性で
公家のような水色の上下の衣装に
黒い背の高い帽子をかぶっています
切れ長の涼しげな目元

『一緒に瞑想する』 と言って 私の左側に座りました
次に創造主のエンソフが現れて右側に座りました

その次は繋がりのある他の高次の存在たちが
ワーッと出てきました
みんなで座って一緒に瞑想しました

瞑想の後
スサノオは『暑いのう』と言うので
「市立図書館が涼しいですよ」と教えてあげると
『行ってくる』

13日目
『よく来た』と声をかけてくれました
今日はちょっと涼しめでした

夜 スサノオが現れて
『一緒に寝よう』と

私はそういう気分じゃないし
なんだか変だなと思ったので

天照大御神に声をかけて
「この人はスサノオですか」と3回確認したところ
返事がありません

大天使ミカエルを呼んで
スサノオと名乗るその人を
元いた場所に連れて帰ってもらいました

14日目
『よく来た』と声がしました
祈りを唱えている間 風が吹いて涼しかったです
心を込めて集中して祈れてるなと思いました

15日目
16日目
17日目
日記を書くのを忘れていました

18日目
祈っている間じゅう
自分の声が頭の中でボワボワと響いていました

カラオケボックスでエコーを聞かせて
しゃべっているような感じでした

19日目
祈っている間 静かに聞いてくれているように
感じました

最後に『また来るがよい』と声がしました

20日目
お賽銭箱の前に立ったとたん
『また来るがよい』

祈りが終わって本殿に背中を向けたら
『明日も来るがよい』

振り返って ありがとう

21日目
神社の狛犬が声をかけてくれました
左側の狛犬が『おめでとうございます』
右側の狛犬が『おめでとうございます ひめさま』

おぉ 私がひめさまだったことを知っているとは・・・
(そういうニックネームで呼ばれていたことがあるので)

境内の中にお稲荷さんの小さい社が置いてあります
お稲荷さんの方をみると
『おめでとうございます』と声がしました

本殿の中からは
『また来るがよい』と声がしました

21日の祈りの修了をお祝いしていただきました
本当にありがとうございます

祈りの20日目で
今年の3月からご縁を感じて関わっていた
スピリチュアル関連の団体と縁が切れました

退会を決めた後
身体が軽くなり気分がすがすがしくなったので
その選択は正しかったのだとわかりました

これは祈りの効果として
不要なものが浄化がされたんですね。

これからのことについて 3つ

今後も
自分自身と愛し合い 本来の自分に完全に戻っていくこと

これまでは
天界の天使たちとの繋がりができて深めていくことができたので
次は神界の神さまたちとご縁をつないで繋がりを深めていくこと

そして
霊的な成長(魂の成長)を続け
宇宙の純粋な導管となり 神さまたちの道具となって
他のみなさんにメッセージを伝えられる人になりたいと思っています

祈りを続けていると、困難があっても必ず前進するのを感じます。留まることがないというか…現実問題に対しても成長のスピードが早くなった気がします。

次々に課題が降りかかってくるのですが、課題があって止まっている時も、鎮守は同情してくれますし、祈りを始める前よりも解決が早まってます。
しかも、目に見えたり感じたりできる成果が出ます。

そして、全てのことは神の意思による成長の糧で、辛いことも悲しいことも乗り越えることができるんだと思います。

とにかく、神と共に生きるとは本当にすごいことだと感じています

心身ともに疲れ切った日、鎮守で祈っていると涙がぽろぽろ出てきました。
鎮守も「大変だろう、かわいそうに。辛いのは分かっておる。頑張っておる。いつでも応援している」と励まして下さいました。

1 あいさつ
自分の力で自分の魂や現実社会を変えていきたいと思い、祈りを始めました。途中、いろいろなことが起こりましたが、とても貴重で勉強になる経験ができました。神様のことや、自分や先祖の過去や過去世にまつわる様々なことを振り返るきっかけを与えて下さったひかりさんご本人と、ひかりさんとの縁に、まずは一言感謝申し上げたいです。ありがとうございます。

2 レポート
(1)全般
祈りは週に4~6回参詣し、21日間を終えました。
まず、とてもぐっすり眠れるようになりました。仕事を始めてから不眠症で、疲れても寝付きが悪い時期が長かったのですが、ウソのように、すぐに眠れるようになりました。眠りの深さも時間も必要なだけたっぷり取れるので、心身ともにしっかり回復できて、助かっています。もともと眠ることが大好きで、一番のストレス解消法でもあったので、本当にうれしいです。霊障がとれてきたのでしょうか。
実生活は、思ったほどつらいことばかりではありませんでした。今まで隠れていたものが表面化した印象で、特に人間関係において顕著です。ある人にたまっていた不満が爆発する出来事が起こったり、逆に、思いを同じくする人や助けてくれる人との出会いに恵まれました。身体面でも、体調不良がいつもより重かったり、自分のもともと弱い部分がよく出ていると思います。
いつだったか思い出せないのですが、祈りの言葉に「十分孝行ができなかったこと、ご先祖様に十分供養ができなかったこと」を加えた日、この言葉をつぶやきながら涙が出そうになりました。胸が熱くなり、感動するような気持ちでした。

(2)詳細
・第1週(参詣1~6日目)
初日はとても眠くなり、耐えられず寝てしまいました。2日目から、体調に変化がありました。仕事も深夜まで続き、帰宅すると、玄関のドアに鳥のフンが派手に付いていました。こんなことは初めてでしたので、これがカルマ?と非常にビックリし、あわてて掃除しました。3日目からは心がスッキリしてきて、5日目には春風のように爽やかで晴れ晴れとした気持ちになりました。一方、体は常に重く、疲れがたまっている感じでした。
6日目には、鎮守様に心の中のもやもや(迷い、苦悩、くすぶり)をすっかりお話しました。心地よく、いつもより長く祈りました。その後、猛烈に眠くなりました。
この週は妙に身の回りを整理したくなり、家中を掃除しました。

・第2週(参詣7~10日目)
常にのどが渇いて酸味のある飲み物を飲んでいました。勤務時間が長く、小さなイライラが多かったです。身体面は、不調が何日も出ました。
10日目は祈りの後、すがすがしく温かい気持ちになりました。ですがその後、職場でひどく傷つきました。積もっていた小さな不満が表面化し、怒りを覚えました。

・第3週(参詣11~16日目)
11日目の朝、祈っているうちに心の中のもやもやに対する自分なりの答えが出ました。6日目に鎮守様に相談した内容で、答えは、正しく生きるべしというものでした。春の日のようにすがすがしい気持ちになりました。
12日目からは毎日心がすっきりしてきました。精神レベルではまだ世俗的な迷いはあるものの、霊的なレベルでは方向性が決まってきたと感じます。
14日目には、もう一歩前進したいと思うようになりました。15日目も同じで、もう一歩進歩したいという思いが強くなりました。
16日目はゆっくり祈り、お腹の底からすっきりしました。

・第4週(17~20日目)
この週は体調が悪かったです。17日目は朝すがすがしく祈ったものの、午後から体調が悪くなり、仕事を早退しました。
18日目から19日目は、体調も悪く、人間関係も悪化しました。こういう時、以前の自分であれば無理に我慢したと思いますが、今はそれが心身に悪いことだと感じるので、無理はせず、気持ちに素直に従いました。
19日目の夜は、苦手な人へのいら立ちが表面化し、イライラが募りました。
20日目は体調はいまいちでしたが、祈った後、スパッと前向きになりました。ぬくぬくと温かい気分でした。鎮守様のお守りが欲しくなったので、思い切って買いました。

・第5週(21日目)
気分も体調も優れませんでした。今月はいつもより身体の痛みも心の負担も大きく、イライラしたりバテたりしました。
祈りはじめてから、お茶碗とお皿が割れました。何年も食器など割ったことがなかったのでビックリしています。手から抜けるように落下して割れました。何かを背負ってくれたような気がします。

・その後(22日目)
21日目から、仕事や体調の都合で、3日間まが空いてしまいました。少し久しぶりの感じで参詣すると、手水で手を洗っている時に「もう来てくれないかと思った」のような感情が伝わってきました。心配と期待のようなものを感じました。祈った後は、幸せや感謝があふれてきて、満たされた気持ちになりました。他人を愛したい、何かを与えたいという思いが強くなりました。今後とも自分のペースで続けていきたいと思います。

(3)感じたこと
カルマなのか、普段起こらないような問題が起こったり、体調がいつもより悪かったりしました。問題というのは、職場の人間関係にイライラしたり、食器が割れたり、玄関が鳥のフンで汚れたりしたことです。また、体調は、イライラや、痛み、気持ちのモヤモヤがいつもよりひどかったです。
ただ、このような小さな問題はありましたが、全体的に落ち込んだ感じはあまりありません。特に、人間関係は、ゴタゴタはあったものの、大切な方々との愛情や信頼関係はむしろ深まったと思います。私自身の愛情も強くなりましたし、会ってお話する機会に恵まれ、幸せを感じることが増えました。

いろいろ考え、スピリチュアル教室や本を読んでいるうちに、イライラする人たちについて、彼らから「自分を愛して、認めて」という心の叫びが伝わってくる気がして、苛立ちは静まり、同情するようになりました。このような心の空洞は、自分で自分を愛したり認めたりすることで埋めるのが良いのでしょうが、彼らはそれができず、他人からの愛や承認を求めています。でも、それでは永遠に心の空洞は埋まらないのでしょうから、彼らの苦しみは癒えないんだな、と思うと、彼らの放つ誹謗中傷にも冷静になれます。自分からの愛や承認が得られず、他人に求めて、それも得られないから他人を攻撃して、他人からも嫌われる、という構造は、ジャンクフードを食べて栄養失調になり、空腹が満たされずにまたジャンクフードを食べて体調を崩す、といった悪循環に思えます。この構造に本人が気づかない限り、苦しみは癒えないような気がします。
心の奥の方(心ではなく、魂や霊なのかもしれません)は、愛情でできていて、愛情の深さや大きさがその人の本質のような気がします。ときどき、人そのものが変わったような印象を受ける時がありますが、これは愛情の深さや大きさが変わったのかなと思っています。

深い深い愛情や大きな愛情は、自分がそれを与えることができたり、逆に与えられたりすると、他には何もいらないような満足感があります。心というよりは、自分の本質(魂や霊)が喜んでいるのを感じます。私はそういう満足感を、子供のころは感じていて(まさに深くて大きな愛情を与えてくれる人がいました)、とても自由でした。それが感じられなくなって、苦しみや孤独を感じ、万能感がなくなりました。大人がよく持っている利己的な愛着や一時的な恋愛は、子供のころに感じていた愛情とは呼べないもので、それはいくつ集めても満足することはありませんでした。そういう空虚な時期を長く過ごしてきた気がします。
祈りを始めて、神様の愛情や相応の理に触れ、なんと明るくおおらかで包みこまれるような温かいものなのだろうと感じました。心の奥の方(魂や霊)にも届き、満足して安心した自分を久しぶりに感じています。自分の心の奥に今まであったむなしさや苦しみの原因も少し分かりました。これからは、深くて大きな愛情を自分で自分に与え、他人や他のすべてにも与えることができるようになりたいと思います。それを、自分の本質(魂や霊)は、求めているような気がします。

3 最後に
レポートは簡単に書こうと思っていましたが、書き始めると書きたいことが多くて、長くなってしまいました。まだまだ分からないことはたくさんありますが、自分の本質(魂や霊)が求める方向に進んでいきたいと思います。それはきっと、祈りを続けて、深い愛情や大きな愛情を学ぶことだろうと思います。少しずつ前に進みたいと思っています。

レベル4に進んだ時にはちょうどスピリチュアルレッスンと供養代行を並行してすすめていたので、浄化がきつくなるのを避けるために、祈りには手を出せないでいたのでした。
そしてインナーチャイルドが癒され始めて、幸せな時間の方が多くなった時、供養をするのが億劫になってしまったんです。
浄化がないとこんなに楽なのか~、とわかってしまったので。

それで8ヶ月間、先祖供養以外は休んでいたので、とても調子はよかったのですが、新しい家が建って、この土地に戻ってきたら、ラップ音が頻繁にする、左手がしびれて動かない、となんだか祈りを再開するように催促されているように感じて、またちょうど家族の結婚式があり、父を許せない自分がまだいることを思い知り、祈りをしました。

浄化は精神的に毎回きつかったです。(といっても、大事にはならないので、ずいぶん軽くなったと思います。)
新しい祈りを始めるとだいたい2日目3日目から問題が起きて、1週間のサイクルが終わる頃に自分の中に違う物の見方が現れて、気持が落ち着いたり、という繰り返しでした。
以下の記述はその頃書いたものです。

「供養をすると、その相手のいる場所の波動をダイレクトに追体験することになるんだね、やっぱり。
相手の苦しみを一緒に味わうことが、供養なのかなあ。
供養が済んでも、相手は同じ地獄にとどまり続ける。
変化するのはわたしだけ。
わたしのなかの相手との共有部分が日の目を見て、わたしからはがれる。切り離される。
それまでわたしに同化していた相手が、わたしから離れる。
憑いてたものが浄化される、ってこういうことだろう。」

父への祈りでは、怒りを感じました。
並行して、「父からの虐待で傷ついた子供の頃の私」について祈ってみたところ、浄化がきつすぎて、3日で中断しました。
以下はその時のメモです。

「祈りに加えて、インナーチャイルドへの祈りを同時進行してたら、昨日ものすごいいらいら、怒り、それから太陽神経叢の痛みがひどくて、周りに迷惑かけたし、わたしの体もずいぶんダメージを受けた。
怒り。これが胸というかお腹というかそのあたりを痛めつけて、手の甲の湿疹が久しぶりに悪化してるよ。
去年、インナーチャイルドをだいぶ癒せて、それからぱったりアレルギーの湿疹って、ほんと出なくなって、世の中の人たちのアレルギーの原因はインナーチャイルドだ、って確信してたんだけど、いや~、今回のことで、その確信がさらに深まったよ。

それで、昨日は両方とも祈りを休んで、今日は○○だけにした。
インナーチャイルドへの祈りは、浄化がきつい。
こんなにきついとは予想してなくて、ああ、幸せーっていう楽な状態にしばらく慣れきっていたから、よけいきつく感じるのかも。

昔にはもう絶対戻りたくないよ。
怒りと鬱と過食と。
あの地獄はきつかった。
だから、今がものすごく軽い浄化にしてもらってる、ってよくわかるんだ。
自分の精神も身体も本当に辛かったし、子供たちがどれだけ病院通いしたか。
家業の経営状態も。
今は浄化がきついったって、胃が痛くて、手がかゆくて、○○さんが風邪で苦しんでて それはつらいけど、でも、入院やら夜通し看病やら、そこまで悪くはないから。
家業も前のような追いつめられた状況は脱している。
有難うございます。

でも、祈りは無理せず、ひとつづつ、地道にやっていく。
時間かかっちゃうかもしれないけど、私も家族も潰れないように、軽い負荷ですむようにする。
まあ、でも、昨日はほんとにずっとネガティブな思考しかできなくて、すごいね。インナーチャイルドの地獄波動は。

夕方陽もくれた頃にやっと自転車乗ってお参りしてきたけど、緑をずっと眺めながら走ってたら、胸の痛みがいつの間にか消えてて驚いた。
植物の浄化作用って、思ってる以上にすごい。
いつもいつも、ただ黙って、浄化を引き受けてくれてるんだね。
人間はその働きに気がつきもしないけど、そんなことお構いなしに、ただただ、浄化を担ってくれているんだ。
植物たち、自然、ほんとにありがとう。
美しいからそれだけでいつも有難いんだけど、もっといろんなことやってくれてるんだろうな・・・。
有難う。」

「昨日のインナーチャイルドの主張は、やりたくないことをやらされた怒り、恨み。
なんで私が人のことやってやらなきゃならないんだ、という怒り。
私の邪魔をするな、という怒り。
人間への嫌悪、拒絶、憎悪。」

母への祈りをしている期間は、批判や愚痴がいつも頭の中をめぐっていました。
人々の批判し合う関係、その不毛さを感じました。
赤面症を馬鹿にされる出来事がありました。とても傷ついてずっと頭から離れませんでした。どう捉えたらいいのかこの時はいくら考えてもわかりませんでした。赤面症の自分をそのまま肯定してあげられませんでした。

この頃、阿部敏郎さんの『いまここ』というスピ系のブログをたまたま読み始めました。
自我の自分と、おおいなるひとつ=空である自分、という視点からの捉え方を取り入れていた時期でした。

今のわたしの理解。人は何者でもない。同じ人に対して、この人怖い、と思う人もいれば、この人いい人だな、と思う人もいる。
人は鏡。自分が普段考えてるさまをただ映し出してくれてるだけ。
だから、人=怖い、という固定化された存在じゃない。

夫への祈りでは、恐れと、愛を得られないことへの不満を感じました。
「一緒に車に乗るたびに、いざこざが起きて、妻の運転が荒くて危険で、事故を引き起こす『恐れ』があって、自分が感じてる『恐れ』や不安を共有させようとすると、反発するし、どうしようもない、というのが相手(夫)の言い分でしょう。
私の自我が、馬鹿にされた、傷つけられた、って思っちゃって、反射的に反発してしまったけど、もう、からくりがわかったから、冷静に対応できるかな?

相手が恐れの中で日々暮らしていること、母親から得られなかった愛を手にいれようと努力していること。
実は、これが今わたしの周りにいる人たちみんなに共通してる性質、とも言える。
この性質に取り組むのが、今のわたしの課題なのかな。」

「ときどき目にするんだけど、独特の気持ち悪さを感じさせる人がいる。
ああ、また胸が苦しくなってきた。
あれはなんなんだろうって思って、母親に愛されたがってる人間が醸し出す特有の空気、かもしれない。
鬱の人とかすごく寂しがり屋な人とか、そういう人に見たことある気がするから。

こんなに自分を犠牲にしていろいろやってあげてるのに、なんで愛してくれないんだ、っていう不満や怒りがうずまいている。
恐れ、とはまた別で、自己犠牲の報酬として、愛を手に入れようとする人。」

「これ、ほんと巧妙だねえ。
恐ろしくなるね。この巧妙さ。
自我ってほんとに巧妙、この一言につきる。

かわいそうな人、苦しんでる人を見ると、助けたくなるんだよね。
人が助かると自分も幸せな気持ちになるから。
助けられないと、自分も不幸なわけだ。
でも、違う。

はじめからかわいそうな人も、苦しい人もいないし、
当然、人を助けるもなにもないし、
何もしなくても
みんな幸せだよ。
これを肝に銘じておくことだ。
そうしないと自我の幻想にからめとられる。

今日ずっと変でね、なんか人の心配ばかりしてたり、人を助けなきゃ、ってその思考に占められてて、心がざわざわして、そわそわしていた。
昨日から祈りはじめてて、昨日の夜もいろいろ話してたから、相手(=夫)の思考パターンをダウンロードしちゃったんだねえ。
勝手にこうなってんだよね、合わせる気がなくても、接触したもののデータをかってに読み取ってる。
その前の日も、きつい波動の人たちのところへ入ってたからね。
その人たちの思考パターンも読み取ってしまって、クリーンな状態じゃなかったんだ。

助けなくていいよ。
助けようっていう、その思考パターンはどのみち何も生み出さない。
助ける、って時点で、もう波動が低い方にフォーカスしてるから、何もできないよ。
だいたい、はじめから完璧で幸せなものを、助ける必要はない。
相手の完璧さを信じよう。信頼しよう。
神様にゆだねよう。
明るさ、喜び、完璧さ、満足感、信頼、光、愛。
これらを見るときだけ、物事は良くなる。

相手をカワイソウと思うことは誰のためにもなってないね。
相手も自分も低くなる。
カワイソウな人など存在しない。
みな完璧な存在だ。
わかってるんだけどね、その波動の中に行っちゃうと、そっちにひっぱられる。
不幸な自分、問題を抱える自分、っていう自我の幻想にいつの間にかどっぷり浸かってる。
もう、人を見ても人を見ないことだね。

これまでの分析方法みたいのが染みついてて、分析すれば問題に対処できると思い込んでる自分がいる。
ほんとは分析しても幸せにはならないんだけどね。
思考の中で未来において幸せになれる、思い込んでいる。

これ前から思ってたんだけど、人を見た時に、たとえ不幸に見えたとしても、不幸な人だ、と認識しなきゃいい。
真実は、全員幸福な人、なんだから、そう思えばいい。
目の前に認識してるものは、しょせん思考や自我の土俵上にあるものだ。
つまり、目の前にあるものに対する評価や分析結果は、ぜーんぶ嘘、ってこと。
もう、思考いらないじゃん!!って話だけど、そういうゲーム、遊び、なんです・・・。
もう、全部無視だよ。不幸にみえるあれやらこれやら。
ただ、ひたすら相手を、幸せで完璧で素晴らしいものだ、と思うことだ。

思考を使うなら、それが正しい使い方だよ。
ただただ、すべてを肯定するだけだよ。
だってそれが真実だから、それ以外にないんだよ。
大丈夫かなあなんて心配しなくていいんだよ。
だって、はじめから大丈夫だから。」

この頃、ロンダ・バーンの『ザ・パワー』を読みました。引き寄せの法則の本です。

「ザパワーを読んで、どうしてこれを知らなかったのか、って、いや、何度も他の本で目にしてきたけど、こんなに腑に落ちたのは、今回が初めてだったんだ。
恐れとか恥ずかしいとか、いろいろ嫌な感情って今まで、恐れをどうしたらいいか、どう解決したらいいかって、奔走してた。
でも、それが全く見当はずれだったことを教えてくれた。

人への不信感が、恐れにも恥ずかしい気持ちにも根底にあって、人から嫌な目に遭わされたから、警戒して信用しない、って状態になったわけだ。
ここなんだ、すべては。
生まれてすぐに、人は嫌な存在だ、って思ってしまって、その思いがその現実を引き寄せてきた。
人は嫌な存在だ、っていう前提ができあがってるのに、人に感謝したり、人を愛そうなんて思えないよね。
感謝しないとどんどん奪われるよ、って、誰か教えてくれたらよかったのに・・・。
言われても、受け入れられなかったかな・・・。

祈りをやって、もう強制的に祈って祈って、それでも怒りや憎しみや批判非難は日常的にやってしまってたから、効果は半減していたんだろうけど、ホントにわけもわからず祈り続けて四年。
やっと、相手がどんなに嫌な相手であっても、それは過去のわたしが発信してきた感情が今届けられたもので、今わたしにできる最善は、とにかく感謝すること。
言い訳無用。という真理が受け入れられるようになった。

おもしろい。
ホントにつくづくそう思う。
愛を与えれば、愛が与えられる。
愛を与えなければ、奪われる。
なにも悩むことなんかなかった。
そのシンプルなただひとつの法則があっただけだった。
これがわからずに、長い間七転八倒してたわけだ・・・。」

子供への祈りをしました。人への恐怖が根強くて、それがいつも頭の中にありました。

この頃、セドナメソッド(手放す手法)の本を読んで、取り組みました。
自分で自分に質問する形式ですが、自分がいつも思っている思考パターンとは正反対のパターンを質問するので、気づかなかった固定観念に気づくことができました。

受容や平安といった良い感情がわいてきた時も、それを手放すのですが、「そんなの手放せるわけない!手放したくない!」とそれらの心地良い感情に強く執着している自分がいて、手放すことに抵抗しました。
いつもネガティブな感情と一体化してたから、良い感情や気持ちにこんなに飢えていたのか、と理解したら、良い感情への執着が消えました。

自分が相手や物事をコントロール(支配)したいと思う欲求を手放す時も、「そんなの手放せるか!コントロールすることやめたら、めちゃくちゃになっちゃうじゃないか!」と強く抵抗する自分にも会いました。でも、しばらくしてもう一度質問してみたら、「う~ん、確かに、手放しても大丈夫かも・・・。手放せるかも・・・。」と思いなおし始めている自分がいるんです。支配する子供の反応がおもしろくて、不思議でした。

それと同じ時期に、阿部敏郎さんが提唱している瞑想を伝授してもらいました。
これも不思議で、瞑想になんてこの時全然興味なかったんです。
でも、祈ららの祈りの時のように、なんかやんなきゃいけないような気がする・・・という理由だけで、瞑想することにしました。
伝授を受ける前から、頭痛がひどく浄化だとわかりました。
受けてから胸の奥がものすごくあつくて、人から好かれたいために、やりたくないことをやっていた自分が癒されました。
その時の感想です。

心の面でも変化が起きました。 愛を渇望している自分。やりたくない事にやらされてものすごく抵抗を感じている自分。愛を得るために、やりたくないことを我慢してやっている自分。 全部手放しました。 愛を手放しました。 愛に執着するのをやめました。愛が得られなくてもいいと思いました。 手放して、ただ自由になりたいと心底思いました。
そう思った後、ちょうどお付き合いの場に出る機会があり、いつもなら相手の機嫌がいいか悪いかをすごく気にするところでも、それはわたしの責任ではない、と心の中ではっきり宣言する自分がいました。周りがどう反応してきても、あまり気にせずいられました。
自分の不自然さに気づいていながら、長い間どうにもできなかったのが、昨日の今日で、ここまでふっきれたので、驚きました。

「さっき瞑想したら、まわりの人間はみんな敵だ!!っていう意識が浮かび上がってきて、安全欲求だな、と思って、解放のワークやってみた。
そしたら、なんてことだ、としか言えない結果に出会ってしまった。

最初、まわりは敵だ。人は危険だ。自然だけがいつもただわたしを受け入れてくれた。という認識ばかりがめぐって、だから、わたしは危険にいつもさらされている、だから、わたしは安全ではない、だから、周りを警戒して周りをうかがってびくびくして自分を自分で守らなければならない、という結論にたどりつく。
それでふと、まわりがどんな状態だろうと、どんなに危険な人で満ち満ちているとしても、私自身は安心していられないだろうか?って思った。
周りのことは知らない。
周りとは関係ない。
周りはどうでもいい。
ただ、わたしが、『わたしはどこにいても安全を感じていられる。
どこにいてもリラックスしていられる。』と思えば、それが私の現実になる。
私の意識が、わたしの世界を形作っているのだから、わたしが、『自分は安全だ。』と認識しさえすればいいだけの話だった。
わたしがそう思っていいのだと、許可を与えさえすればそれで話は終わりだった。

そこまで考えついた時、わたしが『わたしは安全でいたくない。』 と思ってる自分に出会ったんだ。
いつも安心して暮らしていたいはずなのに、安全でいたくない、はずないんだけど、
最初に、人は危険だ、周りはみんな敵だ、っていう認識があるもんだから、自動的に受動的に被害者的に、じゃあ、わたしは危険に常時さらされてるしかない。
わたしに安全はない、安心してはいられない。
という結論へ、誘導されてたことに気づいた。
けっこうショックだった。
なんだこりゃ、って。
だって、まわりが敵ばかりだったら、わたしに安全は与えられてないでしょ、って、当然のことのように思い込んでたんだもの。

そんなの関係ね~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まわりなんて知るか~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
こんな情報に、40年近くも振り回されていたなんて。
こんな洗脳を40年も解くことができなかったなんて。
なんてことだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

・・・いつもこんな感じで、今まで構築されてきた概念が、それこそばらばらのパズルのピースになって、ひっかきまわされているような日々でした。

弟への祈りでは、足がしびれる症状、姉への祈りでは、全身に湿疹が出て顔が真っ赤になりました。
この頃、家業の子供たちに本音でぶつかって、自分を可哀そうがっている自分を癒せました。

お彼岸の頃は精神的に本当にきつい時期でした。
「朝からどうも子供たちをがみがみやっちゃって、自分の思い通りにいかない相手や、自分はなんにもやんないで、人にばっかりおっかぶせてのうのうとしてる相手への怒り抵抗がくすぶっている。
瞑想すると、こういう嫌な気持ちは一応切ることできるんだけど。

子供に対する怒りが今出てきてる。
思い通りにいかない子供、言うこときかない子供、文句ばっかいう子供、に対するものすごい怒りがある。

そういう子供が、被害者意識の中で生きてることはわかっている。
わたしは愛されていない、わたしの思い通りにはならない、わたしを嫌ってください、わたしを邪魔してください、
そういう無意識のメッセージを強力に発しているから、わたしはわかっているのについそのメッセージにひっぱられてしまうんだ。」

「人間として生きてたら、もう先がないとわかった。
自我とか使い古された怒りや抵抗のパターンや、どうでもいい人間的な社交術とか。
それを超えるためには、もう発狂して社会から逃れるか、死んで肉体を失うことか、それくらいしか方法ないのかな、って。

でも、人間やめればいいんだ、って思った。
細胞として生きればいい。
人間は自分自分で、利己的で、自分と他者をわけようとするから苦しい。

よく、難病で身体が奇形になっちゃった人とかがこうなってよかった。って言うんだよね。
人間やめられたからだよね。
カッコよくなくていいし、働くことを強要もされないし、評価もされないし、人間としてみなされなくなったからだよ。」

「○/○○ごろからものすごく精神的にきつくてきつくて、久々辛かった・・・。
祈りやら、お彼岸のせいだったのかしらないけど、自分の中にあった怒りや憎悪が抑えられなくなっちゃって、なんか一度タガを外したら、噴き出してきちゃったんだ。
今まで溜めに溜め込んできた攻撃的な感情が。
自我が暴走し始めた。
無差別殺人って、こういう状態の時に、発作的に起こるんだろうな、って感じた。

とにかくやることなすことみることきくこと全部怒りの対象になって、あまりの激しさに耐えかねて、人間やめよう、細胞として生きよう、って、自我や感情を自分から切り離そうとした。
そばで他の人間が何をやっていようと、私は人間じゃなくなったんだから、わかりません。
そう言い聞かせてた。
もう何もしたくなくて、何も意味を持たなくなった。

だって、一番いいのはあの世だもん。
この世では肉体があって、自我があって、あれこれ意味のないこと考えるマインドに振り回されてるだけで、マインドから逃れるしかこの苦しみから解放されることはないんだから。

そんなこと考えてて、夜、外国人のJPOPカラオケコンテスト(のど自慢ザワールド)のテレビ観て、そこにアフリカのマサイ族の戦士と、ケニアの女性がいて、そのあまりの笑顔と純粋さにうたれた。
胸を打たれたんだね、あのアフリカの魂の輝きに。
今分かった。
感動がテレビから私に確実に届いてたんだ。
ありがとう。

あれ見てから、なんか歓びのイメージが身体に入ってなんか変化が起きたみたいで、ハートがよみがえってきたんだ。
思考の部分はもう混乱と無秩序に陥って、もう思考は頼りにならないんだ、ってはっきりわかって、じゃあどう生きていけばいいの?助けて!って思った。
そしたら、アフリカの笑顔と魂が救ってくれて、完全に打ちのめされてた自分が起き上がってきた感じがした。

起き上がれ、何度でも起き上がれ、何度打ちのめされてもおまえがマリオである以上、本体である愛は死なない。
だから、好きなだけ、苦悩して、あっちいってこっち行って全てを味わえ。
喜びだけじゃなく、いいものだけじゃなく、怒りや憎悪や殺意や苦しみも存分に味わえ。
全てを味わえ。
それこそが本体である宇宙ののぞみだ、と言ってる気がして、ああ、これでいいのか。
この苦しみこそまさに私の味わいたいものなのか、と思った。」

子供への祈りを再度やって、次何を祈ればいいのか思いつかなかったので、ひと月いっぱい休んでいました。何をやっていたのか、記録がないので覚えていません。
パソコンを開かずに、外へ行っていたのかもしれません。

「今日の供養は、胸によく響いた。
よく響く、っていう感じが最近わかるようになった。

今ね、また違った感情が出てきてる。
ここのところ、とにかく怒り憎悪批判そういう攻撃的な感情ばっかりで、ほんときつかったけど、人込みに出かけることが多かったのがその原因でもあるかもしれない。

春休み終わって、桜がとにかくきれいで、植物がいっきに芽を出して、あまりの美しさにくらくらするようで、頭おかしくなっちゃうんじゃないか、って思った。
植物や自然のいい波動に影響されたのか、怒りはおさまった。
今はね、もっと良くなりたいのに、どうしたらいいかわかんない、みたいな、どっちつかずの感じで、自分に自信をなくしてるような感情。
やりたいことがいっぱいあって、どれからやればいいのか。
やらなきゃならないこともあるし、もやもやするなあ。

最近特に心臓が痛い時がある。
これまでも胸はよく痛かったけど、今までより、特に痛い。
まあ浄化だから、じっと見守るしかないか・・・」

「先週まで胸がすごい痛くなることあって、自己否定や自信のなさに悩まされてたんだけど、祈りを一通りやって、5か月やって、新しいこと始めることにして、供養終りにしたせいか、今日はおそろしいほど平和。」

「桜が好き、なんてもんじゃない。
その美しさに気が変になるんじゃないかと思う。
自分が壊れるんじゃないかって。
自分がなくなって、ひとつになるっていう状態に近づいてるのかもしれないね。」

「家業の子供たちは、みんなちゃんとしないし、遊んでたり話してたり、これでいいのか、って思う。
葛藤をいつも感じてる。
でも、いろんな思いの中で、やっぱり、子供たちへの愛を感じるんだよね、幸いなことに。
個性的な、まあおちこぼれとも呼ばれるレベルの子もいるかもしれないけど、自分勝手で、悪くて、ダメで、それでも、優等生ばっかりの集まりよりはいいのかもしれない、
とも思う。
これが自然な形だろうと。
これを言うこと聞かせようとしたら、そうとうの強制力がかけられるだろうから。

こんなぐらいで、ちょうどいいのかもしれない。
自由にさせたら、こんなもんだろうから。
自由は、いいものも悪いものも、ごちゃまぜに包括して、ただありのままを受け入れる。
排除しない。受け入れる。」

たまたま見かけて気になって、ホ・オポノポノの本を読みました。
祈りで記憶の束をほぐしていくハワイの方法で、祈ららの祈りと同じことやってるな、と思いました。これは、目の前に起こってきたこと全てに対して片っぱしから祈る方法で、今ここにあるものを片っぱしから解放していくのはセドナメソッドと同じでした。
目の前でつまづいて転んだ人がいたとしたら、それも100%私の責任、という考え方で、全ての事象は私の記憶から見せられている、というのを読んで、ああ、そうなのか、と思いました。
祈りも、家族親族に対してはすでにやりました。そこから起こってくる浄化は自分に関係の深いものだろうから、苦しくても引受けよう、自分のことだからしょうがない、と思ったからです。
でも、他人に対して祈るのはまだ抵抗があったんです。

他人のことまでは背負えない、それは自分じゃない、という決めつけがありました。でも、100%自分の責任、と言い切られたら言い訳できなくなりました。
自分の世界に見えてるものは全部自分と関係あるんだ、と。全部自分なのだ、と。
それで、今人間関係で問題を感じている人たちに対して祈りを再開することにしました。

自分が教えている生徒さんたちで、特に騒いで人に迷惑をかける子供、○○会の保護者でやりにくさを感じる保護者。それから再度、家族親類に。
それぞれ、最初の祈りだけをやりました。もっとやろうと感じた人にだけその後の祈りをやるつもりでしたが、結局やりませんでした。

「人の中に入っていると、どうしてもその目の前のことに入り込んでしまってるけど、独りになると、ああ、あれは記憶だったんだな、とわかる。
同じような出来事がいつも繰り返されている。
そのつどそのつど消去しなかったから、自動再生が続いていく。
ものすごく嫌な目に遭ったこととか、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろうって思ったこととか、いつもなにか共通点があって、それが繰り返されてる記憶だ、ってわかる。

その、ああ自動再生か。って自分に戻ってくるたびに、なんか、子供みたいに無邪気な存在がいるのを感じるんだ。
我慢しなきゃ、ほんとの自分を隠さなきゃ、って一生懸命ふたをしようとしてる自分がいるけど、ああ、これはホントの自分じゃないな、って思う。
この世仕様に無理やり矯正されてる自分だと分かる。

ホントの自分は、ほんとのことしか言わない。
とってもフレンドリー。
この人野放しにしたら、そこら中の人を抱擁して回るだろう。
なんか、対人恐怖症のくせに、なんかしゃあしゃあと人としゃべってる自分もいて、基本的には人嫌いなんかじゃなくて、人が好きなんじゃないかって思ったりする。
どっちも記憶、か。

なんだかでも、最近。
すごく安心しきった子供みたいな存在を自分の中に感じるんだよね。
その人は2,3歳で、ただこの世にいることが嬉しくて、見る物すべてが目新しくておもしろくて、満面の笑顔なんだ。
子供が2,3歳の頃の姿の記憶だろうか。
それとも私の幼児時代の記憶だろうか。
どちらにしろ記憶だ。」

「この一週間、立て続けに怖い思いをして、だまされたり、裏切られたりというそういう感情。
ええっ!??っていうショックと震えと恐怖に襲われた。
今日も、本当に集まりに出るのが怖くてたまらない、っていう感情に占拠されて困ってた。
肩が震えてた。
なんでこんなに嫌な思いしなきゃいけないんだろうって。
こんなに皆がお互いの腹さぐりあって、陰口言い合って、こんな思いしてまでなんの意味があるのかって。

でも、今回のびっくり事件に巻き込まれて、完全に冷静さを失ってたけど、冷静に全体を見てる人に助けを求めることができて、危ないところを救われたんだ。
ほんと危なかった。今回は。
何が真実で何が偽物か、はじめ完全に取り違えていたからね。
こんなことってあるんだ、っていう気持ちだった。
こうやって人は騙されるのか、って思い知らされた。

でも、危機一髪、くぐりぬけた自分を見て、ああ、守護してもらったんだ、って心底思った。
守護がなかったら、相談相手を選択する時点で間違っていた。
守ってもらってるんだ、という確信を持てた。

確かに自分の予想がことごとく裏切られて、ぐさりと傷つけられるたびに、肩の震えは止まらなかったけど、それでも、そのたびにすぐに回復する自分も感じていた。
それはちょっと不思議な感覚。
傷ついても大丈夫なのか~って。

生きてる限り、記憶は再生され続けるし、ハプニングも事件もなくならない。
でも、大丈夫なんだ。
そうなの。そういうこと。
傷ついても、肩が震えても大丈夫。
だって守護してもらってるから。
違う言い方をすれば、つまり、わたし、という本体は傷ついてなんかいないから、自分に戻って来さえすれば、ただ静かで平和な自分がいる。
そう思えて、だいぶ嫌な感情が消えたんだ。

傷つくのを恐れることはないんだって。
傷つくことを避ける術はないけど、傷はじき回復して、静かな自分にまた必ず戻れるのだから。
汚れたら洗えばいい。
大丈夫。」

「最近家業の経営状態が前ほどではなくなってて、売り上げは落ちているけど、方向転換してる時期なんだろうな、という感触は感じている。
ただ、お金がない、どうしようどうしよう、という追いつめられた感じばかりでもない、正直ね。
家を建て替える必要がある時は、ちゃんと売り上げがあった。今は、もう建ったし、必要な支払いはなんとか払えているしね。

祈り始めて、21日間参拝二か所やって、この二ケ月間ずっと支払いにぎゅうぎゅうさせられる思いしてた。
お金きついなあ~、って気持ちを味わうこと多くて、これが世の中の人たちのいる、地獄波動なのかなあと思ったりしてた。
まあ、きついなりになんとかなってたけど。

税金や保険料や経費、って部分はどうしてもお金必要だけど、普段の生活、そんなお金いらないなあって思った。
昔からそういう気分で生きてきたけど、今改めてそう思った。
どっか遠くへわざわざ出かけて行って、お金使ったりしなくていいし、物もたいしていらないし、たくさん食べるわけでもないし、服もいらないし、おしゃれもしなくていいし、お金のかかる遊びしなくていいし、なんだろう、この感覚。
お金使う生活や物事のほうが退屈なんだけど。

自転車乗って、森の中走ると楽しいし、野菜は冷蔵庫に入ってて、何日かかけて食べれるし、納豆や豆腐は安価で健康的だし、祈ったり瞑想するのは呼吸と同じくらい、もう欠かせないものだけど、何の費用もかからない。
なんにもいらないなあ。
もうすべてある。

そんなこと思いながら、今日は久しぶりに○○寺にお参りしたくなってお参りしたら、本堂で、初めて涙が出た。
今までけっこうお参りしてきたけど、一度も涙が流れたことはなくて、今日はほんとに久しぶりの参拝だったのに、ふいにそうなって、有難いと思った。
不思議だなあ。
この2カ月間、お金がない、お金が足りない、っていう感覚がさすがに消せない状態が続いてただけに、今日はお盆も明けて、霊的になんか改善されたならいいなあ、って思った。
ずっと今日の気持ちでいたい、と思った。

実際のところ、お金をかけなくても、というよりむしろお金をかけない方が、豊かな暮らしができる気がしてならない。
ホ・オポノポノ始めて3か月経ってないけど、お金の記憶のクリーニングはずっとやってて、今、お金に対して、そういう気持ちでいる。
お金がないと困る、とか、お金がなくなることへの恐れとか不安とか心配とかそういう、お金に対する嫌な感情が浮かび上がってきてた期間が過ぎて、今は、お金への執着やこだわりが軽くなった気がするなあ。

そうなんだ。
祈りやっていつも意外に感じたのは、誰を祈っても、感情的精神的な問題だけじゃなく、お金の問題を感じたこと。ほとんどの人に感じた。
お金に困ってなんかいないように思える人でも、なぜかお金を問題に感じて、へえ~、意外だなあって思った。
食べること、飢えだったり、性的なことだったり、騙されたとか、いじめられたとか、容姿のこと、心臓が痛くなる、不平不満、母親と息子の葛藤とか、女性的隷属的なことへの反旗、いろんな人間模様浮かび上がった。
それにいつもプラスお金の心配。

お金ってやっぱり、すごい要素だったんだね。昔から。
みんなお金に翻弄されて狂わされてきた。
そこから自由になるって、なかなかできないことなんだろうな。

お金があろうがなかろうが、その人の幸せに関係ない。
その人が幸せで満たされてるなら、お金がある時も、お金がない状況も、どちらも楽しめるんだろう。
お金よ、ありがとう。愛しています。」

「ちょっとまだ痛い記憶なんだけど、ああ、この人にとってはわたしはアウトオブ眼中なんだなあ、と思う時がある。
そう感じる時、いつも傷ついた。
愛されなかった記憶。
無関心という態度を取られたことへの、恥ずかしさ、悲しみ。
わたしはフレンドリーに対峙してるのに、相手からは拒絶で来られる。
そういうこと、ほんと多かった。
どこへ行ってもそんな目に遭って、外へ行きたくなかった。

私の中に、「自分を受け入れないで下さい。」という記憶があったからなのか、なんなのか、今となってはよくわからない。
祈りで、いったい何が起こったのか私にはわからない。
でも、拒絶とか無関心に関する記憶が前よりは消去されたんだろうね。
そのぐらいのことしかわからない。
それも違うかもしれない。

前は郵便局行っただけで、受付の人に嫌な顔された。
もう、意味はわからない。
何もしてないのに、顔見ただけで嫌な顔される、ってもう、理屈じゃないもんね。
でも、わたしにわからない理由があったんだろう。
昨日も、相手はわたしの後ろの人に話しかけてんのにわたしに言ってるんだと思って、最初話しちゃって、相手的には、誰もお前に言ってねえ。って気持ちだったろうけど、これ、よくあるんだよね。
この記憶よく自動再生される。
あと、フレンドリーに行って、そっけなくされたり、相手にされない記憶。
これも多いねえ。

これはほんとに根強い記憶だなあ。
お前はいらない。
お前のことなど相手にする気はない。
泣いてるわたしを置いてった上級生。
英語キャンプ。
中学校のキャンプのグループ決め。
高校での男の子。
飲み会での居場所のなさ。

でもね、この前資源回収で、久しぶりに会った人にスルーされて、ちょっと悲しいというか傷ついたというかでもその一方で、ちょっと嬉しくもあったんだ。
変だよね。無視されて嬉しいってのも。
でも、嬉しかったんだよ。
わあ、わたし透明になれたんだ。
そう思った。

田舎とか公園みたいなとこ行って、よくきくセリフ。
『何にもない。』
これ、ほんとよく聞く。
うんざりする。
こんなに木々や草花や川や空や鳥や虫たちであふれかえってるのに、『何にもない。』
ふしあなにも程がある。

でも、なんかそれはそうなるべくしてそうなってるのかな、って思う。
自分と波動の違うものは、目に入らないんだと思う。
関心のないものはアンテナには入らないんだ。
それと同じと考えるなら、わたしが相手にされなかったのは、周りの人間のアンテナにキャッチされなかったからで、むしろそれは、よかった~。って話だった。

わたしがほんとに心を開いていたのは山や樹や川や夕焼け空や虫の鳴き声や夜空だった。
メルヘンとか少女趣味とかそういう自分に酔ってるわけじゃなく、ああ、これが真実だったのかもしれないなあ、って。
OSHOやよしもとばななみたいに、人間以外の存在にしか心を開けなかったのかもな、って。
人間の波動は物質的すぎて、反発を起こすばかりで、本当に地獄だった。

皆からのけ者にされちゃうような、排除されるばかりの暮らしをしてきて、人間の味方は誰もいなかったけど、自然はいつもただ受け入れてくれた。
そのままの、このままの私を受け入れてくれた。
どんなに救われたかわからない。
ありがとう。愛しています。

皆からなんか理由もなく反発される、っていうのは、波動が違うからに他ならない。
だから、これでよかったんだった。
自分と波動の違うものは、苦しいんだよ。
だから反射的に排除しようとする。
わたしだって、違う波動の人がそばにくると、つらく感じるもんね。
空気が不快に感じるんだ。
そばに寄れないというか。
でも、この波動の違いも一致も、記憶にすぎない。
苦しみも喜びもただ、消去するだけ。

でも、自己否定の種になってしまってた、相手にされなかった排除された拒絶されたっていう記憶が、実は全然悪い事じゃなくて、むしろいいことだったんだ、って記憶に書き換えられたことは、それは喜びだ。
雛人形が小さいひと箱だったことも、拒絶され続けたことも、なんだ、それでよかったのか。って。

わたしの波動レベルでの価値観じゃなく、物質的な地獄波動での価値観でしか説明されてこなかったから、自然とわたしは否定された。
だって、自然の中に行かせたら、『何にもない。』としか認識しないんだもの。
わたしを見ても、価値を感じないのは当然だよね。
つまんない、不細工な人間。

ありがとう。さようなら。
もう、いいんだ。
もう、わたしは自由だ。
わたしのいたい所にいよう。

地獄波動の記憶が再生されると、苦しい経験となって現れる。
自分の波動の記憶が再生されると、喜びの経験となって現れる。
なんてことない。ただ、それだけだった。
その二種類の記憶を、ひとつづつ、消去する。

そうか。供養や祈りで地獄波動の記憶を消去し続けたから、自分の波動での記憶が再生される余地がでてきたのか。
そういうことかあ。」

※ これが内省です。
皆さまのお手本にしてくださいね。(紫野)

考えていたことで鎮守の神社に参拝したときに「意気地なしなイノリストですみません。でも、祈りは絶対にやめません。ご祭神様と共にたくさんの人を助けたいです」と祈ると号泣し、背を向けて帰っていると、静かに深い深いイメージで「守護する。」と何度も伝わってきて感激しました。

訳もわからず泣くことは時々あったのですが、言葉が伝わってきたのは祈りだして初めてのことでした。
その日はずっと「守護する」というメッセージで心が包まれていました。

※ 意志しだいで、霊界側では必ず守ってくれますね。(紫野)

霊の祈りレベル3へ進んだばかりです。
事情があり、今はストップになっていますが、始めて祈ったときは、苦しくなり「ああ~だめかも・・・」と、思いましたが、ご本尊様とご鎮守様に助けて下さいと、心で念じたら、どうにかこうにか最後まで続けられました。
翌日から、パワーストーンをいくつかセレクトしてつけて供養してみたら、まったく問題ありませんでした。

確か・・オニキス、スギライト、カンポデルシエロ、そして祈祷していただいたサンムーンストーンでした。
もうスッキリ爽やかでびっくりでした。

きっと供養を待っていて下さっている方々がたくさんいるはずだから・・・と、なぜか供養が楽しみだったのです。
なので、1日も早く供養ができるように、内面の問題消化に努めたいです。

以前もインナーチャイルドの祈りのすばらしさを実感していましたが、あまりに気持ちいいので2巡しました。
母に愛されなかった(と思っていた)私を癒していたのですが、最近の否定的な感情まで癒されました。

のちのち、以前の恋人など数人に対して否定的な気持ちが残っていていずれ祈ったほうがいいと思っていたのに
いやな感情までもなくなって相手に対して穏やかな気持ちになっていて、インナーチャイルドを癒すことの重要さをとても実感しました。

本日、霊の祈りレベル1の鎮守神社への参拝21日が無事に終了しました。

最初の数日は、祈りの言葉を申し上げるだけで精一杯でした。
途中でつっかえたり、間違えたりで、自分の気持ちを伝えることが出来ていなかったと思います。

3日ほど過ぎてからは、少し祈ることにも慣れたので、祈りの言葉に気持ちをしっかり乗せて申し上げるよう集中しました。

後半に入ってからは、ご祭神様と落ち着いて向き合うことが出来るようになったと思います。

神社の雰囲気も、最初のうちはとても重く感じられましたが、参拝を続けて後半に入ると、ふんわりとした柔らかい空気に変わってきました。

いつからか、参拝を終えると、鈴が揺れるほどの風が吹いたり、絵馬がカランと鳴ったりするようになりました。

また、拝殿で祈っていると、誰かが後ろに立っているような気配がします。
決して怖い感じでは無く、ジッと見守って下さっているような感じです。

最初のうち、参拝を終えた途端に、バケツをひっくり返したような雨に降られ、近くに雷が一発落ちた事もありました。
もしかしたら清めの雨だったのかもしれませんね。

それ以降はそんなに激しい雨には当たらず、参拝中は小雨が降っても、鳥居をくぐる時にはお日様が顔を出して下さる事が多くなりました。

また、参拝に伺うと、ちょうど祈祷が始まったりということもあります。

心配したカルマ出しも、それほど大きなものはありませんでした。
最初の頃は、参拝後に起きていられないくらいの睡魔に教われたり、下痢をしたりしました。
理由も無く気持ちが落ち込んだこともあります。

また、途中で腰を痛めたり、外出先でハチに刺されたりと、身体面でのトラブルはいくつかありましたが、人間関係などのトラブルは無く、本当に有難く思います。

21日間の参拝を終えて感じることは、自分の中にある【芯】の部分がとても強くなったような気がします。
そして、神様と向き合う時間が、とても大切なものに思えます。

人間がどんどん余計なものを削ぎ落としていったら、最後は「祈ること」しか出来ないのでは無いか?
「祈り」が残されていれば、それだけで充分なのでは?
とさえ思えてきます。
ちょっと大袈裟かもしれませんが…。

「祈り」とは、神様と一対一で向き合うこと、そして自分の魂と向き合うことなのですね。

今はレベル2に進みたい!という気持ちでいっぱいです。
これからもご指導をよろしくお願い致します。

レベル3は、最初は余裕かと思いましたら、結局全て祈り終えるまでに2年間を要しました。

初めての参拝を終えた日に疲れてしまってうたた寝していた時に見た夢が、「ヒッチコックの『鳥』のように沢山のカラスに襲われれる」という夢で、これが邪魔なのかなと思いました。
ただ、参拝中はカルマ出しがほとんどないといえる状況で、職場を変えてもすんなりとなじめてその後の参拝にも影響はありませんでした。

ここ数年の間に趣味が旅行になってきて、今度はどこに行こうかとぼんやりと考えているとなんとなく○○県の□□市に行ってみようかという気になり、行ってみたところ思わぬ経験をさせていただきました。

自分の中の感覚としては○○・□□辺りは相性が良いだろうという感覚がありそちらを信じて行ってみました。
軽い参拝(祈ららの祈りでない)を続けながら○○寺というお寺に着いたところ思わぬ歓迎を受けたのです。

このお寺は真田幸村の息子と娘の墓があることで知られているのですが、まず山門の前に到着した時点で何だが胸がいっぱいになり、「あれれ?」と思っていると、そこに猫がいました。
するとその初対面のはずの猫がものすごく私になついてなついて仕方がない状況になって、不思議に思いながらしばらくかまってあげました。
本堂の前で参拝をすると、そこにあの猫がいて私を待っていたみたいでした。
ご本尊様に手を合わせただけで目に涙がぶわーっと湧き上がり、ここはきちんと参拝をした方がいいと直感し祈ららの祈りをするともう涙が出て出て仕方がなく、胸も熱くなって心がいっぱいになりました。
あの猫も私のそばにいてずっと私の足にすりすりとしていて私はなぜご本尊様がこんなに喜んでくださるのか、こんなに歓迎してくださるのかが本当に信じられなく、でも嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
工事の作業の人も寺院の中にいましたが全く気にならずひたすらご本尊様に祈りを捧げていました。
実は鎮守でもこれほどの歓迎を受けたことがなくちょっと困惑する程でした。

□□市から帰ってきて、鎮守に無事に帰ってきたこと、当信寺の参拝のご縁をいただけたことを報告とお礼をすると、滂沱の涙が出ました。
○○寺と同じくらいの涙です。
鎮守の摂社で同じように報告とお礼をしたところやはり同じように涙涙です。

供養については家によって反応が違うことに気がつきました。
面白かったのが父方祖父の家では自分が今まで経験してきた「ちょっと痛いな~」と思うことを日替わりで出されたことです。
ささくれが痛いとかニキビが痛いとか地味に痛いことを毎日手を変えて出されたのです。
他の家では特に大きなトラブルなく供養を進められました。

供養中に職場で異動があり、結果非常に忙しく心身ともにつらい状況になりました。
元々ここは年末でさよならかなあと思っていましたが、色々な状況が重なり6月いっぱいで退職することになりました。
ただこの職場は今の部署に移動の前には比較的時間にゆとりがあり、そのおかげで滞っていたレベル3の内容が実行できました。
レベル3の終了とともに、職場環境が変わるのもまた自分が新しい段階に進むのだろうかと状況を見守っているところです。

霊の祈りを始めて確か4~5年になりますが、未だにご神仏の声を聞いたりお姿を見たりは叶いませんがなんとなくご神仏の反応を涙で感じられるようにになりました。
そうした反応はあまりないのですが「YES」とか「GO」の時は涙が出るのです。

私の思い違いかもしれませんが、ドラゴンアイズに「しびれは清め」とあった記憶があります。
どこかに旅行に行き帰って自宅につくとその日は手足がしびれるのです。
一晩で消失するので、旅行中に受けたカルマを自宅の神棚の神様が清めてくださっているのかも思っています。
単に長時間移動して手足の血行が一時的に悪くなった結果なのかもしれませんが。

最後になりますがどこまで出来るかわかりませんが祈りを続けていこうと思いますので、これからもご指導をよろしくお願いいたします。

引っ越し先の新鎮守のご祭神はスサノオの命だそうです!
まだ直接参拝には行ってないのですが、神棚で参拝をしたら、いきなり涙がでてきて若々しい男性の声で「そなたへの愛は深いぞ!」との感謝の声が聞こえてきました。
間違いなく私はスサノオの命の一部なのだと感じました。

引っ越しが決まってクンツァイトが来てからのど風邪をずっとひいていて、新しい鎮守を知ってから神棚で参拝し終わるまで頭痛がしてたのですが、「カルマ出しですか?」と神様に聞いたら「そう。そなたを思って(こういう)だし方をした。」と言われました。

私はメンタル面で出されるよりホントに体が丈夫なのでこのような出され方に感謝いたしました。

また今日今の鎮守に今までの感謝をしにいったら、涙がでてきて20代前半の武将の格好した神様が見えました。
そして若々しい声で「〇〇の神にそなたのことは伝えておく。そなたはどこまでも成長せよ、約束じゃぞ!」と言われまた涙が。
書いてる今も顔がゆがんで涙がでそうです。

また今日新しい住まいの鎮守を調べていてNTTで聞いたらなんと間違って職場の鎮守を教えられました!
これは先にこちらを参拝せよとのことなのだなと思い神棚で参拝を先にしました。

かなりのご老人の神様が見えて感謝されました。
祈りはかなりスラスラ読めました。

今の鎮守もずっと年配の神様が見えて、今日の参拝で若々しい神様になり涙があふれたので今度もこういう感じかもしれません。

愛は深い。のホントの感覚がまだつかめないのですが、楽しみな引っ越しになりそうです。

神奈川に移ってきました。
地図は買ったのですがまだ新居の鎮守は分かりません。

そこで神奈川の一ノ宮の寒川神社様に先ほどご挨拶をかねて参拝してきました。
参拝すると男神様で「よくぞ参った。最敬礼いたすぞ」と思い浮かび、目に涙が浮かびました。
正直このようなよい参拝になると思ってなかったので驚きました。

祈りもびっくりする位スラスラ唱えられ意外と神奈川とは相性いいかもと思いました。
帰りにお札をいただき、寒川神社に住みたいなぁなんて思いました。

参道での帰り道、私はもうすぐ人生の後半に入るのですが、カルマはほぼ終わって後半に向けて徐々にごほうび的な人生が始まるのかなと考えました。
先にカルマを反省し責任とれて本当によかったと思った所でまた涙が…

神様も喜んでくださってると思うと喜びもひとしおです。
これからも感謝と反省とすなおな心で執着しないよう心がけたいと思います。

ひかりさんとのお付き合いも16年目を迎え、ひかりさんのアドバイスがなければ人生の中年以降は私は穏便に生きるのは難しかったと思います。
感謝します。

最近思うのは現実生活が即祈りだというようになってきたことです。
現実を生きること、現実に起こってくることを精一杯乗り越えること自身が私にとっては祈りです。
イメージは田んぼを耕してる農民が熱心に耕すと自我を忘れ田んぼや地球や宇宙と一体化するような感じです。

これからも頑張ります。
ひかりさん、これからもよろしくお願いします。

※ 神奈川へようこそ!
居心地が良さそうで、良かったですね。

寒川さんへ参拝されたのですね。
歓迎していただけたみたいで、良かったですね。
お疲れ様です。

人生がどんどん発展して行っているようで、本当に良かったですね。
お仕事も、良くなられたんですね。
「カルマはほぼ終わって後半に向けて徐々にごほうび的な人生」というのは本当ですね。
私もそうなっているように思います。
カルマ浄化を終えて心に執着がないと、本当にこうなるんですね。

紫野

昨年の5月からレベル2をスタートしました。
当方、霊感はあまりないタイプです。

鎮守参拝は月~金曜日の帰宅前に毎日行い、先祖供養と神棚の祈りは、月~土曜日はどちらか一方、日曜日は両方行いました。
墓参は、母の父と父の父のお墓にお盆と命日の月の年2回ほど通いました。

*鎮守参拝は、最初の頃は神社に行くと他の人がずっとおしゃべりしていたり、何だか不審な感じの人が居たりして落ち着かないまま祈りを捧げていたのですが、続けていくうちに、私が祈りをする時には他の人が来なくなったので落ち着いてできるようになりました。

参拝を続けてしばらくすると、後ろから誰かに見られているような気がしたり、隣に誰かが立っているような気配を感じました。(神様からのお言葉を頂いたり、涙が流れたり、は今のところありません。)

そして祈っていると、頭頂部と眉間のチャクラ?がじんわりとした感じがすることが何度かありました。

*先祖供養は、最初はお供物などの支度が大変なので、面倒に思うこともありましたが、続けていくうちに、今日は供養しよう!と思ったらすぐに実行できるようになりました。

最初は声がかすれてお経が上げづらいこともありましたが、(特に父の家)続けていくうちにだんだん楽に上げられるようになりました。
特に母の家の供養は、お経を上げている内に楽しくなってテンションが上がって来てしまい、ノリノリでお経を上げていました。(変ですかね・・)

そして10回に1回位は涙があふれました。お経をあげていると、部屋の時計がカチッと鳴ったり、ろうそくの炎が勢いよくなることが何度もありました。
また、鎮守参拝と同じく頭頂部と眉間のチャクラが刺激されることが何度かありました。

1年経ちますと、祈りの資料に書いてありました通り、ご先祖様もだいぶ落ち着いてきたようで、「もうそんなに頑張らなくてもいいよ」と言われているような気がします。

*神棚の祈りでも、祈りの途中に時計がカチッと鳴ることが何度かありました。

*墓参は、そんなに頻繁に行けませんでしたが、行くといつも蝶が飛んできました。
祈りを続けるうちに、お寺で無縁仏様を祀ってあるところに近づくと、腕にぞわっと鳥肌が立つようになりました。
これが霊感でしょうか?

*カルマ出しと思われる出来事もいくつかありました。
会社で後輩から嫌がらせをされたりして大変困っていたのですが、祈りを続けているうちに、味方してくれる人も現れたのでちょっとほっとしています。
また、自分の過去の仕事のミスがちょこちょこと発覚してあせる事が何度かありました。

自分以外では、会社の人が何人も急に体調を崩したり、入院したりしました。(自分の仲の良い人も、苦手な人も両方とも)
また、今まで仲が良かったのに、急に態度が豹変して冷たくなってしまった人もいます。
祈りの資料や会報にあった通りの出来事なので、もうしばらく様子を静観したいと思います。

*祈りを1年度続けて変化を感じたことは、まず天然石が以前よりもキレイに見えるようになったことです。(祈ららさんで求めたものでないものも、何かしらパワーが出ているのが何となくわかるようになりました)
また、日本の歴史に興味を持ち始めたので、時代物の大河ドラマを片っぱしから見たり、本を読んだりしています。
そして1日を気分良くすごせる日が以前より増えました。
こういう日がなるべく多くなるといいなと思いながら祈りを続けています。

霊の祈りレベル2を始めて3年になりました。
その間何度も中断してしまいましたが、もうやめようと思ったことはありませんでした。

続けたいけど続けられない、体が思うようにいかない、心が安定しない、そんな苦痛のなかで、とうとう仕事を退職する事になってしまいました。

このレポートを書いていて気づきましたが、レベル2を申し込んだ数ヵ月後に、退職していました。
これはもう、お導き以外のなにものでもないと、改めて驚いております。

祈りは順調とはいえませんでしたが、少しずつ進んでいる実感はありました。
特に、退職してからは進むスピードが少し早くなったような気がしました。
体を壊してからの退職だったので、祈りどころか、日常生活自体がまともにおくれなくなってしまい、ほぼ寝てばかりの毎日でした。

このまま、自分の足で再び普通に歩める日が来るのだろうかと、不安と焦りが頭をよぎりましたが、いまは「静」の時だと、割り切って、今できることに集中することに決めました。
なので、それこそ、お墓参りなどはそんなに回数が行けてません。
父方も母方も、遠方なので、よほど体調がよくないと出かけることができませんでした。

それでも、お墓参りでは、「和解」というメッセージをいただいたり、途中で引き返すこともなく、ちゃんと参ることができました。

鎮守さまとの会話では、最初の頃は、進みたいという私の願いに「まだじゃ・・」とたしなめるようなメッセージをいただいていました。
ほぼお優しいメッセージや波動だけの時もありましたが、柔らかい、温かい感触をたくさんいただきました。

1度、わたしがすごく凹んでいた時は、厳しいお叱りもいただきましたが、突き放された・・・という感じではありませんでした。

最近祈りを再開して、また聞いてみましたら、「進め」と一言、言われました。

そのあと、つい先日も、「もうよい、そなたの願いは聞き届けられた、もうよいぞ」と・・・とてもお優しい波動で、ここまでよう頑張ったな、というような感触を受けました。

先祖供養も、再開してからは、まるで神社参拝でもしたように、清々しくさっぱりとした気分になれました。

なんとなく、なにかが変わったな~と、そんな感覚にさせられました。

そろそろ次に進むのかな~と思いながら、祈ららのHPを訪れて、レベル3を読んでいたら、ぐっとくるものがあり、ああ、もう時期が来たんだと、感じました。

神仏との繋がりが持てるということが、こんなにも素晴らしい事なんだな~と、最近つくづく感じております。

まだまだ、時には厳しい試練を受けるときがありますが、きっと私なら乗り越えられる、という、神仏さまの期待度が大きいんだろうな~と、前向きに受け止めていこうと考えております。

レベル4の祈り、ぼちぼちというかやっと重い腰をあげインナーチャイルドの祈りをしていますが、やっぱり祈ららの祈りはすごいですね!
祈り始めたと同時に号泣です。
普通はほかのところ(よそで見かけるなんとか療法など)でワークをしても、こんなに簡単に自分を癒すことはできないのではないかと思います。
自分自身だけで昔の自分と向き合っていたときでも、時間をかけて思い出してやっと心の氷が溶けて号泣という感じだったのに祈ったとたんってすごいです!

もちろん以前自分自身で癒してきたせいもあるとは思いますが、昔のことを思い出したわけでもなくただ祈っただけなのにこんなに涙が溢れるなんて、いつも供養をしてる相手の方はこんな感じなのかなぁとうれしくなってしまいました。

レベル3では、日々のスケジュールも考慮して淡々と過ごさせて下さいと願いつつ、さっくりと進めさせていただきました。
また、私の場合、これまでの人生で既に大方出尽くした感があるので、大事にはならないだろう、という気持ちもどこかにありました。
完璧ではありませんがなんとか進めまして、本人はレベル4を早くやりたいと願っています。

なんというか、やはり全体的には有難いなあ、と思いました。
神社もお寺も、ずっとそこにいてくれているわけですし、涙が出る時は出ますね。
泣こうと思っていないので驚いたりしますが、魂レベルのことだと感じます。

*途中、風邪に似た症状で結構しつこいのがでました。
好転反応についてはすっかり慣れていますので、これは何か深いところからのお掃除だなあ、と感じていました。

*私は腎臓が慢性的に弱いのですが、それをしっかり意識していたら、今では少し楽になったというか、、、あまり気にならなくなりました。 少し良くなったようです。
体も暖かくなりました。

*一時期、過去に嫌いだった人、苦手だった人、問題のあった人などが次々に思い出されたのですが、ある人は当時の苦々しい思いのままでしたが、ある人は想像(空想)の中でごく自然に仲良くしているのです。
なんで急にこんなビジョンが?と不思議だったのですが、これが和解というものなのだなあ、と気がつきました。

*また隣人で、何十年の問題人物(大迷惑人間)がいつの間にか入院していました。
確かに高齢なのですけど、あんなに身勝手に生きていればストレスもなくさぞかし健康でしょう、(おかげで私はノイローゼ寸前だったのに)と思っていた人だったので、ちょっとした驚きでした。
資料が届いてから割とすぐだったようです。

*ご先祖様のことが思い浮かぶ時は、「ああ、辛かったね。でもすごいよ、そんな時代のそんな状況を生き抜いてすごいよ、今度はいい時代に生まれてくださいね。」 と祈ったりしています。

*レベル3の途中から断捨離がマイブームになりました。

会報は、読み始めたら一気に読みますが、祈りと同じで止まるとず~~~~っと止まってしまいます。
祈りは再開しても、会報はず~~~っと止まっていました。

しかし、最近また読みたくなり、はまっています。
読み始めると、自分が気になっていたこと、自分に起こっていることなどが理解できて、スルスルと飲み込めました・・

一瞬、もっと早く読んでいれば・・と思いましたが、すぐに、いや、「今」だから理解できるんだと、納得しました。

ここ2.3日、朝が起きれなくなり、おかしい・・・・と考えていましたが、日記をつけていて気がつきました。
会報を読むことによって、浄化が起こっているようです。
浄化ならば、素直に受け入れるしかありません(笑)

会報は、何度読み返しても、その都度新しい発見があります。
それはきっと、自分が成長している証、なのかもしれませんね。
いつもありがとうございます。

霊の祈り1の鎮守参拝21日間が無事に終わりました。
霊の祈りを申し込む前にカルマが多いためでしょうか、まず1週間自分で神社に通ってから霊の祈り1を申し込みました。

祈りを申し込んだ翌日に職場でカルマ出しと思われるトラブルが起こりました。
最初の何日間は参拝した後なんとも言えなないような気持ちになりました。
参拝を続けていくうちに気持ちがとてもすっきりしてすがすがしい気持ちになっていっていきました。
参拝している期間に家族が熱をだしたりというトラブルもありました。

21日間は参拝している時は長く感じられましたが終わってみるとあっという間に終わりました。
これからも思い出した時に神社に通ってみようと思います。

数日前、お墓参りに行ってきました。両親ともに他県(お隣り)の人なので、いつも1日がかりになってしまいます。
なので、頻繁に行くことができず、ずっと行きたくて気になっていました。

行く前は、体調がう~んな感じになってきたので、「邪魔が入ったか・・」と思いながらも「大丈夫♪」とあまり気にせずに出発しました。

最初は父方から・・お参りのあと、珍しく気分爽快になり、先祖が喜んでくれている感覚がしました。始めてのことで、こっちがびっくりしましたが、ぼんやりと「和解」という感覚が生まれました。

許して下さったのでしょうか?・・・

続いて母方のほうへ車を走らせていたら、段々と具合が悪くなってきてしまい、「やっぱり邪魔されてる?・・・大丈夫~♪明日は休み~♪」と能天気に走っていましたが、首や肩や目が辛くなり、途中で休憩しました。

母方のお参りも無事に終わり、掃除をして帰りましたが、あれほど体調が良くなかったのに、帰りは絶好調!!でした(笑)

何となく、認めてもらえたのかな・・許してもらえたのかな・・というような、穏やかな感じをうけました。

なんだか嬉しくて、こんな日がくるんだな~と、しみじみと感じています。
今度は、もう少し早めに行こうかな、と考えています。

ご鎮守様での、神様との対話なんですが、ボチボチメッセージをいただけていまして・・・

今日、それとなく、私の仕事始めはいつ頃なのかな~と心の中で、独り言のようにイメージをしてみましたら、「まだじゃ・・」とお返事をいただきました。

どうやら、まだ私の準備が整っていないらしく、「私がまだ未熟だからですか?」と問いかけると「そうではないのだが、まだなんじゃ・・」と、私の気持ちは痛いほどわかるけど、まだなんだよ、こればかりは私にもどうにもしてあげられないのだよ、という、とてもお優しい気持ちを、波動を感じました。

私の日常で、中々動けずに、毎日だらしない日々を送っていることを話すと、「今はそうするしかないのだ」「それしかできないのだ」と、いただきました。

私が本格的に仕事を始めれば、ちゃんと守るから、今は我慢してくれ・・・というニュアンスのメッセージをいただいたので、涙をうるませながら、ありがとうございました、と帰ってきました。

神様からのお言葉を、いただくようになってから、やっとご鎮守様と本当に仲良くなれたような気がします。

それまでは、祈っても、うんともすんとも言ってくれないので、境内の波動の優しさを感じることはあっても、ピンときませんでした。

今日ほど、祈りをやっていて良かったと、感じた日はありませんでした。

感謝です。ありがとうございます。

私は霊感があまりないので、参拝する度に奇跡を感じたり、涙を流したりするようなことは無かったのですが、参拝を始めてからちょっと面白いことが起こりました。

・風がうんと冷たくて寒い日、参拝の帰りには風が止んで太陽が差してきた
・小雨が降っていたが参拝の後止んだ
・父方のお彼岸の墓参りで、墓石を掃除すると、文字が彫ってある部分がいつもよりも光って見え、お線香を上げたら涙がボロボロ出てきた

はっきりと感じとることは出来ないのですが、きっと神様が静かに見守って下さっているのだと思います。

また、最近はずっと平穏に過ごしていたので、カルマ出しのためか急に人間関係のトラブルが続出したときは驚きましたが、つらい思いをしても参拝をすると神様が嫌な気分をふっととってくれたような気になり、いつも程思い悩まずにすみました。
しばらくしてトラブルは落ち着きましたが、カルマ出しはまだまだ続きそうな予感がしますので、参拝は続けて行かなくては、と思っております。

まず、霊の祈りレベル1の申込みをしたその日の夜に私の大事な人が交通事故をしました。幸い彼女の車が後ろから先方の車を軽く追突しただけで両者とも怪我はありませんでした。

祈りの資料が届き、早速思い当たる神社へ参拝し始めました。大好きな出雲大社と同じ大国主命が御祭神だったり、昔源氏の方々も参拝した神社だそうで、喜び勇んで参拝しました。

最初の3日間位は参拝後体が気だるくなって頭の中がモヤモヤして調子が悪くなりました。しかし、それ以降それ以外のカルマ出しは特に有りませんでした。

毎回の参拝で必ず感じることは、参拝後振り返ってから参道を歩いて鳥居までの間にみぞおちがギューンとなってものすごく泣きたい気持ちになって、自然に深く長く息を吐き出し始めます。その後、御祭神様からテレパシーで「頑張れよ」とか「またこいよ」とか何かしら一言かけてくださいます。「あ~、汚れを吐き出してるな~」って感じがします。

そのまましばらく続き、18日目に社務所を伺って御札を頂きました。その際この神社の氏子範囲を聞いたところ、自分の住んでいる場所がその範囲に入っていませんでした。

愕然としていたところ、その夜に徐々に左足首が痛みだし、だんだん激しく痛みだしました。思い返すとその日の朝に急に立ち上がったときに肉離れを起こしていた様です。その後2日間仕事を休んだりしましたが、何とか治りました。たぶん本当の鎮守様から叱られたんではないかと思います。

気持ちを改めもっと近くの神社を調べて行ってみると、案内板に現住所が氏子範囲であると書いてあり、通う事にしました。また最初から21日間やり直しです。

初日参拝して祈ると、トゲトゲしい雰囲気を感じました。やっぱり怒ってるんだなぁと思いました。

2日目参拝後、鎮守様とお伊勢様のお札をいただいて、その足で神棚を購入して帰りました。3日目祈った後内陣の鏡の方に目を向けると、50~60歳代の男性で昔の位の高い人がするような髭を生やしたふっくらとした顔立ちの人がニカ~~ッて笑った顔のイメージが湧いてきました。思わずこちらもニカ~~ッてなりました。許してくださったんだと思いました。

この神社の御祭神様は、この前通った神社と違い、殆ど言葉は送ってきてくれませんが、終始ニコニコしてくださっているような雰囲気を発してくださいます。自然に参拝中はこちらもニコニコしてしまいます。

その後参拝し続けても特に強いカルマ出しのようなものは有りませんでした。強いて挙げるなら日頃ふとしたときに過去の思い出したくもない嫌な思い出が浮かんできて「馬鹿だったなぁ。」とか「ダメだったなぁ。」とか考えて落ち込んでしまうことが多くなりました。反対に、日常の何気ない事に対して感謝を感じることも多くなりました。「有り難いなぁ。幸せだなぁ。」とか思って泣きたい気持ちになります。

あと、勘違いかも知れませんが、周りを浄化しているのか職場の同僚が原因不明の体調不良になったり、同じ部署内で怪我が頻発し、緊急の安全会議が開かれたりもしました。でも、裏返すと良い方向に転換しているんだと思います。

そんなこんなで色んな初体験をさせてもらいながら21日間終了しました。引き続き鎮守様とご縁を感じる以前の神社の大国主様の所にも通い続けようと思います。

今回祈りの行を始めさせてもらったたのは、本当に大大大正解でした。これからも続けていって、もっと清まっていきたいです。

霊の祈り2の資料が無事届き枕元に置いて寝ましたら、いきなり携帯電話が原因不明で壊れてしまいました(笑)
いつもの事ながらひかりさんの力はすごいなぁ~って感じます。

ひかりさんの祈りを実行し始めてから占いや他の霊能師さんの事は見向きもしなくなりました。
祈りが基本と分かったからです。
嘘の様に占いジプシーから抜け出せました。

資料が届いたと同時に動悸・目まい・吐き気で倒れそうになり、裏の実家に駆け込んで「気分が悪い。ご飯を食べさせて」と訴え茶碗一杯のご飯と鮭を少し、麦茶を飲む。
気分が悪いので寝ころんで資料を読む。
暑いので夕方参拝する。
帰りは軽い足取り、清々しい気分。
帰宅すると食事中より睡魔に襲われる。非常に眠かった。
午後7時30分には耐えきれなくなり就寝。
体は冷えているのに掌と足の裏のみが熱すぎて寝苦しかった。
夜中2時前に起床し腹痛・下痢。線香を1本立て入眠。

翌日も起床するが怠いので横になったまま。
相変わらず掌と足の裏が熱い。
その日はずっと神教の本を読みあさる。
下痢が続き参拝の事を考えると腹痛が起こる。

この日を境に体調不良は無くなり周りがざわついた様子も日に日になくなり落ち着いて参拝できるようになった。

印象深いのは21日目。
日本酒と御饅頭を開けてお供えした時、涙が出た。

何時の日か祠の前に立つと気持ち良い風が吹き始める。
あれから半年が経ち今でも1日と15日はできる限りお酒を持って参拝。
今までお供え物を見たことがなかったのに最近、同じようなお酒が供えられているのが嬉しい。

あれから仕事も入って家族も落ち着き落ち着いた日々を過ごしています。

祈り指導をしていただいて、本当に本当にいいお導きでびっくりしています。
とても幸せな生活をさせていただいています。

半信半疑でしたが、本当に実感しているので、信頼して先生には何度かメール鑑定して頂いています。
10年以上のお付き合いです。
今後もよろしくお願いします。

 ※ 上と下は別の方からのおたよりです。

10年ほど前に相談させて頂いたことは、おかげさまで、すべてうまくいき、先生が以前会報でお書きになられていた、「カルマが解けると、こんなに幸せでいいのかという気分になる」というのが少しわかります。

もちろん、仕事のストレスや細かい問題は普通に生じていますが、それは人生で当然のことだと思っています。
おおむね幸せと感じられることを大変ありがたく思っています。

霊の祈り2をマイペースながら行なってきました。当初は頑張って毎日行なっていましたが、何だか私の周りにいる(?)無縁仏さんにもお経を差し上げます…といって供養(※祈ららの指導にはありませんので、真似しないでください)を始めたら、その直後から体調を崩し持病の喘息が近年稀に見るくらい悪化してしばらく自分のことだけで精一杯になっていました。
それからは申し訳ないですが、自分のご先祖様だけを指定し、供養のペースも落として行なっています。
祈ららの祈りの強さを実感したと同時に、これほど供養を必要としている人たちが多いのかと愕然とした次第です。

鎮守参拝はひところのように泣いてしまうということはなくなりましたが、いつも静かに見守って貰えている感覚がします。
参拝すると結構な確率で結婚式や何かの祈祷が行われているので、少しは応援していただいているのかと思っています。

逆に鎮守とうってかわって反応が強いのが上杉神社です。
行く度に涙がダーダーで化粧が剥げて仕方ないです。
決して近いと言えない距離なのに、気がつくといつも米沢に行きたくてたまらない気持ちになります。
最近の旅行の行き先はずっと仙台と米沢で、何がこんなに私を惹きつけるのかが不思議です。
なんかこちらへの思い込みが強いので、バランスを取ろうと思うのですが、どうしても引き寄せられてしまいます。

この祈りを始めると次々と厄介なことが起こるのかと身構えていました、
今のところほとんど平穏に過ごさせていただいています。正直生まれてから、今が一番静かに暮らしていると言えます。

生活と折り合いをつけながら自分のペースで祈りを続けたいと思います。

申し込みとともに雷鳴。翌日の雷と豪雨に濁流。
なにかこんな風に決意するときは雷の空気のときのようです。
また2日目と終了した数日後に熱もなく大汗をかきました。

また鎮守神社の宮司様方も参拝をしずかに見守ってくださり、幼子を見守るような神仏でいらしたと思われました。

終了した日、境内を出て駅までの道、祈ることができていたのだろうかと。形だけだったのか?と自問していたら、おぉ、おぉ、ようやった、と声が湧いてきました。
いきなり涙がこみあげてきました。

霊の祈りレベル1の初日は夏の雲で太陽が隠れていたのですが、祈り終えるとちょうど雲が切れて太陽が出たので、目を閉じて心の中で最後のお礼を言っている時に瞼の裏側がキラキラ~っと光で満ち て、なかなかいい感じできれ いだったのが印象に残っています。
(別に単純に太陽の光で他の意味はなくとも、印象としては綺麗でしたので。)

祈り自体はつつがなく、ほぼ毎日続けて通いました。
初日を終えて二日目からは眠い、だるいが少々続きました。
特に二日目は非常に眠かったです。他はなんとなくだるい日が数日続きまして、それで私事をいくつかキャンセルいたしました。『だるさ+怠惰』といったところでしょうか。
ですが、悔やむ気持ちはなくて、まあ今回は仕方ないわ、と割り切った感じでした。

他は、祈りながら足がジンジンして来た時もありましたし、左肩が重く感じる時もありました。

また、参拝を始めてからは掃除をしたい気持ちが湧きますね。
あと本気で犬のオシッコ対策に乗り出しました。
うちの前で必ずオシッコをさせる飼主がいるので困っていたのですが、今までは困っていながらなかなか対策がわからないでいたのが、参拝を始めてからネットですぐに良さそうな案を見つけられましたので、試したら効いているみたいです。
鎮守様ありがとう。

また、不思議な夢も時々見ました。

*顔見知りの年配女性が出て来てこんなやりとりをした夢。
「すみません。眠りが深くて起きられませんでした。」
「浅い方だったからねえ。やっと深くなってきた感じよね。お墓の事もやりなさいよ。」

*非常に高齢の女性が出て来て、「ずっと寝ていたので背中が痛い。」と言われた夢。(ひい祖母さんかもっと上の人かなあ、と思ったのです。)

*夢なんだけど、お経が頭の中でクリアに響いたり(しかもそのお経は普通の日本語です)、さらに死んでしまったという子供が二人でてきて「おめでとう」とか言う夢。

*鎮守で大祭が行われた夢。
(神職がみな町の女性で、鎮守から一宮へ大きな龍だかなんだかを運んで行く夢。私はいつもの参拝に行ったらそんなわけで入れず、しかも地元なのに知らなかったーという夢でした。笑)

*大きな亀の夢 などなど。

私は以前から体質改善のためいろいろと継続中で、中盤はそれの好転反応もあったり、雷雨が続いたりしたので少々ペースダウンしましたが、後半はまた毎日行けるようになり、全体的にはつつがなく終了しました。

期間中は父の月命日に壁飾りが落ちたり、新たな健康法を始めたり、参拝後に「天使の羽根」に出会うなど、ちょっとしたことを楽しんでおりました。

レベル3に進んで初めて供養した時は、どんな霊障が起きるのか想像がつかず、ものすごく覚悟を決めて、やった気がします。
結局、レベル1程、きついことはありませんでした。

終わってみて一番に思うことは、トラブル、霊障いろいろありましたが、それでも、とにかく楽しかったということです。

神社仏閣との相性の良い悪いもなんとなくわかってきました。
相性が良さそうに感じたのは、八幡神社です。
お寺に関して言うと、阿弥陀如来がご本尊になっているお寺では好意的に迎えてもらいました。
反応がとてもきつかったのは、ご本尊が薬師如来の天台宗のお寺です。
ひとつひとつの神社仏閣について、それぞれいろんなことを感じましたが、結果的には参拝で涙はほとんど流れませんでした。
観音堂、真宗のお寺、天台宗のお寺の中の不動堂、天満宮、八坂神社、弁天様の祠、涙が流れたのはこのくらいです。
涙が流れた時は、やはり私の心持がよかった時だと思いました。

ただ、参拝して涙はながれませんでしたが、自転車に乗りながら涙が出てしまうことはありました。
汗が止まらないような夏、短い秋、手の感覚がなくなるほど凍りつく冬、それらの季節を経て春になった頃、参拝はちょうど中盤に入っていましたが、自然は本当に美しいと思いました。
曇り空の冬の景色から、新芽が出てきて、日毎、新緑の色彩へと変化していくのを目にしては、なんて美しいんだろうと、そればかり思いました。
桜が咲き始めると、また美しく、葉桜になるとその色彩も美しく、散って若葉が芽をふくと美しく、いつも自然が素晴らしくて、こんな景色を見せてもらって感謝の気持ちになり、この頃よく泣きながら自転車をこいでいました。
実際、前より、植物が美しく見えるのです。私はかなり近眼ですが、目がよくなったのかなと思うくらいです。
道端の雑草すらきれいに見えます。日にすけた葉っぱの緑色が目にしみるようで、風に吹かれてやわらかにゆれている様は本当に美しく、目を奪われます。
自宅の庭の草木もなんだか前より美しくみえるし、鎮守様の社も、前よりからっとさわやかに見えるのです。
この変化は、レベル3をやって、明らかに変わった、と実感したことのひとつです。

暑さにやられて鎮守になかなか行けず、自宅の神棚と仏壇ではお休み中の祈り方でぼちぼちとやっていますが、生活の中でちょこちょこと楽しいことが起きるので(失敗した!と思う事が、かえってそのほうがよかったりしたり。あと、小さい懸賞に当たったり。)だれか援助してくれているかたがいるのかな~と思っています。

仏壇では何も感じませんが、神棚では、おでこあたり(みけんというか)にマイナスイオンみたいなものがサーっと来てるなあと感じたり、祈りの途中、力が抜けてふわ~っと眠くなってあくびがでたり、神様っているんだなーっと実感します。

レベル4の祈り、こつこつがんばっています。
現実改善の祈りはすばらしいですね!
神棚の皆さんも、この祈りを確実に応援してくれていて、効果抜群です!
自分を見つめるアンケートを見ていたら問題ばかりですが、祈りを進めていくなかでこの方に関わった合戦の供養は必ずしたいと思うことも出てきました。
まだまだ先の話になりそうですが、こつこつ楽しんで祈っていきます。

人生を変えてくれるのは目に見えない世界ではありますが、紫野さんが教えてくださったのは、「私が幸せになるための」一人称の救いではなく、先祖をさかのぼりあまねく命とつながった大きな救済だったと思います。

これからも、いろんなかたの不幸を光明にかえてください。

霊の祈りレベル2を進行中です。

なかなか順調に進まず、休みを挟みながらの祈りですが、霊障やカルマ出しに苦しみながらも、不思議と、やめたいとは思いませんでした。

悩みながら、迷いながらも、自分自身が、ほんの少しづつだけど、進んでいるのがわかってくるので、やめようという氣になりません。

人それぞれ進み方はあると思うし、早さもそれぞれ違うと思います。

私は少し遅いかもしれないけど、それでも私は私のペースで、進んでいけたら、それでいいのかなと、最近思えるようになりました。

私の鎮守神社は産土神社でもあります。
春分の日に祈りの資料が届き、始めるなら今だと思い立ち自転車ですぐ出掛けました。

久しぶりに来た神社は、こじんまりとしているものの境内はよく掃除されていて鳥もたくさん鳴いていて、綺麗な場所でした。
祈りの最中に時々パキパキと音が鳴ったりしたりすることもありましたが、祈りに対する神様側の反応については良くわかりませんでした。

夜中に目を閉じて鎮守神社のことを考えていたのですが、「産土神社さま」と呼びかけてみたら、山吹色みたいな黄色の光のイメージが出て、その光の力がとても大きくてビリビリと体が震えました。
なぜか左目から自動的に涙が流れだしてしばらく流れていました。
本当にそれが鎮守兼産土神社の神様なのか、一体何者なのか、関わっても大丈夫なものなのかどうか分からないのにも関わらず、神様が来てくれた!と翌日は上機嫌になったので、途中いまいち上昇しなかった参拝に対してのモチベーションが上がりました。

13日目の日、心の中の流れが急に変ったのを感じて、普段感情的に泣きだすことがないクールな?私ですが、突然うわーっと泣きだしてしまい、泣いているあいだ申し訳ない思いでした。
しばらくわんわん泣いていましたが、この日は神社から離れがたい気持ちでした。

その後の残りの参拝は淡々と済みました。
カルマ出しも心配でしたが、そんなに思い当たるようなことはありませんでした。
これから自分のペースで参拝・供養をやっていきたいです。

祈り始めて3日ぐらいに、すぐに涙が溢れ、後の祈りボロボロでした。
その後は、祈り始めると胸がドキドキしますが、頑張って祈り続けています。
毎日朝の習慣になり、又気分爽快です。

祈り始めて、周りで思いがけない事が起こってますが、余り執着せずさらりと眺めております。

レベル2に進むのが楽しみです。

21日参拝の一日目は待ちに待っていた霊の祈りレベル1の資料が届いた日でした。
鎮守の場所が、その日まではっきりとはわからずじまいでした。

とりあえず以前通っていた鎮守と思われる神社で参拝を始めて、できるだけ早めに誰か区長さんのような人に直接伺わなければと思っていたのですが、なんと一日目に以前通っていた鎮守のそばで近所のお年寄りにお会いし、声をかけさせていただいたら鎮守は以前通っていたところで間違いないことを教えていただけました。

すごく嬉しくなって「これは絶対に神様がしてくださったことだ。だって、こんな一日目に鎮守の場所を知っている方に探してみたわけでもないのに、お会いできるなんて!」と思いすごく嬉しくなりました。

参拝してすぐはカルマが出ているのか、精神的に不安定になりました。
鎮守では、明らかに息苦しく感じ、カルマがあるのだと思いました。

21日の参拝は、相手の状況が見えてきて気持ちも伝わってきてという場合もありますが、見えてくるけど相手の気持ちがあまり伝わってこないと感じることもありました。

また、21日の間に家族から「うるさいと言わなくなったね。」と言われました。
私は以前より音に敏感なところがあるらしく、常々、リビングから聞こえてくる声をうるさく感じてしまい、いつも静かにしてほしいと言っていました。
自分は家族に言われるまで自分の変化に気づかなかったので、「そうかな?」というかんじでしたが、心が穏やかになったように感じます。

母とはまだ時々トラブルがありますが、他の家族に対しては自分の気持ちが少し良い方向に変わったような気がします。

霊の祈りレベル1を祈りました。

祈りが届いていたのか自信がないのですが、いつもは誰も行かない神社なので人目がとても気になりました。
最初の3日間位は祈っていると泣けてきました。
それからは何事もなく普通におわりました。
最後の頃に家族の事や近所の人の祈りをしていると、涙ぐむ事がありました。

この21日間はとにかくカルマについて祈りました。
霊感がまったくなく、祈りが少しでも届いているのか不安でしたが、なんとか終わりました。

21日間、レベル1の参拝を行ってきました。

最初の二、三日は、祈るのが苦しかったり、つっかえたりということが多く、神社に行くまでは早起きができて、心身ともに軽く清々しいのに対して、帰りは苦しく、体がだるい、おならやげっぷ、痰が出るということが多くありました。
また、なかなか集中がむずかしく、たくさんのことを言おうとして、ご祭神さまに「もういい、分かったから」と言われるというような感じでした。

五日目に、「ご祭神さまのためにわたしがするべきことはなんですか?」とお尋ねしたところ、とてもハキハキと祝詞を唱えていらっしゃる方が隣にいらしたので、自分の祈り方が下手くそなのだなあと思い、その日から祈りの文を覚えたりハキハキ言うことに重点を置くようになりました。
しかし、覚えたつもりで間違えたり、焦ったりということが多く、祈り始めると同時に人が来たりと、悪戦苦闘・試行錯誤という感じでした。
帰り道や祈りの間に苦しくなることもなくなり、毎日とにかくたくさん祈ろうと考えていました。
この頃はずっと、ご祭神様は「精進しなさい」ということをおっしゃっていました。

中盤あたりはだんだんとご祭神様の感じもやわらかく、静かなものになっていき、祈っている間、特にいろいろな映像?を見ました。
また、帰り道に空に十字架が浮かんでいるのが見えるといったこともありました。
たくさん祈るのではなく、ゆっくり心を込めて言えるだけ奏上するようにしたりなど、試行しているうちに、ぐっと涙ぐむようなこともたびたび出てきました。

十日目に、ご祭神様にお声をかけると、別のご祭神様に「お忙しいのですよ」と言われ、「お構いなく、ただどうぞわたしを何か御為にお役立てください」というと、体を磨いてほしいと言われたので、磨くように気をお送りすると、鳥になって肩や頭に乗ってくださり「ゆきなさい」とお声をかけていただき、その瞬間に、幼いころに頭の上に鳥が乗ったという記憶が蘇ってきて、「あれは神の祝福だったのか」と気づき、涙があふれました。

十二日目、割けたご神木を見てたまらなく痛々しくなり、祈りを捧げると、「ずっと待っていた」「小さいときからずっと見ていたよ」と言われ、わたしが幼いときの神社の光景が走馬灯のように目の前に広がり、ぼろぼろ泣いてしまいました。
うれしくて、ご神木を抱きしめたい気持ちがして、祈りを終えるべき時と感じても、なかなか離れがたい気持ちでいっぱいでした。

この頃から、このような感覚は本殿でお祈りしているときにはまだないなあ、と気づき、また、ちょうど紫野様から別件の質問のご返答を頂いたころで、「想像力にアクセルを回しすぎている」自分に気が付き、祈りでもそうなっているなあと気づきました。
ご祭神様方の感じが日によってあまりに違うように感じるのは、ご祭神様方からエネルギーを受け取っている以上に、自分の想像力で拡大解釈したり、脚色しているような感じがしました。
その日からは、なるべくブレーキをかけ気味に、感謝や祈りにのみ集中するように心がけるようになりました。

後半になってくると、私の祈りが終わるころ、ちょうどご祈祷が始まったりすることが増えました。
祈りも、あれを言おうこれを言おうとせず、とても純粋な気持ちで臨めるようになってきました。
中盤ごろにはかなり軽くなった祈り後の苦しさは、また出始めました。
こちらの体力に合わせて、休み休みカルマを出してくださっているように感じます。

ご祭神様方との会話や映像は、アクセル全開だった中盤よりぐっと減り、最初の頃のような一言、二言だけということが増えましたが、「精進しろ」というような感じから、「祈りがうまくなったな」というような、お褒めの言葉をいただくようになってきました。
最終日には、私の祈りを「心地よい」と言ってくださり、ぐっときて、とても暖かい慕わしい気持ちになって、ずっと祈っていたい、離れたくない気持ちになりました。
その日はどしゃ降りだったのですが、先ほどドラゴンアイズを読み直していて、清めだったのだなあと分かりました。

祈りを始めてから、とにかく毎日行かずにはいられない思いです。
涙が出ることはしばしばあるのですが、ご祭神様方に感謝されて涙を流すということがまだないので、まだまだご祭神様方に満足していただけるようなお役立ちはできていないのだなあと思います。

後半のある日に、私が鳥居の前で振り返って礼をするのを見ていたカップルが、私に倣って礼をしてくれたのを見て、「よかったなあ。ご祭神様方はどう思われてるかなあ」と思った直後に、神社中から「ありがとうありがとう嬉しいよくやった」という声がワーッと聞こえて、初めてお役に立てたという実感があったので、そのような状態をいつも目指して、精進していかなければと思いました。

最初は○○○○様のような大きな神社さまのお手伝いが私なんかにできるだろうかと思っていたのですが、最近は、私が精進することで、○○○○様のお手伝いができれば、きっと何かを大きく動かすお手伝いになれるだろうと嬉しく思えるようになりました。

まだまだ毎日参拝を続けるべきと感じているので、精進を重ねながら、通い続けるつもりです。
いつも紫野様やさまざまな方からのお導きを感じています。
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

鎮守の神社が○○神社さまだということがわかると、翌日からすぐに参拝に行きたくなり、毎朝通わせていただいています。
日に日に体や気持ちが軽くなっていくのがわかりますし、とても落ち着いた形でカルマが出るので、神の慈愛の深さにおどろき、ただ感謝しています。

通い始める少し前から、○○○○命さまは他の神社さまのご祭神さまよりそっけない感じだなあと思っていて、でも○○神社さまの感じは暖かいし、いつも鳥が鳴いてるし、 気も流してくださるので、そんなに関係は悪くないのかなあ、わたしを通わせるための感じなのかなあと暢気に思っていたのですが、最近になって、もしかしたらそれは○○○○命さまがとても優しいから、あまりよろしくない関係のわたしにも優しくしてくださったのではないかと思い始めました。

祈っていると必ず団体さま方が押し寄せてきて苦しい日が多いのですが、最近は末社の神さまや、□□□□命さまが、とても応援してくださっているのがわかります。

今日の参拝では□□□□命さまがアヤメの花をくださって、嬉しくて涙ぐみました。
帰り道に携帯で調べると、アヤメの花言葉は「よい報せ、希望のメッセージ、愛、信じることの幸福」などとあって、また嗚咽が漏れました。

つい半年ほど前まで「悩みがなくなるなんてことは一度もないなあ」とずっと思っていたのが、最近(特に祈りを始めてから)は、悩みはすべて「課題」に変わり、一日以上にわたって感情的に引きずることがなくなったように思います。
ただ毎日の参拝が楽しく、明日はこういう気持ちをもって参拝しようと一日が終わるたびに思います。
揺り返しがあるかもしれませんが、たった数日でこんなに変わるなんて、と感動しています。

霊の祈りレベル1に申し込ませていただいたきっかけは、気功指導を受けていた方から神社への参拝を勧められたことからでした。

21日間の間に行けない邪魔が入ったり雨が降ったらどうしようか心配しながら(屋根がない中で祈りを唱えられるかどうか)でしたが、無事に終えることが出来ました。

今後も鎮守には定期的に通う予定です。

日々、参拝する中で当社の従業員に会ったことは驚きでした。
「私の一日はここから始まります。」
その方はそう言われたのですが、人の命を預かる危険性のある仕事ですので神仏に祈るのも合理的なことと納得しました。

そして多くの方が朝早く訪れるのを見て、自分の常識では今まで必要を感じていなかったことを実践している日本人が残っていることを知りました。

ちょうど21日間連続の参拝を終えて夜、気功の指導を受けていた時に先生から「パワーが相当上がっている。やはり神社はいいんだねえ。」と言われました。

先日のお盆で実家のお墓参りに行って、祈ららの作法通りにご供養を差し上げたら、泣けて泣けて仕方ない状態になりました。

霊の祈りレベル1の参拝をして感じることといえば劇的に何かを感知する…というようなことはありませんが時々涙ぐんだり、最近は参拝後の帰宅途中にゲップが出るようになってきてはいるなと感じています。それと神社に行くと気分的にすっきりします。

その昔に○○県の□□市を訪れたことがあり、それ以来「ああ、ここにはまた来たいなあ」と漠然と思い続けてきました。今年の3月ころより猛烈に行きたい気持ちが強くなり、とうとう今月再訪を果たすことができました。3日間□□市に滞在し、観光の最中連日○○神社を参拝しました。行かずにいられなかったというのが正直な状態でした。

初日の参拝の時、涙がこみ上げてきて仕方なかったです。悲しくないのに心がほんのり温かいのに泣けて仕方ない。ずーっとここにいたいと思えたのは初めての体験でした。なんというか見守ってくれている人とわかりあえたという感覚でした。他の○○家関連の場所も観光しましたが、感覚的に温かく迎えてくれている感じがしました。□□市滞在中は嬉しい気持ちで過ごすことができました。

ご縁があってひかり先生の祈りの方法を教えていただくことができましたが、以前よりなんとなく自分が実家の墓守というか先祖の供養をしていかないとならないのかなという思いを抱えていました。何か足りなくないだろうかと思ってきました。

自分でなんとかしたいと思いながらどうしていいのかわからなかった時に先生の祈りにふれ、これなのだと直感しました。自分のペースで進めていきたいと思います。

瑞の祈りレベル1をさせていただきましたが、お腹の下あたりの重い感じが すっきりしました。
隣人との関係もだいぶ良くなった様に感じられます。

~瑞の祈り(レベル1) を終えて~

今日、鎮守への参拝が無事に完了しました。
祈りの資料をいただき、初めは途中で飽きたりしないか、とても不安な中、参拝をスタートしました。

私の参拝は、起床後、朝食を済ませてから、出勤前に毎日、参拝しました。最初の頃は、祈りの文が日常使わない言葉であったため、違和感がある状態で祈ってましたが、5日目あたりからは、違和感なく、そして気持ちを込めてはっきり祈ることができるようになってました。
参拝後は、とても心が充実した気分になり、「今日も一日、頑張るぞ!」と前向きで気合が入った状態で一日をスタートできました。不思議と毎日の起床が楽しみになり、参拝がとても待ち遠しい、そんな気分でした。

毎日、とても充実した日を送れていました。
これは今までになかった感覚です。嫌なことがあってもすぐに切り替えられたり、毎日が幸せに感じれたり、今まで以上に人に優しくできたり・・・。
自分の心がクリアになりつつある感覚です。
「祈りの効果は、すごい!」と改めて実感しました。

これからも参拝を続けて、毎日が充実した日を送っていきたいと思います。
また、レベル2に進み、さらに祈りを続けて、毎日、心が充実した生活を送って行きたいです。

最後に、祈りを始めてから、仕事上での悩みがなくなりました。前向きな気持ちでいれるようになったからかもしれませんが・・・。
失敗することやうまくいかないことがあっても、不思議と前向きになれ、そして、「絶対にうまくいく!」と自分に言い聞かせて仕事ができるようになりました。(実際にうまくいくようになりました)
この感覚をこれからも、祈りを通じて、維持していきたいと思います。

祈りで得られたことは、神は確かに居られると確信がもてるようになったことです。

霊の祈りレベル1の祈りを始めてみると、最初の数日間は、とてもすがすがしく、何だか久しぶりにワクワクしてきてとても楽しくて、また次の日に神社へ行くのが待ち遠しいくらいでした。

参拝の中頃は、少しモヤモヤしていたように感じられましたが、後半頃になると、不思議なことに、祈る時の声が大きくなり、一語一語を丁寧にはっきりと言うようになり、と、言うより、ゆっくりはっきりと祈ることによって、自分自身の中心がとても気持ちよくて、何とも言えない充足感というか、満足感というのか、とても満たされた気持ちでいっぱいになれるんです!!

こんな感覚は、初めてのことでした。

今年に入ってから、体の不調がずっと続いています。仕事でのストレスも半端ではないです。
カルマ出しは、確かにキツイです。すごく辛い時もあります。

でも、今、霊の祈りレベル1を終えた自分は、確かに祈りを始める前の自分とは、違っています。
物事に対する感じ方や捉え方に変化が出てきているように思います。
冷静さが備わってきたみたいです。

むしろ、将来の自分がどう変わっていってくれるのだろうと、楽しみでもあります。

そして、神仏様にも、ようやく心の底から「感謝」の気持ちを持てるようになってきました。
なにかにつけ、「ありがたい」と思えるようになってきました。

もっともっと感謝の気持ちを持ち続けたい、もっと色んな事に、色んな人に、素直に「ありがとう」と言える自分になりたい・・・

ゆっくりと楽しみながら、進歩成長していく自分を見つめて生きていきたいです。

以前からお世話になっております。確か10年以上前・・・

恋愛相談にのって頂き・・・祈り指導を一緒にもらって、あれよあれよと良い方向へいろいろ進み、幸せな毎日を送っております。

霊の祈りレベル3をとおして感じたこと

祈りをはじめたころの私と比べて今の私は、生きながらにして生まれ変わったという感覚でいます

だから、普通の人がすごく悩むことが気にしなかったり、そんなに悩まずにすんだりかなりラクな人生になっています

以前のままの私だったらこれまで祈りを通して起きてきた出来事で、心がさらに病んでいたと思います

自分が変わったなぁと実感したのは、レベル3の祈りをはじめてすぐ、夫の父方を供養した次の日、母が骨折し、そのときに主に私が母の面倒を見たのですが、私は母を殺したいほど憎む気持ちや母に愛されたかった気持ちなど、母に対する葛藤がひどかったのですが、母の事故の数ヶ月前に母を許すことができたので、まさかこんなに暖かい気持ちで母に接することができるとは思いもせず、母にとっては大変でしたが、私にとってはすばらしい体験になりました(涙)。
レベル2のはじめころの私はいつも心に黒いカーテンがかかったような、不安な感覚を感じていたのですが、それがない今のこのすがすがしさは、本当に気持ちいいです

すべては自分がうつしだしている鏡だということが、当たり前すぎるくらいに分かっているので人や出来事のせいにせず、自分の心さえ見つめればいいので悩んでもシンプルです

恋愛や祈りを通して「自分を本当に愛する」ということが、一番重要なことだと感じていましたが、そこはだいぶ理解できたように思います

レベル3になって「自分の思いがいろんなことを創造する」ということを、ひしひしと感じています。
自分が思ったとおりに現実が創られやすくなったように感じます。
こうなるといいなぁとかこうなったりして。など、なんとなく(ここがコツ)思うと、現実がそうなりやすいように感じています。
ある人のことを考えるとその人が目の前に現れたり、この曲聴きたいと思うとすんごいマイナーな曲なのに、買い物で寄ったスーパーなどでかかったりすることが多く、笑ってしまいます。
こんな感じでこういう恋人がいいなぁと思っていると、ぴったりの人が現れたり、あれ欲しいなぁと思うと手に入ってしまったり、なんでもかんでもというわけではありませんが、必要なものは手に入りやすくなっているのかなぁと思います。
逆に欲しいのに手に入らないときは必要ないものなんだと思っています。

逆に(逆にという言い方も変ですが)一般的に悪い出来事と言われることも現実になりやすくて、(出来事は中立なので私が悪い出来事と今までの価値感で判断しているだけなのですが)、自分が発する思い、言葉というのも気を付けなくてはいけないなぁと思います

これは確実にそうだ。とは言い切れないのですが、知り合いになって「ああ、この人と心が通じたな」と感じた矢先に、相手の方が事故やトラブルに合うということが時々あります。
女性の方は交通事故で重傷になったり、男性の方はトラブルや、お子さんが大怪我されたり、もしかして私も人を浄化できるようになれたのかなと、ちょっと思うのですが、浄化の時代ということもあるのかもしれませんね。

祈りのことを考えたり、祈りをはじめると、苦しませた相手の心が祈りで少しでも楽になって欲しい、幸せの一歩を歩むきっかけをつかんで欲しいと心から思います。
私にこんな感情が芽生えるなんて、祈りをはじめたころは思いもしませんでした。

祈ららの祈りは今のところ一生続けるんだろうなぁと思っています。
合戦の供養もこわい気持ちもあるけど、たくさんの人を救いたいという気持ちもあるので、レベル5もするんだろうなと思います^^

初めて「神社で泣く」という体験を致しました。

悩んだ時や辛い時に、鎮守様で涙を流すような事はあっても、ひかりさんのおっしゃる「泣く」とは違うのだろうな…と、常々感じていましたので、大変、驚きました。

つい先日、仕事で○○に行った際、近くに○○神社があるのを思い出し、立ち寄りました。

実はこの神社、私の名付けをしてくださった神社で、当時の神主様は、母の師でもありました。
母から話は聞いていたのですが、お参りしたのは今回が初めてでした。

小さな神社ですが、境内に入ったとたん涙があふれ、なつかしさやら、安堵感やらで、自分でも驚くくらい、おいおいと泣いてしまったのです。
「魂の親に逢えた!」という感じでしょうか…

家に帰って母に、いらした神主様の年格好や風貌を伝えると、「先生にそっくり!きっとご家族だろう」ということになりました。
とても優しいおじいちゃん先生だったそうです。

神様にプレゼントを頂いた様で、とても嬉しかったです。

とにかく、祈りたい、最後にゆるされるのは祈る事しかないのじゃないかって思って、神棚のあつかいと先祖供養をしたい、自分で納得いく形でしたい!とあるときから強く思い始めて、でも宗教団体に入る気はさらさらなかったし、今はインターネットという便利なものがあって、いろいろと探していたわけです。

ですが、たいがいが、お金をだして「能力」のある人にお願いするという形のもので、無能力なものは何もできないという感じでした。

そこで祈ららにいきついて、ひかりさんの人に頼まなくても自分で祈ることができるんです自分で祈ったほうがよく通じるんですよ、この言葉はほかのどんな言葉より私を納得させるものでした。

実際、今で言う「霊の祈り」を手にとってみると、ほんとのところ、最初はこんなことしろうとがしてもいいのかな?っていうくらいレベルの高いもので、少々、不安に思ったこともあったのですが、アフターフォローではとても安心できたし、今は迷いなく頑張ってます。

といってもまだレベル2で、これはちょっと長期間を必要とする感じですが、レベル2までは(それ以上をしらないので)やっぱり、最低でもやっておかなければならない内容じゃないでしょうか。

先日、職場の鎮守に参ると末社に厳島神社があったので参拝しました。

翌日の朝、神棚にて「厳島神社に祝詞をあげさせていただきましてありがとうございました。」とお礼を言い、そこで弁財天祝詞を読んだ後には(暖かい)号泣でした。
初の号泣です。
こんな気持ちは初めてでした。

祈ららの祈りに出会えて本当に良かった。
今後も精進してまいります。

ドラゴンアイズが届くたびに、えぐられるような気になるのですが、大きな気づきになんともいえない感慨を抱くのです。
ドラゴンアイズは何度読み返したことでしょうか。
読み返すたびに、新たな気づきと感動があります。
それは自分が少しずつ成長したことなのかなとうれしく思います。

祈ららの祈りをはじめてから、祈ららの祈りのレベルの高さと自分の幼さにうちのめされる毎日でした。
「絶妙のタイミング」で祈ららにみちびかれたとしか思えません。

これはとても嬉しかった事なのですが、1週間くらい前に、カルマ出しでしょうか、携帯で知り合いに励ましのメールを出したところ、言葉を悪く取られたらしく、思いもかけないキツイ言葉が返って来ました。
そういう言葉が苦手なので、一旦、静観する事にしてそのことは終ったのですが、自分の気持ちとしてはかなり傷ついてしまったらしく、悶々としました。
相手の事を悪く思いたくないけれど、自分の中の柔らかい部分が傷を負ってしまっていて、悲しいのです。

仏壇でのお祈りでも中々気持ちが集中しないのですが、真言をあげている所で、涙がこぼれてきました。
そのまま、入浴後に神棚での祈りの際に、始めに悲しかった思い等が出て、泣きながら祈り始めました。

その後すこし気分が落ち着き、祈りも祝詞を幾つかあげている所になり、初めて、十種祓い、祝詞を挙げた後に、ふと「相手の人が成長するまで、諦めずに待とう」と思えたのです。
それは、始めに思っていた恨みがましいモノではなく、相手にも私にも成長を促すような考えでした。
その後に、すぐ、(これは、神様が下さった諭しではないのか?)と思いました。
その考えの美しさに今度は違う涙が出てきました。
ありがとうございますとひたすら祈り続けて沢山涙が溢れました。
泣きながら祈りを終えました。

よく先生や皆様が涙が溢れてと話されていましたが、こういう事かもしれませんし、違うかも知れません。
ただ、その一つ段階を挙げてくださったかの様な考えに驚いて、本当に有り難くて心の底から、祈りをしていて良かったと思ったのです。

知恩院さんの有名な門が見えた時のこの感じ。
門の前に立った時確実に実感、ここに来た、今日ここのためにと。
ずっといい感じ。
友人も一日中いられる気がすると言った。
私は、すごいすごいとワクワクいい感じがうれしくて。
ここの本殿は御影堂。
本殿から、すごくいい感じ。
左方で檀家さんの供養らしきしていた。
けど、○○寺で出くわしたそれと、全くちがう。
お経もいい感じ。
小坊主さんたちは裸足。
寒そうな藍色のじんべ上下のような。
本殿の中をおそうじしていた。
おまいりの邪魔にもならない。
もう全て、お坊さん小坊主さん、一瞬にして○○寺とは全然ちがうものを痛感。
阿弥陀堂へ。
でーんと大きな阿弥陀様すわっている像。
アルカイックスマイル。
畳部がせまく、すごくちかい。
中に参拝の人がなく、私と友人一番乗りって感じで、私はまん前にすわり、あいさつをとまどいはじめる。
柵の手前に木魚がいっぱい並んでる。
私もさわっていいの?
日ごろ家の仏壇で見守ってもらって、今日は阿弥陀様につたないお経をとなえだしたら、おそうじの為と思っていたお坊さんたちの読経がはじまった。
木魚に拍子木みたいな音、ドラムみたいな音、私は目を閉じていたので、だんだん人が増えてる様子。
横の入り口がパタンパタンと開いたり閉まったり、バタバタ入ってくる音、私が見た、並んでいた木魚が次々になくなっていく。
自分のお経をやめて、ゆだねた。
すごいすごい。
お経が大きくうねり、つつみこまれ、涙々、あふれるあふれる。
私のためと思った。
私をここへ導いてくださったと。
そしてこれは私へのプレゼント(誕生?のような気もした)。
いっぱい話しかけた。
うぬぼれていいのですね。
どうしてどうして、私はまだ何もはじめてなくて何もしていないのに。
ありがたくて、ありがたくて。
今も涙が出る。
しゃがれ声のお坊さんの声。
えっ?前の木魚は小坊主さんのようなのを想像していて、目を開けた。
(多分ずっとゆだねているのがこわかったのでしょう。あとで未熟さをうらんだ。せっかくだったのにと)
そしたらまん中で、無知な私でもわかる袈裟や着物、両脇の若いお坊さんがその僧が立ったりすわったりして経をとなえるたび袈裟をもってしつらえる。
まさにすごい上の方の僧。
老人でしゃがれ声だけど、いい。
えーっという人数でした。
こんなことになるなんて夢にも思ってなかったし、パタンパタンと並んでる木魚の人らが出て行き、柵の中の人らは中から去り。
呆然とする間もなく「もう閉めます」といわれ、あわてて階段へ。
ティッシュをさがし、でれでれの顔、鼻水。

昨日、久しぶりの休みで、朝、急に父方の墓参りに行きたくなったので、行ってきました。
墓地に入るとたくさんの、とってもたくさんの視線・・・(他の墓の方々でしょうね。。)
でも、かかってくる感じはなく、どちらかというと、「いいなぁ~」という視線かな??
ゆっくりとお経をあげ、祖父母の孫であること、たくさんのご先祖様たちの子孫であることに感謝し、この祈りに感謝して、、お墓が暖かく感じます。
後で気が付いたのですが、昨日は「敬老の日」で、今日から「彼岸の入り」なんですね。

送っていただいた会報を読ませていただきましたが、本当に勉強になり、質問したいことの答えもあり、読み応えたっぷりです。
なにより、そこからかもし出される空気が(ホームページもそうですが)さわやかで清々しいです。

私は特に何も考えてない時からよく神社やお寺に行っていたのですが、ある時友達から「宇宙神霊紀」とかいう、漫画家の美内すずえさんの本を借りて、目からうろこというか・・・
神様は本当にいて神社やお寺はただの建造物ではないって事や、輪廻転生は本当に自分にもあるという事、エネルギーという言葉の意味や、石や音や光が似たようなものであるという事などを初めて知り、今まで「綺麗な場所やね~」とか「かっこいい建物やわ~」という風にしか思っていなかった神社やお寺が、本当に神様がいたりする場所だったなんて・・・と、何とも言えないショックを受けました。
神聖な場所は、本当の意味で「神聖な場所」だったのか・・・と。
それまでは神社やお寺にまつわる話を、おとぎ話的に捉えていました。
これは新発見!みたいなノリで周りの友達に話すと、信じない人と、そうでない人や前から知ってる人とキッパリ分かれたので、それにも驚きましたが、前から知ってる人やなんとなく私が言ってることが解る人たちがそんな話に関する本を貸してくれたり買ってきてくれたりして、みんなが「読んでみて」と。
それから私は神社やお寺の神様に、すごく興味を持つようになって、敬意を払うようになって、きちんとあいさつとご縁を持てた事の感謝を言うようになりました。
色々回るうちに、真言と般若心経と祝詞に興味を持つようになりました。
たぶんあの言葉たちは、神様に一番伝わりやすい言葉なのだろうと思いました。
お坊さんや神職の人たちが羨ましくなりました。
私は神様にお願い事を聞いてもらったり守ってもらったりしてるから、ちゃんと伝わる言葉で感謝を伝えたいって思うようになりました。
あるきっかけで、不動明王さんと大日如来さんの真言は覚えました。
般若心経はどこでも唱えられているので、いつかは覚えようと小さいものを持っていて、たまに目を通していました。
で、ひかりさんの祈りの言葉はどんなものかと、ずーと気になっていて、何か決まりごともあるようで、続けられなかったら怖いとか、色々考えていましたが、まずレベル1をしてみて、無理そうならその時考えようと決心しました。
で、届いた祈りの言葉を見て、「あ~ホンマに基礎っぽいわ~」と、これならできる!というか、ぜひやりたい!と思いました。
真言をサンスクリット語で読むようにしてたりとか、なんかすごく細かな気配りで好き!って思いました。
私は、神様に届きやすい言葉が知りたかったので、ぴったりです!

先祖供養を始めてから何となく感じるのですが、誰か供養を強く望んでいる人の存在が私や私をとりまく状況を先祖供養の方に導いているように思うのです。
これは私だけでなく他の方々にもよくあることなのでしょうか。
それが誰なのかわからず戸惑っています。

今は、参拝がとても楽しい!
ただ、今参拝したほとんどの仏閣で、相手ご本尊様から、「驚き」(現世御利益を願わない祈りに対して、また、何故お前(私)がこのように祈るのか?)や「とまどい」(同じ)、「感謝」「喜び」のような気持ちを感じます。「怒り」などの感覚は今のところありません。

ドラゴンアイズのバックナンバーを毎晩読んでいます。
で、毎晩、どうしようもない眠気に襲われて、はうようにベッドへ・・・紫野様の「エネルギーアタリ」というか、高い波動を感じます。(朝起きると、スッキリしているので)

夫のご先祖のお墓参りに行って参りました。
次男がお祈り中に大きなげっぷをしましたので浄化のしるしかなとちょっと思いました。
お参りの帰りに墓地から出ようとしたとき先を歩いていた次男が「今、風と握手したよ」といいました。
「きっとご先祖様が感謝のお祈りを聞いてくださったんだね」と話しながら帰りました。
今、そのときのことを次男に聞いてみたら、「2回も握手してくれたよ」「キスもしてくれたよ」「後ろから追いかけてきてしてくれたよ」「涙がでるほどうれしかった」「○○おじいちゃんだと思うよ」「ほかの人もきてくれて握手してくれたよ」「にいちゃんとも握手してたよ」「にいちゃんが気づかないから『あれー』とおもったよ」「かあさんのところにも来てたよ」「3回なみだがでそうになった」と言うのでびっくりしました。

体のいたみを、祈り続いてた頃、楽しんでいた。
ろっ骨は、胸がいたくて(何をするも)いたいいたいと自分の声で目がさめてたかな。
神棚で一つ一つのいたみの所で苦しんでいるであろう方々に祈って、幸せになって下さいと、それを願って祈りました。
どうか御光をと。
痛みがゆるむにつれ、うれしくてネ。
それにまつわり、いろんな人と出会って、自分の成長とともに出会う人もステキになっていくのが、よくわかる。

祈りコースを申し込んだ頃は咳が酷く、なかなか神社へと通えませんでした。
家族も不調になる者が出ていました。
元々今年に入ってから神社へと通う日が多く、日頃のお礼などを伝えに行っていました。
神社参拝方法の用紙を頂いて、実際神社へと通えるようになった頃、何番か省いて祈りを始めて良いと書かれていたので、2回程行って様子を見ていました。
何とか大丈夫そうかなと初めて見た所、仕事が急に決まりまして、それも中学生の頃からやってみたかったお仕事なんです!
1日祈って1日休みを繰り返していたのですが、病持ちの伯母が再度入院したり、私も10回ほど祈ったある日お客様を怒らせてしまったり・・。
ですが、これを気にこの方と仲良くなれるのでは?と思っていましたら、本当にその通りになりました。
お仕事前の朝や(8時半頃)お休みの日の午前中に祈りに行くことがあるのですが、不調が続くと2日間お休みになったりします。
その時は、「お休みが続いて申し訳ありません」と伝えてから祈るようにしています。
不思議な事に、たった今まで無風だったのに、祈りを開始した途端風が吹いて来たり、祈りが終わって振り返った途端絵馬がカランと一斉に鳴ったりしました。
2日連続で祈った事があったのですが、空気の流れが変わり、やはり1日おきに祈った方が良いのだなと感じました。
ですが、その時神社では「良くぞ来た」という声が頭を過ぎりました。
そして祈りを始めて数回してから不思議な夢を見たのです。
私が2日間祈りを休んだ時に見た夢です。
神社へ行く夢を見て神社の裏の森に私がいるのです。
そこで私は誰かに憑依をされ口が動いたのです。
「どうして人は勝手な願いばかりしに来るのだ。どうしてこの子のように祈らないのだ・・。」と。
周囲にいた人間は驚いて皆去っていくという夢でした。
これは祈りに関係しているか分からないのですが、母が私を今呼ぼうと思っていたという、呼ばれる声が聞こえるのです。
「○○」と呼ばれたので「はーい」と返答して母の所に行くと、今呼ぼうと思っていたけど、呼んではいないよ。というのが続いたのです。
それは確かに母の声。
これから祈り11回目と後半へと突入します。
ずっと続けて行こうと思っています。
レベル2になるとお金も倍になるので、どうしようかと思っていた所、ひょんな事から縁がありました。
これは仏壇を購入してきちんと先祖供養をして欲しいと言う事なんだろうと思っています。
これからも宜しくお願いしますね!

先祖供養は、マイペースで続けています。
続けてきて新しく感じたことがあります。
先祖供養をしていると、生活にメリハリが出てきて、一日一日が楽しくなりました。先祖供養を始めた頃よりも、ご先祖様が軽く?なったようです。

祈りはじめてから、体は健康になりました。
時々、疲れたりはするけど、風邪とか全然ひかなくなって病気にかからなくなりました。感謝です。

先日、レベル1が終わりました。
毎朝、神社に行って祈るようになり、酷い風邪をひいたり体が極端に辛くなったり、それでも自分の仕事がどうしても休めず、かなり辛い思いをしましたが、それとは逆に全ての物事が良い方へ良い方へと向かっていて、感謝の毎日です。
この祈りを知ったのも神様のお導きなのかもしれません。

冬至のアセンション第一波は、やはりかなり強かったようです。
私はお祈りをしてるせいか、神様の守護があついのか、そんなに影響を受けずにすんでいて、現実を動くのではなく、やはりお祈りをするのがお役目のようです。
そのように神様がまた強く働きかけて下さっています。
すごいですね。
ほんと、不思議です。

石を使った祈りを早速やりましたが、次の日空でも飛びそうなくらいでビックリ!
すっごい効きました。
自分がこんなに素直だとは(笑)
教えて頂いてありがとうございます!
いろいろへこむ事はありますが、少しずつ前進していこうと思います。

家の鎮守のお札を作ってる方の神社に参拝したら、途中から泣けてしまいました。
なんだかこれ程嬉しい気持ちになったこと、他にはありません。
供養し続け、清めたことがこんなに喜ばれてるとは!!
やってよかったと思えた瞬間でありました。
以前に参拝してもこんな良い反応はずっとなかったんです。
供養はカルマを受けるのがやっぱり辛かったけど、苦しんでる御霊達が救われたことが、こんなにも神様がお喜びになるとは!
祈り始めた頃は自分の不幸をなげき人のせいにしたりする私でしたが、罪の重さを実感し、今は心から詫びる思いです。

先生を知り、天然石の素晴らしさを知り、以前からきちんと神社で神様方に祈りたかったという気持に気づき、自然と「祈り」を始めました。
まだレベル1ですが、神社に参拝するということは本当に気持ちいいものですね。
祈りを通して物事を前向きに捉えられるようになってきました。
そして先月、もう仕事は来ないだろうと思っていた会社から仕事の依頼が舞い込んだのです。
また、現在アルバイトのようなことをしている職場からも、職員としてやってみないかという声を掛けていただきました。
このアルバイトは、実は私がもっとも苦手とする分野です。
1度やめようとしたのに引き止められ、今度は職員ですから、この分野で勉強しろということなのかと受け止めています。
1週間のうちに思いも掛けなかった仕事の話しが来て、少しボーッとしています。
こういうことってあるのですね。
今思えば、半年前仕事が打ち切られたのは「祈り」へ至る道筋だとしか思えません。
祈りを知らなければ、きっと違った今を生きていたのではないでしょうか。
仕事の他にもいろいろなことが起こりました。
それらから感じることは、私達は本当に神様方から見守られているんだなぁということです。このことに気づかせてくださって、本当にありがとうございました。

合戦の供養に入り、旅(参拝旅行ですが)に出た時以外は1日も休むことなく、(祈りを)続けてこれたことに、今私をお守り下さるご神仏様、ひかり先生に感謝致します。
本当に私は、供養が大好きです。
今も涙が出てきました。

一宮さまには行かなくてはならないと思い立ち、バイクで、下総の国の一ノ宮・香取神宮に行ってきました。
鳥居をくぐって参道を登っていく途中の森がとても気持ちよかったです。
それで本殿に行ったら感動してしまいました。
改築をしたばかりなのか、塗装や装飾がやけにきれいなのです。
黒を基調として緑の格子や金の装飾、それから色とりどりの中国風の模様・・、それらにそれらに見とれているうちに「ありがたいなぁ」っていう気持ちになりました。
それから人のいない本殿の裏に回ってゆっくり歩いていたのですが、本殿の茅葺屋根から溢れてきているエネルギーを感じているうちに、泣きたいような気持ちになってしまいました。
神社に参拝してそんな気持ちになったのははじめてです。
なにかご縁がある場所なのでしょうか。
それからさらに裏の方の摂社や末社をぼんやり見ていたら、「よくきたな、まってたぞ」みたいな感じのメッセージが伝わってまいりました。
本当に泣きたかったです。
しかし誰なのかよくわかりません。
御祭神のフツヌシノオオカミなのでしょうか。

最近は私も不思議なことが多くなりました。
音信不通だった友人にバッタリ会ってしまったり、メールもパッと見たらちょうど来たばかりだったり。
友人に会ったりしたのは、おそらく自分が思ったことが現実になったんだなぁって思ったのと、その波動に合わせるとその現実がやってくるんだなって思った。
そこにどっぷりつかってる時はその現実しか知らないけど、こうしてみると、いろんな世界をかいま見ることができて、なんか面白いですね。
思ったことを引き寄せる想念の力にもちょっと自分でもびっくり。。。
パワーアップしてるみたい。。。
これは気をつけないといけないかな。。。

祈りを始めてから、私の足の痛みはおさまりました。
あれほど痛くて、足を引きずり歩いていたのに、本当にうれしいです。
ありがとうございました。
ひかりさんの祈り指導は、本当にすばらしいものだと、実感しました。

私は、ひかりさんの祈り指導を受けるまで、先祖に思いをはせることはありませんでした。先祖とは過去の人達、今の私には関係無い存在でした。
お墓の現状を見て、子孫やお寺から見放され、悲しく、肩身の狭い思いをしていることがよくわかりました。私たち家族に不幸ばかり起こるのがよく理解できました。

鑑定結果のメールを読ませていただき、早速鎮守の神社へ行ってきました。なんとも手を合わせて鳥居をくぐる瞬間から、手や体中があったかくなって、歓迎されているのかなという気持ちになりました。そういう感覚が気持ちいいので、毎日通っております。

いつの間にか私は母を支え、祈り、助言するような自分になっていました。
人を救い、導けた喜びは何にもかえがたいものです。
両親の変わらなさにずっと悩んできて、話をするのもイヤだった私ですが、必要な時だけ、必要なことを言ってあげる、自分も彼らへの接し方を少しつかみました。

私の方は、大きな問題があまり起こらなくなり、出会う人もいい人ばかりで幸せな毎日です。
また、問題が起こったとしても以前ほどジタバタしなくなり、これも祈りのおかげかなあと劣等生ながら実感しております。

仕事から帰って玄関を開けると、ご先祖様が勢揃いで迎えてくれて、その中に祖父がいました。
私は涙涙で祖父やご先祖様たちの気持ちを受け取りました。もう、私の一家は大丈夫!!と思う出来事でした!今はご先祖様も泣き顔から落ち着き、穏やかです。これからも祈りを続けるぞ!
ご先祖様の守護を感じます!
沢山のご先祖様です!祈りをしていたからですね!
私は一人じゃないんですね!
ご先祖様の気持ちを一心に受けています!
今までの人生にこれほど素晴らしい事はなかったです!
有り難いです!
沢山のご先祖様!
でも私は祖父しか知ってる先祖がいないけど、沢山の感謝の気持ちが伝わる!
言葉では表現出来ないすばらしさ!
有り難いです。

自分がだいぶ浄化されたなぁと思うのは昔は結婚の事をかなり言っていた母が合戦の供養を始めて半年位たった頃からほとんど執着しなくなった事、また私に会う人はよく風邪などひくんですが会って30分もすると相手が精神的に落ちついてきたりさっぱり明るくなってきたりして喜んでくれる事や電話で話しをしても30分もすると私がゲップをして相手が精神的に落ち着いてきたりする事です。
最近は母は私の人生にも執着しなくなってきています。
人の相談にものりますがこういう時精神的に成長できててよかったなと思います。

今年の初詣、鎮守の反応がとても良く、氏子の方が、私がよく祈ってるのを知っていて「ぼくたちも頑張ります」と言って下さいました。
神棚も古いのを鎮守に持っていってお炊き上げしてもらったのですが、「随分守ってもらったんだね」と言われました。私の心も浄化され清まるにつれて、本当に回りも変化してきてる!と思いました。
鎮守は随分きれいに手入れされるようになったし、整ってきました。
今年は「はらい給え、清め給え、神ながら寄魂幸わえ給え」の唱え言葉をはりつけるようになりました。
お参りしてると以前よりグンとお参りする人、増えました。

私のこれまでの人生はあまり楽しいこともなく、辛い人生だったといえると思います。
でも不思議と死のうと思ったことはなく、人生を良くするためにどうしたらいいかと考えたり、いろんなことを試して何とかやってきて、今、祈り指導にたどり着きました。
祈りを初めて思うのは、このことに命をかけてもいいなということです。
他の人の手紙の紹介を読むと、死にたいという思いが、祈りと共になくなっていくというのが普通だと思うのですが、私の場合はその逆で、祈りを続けている今でも命をかけたいという思いが強いのです。
祈りを続けていくと、人生が好転していくと思うので、命をかけなくてもいいと思うのですが、もし今、祈りに命をかける道と、祈りをして人生が良くなっていく道のどちらか選択できるとしたら、祈りに命をかける道を選ぶと思います。
私自身、意味あることならば、命をかけることは惜しくないと思えるし、ご先祖様の役に立つために命をかけるならば喜びに感じます。
でも祈り指導は供養をしっかりして、自分の人生を良くしていくものであるので、このことで命をかけるというのは適切ではないと思うのですが、現在このような気持ちでいます。

今年は自分がとても素晴らしい人間であってどんな環境にいてもひかり輝ける存在なんだと知って驚きました。
そして嬉しい事に全ての人もひかりかがやける素晴らしい存在なんだという事が分かりました。
今は自分が清らかな光のひとつぶとなって宇宙を泳ぐようにとんでいる感じがします。
昨日、いろんな神様に「こうなる事は分かっていた」といわれたのですが、私もこう感じる事ができるようになる事が分かっていたような気がします。
小さい頃から知っていた気がします。

もう周りを変えるのは99%ムリだと感覚的に思うので自分磨きが一番良いと思いました。自分を成長させる課題も答えも実は自分の中にあるんじゃないかなと思います。
いのりをして自分がシンプルになっていく事を感じます。ちょっとうぬぼれかもしれないけどいろんな神様と近くなってきた感じがします。

最近、今までの事がだんだん理解できてきてああいう風に心が苦しくなってくるのはカルマだとか、周りが今までの自分のやり方に干渉してくるように思えた事がらの中でやはり有意義な物があったという事とか人間関係というのは自分の思い通りにいかないのが自然だという事です。
まわりをみると自分より波動の高い方はもうそうそういない気がしてきたので(自分の中にまだ低い部分は残ってますが)こういう状態になった時に自分がどういう立場をとるか考えていかないといけないなぁと思ってます。

先生が合戦の供養をしている時が一番充実していると書かれていて、以前の私にはその意味が全然分かりませんでした。
でも供養をやりはじめて「これって供養のおかげかな?」と思えるような出来事があったりして、じわじわと「供養っていいな・・・」とたまーにですが、感じはじめました。
こういう気持ちを常に持ち続ける事ができれば、人類愛に繋がって行くのかなと最近思います。
レベル3までは序章で合戦の供養からが本番というか、愛に繋がって行くというか・・・手応えを感じます。

ある神社に、参拝をした時のことです。神社の石段を降りながら、肩の痛みが消えている気がしました。
肩こりとかじゃなく、急に重いものを持ったせいで、片方の肩の筋をたくさん痛めてしまったようでした。
1年半くらいそのまま放っていた状態でした。
何かしら治療を受けないと治らないだろうなと思っていました。
石段を降りながら「気のせいよね」と思いましたが、実際それから肩の痛みがなくなっていました。
もちろん、ご祭神様に肩の痛みのことや、治してほしいなんて話していません。
有難くって、参拝が終わったあとにもう一度、痛みを取ってくださったお礼に参拝に行きました。

祈りを始めてから約一年、物事がどんどん自分の希望したように変わり、あきらめていたのに出会いまであって、結婚をすることになりました。

祈り始めてからどんなふうに変わっていくのか、半信半疑だったけれど、毎々瞬々刻々と変わっていってる感じです。
苦しさあり、感動あり、喜びありと、まるで劇的に心の中に起こっています。
霊界を浄めることが、神仏や人々にとって大事なことを、神仏の反応の変化、現実の人々の変化から、強く感じるようになってきました。
レベル4に入る前は祈っていてもピンとこなくて、心を込めることができなかったのですが、合戦の供養を進めていくうち、救われてない人々がまだ沢山いることを実感し、祈りの大切さ、又、やらなければいけないことを痛感しました。

等々力不動尊に行きました。
その時、本堂ではなんとも感じなかったのですが、ひかれるままに渓谷の方に降りて行くと、滝不動と稲荷神社がありました。
そこでどちらにもお経を上げると、予想できない涙がたくさん流れました。
その後、弘法大師様の稚児堂に寄ったのですが、ありがたくて涙があふれました。(しかし、なにがありがたかったのかは思い出せません)
こういう経験は、いかんせんなかったことです。

この3年間、ふり返ると本当にすばらしい進歩でした。
ある方に恋をして失恋したのが3年前で、それで紫野さんと出会いました。
同じ3年とは思えないし、もうその人のことはさっぱりした気持ちです。
お仏壇でお供物を毎日用意するうちに、それまで家事がめんどうでやらなかったのに、自分をちゃんとさせる充実を知り、家事をするようになったこと。
次の年にボランティアを生まれて初めてして、説明のしようのない幸福感を味わったこと。
対立していた母に、実は愛されていたと気づいたこと。
世の中、奉仕できることはたくさんあって、喜びにあふれていると知ったこと。
奉仕を自分の極限までやることが2週間続いて、自分の意識が高い次元に飛んで、とても高い安定した何も怖くない心境にたどりついたこと。
合戦の供養をしはじめて、戦争映画を見、戦争なんてもういやと思ったこと。
地域の最も悲惨な人たちは、実は自分の一部だということが分かり、浮浪者におにぎりと野菜の煮つけとホッカイロとメッセージをあげて遠くから喜んでくれるか見たこと。
もう一度あげに行った時、とても喜んでくれたこと。
地域と日本の現状にショックを受け、けどこの責任は前世の自分にある、そして幸せにできると思ったこと。
○○の戦いの供養は日本全土のためになっていると知り、この為に私は生きているんだと分かったこと。
今、日本という国を丸飲みするイメージが自然に起こること。
神も人間も自然も見た目が違うだけで実は同じものだと分かったこと。
各々が精神か心かの霊的なもので、音楽のように響きあい、流れながら存在するのが宇宙の生命体だと分かった喜び。
そして自分の人生が、親や学問も含めて、宇宙の生命体に奉仕するために無意識に自分で設定してきたと気づいたこと。
悪や失敗こそが、善や成功と協力して私を成長させてくれたと分かったこと。
思っていたように生きるということはクリエイティブで、宇宙は美しかったこと。
今まで合わないと思っていた人達と合わせることの創造性の楽しさを知ったこと。
自然や人間の何であれ、軽蔑することの無意味さを悟ったこと。
たくさんありました。
数年前、難しい解釈を本当に一生懸命に考えぬいた後で、自分が高い安定したゾーンに意識がとんでいく経験をしました。
周囲の喧騒も確かにあるはずなのに、聞こえてるのに耳に届かず、自分の名前を忘れてしまって、思い出そうとしてもできませんでした。
代わりに自分の本質だけが心に座っているという経験をしました。
祈りでこれに似た経験を2度しています。
1度目は奉仕をがんばった時、2度目は合戦の供養の資料が届いたその日です。
不思議です。ここまでいってしまうと死ぬのも怖くない心境です。
このような経験、皆してるのでしょうか?
数学や物理なんかでは、大学の先生でも全員は、ここまでの本質のみというところまでいかないみたいです。
能力よりも志が同じ人と、仲間になれたらと思います。
以前は学問で優劣を競ったりして、自分に申し訳なかったと思います。もうしたくないです。

九頭龍弁財天様に神社でお会いしたとき、涙が出ました。
初めての時も2度目のときも、ただただ涙で感動でした。
うれしくて。
生きている上で、このような幸せをいただけることが、本当に最近はただただうれしくて、神仏様と共に生きるということの、言葉には出せない感謝とうれしさの気持ちをこれからずっとありがたく生きていこうと思っています。
祈りをずっと一生続けて、私は未熟だけど、私なりに神仏様に奉仕と感謝の心を持ち続けたいと思っています。
いつか、いつか、人の心がいやせるような人間になりたい、そう思います。
○○神宮では号泣・・・産土神社では目をつむったら光が浮かび、ずっと光の玉がありました。
「お寒くないですか?おつらくないですか?」とたずねたら、もうすごい涙でした。
「○○様おつらかったら、私で良かったらお使いください・・」と言いました。
涙々でした。
神仏を感じながら生きていくことを教えてくださった紫野先生に本当に感謝いたします。

久々に金縛りにあいました。
驚いた事にお寺の弁天様が助けてくれました。
鎮守を思い浮かべようとしたら、お寺がみえたから「弁天様」だとわかり、弁天様を思い浮かべた瞬間、金縛りがとけました。
神仏と仲良くなれて幸せです。

供養をはじめて一年がたちました。
紫野さんに出会って一年、自分でも驚くほど環境が変わっていていい一年でした。
紫野さんに出会えてほんとうによかった!
こころの奥底からの癒しが実感できて、自分の出きる限りの力ですすんでいける。(他人任せではなく)
すごい祈りだな~と思います。
これからも地道にすすんでいきたいです。

最近、何があっても気にならなくなってしまいました。
少し前は、何となく気にならない…今では、気にならない…です。
それと、○○○○が守護神って思うと嬉しいです。涙がポロポロ…でも、昼休みなので我慢してます。
とっても幸せです。
生きる事がこんなに清々しいなんて知りませんでした。

※守護神については、この方がご自分で理解されました。皆さん、そのように特にご縁のある神仏がわかってくるようです。紫野

私もどこまでできるかわからないけれど、力の限りこのご神業に尽くしていこうと思います。
「誰かが道を切り開かなければならない」私もそうできることを祈ります。
古い保守的なものも多いけれど、祈ってると、他の人も祈る気持ちになってくれたりする人もいて、うれしくなりますね。

前に紫野様が「人が何を考えてるか分かる様になる」言ってましたよね。実は金曜に初めて人の気持ちが分かったのですよ。
会社で仲良くしてる伯母さんの。
分かった時は「優しい振りしてただけなのね」と、驚きとショックでした。
けど、私の勘違いかも…と思ってたのですが、勘違いではない事が今日、ある事がきっかけで分かったのです。
人が何を考えているかを知るって、少し恐い…様な…。と、思いましたけど、注意とか出来ていいですね。

祈りを始めて、以前はどうもうまくいかなかった女性との人間関係が比較的いい関係が続けられるようになりました。
合わない人とは無理をせず、ぶつからないようにするだけで深く考え無理に合わせていかないように。また、いい関係の人とは、よりよく。
ひかりさんの、そして神様のおかげです。今日は特に、静かに嬉しい感じです。

うまくいえないけれど、やっぱりひかり先生に逢えたおかげでどんどんどんどん、ひとつひとつのおもりが体からはなれていっているような感じで、ほんとうに必要なものって、やっぱり魂のごはんだけなんだなあ、なんて感じていました。
ひかり先生にめぐり逢うことができてほんとうによかった!!!これからもずーっとついていきたいです!よろしくおねがいします!

いのりをはじめて2年半程になりますが、ようやく明るい人生の幕あけが見えてきました。
生まれた時からでさえも自分の人格に悪があることを自覚し、なかなか明るくなれず、これが自分の本当の性格だと思っていました。
けど、合戦の供養を進めるうちにこの悪ぬきがするするとされ本当の自分はとても明るい性格だということをこの年にして発見し驚いています。
カルマで素直に出せなかっただけじゃないかと思います。
今は神、宇宙、人類、自然に対し、連帯感、責任感、奉仕の気持ち、友情の気持ちでいっぱいです。
いのり仲間のみなさんまた、これを読んでくださったみなさん、そして、ここまでアドヴァイスをしてくださった紫野さんのこれから永遠の魂の成長の繁栄をいのっています。
私も魂の永遠の旅に明るく笑顔ででかけようとおもいます。

先生のところで祈りをさせていただいて1年になります。
当時、精神不安定がひどくて、わらをもすがる気持で先生に手紙を書きました。
1年たった今、気持は安定しています。
不安になることもありますが、極端な方向に行くことはほとんどありません。
そればかりか引っ越してからは、笑顔が増えましたし、ワクワクしたりなんとなく嬉しく感じたりすることが多くなりました。
出かかっていた精神のカルマを出してくださったのだと思います。
精神不安定になったのをきっかけに極端なマイナス指向も治すように努力しました。
1年でここまで立ち直ったのですから、2年、3年と祈りを続けたら、自分がどのように変化していけるのか、とても楽しみです。
マスターを目指すのかどうかはまだわかりませんが、とにかくレベル5までいきたいと思っています。

ひかりさんと出会い、自分が成長しているのがわかり本当に感謝してます。
神様との縁も築き旦那の理解がありませんがこうやってやっていられるのもひかりさんと出会い神社との縁を教えてくださったおかげです。
神社はお願い事する場と思ってた私が、自分の成長や縁をもてたことに対する感謝をするところに変わりそうしていくうちに勝手に願いが叶えられていき、○○の仕事ができたり仕事が増えたり、生活が安定したり感謝せずにおられません。
後は旦那や家族の理解が得られたら完璧なのですが、いつかそれも叶う気がしてきました。
いつまでも見守っていてください。
本当にありがとうございます。
そしてこれからもお願いします。

祈りコースが届いたので、さっそく近所の神社に行って来ました!
参拝に行ってから自殺願望もなくなり、一人じゃない気がして心があったかくて、参拝に行くのがとっても楽しいです。
私が参拝に行っている神社は、手水舎の水はなく、お賽銭入れもないのです。
きっと正月、節分の日にしか、人が参拝しないからでしょう。参拝って楽しいのに・・・。
参拝してからは本当に誰かと一緒にいる気がするのですよ。
祈りコースに申し込んで、本当に良かったです。
申し込む前の私は、考えることといえば自殺(未遂あり)・・・。死にたくて、死にたくて・・・。
けど、今は違います!
神仏と一緒に生きたいし、生きないといけない!
だって神仏が大好きだから。

私はカルマを乗り越えるのってワリと簡単に考えていたけれど、快苦や落差を味わいながら気づかされて、少しずつしか進まないことを感じました。
でも、がんばって辛いのも苦しいのも、一所懸命我慢して乗り越えたら、ホント、グンと周りの人より一歩も二歩も成長したようです。
みんなに良くなったとか、大人になったねって言われました。
何かが変わったと感じるようです。

同封のドラゴンアイズ、一気に読みました。
すばらしい!
求めてきたものに出会えた喜びを感じています。
昨日、確実に鎮守さまを確認しました。
ご挨拶もしました。
本日からがんばります。
祈りの内容、コロンブスの卵というのでしょうか、こんなに肝心なことが参拝に抜けているとは!と驚きつつ、逆に本物とはそういうものかもしれないと思いました。
着々とやるべきことをこなしていきます。
先生のやってこられたことを、会報通じて知り、本当にホンモノだと思います。
ご神業に参加させていただくこと喜びです。

いつも電話で魂に元気をいただき、私は本当に最近変わった気がします。
それは自分をすごく好きになれたという事や、今まで苦しかった母との関係が苦しいものではなくなり、逆にあんなに葛藤があったにもかかわらず母は母の幸せをつかんでほしいと思えた事…。

私が以前関わってしまったある会は、紫野様のおっしゃる事とずいぶん似ていましたが、会にふりまわされつつあるという感覚だけではなく、特別心の安定とかも得られませんでした。
やはり、自分で感じ、ものごとを決めていかなければダメなんだなと思います。
紫野流の祈りは「神との関係の基本は1対1」ですよね。
そこがいいんです!
また、やはりそうじゃないとダメなんだと思います。

大きいカルマ出しがありました。
母方の伯母が、私が参拝を始めてから脳内出血で倒れたのです…私は後から知ったのですが、伯母は一人暮らしで、助けを求めることもできず、そのまま意識を失ったのですが、近所の人に見つけてもらい、奇跡的に後遺症もなく先日無事退院しました。
思い上がりかもしれませんが、私の祈りで軽くなったのではないかと思っています。

先祖供養なんですが、夫の方はあまり感じませんが、私の父方を拝みますと、おぱあさんが「おまえばっかり苦労してなぁ。」とか「一人じゃないんだから。」とか話かけてくれます。
これは、先祖供養をはじめて、かなり初期の頃からです。
最近では、私の母方から、大勢で「がんばれ!」とエールを送ってくれます。
かなり涙が出ちゃってます。
グッときます。

参拝10日目以降、なんだか地に足がつく感じがしてきて、彼や彼の親に対する怒りや憎しみも、だいぶ減ったように思います。
今までは一日に何度も何時間も一人でぶつぶつ独り言を言っていたのが、一日に2~3回に減り、彼と連絡がとれなくても何とも思わなくなりました。
頭頂からもエネルギーが来ているようです。
一度電話したら、けんかすることなく終わりました。
いつもはけんかして終わっても心がゆれてゆれてひどかったのが、執着心が無くなりつつあるようで、たとえ別れても頑張ろうと前向きになってきてます。
あまりの変化に、ちょっとおどろいてます。
14日目に、オレンジ色の丸いものがパッとはじけたように見えました。
きっと応援してくれているんだって思ったんです。

参拝は21日無事に終了しました。
その後も毎日行ってます。
行くと気持ちいいし、スッキリするし、行かないとおちつかないというかホントに引っ張られる感じってやつですね。
けっこう「楽しい」という気持ちで行けてます。
それと恋愛の方も今は自分の気持ちが変わったことが自分でもわかります。
ムリにどうこうするのではなく、今自分がやるべきことをやっていく事できっといい方向に行くだろうと感じるようになってすごくラクになりました。

ひかり様とご縁をもちまして、又、参拝を始めて、約1ヶ月ですが、私の人生がいい方向へと、確実に、自分がそのように感じられる程、動き始めています。
仕事のチャンスが舞い込んだり、ちょっとした縁で人間関係が広がっていきそうであったり、静かだった私の周りが、少しあわただしくなってきました。
目に見えない力がはたらいていることをみとめざるを得ません。
あまり調子にのらず、謙虚にこれからの事を受けとめ、努力したいと思っています。

最近少しずつ自分をとりまく環境が変わっていくのが、わかります。
物事が横道にそれたようでも結果は悪くならず…本当に神仏に守られているのを感じ、不思議な気持ちです。
自分の心の持ち方が変わっていくのを、すごく感じます。

先祖供養をやりはじめて2週間になります。
最初は幽霊が出てきたら困るなあと思いながらいやいやでしたが、1日やると1日分だけスッキリするような気がしたので、今もなんとか続けています。
あんなに去年体調が悪かったのに今は、少し楽になりました。
去年は何だったんだろうと不思議に思うほど、今は楽になりました。
まだまだ体調がすっかり良くなったわけではありませんが、あのイライラした毎日がなくなりました。
子供の勉強もほんのすこし出来るようになり、毎日がんばった結果が出てくるといいなーと思います。

東寺(とうじ。京都市。真言宗総本山)に行ってきました。
ご本尊様のある御堂を開けたとたん、父の祖父の家のにおいがしてびっくりしました。
しかも大日如来様の前に立ったら、目の前に花びらが一枚ひらひらとおちてきてすごくびっくりしました。
どうして他の人はさわがないのだろうと思っていると、おちたはずの花びらがどこにもみあたらず、消えてしまったようです。
その後手を合わせると悲しくないのに涙が出てきました。

祈り始めてからもうすぐ1年になるところです。
振り返ると色々な事がありました。
カルマが出て父が倒れたり、顔がかぶれたり…。
でもいい事もありました。
祈り始める前の私はテレフォン占いにはまってしまってお金を随分使っていました。
祈り始めてからやらなくなりました。
雑誌に「過去世や前世でのカルマを解消する儀式」とか載っていますが、以前の私だったら”やろうかな”って思ったと思いますが、今は「自分のカルマ解消は自分でやらなければ意味がない」と思うようになりました。
神社、仏壇、神棚で音が聞こえるようになった事etc.トータルにみて先生と知り合えた事、祈り方を教えて頂けた事に感謝しています。

何度も手紙を読み返している時に、声が聞こえたのです。
「ほんとうにほんとうに久しぶり、やっと会えたね。」と。
カンはするどい私ですが、部屋の外の庭で母が誰かと話をしているのかと思い、母に「誰と話してたの?」と聞いたら、「誰も来てないし、話なんかしてない。」と言います。

占ってもらおうと手紙を書き、投函して1日たった頃から、急にみぞおちの下あたりが痛みだし、下痢や吐き気をもよおし、また、頭痛、耳鳴りと原因不明のひどい症状に襲われました。
眠気もすごく、うつらうつらと浅い眠りの中で、昼夜、床に伏せっていました。
ところが、2日たった頃、突然楽になり、ケロッと元気になりました。
その後、1日たって紫野様からお返事が届いたのです。
そして通信を読んでびっくりしました。
私も、書いてあるような霊的に清まっていく過程の症状だったのでしょうか?

鎮守参拝はとても充実した気持ちで、息子を亡くして以来何も行動に移す意欲のなくなっていた私に、少しずつ心の安らぎが出てきました。
不思議な気がします。
本当に、いつ死んでしまおうかと毎日考えていたのですから…それに無くしてしまったお金が出てきたり、息子が亡くなってから、カビだらけでまともにそうじなどしたことなどなかった風呂場や洗面台を、磨いてみる気になったりなど、気持ちがとてもさわやかなのです。

人間関係で悩んでいましたが、相手がどんな行動を私に対してとろうと、とにかく受け止めるというか、見守ってみよう、人間根の悪い人はいないんだと思い、鎮守へ行ったら最後に涙がザーッと出てきました。
また、神棚で礼拝中、愛に貪欲になるより、先に人に愛を与えようと思いついたところで涙がどーっと心はおだやかなのにいつまでも出てきてびっくりしました。

先生からのお返事が届く前日の夜中、急に目がさめて気づいたら、たくさんたくさん涙を流し、泣いていたのです。
どうして自分が泣いているのかわからず、ただただ涙があふれてきてどうしようもありませんでしたが、そのうちなんだかとてもすっきりとした気分になって熟睡してしまいました。
次の日、先生からお返事が届きびっくりし、先生が発する光によって様々な症状があらわれることを知り、もっとびっくりしました。
ちゃんと光が私の心に届いてくれたんだなと思うと、感謝でいっぱいです。