祈り通信講座を進めている皆様の、体験談です。
尚、文中に出てくる祈らら以外の人名や方法や考え方などは、それぞれの方の経験です。
祈ららでおすすめしているというわけではありませんので、取り入れる場合は自己責任で行ってください。
■瑞の祈りもですが、祈りを始めると、起きてくる物事を冷静に客観的に見れるようになったかもしれません。 自分は物事をネガティブにとらえてしまうことがくせになってるようです。 人生に大変なことも多かったので、防衛的にそうなってしまうので、「また悪く捉えちゃったな、私…」と気づくことと、その繰り返しで、起きてくること、感じることを上手にとらえて行動を変えていくという、地道な努力を積むしかないのです。 瑞の祈りの頃、ご祭神様からのエネルギーの感じ方は、2種類あった気がします。 正面からまっすぐズンと来るもの(「よく来た」等)と、子供がおじいちゃんの膝で聴くような、耳から入るようなものです。(「遠慮せんでいい」等) 霊の祈りの始まりは、できるかなあ、と思いましたが、いざやってみるとさわやかな気持ちになりました。 地域への祈りと、主に市内対象で自分がいつまでも後悔している相手が浮かんだら、祈っていましたが、それでよかったのかな。 何回目かの参拝で帰宅後、めまいがしましたが、大きな蓮の葉と花の夢を見たと、感想でご報告したかもしれません。 10回目の参拝の時、そういえばさらっと優しい雨が少し降ってきました。 帰宅後のタイミングで、何年も断られた就業先から、面談するという連絡が入りました。 夫はいい人だし結婚当初は仲良しで癒されましたが、子供が生まれてからが大変でした。 11回目は、祈りの途中で涙があふれてきて、息子が今こうなっている(学校を休みがち、不安定)のは、それがすべての原因ではないですが、私がちょうどいい思い方ができなかった面があったことをうけとめます、と祈りました。(現実レベルでは、私のせいではなく、障害のせい、と言われます。障害を受け入れて、自分を責めないで、と。) 実の両親とのことも、夫の両親の価値観を受け入れられなかったことも、この地区でスムーズにいかなくて人を恨んだことも、私が逆境に負けてしまっていました、と祈り「私がこんどは逆境に負けないように見守ってください」「本当の気持ちに従って本当の満足で満たされる生き方ができるように見守ってください」と言い、涙を拭きながら帰りました。 厳しい言い方になるけれど、いろいろなことは、自分が引き寄せているから起きているのでした。 その後、スモーキークオーツの注文をして、確認の返信を受けっとった次の日の参拝で、つーんと檜の香りがずっと漂ってきました。 祈りの後半くらいから、見える世界が今までとずいぶん違いました。 時々、祈りの言葉を唱えながら気もそぞろになっている時があって、そんな時はあんまり檜の香りがわかりません。 参拝21日を終えた時、邪魔か調整が働いたようでした。 私だけ進歩成長しようとしても家族みんなで進んでいくことしかできない、という気がしました。 また、その後、祈りのテキストの一部がなくなっていることに気が付きました。 その後、風邪で息子は咳が止まらず、学校を休んだり、大好きな水泳を見学していました。 私も咳が止まらず、声が全く出なくなり、やっと決まりかけていた面接後の仕事をなんと、ふいにしてしまい落ち込みました。 祈り期間、夫との喧嘩は過去最高でしたが、方法としては良くないけど、自分の本当の気持ちを出せるとすっきりして、3週間ほどで私の体調は戻りました。 足が遠のいていた参拝、レポートやワークもやっと取り組めそうになってきました。 21日の参拝を終えて、強めの浄化もおさまってきて今、自分の半生をネガティブに思うのではなく、進歩成長のために必要だった面を自分でねぎらって自信にしていいとわずかに思えます。 間違っていたこともあったけど、それは、進歩成長の気づきのためだったと、実感できるといいのでしょうか。 より上手な思い方、上手な振る舞いができるようになれるといいのですね。 インナーチャイルドの癒しを並行しながら、心を開ける相手がもう少しできるといいのですね。 また、どこか守られている感じもあり、ご先祖様に感謝しながら供養できたらいいのでしょうか。 慢性的な絶望感のようなものはありますが、極端な落ち込みは和らいで、カルセドニーにはさらにクラックが…(かわいそう) 癒し系の石を、着けていられなくなって、外さずにはいられないことがおきます。 まだ、少しずつ浄化が起きてくるのでしょうか。 ■霊の祈り1を受けました! 通っているうちに、何も感じていなかったのに、実は色々なことが感じとれているのではと意識が変わっていきました。 今は引っ越して生まれた街とは違う街にいますが、当時の神社の写真を見るだけで泣きそうになります。 かなりたくさんの資料も送っていただき、コロナの中楽しい友ができたような感覚でした。 ■この度は、祈りに出会わせていただき感謝します。 正直、最初は「できるかな」と違和感がありました。 祈りを始めて(特に「〇〇神社」に行ったとき)、最初のうちはとにかく祈れたことがうれしくて、そのうち、自分のいままでのことが恥ずかしくなったり(その時はそれで精一杯だったとしても)、辛かったことも自分が原因と受け入れる気持ちが出てきました。 そして眠くなります。 初めて「〇〇神社」に参拝したときは、帰宅後めまいがしてその夜、大きな蓮の葉と花の夢を見ました。 ■今回は職場の鎮守参拝での体験をご報告させて頂きます(長文) 3月の半ばに初めて職場の鎮守参拝を行いました。 横には三宝に載せられた御神籤があり、中に一つだけ古い感じのものが目に入りそちらを頂くことにしました。 以下、その「神の教」からの引用です。 『影が鏡か、かがみかかげか、拝む心が、神ごころ 紫野先生や祈ららのことが通じており、祈ららの祈りを励まされるようなお言葉に感動しました。 後日↓↓ 前回からひと月ほど経ち職場でも新年度になりましたのでご挨拶も兼ねて鎮守へ向かいました。 スギライトを初めてお迎えした時に受けた何倍もの強いパワー?御祭神の力?に圧倒され震えるような祈りとなりました。 その足でいつもの鎮守様で参拝しました。 ■今日は鎮守参拝で気付いたことがありましたのでご報告させて頂きます。 その後も鎮守参拝は毎日続けておりいつの間にか二ヶ月が過ぎていました。 三月末に職場の鎮守の参拝を行い、2回目に祈りを捧げた時とても強い御祭神の力?のようなものを感じました(また改めてご報告致します)。 今日も鎮守に向かう道すがら「きっとそうに違いない、私がこの土地や鎮守様や氏子の皆様を苦しめた事があるのだな」と思うと涙が滲みます。 車から降りて急かされる思いで鎮守に向かうと少し離れた時にピッと音がして自動で施錠されました。 鎮守に足を踏み入れる時から鳥たちの鳴き声がこれまでで一番激しく聞こえました。 カルマのある私がこの土地をお里として生まれ、 しかし振り返り鳥居を出る頃には「だからこそ来なければならないのだな」と思うのでした。 些細な事かもしれませんが今日鎮守から出た時初めてげっぷが出ました。 ↓つづき 涙が流れた翌朝のこと、階段を普通にトントンと降りた自分に驚きました。 降って湧いたように症状が出始めたこと、急激に悪化したことなどかなり不自然で恐らくカルマではないかと思います。 かなりつらい症状ですがそれでも本来より軽くして頂いているのかもしれないと思うと、できるだけ休止することなく祈りを続けて行けたら…と思っています。 ■先祖供養で起きたこと お香の効果なのか、夫は生あくびがたくさん出て、眠い眠いという日が続きましたが、いつも仕事で疲れてイライラしていたり、子供にきつくなったりしてしまうのが、穏やかになり、そればかりか私に余裕がないときはフォローしてくれるほどに。 私は緑茶が苦手でおなかが痛くなるのですが、供養の時、おいしくなるように考えて心を込めていれました。 外出中に上着から本当に心地よい香りがするので、何かなあと考えてたら、お香でした。(仏壇屋さんおすすめの、煙少なめさわやかな香りの毎日香) 神様、仏様と言うけど、自分は今まで何やってたんだと思いました。 神棚には「お導きに感謝します」と言っていることが多く、お願いをしたことはなかったのですが、珍しく一つだけお願いをしました。(具体的に書けませんが) 供養の時の香炉と燭台は手作りでしたが、さすがにやりづらいので小さい仏具セットを購入しました。 ■昨日の鎮守参拝では祈り始めると霧のような雨? ■一宮神社に行きました。 途中道に迷いながらもナビを頼りにどうにか着きました。 初めて〇〇神社に行った時にも思ったのですが、何だか両方の鎮守神社に背中を押され、導かれた様な気がしました。 ■祈りを始めたことや波動の高い石たちを身につけていることなど、見た目には分からないはずですが、とりまく状況が変わってきているのを感じます。人間関係のところでは主人の名前をあげる日が多いのですが、私の主人に対する内面の変化(良い方へ)と主人の態度の微妙な変化を感じます。 今後は私にも強い浄化やカルマ出しがあるかもしれませんので気を引き締めながら祈りを続けていきたいと思います。 ■昨日は6日目の朝でしたが予報通り積雪があり、鎮守の坂道は除雪がされておらず出勤前でしたので少々焦り、行きつ戻りつして何とか停車し、お社に向かおうとしましたが、新雪がどっさりあったため第一鳥居を入った所でお祈りをしました。雪道の通勤は時間が掛かるため「自宅参拝にすれば良かったのか…。不完全だったな。」という思いが込み上げてきて運転しながら涙が溢れました。 仕事中は徐々に頭痛になりましたが耐えられそうなので耐えようと思いました。 そういう経緯もあって7日目の今日は『行けば6日目の涙の意味も分かる』との思いもあり、張り切って鎮守に向かいました。 出勤すると直属の上司(女性)が家で眩暈がひどく今日は大きな病院へ行くとのことでした。 ■もしかしたら、私の霊感は体感覚かもしれません。 感情で会話すること、市内全域参拝を通じた祈りをすることを通じて、本当に自分が求めていた道に通じると心から思えて嬉しいです。 自分は、知らず知らずのうちに人を傷つけている。 この祈りを通じて、嫉妬や妬みや嫉みを浄化していけると思うと、本当に出会えて良かったです。 ■先日、昨年亡くなった叔母を供養しておりました。 ■祈ららのこの第三段階の内容を知った時には、こんなにみっちりと、個別にやるのは結構大変だな、と思ったのですが、市内全域参拝を終え、個別供養をしてみて、祈ららの祈りの段階はとてもよくつくられているなあと感心しております。こうして個別供養をするまでの間に、ご鎮守との関係を確立し(第一段階)、大きな先祖の守りを得ながら、(第二段階)、強いエネルギーを持つ土地との関係、実際的な個人のカルマと相対していく(第三段階)というふうになっているのだなと思いました。 進みはのんびりですが、できる範囲でやっていこうと思います。 ■『祈り通信講座』が届き、今日たまたま仕事の休みを取っておりましたので必ず今日鎮守の参拝に行こうと決めました。神社に近づくと車が一台、鳥居にバックした状態で停車しており道を塞いでいました。 境内までは雪が15cm位積もってはいたものの氷のように固まっておりましたので滑りそうでしたが何とか沈まず歩くことが出来ました。 気温は1℃、みぞれが降る中での初めての参拝は祈りの言葉を唱えるだけでも必死、背後から誰か近づいてきやしないかとハラハラしながらであまり心を込められなかったかもしれません。 ↓後日 今日も神社に参拝してきました。 ■祈りをはじめて、23年が過ぎましたが、最近進歩成長してるらしいと思えることが増えてきました。 まだまだ私には課題があることは重々承知しておりますが、「本当に自立してますね」、「いつも前向きでありがとうございます」など言われることもだいぶ前から多くなってきたことを考えると成長が確認できて嬉しく思います。 自立してきた結果、どんな場面でも相手への不平不満はほぼなくなってきました。 ■職場に通勤途中に地域の中核になる宮司さんのいる神社があり、毎朝お祈りできるようになりたいと憧れから祈ららを始めることにしました。 それは、人とのご縁です。 今まで生きて一番人間関係に恵まれています。 神棚で祈るようになってからSNSを通じて一気に人間関係が広がりました。 SNSの使い方は人それぞれだけど、私は、ここで起きることは神様から与えられた課題と思って真摯に対処することを決めました。 ちょうど子どもが手を離れていく年頃。 生活サイクルは変わらないのに、家にいながら普通に生きているだけでは巡り会うことにできない人たちとの交流が始まりました。 人付き合いが面倒で自分の世界に閉じこもっていたのが嘘くらいの勢いで、本当にたくさんの人と関わりを持つようになりました。 当然関わる人数が増えるにつれて揉め事トラブルが起きます。 それを一つづつ前向きに克服していってます。 自分のやりたいことを決意表明できたし、人に言いにくいことや、お願いや交渉ができるようになりました。 これもご縁で仲間と一緒にやってきたからです。 実際の祈りの取り組み方ですが、新しい趣味音声SNSと並行して行うにあたり、どんなに面白い話をしていても、祈りが終わってから。 最初は4家から読経3回から始め、少しづつ負荷をかけました。 祈りの時間40分はあっという間です。 神棚を用意するところまでは躊躇なくできましたが、流石に仏具を準備するには家族の手前、抵抗がありました。 号泣することは一年間でありませんでしたが、感情で会話することがなんとなく分かり、身体から涙が込み上げてくる感覚はありました。 ニコニコしながら楽しい気持ちで祈ることもあれば、絞り出すようにお経を読む時もありました。 SNSで取り組んだことは、ブログにあるオーラからみる価値観です。 ブログの内容をノートにまとめて図に起こしました。
私は祈ららの何を祈るか? 祈りとSNSでの活動が連動していることもあり、レベル2終了のちょっと前に困難と壁に当たってます。 SNSに身を置いてますが、自己開示することを避けていました。 自分が良かれと思ってやった行動が、間違っていたらどうしようという不安。 自分を貫くことは、追う人がいなくなること。 そう決めたら弱さが強さに変わった感覚を得ました。 自分に素直に正直に発信していこう。 ■鎮守神社への参拝、ようやく満願です。いつも緊張するのですが「あんた、そんな遠慮せんでいい」とか「いろいろ気にしなくていい」等…。 ■祈りは夫婦でレベル3の市内参拝を少しずつ進めており、現実が良い方向に変わってきているように思います。祈ららの祈りを始めた頃には想像もしなかった人生になってきていて、祈ららの祈りの凄さ、出会えたことに感謝しながら日々過ごしています。 ■ゆっくりと祈り3をやっています。近所の地区の神社で、今まで聞いたことのないご祭神がありました。 なんだか色んな神社に出会えて、うれしいです。 ■本当は、自分の先祖供養がどのくらいあっているのかなぁということが知りたくて瑞の祈り2が欲しかったのですが、1を飛ばすのはダメなんだろうなぁということで、1.2を注文させてもらいました。なので、1の次は皆さん霊の祈りにされていますよと教えていただきましたが、断ったのはそういうことなのでした。 そういえば昔は、お墓でお饅頭をむしゃむしゃ食べているおばあさんとかいたなあ。。と思い出しました。 ということは、ここ30年~くらいでお墓にお供え物をしなくなったのかなぁと思います。(カラス対策とかですかね。) ■カリキュラム取り組み中の、途中経過報告を致します。私がLv.2の申込みをさせて頂いたのは去年の5月頃でしたが、転居・転職などの事情が重なり、神棚礼拝と先祖供養を実際にスタートできたのは、申込みから1年近く経った今年の4月に入ってからのことでした。
この曲への興味から、ネットで歌詞の和訳をいくつも読み漁っていたところ(訳者の言葉選びによって、一つひとつの完成形が微妙に異なるのです)、次第に「まるで、三途の川を渡れないでいる我が母方先祖達のことをいっているようだな…」と感じ始め、急に涙が込み上げてきました。 以上のことから、今後の母方の供養の折には「〇〇〇〇〇〇〇〇」で進めてみようかと目下思案中です。 ※注) ■SNSでスピリチュアル系の方と交流がありますが、私は、ちょっと変わったことをしている人と見られているようです。 ■無理と思っていたお経を8ヶ月で暗唱できました。 ありがとうございます。 飽きっぽい自分が毎日続ける祈りができると思わなくてビックリの一年です。 観音様とご縁があるかどうか分かりませんが、祈っているとき、ふと湧いたイメージがあります。 お経を唱えていると、過去も現在も時間が同時に存在する不思議な感覚になる時があります。 霊的な感覚なく鈍感だと思っていましたが、よく分からないものです。 ■完璧でないですが、神社参拝も順調にできていますし、神棚の祈りも祝詞全集からいくつか選んで奏上していますし、先祖供養は来年の1月中くらいで一年になります。毎日コツコツ続けることで自信に繋がるんだなと感じてます。 ■神社参拝に慣れなくてで緊張したので最初のうちは感想を記録していました。 ■レベル3の祈りは夫婦でマイペースに少しずつ進めています。 これからも日々精進して参ります。 ■【中間報告】今回は、9月23日の秋分までに、私のほうのご先祖の供養をすべて終わらせることを目標に、続けていました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 想えば、ちょうど一年前には、〇〇家の供養をすべて終わらせる目標を達成し、今年は、私の先祖すべての供養を終わらせることが出来ました。 それ以前には、妻のほうの供養をしたり、市内参拝なども行っていたので、この夏は、本当に供養に特化した祈りとなっており、大変にエネルギーを使ったなぁと実感しております。 『異人たちとの夏』という映画を、夏の終わりに観ましたが、この夏、私は実際に会った人たちよりも遥かに多くの異世界の先祖たちとの交流で過ごした時間のほうが多く、私にとって2022年の夏は、まさに『異人たちとの夏』一色でありました。 今回は、半分レポートのようになってしまいますが、レベル3は盛りだくさんですので、中間報告としてちょうど良い時期かなと思っております。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* いま、終わってみて思ったことは、ちょっと期待していたこととは、違ったということでした。 私の血の中に流れる、もっとも近しいご先祖や、私が生きて実際に会ったことのある親戚もたくさんいたので、彼らは、私に感謝して、もっともっと運勢を上げてくれるものとばかり思っていましたが、実際は、以前と変わらない生活が続いているように思います。 昨日、最後のひとりの供養が終わってから、美容室に行き、その足で実家に行きましたが、両親は相変わらず小競り合いなどを繰り返しながらも、私を交えて一緒に食事をしましたが、先祖の話しになっても今一つ盛り上がることなく、特に言い合いになるようなことはなかったものの、なんだか妙に体調が悪くなって、帰宅するとくたくたに疲れていて、その日は家事も放りっぱなしで、すぐに寝てしまいました。 妻には、これまで以上に感謝の言葉を、意識してかけるようにしていますが、妻のおちょこちょいはそのままで、私はと言えば、夏に大切なお客様が去っていった心の痛手を、まだ払拭できずにおります(内省は済みました)。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* それでも一回一回にかける供養は、毎回、そのたびに違う出会いがあり、重い人、軽い人、濃い人、薄い人、高慢な人、卑下する人、お供え物を遠慮する人、のべつ幕なしに食べたいものを列挙する人、本当に様々でした。 読経の一回目ではほとんどわかりません。 中くらいの重さの方は、7回終了後には、良くなっていることが多いです。 それ以上の重さを抱えている霊は、大体、真言を唱えることで、一日で終了となりますが、中には、霊障を供養後に霊障をひきずったり、部屋の中がもわもわとして、窓を開けて放つこともありました。 初めから覚悟はしていましたが、私の叔父にあたる方で凶悪な…(笑)方は、三日かかりました。 もっとも長かった人は、8日かかりました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 家系の中には、何人か離婚があったり、夭逝した子たちも少なくありませんでした。 また、養子縁組や兄弟間での養子養父の関係を持った人も何人かありました。 子孫の人生のことを後々まで興味を持って聞いてくる家長のようなおじいさんもいましたし、逆に、未だ、生前の葛藤が払拭できずに苦しんでいる人もいました。 親や子を愛せない人もいました。 誤った稲荷信仰をして、その後の子孫に良くない影響を与えていた女性もいました。 肩書と内面が大分違っている人もいました。 性格の良い人にあたると安心しました。 素直な人は、目いっぱいお経を吸収して、天に昇っていきました。 生前宗教を持っていた人ほど、成仏は遅くなりました。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* そんなことがありながらも、夏の季節中、私の心は、陰へ陰へと向かっていきました。 妻には「うるさい」ばかりで、ちっとも優しくしてあげられませんでした。 また、お祈りの最中、その人の名前を想起しながら、お経を送っているつもりが、私が人生の時々で、人にされた悔しかったこと、憤り、心の傷、先々の不安… コンプレックスが次々にあふれ出して、供養が終わったご先祖の数が増えるたびに、私の自信や誇りは、却ってそぎ落とされていったような気さえしています。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 私は当初、この修行を始めた時に、死んでもいいと思って始めました。 〇〇〇〇協会を皮切りに、30年間、多くの先生に師事し、色々なものを犠牲にしてきました。 結婚してからは、自身の最後の誇りであった善人でいるということも、妻側の多くの人間たちによって破壊されてきました。 世の中の真実を求めれば求めるほど、正義とは程遠い、人類というものの作って来た歴史の数々。 20代の頃のお世話になったあの先生にまた会いたいな… そうして久しぶりに連絡をとってみると、奥様が出られて、その電話の半年前に他界されていらっしゃいました。 紫野先生の祈ららに出会ったのはその頃でした。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* その少し前には、陰陽師になるために、関西に誘われたこともあります。 でも、どうしても気が進まなくて… 最近、千日回峰行の動画を観ました。 1300年間の歴史の中で、成功した人はたったの二人だと。 そして、修行を失敗したものは、自害するのだと… 私は、彼らがなんのために、その行を課すのか?悟りが目的だというのであれば、どこか間違っているような… ただ、、現在、年間三万人の自殺者が出るこの国で、藁をもつかむ気持ちで、死んだ気で何かに挑戦したいという気持ちは、私は、ようくわかります。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 私の『異人たちとの夏2022』は、楽しくも、苦しい修行の日々でありました。 美容院の人から、以前はなかった白髪が増えた(私の髪は長く、生えてきたのではなく、急に白くなった毛が何本もある)と言われました。 今は、日常の感謝や喜びといったものからは、だいぶかけ離れています。 それでも、進むわけは、…この30年考えたこともありません。 でも、とりあえず、私の分の供養だけは終わりました。 最近は、一度の供養で、かなり成仏に近いまでのご供養が出来るようになったようです。 以前は守護霊に守ってもらうことばかり考えていましたが、なんだか今は、どちらが霊界だか現実だか? どちらが守護霊だか、見守り、助けられるほうだか分からなくなりました。 以上、中間報告とさせていただきます。 お読みいただき、ありがとうございました。 我が人生のこの時期に、この法に会わせていただき、感謝申し上げます。 これからもよろしくお願いいたします。 ■(先祖供養よりも)神様の方が波動を感じやすく、祝詞を読むととても温かく満たされ少し軽くなります。祝詞の本に、この世で生きるための叡知が詰まっていて、神々の名前を見ていると、日本はこんなにも守られている神の国なんだと泣けてきました。 ■「霊の祈りレベル3が始まってから約3年半、約300の寺社を巡らせていただきました。 2年目に入ると、近隣で参れるところはほとんど終わってしまい、一度伺って祈った後は、ほとんどが自宅の神棚か、鎮守での参拝になりました。 他にも伺った先では様々な反応もありました。 山の中では、獣除けの電気鉄柵を超えた向こうに、素晴らしい神社があったりして、土地のエネルギーを強く感じました。 3年目には主に〇〇町を回りましたが、やはり〇〇町エリアでは、〇〇一族の力というかエネルギーを強く感じました。 一応地図にある所と、また、地図にはないのですがナビで表示される所というのもあり、それもできるだけ回りました。 祈りの中でいくつかとても印象深いことがありましたので、それもご報告致します。 まず、ある地域の諏訪社で祈った時のことです。 地元の名前のついた神社でしたが、御祭神は建御名方命、八坂刀売命でした。 それから、他の諏訪社で祈る時も、同じ雰囲気を感じたところがありました。 また、250寺社を超えた頃に祈った神社では、建南方富命と白木武尊(タケミナカタの命と、ヤマトタケルの命でしょうか)でしたが、祈っていると身体がびりびりと電気的なものを感じ、足元から何かが登ってくるような感覚がしました。 他には、愛宕神社ですが、祈っていると、不思議に美味しい甘い感じが口の中に広がり、どこからか白檀の香りがしてきました。 <祈りの中での外側の変化> この3年いろいろありましたが、カルマが出てくるということは、それを手放せる時だとも思い、それはとても有難いことかもしれないと思いました。 <祈りの中での内側の変化> その中で、どうも自分は身体感覚的なことが苦手だなあと思い、身体感覚を取り戻すために太極拳を習うようになりました。 また、自分の認知の特性について知るために、ユングのタイプ論を元にしたMBTI診断なども受けました。 祈ららの祈り3に入り、自分の課題である経済的自立の課題に取り組んでいました。 今感じるのは、自分自身のエネルギーは増し、以前より軽やかに生きている気がします。 今はスピリチュアルという真の柱から最も素直なかたちでセルフの表現としての自分で在れるよう、その意思を感じ、実現できる力を強くしていこうと思います。 <祈りを通して全体的に感じたこと> 行政上の県や、市というものは、人間が決めた勝手な境界線ではありますが、できる限り一緒に協働させていただきたい。神々の働きの助けになればと思うようになりました。 現代は、山を崩し、木を切り土地の神やエネルギーなど考えずに、人間の利のために利用されていることが多いです。 結婚し、引っ越してきたときには、誰かに見られているような、いつも緊張したものをこの土地に感じたものですが、今は市内に入ると少しホッとする感じがします。 ■祈り3を始めたころから、生活上でやることが増えまして、少し疲れて祈るので、祈り2の時ほど、敏感に色々と感じ取るということをしなくなって、せめて祈りが届けばいい、という気持ちでやっています。でも、このお盆に、久しぶりに実家のお墓に参りましたら、線香もお菓子も水も持っていず、ただ祈っただけだったのですが、何故か感動して涙が伝いました。 ■祈らら様からの返信(お問い合わせやカウンセリングの回答など)が到着する前に、引きずり込まれるように眠ってしまうことがあり、目が覚めたらメールが届いていた、ということがありました。「霊の祈り」に興味を持ってお問い合わせをしていた前後に、夜中(明け方に近いかも)、突然部屋の景色が変わり(昔、神社の隣に住んでましたが、神社に一番近い配置の部屋の中、窓から鎮守の森が映る景色)寝ている自分の右腕を何かに押さえつけられました。 すると今度は「自分の感覚をもっと信用してください」と沸き上がってきたので、息をしっかり吸って 日中、「あれはどんな意味だったのかなあ」とぼーっとしてしまったり、祈ららさんにかかわることでなくても、抗えないくらい眠くなったり、病気でもないのに体調が悪いと感じたり(ワクチン接種者の影響かも)、「地獄を見下ろしているよう」な気分になったりしました。 「祈ららの浄化について」という項目をもう一度読みまして、「邪魔が入っていること」の部分も読みまして、いろんな反応に対する支えができて少し楽になりました。 ■祈ららの祈りを始めた頃から、不定期で急に腸の不調、肩痛、首痛、眼痛、頭痛が起きる日がありました。 今回の事で祈りの効果を改めて感じました。 ■【掃除が止まらない】今年は夏に入る前から、施餓鬼供養をしようとずっと決めていました。 それは、私が掃除魔になってしまい、(おかしくなったんじゃないか)というくらい、毎日どこかを掃除していました。それは一週間以上続きました。 普段掃除をしていないわけではないのですが、古い家ですから探せばどこかは必ず汚れがあるのです。 ☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆ 【ある朝、ネズミが死んでいた】 毎日、掃除をしていたある日の朝、妻が玄関を出て、驚いたような声で私を呼びました。 このネズミは、私たちがこの家にやってくる以前から、この家の天井裏に住んでいたネズミだとすぐに気づきました。そのネズミは、天井裏から、こともあろうに神棚の真後ろにやってきて、そこでゴソゴソやっているのが、日常でした(神様と一緒になんどそのネズミを拝んだかわかりません)。 そのせいでしょうか。何度か天井裏を開けた時には、いつももぬけの殻で、またたいして汚れていませんでした。毒エサを仕掛けましたが、ほとんど食べず、それからも普通に住み着いていました。 足掛け、7年間。私たちは、天井裏のネズミと共に暮らしていました。 そして、あの日、庭で干からびて死んでいたのです。 それまでには、先程よりも強い毒エサは買ったものの、なんだか仕掛けるのが忍びなくて、そのままにしておいたのです。何をしても、絶対に出ていかなかったネズミが、お盆の先祖供養をしたら、誰も迷惑にならないような場所で、こちらが手を下すことなく、死んでいました。すぐに役所に電話して、引き取ってもらいました。 私はもう一度天井裏を開けると、木の枠の隅の所に、申し訳なさそうに少量のフンが固まって置かれているのを見ただけで、天井裏は、ほとんど傷もなく、汚れてもいませんでした。 長年、悩まされていたネズミではありましたが、彼は大きな音を立てることもなく、鳴き声も一切せず、静かに死んでいきました。 ☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆ 【夏の先祖供養はキツイ】 今回のお盆の先祖供養で気付いたことがあります。 私は、紫野先生にお願いして、本来1年間のレベル2の供養を「涙が出るまで」に変えていただきました。そして、約4か月でレベル2を終了出来ました。 ただ思えば、この4か月は、冬期のお祈りだったのです。 その後も、個別供養と共に、先祖供養は行っていますが、どうしても個別供養のほうに割合は嵩んでしまいました。そんな中、施餓鬼供養をしようと意気込んだ結果、、しかも、八家を一気に供養してやってきたご先祖を供養したら、本当に体がきつかったです。 夏前までは、仏壇に手を合わせると、神棚での参拝とさほど変わらないくらい、気は落ち着いていたのですが、今年のお盆は、まるで、レベル2のお祈りを始めた時のよう… それにしても、送り火が終わったにも関わらず、いつもよりご先祖が多いのは、、 ご供養が終わるたびに窓を開けていた、初期の時頃の感覚を思わず思い出しました。 ■私が妻と伊豆高原に出掛けた時の話しです。 ■いわゆる「霊感」がない私ですが、必要なときはちゃんと夢や神社などでなにからしらのメッセージをいただけます。 ■霊の祈りのレベル1の氏神様の神社のご参拝を昨年の5月半ばから開始して、旅行に出掛けて行く時以外はサボらずに毎早朝3時30分から4時頃に家を出て参拝を続けて、一年が過ぎました。 そして、毎早朝 神社で宇宙の高次元の皆様に『私にあらゆるサイキック能力をお与えください。』とお願いをしております。 昨年からユーチューブで『タロットカード、オラクルカードのリーディング』をしてくれるサイトにハマり出して一日中、色々な方のリーディングを見ております。 はじめのうちは自分の直感でカードを選んでおりました。 この現象はサイキック能力なのか? 祈ららの紫野ひかり様の霊の祈りを知ることが出来て本当に有り難く感謝致しております。 ■会報誌を読んで祈りの趣旨により深く賛同しました。自分の自己否定や自己嫌悪がどこからくるのか? 私は競争するより協力したい。 不利な立場で頑張っても報われない人。 勝ち負けの世の不条理に対してどうすることもできない。 負けることが多いけど、何かの縁で勝ってしまった自分。 敗者への想いをこの祈りで昇華できると信じているから、一年間神社に通い続けることができたのかなと思いました。 負けた自分と勝った自分が握手をするようなそんな気持ちになれるノーサイドなこの祈りを続けていきたいなと思いました。 ■今年から始めた先祖供養も順調に続いています。 ■祈りの方は頻度がぐっと下がりつつも、続けている感じです。 私自身も、「楽になりたくても肝心の祈る人がムリをしていたら意味ないよねぇ」と思い、どんな気持ちで祈ったらいいのかは試行錯誤しました。今浮かんだのですが、頻度どうこうより、内面を良くすることが大事なのかもしれません。 ■大山寺の不動明王さんに会いたくなって、家族で登山してきました。 その2日後、また大山寺を訪ねました。 娘の通う保育の裏にお寺があり、一度祈りに行きたいと思っていました。 このように毎日手探りで、石さんのパワーをお借りしながら、一生懸命祈らせていただいております。 今日も大山寺に行って来ました。 この気持ちをどのような言葉に表してもしっくりきません。 ■霊の祈り2を昨年より主人と共に始めさせていただきました。 特に始めの三か月間はとにかく祈り中心の生活でした。 紫野様からご紹介していただいた本もとても勉強になりました。 それでは以下、少し長くなりますが日記を見返しながら祈りで号泣した日や、何か強く感じた日の出来事などをご報告させていただきたいと思います。 私の母方の祖父のご先祖様の祈りは始まりとともに号泣でした。 数日、スッキリしない夢をみたり体が重く感じたりして祈りができるか心配でしたが、神棚での祈りがとてもスムーズにできて、エネルギーをたくさんいただいた感覚があり、涙がとまりませんでした。 また、父方の祖父の祈りで私は女性へのカルマがあるのではないかと心の中で思ったところバチバチといろんなところでラップ音がなりました。 夢をみても嫌な感じがしなくなりました。体が軽くなりました。 掃除をしていると左の指を紙で切ってしまいました。 生理がきました。先祖の祈りで紫や白色の光の中に人の顔が見えたような気がしました。 どれも大事には至らなかったのですがケガや「血」を見る機会が多かったので大きな浄化なのかもしれないと感じました。 帰省し、両家全部のお墓に行こうと前々から決めていました。 6年前に、それまで一度も自分の苗字のお墓に行ったことないことがずっと寂しく、違和感を感じていたことから、祖母にこのお墓の場所を聞き、家族に黙ってお墓探しをした時のことを強く思い出しました。 次に、曾祖母のお墓によると和尚さんが話しかけてきました。 母方の祖父母のお墓参り。母がお仏壇で火のついたお線香の先が手首にあたりやけどをしました。 主人の実家のお墓参り。義母の「~べき」という常識にしばられた発言が以前より減ったように感じました。 そんな流れでお墓参りの話がスムーズにできて、初めて母方の曾祖母のお墓(2人とも自害されたと伺っている方のお墓)に母と一緒に行くことができました。 その後、○○大社に行き、参拝したところとてもあたたかく迎えてくれているように感じました。 神棚の祈りをするとこれまでにない無心・心の静けさでこのままずっと祈りを続けられるような感覚でした。 鎮守に一人で行くと、紙をもって何かを探しているような方がいたので声をかけてみると、迷って神社にきてしまったようでした。 この時期、鎮守に行くと必ず蝶が迎えてくれたり、ゾロ目を目にすることが多く、御神仏様を近くに感じました。 母方の曾祖母(自害された)の祈りで初めて涙がでました。 父方の曾祖母の祈りで号泣しました。 主人の父方の祖父の祈りで号泣しました。 石さんが届いてからさらに集中して祈りができるようになったように感じました。 祈りが生活の中で自然なこととなり、お仏壇での祈りも祈り初めた頃ほど疲れなくなってきました。 夜に突然思い立ってブログを始めようと思いました。 知人のヒプノセラピーを受けることになりました。 家族で天然石リーディングをお願いしました。 また、実家の家族とも程よい関係ができてきたように思います。 少し前まではワクチンの危険性を伝えたいが為に、両親に感情的になってしまうことがありましたが、そこには私の執着がまだまだあるのかもしれないと気付きました。 父方の祖父の祈り 母方の曾祖母の祈り 最近は落ち着いていた祈りでしたので、久しぶりに大号泣し、石さんの力を感じました。石さんを付けて祈ると御神仏様に繋がっている感覚が強くなるように感じます。 B祈祷していただいたロードライトガーネットのペンダントを初めてつけたところ、とても眠くなり夕方寝てしまいました。 その後、生理前~生理の不調が驚くほど軽くなりました。 実家に帰省しましたところ、程よい距離で過ごすことができました。 これまでの私は助けたい、気付いてほしい、という気持ちが強く相手を尊重せず一方的に意見を述べて衝突していたと思います。 父に添加物の入っていない美味しいお菓子を買っていったり、母の職場の人間関係の悩みを聞いて共感したり寄り添ったりする姿勢をとることで、自然と相手の気持ちがほぐれていったように感じました。 そして、頑固な父が頭皮に優しいヘナで白髪を染めてみたときはその変化に驚きました。 主人は習っている「○○○○○」の感覚をつかむことができはじめ、私も何度も腹部の不調をとってもらい、娘は主人に頭にエネルギーを送るように触ってもらうと安心して眠るようになりました。 主人は奉仕の心を持った素晴らしい方だなと常々学ばせていただいております。 帰省を終えて帰宅すると、娘も主人も私もとても疲れていて数日間ひたすら家のなかで休みました。 娘が実家の母と電話をしたいというのでかけてみると、母は色々な不調があり、同じく父もだとのことでした。 私は急に怖くなり、なぜ急にと聞くことができませんでした。 数日間そのことで頭がいっぱいになりました。 そして紫野様の親離れのブログや本を読み、内観し、私の中に親への執着があり、親離れできていないことに気付きました。 親に元気でいてほしい、ワクチンを打ってほしくない、気付いてほしいといった期待がたくさんありました。 もしかすると母の立場で考えてみると、母はテレビの感染症の情報を信じている一方で、娘がワクチンは危険だよという情報も気にかかり、何を信じれよいか分からず、職場で一人だけワクチン未接種で不安な日々を送っていたのかもしれないなぁと思いました。 また、すべては母や私の魂が成長するための課題であるのかもしれないとも思いました。 少しというのは、まだ言い聞かせている感覚があり、心の中はざわざわしているからです。 主人は冷静で、もちろん親には打って欲しくないと言いますが、そこまで執着がないような反応でした。 親離れという課題が浮彫になり、この騒動に対して感謝の気持ちがだんだん大きくなってきました。 私にとってこの「親離れできていないことを認識した」ことはとても大きな出来事です。 娘の保育の集まりにて、初めて話した方といろいろと通ずる部分が多く、めずらしく話が弾みました。 主人と共に祈りが生活の一部になり、御神仏様を近くに感じることが多くなりました。 世間はコロナ騒動で慌ただしいですが、この騒動で元よりあった、その人その人の課題が浮彫になっているように感じます。 ■私、何も結果が出てませんが、この祈ららの祈りが好きです。 今年に入ってから、仏具を買い求め先祖供養を始めました。 何も結果が出てないと書きましたが、先祖供養を始めてからお茶とお水を運ぶ時、込み上げてくるものがあります。 先祖供養や会報誌を読みながら、自分がこの祈りをやっていいのかと、恐れを抱いてしまいます。 先祖全体の供養をすることも壮大ですし、世間一般で言われている除霊とは全然レベルが違い驚きました。 自分がどこまでできるか未知数ですが、先祖供養を始めることができましたので、淡々とやっていきたいと思います。 ■祈りの通信講座、霊の祈りのテキストなども送っていただき、ありがとうございます。 ■今年の年末年始は、いつも神棚、仏棚にお祀りしているお札のある御神仏への祈りをさせていただきました。さんざん苦しんだ地域の鎮守様(市外)に遠隔でお詣りさせていただきましたが、五日目にして号泣で終わることが出来ました。 2日には、以前何度もお詣りを重ねた江ノ島神社の遠隔参拝では、一度で号泣を果たし、私の口からなんども「○○○○○○」という言葉が出てきました。 ■姉の子供の姪っ子は引き込もりになっていますが、私がお墓参りした日に、「学校に通いたい」などと前向きな状態になるので効果があると思います。先生が言うように、自然に霊感が身についてきたので、癒しのパワーをくださいと思うだけで、チャクラや、体が癒されます。 ■参拝しだしてから、不幸なことが3割は減った感じがして助かりました。祈っているとたまにチャクラとして合図を受け取っています。 ■祈りの方ですが、昨年まで厳しかった、同じマンションの方とのお付き合いがここ数ヶ月在宅ワークになって、鎮守の神社に朝昼夜参拝していたら、かなりかなりよくなりました。同じマンションにとどまらず、近所の方ともあたたかい交流を築けています。 ■祈ららの祈りを始めてから、丸一年が経ちました。とても長い間、霊的な師と手段を探すための時間に費やした私にとって、祈ららと紫野先生の存在は、かけがえのないものとなりました。 先祖供養にしても、参拝にしても、私が人生の途中ですべて中途半端に投げ出してきたものを、丁寧に、一つ一つ、完成させていっているような感覚です。 一年前、私には幾つかの選択肢はありましたが、先生を選んで本当によかったと思っています。 現実の課題はまだまだ山積みですが、私の今は、おそらく、過去にも未来にもない稀有な時。。これからも一歩一歩歩んで行きたいと思っています。 心より感謝を込めて。 ■霊の祈りは丁度14日になりました。 ■霊の祈りのレベル2を21日間づつ祈りを終えました。 ■この度の霊の祈りのテキストを母に郵便局まで受け取りに行ってもらったのですが、その日以来母も関心が出て、なぜか私と行く気満々なので、今日はお散歩がてら母とパートナーの3人で神社まで行って来たところです。往復1時間半ゆっくりと歩き、80近くの母ですが、何十年ぶりかに地元を歩いて子供の頃を思い出し、懐かしんでおりました。 ■今日も歩いて参拝に行きまして、お祈りをさせて頂きました。 ■先日、私が学んでいるマッサージの施術を初めて私の父に行いました。 ■神社参拝、満願致しました。これがカルマの浄化かなぁと思う事がいくつかありましたが、無事に21日間参拝する事が出来ました。 工事も終わり、残りの参拝を始めましたが、17回目を終えた所で口唇ヘルペス、19回目に口腔内をケガしてしまいました。 まだまだだと思いますので、これからも参拝を続けていこうと思います。 ■初めは好転反応が怖く、祈りではなく塩を持ってご挨拶から始めました。 2回目で涙が出てしまいました。 1回目から17回目までは勢いよく祈りを進められました。 しかし、途中で参拝がパタッと止まってしまいました…祈りをしていなかった間は、天然石の沼にどっぷり浸かってしまい、先生の石も含めてコレクターの様に集めていました。(石に詳しくなってきました…) 天然石に支払う金額もすごい事になり、流石に我に帰り、なぜこうなったのか内観を始めているうちに、インナーチャイルドの癒しが起こりました。 最後の21回目は娘と2人で参りました。 鎮守は少し寂しい所なので、1人で参拝してると、後ろが気になってしまい完全に集中出来ていない気もします。 ■近所にある小さな神社は気になっていたものの、訪れたことはありませんでした。 特に日常生活で辛いことは起こりませんでしたし、精神も安定していました。 時々神様から「よく来たな」「子ども達を護ってやる」 振り返るといつも参拝には白い服で訪れることが多く、祈りの後は赤とんぼやテントウムシがやってきてサインをくれている気がしました。 ・・・・・ あれから3年以上経ってしまいましたが、時々お祈りをする程度になってしまいました。 自宅に仏壇があるのですが、これまで神仏には興味が薄く、恥ずかしながら時々しか掃除をしていない状態でした。 久しぶりに扉を開けて、中にいらっしゃるお釈迦様に触れたときに、悲しくも無かったのに何故か号泣してしまい、心の内を話してお釈迦様と対話している自分がいました。 お釈迦様の大きな愛に触れて至福の時間を過ごしながら、日本の神仏との繋がりを深めていくときなのだと確信しました。 いつものように爽やかな神様です。(近くに竹林があるのを思い出しました) ああずっと参拝していなかった・・・ 今日参拝をしてきましたが、やはり爽やかな風が吹き、迎えてくださいました。 3年前に、私たちが参拝をし始めてから、賽銭箱が設置され、旗も立つようになりました。 ■何の証拠もないのですが、祈りの効果を感じています。 ■先日行った神社では、参拝後、脚の不自由な犬がひょこひょこと出て来て、私をいつまでも見送ってくれました。 ■お彼岸に入る前に、川崎大師と浅草寺のお札のエネルギーが同時に切れました。 そこに不動堂の中から、出て来た若い母親と5歳くらいの男の子がひとり、木の階段のど真ん中を降りてくると、手を合わせている私に向かって、その男の子が手を合わし返しました。 それはまるで、不動明王のご眷属が、私に向かって放った言葉のような気がして、神聖な、なんとも言えない気持ちになりました。 私は、これまでの人生の中で、(少なくとも記憶している限りにおいては)まったく経験したことのない、何かポッとしたあたたかい思いを、言葉に表せない思いを、その男の子から受けたのです。 私は、男の子が無心で私に手を合わせ返してくれたこの度の光景を、一生忘れることはないと思います。(涙) ■レベル1を始めて、2ヶ月後に神棚を設置して、ほぼ毎日祈っています。 年単位のことなので、急いだり焦ったりせず、ゆっくり自分のペースでやっていこうと思っています。 祈りの効果かわかりませんが、神棚を設置してから、たくさんの人と巡り会うご縁を頂きました。 具体的な話をすると、Twitterのスペースという音声snsです。 人が集まるとトラブルも発生しますが、神社や神棚で祈るとサッパリとした気持ちになり、効果を実感しています。 他人から見たらどう思われるのか分かりませんが、私は、祈ららの祈りと音声snsが何かリンクしているような気がしてます。 今までネットからたくさんのものを与えてもらいました。 そんな思いでsnsでやりとりしています。 現実世界で疲れたり、傷ついている人が多いからこそ、できるだけ居心地の良い場所が作れるように、人間関係のカルマを浄化しながら、自分も周りの人も穏やかな毎日が過ごせるよう精進しています。 ■職場の鎮守に参拝させていただくようになって、少しずつわかってきましたが、どうやらほのかに歓迎されているように感じます。 ■落ち着いて考えてみたら、先生から教えてもらったことのお陰で4年半でここまでくることができたんだなと思いました(先生に会う前の私のままだったら決してこのペースでは進めなかったです)。 祈り ■あと4,5日で、霊の祈り2を申し込んで1年経ちます。 舅家は、お会いしたこともない親族が沢山いる中で、個故人の名を呼んでお経を唱えたときは、感動して涙が出ることもありました。 姑家については、はじめから軽やかな手応えで、祈りはじめのころは、嬉しくてよく泣きました。 私の実父家については、自分が育った家なので、よく知っています。 私の実母家は、好きだった祖母を思いながらお経を唱えることが多いです。 先祖供養に関しては、そのようにして季節が過ぎていきました。 神棚といっても、お札も棚もなく、ただ祝詞等をあげるだけが、ずっと続きました。 そして最近は、祈りに少し自信がついてきたのか、スーパーで買い物をしながら、自転車を漕ぎながら、(この場が清まりますように)という祈りを込めて、マスクの中でブツブツお経を唱えたりしています。 この一年間の健康については、今でこそ早起きして祈っていますが、はじめは、子育ての疲れなどで、早起きできませんでした。 それまでも、毎年、多少の不具合はありましたが、今年はカルマの出が、祈りも手伝ってか、コロナ禍で外での気晴らしができないからか、いつもより多い時期かもしれませんでした。 |
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